見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

伝統芸能の冒険/新作文楽・不破留寿之太夫ほか

2014-09-30 23:01:19 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 平成26年9月文楽公演(2014年9月22日)

・第2部(16:00~)『近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)・和田兵衛上使の段/盛綱陣屋の段』『日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)・渡し場の段』

 飛び石連休の谷間が、なぜか千秋楽に当たっていた。まず、久しぶりの『近江源氏先陣館』。これは思い出深い演目である。高校生のとき、鑑賞教室で見せられた『塩原多助一代記』があまりにつまらなかったので、もう二度と見ない、と思っていた文楽公演に、大学の友人から誘われた。日本文学を学びに来ている留学生が文楽を見たがっている、というのが発端だった。しぶしぶ着いていったのが、この『近江源氏先陣館』で、あれ?思いのほかに面白い、と素直に考えをあらためた。その結果が、30年後の今日に至っているのである。

 近江源氏はすなわち佐々木氏。鎌倉方(北条時政)と京方(源頼家)に分かれて戦うことになった佐々木盛綱と高綱の兄弟。盛綱の陣屋に高綱の首級が届けられ、首実検にかけられる。直前の戦いで、盛綱のもとに生け捕られていた高綱一子・小四郎は、父の首級を見ると、悲しみのあまり、後を追って切腹をはかるが、実はそれは、偽首を本物と思わせるための、命を賭けた謀りごとだった。こう書くと、封建社会のグロテスクな孝行譚みたいだが、観客を唸らせるドンデン返しの連続で、トリッキーな智謀比べにカラッとした明るい印象が残る。盛綱、高綱のモデルが、真田信之、幸村兄弟だという解説を読んで、あらためて納得。そして和田兵衛が後藤又兵衛なのか、なるほど。

 盛綱、高綱の母・微妙(みみょう)が非常に重要な役どころ。久しぶりに文雀さんの活躍を見ることができて、嬉しかった。熱演がオモテに出すぎる中堅世代に比べて、相変わらずひょうひょうと無表情なところが好きだ。

 『日高川入相花』も、以前、一度くらい見ていると思うのだが、こんな派手な芝居だとは記憶していなかった。ストーリーは至極単純なのだが、清姫の変身ぶりがすごい。大胆無類。『道成寺縁起絵巻』に、半ば蛇身に変身しかかった姿で、荒波を掻き分け、川を這い渡っていく清姫の図があるが、その図柄のままである。うう、怖い。でも、不思議な爽快感がある。

・第3部(19:00~)〔新作文楽〕『不破留寿之太夫(ふぁるすのたいふ)』

 シェイクスピアの「ヘンリー四世」「ウィンザーの陽気な女房たち」に基づく新作文楽。鶴澤清治=監修・作曲、河合祥一郎=脚本、石井みつる=装置・美術。見る前から、いろいろ噂は聞いていたが、幕が開いたとたん、その斬新な舞台美術に引き込まれてしまった。文楽の舞台は、手前も奥も「水平線」の積み重ねがお約束だが、あえて「半円弧」を取り込んだ背景が、何よりも新鮮だった。

 登場人物の人形も新作。ファルスタッフ、いや不破留寿之太夫、いい感じに脂ぎったおじさんに仕上がっていた。衣装がまた、無国籍で素敵。遣っていたのは桐竹勘十郎さん。脚本は、耳で聴いて分かる文章と語りを目指したということで、敢えての字幕なし。確かに、チャリ場ふうの、テンポのいい対話がずっと続くので、字幕は要らなかった。会場には自然な笑いが繰り返し湧いていた。外国人のお客さんも食い入るように舞台を見ていたので、海外公演の一演目にしてもいいと思う。

 ここまで伝統文楽を離れてしまうと、これは文楽じゃない、と感じるファンもあるだろうが、私は、鶴澤清治さんの「僕は現代のお客さんに喜んでいただけるものを一つでも多く作りたい。『こういうのも面白いね』と、お客さんの選択肢の中に加えていただけたら幸いですね」という言葉に感銘を受けた。技芸員の皆さんが「これも文楽だ」というなら、信じてついていく。2009年に見た『天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)』も面白かったし、2010年には、三島由紀夫の新作戯曲による『鰯売恋曳網(いわしうりこいのひきあみ)』も見た。つくづく文楽って、果敢に攻める芸術だなあ、と思っている。

 中途半端に反戦思想っぽいセリフが入るところが気に入らない、という感想も読んだ。このへんは、シェイクスピアの原作に忠実なのか、文楽にするときに付け加えたのか、原作を読んでいない私は何も言わないことにしたい。ただ、石母田正さんが「平家物語」について、一見、無常観や宿命観に基づくように見せながら、この作者は、人間の営みが面白くてたまらないのである、と喝破していることを忘れないようにしたい。シェイクスピアも(この作品も)、最後に分別くさい教訓がついているからといって、それが作者の最も言いたかったことと考える必要はないと思う。

 そして私は、オペラではヴェルディが大好きなのだが、不勉強にも「ファルスタッフ」を全曲聴いたことがないのである。まだまだ未開拓の分野があるなあ。長生きしないと。
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2014年9月@東京:岩崎コレクション(東洋文庫)、三越と鴎外(鴎外記念館)ほか

2014-09-29 22:46:54 | 行ったもの(美術館・見仏)
東洋文庫 企画展『岩崎コレクション~孔子から浮世絵まで』(2014年8月20日~12月26日)

 飛び石連休の谷間を東京で過ごした。月曜に開いている美術館を探したら、意外やここが開いていたので行ってきた。東洋文庫ミュージアムは、2011年に開館。開館記念展を見にきたはずだが、レポートを書き逃している。今回は、東洋文庫創立90周年を祝う記念展である。実は、今年の春、同館の関係者から「記念展の企画案が『孔子から春画まで』というタイトルなので、どうしようかと思っている」という話を聞いていた。さてどうなったかと思ったら、タイトルは「孔子から浮世絵まで」にソフトフォーカスされたが、展覧会の公式ページを見にいくと「※展示には春画も含まれます。浮世絵展示室の入場は18歳以上の方に限らせて頂きます」という注意書が載っていて、あまりの麗々しさというか、律儀さに笑ってしまった。

