見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

分からないことばかり/日本売春史(小谷野敦)

2007-10-30 23:03:34 | 読んだもの(書籍)
○小谷野敦『日本売春史:遊行女婦からソープランドまで』(新潮選書) 新潮社 2007.9

 「幻想ばかりの売春論に喝。」というのがオビの謳い文句である。したがって、本書の記述は、先行研究が生み出した「通説」が、いかに根拠薄弱な飛躍と偽善に満ちたものかを反証しながら進む。この方面に、さほど明るくない私にとっては、へえーこの人はこんなことを唱えていたのか、というのが勉強できて、面白かった。

 まあ確かに、古代の遊部と遊女を一緒にするなんていうのは、かなりの噴飯物である。遊女の起源が巫女であるというのも、簡単に証明できるものではない。結局、本書から、古代の遊女について我々が知り得るのは、「いろいろ勝手なことを言っている人は多いが、真実はよく分からない」という結論に尽きてしまう。

 中世以降になると、「なるほど」と納得できる点が増えてくる。ただし、それも「遊女の起源」のような大命題ではなくて、「辻子(づし)君」(小通りにある屋内で待機する女→街角に立つのは「立君」)が次第に「辻(つじ)君」に取り違えられた、などという豆知識ばかりである。

 近現代も同じ。田山花袋『田舎教師』の主人公は、廃娼県である埼玉の教師であるため、利根川を越えて娼婦を買いに行く、という記述には虚をつかれた。そんな地域差があったのか。埼玉って偽善的な地域だったんだなあ。近代初期、片や「国家の尊厳を侵す」として娼妓の存在を否定した人々(矯風会など)がおり、片や廃娼運動の独善性に批判的だった伊藤野枝や与謝野晶子がいた。この対立も興味深い。

 近世から近代にかけて、多くの日本女性が海外に出て娼婦になった。こうした平時の歴史にフタをして、戦時下の従軍慰安婦だけを批判することは、確かに、少しいびつな感じがする。逆に、唐権氏の『海を越えた艶ごと』によれば、明代までの遊里文化になじんだシナ文人たちは、清の建国によってその伝統が途絶えて以降(←ほんとか~)長崎丸山で遊女との交情を楽しんだという。一般の日中交流史には絶対乗らないエピソードだろうと思った。

 そのほか、現代のソープランドの料金システムまで、興味深いトリビアいろいろ。しかし、巻末で著者が自慢するほどの「一貫した日本売春史」にはなっていないように思う。残念ながら。
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関西週末旅行10月編:奈良博を褒める

2007-10-29 23:51:46 | 行ったもの(美術館・見仏)
 今年も正倉院展に行ってきた。展示内容については、昨日のブログに詳述したので、少し「運営まわり」のことを書いておきたい。

 正倉院展には、通い始めて10年くらいになる。気が付いたら、6年間皆勤を達成してしまった。この間、最も大きな変化は、2005年から企業の協賛・協力が始まったことである。とりわけ、読売新聞という全国メディアが付いたことによって、入場者数は2004年の13万2000人から2005年の23万4000人に跳ね上がった(→当ブログ2006年の記事/ただし、原典はリンク切れ)。

 この年(2005年)の会場内の悲惨さは今でも忘れられない。展示ケースの前に行き着けないので、「あんた整理員だろ、ちゃんと整理しろよ!」と怒鳴る客。気の弱そうな場内整理員が「前に進んでください」と促すと「前が動かないんだから進めるわけないじゃないか!」と怒鳴り返す客。思わず万葉歌人ふうに「何しか来けむ 馬つかるるに」とため息をつきたくなる光景だった。

 あれから2年経った今年は、場内整理がずいぶん改善された。何より感心したのは、早めに(9時に開館して10時頃)入場制限をかけたことだ。開館前後に到着したお客さんには酷かもしれないが、場内の秩序を保つには必要な措置だったと思う。場内整理員も、「前に進んでください」と強く誘導することをしなくなった。そのかわり、観客の列の後ろを、ひとりごとみたいに気弱な声で「え~ご覧になりましたら、少しずつ、少しずつお進みください」なんて言いながら巡回しているので、噴き出しそうになった。なんとなく好感が持てる。

