見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

お台場にガンダムを見に行く

2009-08-31 18:44:21 | なごみ写真帖
 お台場の潮風公園に設置された等身大ガンダムを見に行った。機動戦士ガンダム誕生30周年を記念する「GREEN TOKYO ガンダムプロジェクト」の最終日。予定されていたクロージングセレモニーは、台風11号の接近で中止。でも、激しい雨風の中、けっこうな数の人々が、傘の下から、黙って満足気にガンダムを見上げていた。

 『国宝阿修羅展』の、いや、昨春の『薬師寺展』で日光・月光菩薩を見上げていた人々の雰囲気を思い出した。巨大な人形(ひとがた)って、何かそれだけで畏怖を起こさせるものがある。



 ↓後姿がまたいいのである。


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夏休み最後の週末旅行:見仏編(夜)

2009-08-30 00:03:44 | 行ったもの(美術館・見仏)
 地蔵盆に当たる先週末(8/23)、ちょうど奈良にいたので、元興寺の万燈供養に出かけた。暗くなるのを待って、涼しい風に吹かれながら、奈良町の元興寺に赴く。

 塀の外からは分からなかったが、一歩門を入ると、「元興寺文化財研究所」(笑)と書かれたテントの下に、たこ焼、チヂミ、かき氷などの露店が並び、大勢の人が境内を埋め尽くしていた。小さな石塔・石仏が立ち並ぶ「浮図田(ふとでん)」と呼ばれるエリアには、かわらけの燈明皿が供えられている。





 本堂に上がると、著名人が揮毫した行燈が並んでいた。関東人の私は、鎌倉・鶴岡八幡宮のぼんぼり祭(しばらく行っていない)を思い出す。蓮の花は、仏像写真家で、飛鳥園の店主でもある小川光三氏。



 かくて、夜は更けゆく。
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夏休み最後の週末旅行:見仏編(昼)

2009-08-29 22:24:39 | 行ったもの(美術館・見仏)
 奈良博の特別展『聖地寧波』の展示替えを目当てに、関西に出かけた。京都→奈良を往復するついでに、ふと宇治に行きたくなった。帰ってから、この前、宇治に行ったのはいつだったかなあ、とブログ検索をかけたら、2005年3月に記事があった。黄檗山万福寺のことしか書いていないけど、宇治の平等院は行ったのかしら。いや、平等院ミュージアム鳳翔館(2001年竣工)の記憶がないから、寄っていないのだと思う。

平等院(京都府宇治市)

 というわけで、たぶん10年ぶりくらいの平等院。拝観券を買って境内に入ったあと、鳳凰堂は別料金で、20分ごと(1回50名)のツアーを予約する方式。いちばん早いツアーは既に一杯だったので、先にミュージアムを見学する。ミュージアムは通常拝観のコース内。いいシステムだと思う。簡素で展示品の引き立つ、気持のいい建築は、栗生明(くりゅうあきら)氏の設計だそうだ。覚えておこう。

 展示品では、もともと阿弥陀堂(鳳凰堂)の屋根に乗っていた鳳凰像1対(青銅製?)に見とれる。もちろん空想上の鳥で、絵画には何度も描かれた例があったあろうけれど、リアリティある三次元に造形化してしまった職人の腕に脱帽する。尾羽根のひろがり具合が、なんとも優雅で、カッコいい。後ろから見ると、無骨な鋲を用いて、絶妙の角度でパーツを固定していることが分かる。現代のフィギュア職人にも通じる力技である。別室には、20体ほどの雲中供養菩薩が華やかにディスプレイされていた。じゃあ、阿弥陀堂はどうなっているんだろう?と思ったら、半数ほどが歯抜けのように壁に残されていた。ちょっとかわいそう。

