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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

終わりなきテロリズム/世界「最終」戦争論(内田樹、姜尚中)

2016-06-30 01:55:25 | 読んだもの(書籍)
○内田樹、姜尚中『世界「最終」戦争論:近代の終焉を超えて』(集英社新書) 集英社 2016.6

 この二人の本を読みなれている読者でも、新鮮な感じのする一冊ではないかと思う。私は、ずいぶん前から内田先生も姜先生も好きで、おふたりが同じ1950年生まれだということにも気づいていた。一緒のお仕事はないけど、そんなものかなと思っていたら、昨年、内田先生がツイッターで「姜尚中さんと対談します」とつぶやかれたので、おお、と思った。ついに来るべきものが、という感じ。

 内田先生も「あとがき」で同じようなことを述べている。姜尚中さんの仕事にずっと注目していたこと。なかなか会う機会がなかったけれど、会いたいと思っている人とは、いつか必ず会うべきときがくると思って心配していなかったこと。初対面から、すぐに話題の核心に踏み込んだこと。よそで話したことの反復ではなく、「これまで誰にも話したことがなかったこと」を喋り、相手から聞き出そうと思ったこと。いや実際、内田先生については、これまでの著書で読んだことのない話題がどんどん繰り出されるので驚いた。

 ただ、冒頭の姜先生による19世紀から20世紀の「世界史」の総括は、ちょっと長い。読みにくかったら、序章を飛ばして第1章から読み始めても、そんなに困らないと思う。要約すると、19世紀から20世紀の二百年間、「西欧」を土台とする近代は、国民国家体制の枠の中で展開してきた。しかし、1970年代から近代の普遍性が消耗し、今日では、自由・平等・博愛の国であったフランスでも移民の間に絶望や呪詛が蔓延し、衝撃的なテロ事件が起きている。この、終わりなきテロ=戦争が日常化した状態を世界「最終」戦争と呼んでみる。

 これを受けて、内田先生がフランスの政治と社会について語り、二人でアメリカを語り、ドイツ、イタリア、イギリスを語る。イギリスは相対的に「大人」の国で、「絶対に正しい解」ではなく「よりましな解」をプラグマティックに選択する、と評しているのは内田先生だが、この箇所を読んだ直後に、EU離脱を選択する国民投票の結果が出たのには呆然とした。国民性も変化するということなんだろうか?

 中東系の移民について、内田先生の洞察が面白かった。遊牧民は「砂漠では利己的にふるまうと生き延びることができない」と知っているから、生活資源は他者と共有するのが当たり前。幕屋を訪れた人は追い返さない。客人を歓待することは義務だと思っているから、異国に出ていくことにも抵抗がない(歓待されるはずだと思っている)。しかし、日本人は、異邦人は歓待されなくて当たり前と思っているから、たぶん難民化しないだろう。なるほどねえ。内田先生は、お能を例にあげて、旅人は必ず一度は宿を断られる。「異邦人を歓待するという文化習慣は日本の伝統にはなかったんじゃないか」という。ここは、歓待されて殺される「異人」(来訪神)の伝統を付け加えてほしかった。小松和彦先生的に。

 後半は主に日本がテーマとなる。冒頭で姜先生が長崎の軍艦島を見て来た話をする。炭坑の遺跡で、日本で最初につくられた鉄筋コンクリートの高層住宅が残っていると聞いて、あ、「ブラタモリ」で見た、と思い出した。しかし、日当たりのいい高層階には三菱のえらい職員が住み、階層順に部屋が割り当てられて、下のほうに中国人や朝鮮人労働者が押し込められていたというのを聞いて、暗い気持ちになった。

 さらに姜先生は、福島第一原発に入ったり、浪江で放射能に汚染された牛を飼い続けている牧場主に会ったりもしている。前半でもパリ郊外の移民が暮らすゲットーを訪ねたり、まあジャーナリズム同行の取材ではあるけど、書斎の人ではなく現場主義なんだなあということに驚く。近代の成長の陰に多くの「棄民」(国家から見捨てられた人々)があったこと、アメリカも中国も同じであることを確認し合う。