 もっと積極的に評価したいのは前売り券の入手しやすさである。私は、ふだん国立博物館の友の会カード(パスポート)を使っているのだが、今回は、ちょうどそれが切れてしまっていた。奈良に到着したのが夜遅くだったので、前売り券を買えるかどうか、不安だった。前売り券を持っていないと、入場待ちの列に並ぶことができない。結局、近鉄奈良駅で購入できたのだが、実は24時間営業のローソンでも発売していると知ったときは感激した。これなら、遠方から深夜や早朝に奈良に到着しても大丈夫。ありがたいサービスである。



 さらに、ふだんは友の会カード利用なので、料金を気にしたことがなかったのだが、正倉院展900円(前売り)と聞いたときは耳を疑った。安い。これは観客が多いわけだ。ちなみに、東博の『大徳川展』は1,300円(同)、京博の『狩野永徳』は1,200円(同)である。

 奈良博を出たあと、商店街を少し歩いた。そこでは、正倉院展に連動したスタンプラリーが行われていた。なるほどね。正倉院展って、近隣の住人にとっては、毎年恒例の鎮守のお祭りみたいなもので、町おこしに欠かせないイベントだということがよく分かった。観客の急増は、マスコミのせいとばかりは言えず、奈良町の住人の地道な努力も与っているのかもしれない。それだと、あまり文句も言えないなあ。
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関西週末旅行10月編:正倉院展(奈良博)

2007-10-28 23:53:13 | 行ったもの(美術館・見仏)
○奈良国立博物館 第59回『正倉院展』

http://www.narahaku.go.jp/

 今年も正倉院展に行ってきた。昨年に引き続き、6年連続の皆勤である。土曜日は日中の仕事を終えてから、夕方、新幹線で奈良に向かった。前泊して、今朝は8時少し前に奈良博へ。なんとか第1列の中ほどに並ぶことができたが、観客の出足は早く、8:30には建物側面の列が既に三つ折状態になっていた。

 開館待ちの間に配られる展示リストと館内図を眺めながら、入場と同時にどの品にダッシュするかを決める。すぐに人が溜まってしまう第1展示室は諦めて、その先に狙いをつけるのがコツである。今年は『墨絵弾弓(すみえのだんきゅう)』にしようと決めた。弓身の内側に散楽(雑技=組体操や球技や歌舞)に興ずる人々を描いたものだ。雑誌『ならら』の正倉院展特集で杉本一樹さんが「小さい絵なので、この展示の前は混むだろうな」とおっしゃっていたものである。

 しかし、豆粒ほどの絵を想像していたわりには、大きかった。人の大きさが親指くらいはあるので、肉眼で十分楽しめる。つば広の帽子をかぶり、覆面をした人物が興味深い(中世のかぶき者みたいだ)。憧れの唐土のつもりか、それとも寧楽の都の光景だったのか。いずれにしても、どうしてこんな装飾を思いついたのだろう。

 第1室の後半は、奈良朝官人の文雅を思わせる文房四宝のミニ特集。筆は、どれも太いことにびっくり。写経のような細字も、太い筆の先端だけで書いたようだ。硯は今回出品の『青斑石硯(せいはんせきのすずり)』が宝庫に伝存する唯一のものだという。ちょっと意外。そばにいたおじさんが「この模様の石って、糸魚川付近でしか取れないらしいよ」と喋っていたのが気にかかる。丸木舟形の墨は、いかにも人の手で整形したような柔らかな丸みを帯びていた。

