見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

奈良で本格イタリアン

2016-10-31 22:14:44 | 食べたもの(銘菓・名産)
奈良在住の知人に招かれて、仕事で奈良に行ってきた。仕事前のランチに誘ってくれたのが、奈良国立博物館の向かいにあるイタリアンレストラン「イ・ルンガ」。2009年に開店したお店だそうだが、全然知らなかった。外観は風情のある日本家屋で、地味な暖簾を下げているだけなので、営業をしていることも気づきにくい。まして本格イタリアンのお店とは。

しっかりした味付けの料理が少量ずつ楽しめて、私の好みに合う。大和鶏など、意識的に奈良の素材を使っているのも嬉しい。











時間のあるときにゆっくり来たいお店。奈良に美味いものなしなんて、もう言えないな~。

正倉院展と関西圏の展覧会レポートは、あらためて。
コメント

「天道」思想と一向宗とキリスト教/戦国と宗教(神田千里)

2016-10-26 23:16:41 | 読んだもの(書籍)
○神田千里『戦国と宗教』(岩波新書) 岩波書店 2016.9

 戦国時代の庶民、武士、大名たちの宗教と信仰について、多角的に考える。はじめは、戦いに生きた戦国大名にとっての宗教がテーマ。戦場に向かう武士たちは、名号や法号を記した守りや本尊を携行し、鎧甲に神を勧請することも行われた。キリシタンが十字架を記した旗指物を用いたのも同じ心性による。当時の戦争は、多分に呪術を含むものであり、「軍配者」と呼ばれる軍師は、占いや祈祷によって戦国武将に仕えた。この一例として、山本勘助(勘介、菅助)の名前が挙がっている。最近のドラマでの「軍師」の描かれ方は、近代的解釈に過ぎるかもしれないな。

 また、戦国大名は、しばしば敵の調伏祈念を神社や寺院に依頼し、返礼に寄進を行った。これが神社や寺院の経済的基盤となっていた。宣教師フロイスが織田信長を評して「神および仏のいっさいの礼拝、尊崇、ならびにあらゆる異教的卜占や迷信を軽蔑していた」と記したことは有名だが、実際には、信長が神社や寺院に送った「祈祷の礼状」が多数残っている。フロイスが描いた「合理主義者」としての信長像は、だいぶ割り引いて考えたほうがよさそうである。

 次に一向一揆について。一向一揆は、加賀の大名富樫政親を倒し、三河の徳川家康に抵抗し、石山合戦で織田信長と戦ったことから、反権力的な一揆と見なされている。また、信仰を重視して現世の権力を相対化する点から、一向宗は支配者層に警戒されたと言われている。しかし、これには根拠がない、と著者は一蹴する。たぶん「権力者の歴史」を否定して「民衆の歴史」をつくりたい、という思いが強すぎて、こういう説が生まれたのだろう。

 実際は、信長が一向宗(本願寺門徒)との和睦を何度も受けれているとか、一向宗は延暦寺など他宗派と共存・友好関係にあったとか、いろいろ興味深い中でも、山伏、神官、陰陽師などの民間信仰者が「一向宗」の名前で呼ばれていたというのには驚いた。彼らに共通するのは、死霊の供養が期待されていた点であるという。戦国期は「家族の絆が一般的に意識されるようになり、先祖や家族の死者の供養が問題になった時代であった」というのは面白い。逆にいうと、それまでは問題でなかったのだということに気づかされる。

 次にキリスト教。キリスト教が流入した当時、日本の仏教は形式に流れ、信仰は低迷し、僧侶も戒律を守らないなど「堕落」した風潮にあったので、それに飽き足らない人々がキリスト教に惹かれたという説があるが、著者はこの通説も否定する。仏教は多くの日本人を惹きつけていた。イエズス会宣教師の報告によれば、彼らは京の人々が仏教の教理をよく知っていることに着目し、日本で説教する宣教師は、諸宗の宗旨を勉強し、議論に備えておくことが必要であると記録している。当時の京都人(庶民と呼んでいいのか)の高い教養、知的な素養が垣間見える。たぶん僧侶の説法や(もしかしたら)芸能を通じて、仏教の教理を学んでいたのだろう。

 また、宣教師の観察によると、日本のキリスト教徒たちは、亡くなった父母や妻子、その他の死者を地獄から救い出したいと強く願っており、「地獄に堕ちた者にはいかなる救いもない」という説明を聞くと深く悲しむという。西欧の個人主義と日本人の家族主義って、この頃から対立しているんだなあと感慨深かった。しかし、イエズス会も、日本人の信仰のかたちを全く無視したわけではなく、「諸死者の日」(万霊節→ハロウィンか?)を導入したり、日本人信者が盆行事の一部に参加することを黙認したという。結局、「(日本の)この時代に固有の、一般的にみられた人々の信仰の形に合致したからこそ、仏教も、キリスト教も、人々の信仰を得ていった」というのが、シンプルな真理なのだろう。とても納得できる。

 この「信仰の形」を、著者は「天道(てんとう)」という言葉で説明する。正直、公正、上の者への尊敬、下の者への慈悲などを実践することで、神仏の加護を得ることができる。天道は日月の運行を通じて感得されると考えられ、多くの宗教美術に日月が表された(参詣曼荼羅など。これ美術史的に面白い指摘)。また、天道の摂理は人間に理解しえないとの認識から、自らの信仰を他者に強要すべきではないという考え方が生まれ、宗論(宗派どうしの論争)は規制されることが多くなった。天正15年(1587)、秀吉が発布した伴天連追放令も詳しく見ていくと面白い。