 もう経済成長をあきらめ、定常経済に移行するしかない、という点で二人の結論は一致するのだが、自民党の改憲草案は新自由主義経済礼讃を基調としている。ああ、そこなんだな。基本的人権を制限し、独裁を志向するのは、戦争をしたいわけじゃない。効率的なビジネスをしたいのだ。グローバル資本主義の中で勝ち続けることのできる国家をつくりたいのだ。しかしそれは、荒廃した国土と棄民をつくり続けることでしかない。つまり、現政権への有効なNOは、「戦争は望まない」ではなく「成長は望まない」であるべきなのだが、これは広汎な共感を得るのはとても難しそうだ。

 希望は、グローバリズムを牽引するアメリカの失速が、必ず起きるだろうという予測。しかし日本の将来は不透明である。七十年の平和に飽きた人々が、体制の変化、あるいは潜在的な破壊願望を持っている。こうした破壊願望は人間の常で、歴史上、何度も繰り返されてきたものだが、あまりいい結果を見たことはないという。レジームの受益者であるはずの人々が「もう飽き飽きした」と言い出す、人間の不思議。せめて良識を維持している人間にできることは、坂を転がり落ちるスピードを減速させることくらいかもしれない。
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日常から始まる/民主主義は止まらない(SEALDs)

2016-06-28 22:38:32 | 読んだもの(書籍)
○SEALDs『民主主義は止まらない』 河出書房新社 2016.6

 参議院選挙が公示され、期日前投票も始まった。このところ、投票前に読んでおこうと思った本を集中的に読んでいるので、できるだけ現時点の感想と内容紹介を書いておく。本書はSEALDsとその周辺の人々が「民主主義」について語る言葉を集めたもの。小熊英二さんとSEALDsメンバー、内田樹さんとSEALDs KANSAIメンバーの対談2本がかなりの分量を占め、あとは若者たちによる、さまざまなスタイルの文章が収められている。「野党共闘」とは何か、具体的に「選挙活動」とは何ができるのか。日常生活で目撃した家族の風景であったり、哲学的な問いかけであったり、創作ふうであったり。東アジアの若者の政治行動や、アメリカで見た選挙や、2016年4月の北海道の衆議院補欠選挙のルポルタージュもある。(プロの編集者の手が入っているのだろうけど)どれも読みやすく、バラエティに富んでいて面白い。

 はじめの「社会は変えられる」と題した対談は、社会学者の小熊英二さんとSEALDsの諏訪原健さん、本間信和さん、溝井萌子さんによる(複数人だけど「対談」というのは本書の用語)。諏訪原さんと溝井さんは、SNSなどで知っていたが、本間さんの名前は初めて知った。高校では奥田愛基さんの後輩で、大学では諏訪原さんの後輩なのだそうだ。このように個人の属性をはっきりさせた上で、その発言を聞くという小熊さんの(そして彼らの運動の)スタイルが私は気に入っている。

 小熊さんが「やっぱり皆さんは仲がいいの?」と聞いて、彼らが「いいですよ」と答える箇所がある。飲みに行ったり、一緒に遊んだりもすると聞いて、小熊さんが「反原連の人たちはそういうことをしない」とやけに面白がっている。学生だから、時間が自由になるから、というのもあるのだろうけど、小熊さんのいうとおり、古いタイプの「社会運動」のイメージを、さらっと裏切っている感じがする。彼らが、そもそも国家権力にもの申したいと思っている大人たちから「行け、行け!」と後押しされて戸惑っているところとか、小熊さんに、安保法案が通ったら「白虎隊みたいに国会前で切腹すると思っていた、という人もいると思いますよ」と言われて、「マジっすか!」と驚くところなど、等身大の今の若者が見えて面白い。

 私は、反自民の立場だけれど、古い運動家タイプのおじさん・おばさんが、かなり面倒くさいということはよく分かる。でもその私から見ても、彼らの自由で自然体な運動のかたちは、彼らの母親世代である私の予想や発想をはるかに超えていて、新鮮である。
 
 内田樹さんと対談しているSEALDs KANSAIの大野至さん、塩田潤さん、寺田ともかさんのことは初めて認識した。反原発デモとかSASPLの特定秘密保護法に反対するデモとか、国会前の盛り上がりを見ながら、「東京だけじゃなくて、関西でもこういう運動をやらなくちゃいけない」と思ったこと、東京へのライバル意識、それから関西独特の歴史や社会背景、具体的に言えば、根強い被差別問題などが語られている。