 第2室は、一転して女性的で華やかな工芸品揃い。私は『琥珀誦珠』に激しく魅せられてしまった! 本体は地味な濃茶の琥珀の珠を連ねたものだが、要所に真珠、瑪瑙、紫水晶などを配した姿は、女盛りの高貴な女性にふさわしい。光明子か、いや、唐の則天武后に似合いそうだ、などと思った。すぐ隣りに『金銀平脱皮箱(きんぎんへいだつのかわばこ)』。鳳凰を取り巻く花枝が、十分に文様化されていないところが愛らしいと思う。さらに『紫檀木画箱(したんもくがばこ)』もいいなあ。紫檀の濃茶の地に、象牙(白)、鹿角(緑)、ツゲ(明るい茶)の三色で花鳥図をあらわす。精巧な技術と、みずみずしい童心の同居が、いかにも正倉院御物らしい一品である。

 意外と面白かったのが、文書類。『出雲国大税賑給歴名帳』には、賑給(しんごう=食料の臨時支給)の対象となった人々の名前が「寡(夫のいない50歳以上の女性)」「鰥(かん=妻のいない60歳以上の男性)」「不能自存(ひとりで生活できない者)」など、いくつかの種別に従って記されている。古代にも、さまざまな人生があったのだなあ、と思わせられた。

 また、有名人が経典の借用を願い出た文書も残っていて、諸兄は「南海傳臺部四巻」、藤原仲麻呂は「大毘婆娑論一部」と「瑜伽論疏」を借りている。受付者は「造東大寺司」となっているが、これは、東大寺の造営以外に経典の管理もしていたということだろうか。唐経『四分律』は、素人が見てもヨダレの垂れるような書の名品。

 さて、人の流れに急かされながらひとまわりして、ちょうど1時間くらい。最後にもう一度、入口に戻ってみた。そうしたら、第1展示室が妙に空いている。どうやら開館から1時間で、早くも入場制限をかけたらしい。なんというラッキー! さっきまで黒山の人だかりだった展示ケース前がスカスカである。諦めていた展示品No.1『花鳥背八角鏡(かちょうはいのはっかくきょう)』の前へ。花枝を咥えた2羽のオウムがエキゾチックである。寛喜2年(1230)の盗難事件で破壊されたものを明治時代に修復したのだそうだ。その銀製の鎹(かすがい)が黒変して、ざるそばに散らした海苔みたいに見えるのが痛々しい。

 壁際に並んだ屏風シリーズも堪能した。『羊木臈纈屏風(ひつじきろうけちのびょうぶ)』の木の葉や草の表現を見ると、同じ型紙をスタンプのように何度も使っているらしいことが分かる。後ろの木にいる2匹のサルも同じ型紙だろう。描かれた動物たちは、見れば見るほど素朴で可愛い。日本製だというのは納得である。黒パンみたいな「臈蜜」も興味深かった。

 10:15くらいになったところで、入場が再開されたらしく、人が増えてきたので退散した。あとはもう、『墨絵弾弓』の前にも近寄れず。でも、今年は展示品がバラエティに飛んでいて、非常に面白かったと思う。
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雑誌いろいろ・2007年11月号

2007-10-26 23:15:32 | 読んだもの(書籍)
 ようやく金曜日である。秋の夜長は雑誌でも楽しもうと思って、目についたものを買い込んで来た。ま、明日の仕事は午後からだし。いずれも2007年11月号。

■『東京人』 特集「八百八町は夜も眠れず:大江戸出版繁昌記」

 カラー図版を多数使って、江戸の出版物が紹介されている。ああ、多色刷の扉絵をつけた草双紙ってほんとにきれいだなあ。大御所、中野三敏先生も登場。ところで、武鑑の出版元として知られる須原屋の流れ(須原屋伊八)を汲む書店が、今も埼玉県内で商売をしているという話にはびっくりした。へえ~明日は浦和に行く予定である。探して見てこよう。

 それから、目立たない記事だったが、和本(古典籍)を扱う古書店の若手が中心となって「和本」というドキュメンタリーフィルムを制作したそうだ。10/29(月)30(火)には、神田古本まつりで完成披露試写会が行われる。見たい! こういうとき、東京に住んでいない身が恨めしいなあ。