 秀吉は「天道」の論理に従い、イエズス会による信仰の強制と、日本の諸信仰への排撃を処罰しようとしたと考えられる(日本の僧侶との協調を受け入れるなら、退去を強要はしていない)。なお、秀吉に伴天連追放令を出させたきっかけが伊勢神宮の訴えであるというのは、初めて知る話で興味深かった。また、諸宗派の共存を良しとする「天道」思想は、いかにも日本的と考えてしまいそうだが、著者は、ヨーロッパ近世社会でも異なる信仰コミュニティが共存していた例を挙げて、「特に『日本的』と決めつけるわけにはいかない」と説く。この周到さはとても素晴らしい。日本の歴史のどこが「日本固有」で、どこがそうでないかは、よくよく気を付けて見なければならないと思う。
コメント

入試に使える?世界史/銀の世界史(祝田秀全)

2016-10-23 23:59:11 | 読んだもの(書籍)
○祝田秀全『銀の世界史』(ちくま新書) 筑摩書房 2016.9

 近代以前、各地域の文化や産物が、交易を通じてどのように結びつき、互いに影響を与えたかには、すごく興味がある。今まで読んだ本でいうと、ヨーロッパの対外拡張と覇権交代を論じた玉木俊明『ヨーロッパ覇権史』とか、南米インカの歴史をスペインの歴史との交錯の中でとらえた網野徹哉『インカとスペイン』とか、銀をめぐる日本-朝鮮関係に着目した村井章介『世界史のなかの戦国日本』とか。本書は、パラパラめくってみると、大航海時代から、日本の日清・日露戦争まで、年代的にも地域的にも相当な広範囲を扱っているようだったので、興味をもって読んでみた。

 16世紀半ば、コロンブスの「西インド」到着から半世紀が過ぎ、スペインのペルー副王領でポトシ銀山の開発が始まる。セビリヤの西インド商館を窓口に、新大陸の銀が西ヨーロッパに流れ込んだ。これによって、西欧に物価の高騰(価格革命)が起こり、近代資本主義のきっかけとなった。ただし、ここ、人口増加→穀物価格の高騰とか、毛織物工業の成長とか、いろいろな要素が絡み合っていて、あまり説明がスッキリしない。

 スペインの銀は、穀物の購入や戦費の借金支払いを通じてオランダに渡った。17世紀には「銀の帝国」オランダが出現し、国際商業ネットワークの構築を求めて、東インドさらにアジアに向かう。オランダは明(中国)で絹製品や陶磁器を買い付け、その対価をスペインドル(メキシコ銀)で支払った。明国で、地税と人頭税を銀納にする一条鞭法が成立したのもこの頃(明後期から清初)。そして、オランダは日本にも接近し、中国産の良質な生糸を持ち込み、日本産の銀を持ち出すようになる。しかし、1668年、徳川幕府は銀の輸出を禁止。

 17世紀前半、オランダに代わって、イギリスが台頭する。イギリスは、植民地に銀山を持たなかったが、銀を獲得するための輸出品目である砂糖・タバコ・綿花のプランテーションを有し、黒人奴隷という労働力を利用した。17~18世紀、ヨーロッパの銀は依然としてアジアに向かっていたが、まずインドが植民地化され、イギリス東インド会社が貿易でインドに支払うべき銀は、インドの地税収入で賄われるようになった。そして中国ではアヘン戦争が起きる。最後にちょっとだけ、明治維新後の日本が登場する。日清戦争の賠償金は銀でなく英貨ポンドで受け取ることとし、これが、1897年、日本における金本位制導入のきっかけとなる。19世紀後半には、全ヨーロッパが金本位制に移行し、「銀の時代」は終焉した。

 ざっくり要約するとこんな感じだが、むしろ本書は寄り道の雑学知識がいろいろ面白かった。16世紀のインドでは、香辛料はポルトガルとオランダの独占輸出商品となっていたため、国内に出回らず、オランダから「輸入」しなければならなかったというのはその一例。また、砂糖づくりは難事業で、サトウキビは地中の栄養分を根こそぎ奪ってしまうので、栽培耕地の移動は避けられず、広い土地が必要であるとか、刈り取ったあと、すぐ製糖作業に入らなければいけないので、絶えず労働力の供給が必要という実態も知らなかったので、興味深かった。18世紀後半、イギリスでは馬が陸運の動力エネルギーとして活用されたが、馬の数が増えたため、麦類を人間と奪い合う事態となった。そこから馬に代わる動力が求められ、蒸気機関が生まれたという。これも面白い。

 ただ、本書には、根拠のあやしげな記述も時折見られる。完全に間違い、と思ったのは、1600年、日本に漂着したオランダ船リーフデ号の船首に「ヨーロッパ最高の人文学者」エラスムスの木像が施されていた、との記述。これ、船乗りの守護聖人である聖エラスムス(聖エルモ)でしょう。「エラスムス像を船首に施すということは、海洋と貿易の自由を謳いあげるメッセージとも受け取れる」などと書かれているが、こういう箇所を見つけると、面白いと思った雑学知識も、本書だけで信用しないでおこう、と慎重になる。

 こういう新書版の歴史本は、もう少し記述の根拠を示すものだと思うが、本書はほとんど一次資料に言及がない。思い出したが、むかし高校生の頃に読んだ「世界の歴史」系統の本は、こんなスタイルだった。歴史の流れを大づかみに把握するには読みやすいのだろうが、大人の読書には物足りない。オビに小さな活字でいう「入試に使える世界史」が妥当なところだろう。
コメント