 関西市民連合を立ち上げるために、各種運動団体の間の調整役を担ったのも彼らだという。どこそこの労働組合は何党系だとか、あっちの組織とこっちの団体は仲が悪いとか、要するに硬直した旧体制を、彼ら若者が解きほぐしたということだ。たぶん全国で同じようなことが行われたのだろう。そして、運動用語で喋ることしかできなかった政治家の言葉が、少しずつ、市民の使うやわらかい日常語に変わって来たという話に感銘を受けた。いま民主主義のために必要なことは、政治の言葉をリアルな日常に着地させることではないか、と私は思っている。

 以下余談。本書を読み終えた数日後、「安保法制に反対する筑波大学有志の会」による「ドキュメンタリー映画『わたしの自由について-SEALDs 2015-』上映会」が大学内で開催された。映画は見られなかったが、そのあとのディスカッションパートを聞きに行き、諏訪原さん、本間さんの話を聞いた。参加者は市民の方が多かったが、同世代の学生から多数の質問が出て、打ち解けたトークが面白かった。私が印象的だったのは「台湾のひまわり革命みたいに国会を占拠する気持ちはなかったか?」と聞かれて、たぶん社会の段階が違う、いまの日本ではそういう行動に意味がない、という趣旨の答えをしていたこと。日本の70年代の闘争のスタイルは知らなかった、運動を始めて、あとから知った、という発言にも、そうか、知らなかったのかと驚きながら、納得した。彼らは古い「運動家」とは全く無縁なんだなあ、とあらためて思った。

 諏訪原さんは「文化を変えていきたい」とも言っていた。政治は、特別な職業、非日常のイベントではなくて、大学行ったり会社に行ったりする生活の中に、映画やデートや美味しい食事と同じ会話の中にあるもの。そういう風通しのいい社会をつくるために、まず今回の選挙の一票から。
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アイスショー"Fantasy on Ice 2016 長野"

2016-06-27 23:18:16 | 行ったもの2(講演・公演)
Fantasy on Ice 2016 in 長野(2016年6月25日14:00~)

 アイスショーFaOI(ファンタジー・オン・アイス)、今年の最後の開催地である長野に行ってきた。茨城の自宅を朝9時前に出て、長野駅に11時半頃着。公演会場のビッグハットまでは、シャトルバスで運んでもらった。初体験の会場だったが、列の間がゆったりしていること、高低差があって前列の人の頭が邪魔にならないこと、音がいいことなど、全般的に好感を持った。席はSS席で、幕張より、かなりリンクに近かった。同じプログラムを見ても、幕張では全体を俯瞰する感じだったが、長野では、同じ平面で見ている感じがした。

 出演者は、織田信成、安藤美姫、鈴木明子、宮原知子。海外から、フェルナンデス、ランビエル、バトル、ウィアー、クーリック、ジュベール。フィリップ・キャンデロロはドクターストップを無視しての出演だったが、さすがに大技は封印していた。ペアのタチアナ・ボロソジャル&マキシム・トランコフ、アイスダンスのアンナ・カッペリーニ&ルカ・ラノッテ。エアリアルはいつものチェスナ夫妻と、フープ(輪)を使うマリーピエール・ルレ。あと、いつものアクロバット。

 幕張でキラキラしていた日本人若手女子3人組が不在の代わりに、1998年、長野オリンピックのメダリスト、キャンデロロとクーリックが加わるなど、大人の雰囲気が濃かった。アーティストも同様で、CHEMISTRYの川畑要さん、三味線の吉田兄弟、オペラ・シンガーの鈴木慶江さん、そして全公演に出演したピアニストの福間洸太朗さんという顔ぶれ。

 オープニングは、いつもの音楽で始まり、まだスケーターが氷上に残っている状態で暗転、と思ったら、すかさず舞台に吉田兄弟が登場し、軽快な三味線の演奏(rising)に乗って群舞が続く。全員でくるくる円を描くところが好き。中心はもちろんランビエール。黒と金に赤や紫を配した「お祭り」衣装もみんな似合っていた。このあと、吉田兄弟は織田くんと「Storm」、フェルナンデスとオリジナル曲「バルセロナ」でもコラボ。この企画は今年の殊勲賞ものだと思う。

 ボロソジャル&トランコフの「ボリウッド」は、2014年のFaOIでジョニーが使ったインド風の曲。カッペリーニ&ラノッテのコミカルなタンゴ(アンナさんの扮装w)も楽しかった。日本人も、ペアやアイスダンスで世界に愛されるスケーターがもっと出ないかなあ。