■『自遊人』 特集「京都・奈良 マル秘ワザ」

 掲載されている仏像の写真がすごくよかったので、あまり内容を気にせず買ってしまった。そうしたら、記事も意外に読み得だった。京都・奈良の観光に関して「使える裏ワザ」が多数紹介されている。山県有朋の別邸・無隣庵は1日貸し切っても3500円とか、聖林寺の十一面観音は事前予約すればスケッチできる、という具合。長谷寺や比叡山は、周辺の旅館や宿坊に泊れば朝の勤行を見学可、というのは一度やってみたいなあ。

 耳寄りだったのは、京都御所・修学院離宮・桂離宮は事前予約が原則だが、前日に電話して「空き」があれば入れる、という情報。シーズンオフの平日ならトライしてみる価値がありそう! 興福寺の北円堂は、いつでも1グループ50,000円の伽藍復興協力金を支払えば拝観できるそうだ。うーん。万事お金が解決か(中国みたいだ)。清涼寺の釈迦如来1グループ1,000円ならともかく...いや、値段の問題じゃないか。

■『芸術新潮』 特集「ミスター桃山、天下の永徳!」

 京都国立博物館で始まっている特別展『狩野永徳』に連動した企画である。京博には今週(日曜)か来週、行ってくるつもり。ますは予習。わくわく。
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同胞でなく友人と共に/日本・映像・米国(酒井直樹)

2007-10-25 23:48:26 | 読んだもの(書籍)
○酒井直樹『日本/映像/米国:共感の共同体と帝国的国民主義』 青土社 2007.7

 本書の主張は、最終章「まとめに代えて」を参照するのが分かりやすい。日本の戦後処理問題、とりわけ従軍慰安婦問題について、誠実な対応とは如何なるものかを著者は示している。戦後生まれの「日本人」は、日本軍による戦争犯罪に関して、直接の刑事的責任を負うものではない。しかし、我々「日本人」は、中国人や韓国人からの「問いかけ(責め)」に「応答」する義務を負っている。――ここまでは、高橋哲哉さんの「戦後責任」の論じ方と似ている。

 が、著者の主張は、より厳しい。「ポスト・コロニアル」という用語を論じて言う。「ポスト」とは、単に時間的先後を意味するのではなくて、「後の祭り」の「後」である。「日本人」に生まれた我々が、応答の義務を引き受けなければならないのは「歴史の刻印」であり、逃れようのない事態なのだ、と。

 そして、戦争犯罪に関する真に責任ある応答とは、犯罪者を日本国民の中から「はっきりと、突き出す」ことであり、戦争犯罪を告発する人々に対して「私は、同胞ではなく、友人であるあなたがたとこれから永く共に生きることを選ぶ」と示すことだという。”日本人の国民主体を立ち上げなければ戦後責任を果たすことができない”という議論の生ぬるさを著者は糾弾し、むしろ「日本人の国民的統合を尊重している限り、人は、歴史の責任を果たすことはできない」と厳しく反論する。

 うわー過激だなあ...と思って、私はちょっと背筋を冷やした。私は、前の首相のように、お手軽な歴史認識を基に、国民的同一性をありがたがる論調は大嫌いだ。いつかは、著者の主張のように「国民的同一性によって限定された社会関係から、国民的同一性とは違った主体的立場によって限定された関係へ」世界が移行することを願っている。また、本書がこの結論に至るまでに用意した『慕情』『ディア・ハンター』『ビルマの竪琴』などの映像作品の分析にも深く共感した。植民地支配者の傲慢な欲望、「支配者の欲望を盗み取る」被支配者の卑しい媚態。それらは、植民地支配というものを憎悪し、恥じ入るに十分な根拠である。

 しかし、にもかかわらず、日本人としての国民的統合を敢えて棄てよ、という呼びかけを、本気で考えれば考えるほど、私はたじろいだ。いやー私は当面、そんなに強い主体にはなれないよ。それは、酒井さんが、アメリカの大学で研究者として認められるような特別な人だから言えるんじゃないの? 本書は、知的読みものとしては十分刺激的である。しかし、戦争犯罪、従軍慰安婦の問題に関しては、思考モデルではなくて、普通の日本人が受け入れられる「責任の取り方」を示していく必要があるのではないかと思われた。
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ウロコの落ちた目/日本男児(赤瀬川原平)

