〇大阪フェスティバルホール 祝祭大狂言会2025(4月26日、15:00~)
野村万作、萬斎、裕基の三代が出演する異色の舞台「祝祭大狂言会」を見てきた。私の場合、亡き母が狂言好きだったので、小学校の高学年から高校生くらいまでは、母にもらったチケットで、よく狂言を見に行った。母(あるいは母の友人)が和泉流の後援会に入っていたらしく、水道橋の宝生能楽堂で行われる、和泉流の公演が多かった。
その後、なんとなく狂言を見る習慣が途絶えて40年くらいになるのに、突然、この公演を見ようと思い立ったのは、3月に仙台で開催されたアイスショー「羽生結弦 notte stellata 2025」で羽生くんと野村萬斎さんの共演を目撃したためである。私は、萬斎さんの狂言の舞台をたぶん一度も見たことがなかったので(万作さんはある)、このまま人生を終えるのはあまりにも大きな損失だと気づいて、アイスショーの直後に検索して、この公演情報を見つけて、チケットを取った。
というわけで、昨今の狂言鑑賞の勝手が分からないまま、来てしまった会場。キャパは2700人という大ホールで、ステージには能舞台(背景の鏡板あり、屋根はなし)がしつらえられており、奥に向けて八の字型に開いた通路(橋掛かり)が左右に付けられていた。開演時間になると、下手側に萬斎さんが登場。今日の見どころなどを軽いトークで解説してくれた。
はじめに『小舞 景清』(野村太一郎)。景清自身が、屋島の合戦での錣引きの様子を語る趣向。次に『見物左衛門』(野村万作)。見物好きの風流な侍が、清水寺の地主神社、西山など、京の桜を見物して歩く。野村家だけに伝わる演目で、まもなく94歳になる万作さん(萬斎さんの表現ではフェアリー万作)が一人で演じる「老木(おいき)の花」が見どころ。ここで休憩。
続いては『法螺侍』。舞台からは左右の橋掛かりが消え、鏡板も吊り幕に置き換えられて、抽象性の増した装置に。本作は、シェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」を原作とし、太っちょで酒好き女好きのファルスタッフ=洞田助右衛門を萬斎さんが演じる。つくりものでお腹を膨らませ、頭は蓬髪、鼻から下には長い黒髭を垂らす。金繰りに困った洞田助右衛門は、太郎冠者と次郎冠者に命じて、お松とお竹という二人の女房に恋文を遣わす。この所業に怒ったお松とお竹、夫の焼兵衛、さらに主人に愛想を尽かした太郎冠者と次郎冠者は、共謀して洞田を洗濯籠に誘い込み、川に投げ入れるなど、さんざんな目に合わせる。けれども洞田は悔い改めず、「人生は全て狂言じゃないかね?」などとうそぶいてみせる。
文楽にも『不破留寿之太夫(ふぁるすのたいふ)』 という翻案ものがあったことを思い出し、シェイクスピアと日本の古典芸能は相性がいいのかな、と思った。萬斎さんの「笑われる」役作りが絶妙で、洞田助右衛門には腹が立つんだけど、憎み切れない。二人の女房に恋文を書くときの「コピー、アンド、ペースト」で噴き出してしまった。また、洗濯籠に隠れた洞田を、太郎冠者と次郎冠者が駕籠かきふうに担いで運ぶシーンは完全な「エアー」(籠がない)で、身体能力と表現力に目を見張った。再び休憩。
最後は「MANSAIボレロ」。notteで感銘を受けた演目なので、これを楽しみに来たのだが、直前の脂ぎった法螺侍の印象が予想外に強烈で、大丈夫だろうかと(自分を)案じてしまった。しかし20分休憩のあと、幕が上がると、全く別の世界が待っていた。絶対の暗闇の中で水滴の音が響く。明るくなったステージには四角い能舞台と、その上に注連縄(?)。せせらぎ、虫の音、雨音、雷鳴など、自然の音を交えて、舞が展開する。この演目、萬斎さんの装束には、いくつかのバリエーションがあるのだが、今回は、Youtubeに公開されている「世田谷パブリックシアター」公演と同じで、白の装束に白い長髪の鬘を付け、金色の烏帽子(なのか?)を付けていらした。notteの萬斎さんは、かなり人間界に寄っていたが、この日は完全に人ならぬ、神そのものを演じていらっしゃるように見えた。
途中で広いステージにスモークが立ち込め、照明で紫や赤に染められると、いよいよ雲の上にしか思えなくなった。しかし日本では、天上界の神も苦悩するのである。地上の人間の、災害や戦争による苦しみに呼応して、ともに苦しみ、悲しみ、再生を希求する姿に見えた。クライマックス、まるで天の岩戸のように背景が割れて光が差し込み、そこに向かってジャンプする姿で暗転。
明るくなった舞台で深々と一礼する萬斎さん。下手に退場のあと、拍手は止まず、もう一回だけ出てきて礼をしてくれた。そして退場のとき、ちょっとだけ舞台に手を振って、素の目線をくれたのが嬉しかった。
本当に素晴らしい体験をさせていただき、大満足。ちなみに、この日は、萬斎さん演出・出演の新作能狂言『日出処の天子』(8月、東京)の先行販売の抽選日で、私は1公演だけだがチケットをゲットできた。楽しみ! しかし、それはそれとして、新作でない普通の狂言も見たくなってきたところである。