 後半冒頭に登場した宮原知子ちゃんは、ランビエール振付の新エキシ「ヘルナンドスハイダウェイ」。氷上の照明が明るくなると、地味な衣装のランビエールを従えて立っていたので、ヘンな声が出そうになった。口紅を仕舞ったバッグを渡されると、無言でランビエールは去っていく。身体の使い方がやわらかくて、大人っぽく色っぽいプロ。新境地を開く、いいプロをもらったなあ~と思った。

 ジョニー・ウィアーは幕張と同じ2プロ。赤衣装のビヨンセメドレーは会場大盛り上がり。日本の観客に愛されてるなあと思った。ジュベールは前半が川畑要さんとの軽やかでイケメンなコラボ。後半は、2015年のパリ同時多発テロに捧げる怒りと悲しみの追悼プロ。実は開演前に買ったプログラムで、赤く汚れたTシャツ、ぼろぼろのシャツ姿の写真を見て、なんだこの衣装は?と苦笑していたら、こういうことだった。途中、銃撃を思わせる赤い閃光の演出や、苦悶する演技もある。アイスショーも芸術だから、こういう社会的あるいは政治的メッセージが入り込むことに何ら不思議はない。素晴らしいものを見せてもらった。

 しかし、何と言っても圧巻はステファン・ランビエール。前半は幕張と同じ「Take me to church」。後半は、直前がフェルナンデスの「マラゲーニャ」、もうひとつ前が安藤美姫の同じ曲「マラゲーニャ」だったのだが、二人とも最後を失敗して、苦笑いしながらの退場だった。その直後に公演の大トリで登場。神戸公演の情報で、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」を、福間洸太朗さんのピアノ生演奏で滑るということは聞いていたのだが、いったいどんなプログラムになるのか、たちまち緊張が高まる。

 そして、すごいものを見せてもらった。スケートとしてどうなのかよく分からないが、何度も止まりながら、ためらいがちに前に進んでいく、その止まり方と、再び動き出すときの所作の(身体の)美しさがたまらなかった。スピンとかジャンプとか、部分的な「技」に拍手するのを忘れて、美しさに酔い続けた。でも、最後のジャンプが決まったとき、小さくガッツポーズをしてたけど。クライマックスは、氷上に倒れて、暗転。その横たわる影さえ美しかった。フィナーレの一芸大会でも連日4Tを跳ぶなど、調子がよさそうで嬉しかった。ぜひ来年もまた、ランビエール&福間さんのコラボが見たい。どんどん期待が高くなっていくけど、お二人ならそれを難なくクリアしてくれそう。

 来年は、羽生くんにも戻ってきてほしい(長野会場ではビデオメッセージあり)。海外のレジェンドスケーターが中心となる大人のアイスショーもいいけど、現役選手が中心となるショーも華やかでいいのだ。
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信州松代・真田大博覧会2016

2016-06-26 23:57:44 | 行ったもの(美術館・見仏)
長野に行ってきた。土曜日に長野ビッグハットで行われたアイスショーを見るのが主目的で、日帰りもできたのだが、1泊して観光してきた。まず、朝から善光寺さんにお参り。公開されていた山門にも登る。



長野駅からバスで松代へ。終点・松代駅で下りると、だいたいみんな真田宝物館方面に流れていくので、ひとり方向を変えて、真田家の菩提寺で、初代松代藩主・真田信之の墓があるという長国寺に行ってみることにする。住宅街の外れに現れた本堂の威容。あとで説明を聞いたら、屋根のしゃちほこは松代城の城門に使われていたもの(明治時代に移設)だそうだ。逆光のシルエットが、真田幸村の鹿角の兜みたいだと思った。



「拝観受付」とある建物を訪ねると「御霊屋、墓所拝観300円」「御霊屋特別拝観500円」という札が出ていた。せっかくなので特別拝観をお願いして合計800円払うと、受付にいたおじさんが昔風の大きな鍵(稲荷社のキツネが咥えているような)を持って「行きましょう」と案内してくれる。本堂の左裏から墓園に入る。一般の新しい墓の間を抜けていくと、木立の中に二棟の御霊屋が建っていた。