 まず「東洋文庫の名品」の部屋には、国宝「毛詩」、重要文化財「論語集解」など。左記は魏の何晏の著書。ただし東洋文庫の伝本は、中国ではなく、日本に伝わった写本である。ほかに後陽成天皇勅版「日本書紀」、嵯峨本「伊勢物語」など、我が国の印刷出版の諸相を見ることができる。

 それから「浮世絵」の部屋に移動。だいたい時代順、作者別に普通の風俗画と春画が入り交ぜに展示されている。鈴木春信の作品は、春画もそうでない風俗画も、色彩に品があり、中性的で優美。浮世絵の作者たちは、蚊帳や絽の着物の「透け具合」を版画で表現することに骨身を削っているように思う。その先に、当然、春画がある。歌麿の描いた「御殿山花見籠」という作品には、籠から半身を乗り出したお姫様が描かれているが、たっぷりした着物の量(かさ)に手も足も隠れて、女性の肉体が全く感じられない。ああ、文楽の表現って、人形だけの絵空事ではなくて、当時の生身の女性たちが、そもそも肉体を消していたんだ、ということを感じた。国貞描く春画「生写相生源氏」は松平春嶽の発注で「武士たちもこうした春画を温かい目で眺め、楽しんでいたであろう」という、勿体ぶった解説に苦笑してしまった。珍しいところで、江戸時代のブックカバー「書物袋」を集めた「書物袋絵外題集」というものも出ている。

 北斎晩年の作「唐土名所之絵」は面白かった。北東には盛京、長白山。西には天山、大雪山。南には広東、台湾。南西には瀾滄江の地名も見える。北斎の「諸国瀧廻り」は色も形も素晴らしい(一部は複製を展示)。西洋の顔料(プルシャン・ブルー)の青を基調に、寒色系でまとめた作品もあれば、わざと反対色のピンクや赤茶色を配した作品もある。

文京区立鴎外記念館 『流行をつくる-三越と鴎外-』(2014年9月13日~11月24日)

 同館の前身である「文京区立本郷図書館鴎外記念室」には何度か来たことがあるが、2012年に「森鴎外記念館」としてリニューアルされてからは初訪問。要塞のような石造りの外観にびっくりした。まあ鴎外は、明治の「モダン」を体現したような人だったから、いいか。

 現在の展示は、日本最初のデパート「三越」と鴎外の接点を探る。鴎外の日記には、森家の女性たち、鴎外の母や妻・志げだけでなく、鴎外自身も子どもたちのために三越で買いものをした記録が残っている。また、三越は有識者や文芸家による「流行研究会(流行会)」を結成し、鴎外もそのメンバーに選ばれた(ただし展示品の日記を見る限り、あまり活動熱心ではない。「流行会アレドモ欠席」みたいな記事が目立つ)。なんだかよく分からなくて、面白い人だ。
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2014年9月@東京:陶磁名品展(東博)、あしたのジョー、の時代展(練馬区美)ほか

2014-09-28 21:31:56 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館・本館 特別5室 2014年日中韓国立博物館合同企画特別展『東アジアの華 陶磁名品展』(2014年9月20日~11月24日)

 中国の国家博物館、韓国の国立中央博物館、そしての日本の東京国立博物館が、それぞれ15件ずつ計45件を出品する展覧会。好企画だと思うが、「日本、中国、韓国の3ヵ国の国立博物館が合同で実施する初めての国際共同企画展」という説明を読んで、正直、ちょっと今さら感を抱いた。文化的につながりの深い三国なのに、なぜもっと早く実現しなかったのだろう。

 正方形に近い会場は、入ってすぐ、各国の代表作品を1点ずつ置き、時計まわりの順路に従って、左辺に中国(基調カラーは臙脂)、奥に韓国(濃い緑)、右辺に日本(藍)が展示されている。まず代表作品であるが、中国は唐の三彩馬。出土品。「三彩」だが体躯は素焼きで釉薬が掛かっておらず、筋肉質の表現が生きている。華麗な装飾馬具をつけ、鞍の上には緑色の毛織物を打ち掛けている。韓国は、高麗時代(12世紀)の青磁亀形水注。韓国の青磁って、簡素な美のイメージがあったので、手の込んだ、フクザツな造形に少し驚く。「黄海北道開城付近出土」とあったから、現在は北朝鮮に属する地域からの出土品である。

 日本は新潟県長岡市出土の火焰型土器(縄文中期・前3000~前2000年)。え~、あ~これか~といろいろな感想が頭の中で渦巻く。「日本を代表する陶磁器」を1件選ぶって、難しいだろうなあ。何を持ってきても反論が出そうだ。この火焰型土器は、あまり近づいて見たことがなかったので、じっくり観察。上から覗き込むと、口縁部の突起と突起の間の部分に、平たい「顔」のような造形があって、面白い。

 中国編の出品は、国内では3級あるいは2級文物クラスだが、出土の来歴がはっきりしているものが多い。厚葬が流行した8世紀の三彩馬は美しいなあ。現代の土産物屋で売られている大量生産品とは品格が違う。法門寺の地下宮殿から出土した越窯の青磁碗には、包み紙の切れ端が付着しており、そこに細い線で墨書された女性の姿がある。珍しい!