2007-10-22 23:52:41 | 読んだもの(書籍)
○赤瀬川原平『日本男児』(文春新書) 文藝春秋 2007.6

 本を読んでいると、必ずしも「当たり」ばかりではない。本書は「期待外れ」の1冊だったが、記録のために書いておく。

 赤瀬川さんの本は、ずいぶん読んできた。山下裕ニさんとの「日本美術応援団」シリーズは大好きだし、『ベルリン正体不明』『ベトナム低空飛行』などのフォト紀行も好きだ。しかし、本書はちょっと感じが違った。「写真」とか「美術」のような媒介物も、「新解さん」とか「老人力」のような芸もない、きわめてストレートに思うところを述べた身辺雑記である。

 女子高生の短すぎるスカートや電車の中での化粧に眉をひそめ、若い頃は強制があったほうがいいと思い、デジタルカメラに使われる人々を悲しみ、タバコや夜型生活にハマっていた「左翼」生活を、達観したように回想する。著者の主張に不同意なわけではないのだが、読んでいて面白くない。いかにも文春が好みそうな感じ。

 まえがきに、本書の隠しテーマは「目からウロコ」だというけれど、ウロコが全部取れてしまうと、こんなふうに書くものが面白くなくなってしまうものなのかしら。


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川越祭り・宵山

2007-10-21 12:39:53 | なごみ写真帖
ああ~もう。先週に引き続き、今日もこれからお仕事(お付き合いのレセプション)である。さらに宿題も持ち帰っているので、自由な時間が全くない。MOA美術館の浄瑠璃物語絵巻全12巻公開も、どうやら行けそうにないなあ。紹介いただいたのりさん、ほんとにごめんなさい。

せめて忙中閑を求めて、昨日は暗くなってから、近所の川越まで出てみた。川越祭の宵山である。むかし見た京都の祇園祭に比べると、山車の造作(装飾)が新しくて、東(あずま)って田舎だなあと思った。とはいえ、最近の東京都内のお祭りに比べると、十分に古い風情を残していて、楽しめた。

↓人形は大田道灌。このほか、八幡太郎義家、川越太郎重頼、徳川家康、家光などの山車が出る。全体に登場人物が新しいな~。後北条氏は無視なのね。



↓山王権現。天鈿女、木花咲耶姫などの神々も混じる。



↓山車の上では、お囃子の演奏に合わせて、さまざまな演芸が繰り広げられる。1つの山車が、ずっと同じ演芸をやっているわけではないらしい。私の行った時間帯は、なぜか白狐(?)を演じる山車が多かった。



↓山車だけでなく、町のあちこちに葦簾(よしず)掛けの小屋が張られ、さまざまな出し物が演じられている。ぶらぶら歩きが楽しい。江戸のお祭りって、こんなふうだったんだろうなあ。



ちょっとびっくりしたのは、最近の夜店って、中国風の餡餅(シャーピン)あり、韓国風チヂミあり、タイラーメンあり、トルコのドネル・ケバブあり。いつから、こんなに国際的になったのか~。

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国家と図書館/書物の日米関係(和田敦彦)

2007-10-20 23:14:01 | 読んだもの(書籍)
○和田敦彦『書物の日米関係:リテラシー史に向けて』 新曜社 2007.8

 知らない人は知らないだろうが、アメリカの一部の図書館には、びっくりするほど豊富な日本語コレクションが所蔵されている。議会図書館の115万点を別格に、10万点以上の日本語図書を有する大学図書館が14ヶ所。アメリカ人が、そんなに日本語文献を必要としているとは思えないのに、不思議なものだ。