2016秋@東京大学総合研究博物館

2016-10-22 21:32:37 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京大学総合研究博物館 常設展示『UMUTオープンラボ-太陽系から人類へ』(2016年5月14日~)

国内外を問わず「大学博物館」というものが、けっこう好きだ。日本では、北大の総合博物館と東大が双璧だと思うが、どちらも今年、常設展示をリニューアルした。

入ってすぐ、水槽のような大きな展示ケースがあって、さまざまなジャンルの資料が一緒くたに詰め込まれている。おもちゃ箱か福袋みたいで、わくわくする。ウミガメは宙を泳いでいるし。



整理保存と研究と展示が一体となった「現場感」が、大学博物館の楽しさ。



「材7-12」等のラベルのついた木箱には、どうやら鎌倉材木座海岸で発掘された中世の人骨が保管されているらしい。



これは、オロンスム(内モンゴルの都城址)の考古資料。横浜ユーラシア文化館で展示されたときに見たので、懐かしかった。



全体として、以前の常設展示より整理され、かつショーアップされた感じがした。好みは人それぞれかな。

コメント

解放でも支配でもなく/大東亜共栄圏(河西晃祐)

2016-10-21 22:01:27 | 読んだもの(書籍)
○河西晃祐『大東亜共栄圏:帝国日本の南方体験』(講談社選書メチエ) 講談社 2016.8

 加藤陽子さんの『戦争まで』(朝日新聞社、2016)を読んで、ああ、専門家が史料を読むと、こんなことが分かるんだ、と文字どおり瞠目した箇所がたくさんあった。なかでも、日本が三国同盟を結んだのは「戦後のドイツ」を牽制するためだったという説が非常に印象的で、これを唱えている「河西晃祐さん」という名前を記憶に刻んだ。

 本書は「大東亜共栄圏」ということば(思想)の誕生から、その実態、戦後アジア地域にもたらしたものを考える。1940年8月1日、外務大臣の松岡洋右は、初めて「大東亜共栄圏」という用語を談話で公表した。翌日、ドイツ大使との外交交渉で日本の勢力圏を認めさせるために、松岡はこの用語を用いている。つまり、そもそもこの用語は、来たるべき講和会議でドイツの植民地再編の対象から東南アジア地域を外させるために発案された「外交スローガン」に過ぎなかった。

 にもかかわらず、いったん発せられた「スローガン」がじわじわと内実(のようなもの)を獲得していく。1941年7月の御前会議では、大東亜共栄圏の建設は日本の国是とされ、その実現のためには「対英米戦を辞せず」と定められる。この頃(1940~41年)、新聞メディアや総合雑誌は大東亜共栄圏構想を好んで取り上げ、「八紘一宇」「亜細亜の解放」が同時に喧伝されるようになった。特に松岡洋右は、八紘一宇というスローガンを多用して「街頭の人気は、まさに圧倒的」だったという記述を読むと、だいたいどんな人物だったのか目に浮かぶ。一方、政策決定の中枢部では、1942年に至って、杉山参謀総長が「大東亜共栄圏とあるもその範囲如何」と問いかけても、閣僚・官僚が誰も明確に答えられなかったり、国防圏・資源圏・共栄圏に差異はあるのか否かの議論をしている。1942年でこの体たらくなのだ。

 けれども戦線は拡大し、占領地軍政が開始される。大東亜共栄圏の現場に投げ出された兵士や軍属の認識を探るため、著者は、将兵全員に配布されたという小冊子『これだけ読めば戦は勝てる』を取り上げる。いわく、「日本は東洋の先覚として(略)泰国や安南人、比律賓人等の独立を助け、南洋土人や印度人の幸福をもたらしてやる大使命を与へられて居る」。こういう使命感の表明に高揚する日本人は今でもいるんだろうな。しかし、これに続く「土人を可愛がれ、併し過大な期待はかけられぬ」という文言のほうに、日本の東亜認識の本音が見えると言えるだろう。

 本書は、マレー・スマトラ、インド、タイ、ビルマ、フィリピンなど、各地域における政治主体の確立と日本の関与をひとつずつ記述していく。私は東アジア地域に比べると東南アジアへの関心が薄く、こうした歴史は知らないことばかりだった。本書によれば、日本を指導者とする大東亜共栄圏において、タイをはじめとする国々の民族指導者は(そして国民も)日本に抗い続ける。それはそうだろう。「土人を可愛がれ」という認識で「アジアの解放」が成し遂げられるとは思わない。

 しかし興味深いのは、空疎な大東亜共栄圏構想の下に、現実の東南アジアを体験した日本人に、認識の変容が見られることだ。徴用作家としてビルマに赴いた経験のある高見順は、終戦の日の日記に「ビルマはどうなるだろう。ビルマには独立が許されてほしい」と記す。かつてF機関を率いてINA(インド国民軍)と共闘した藤原岩市は、回想録の諸所に、INAの意思を尊重しなかった陸軍中央への批判を記し、自らがINAを支援した実績よりも、インド人が主体となって植民地支配からの脱却を果たした歴史を後世に伝えようとした。ビルマ、インドネシア、ヴェトナムの独立は、大東亜共栄圏の構想とはほぼ無関係に、そこに住む人々の「すさまじい独立抗争と民族の雄叫び」によってもぎとられたものであることを藤原は感得している。逆説的には、こういう認識の日本人を生んだことが、大東亜共栄圏のひとつの成果なのかもしれない。