 韓国編は、三国時代・5~6世紀の家形容器が珍しかった。屋根の上のネコっぽい動物、顔をこっちに向けて~。中心は高麗青磁で、朝鮮白磁も少し出ている。高麗時代の青磁竹櫛文水注(これも開城付近出土)は、安宅コレクションに入っていても遜色なさそう。

 日本編は、「何でもあり」の印象。弥生時代の朱彩壺。奈良三彩。渥美焼、瀬戸焼。桃山茶陶の長次郎、信楽、美濃、唐津、織部、江戸に入って、仁清、乾山、伊万里、鍋島。目移りし過ぎて、くらくらした。あとでゆっくり考えて、古九谷ほしかったなーとか、柿右衛門が抜けていたとか、自分で15件を選び直してみるのも楽しいと思う。会場の最後に、3か国それぞれの陶磁器年表が並んでいたが、あれはひとつのスケールにまとめたほうが、相互関係が把握できてよかったのではないかと思う。

 その他の常設展示から。11室(彫刻)に見慣れない仏像があると思ったら、香川県大川郡丹生脇屋庵伝来の菩薩立像(平安時代)。遠く離れた『四国おへんろ展』へのリスペクト? 古風で、内に籠る力強さを感じる魅力的な像だ。10~11世紀、「和様化の進む時代に保守的な仏師が作った」のではないかと解説にあった。

 14室では、特集『漆芸に見る東西交流』(2014年9月2日~11月3日)を開催中。南蛮船や南蛮人の姿を表わした屏風・漆器、南蛮人向けに作られた漆器などが展示されている。螺鈿の書見台、模造品でもいいから欲しいなあ。幕末から明治にかけて作られた「長崎漆器」とか「長崎螺鈿」と呼ばれる工芸品が出ていたのも嬉しかった。初めて見たのは、たぶん長崎歴史博物館ではないかと思う。全体に赤み(薔薇色)が強くて、女性好みで華やか。実は伏彩色(裏彩色)の技法が用いられているそうだ。展示品の『花鳥螺鈿裁縫机』、蓋が開いてるので、正面から見ると蓋の内側しか見えない。ぜひ展示ケースの横にまわって、外蓋の細工も見てほしい。写真を添えてよ(泣)。

 国宝室は『風信帖』。7室(屏風と襖絵)は筆者不詳の『秋草白菊図屏風』が地味によかった。

講談社野間記念館 『講談社の絵本~野間清治最後の出版事業』(2014年9月13日~10月26日)

 講談社の創業者である野間清治(1878-1938)が最晩年に手がけた絵本の出版事業。昭和11年(1936)12月「乃木大将」の刊行から昭和17年(1942)までに203冊の絵本を出版。昭和34年(1959)までに総部数7000万部を発行したという。私は1960年の生まれで、年上の兄弟はいなかったが、家には「講談社の絵本」が何冊かあった。幼稚園にもあって、読んでもらったり、自分で読んだりした。展示されていた作品で、確実に覚えがあったのは「桃太郎」「安寿姫と厨子王」くらいかな。戦前は「八幡太郎義家」「加藤清正」なんていう巻もあったのね。読んでみたかった。

練馬区立美術館 『あしたのジョー、の時代』展(2014年7月20日~9月21日)

 1967年暮れから1973年まで「週刊少年マガジン」に連載され、人気を博したマンガ「あしたのジョー」とともに、同時代を振り返る。ううむ、この夏の世田谷文学館の企画展『日本SF展・SFの国』といい、東京の区立美術館・文学館はいい企画を立てるなあ。

 私自身は「あしたのジョー」にハマった世代より少し若い。まだ女子が少年マンガを読むことは一般的ではなく、アニメも見なかった。従兄弟の家に単行本があって、途中まで読ませてもらったが、肉体の極限にこだわった描写や、登場人物の心理的な葛藤が難しくて、あまり好きになれなかった。ストーリーを把握したのは、ずいぶん後年のことだ。しかし、いま読むと、やっぱり名作だと思う。展示されているちばてつやの原画を見ながら、どんどん物語世界に引き込まれてしまった。老若男女(男性比率高め)が、同様に黙々と原画を「読んで」いた。外国人の一団も見学に来ていて、ガイドの男性がフランス語かイタリア語で解説していた。

 雑誌連載期間は1967年暮れ(1968年1月1日号)から1973年5月まで、5年半に満たない。「ドラゴンボール」が10年超えだったり、「ONE PIECE」が1997年から連載継続中だったりするのに比べると、当時の「社会現象になった人気マンガ」って、意外と執筆(発表)期間が短い。だからこそ、余計に「時代」との同期性が強く印象に残るのかもしれない。

 2階の展示室には、60年代末から70年代初めの社会の諸相、消費文化を反映したテレビCMや、反戦、反万博、反成田空港建設など、公権力に挑む芸術活動の数々、さらには肉体を突出させた暗黒舞踏などもあって、興味深かった。不気味な暗黒舞踏のビデオを見て、小さい子が「怖い」と泣いていたが、そりゃ泣くよなあ。あと、赤瀬川さんの作品の過激なこと。忖度と自主規制が行き渡ったいまの社会の風通しの悪さをあらためて感じてしまった。

 個人的には、アニメ「あしたのジョー」「あしたのジョー2」の制作に携わった出崎統氏(ほかの作品も好きだった)のご冥福を祈る機会でもあった。2011年死去。「あしたのジョー」にオマージュを捧げた作家たちの中に杉野昭夫さんの絵を見つけたことも嬉しかった。
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2014年9月@東京:江戸妖怪大図鑑・妖術使い(太田記念)、名画を切り、名器を継ぐ(根津)

2014-09-27 23:10:29 | 行ったもの(美術館・見仏)
太田記念美術館 特別展『江戸妖怪大図鑑』(2014年7月1日~9月25日)第2部:妖術使い(8月30日~9月25日)

 この展覧会のおかげで、全然縁のない街だと思っていた原宿に、7月、8月、9月と連続して通ってしまった。第3部が「妖術使い」。なるほど、日本の伝奇・伝説には、妖怪でも幽霊でもない「妖術使い」のキャラクターがこんなに多いんだな。そして、多くの妖術使いは、特定の動物を使う。鬼童丸の蛇、児雷也の蝦蟇、清水義高のネズミなど。

 冒頭に大好きな国芳の「相馬の古内裏」があって嬉しかった。この種本『善知烏安方忠義伝』のストーリーが、私はまだよく分かっていないのだが、平将門の遺児・滝夜叉姫は、筑波明神に百日詣をして妖術を授かる(または筑波山の蝦蟇の毒気にかかって変心する)らしい。人工都市・つくばの古層に、そんな伝説がひそんでいたのかと嬉しくなった。

 それにしても浮世絵の中の妖術使いたちは、みんな過剰で、パンクで、ファンキーで、いいなあ。やっぱり国芳と芳年は、抜群のセンスで目を引くと思っていたのだが、思いのほか、印象に残ったのが、歌川国貞(三代豊国)である。なんだろう、抑えた表現なのに、じわじわ来るのだ。7月に買って帰った図録では、朝夕眺めていても気持ちが動かなかったのに、実作品を見たら急にファンになってしまった。これは10月から始まる『歌川国貞』展も見なければ…。