 本書は、アメリカに現存する日本語図書のコレクションが、いつ、どのように形成されてきたかを歴史的に検証したものである。大学ごとの沿革史を基本としながら、書物を取り巻く「全体状況」の歴史を、繰り返し参照する形式になっている。実際、日本語図書のコレクションは、しばしばA大学からB大学へと移動しているし、それにかかわる人々(大学教員、ライブラリアン、書店主、政府関係者、軍関係者など)も、組織を超えて移動し、連携し、影響を与え合っていることが多い。

 最もスリリングな一段は、第二次世界大戦中、米海軍に設けられた日本語学校のエピソードだろう。1941年10月(つまり、真珠湾攻撃の直前)、海軍は高度な日本語能力を有する「言語士官」を養成するための教育プログラムを、ハーバード大学とカリフォルニア大学バークレー校で開始する(のち、コロラド大学へ移設)。対象者は全米から集められた英才たち。最初の2週間を過ぎると教室での英語は一切禁止。半年後には菊池寛の「父帰る」全文を読み、草書体の読み書きを習う。1年後には文語体の読み書きが加わる。14ヶ月終了後には、容易に新聞を読み、流暢に日本語を交わし、日本語のラジオ放送を理解することが求められた。

 興味深いのは、このような日本語漬けの結果、彼らは必然的に「言語に宿る価値観」を身体化してしまったことだ。平たく言えば、日本人に対する奇妙な共感を抱くようになったのである。戦後に活躍する日本研究者、ドナルド・キーン、サイデンステッカー、ド・バリーらは、いずれもこの海軍日本語学校出身者である。

 戦後は、占領地日本の統治スタッフを養成するため、ミシガン大学に民政官養成学校(CATS)が設けられた(のち、イエール、ハーバード等にも拡大)。各大学には、こうした軍関係の日本語教育プログラムに関連する蔵書や文書が今も残されている。また、これらの教育プログラムで育った人々が、のちに日本語図書の収集に果たした役割も大きい。

 私は、アメリカの大学と軍の関係が、こんなにダイレクトであるとは思っていなかったので、ちょっとびっくりした。そして、その痕跡が、世間の動きとは没交渉のように見える図書館の蔵書に残っているということにも。むろん、このこと(国家戦略と図書館の蔵書の相関関係)は「日米」に限ったものではない。アメリカのかつての朝鮮半島政策、現在の中東政策にも、同様のことが言える。

 戦後のアメリカには、大量の日本語図書が流入した。この時期の面白いエピソードに、米議会図書館の「日本語図書整理計画」がある。議会図書館の日本語図書の整理を手伝うべく、各大学から集められたスタッフは、郵便袋から取り出した図書を既存の目録と照らし合わせる。新出の図書であれば、その目録情報を作成しなければならない。しかし、既存の蔵書と重複すると分かったときは、その図書を大学のために「貰う」ことができる。また、A大学が目録を作成した図書の重複をB大学が発見したときは、その図書を「貰う」権利はA大学が有する。当時は、日本語図書の需要の高まりに対して、質のいいコレクションを入手する方法が限られていたので、各大学のライブラリアンは、競って仕事に励んだという。

 本書は、このほかにも各大学の日本語コレクションが持つ、興味深い「歴史の烙印」を紹介している。去年、アメリカの大学図書館を見学に行く前に読んでおきたかった。まあ、今後もそういう機会があるだろうと思うので、座右の1冊にしておきたい。
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文武の大御所/大徳川展(東京国立博物館)

2007-10-17 23:40:18 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 特別展『大徳川展』

http://www.tnm.go.jp/

 徳川将軍家300年の成り立ちから終焉まで、さらに尾張・紀伊・水戸の御三家を加え、ゆかりの宝物を一挙に紹介しようという「欲張り」企画である。戦国の美学から伝統の雅びまで、「何でもあり」に過ぎて、全てを楽しむには、よほど視野の広い興味が必要なのではないかと思われた。