正面の扉の下のほうに小さな穴があって、そこに鍵を入れて「あれ?ん??」とか言いながら、ごそごそやって、扉を開けてくれた。内陣の正面に仏像、その左右に真田信之と小松姫の位碑が安置されている。金一色で、あまり装飾の目立たない位牌だった。内陣の天井には花の絵が描かれているということだが見えず。外陣の格天井には、鶏・鶴など、さまざまな鳥の絵が描かれていた(でも虎もいたような)。

堅牢に見えるので、近代の修造かと思ったら「いやいや江戸時代のものです。この鍵も当時のものですよ」とのこと。国指定重要文化財である。隣に三代藩主の御霊屋もあるが、こちらは装飾の点ではだいぶ格が落ちる。

さらに奥に進むと、目隠しの壁に囲まれた真田家墓所の入口がある。参道の左右には、歴代藩主と早世した子供たちの墓(宝篋印塔)が並んでいる。ただし「藩主夫人のお墓はここにありません。江戸にあります」とのこと。参道のどんづまりの左側にあるのが信之の墓。初代藩主として神格化されたため、のちに鳥居(!)が建てられたそうだ。あまりにも形のしっかりした宝篋印塔だったので「(疑いながら)当時のものですか?」と聞いたら「そうです」と言いつつ、補修の跡を教えてくれた。欠けたり崩れたりした部分は、漆喰(?)のようなもので埋めて形を整えているのだった。



「ほかと形の違う石碑があるでしょう?」と言われて、振り返ると、狭い参道を挟んで信之の墓と向き合う位置に、平たい石碑が建っている。足元の小さな木札に「真田幸村様 真田大助様」の文字。石碑の表面には、両者の戒名と命日が刻まれていた。幸村(信繁)の戒名は「大光院殿月山傳心大居士」、信繁の息子である大助(幸昌)は「頤神院殿直入全孝大居士」というのだな。

「幕府は、敵方であった幸村・大助の墓をつくることを許さなかったので、このような供養碑を建てたのです」とのこと。でも兄弟向き合って(しかも会話ができそうなくらい距離が近い)今日に伝えられているのは微笑ましい。



さらに宝篋印塔の列の真ん中あたりに(幸村供養碑の列)もうひとつ、のっぺりした石碑があって、これはなんと「信綱公 幸隆公 昌幸公」の供養碑だった。昌幸パパのみならず、信綱おじさん、おじいちゃんの一徳斎幸隆公まで、真田一族は一蓮托生なのだなあ。碑面の昌幸の戒名は「長國寺殿一翁千雪大居士」とある。昌幸の戒名は「長谷寺殿」という表記もあるが、もともと上田に真田家の菩提寺として長谷寺(ちょうこくじ)があったものを、松代に移転して(上田市真田町の長谷寺も現存)「長國寺」と改めたので、このように刻まれているのだろう。



私が案内のおじさんと話していると、次のグループが別のおじさんに引率されてきた。「やっぱり今年は多いですか?」と聞いたら「例年の三倍くらい」とのこと。引き返す道で、この長国寺は曹洞宗の修行道場で、海外からも修行者を受け入れているという話をうかがった。「今の時期は少ないですけど。海外では夏の休暇が1ヶ月くらいあるらしくて、それを利用して滞在するんですよ」とも。長国寺のホームページの「安居者の受け入れについて」を読むと面白い。

それから、真田宝物館で特別企画展『戦国の絆』(2016年1月17日~12月12日)を見る。観光バスで運ばれてきたお客さんが、続々と入っていく。展示の内容は文書主体でちょっと地味かも。しかし、私はだんだんこの時代の文書に馴染んできた。観光客向けには、隣りの真田邸でやっている『真田丸』関連展示のほうが楽しめるだろう。出演者の色紙は、サインの横の「ひとこと」に個性が出ていて、面白かった。内野さん「見てね」って(笑)。小道具の刀剣とか漆器とか、実によくできている。

文武学校(松代藩校)を見て、松代城(海津城)跡へ。前回、ここに来たのは『風林火山』が放映された2007年で、「風林火山」の旗がたくさん翻っていたのを覚えている。今年は「真田大博覧会」の旗(裏返ってしまった)。そして、前回は11月に来たので、とにかく寒かったなあ…。



2007年当時、松代駅はまだ鉄道の駅だった。調べたら、2012年4月、屋代線廃止により廃駅となっている。今でも駅舎は路線バスの拠点と観光センターとして使われていて、北海道の廃駅を思い出した。こういう駅の再利用は、これから全国で増えていくのだろうか。