根津美術館 新創開館5周年記念特別展『名画を切り、名器を継ぐ 美術にみる愛蔵のかたち』(2014年9月20日~11月3日)

 長い年月をかけて伝わった古美術品について、「経年変化や、所有した人あるいは時代の好みにより、切断されて新たに表装された絵巻や古筆、破損して補修された茶道具など、制作時と形を変えたものが少なくありません。それらは、私たちが今日当たり前のように享受している鑑賞スタイルや作品のあり方、美しさの感じ方にひとかたならぬ影響を与えています」という視点からとらえ直す展覧会。こういう知的操作、もしくは歴史的視点の入った展覧会は、わりと好き。

 冒頭には、牧谿筆『瀟湘八景図』の「漁村夕照」。あ、これと揃いの「遠浦帰帆図」を京都国立博物館の『京へのいざない』展で見てきたばかりだ。解説によれば、足利義教の自邸・室町殿に後花園天皇が行幸したとき、28室にわたっておびただしい唐絵・唐物を並べた記録が『室町殿行幸御飾記』にあるそうだ。数奇?成金の悪趣味? 今でも寺院で行われる曝涼みたいなものだろうか。そして、展示の便宜のため、巻物を切断して軸物に改装したと考えられている。まあこのくらいは許せる。

 しかし玉澗筆・自賛の『廬山図』はないなあ。原図では、丸い山頂を寄せ合う山容の中央から、絞り出すように「廬山の瀧」が流れ落ちていた。ところが、右端の玉澗の賛を重んじた所蔵者は、瀧を全く残さずに画面をぶった切ってしまう。武家茶人・佐久間将監真勝(実勝)が狩野探幽と合議の上で切断したものというが、ううむ、こういう暴挙はいけません。

 馬麟筆、理宗賛の『夕陽山水図』は記憶になかったが、2009年に『根津青山の茶の湯:初代根津嘉一郎の人と茶と道具』展で見ていた。小品だが、味わい深い作品。古筆では「石山切」が5件も出ていて感激した。やっぱりきれいだ! 西本願寺(大谷光瑞)が「女子大学設立の資金に当てるために分割売却された」というのはよく聞く説明で、私はずっと大谷女子大学かと思っていたら違うのね(こちらは東本願寺派)。現在の武蔵野大学のこととWikiにある。本願寺本三十六人家集は、白河法皇の六十賀の後宴で、白河法皇から主催者の鳥羽天皇に贈られたものと考えられている(久曾神昇氏の説)。院政期って、日本の美意識のピークのひとつだったんだなあ、と思う。

 絵巻には『鳥獣戯画』の断簡が登場。現在は甲乙丙丁の四巻本として伝わっているが、天文16年(1547)細川晴元らによって高山寺が焼き払われたときに焼損している。現在の甲巻は二巻、さらに以前は三巻構成だった可能性があるとのこと。2007年、サントリー美術館の『鳥獣戯画がやってきた』展も、原本再構成の探究に触れていたが、全体を見るのが初めてで、よく理解できなかった。

 『病草紙』断簡2件(個人蔵)は、画面を円形に切り取った珍しいもの。図録解説によれば、近年、佐野みどり氏によって紹介された。もとは屏風に貼り交ぜられていたが、近年、2幅対の掛物に改装されたという。鑑賞に耐えるよう、傷んだ部分を切り取って円形にトリミングしたのは、このとき(掛物に改装時)のことかな。画面のひとつは室内で、乳鉢で薬を練っている(?)若い男と、縁先からそれを覗き込む男、さらに細目に開けた襖障子の奥に女性二人の姿が見える。うん、言われてみれば、確かに『病草紙』の描画だ。もうひとつは網代垣に立てかけた牛車のそばで休む従者と、その脇を通り過ぎる老婆。こちらは、破損劣化がより激しくて、何ともいえない。

 『平治物語絵巻・六波羅合戦巻』からは個人蔵の断簡が2件。後期に別の2件が出陳される。これだけまとまって見られる機会はないのではないか、と思ったが、全体では「14葉の色紙形」が残存しており、しかも昭和18年(1943)に分割されるまで『武者絵鑑』という1冊の帖で伝来していたという。ええ~。どうして分割されたんだろう。不幸にして大部分は失われてしまったが、わずかな断簡からも殺気立った躍動感がひしひしと伝わってくる。

 あまりにも有名な『佐竹本・三十六歌仙絵』は、女性ベスト3といわれる「斎宮女御」「小大君」「小野小町」が華やかに競演。すごーい。佐竹本と上畳本の「小大君」を見比べることもできる。図様はほぼ同じなのに、色の塗り分けが異なる(ように見えるのは、劣化のせいか?)

 展示室2も特集テーマの続きで、伝・俵屋宗達筆『源氏物語図』(末摘花・手習)一巻(MOA美術館)が面白かった。「末摘花」でくつろいで筆を執っている源氏が可愛い。紫の上の前で、わるふざけ気味に末摘花の姿を描いてみせているところか。もとは五十四帖全ての画面を貼り交ぜた(というより貼り尽した)屏風の状態で伝わったという。その写真図版も参考で展示されていた。「馬蝗絆」など、茶碗や茶入の切り継ぎ・修復に関する名品も並ぶ。意図的に割ったものもあり、不慮の災難に遭遇したが、修復でよみがったものもあり、さまざま。

 書画はかなり展示替えがあるので、できれば後半にもう一度行きたい展覧会である。
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2014年9月@東京:行ったものメモ

2014-09-27 20:09:21 | 行ったもの(美術館・見仏)
ようやく、三連休@西日本編を書き上げて、次は飛び石連休@東京編。今日(9/27土)の休日出勤の振替休を9/22(月)に取ることができたので、四連休にして遊んできた。