 冒頭を飾るのは、武家の頭領の誇り、武具・刀剣の数々。噂に聞く「南蛮胴具足」が見られて興味深かった。伝統的な小札(こざね)を用いず、一体型の鉄板で作られている。西洋の甲冑を仕立て直したと思われるもの(繊細な唐草文様の彫金あり)と、舶来品を真似て、日本で製作されたものとがある。

 巨大な馬印や旗指物もカッコよかった。久能山伝来の『金扇馬印』は「家康所用」と伝えられているが、そうでなくても、幕末の長州征伐に用いられたというだけで感慨深い。紺地に赤の日の丸って、白地に赤よりも好きだ。慶長年間の火縄銃(清尭=きよたか=作)は、細身で銃身が長い。古い鉄砲は、歴博の展示で多数を見たが、もっとずんぐりしてなかったっけ? 短期間に長足の進歩を遂げたのだろうか。

 第1室で大興奮した戦国マニアにとって、次の出版文化のセクションは、面白くない品ばかりだろうが、印刷物マニア(?)の私はそうはいかない。おお~伏見版に駿河版!とテンションが上がる。伏見版とは、家康の命により伏見の円光寺で開版された木活字版のこと。この円光寺は京都市左京区一乗寺に現存する、というのを読んで、あっと思った。数年前に友人に連れられて行ったことがある。紅葉の名所で、夜のライトアップも行っているところだ。

 駿河版は、朝鮮に倣い、家康が10万個の銅活字を新鋳して印刷したもの。展示品の銅活字は、紀州徳川家に伝わり、南葵文庫→凸版印刷→印刷博物館の所有となったという。駿河版の『群書治要』が展示されていたが、南葵文庫(紀州徳川家)の蔵書印があるのに、現有者は蓬左文庫(尾張徳川家)となっていた。謎である。

 家康遺品の中にあった日本最古の鉛筆にはびっくりした。家康って、薬剤の調合を試みてみたり、定家の「小倉山色紙」を臨模してみたり、好奇心旺盛な人物だと知った。徳川義直(尾張藩初代藩主)の望遠鏡、徳川斉昭(水戸家)の地球儀も興味深かった。徳川治宝(紀州家)は書も画も絶妙。多士済々である。

 後半「格式の美」のセクションは、禅僧の墨蹟、茶道具から始まる。南宋画の『布袋図』(伝胡直夫筆)、元代の『朝陽図』『対月図』(無住子)は眼福。能面、鼓胴などを見ながら進むと、奥の特設コーナーに国宝『源氏物語絵巻』(徳川美術館)が来ている様子。現在の展示は「柏木」である。さぞかし混んでるんだろうなあ~と思いながら、スクリーンの裏を覗くと、意外と人がいないので、拍子抜けした。みんな、ここまで来る間に疲れてしまうようだ。それと、「徳川」に惹かれて来るような武将マニアは、平安の古絵巻なぞに興味はないのかもしれない。この優品が、こんなにゆっくり見られる展覧会は、滅多にないと思う。狙い目!

 徳川美術館の『西行物語絵巻』は初見だろうか(もっと色鮮やかな別本は記憶にあるのだが)。出家前の西行(佐藤義清)が、幼い娘を縁側から蹴り落とす場面が心に残った。
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その男、天才につき/岡倉天心(東京芸大美術館)

2007-10-15 23:26:36 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京藝術大学大学美術館 創立120周年企画『岡倉天心-芸術教育の歩み-』

http://www.geidai.ac.jp/museum/

 会場の入口には、下村観山が描いた肖像『天心岡倉先生』が待っている。ただし、第9回再興院展に出品した完成品は翌年の震災で焼失してしまったため、これは完成間際の画稿であるという。煙草を手に、口髭を捻りながら、斜め上方に迫力ある鋭い視線を投げている。うわー。こわもて。軽々には近づきたくない。けれど、不思議なもので、傲岸不遜で愛想のかけらもないところが、却って無防備な愛嬌にも感じられる。