 ご朱印をいただける場所は、阿弥陀堂の裏に2箇所あり。拝観券売り場で教わった最勝院で「阿弥陀如来」をいただいたが、隣りの浄土院では「鳳凰堂」と書いてくださった。気になったので、書いてくださった女性の方に「あのう、むかしは”楽土”と書いていただきましたね」とお訊ねしたら、ちょっと表情をほころばせて「先代のおばあちゃんはそうでしたね。最近は、このほうが喜ばれるので」とおっしゃっていた。わずかに開かれた本堂の障子の間に、日なたぼっこするように置かれていたのは、厨子入りの救世舟乗観音像。新規復元制作だというが、今出来の仏像の厭味がない。あまりに愛らしいので写真を1枚。あとで調べたら、作者の仏師・村上清氏は雲中供養菩薩の模刻と研究にも携わっておられる方だそうだ(→仏師.com-hotokeshi.com)。



黄檗宗大本山萬福寺(京都府宇治市)

 黄檗(おうばく)の駅を通りかかって、万福寺にも寄りたくなった。もともと、境内に充満する中国テイストが私好みのお寺だったが、音楽、絵画、陶芸、煎茶道など、黄檗宗が日本の近世文化に与えた多大な影響を知るにつけて、いよいよ好きになった。山門を入って右の売茶堂は、煎茶を広めた売茶翁(高遊外)を祀る。伊藤若冲に「丹青活手妙通神」(たんせいかっしゅのみょう、かみにつうず)の一行書を贈った人物である。山門の正面の天王殿に祀られているのは布袋さん(中国では弥勒菩薩)で、私はその背後にいる韋駄天像が大好きなのである。戦闘モードの美仏。

 ここは、お土産コーナーも充実しており、染付の煎茶茶碗が気に入って1客購入。抹茶茶碗より深めで、小どんぶりとして使えそうである。あと、今年も中国旅行に行けることを願いつつ、布袋さんの交通安全お守りも。
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夏休み最後の週末旅行:美術館編

2009-08-27 22:32:48 | 行ったもの(美術館・見仏)
 今週の土日は出勤予定なので、私にとって、先週が、この夏最後の週末となった。そこで、可能な限り、夏休みの宿題(!?)をクリアすべく、以下のように行動。

三井記念美術館 特別展『道教の美術』(2009年7月11日~9月6日)

 7月に続く再訪なので、展示替え作品を中心にチェック。明代の版本、正統道蔵『太上三五正一盟威籙』は、剣を携え、袖を翻す道士の姿が、諸星大二郎っぽくて好き。岩佐又兵衛の『老子出関図』は、布袋さんのように腹の突き出た老子がユーモラス。お、重いと言いたげに踏んばる黒牛の姿に、思わず笑みがこぼれる。

 そして、今期の白眉(だと私が思う)雪村の『琴高・群仙図』3幅(鯉のロデオ図、取り巻く仙人たちの、抽象化されかかった形態もいい)にボー然と見入っていたら、思わぬ知り合いが隣りに。「展示替えだけを目当てに、毎週来てるんです」と真顔でおっしゃる。まあ、そちらは専門家だから…。私は、東京会場は2回に留めて大阪にも行こうと思っていると申し上げたら、「駄目ですよ、長崎だけというのが50点くらいあるし」と言う。全く困りものの大規模展覧会である。最後の展示室は、前回、わりと科学的な「星図」「天文図」が目についたのに対して、今回は、信仰に基づく「星曼荼羅図」が多かった。十二宮には右回りと左回りがあるみたい。

松濤美術館 『江戸の幟旗 』(2009年7月28日~9月13日)

 座談会を目的に再訪。そのあと、夕方の新幹線で、2週連続の関西へ。うう、こんなに遊び歩いて…ごめんなさい。

奈良国立博物館 特別展『聖地寧波』(2009年7月18日~8月30日)

 翌日(日曜日)3回目の参観。これで、大徳寺の「五百羅漢図」82幅を全て見ることができて、満足々々。風呂敷包みを抱えて、これからひと風呂浴びようという「浴室」が可笑しかった。羅漢さんは、縫物や洗濯は自分でするのに、食事とお茶の支度は他人任せのようだ。ほかの展示品は先週と変わっていなかったが、別れを惜しんで、じっくり眺める。

大和文華館 特別企画展『物語と絵画-文学と美術の出会い-』(2009年8月21日~9月27日)