9/20(土)札幌発→東京(羽田)着。いちばん見たかった太田記念美術館と根津美術館。
9/21(日)東京国立博物館の常設展、講談社野間記念館、練馬区立美術館。
9/22(月)月曜でも開いている東洋文庫、鴎外記念館。そして文楽第二部と第三部(千秋楽)。
9/23(火)東京国立近代美術館、金沢文庫。余った時間で、横浜中華街をちょっとだけ散歩。羽田→札幌。

本格的な秋の展覧会シーズンには早いのか、特別展の谷間だった。その分、久しぶりに小さい美術館などを回れて、のんびりした。
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2014年9月@西日本大旅行:京へのいざない(京博)その4

2014-09-26 21:17:07 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 平成知新館オープン記念展『京へのいざない』(2014年9月13日~11月16日)

 最後に建築に関する補足いくつか。南門から伸びるアプローチはこんな感じ。



 このアプローチを平成知新館2階から見下ろしたところ。アプローチの延長線が、蓮華王院(三十三間堂)の東側の通り(さらにその東側には法住寺)に一直線につながっていく。この設計は、史跡に対するリスペクトが感じられて嬉しい。



 平成知新館の入口。東京国立博物館の法隆寺館に似すぎている、というのは置いといて、今回の工事によって、平成知新館の南側の壁面ラインから、豊臣秀吉が創建した方広寺の回廊の礎石跡が発見されたという。



 礎石の位置は、玄関の敷石の上、及び池の中にも、こんなふうに↓示されている。



 後白河法皇と豊臣秀吉か。美と壮麗を愛した二人の天下人の地霊に守られているんだから、京都国立博物館の立地って最高だな。

 最後に、ミュージアムショップで見つけた、新しいキャラクターの竹虎くん。光琳の『竹虎図』が元ネタだが、あまりにも安易でブサかわな出来上がりに涙して、うちに連れて帰ることにした。



 ちなみに竹虎くんが座っているのは室内の灯油タンクです(北海道ならでは)。
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2014年9月@西日本大旅行:京へのいざない(京博)その3

2014-09-26 00:05:24 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 平成知新館オープン記念展『京へのいざない』(2014年9月13日~11月16日)

 2階の5展示室だけで、そろそろ正午になってしまったので、南門のカフェで昼食と小休止。平成知新館の1階にもレストランができたが、混んでいたし、いかにも高級そうなので、今後、使う機会があるかどうかは微妙。食後は1階からまわることにする。

■1F-1室(彫刻)「京都の平安・鎌倉彫」

 細長い長方形の展示室。右から左へ。(8)までが露出展示。

(1)金剛力士立像 2躯 愛宕念仏寺
(2)如意輪観音半跏像 廬山寺
(3)阿弥陀如来坐像〈来迎印〉京都国立博物館  
(4)不動明王坐像 金剛寺
(5)大日如来坐像 金剛寺
(6)千手観音立像 光明寺
(7)千手観音立像 妙法院
(8)宝誌和尚立像 西往寺

 ここはかなり照明を暗く落としている。2階の廊下から(紗のようなカーテンを通して?)1階の彫刻(仏像)展示室を見下ろすと、個別にライトアップされた仏像の姿が美しい。正直、ちょっとやりすぎ感があるのだが。(2)や(8)は、以前の京博でもおなじみだった仏像。(4)(5)の巨像にはびっくりしたが、「大阪・金剛寺」の解説プレートを見て納得した。2011年の秋から奈良国立博物館で展示されている降三世明王坐像と三尊像をなす二躯らしい。不動明王坐像は、火焔の中に鳥の顔が見える光背がカッコいい。飛び出してこぼれ落ちそうな目玉が向かって右下を睨んでいる。牙は左右とも下向き。デカいが均整のとれた体躯。頭頂に蓮華の花のようなものを載せていてかわいい。作者の行快は快慶の弟子で、快慶の作風の影響を受けているという。(5)大日如来は金ピカ、ゴテゴテした光背。智拳印を結ぶ。正面よりは横顔がいい。金剛寺の金堂は治承の頃の建立で、八条院の祈願所だった。
 
(9)善導大師立像 知恩院
(10)良源(元三大師)坐像 正法寺
(11)千観坐像 愛宕念仏寺
(12)十一面観音立像 西念寺
(13)伝一鎮坐像 迎称寺
(14)源実朝坐像 大通寺

 展示室の左隅は「肖像彫刻」のミニ特集コーナーになっていて、(9)~(11)と(13)(14)が、それぞれ展示ケースに入って向きあっている。(11)千観坐像は黒ずんでいて怖い。どんづまりの(12)十一面観音立像は、普通の仏像展示。頭上面が大きくて、頭が重そうである。温顔。

(15)阿弥陀如来立像 知恩院
(16)阿弥陀如来立像 浄土宗(?)
(17)伝観音菩薩立像 清水寺
(18)観音菩薩跪坐像 地蔵院

 さらに通路側に単立の展示ケース4件があって、(15)と(16)、(17)と(18)は、それぞれ鎌倉時代と平安時代の作風を比べてみましょうという意図らしかった。出品リストとの照合がうまくいかない…。(15)は踏み割り蓮台に載って、かなり典型的な鎌倉っぽい阿弥陀如来立像だった。(※15と16は逆位置だった。10月再訪で確認)

■1F-2室(絵巻)「国宝絵巻の美」

 向かって右→正面→左の順に3件。

(1)餓鬼草紙 京都国立博物館
(2)法然上人絵伝 巻三 知恩院
(3)一遍聖絵 巻九 清浄光寺

 (1)は、ほぼ全画面を一気に広げた公開方法が珍しかった。(2)は稚児姿から出家するまで。秋景色の中に、鹿、猿、イノシシなどが描かれている。(3)も田畑や霧に霞む天王寺が美しい。聖の一行に従う病者たちの姿が好き。

■1F-3室(書跡)「古筆と手鑑」

 このへんからは気になった作品のみ紹介。展示室の右辺には、手鑑『藻塩草』をいっぱいに広げて展示。正面には「継色紙」「寸松庵色紙」「高野切第三種」などの軸物。左辺には『一品経和歌懐紙』(平安時代末期を代表する歌人や名筆たちが、法華経二十八品の一品ずつを首題として詠んだ和歌懐紙)を広げる。ただし、西行の『一品経和歌懐紙』だけは取り外して軸装されているため、正面に別展示。治承4年から寿永2年頃の作とあったから、西行晩年の手跡である。