 実は、日本人だけではない。本書「おわりに」は、大東亜共栄圏の下で東南アジアを体験した日本人が、戦後、日本と東南アジアの学術交流に携わった例とともに、日本を体験した東南アジアの人々(南方特別留学生)が、同様の役割を果たした例を淡々とリストアップしている。この最後の2ページ足らずの、事実のみの簡潔な記述に行きついたとき、なんだか涙で視界が曇ってしまった。過酷な戦争、崇高な理想を伴っていたとはとても思えない「大東亜共栄圏」という虚像、それでも生身の人間どうしが向き合う中で、これだけの豊かな交流の種が蒔かれていたことは感慨深い。
コメント

中国現代事情と中国絵画史/東文研公開講座「アジアの策」

2016-10-19 21:48:29 | 行ったもの2(講演・公演)
東京大学東洋文化研究所 第16回公開講座『アジアを知れば世界が見える-アジアの策』(2016年10月15日)

 毎年、秋に行われる同研究所の公開講座も16年目。私は、第10回(2010年)に参加して以来、久しぶりに聞きに行った。会場は研究所内の大会議室だった。

■中国台頭の国際心理:内外の温度差を中心に(園田茂人)

 午前の部は、社会学者の園田先生から。いくつかの社会調査をもとに、中国台頭をめぐる「国際心理」について解説する。国際政治や経済を研究していると、同じ事象を見ているのに、集団によって違うことを考えている場合がある。たとえば、中国の大国化に対して、日本人や台湾人は脅威を感じているのに、韓国の大企業の関係者は、ポジティブなビジネスチャンスと捉えている人が多い。ただし韓国人の中でも、企業関係者と学生では感じ方が異なる、など。

 日本人は「中国共産党はヤバい(崩壊が近い)」的な週刊誌の記事を好んで読むけど、日本の中国研究者はそう思っていないし、まして中国の人々は全くそう思っていない。また、日本人が「世界は中国をこう見ている」という予測(期待)は、必ずしも当たっていない場合がある。

 ということで、日本・韓国・台湾・香港・タイ・ベトナム・フィリピン・インドネシア・シンガポール、それに中国四都市と中国の大学生を対象に「中国の台頭は世界の秩序を脅かしている」等々の設問に対する回答(大いに賛成・賛成・反対・大いに反対)を比較していく。すると、国・地域によるばらつきはあるが、「中国国内」の回答(上記なら、反対が大多数)と「中国以外」の回答には、明らかな温度差がある。しかし、中国市民の回答を「外国との接触経験の有無」によって6段階にクラスタ分けすると、外国との接触経験が多い市民ほど「中国以外」の結果に近くなる。

 こんな感じで、いくつかの質問を分析するのだが、講師から「なるほど」という分析が聞ける場合もあれば、講師も「なんでこういう数字が出るのか分からない」と首をひねるケースもある。非常に面白かったのは、「アジアへの影響力という点では中国はアメリカを凌駕するだろう」という設問に対して、中国の大学生の「大いに賛成・賛成」の率は意外と低い。台湾とかタイのほうがずっと高いのだ。これは、中国の高学歴層にとってアメリカは留学をめざす憧れの国だと聞くと納得できる。

 園田先生は東大の国際本部長をされていて、サマープログラムで学生を台湾や香港に連れていくこともあるそうだ。台湾のひまわり学生運動や香港の雨傘運動の指導者と東大の学生が同席したが、全く話が噛み合わなかった(日本の学生に世界が見えていない)というエピソードも紹介してくれた。こういう地道な研究には金と手間ひまがかかるんです、というようなこともおっしゃっていたが、ぜひ今後の変化の観測も続けていただきたい。

 園田先生の本は、ずいぶん昔に1冊だけ読んでいた。『不平等国家 中国』(中公新書、2008)で、非常に面白くて、他人に勧め回ったことを記しておく。そして、最近の著作も読んでみようと思った。

■明末杭州の画家・藍瑛-その家族と工房の経営戦略-(塚本麿充)

 午後の部は、中国絵画史の塚本先生から。中国では、伝統的に画家は資産家か官僚か職業文人で、売り物ではない趣味の絵を描くのが正しいありかたとされた。藍瑛(1585-1664以降)は、貧しい家に育ち、職人として頭角をあらわし、ヒット商品を生み出し(華麗な色彩と大胆な構図による大幅、文人好みの倣古主題)、大規模な工房を経営し、家族や弟子に家学を伝えて、明末清初の動乱期を生き抜いた。

 非常にたくさんの作品(図版)をパワポで見せていただいたのは、ありがたかった。世間に「藍瑛筆」で流通しているものが、真筆か工房の作かという判断は、結局「うまい/へた」に帰着してしまうという点を、講師も苦笑していたが、美術史というのはそういう学問なのだから仕方ない。とは言っても、客観的な指標はないものかと考えて、絹の材質(織り目)を比較しているというのも面白かった。

 明の滅亡後、藍瑛一族は清朝宮廷に近づこうとした形跡があるが、十分な成果は得られなかった。一方、正統派山水画を得意とした王氏一族(四王呉惲)は清朝宮廷に認められることに成功する。これによって、在野の文人のたしなみであった山水画が宮廷の正統絵画となる。ほかにも龔賢とか石涛とか、不確実な時代を必死に生き抜いた画家たちを、全て「遺民画家」という虚像で見てしまうことの危うさを講師は指摘された。