 1890(明治23)年、27歳(!)の天心は、東京美術学校の第2代校長に迎えられ(初代校長は浜尾新)、後進の育成のみならず、博物館との連携協力、銅像などの制作受注、社会への広報普及など、まるで今日の国立大学法人を彷彿とさせるような、精力的な活動を行う。しかし、そんな天心を快く思わない人々もいた。1898(明治31)年3月、帝国博物館美術部長職を辞任のあとも、天心を中傷する怪文書がばら撒かれる。

 その『東京美術学校岡倉校長排斥事件関係書類-いわゆる怪文書』は、すさまじいものだ。「岡倉覚三ナル者ハ一種奇怪ナル精神遺伝病ヲ有シ、常ニ快活ナル態度ヲ以テ人ニ接シ、又巧ミニ虚偽ヲ飾ルモ、時アリテ精神ノ異常ヲ来タスニ及ビテハ、非常ナル惨忍ノ性ヲ顕シ、又強烈ナル獣慾ヲ発シ」云々。まあ実際、この頃は、九鬼隆一の妻ハツとの恋愛、妻との不和、過度の飲酒など天心の私生活は乱れていたらしいし、天才肌の強烈な個性が垣間見える的確な描写ともいえるが、それにしてもひどい。

 驚くべきは、芸大美術館がこの「怪文書」を、軸装までしてきちんと保存してあることだ。さらに、今回、この文書を全面公開したこともすごい。ある意味では、大学の恥部を曝すようなものだが、おかげで我々は、近代日本における「美術」の確立が、どれだけ厳しい闘争の産物であったかを知ることができる。同年4月、天心と入れ替わりに美術学校教授に着任したのが黒田清輝である。写真で見る限り、黒田のほうが温厚篤実な常識人っぽい。しかし、その黒田も「戦う洋画家」であったことは、春の展覧会『パリへ-洋画家たち百年の夢』で見たとおりである。

 この展覧会は、天心と東京美術学校とのかかわりに焦点を絞っているため、同校を辞職した後の天心(まだまだ続く波乱と冒険)については、あまり触れていない。その点、天心ファンには、ちょっと物足りないだろう。私は、2005年、ワタリウム美術館の『岡倉天心展』を思い出して、後半生を補っていた。

 その代わり、本展のお楽しみは、豊富な文献・写真・現物資料で振り返る、東京美術学校の歴史である。会場の展示作品とパネルの古写真を、注意深く見比べてほしい。たとえば、板谷波山の卒業制作は木彫『元禄美人像』(明治27年)であるが、そのそばに明治27年の彫刻教室の写真が飾ってあり、よーく探すと、まさにこの像を制作中の波山の姿が写っている。

 また、天心が育てた芸術家たちの作品も見どころである。竹内久一の『技芸天』いいなあ。2メートルを超す巨像で、正対すると、天平の塑像並みの迫力に圧倒されるが、横に回ると、幅薄で繊細なS字プロポーションに驚く。芸大の美術館にあるのがもったいない。どこかのお寺に置いて、秘仏扱いにしてくれたらいいのに。菱田春草による模写、徽宗筆『猫図』も最高! 肉球を舐める猫の表情が、猛獣っぽくて恐ろしくも愛らしい。これ、原本はどこにあるのだろう?

 会場の最後をシメるのは、横山大観による『吊辞』(弔辞)。ちょっと泣けた。それから天心自筆の戯作詩『夜』の額。これもよかった。本展は美術館の展覧会ではあるが、文章をきちんと読むと、一層得るものが多い。

 本展のポスター(画像あり↑)に使われている、いかにも「態度のデカい」天心像には、当然この会場で会えるものと思っていた。そうしたらこの彫像は、芸大美術館の庭に常設されているのだという。何度も来ているのに全く知らなかった。美術館の建物のすぐそばなのだが、樹木の茂みに隠れていて気づきにくい。展覧会を見終わって、薄暗い木立の中の四阿(あずまや)で長い瞑想にふけるが如き天心先生に拝謁するのは、感慨深いものであった。次回からは、ときどきご挨拶に立ち寄ることにしよう。
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