 展示室の中央にも細長い展示ケースが設置されていて『藍紙本・万葉集』がたっぷり広げられていた。「藍紙本」は「藍で漉染めした料紙」だそうだが、実は薄い抹茶色なんだな。展示は巻九。物語歌(長歌)を集めた特異な性格の巻である。処女塚(おとめづか)や真間の手児奈の文字が目についた。

■1F-4室(染織)「小袖の美-みやこのモード」

■1F-5室(金工)「神秘の仏具」 

■1F-6室(漆工)「古神宝と仏の荘厳」

■3F-1室(陶磁)「京焼」

■3F-2室(考古)「金銀銅の考古遺宝」

 以前の京博の常設展示を思い出して、懐かしい品もあれば、おや、コレが博物館で見られるようになったのか、と驚くものもある。陶磁器は、当面「京焼」かあ。奥田頴川、青木木米、永樂保全など、比較的新しい時代のものが中心。もう少し古いものも見たい。

 まだ書くことがあるので、もう1回続く。
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2014年9月@西日本大旅行:京へのいざない(京博)その2

2014-09-25 00:07:33 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 平成知新館オープン記念展『京へのいざない』(2014年9月13日~11月16日)

■2F-2室(仏画)「浄土教信仰の名品」


(1)釈迦金棺出現図 京都国立博物館
(2)釈迦如来像(赤釈迦) 神護寺
(3)閻魔天曼荼羅 京都国立博物館
(4)六道図(譬喩経所説念仏功徳図、人道無常相)2幅 滋賀・聖衆来迎寺
(5)山越阿弥陀図 京都国立博物館
(6)阿弥陀二十五菩薩来迎図 奈良・興福院
(7)阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎) 知恩院
(8)阿弥陀二十五菩薩来迎図 2幅 浄福寺

 大々大好きな『釈迦金棺出現図』を久しぶりに見ることができてうれしい。しかし最近買った雑誌「日経おとなのOFF」2014年10月号の「秋の国宝展 絶対見逃せないランキングBEST25」という特集記事で、安村敏信先生がこの仏画について「まるで宝塚のフィナーレみたい」とコメントしているのを読んだおかげで、金棺から半身を起こした釈迦如来の後光が、作り物の孔雀の羽根にしか見えなくなってしまった。この格好で大階段を下りてきてほしい。

 「赤釈迦」は平安仏画(12世紀前半)唯一の如来独尊図だそうだ。美麗の極み。赤い衣は、斜めの交差線が作る格子模様になっていて、菱形の一つ一つに金の点が打たれている。何かに似ていると思ったら、若冲のタイル絵に似ている気がする。

 聖衆来迎寺の六道絵は、茫漠とした風景の中、必死に崖をよじのぼる人、波間に逆さに墜落した人、虚空を昇天していく人などが小さく描かれていて、最近、雑誌「芸術新潮」で見たヒエロニムス・ボスの『最後の審判』の図を思い出した。

 「早来迎」は往生者のもとに駆け付ける仏菩薩の列に、岩間を下る滝のような緩急をつけて、スピード感を強調しているように思う。画面中央付近で、見る者に背中を向けて片足を浮かせた菩薩の存在がポイント。上記の「日経おとなのOFF」で、山下裕二先生は「この図柄を車にペイントしてみたくなる」(どんなイタ車だw)とコメントしていた。スピード感がありすぎて、往生者の前で急停止できないんじゃないかと心配になる。

 色彩的には、奈良・興福院のパステルカラーの来迎図も好きだ。阿弥陀如来を中心とする主集団の隊列の前に進み出ている二菩薩がいて、ひとりは大和座り、もうひとりは片膝を立てている。髪飾りが美しく、よく見ると蓮華座の花弁も風になびいているようで、芸が細かい。

■2F-3室(中世絵画)「幽玄の美-山水画の世界-」


(1)瓢鮎図〔如拙筆〕退蔵院
(2)古寺春雲図 京都国立博物館
(3)湖山小景図〔松谿筆〕京都国立博物館
(4)舟行送別図 京都国立博物館
(5)放牛図〔文成外史筆〕京都国立博物館
(6)鍾秀斎図〔祥啓筆〕
(7)楼閣山水図〔拙宗(雪舟)筆〕京都国立博物館
(8)山水図〔雪舟筆〕
(9)天橋立図〔雪舟筆〕京都国立博物館
(10)楼閣山水図〔伝元信筆〕金地院

 (8)はあまり見た記憶がなかったが、雪舟の絶筆とされる作品。前景の幾何学的な岩山の造形、ベタッと無頓着な墨の塗り方が雪舟らしい。中景の松の木は、手前の二、三本だけがはっきり描かれていて、その背後に霞みながら奥へ松林が続いている(ようだ)。遠景には、ぼんやりと霞むばかりの連山の影。そして、広い虚空。よいなあ、好きだ。

■2F-4室(近世絵画)「京のにぎわい」


(1)祇園祭礼図屏風 6曲1双 京都国立博物館
(2)釈迦堂春景図屏風〔狩野松栄筆〕2曲1隻 京都国立博物館
(3)洛外名所遊楽図屏風〔狩野永徳筆〕4曲1双
(4)阿国歌舞伎図屏風 6曲1隻 京都国立博物館
(5)四条河原遊楽図屏風 2曲1隻
(6)舞踊図屏風 6曲1隻 京都市

 近世絵画は屏風絵特集。金雲+色彩が華やかだし、「祇園祭だ~今とおんなじじゃん!」「船鉾だ!」と喜んでいるお客さんが多かったのでよいことにしておくが、「近世絵画」はこれだけ? 後期のラインナップを見ても、若冲も蕭白も応挙も見当たらないってどおゆうこと!?と、かなり本気で私は憤っている。