 周世臣は、藍瑛の弟子の中では最も社会的地位が高かったが、明の滅亡後は世間との交際を絶ってしまう。このひとの作品(山水図)を、講師の郷里である福井の永平寺で見つけた話には興奮した。いやー日本には、まだまだ明清の知られざる絵画が眠っているんだな。

 講師は、もともと大和文華館の学芸員時代、正統派の山水画を研究対象としてきたが(知ってます)、東京国立博物館に移ってその収蔵庫(くら)を調査することになり、藍瑛など浙江画壇(非正統派)の作品がたくさんあることに驚いたという。日本の中でも関西の中国絵画コレクション(内藤湖南が指導した)は正統派山水画が中心で、東京とはだいぶ違うらしい。東アジア的な視野でいうと、朝鮮には正統派山水画が多いのに対し、日本には近代まで正統派が入らず、むしろ浙江画壇の作品が好まれ、浦上春琴や谷文晁らに影響を及ぼしている。面白い~。こういう広域の美術史、もっと知りたい。

 なお、この日は東大のホームカミングデイで、研究所の向かいにある懐徳館庭園(旧加賀藩主前田氏本郷本邸に起源を持つ)が、2015年03月、国の名勝に指定されたことを記念して、一般公開されていた。5月に常設展のリニューアルをした総合研究博物館も久しぶりに見てきた。
コメント

単身女性の生きづらさ/ルポ 貧困女子(飯島裕子)

2016-10-18 23:04:53 | 読んだもの(書籍)
○飯島裕子『ルポ 貧困女子』(岩波新書) 岩波書店 2016.9

 著者が敢えて「貧困女子」と名づけたのは、20~30代の若年シングル女性の貧困者たちである。著者は、2012~2015年に16歳から47歳までのシングル女性47人にインタビューをおこなった。うち30人が、(1)非正規雇用もしくは無業、(2)年収200万円未満、(3)就職氷河期世代(1972年生まれ)にあてはまった。本書では、特にこの「氷河期世代」を中心に、彼女たちのさまざまな生活実態が具体的に語られている。

 これまで若年シングル女性の貧困は、若年男性やシングルマザーに比べると可視化されることが少なかった。2011年11月、朝日新聞に「単身女性、三人に一人が貧困」という記事が載ったときは、「女性が貧困を主張するなんてけしからん」という反響が殺到したという。あまりの阿呆らしさに笑ってしまうが、当事者には笑い事ではないだろう。相変わらず「男性稼ぎ手モデル」が支配的なこの社会では、単身女性は世帯主として認められず、したがって貧困にすらなれないのだ。

 もちろん、女性の活躍を推進する法制度や政策の整備によって、働き続ける女性は年々増加し、女性総合職や女性管理職の比率も上がっている。しかし、女性の人生の選択肢は多様化したように見えて、実は女性間の分断が進んでいるのではないか、と著者はいう。確かにそんな気がする。そして、結果的に分断のどちらの側にいるかは、ちょっとした偶然の結果でしかないように思う。

 私は、幸い20代後半で安定した仕事を見つけることができたので、単身にもかかわらず、ここまで貧困に陥らずに済んだ。しかし、最初の就職先は長時間労働・休日出勤は当たり前の、今でいうブラックな職場だったし、そこを離れてしばらくは、将来のない正規雇用で過ごした。本書に登場する女性たちの姿は、他人事とは思われない。

 入社した会社が「ブラック」だと分かっても、貯金がなかったり、頼れる家族がいないと、辞めることができず、倒れるまで働き続け、身体を壊したり、解雇されても次の仕事が見つからず、貧困へ一直線というケースがあるそうだ。私は、実家暮らしで両親に経済力があり、次の就職先探しに不安のない時代だったので、最初の就職先を離脱することができたのだ。

 自覚はなかったが、学歴もプラスに働いたかもしれない(私の場合、まだ短大卒のほうが就職率が高いと言われた時代だったけど)。学歴は個人の資質や能力を示すものではないが、これだけ社会の高学歴化が進むと、大卒は事務職正規雇用の必須要件化している。この点からも、貧困の連鎖を止めるための経済的就学支援は、もっと積極的に取り組まれなければならないと思う。

 一方、学歴が高ければ正規雇用に就けるわけではない、という例として、学芸員や図書館司書が挙がっているのはつらいなあ。あと大学職員、小学校教員、保育士なども。いずれも公的サービスの範疇にある仕事だが、2000年代の公務員バッシングを受けて、利用者(住民)と直に接する「ケア的な公務」がどんどん非正規化されて、多くの女性の「官製ワーキングプア」が生み出された。この状況は、やっぱり間違っていると言わなければいけないと思う。

 いじめやパワハラの経験から心を病み、就労できない女性たちもいる。彼女たちは「家事手伝い」というカテゴリーに入れられることで、社会から隠されていることが多い。ちなみに「家事手伝い」は、「ニート」「ひきこもり」の統計から除外されると聞いて呆れてしまった。公共セクターが行っている若者向けの自立・就労支援のプログラムも、男性を想定しているものが多いという。困ったものだ。それでも、横浜、埼玉などの男女共同参画センターが、若年シングル女性のための取組みを始めているというのは嬉しい話だ。