 せっかく奈良まで行ったので、始まったばかりのこの展覧会にも寄る。入ってすぐの展示ケースに、伝・俵屋宗達筆の『伊勢物語図色紙・芥川』。私の大好きな作品だ。愛の至福を思わせる黄金の雲の中で、はかなげな表情の男女が顔を見合わせている。ふと画面に添えられた詞章を読んで、ハッとした。「女のえうまじかりけるを、としをへてよばひわたりけるを、からうじてぬすみいでて、いとくらきにきけり」。ああ、そうか、このまばゆいばかりの金色の画面、実際は、お互いの顔も見分けられないような「いとくらき」闇夜を表しているのだ。

 国宝『寝覚物語絵巻』は、贅沢に4場面のうち3場面を公開。伝・岩佐又兵衛筆の『源氏物語屏風』は、描かれた人物が、男も女もしっかりした肉体の厚みを持っていて、大人っぽい。初めて見たのは『宇津保物語図屏風』(特別出品、個人蔵、江戸期)。宇津保物語は、文学史では必ず習う長編物語の嚆矢だが、絵画化された現存例は少ないのだそうだ。桜の花の下、たくさんの琴を並べて、もの憂い表情の貴公子。空中には楽を奏する豊満な天女。場面変わって、孔雀(?)に乗った貴公子が訪ねていく先は、波斯国(ペルシャ)だという。

※msn産経:大和文華館が「宇津保物語」屏風現存を確認、初公開(2009/8/20)
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090821/trd0908210002000-n1.htm

 でも、やっぱり一番よかったのは仏教説話・縁起の三作品。『病草紙断簡』(鍼療治の場面)のリアリティ。『過去現在絵因果経断簡』のはっきりした色使いが醸し出す、マンガのような軽妙さ。『善財童子絵巻断簡』の、南画のようにほんわかした雰囲気。どれも捨てがたい。

※以下「夏休み最後の週末旅行:見仏編」に続く。
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座談会・幟旗を語る(北村勝史、鈴木忠男、林直輝、矢島新)

2009-08-26 22:36:24 | 行ったもの2(講演・公演)
○松濤美術館 座談会『幟旗を語る』 講師:北村勝史(幟研究家)、鈴木忠男(美術コレクター)、林直輝(吉資料室学芸員)、矢島新(跡見学園女子大学教授)

 『江戸の幟旗(のぼりばた)』は、まれに見る魅力的な展覧会である、というレポートは既に書いたが、先日(8月22日)、関連企画の座談会を聞きに行ったら、これがまた、衝撃的に魅力的な座談会だった。講師は、同展の企画者である矢島新氏と、3名の出品者。時間になって、4名の講師が左右に2名ずつ分かれて席についたが、年齢も服装もあまりにちぐはぐで、四者四様なので、嬉しくなってしまった。

 いかにも学芸員らしい、スマートな雰囲気の矢島新氏は、この展覧会の企画を最後に同館を退き、大学で教鞭をとる身となられたそうだ。19年間にわたって、さまざまな江戸の庶民信仰にかかわる展示を行い、新しい「日本の美」を発掘してきたが、これまで知られていなかったもの(誰も美術と認識していなかったもの)を、まとまった量で示すことができる展覧会は、これが最後になるだろう、と自負を込めて語られた。

 北村勝史(よしちか)氏は、紺の三つ揃いスーツに赤いネクタイ。一見、中堅企業の管理職ふう。それもそのはず、コンピュータ会社のサラリーマンだった同氏が、奈良の古道具屋で1枚の幟に出会い、露天の骨董商を経て、幟旗研究の第一人者になってしまう経緯を、雑誌『民藝』で読んでいた私には、納得の風貌でいらした。

 この日は、最初のコレクション・アイテム「楊香」の軸を持ってきてくださったのが嬉しかった(そう!今回の展覧会には、これが出ていないのが、私は寂しかったのである)。北村氏は、いつか幟旗の魅力を世に知らしめたい、その証には、都心の美術館から展覧会の声がかかるようになりたい、と思っていたそうだ。できれば場所は松濤美術館がいいなあ、静かで、本当に好きな人しか来ない美術館だから、とも。この「本当に好きな人しか来ない美術館」というのを、私も大事にしたいと思う。