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理非と淋しさ/私の個人主義(夏目漱石)

2016-06-24 23:09:16 | 読んだもの(書籍)
○夏目漱石『私の個人主義』(講談社学術文庫) 講談社 1978.11

 1ヶ月前くらい前、SNSで「行き過ぎた個人主義」という言葉を見かけた。戦後民主主義を否定して、憲法改正をもくろむ現政権とその支持者に近いあたりから出た言葉らしいが、明確な出典はよく分からなかった(舛添知事を追及する自民党都議が使っていたことは確認)。考えてみると、復古的な主張をする人々が、かなり前から使っていた表現かもしれない。

 その言葉を見たときから、漱石の「私の個人主義」(大正3/1914年)を読み返したくなった。高校の現国の授業で(一部を?)読んだ記憶がある。その後、全文を読みたいと思って買ったのも、この学術文庫版だった。本書には、標題に加えて「道楽と職業」「現代日本の開化」「中味と形式」「文芸と道徳」の5本の講演が収められている。40年ぶりに読み返してみると、以前と同じ感銘を受けるところもあれば、少し違った感想を抱いたところもあった。

 たとえば「現代日本の開化」では、明治日本の開化は「外発的」で「皮相上滑り」であって、地に足をつけず、ぴょいぴょい飛んで行くようなものだと説かれている。これを私が初めて読んだ1970年代の日本は、高度経済成長の名残りで、やっぱり「ぴょいぴょい飛んで行く」ような変化の時代だったから、明治の慌ただしさが十分想像できた。ところが、いまや日本社会は、すっかり成長に減速がかかっている。これではいけないと考える人もいるようだが、私はむしろ、ようやく近代日本が腰を落ち着けて「内発的開化」に取り組む時代が来たと思うと、少しほっとしている。低成長万々歳ではないかと思う。

 本書収録の講演の4本は、明治44年(1911)大阪朝日新聞社が企画した関西での連続講演である。最後の「私の個人主義」だけは、学習院で生徒たちに向かって喋ったものだ。漱石は半生を振り返っていう。自分はこの世に生まれた以上、何かしなければならないと思って文学に志し、留学先でも文学について考え続けた。その結果、文学とは何かという概念を根本的に自分で作り上げなければ、ついに不安を逃れられないことを悟る。人真似や受売の「他人本位」から「自己本位」への転換である。他人の人真似で安心が得られる人はよい。そうでない人は、苦しくても自分の鉱脈を掘り当てるまで、どんどん進んでいかなければならない。これが第一の要点。

 自分がそのように個性の発展を許されるならば、他人の個性も尊重すべきである。自由の背後には義務がなくてはならない。これが第二の要点。ただし漱石は、学習院という場所がら、将来、金力や権力によって他人の自由を妨害し得る上流階級の子弟が多いためにこう言ったのである。「義務の附着しておらない権力というものが世の中にあろうはずがない」は、昨今、気楽に発せられる「権利には義務が伴う」という俗論とは大きく隔たっている。

 自分の自由を愛するとともに他人の自由を尊ぶという観念が行き届いた国として、漱石はイギリスを挙げる(私はイギリスを好かないのです、と注釈をつけながら)。義務の観念を離れない程度に自由を愛すること。それを漱石は個人主義と呼ぶ。

 私が大事だと思うのは、「党派心がなくって理非のある主義なのです」という説明。「朋友を結び団縁を作って、権力や金力のために盲動しない」とも説いている。権力や金力を持ち出されれば、それが好ましくないことは納得しやすい。だが、党派心というのは、必ずしも権力や金力によって起こるものではない。たとえば、漱石が朝日新聞の文芸欄を担当していたとき、三宅雪嶺の悪口(批判)を載せたことがあった。すると雪嶺の子分というか同人たちが、怒って取消を申し込んできた。漱石は、雪嶺と同人たちの関係を「時代遅れ」で「封建時代の人間の団隊のよう」と評しながら、その強い紐帯をどこか羨んでいるフシがある。羨むは言い過ぎにしても、自分と門人たちの、近代的で淡泊な人間関係に引き比べて「一種の淋しさ」を感じたことを告白している。

