〇観世能楽堂 能 狂言『日出処の天子』(2025年8月10日、17:30~)
古典芸能の中で、能・狂言にはあまり縁がなく過ごしてきたのだが、今年は3月にアイスショー"notte sterrata"でMASAIボレロを見たのを皮切りに、4月に大阪で祝祭大狂言会を見て、6月に宝生会の能公演を見て、この日に至ることになった。ものすごい競争率だったチケットを獲得できたのは、ビギナーズラックだろうと思っている。
GINZA SIXビルの地下にある観世能楽堂に入るのは初めてで、銀座という土地柄にも不慣れなので、緊張しながら会場に赴いた。観客は9割5分くらいが女性で、年齢層はさまざま。私自身は原作が1980~84年に雑誌『LaLa』に連載されていた当時(1980~84年)の読者だが、もっとずっと若いお客さんもたくさん見かけた。
舞台は、休憩を挟んで約2時間。パンフレット掲載の台本初期稿によれば、序と結を加えて14のシーンから成る。「能・狂言」のイメージから、もっと凝縮された舞台になるのかと思っていたら、意外と原作に沿ったストーリー運びで、ああそうそう、この場面あったわ~と懐かしく思い出した。そして、この物語、核の部分はともかくとして、蘇我氏と物部氏の対立、皇位をめぐる争いなど、きちんと歴史(とされる事件)を押さえて組み立てられているなあと改めて感じた。
登場したキャラクターは、厩戸王子、毛人、刀自古、布都姫、白髪女(布都姫に従う)、守屋、馬子、泊瀬部大王、額田部女王、穴穂部間人媛、そして膳美郎女(セリフなし)だった。まあ妥当な選択だと思うが、原作では大姫(菟道貝蛸皇女/うじのかいたこのひめみこ)が好きだったので、ちょっと見たかった。主要な女性役は面をつけていたと思う。厩戸王子は、ずっと花を飾った角髪(みずら)姿で、場面によって花の色や衣の色が変わる。私は舞台から遠い席だったので、萬斎さんの表情まではよく見えなかったが、華奢なシルエットに加えて、たたずまいが原作の王子を彷彿とさせて、とてもよかった。シテ柱(橋掛りに通じる角)の蔭で、つまらなそうに、あるいは何かたくらみながら、時には毛氏を気にして、舞台中央の様子を窺っている感じに何度もうなずいてしまった。
毛氏役の福王和幸さんは初めて拝見したが、これも原作の毛氏の再現度が非常に高かったと思う。茂山逸平さんが演じた泊瀬部大王(崇峻天皇)は、愚かな言動で笑いを誘った。
舞台装置は簡素で、中央に置かれた白い屏風(?)が、玉座になったり、目隠しになったり、時には障子に映る影絵のように禁断のシルエットを映し出し、時には色とりどりの閃光が宇宙への飛翔を表現する。また、役名のない、同じ色(深緑)の衣をまとった4~5名の集団が、場面転換や話のつなぎに活躍する。これはプログラムに「コロス」とあって、しばらく考えてから、ギリシャ悲劇のコロス(合唱隊)か!と理解した。
ストーリーの核心は、愛する人に愛されない人間の苦悩ということになるだろうか。あの時代(70~80年代)の少女マンガには、こういう人間の業(ごう)を包み隠さず描く作品が少なからずあった。それにしても、あの頃、私を含む読者たち(多くは若い女性のはず)は、なぜ、こんな救いのない作品を熱狂的に受け入れていたのか、聞けるものなら聞いてみたい気がした。
演出を手掛けた萬斎さんは、さすが原作の核心を妥協のないかたちで舞台化してくれたと思う。本作が新しい古典として、繰り返し上演されて後世に引き継がれていったら嬉しい。