 美術コレクターの鈴木忠男氏は、立派な中高年の域にありながら(失礼)若冲の絵をプリントしたアロハシャツという、自由人の出で立ち。ウンチクには関心がなく、好きなものは好きという、飄々とした構え。北村氏とは、アイテムを売ったり買ったり、争ったりの仲であるらしい。「楊香」の下3分の1の「虎」図も鈴木氏のもとにあるそうだ。

 林直輝(なおてる)氏は29歳。北村氏とは40歳も年の差がある。この日は上下白のスーツ姿だったが、ラフな服装なら、老け顔の高校生に見えるかも(失礼)。幼少期から、年中行事に関わるものが大好きで、小学生のとき、剣道の大会で入賞したら武者幟を買ってやると言われて、頑張って三位入賞を果たしたこと、小学校高学年になると骨董店を覗いてまわり、お小遣いで収集を始めたこと、平成7年(1995)、高校生になったばかりの5月、平和島(下記注)で友禅の鯉の幟(本展の展示品)を買ったあと、大崎駅前のギャラリーで北村氏の展示会を見て衝撃を受け、北村氏、鈴木氏と出会ったことなど、まあ、驚きの半生である。

 さらに、私のお気に入りの一品「趙雲」の幟旗は、林氏が埼玉の大学に進学してから、浦和の骨董市で見つけたと聞いて、びっくり。えええ、そんなに最近の話なのか! そのあと、東京でセットと思しき「孔明」も見つけたとか。原宿の骨董屋で「関羽と周倉」(展示品)を見つけたときは、西洋人に買われて切り刻まれてしまうよりは、と義憤にかられて(?)購入したそうだ。

 幟旗の意匠に込められた庶民の願い、家紋の意味、時代区分など、学術的な解説も為になったが、やはり面白かったのは、コレクターとしての本音トーク。「○○さん、どれが欲しいですか?」「うーん、右側」「貰えるものなら全部欲しいです」「念じれば通ずるんですよ」みたいな会話。ふだん美術館で、学芸員や研究者が美術作品を語る座談会とは、一味もふた味も違って、楽しかった。江戸の文人や茶人が、身分や年齢を超え、「数寄(好き)」を媒介に繰り広げた交流も、こんなものだったのかもしれないなあ、なんて思った。展覧会は9月13日まで。

※骨董市サイト(こんなに開かれているんだなあ)
http://www.kottouichi.jp/index.htm

※平和島全国古民具骨董まつり(次回は9月です)
http://www.kottouichi.com/
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清水安三と2人の妻/朝陽門外の虹(山崎朋子)

2009-08-25 23:52:38 | 読んだもの(書籍)
○山崎朋子『朝陽門外の虹:崇貞女学校の人びと』 岩波書店 2003.7

 本書は、子安宣邦さんの一風変わった書評エッセイ『昭和とは何であったのか』(藤原書店、2008.7)で知ったタイトルである。厳格な学風のイメージのある子安さんが、なんだか手放しで感動されていたのが印象的で、読んでみようとずっと思っていた。

 明治24年(1891)、滋賀県に生まれた清水安三は、17歳でキリスト者となり、同志社大学を卒業後、中国への伝道ボランティアを志す。朝陽門外の太平倉(清朝時代の穀物倉)を借り受け、旱災児童収容所を設置したのを手始めに、スラム街の少女たちに無料で読み書きと手芸を教える崇貞女学校を設立し、さらに城内の天橋地区に愛隣館というセツルメントを設け、診療、教育、授産事業に奔走する。

 安三の物語に、明るい彩りを添えるのは、彼を支えた2人の女性。中国で女子教育を始めるにあたり、独身では支障があると忠告され、伴侶を探していた安三のもとに、自ら飛び込んでいったのが、最初の妻、美穂。病気で早世するに及び、「私の骨は郷里に埋めないでください、学校の庭の片隅に埋めてください」と願って、その願いを叶えてもらう。3人の子供とともに残された安三は、やがて再婚を決意し、選んだ相手が小泉郁子。アメリカの大学院に学び、青山学院女子専門部の教授、ジャーナリズム界の寵児でもあった郁子に、安三は、さりげない、しかし率直なプロポーズの手紙を書き、44歳まで独身職業婦人として(女性エリートとして)生きてきた郁子は「フツツカナルモノナレドモ カミ ユケトメイジタモウガユエニ」という電報で応諾する。この淡々と描かれた三者三様の人情の機微は、やや本筋を外れるけど、とても面白かった。