■2F-5室(中国絵画)「宋元絵画と京都」 


(1)山水図〔李唐筆〕2幅 高桐院
(2)寒林帰樵図 京都国立博物館
(3)柘榴栗鼠図〔松田筆〕
(4)達磨図〔伝牧谿筆〕天龍寺
(5)五祖荷鋤図
(6)布袋図(眠り布袋)〔伝牧谿筆〕京都国立博物館
(7)遠浦帰帆図〔牧谿筆〕京都国立博物館
(8)幽篁枯木図 京都国立博物館(上野理一コレクション)
(9)草虫図 2幅 京都国立博物館
(10)牡丹図 2幅 高桐院
(11)岳陽楼図〔夏永筆〕 14世紀・元
(12)雪中行旅図 12世紀・南宋

 展示室に入って、うわ、李唐の『山水図』だ!と声が出そうになった。昨秋、高桐院の宝物風入れで見た印象深い作品である。今年も10月第2週は高桐院で展示されるのだろう、京博での展示は9/28までの予定となっている。なお展示リストには「山水図 附絹本墨画楊柳観音図一幅」のタイトルで掲載されているが、附(つけたり)の楊柳観音図はなくて、展示は山水図2幅のみ。向かって左が「滝と滝を眺める道士二人」、右が「松の木と荷物を担いだ旅人」の図様だった。この左右は、ときどき逆転して展示される(ようだ)。(10)の『牡丹図』2幅も高桐院に伝わるもので、やはり9/28までの展示。

 (3)松田の『柘榴栗鼠図』はなつかしい。3匹のリスが描かれていて、1匹はまさに枝に飛び移る瞬間。(4)伝牧谿筆の『達磨図』は、大きな耳輪をつけた達磨の横顔で、団子鼻、むき出しの歯など、キャラクター化が徹底している。(5)も(6)も、こんな汚い爺さんを描いて何が嬉しいのだろうと思うが、その精神の自由闊達さが面白い。(7)は薄墨の中に小さく霞む二艘の帆かけ船。手前の岸辺の木々が撓っているのは、雨まじりの風が強く吹き付けているからか。簡素な線と濃淡で豊かな詩情を表現している。(11)と(12)は団扇図。『雪中行旅図』は、積み荷を背負った馬か驢馬の列が小さく連なる。

 これで2階を終了。1階と3階はまた別稿とする。なお、あらさがしばかりで申し訳ないが、京博ホームページの「施設案内」からたどる「平成知新館(平常展示館)」のフロアマップだと、1階に特別展示室があることになっているのは正しくない。2F-1(絵巻)の展示室と入れ替わっている。いや、この混乱ぶりは、直前までいろいろ大変だったんだろうなと思うよ。
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2014年9月@西日本大旅行:京へのいざない(京博)その1

2014-09-24 00:46:31 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 平成知新館オープン記念展『京へのいざない』(2014年9月13日~11月16日)

 この飛び石連休は東京で遊んできたのだが、その報告は後にして、時計の針を先週に巻き戻す。三連休3日目(9/15)は朝から京博へ。開館10分後くらいというのに、どんどんお客さんが入っていくので、自然と私の足も速まる。南門を入ると、広いアプローチがまっすぐ伸びており、その先には左右に大きく広がる新しい常設展示館(平成知新館)の姿。「横に広がる威容」って古くから日本人の好む建築のひとつのパターンだと思う。三十三間堂とか宇治の平等院とか。

 オープン記念展の内容のすごさは雑誌などでチェック済みで、武者震いが抑えられないが、あくまで平常展なので料金は大人520円。私は年間パスポートの提示だけで入った。フロアマップをチェックし、1階から上るか最上階の3階から下るか迷った末、いちばん気になる2階の特別展示室に突入することにした。

 なお、会場には展示作品リストがない。2階の係員の方に聞いたら「1階のインフォメーションにあります」と言われたので、あとで貰いに行ったら「申し訳ありません。ご用意できませんでした」と言われて、京博のホームページにPDFファイルが掲載されていることを教えてくれた。残念ながら、展覧会図録もない。京博の名品図録(新版)は売っているが「寄託品等は載っておりません」とのこと。そうかー今回の特別出陳品は仕方ないとして、こういう場合、寄託品も掲載できないのかあ。

 ということで、のちのちの個人的楽しみのため、なるべく詳しい記録を残しておきたいと思う。

■特別展示室(肖像画)


(1)聖一国師像(圓爾弁円)万寿寺 13世紀
(2)道宣律師像 泉涌寺 13世紀
(3)元照律師像 泉涌寺 13世紀
(4)伝平重盛像 神護寺 13世紀
(5)鳥羽天皇像 満願寺 14世紀
(6)伝源頼朝像 神護寺 13世紀
(7)花園法皇像 妙心寺 14世紀
(8)〔後宇多天皇像 13世紀〕
(9)足利満詮像 養徳院 15世紀
(10)足利義持像 神護寺 15世紀

 展示室に入ってすぐ目につくのは、向かいの壁の左右に掛けられた神護寺三像の頼朝と重盛。ん?中央の白い衣の貴人は誰?と思って近づいてみたら鳥羽院だったのは驚いた。何しろ私は前日、讃岐の白峯寺に詣でて、気持ち的には崇徳院さんの御霊を背負って京都入りしていたので。京博・平成知新館に入って最初の対面が鳥羽の上皇さまだったというのは、長く忘れられない記憶になると思う。

 鳥羽天皇像は、熊野詣の途中に立ち寄ったとされる和歌山・満願寺に伝わるもので、堂々とした貫録の体躯に白い衣をまとい、袖に隠した右手には白い扇を垂らして持っている。いま調べてみたら、2012年12月に満願寺本堂が全焼したが「鎌倉時代の文化財『絹本著色鳥羽天皇像』を所蔵しているが、京都国立博物館に寄託しており、被害はなかった」という記事が出て来た。危ないところだったのね。ほッ。

 神護寺三像の説明をあらためて読む。文治4年(1188)後白河天皇の臨幸に向けて寺内に仙洞院が造立された際、近臣たちの肖像が備えられたという記録があり、その残りと見られているという。ぜんぜん関係ないのだが、乾隆帝の紫光閣の功臣百名の肖像を思い出してしまった。文治4年(1188)といえば、重盛はとうに故人なんだな。(とりあえず重盛、頼朝と思って眺めると)どこかぼんやりしたとっちゃん坊やの重盛に比べて、やっぱり頼朝のほうが切れ者顔をしている。