 最後に、シングル女性たちを苦しめる結婚・出産プレッシャー。5章に登場する女性は、いつも母の期待に応える良い子で、大学は経済学部に進学、家庭経営の会社を手伝っているが、結婚が決まらない。エリートビジネスマンと結婚し、二人の子どもを生んだ妹と比べて「親不幸者」と言われてしまう。6章に登場する別の女性も、ずっと優等生だったが、大学に進学し、かわいい女性がチヤホヤされることを知り、「高校まで『人は努力した分だけ報われる』と思っていたけれど、世の中それだけじゃないんだと、かなり遅まきながら気がつきました」というのは、なんだか私自身を見ているようだった。彼女はある大学で契約職員として働いているが、労働条件は悪化するばかり。気がつけば、キャリアも夫も子供もなかった、という。他人の期待に応える良い子として育ってきただけに辛いだろうなあ、しみじみ胸に堪えた。私はもう「周囲の期待に応える自分」を止めたので、だいぶ楽になったけど。

 日本には、経済的に自立できないシングル女性は家族に頼るべき、という価値観が根強くあるが、これは止めたほうがいい、という著者の意見に私は賛成する。もちろん、家族と共に生きることに幸せを見出す人がいてもかまわない。でも「誰でも家族から離れて生きていきたいと願うなら、それをサポートする仕組みがあるべき」というのは、決して贅沢ではなく(伝統的な家族観に反するという意味での)過激でもなく、全くその通りだと思う。
コメント

中華ドラマ『琅琊榜(ろうやぼう)』を推す

2016-10-17 23:56:28 | 見たもの(Webサイト・TV)
○琅琊榜(ろうやぼう)全54集(2015年、山東影視伝媒集団)

 2015年、中国で放映されると大反響を呼び、中国版エミー賞「国劇盛典」で10冠を獲得するなど、噂は早い時期から聞いていた。日本ではCS「チャンネル銀河」が2016年4月に初放映し、2016年10月現在も深夜に再放送が進行中である。また「BSジャパン」でも平日の午前中に放映中なので、SNSにさまざまな感想が流れてくる。しかし、私はBSもCSも見られる環境ではないので、YouTubeで中文字幕版を探し当てて、視聴することにした。

 物語の舞台は中国の南北朝時代をモデルとした架空の国「梁」である、という情報は視聴前から聞いていた。中国の古装劇(時代劇)としては珍しい設定だと思ったが、私が詳しく知らないだけかもしれない。しかし、時々あるトンデモ古装劇に比べると、衣装もセットも登場人物の所作も、むしろリアルな「古色」が感じられて、物語世界にすぐに馴染んだ。

 梁国には、かつて大きな動乱があった。林燮(りんしょう)将軍の率いる精鋭七万人の赤焔軍が、突如、謀反の罪を疑われ、皇帝の軍に殲滅された。皇帝の長男・祁王は、首謀者と目されて自害を命じられ、祁王の母親・宸妃も自ら命を断った。それから12年。皇帝は老い、宮廷では皇太子と異母兄弟の誉王が後継者争いをしていた。誉王は「麒麟の才子を得た者、天下を得る」という予言に従い、「麒麟の才子」と呼ばれる梅長蘇(またの名を蘇哲、江湖の勢力・江左盟の宗主)を梁の都・金陵に招き入れる。

 梅長蘇の正体は、林燮の息子・林殊だった。彼は誉王を補佐すると見せかけて、信頼できる靖王を擁立し、赤焔軍と祁王府の人々の名誉回復のために知力をしぼる。しかし、彼の身体は毒に犯されており、残された時間は少なかった――。

 というような設定なのだが、皇子たちの皇位継承争い、官場の政治闘争、後宮の女性たちの暗闘、さらに滅びた異民族「滑族」の再興の願いとか、いろいろなステークホルダーが複雑に絡み、憎むべき敵であっても婚姻や血縁や師弟関係で結ばれていたり、善悪の描き方が陰影に富み、ずっと飽きさせない。ストーリーの流れも、緊迫した頭脳戦とダイナミックな肉弾戦(剣戟)が交互に配置されている。弁舌で戦うシーンは、かなり早口で、私の中国語能力だと字幕がぜんぶ読み切れなくて苦労した。実は今、もう一回見直しているのだが、あらためて気づくことがいろいろある。

 主人公の梅長蘇役は胡歌(フーゴー)。『射雕英雄伝』2008年版を見た直後だったのだが、こっちのほうが数倍、いや数十倍よいと思った。男前のヒロイン・霓凰郡主は劉濤(リュウタオ)。どこかで見たと思ったら、胡軍版『天龍八部』の阿朱を演じた女優さんではないか! え~変わらないなあ。飛流を演じた呉磊(ウーレイ)くん可愛い。まあ個人的に一番好きなのは、禁軍大統領の蒙摯(蒙大統領)ですね。中国語で「史上最萌大將軍」って言われているのを見つけて、笑ってしまった。陳龍(チェンロン)覚えておこう。私は、悪役の誉王がけっこう好きで、言侯、謝玉、黎綱、高太監など、やっぱり中華ドラマはおじさんがいい。もちろん女性も、若者も、と言い始めるときりがないのでこのくらいにしておく。