 昭和20年(1945)の終戦とともに、安三・郁子は中国退去を余儀なくされる。両人は日本に戻り、再び学校教育を志して、作り上げたのが桜美林学園である。一方、中国政府に接収された崇貞女学校は、陳経倫中学と名を変えたが、今日も、安三・美穂・郁子の事跡を校史陳列室に留めているという。

 安三をめぐって、意外な人物の名前が登場するのは、本書の読みどころのひとつ。彼をキリスト教に導いたのが、ウィリアム・メレル・ヴォーリーズ(伝道師、建築家)であったり、崇貞女学校の教員募集に魯迅がかかわっていたり。でも、いちばん驚いたのは、崇貞女学校が日本人(および朝鮮人)のための女子中学校を併設していた時期、のちに中国語・中国文学の大家となられる中山時子先生が、本場の中国語を学ぶため、同校に学んでいたというエピソード。へぇーっ。私は、わずかではあるが、直接教えを受けたことがあるので、先生とお呼びしたい。

 それにしても、どんな困難にも、呆れるほど楽天的な無鉄砲さ(信念というか、信仰というか)で向かっていく安三は、明朗な魅力に満ちている。この魅力があるから、美穂や郁子をはじめとして、多数の援助者がどこからか現れ、何とかなってしまうのかなあ、と思った。
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未完の8月15日/1945年の歴史認識(劉傑、川島真)

2009-08-24 23:15:56 | 読んだもの(書籍)
○劉傑、川島真編『1945年の歴史認識:「終戦」をめぐる日中対話の試み』 東京大学出版会 2009.3

> この領域(近代の日中関係)の出版情報には、かなり熱心に網を張っているつもりなのだが、本書の刊行には全く気づいていなかった。1ヶ月ほど前、ジュンク堂書店新宿店のイベント情報で、佐藤卓己さんと川島真さんによる「戦後、日本の歴史認識はいかにつくられたのか?」というトークセッション(2009/7/30 18:30~)があるのを知った。私はこれがどうしても聞きたくて、時間休を取った上に、最寄り駅までタクシーを飛ばして、埼玉の奥地から新宿まで駆けつけた。そして、なんとも迂闊なことに、会場で初めて、今日のイベントが、本書『1945年の歴史認識』の刊行を記念するものであると知ったのである(赤面)。

 トークセッションは、本書の内容について、読み手である佐藤卓己さんがコメントし、作り手(編著者)である川島真さんが応答するという形式で進行した。基本的には、会場の聴衆も、すでに本書を読んでいるという前提(?)だったようで、私は着いていくのに難渋した。それでも、本書が作られた環境――中国(大陸)の歴史研究者とも、だいぶ理性的・客観的な対話ができるようになってきた、というあたり、面白く聞いた。

 中国人にとって、1945年8月15日は、ほとんど意味を持たない日付である、という問題提起は佐藤卓己さんから。けれど、とにかく1945年の終戦によって、国境線が引きなおされ、多くの人々が新しい「祖国」に回収され(ある者たちは残され)、「空間と人の再措定」がなされた。私は、この状態を、あるべきものがあるべき姿に復したように捉えていたが、むしろ、ここから全てが始まったと言うべきなのかもしれない。そして「空間と人の再措定」は一気に実現したのではなくて、8月15日に帰属を決し切れなかった人々は、多数いたのである。それゆえ、「未完の8月15日」は、本書のタイトルとして検討されたものである由。

 本書には、そうした人々の「8月15日以後」を丹念に追った論考が、多く収録されている。冒頭の劉傑論文が、例外的に、南京政府(汪兆銘政権)の要人救済(陳公博亡命工作)という著名人を扱っているが、そのほかは、無名の市井の人々で、中国・台湾から来日していた留学生たちの去就、上海居留日本人の処置と送還、技術協力のため中国で留用された日本人技術者、中国残留日本人(孤児、婦人)の長くて多様な戦後経験などが語られている。