 右側の僧侶の肖像(1)~(3)は、いずれも見覚えがあった。聖一国師(圓爾弁円)像は、鋭い片目が印象的な図で、私はずっと、肖像画の経年劣化で、一方の目が描かれた箇所が擦り切れてしまったのだろうと思っていた。実は、国師が入宋の折、片目を失明されていたことを初めて知った。道宣律師像、元照律師像はペアで、穏やかな肖像である。

 左側は俗人(天皇・将軍)の肖像が、確か4件。「インターネットミュージアム」の取材レポートにも、この展示室をぐるりとカメラでなめまわす動画が上がっており、4件が確認できる。ところが、京博公式サイトに掲載されている出品一覧(PDFファイル)及び特別展示室の展示品リスト(※本日現在)を参照すると、作品数が足りないのだ。何故? (8)の位置の肖像、私の走り書きメモ(あとで作品リストと照合できればいいと思っていた)には「後うた・13C」とだけある。ええと「大覚寺殿」と墨書のあるこの肖像だったような気がするが…自信がない。

 前途に不安を覚えつつ、以下、後日。
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2014年9月@西日本大旅行:白峯寺(讃岐)参拝→京都

2014-09-19 22:47:57 | 行ったもの(美術館・見仏)
○四国第81番霊場 別格本山 綾松山 白峯寺(香川県坂出市)

 むかしから、なぜか上田秋成『雨月物語』の「白峯」が好きだった。物語の舞台がどこなのか、登場人物の崇徳院や西行法師が歴史上に実在した人物かどうかさえ分かっていない頃から、あの物語が好きだった。それに加えて、2012年の大河ドラマ『平清盛』に影響されたことも否めないが、より直接には、昨年、馬琴の『椿説弓張月』の現代語全訳を読んだことが、参拝のきっかけになった。

 (以下ネタばれ。)物語の最終章、琉球統一を成し遂げた為朝は神仙となって昇天する。その後のある日、讃岐国白峯で崇徳院の陵を守る小者達は、身長七尺あまりの武士が御廟の柱にもたれて切腹しているのを発見し、「名のある武士にちがいない」とあわれみ合う。これに泣けてしまって、どうしても今すぐ白峯寺に行ってみたくなったのだ。

 三連休の2日目(日曜日)の朝、愛媛県美術館で『四国へんろ展・愛媛編』を見たあと、特急「いしづち」で松山を後にした。坂出駅で下車し、タクシーを利用する。ものすごく標高の高い山の中腹までタクシーは上がっていく。白峯寺自体は、鬱蒼とした木立の奥に隠れていて、あまり眺望はよくないが、途中の車窓は絶景だった。

 山門前の駐車場で「帰りもタクシー使うのなら、メーター切って待ってるよ。参拝、30分くらいでしょ」と運転手さんがいうので、そうしてもらう。駅前に戻ってもお客は少なそうだった。



 1週間後の9/21(日)は崇徳天皇御正宸祭、しかも今年は「崇徳天皇850年御忌法要・開創1200年記念法要」が予定されているので、境内はその飾りつけで慌ただしげだった。正面の護摩堂に参拝して、三種の御朱印をいただいた。四国霊場81番の千手観音と、奥の院の毘沙門天、最後のひとつが崇徳院を祀る「頓証寺殿」の朱印で、墨書は「十一面観音」だと思われる。朱印を書いてくれたお坊さん(?)が唖然とするくらいこわもてで、読み方を聞けなかった。ついでにいうと、日付を入れてくれていないことにも気づいたが、何も言えなかった。ただし、ネットで画像検索してみると、四国霊場のご朱印には日付が入っていないものが多い。そういう習慣なのかしら。



 ↑崇徳院の御廟所「頓証寺殿」の勅額門。後小松天皇が「頓証寺」の勅額を奉納した。門の脇に、錆びた解説版が立っていて、「通例の寺院の門と異なり、保元の乱で上皇方の将として戦った源為義・為朝父子の像が随身として安置され保元の昔を偲ばせている」(坂出市教育委員会 昭和52年)と結ばれているが、残念ながら、源為義・為朝父子の像は現存しない(記念法要の日に開く宝物館にはあるのかも)。脳内で復元してみると楽しい。



 ↑頓証寺殿の清らかな参道。ここを為朝の霊魂の切腹の場と想像してみた。



 ↑頓証寺殿の本殿。向かって左(天狗のいる方)から「白峯大権現」「崇徳天皇」「十一面観音」の額を掲げる。十一面観音は崇徳院の御念持仏と伝える。天狗の石像は「当山鎮守相模坊大権現」とパンフレットに説明があった。



 ↑頓証寺殿の左奥にまわると、崇徳院御陵(白峯陵)の遥拝所になっている。木立の奥に見える柵の奥がたぶん御陵。

 このあと、本堂まで石段を登って、十二支守り本尊と七福神に詣でた。駐車場に戻るまで、タクシーの運転手さんが言った通り、だいたい30分強。「じゃ、行こうか」と気安い運転手さんに促されて、車が出発してすぐ、御陵の正面に出る参道の入口が見えた。しまった、こっちから近づけたんだ、と思ったが、あっという間に遠ざかってしまった。ううむ、ちょっと心残りである。

 坂出駅~白峯寺は、タクシーで片道3,300円くらい。決して安くはない。タクシーの運転手さんが、白峯寺より少し上に「かんぽの宿」があると言っていたので、調べたら、1日2便だが送迎バスを運行している。次回はここに泊まれば、徒歩10分ほど下って白峯寺に行けそうだ。坂出~岡山の「岡山ライナー」が、けっこう頻繁に往復していることも分かったし、再訪を期したい。

 この日は、岡山経由、京都泊。崇徳院さんにとっては千里の道よりも遠かったであろう京都に、その日のうちに到着し、ホテルを目指してたまたま乗った市バスが、京都大学熊野寮の前、つまり保元の乱で崇徳上皇方の拠点となった「白河北殿」の故地を通りかかったときは、感慨深いのを通り越して、ドキリとしてしまった。

 明日は京都国立博物館へ!
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