 日本語版のドラマサイトは「『半沢直樹』を超える激烈な復讐劇」とか「壮絶な宮廷復讐劇」を謳い文句にしているが、梅長蘇こと林殊が目指したものは「復讐」とはちょっと違う気がする。中国語字幕では「昭雪」という動詞を見た。反乱が事実無根であったことが皇帝によって天下に布告されること、祖先の位牌を奉じて堂々と家の祭祀を行えるようになることが、仇敵に対する復讐よりも、もっと重要なのである。この感覚は、私も少し分かる。きっと中国人(中華系)なら強く共感するのだろう。ドラマでは、悪人も自分の子供(特に男児)には強い愛着を示し、周囲もそのことに惻隠の情を抱く。あれは西欧的な親の愛情とは、ちょっと違うのではないのかな。中国の伝統文化における「家」の存続の重みを強く感じた。

※参考:架空歴史的《琅琊榜》都有哪些朝代的影子?(中文)

 ドラマの時代設定に関し、興味深かった解説は上記の文章。孔笙介監督によれば、服飾は「唐朝の前」、道具は「宋朝」、礼儀は「漢唐を主」にしたそうだ。劇中の梁国は、皇姓が蕭、帝都が南京(金陵)であることは南朝の梁国に似る。中央官制は明朝の三省六部制を参考にしており、皇帝直属の監察機構である懸鏡司は、明朝の錦衣衛に似ている、という指摘は、いちいち腑に落ちた。しかし、南京なのに、あんなに雪が多くて寒々してるのか~。

 私は、日本のドラマにない中国ドラマの「ゆるさ」(荒唐無稽さ)が好きだったのだが、この作品に限っては、そういう中国風味が全くない。世界中どこに持っていっても視聴者の心を捉える作品だと思う。中国ドラマのエポックメイキングな変化を感じる。

※チャンネル銀河:琅琊榜(ろうやぼう)~麒麟の才子、風雲起こす~(公式)
コメント

三年に一度のお蔵出し/2016東美特別展

2016-10-16 23:57:46 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京美術倶楽部 第20回『東美特別展』(2016年10月14日~16日)

 毎年、この時期に東京美術倶楽部で開催される美術品の展示・販売会。今年は三年に一度の「特別展」の年に当たり、日本を代表する美術商65軒が、選りぬきの逸品をもって集結する。全く購入計画のない部外者が冷やかしに行くのは、ちょっと申し訳ないのだが、とにかく素晴らしい美術品を拝見できる貴重な機会なので、2010年、2013年に続いて、今回も出かけた。

 印象に残った店舗(ブース)と作品を記憶をたどってメモしておく。小西大閑堂は地蔵菩薩をテーマにしぼり、まず店頭に後光に荘厳された地蔵菩薩像の画幅。鎌倉くらいか? 繊細な彩色がものすごくきれい。店内には銅造・木造などの地蔵菩薩像各種、と思ったら唐の比丘像(銅造)も混じっていた。比較的大きめで墨を塗ったように漆黒の体躯に截金が美しい像もあった。平山堂の見ものは金地に江戸の文人の書画を多数貼り混ぜた屏風。玉堂、梅逸、半江などの名前が読めた。思文閣銀座は、水辺の遠景を描いた蕭白の『芦雁図』が面白かった。

 加島美術は奇想の画家の特集。蘆雪の『狗児図』は正方形の画面に五匹の白い仔犬がぎゅっと集まっていてかわいい。墨画淡彩。林十江の虎、蕭白の楼閣山水、若冲の墨梅。若冲のは、京都市立美術館の後期に出品予定だそうだ。さっき図録を確認。甍堂と古美術白水は、いろいろなジャンルと年代があって、目が驚きっぱなし。甍堂は取り合わせに神経の行き届いた繊細な展示。白水は大人のおもちゃ箱みたいで面白かった。江戸時代の優雅な望遠鏡!

 小川商店には「病草紙」の断簡(円形に切り取られている)2件が出ていた。根津美術館の展覧会『名画を切り、名器を継ぐ』に出したという説明を聞いて、見たことを思い出した。1階の古美術祥雲は、いつも印象的な展示ブース。今回は、摩滅した水月観音の画軸、木造仏像、古瓦などを取り合わせた中に、古びた経筒(銘文が読める)に水を入れ、野の花を生けてあった。谷庄は「時代不同歌合」の僧正遍照と慈円の図を茶掛けにしていて面白かった。このお店に前田家伝来の堆朱の香合(?)があって、品のいい老婦人が「おいくら位?」と聞き、お店の方が小声で「1200です」と答えていた。

 値段の話をすると、中国磁器のお店で「100万円を切るものはある?」「ないですねえ」という会話も聞いた。直径10センチくらいの小皿もあったのに。中国磁器で印象的だったのは繭山龍泉堂。嘉靖万暦五彩の特集で、日本人好みのちょっと素朴な色絵が多かった。浦上蒼穹堂は耀州窯の特集で、日本にはまだたくさんあるのだな、と思った。薫隆堂に徳化窯の白磁の観音像が並んでいたのも面白かった。今でも作られているが、17-18世紀(清代)のものである。また、清代の倣古スタイルの磁器(古代の銅器などを真似たもの)に不思議な魅力を感じた。

 数は少ないが、近現代美術のブースも出ていて、意外な出会いをすることもある。靖雅堂夏目美術店の奥田小由女新作展は、初めて知る作品で面白かった。色あざやかな衣装をまとった女性の人形で、伝統と新しさのせめぎあいが、武侠ドラマの女性キャラみたいな魅力を放っている。日本画家の奥田元宋氏の夫人なのだな。瀬津雅陶堂は、ひとりの画家の動物スケッチ特集で、どこかで見たことがあるのに、最後まで画家の名前が分からなかった。最後にもらったパンフレットを見たら、竹内浩一という画家で、私は札幌にいたとき、このひとの所属する「星星会」の展覧会を見ていることを思い出した。