 ジョシュア・フォーゲル氏は、「学者の国籍がどんな学術的議論にも完全に無関係になる日がくるのを、私は待ち望んでいる」と述べている。それはちょっと(笑)私は完全には同意しないが、本書のような対話を地道に積み上げていくのは、日中両国に有益なことだと思う。トークセッションで話題に上がっていたように、近代中国の起点である「1911年(※辛亥革命の年)の歴史認識」を主題に、次の対話が計画されるとしたら、それも読んでみたい。
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お盆旅行(3):嵯峨野~清涼寺~一条通

2009-08-20 23:45:36 | 行ったもの(美術館・見仏)
 お盆旅行3日目、昨日は通り過ぎただけの嵯峨嵐山に再び行ってみる。野々宮神社~常寂光寺~落柿舎~二尊院と、定番コースを歩くのは何年ぶりになるだろう。平日の朝、ほかに誰もいない竹林を独り占めする贅沢。



五台山清涼寺(京都市右京区)

 先月、奈良博の『聖地寧波』展で、ご本尊の釈迦如来にお会いしたので、久しぶりに、このお寺を訪ねてみたくなった。釈迦如来には、特別公開期間でなければお会いできないのは承知の上。巨大な本堂に上がると、正面には錦の幔幕で飾られたお厨子がいかめしく鎮座している。

 本堂裏のお庭を拝見し、ゆっくり一周して帰ってくると、納経所のおばさんが「いま、ご開帳しますから、よろしければ下陣から」と教えてくれた。現在は、特別拝観料千円を納めると、いつでもご開帳してくれるシステムらしい。内陣には、ご夫婦らしい男女がご開帳を待っている。やがて、奥からお坊さんが現れて、どんつくどんつく、派手に鉦・太鼓を叩きながら、読経を始める。やがて太鼓の音がひときわ高くなると、それに促されるように、お厨子の幕がするすると巻き上がり、釈迦如来のお姿が、足元からだんだんと現れた。お~ラッキー! でも歌舞伎役者の登場みたいで、少し可笑しかった。あと、浄土宗のお寺だから仕方ないんだろうけど「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」って名号を捧げられるのは、釈迦如来的にはどうなの?

 拝観料を納めたご夫婦は、チラッと拝見すると、すぐ立ち上がってしまったが、私は、しつこく粘って見仏を続けた。やがて、納経所で一服していたお坊さんは、釈迦如来をそのままに、奥に引っ込んでしまった。話によれば、一度ご開帳になると、その日はだいたいそのままにしておくそうだ。うーん、これって良心的というべきなのかなあ。

 さて、本堂では、気になったものがもうひとつ。向かって右、内陣側の壁の展示ケースに彩色の羅漢図が飾られている。これが精彩に富み(←右端の小動物の描写とか)、滅法いいのである。うわーいいなあ、と思ってよく見たら「法眼一信筆」のサイン。何、「幕末の怪しき仏画」を残した狩野一信のことか?! よく見ると、人目につきにくいところに「東京・増上寺の五百羅漢図の下絵である」旨の古ぼけた張り紙がしてある。確かに、これは下絵のようだ。何度も迷った線のあとも露わだし、羅漢の名前(?)のような覚え書きも細字で記入されている。

 展示は全部で10画面。ちょっと分かりにくいが、2画面が1枚に収まっているらしい。1画面おきに、右隅に「法眼一信筆」、左隅に「妙安顛彩」というサインが入っている。納経所で休んでいたお坊さんに「あの羅漢図は他にもあるんですか?」と尋ねてみたら「いや、出ている5枚だけですよ」とのこと。他のお客さんは気にも留めずに素通りしていくけど、一信の「怪しき仏画」に見せられた美術ファンなら、必見のお宝である。

 帰宅後、2006年の東博展の図録『幕末の怪しき仏画―狩野一信の五百羅漢図』を読み返したら、松嶋雅人氏がちゃんと触れておられた。顛彩(淡彩を施した)妙安とは一信の妻で、「古来羅漢の霊場と知られた清涼寺に亡き夫の供養の心を込めて寄進した」のではないかという。松嶋氏は、安村敏信氏の論考に拠って、「清涼寺には、増上寺本の第51幅から第60幅の原寸下絵があり」と書いていらっしゃるけど、そんなに大きかったかなあ(増上寺本は172.3×85.3、東博本は90.9×62.5)。東博本は、やはり1幅に2つの画面が描かれており、第26幅から第30幅の図様と一致するようである。

 2011年に山下裕二先生が計画中という、増上寺「五百羅漢図」百幅公開展では明らかになるかしら。楽しみに待ちたい。

 新幹線が混み出す前に自由席で帰るべく、そろそろ帰途に。途中、北野白梅町から一条通大将軍商店街(妖怪ストリート)に立ち寄る。欲しかった百鬼夜行TシャツをGETして駅へ急ぐ。
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お盆旅行(2):松尾寺~京都大文字送り火(鳥居形)

2009-08-19 22:06:44 | 行ったもの(美術館・見仏)
■西国第二十九番 青葉山松尾寺(京都府舞鶴市)

 この旅行、初日(8/15)の夜は奈良で春日大社の万燈籠と東大寺の万灯会を見ること、2日目(8/16)の夜は京都で大文字を見ることが目的だったので、昼間の予定は全く考えていなかった。さて明日はどうしよう、と思っていたら、なんとなくつけていたテレビの『にっぽん木造駅舎の旅』という番組(NHK-BS1)に、松尾寺(まつのおでら)駅が映った。西国第二十九番・青葉山松尾寺の最寄り駅である。よし、明日は松尾寺に行っちゃおう、と決めた。



 翌日(8/16)松尾寺駅に到着すると、木造駅舎の待合室では、気持ち良さそうにネコが朝寝していた。ここから松尾寺までは、徒歩45分。だらだらした登り坂だが、ほとんど舗装道路なので、歩きにくくはない。すでに複数の友人から、無人駅でコインロッカーがないこと、近くにローソンがあることなど、有益な情報を得ていたので、慌てず行動。

 松尾寺のご本尊は、77年ぶりのご開帳だという。金色の馬頭観音像で、かっと開いた口の中は赤く塗られている。頭上には白馬の首。丸顔で、ややお腹の出た体型、座り方もしどけなくて、あまり怖さは感じさせない。失礼ながら、え、ほんとに秘仏なの?という感じ。同山は、国宝『普賢延命菩薩像』など、多数の文化財を有しているが、残念ながら、夏場は宝物殿はお休み。ホームページを見ても、秋はいつから開くのか分からなかったが、松尾寺駅に置かれていたチラシで、9/19~11/23開館予定と判明。また来ようかなあ。天馬をデザインした、ご開帳記念TシャツをGETする(友人とお揃い)。

京都・五山送り火(鳥居形)20:20点火

 京都に戻り、ホテルにチェックイン。今夜は五山送り火(いわゆる大文字)である。五山全部を見るのは、なかなか難しいらしい。それでは、どれか1つに絞ろうと思い、いちばん位置が低くて遠方から見えにくいという鳥居形に決めた。夕闇の中、JR嵯峨嵐山駅から、清涼寺~大覚寺(どちらも閉門)前を通って、広沢池に向かって、ぶらぶら歩く。このあたりに来るのは十数年ぶり。大覚寺~広沢池の間に、タイムスリップしたような、気持ちのいい田園風景が残っていることに驚く。京都市中の街明かりが、すぐそこに見えるのに。



 広沢池には多数の灯籠が、星のように浮かぶ。湖畔のお堂からは、信者さんたちのおつとめの声。やがて、夜空に浮かぶ黒い山肌に鳥居形が浮かび上がった。十二分に堪能して、そろそろ帰路に着くことに。すると、広沢池を離れても、けっこう、住宅の間や交差点など、各所で鳥居形が見え続けることに気づく。あっと驚いたのは、「六道の辻」の石塔が立つ、大覚寺門前の交差点(五叉路?)。歩いてきた道の先に、人が通れそうなほどの大きさで、いきなり、鳥居形が立ち現れたのだ。「地獄の門」のようだった。ちょうどそのとき、薪が燃え尽きて、巨大な「地獄の門」は暗闇に吸い込まれるように消えてしまった。あとで調べたら、ここは「小野篁が冥府からの帰路に使ったとされる井戸があった場所」だというのも、妙に符牒が合っている。