 今回は書画に比べると、茶碗はあまり印象に残るものがなかった。楽茶碗は宗入の作品が圧倒的に多かったなあ。刀剣が目立っていたように思うのは、私がこれまで全く無関心だったためか。1階の杉江美術店と日本刀剣のブースには、刀の拵えや鍔とともに、抜き身の刀剣も飾られていた。もちろんガラスケースなんて野暮なものはなしである。

 この値札付き展覧会は、美術館や博物館と違った勉強ができる。次回は2019年。また見に来ることができますように。買いものができるようには、まずなれないだろうけど。

※そうそう、入口を入ってエレベーターまでの短い通路の壁に特別展示されていた片岡球子の『めでたき富士』。映画「シン・ゴジラ」の中で首相官邸に掛けられていたもの。こういう重厚な建物によく似合う。(10/17補記)


コメント (1)

実質GDPはまだ伸ばせる?/人口と日本経済(吉川洋)

2016-10-15 22:27:05 | 読んだもの(書籍)
○吉川洋『人口と日本経済:長寿、イノベーション、経済成長』(中公新書) 中央公論新社 2016.8

 平川克美さんの『喪失の戦後史』をなんとなく読み始めたら、人口動態を指標に戦後史を眺める、という指標が示されていて、おやと思った。そのときは、すでに書店で見つけた本書が気になってキープしていたのである。しかし、平川克美さんが「人口が減少する社会では縮小均衡を上手に生きるしかない」という結論だったのに対し、本書は全く逆の立場を取る。

 はじめに、経済学は人口をいかに考えてきたか、というおさらいがあり、この問題に無知な私にはとても面白かった。18世紀から19世紀前半、ヨーロッパの人口は爆発的に増加した。『人口論』を著わしたマルサスは「人口は制御されない限り等比級列的に増えるが、食料は等差数列的に増えるにすぎない」ことから「人口の増加は必然的に食料により制約される」「食料は増えれば人口は必ず増加する」と説く。そこまではよい。マルサスは、もし食料が人口と同じペースで増加し、貧困が存在しなかったとしたら、人類は怠惰をむさぼり、未開の状態を抜け出せなかっただろう、と考える。不平等は人間社会が進歩するための「必要悪」なのだ。だから、「平等社会」を目指したフランス革命に対するマルサスの評価は、きわめて冷ややかである。

 1920~30年代から、イギリスは人口減少の時代に入った。ケインズは、この長期的な大転換について、放っておく限り、投資は盛り上がりを欠き、経済は不況に陥ること、投資に代わって消費が有効需要を支えなければならず、そのためには、貯蓄をしてしまう富裕層よりも、消費をする一般大衆へ所得の再分配を行わなければならないことを説いた。これはすごく納得できる。

 あと、スウェーデンの人口論として、ヴィクセル(最大の福祉がゆきわたる最適人口を考える)とミュルダール(人口減少をくい止めるための子育て支援策の提案)が紹介されている。

 さて、日本については少し歴史をさかのぼって「日本の都市人口の推移」が面白かった。1878(明治11)年、1920(大正9)年、1985(昭和60)年の日本の都市人口の上位30都市が示されているのだが、東京・大阪・京都・名古屋のように上位に大きな変動はないものの、明治11年に5位の金沢は31位に下落、16位の松江、19位の弘前が、それぞれ140位、115位に下がっている。明治11年だと函館は23位に入っているが、小樽や札幌は入っていないんだな、とか、本書の趣旨とは全く違ったところで、興味深かった。

 日本一国で見ると、明治初期から100年あまりの日本の人口と実質GDPの推移を比較した場合、経済成長と人口はほとんど関係がないという(74頁)。人口も実質GDPも1913年=100とした場合、という折れ線グラフが示されていて、人口はこの100年、目に見える変化がほとんどない(目盛が大きいから)のに対し、実質GDPは350倍になっている、という図なんだけど、これは根拠として妥当なのか? なんとなく感覚的に受け入れがたい。

 経済成長率と人口の伸び率の差は「労働生産性」の成長である。これはいい。100年前に比べて、私達の生活は数百倍の労働生産性を獲得したのだろう。労働生産性の伸びは、おおむね「1人当たりの所得」の成長に相当する。うーん、そうかもしれない。100年前の日本人は、たぶん今の私達ほど、多くのものを消費できる所得を持たなかっただろう。しかし、それで100年前より人々が豊かになったと断言されると、なんとなく納得がいかない。

 著者は、不完全ではあるが1人当たりGDPは「豊かさ」(あるいは厚生水準)の指標になると考える。そうかもしれない。しかし、「プロダクト・イノベーション」(新しいモノやサービスの誕生)によって、本当にまだGDPは上がるんだろうか。古いモノやサービスから新しいモノやサービスに、重要が置き換えられていくだけではないのだろうか。

 戦前の日本人の平均寿命の短さ、郷愁をもって語られがちな江戸時代の実情(栄養状態や衛生状態の悪さ)を例に挙げて「われわれは経済成長の恩恵をもっと素直に評価してよいのではないだろうか」という著者の意見には首肯できる。しかし、もうこのへんで、ミルの唱えた経済的「定常状態」に入ってもいいのではないか、と私は思う。これ以上平均寿命を延ばした「超高齢化社会」なんて見たくもないわ。
コメント (2)