 それにしても、関西のお盆の行事はいいなあ。こうやって何世代にもわたって、京都市中を挙げて、壮大な供養をされ続ける死者たちは幸福だなあ、と思った。
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お盆旅行(1):春日大社万燈籠~東大寺万灯供養会

2009-08-18 11:12:24 | 行ったもの(美術館・見仏)
 大勢の人が日本列島を移動したこの週末(8/15-17)、私も関西方面に行ってきた。

MIHOミュージアム 夏季特別展『仏たちの物語』(2009年7月11日~8月16日)

 ガンダーラの石仏、中国の浮彫仏の拓本、奈良時代の絵因果経、仏画、仏像、経巻など、バラエティに富む。表装された経巻の断簡が美しかった。一番のお気に入りは、伝・因陀羅筆の寒山拾得図。ポスターになっていた如意輪観音像(仏画・鎌倉時代)が見られなかったのは、やや残念。参観後は、バス→石山駅→京都に戻り、奈良へ。今夜のホテルにチェックインを済ませて、ぶらぶらと奈良博に向かう。時間はすでに夕方の5時だが、この日は午後7時まで夜間開館なので大丈夫。

奈良国立博物館 特別展『聖地寧波―日本仏教1300年の源流~すべてはここからやって来た~』(2009年7月18日~年8月30日)

 「寧波」展は2回目なので、後期の展示替品を中心にチェック。まず目が留まったのは『伝教大師(最澄)入唐牒』(古文書好きなのである)。高さ一尺の「檀龕水天菩薩一躯」を所持していたんだ~とか、文書・衣物などの荷物が総計「貮伯餘斤(二百余斤)」って、どのくらいの重量なんだろうとか、いろいろ、想像をめぐらす。

 仏画・仏像は、けっこう入れ替わっていた。京都・清涼寺の釈迦如来の代わりをつとめるのは、神奈川・称名寺の釈迦如来像。楊貴妃観音のあとには、神奈川県立歴史博物館所蔵の菩薩坐像。どちらも、関東人の私には親しいお姿で、こんな異郷でお会いするのが、可笑しかった。仏画では、念願の『北斗九星像』が見られて満足。意外と小さいのだな。京都・大徳寺の『五百羅漢図』は全点入れ替えだったが、面白い! あと1回来て、全部見たくなってしまった。雪舟の『慧可断臂図』は、やっぱりいいなあ。達磨の輪郭を形づくる、涙にかすんだような、薄ぼけた墨の色がいいと思う。

 7時頃、博物館の外に吐き出され、そさくさと夕食。今日の予定はこれからが本番である。隣りを歩く人の顔も分からない夕闇の中、参道の石灯籠と、参拝客の提灯(これだけが明るい!)に導かれて、森の奥の春日大社へ。時折、鹿の呼びかわす声が響く。

春日大社 中元万燈籠(19:00~21:30)



 500円の特別拝観料を払うと門内に入れてもらえる。すでに長い列ができていたが、待つだけの甲斐は十分にあり。回廊の吊り燈籠に灯が入り、夢のようにきれい!! しかし、ゆっくりしてはいられない。20:00には高円山で大文字の点火が行われるのである。飛火野に急がなくては!

奈良大文字送り火(20:00点火)



 20:00にはだいぶ遅れてしまったが、なんとか間に合って見物する。左右の払いが長くて、雄大でよい。

東大寺 万灯供養会(19:00~22:00)

 

 最後は東大寺大仏殿へ。南大門を過ぎたあたりから交通規制がなされ、参拝客は、少しずつ集団を区切って、門内に流し込まれる。入場は無料らしい。10~20分ほど待って入場。考えてみると、正門から入るのって、初めての体験かもしれない。突然、視界に飛び込んできた、大仏殿の中庭、周囲、壇上などを燈籠が埋め尽くした光景に、声も出ない。窓から顔を見せている大仏さまも、今宵は幸せそう。つややかに輝く金色の光背が美しい。堂内には、読経の声が流れている。

 冬の修二会が、最近すっかり観光化してしまったのに比べると、この万灯供養会は、地元の方が多いのではないかと思った。また来たいなあ。
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