 この機微は、高校生の頃はよく分からなかった。「槇雑木(まきざっぽう)でも束になっていれば心丈夫ですから」というのをヘンな表現だと思ったことは覚えているが、いま読むと、漱石の絶望や自嘲が込められているように思える。理非に立脚する個人主義には淋しさがつきまとう。それは宿命なのだが、集団主義に付け込まれやすいのはこの点だと思う。

 さらに漱石は、個人主義が国家主義と対立するものではない、という説明を展開している。私共は国家主義でもあり、世界主義でもあり、個人主義でもあるのです等、全体に言い訳がましい論調だなと思って読んでいたら、「国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える」という大胆な発言に出会って、にやりとしてしまった。そうそう、徳義心の高い者に、国家主義は耐えがたいのだ。やっぱり、どこまでも個人主義で行くべきである。
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体験的〈愛国〉論/〈愛国心〉に気をつけろ!(鈴木邦男)

2016-06-21 22:51:59 | 読んだもの(書籍)
○鈴木邦男『〈愛国心〉に気をつけろ!』(岩波ブックレット) 岩波書店 2016.6

 高校生の頃から〈愛国心〉に目覚め、50年以上も「愛国運動」をやってきて、そのために逮捕されたこともある著者が、近年の排外的な〈愛国心〉と自由のない改憲論を真っ向から批判したエッセイ。

 私は、ずいぶん前から論客としての鈴木邦男さんが好きで、札幌に住んでいたときは、連続企画「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」にも何度か出かけた。政治学者の山口二郎さんや中島岳志さんと話したり、元オウム真理教幹部の上祐史浩氏と話したり、懐の深い人だなあと感じた。元来「右翼」をやっていたことを、忘れたわけではなかったけれど、最近、話題の『日本会議の研究』で鈴木さんの名前を見たときは、驚かなくてもいいのに驚いてしまった。

 本書には、その頃(「生長の家」学生道場時代)の回想も詳しく語られている。著者が道場に入った1963年、「生長の家」創設者である谷口雅春先生は「革命が起きたら、日本の伝統・文化は否定される。天皇制も否定される」と述べ、「君たちは国家を守るために立ち上がるべきだ」と説いていた。この感覚は、私にはよく分からないものである。左翼は革命の実現を信じ、少数派の右翼は、中国やソ連による日本侵略を本気で恐れていたと聞くのだが…。

 谷口先生の教えを信奉する著者は、日本国憲法を諸悪の根源と考えて「改憲」もしくは「明治憲法の復元」を主張し、行動していた。スローガンのもとに終結した運動は、気持ちのよい一体感、高揚感を生み出す。しかし集団は暴走する。「右翼の運動だけでなく、左翼にも、また市民運動にも、そうした危険性はひそんでいる」という著者の分析は冷徹で正確だ。

 著者は改憲派だったが、『朝まで生テレビ』での論争を契機に憲法について考えるようになる。著者は40代後半くらいか。あらためて読んでみると、スローガンで凝り固まっていたときは見えなかった、日本国憲法の良さにも気づいたという。この正直さが著者のいいところ。そして、憲法起草にかかわったベアテ・シロタ・ゴードンさんに会い、「女子大生が大学のレポートを書くような気分で書いたんじゃないか」と「不愉快」に思いながら、二度三度と話を聞きに行く。ここで「不愉快」な存在をシャットアウトしないのが、鈴木さんて面白い。そして、とうとうベアテさん(とアメリカ人たち)が憲法草案に込めた夢と理想に打たれ、さらに憲法学者の小林節さんの影響も受けて、考えを改める。

 「実は改憲派」だという小林節さんの主張がどのようなものなのか、私はよく知らなかったので、ずっと警戒を抱いていたのだが、本書に紹介されている小林さんの「日本国憲法への改憲提案」は、非常に納得のいくものだった。全面賛成でないにしても、日本をよくするための議論の叩き台になる提案だ。これを見た自民党の政治家たちが、小林さんを改憲派の憲法学者として重宝していたというのは、全く意味が分からない。この「改憲案」と自民党案の、根本的な差異も目に入らないのだろうか。

 2015年、韓国のソウル大学に「右翼」として招かれて講演した体験も語られている。大学の学生たちも、街で出会った人たちも友好的だった。書店には日本の小説家の翻訳本がたくさんあったが、「反日」本は全くなかった。いまさら日本の侵略、帝国主義を批判しても「みんな知っているから」誰も読みません、という説明に笑ってしまった。

 最後に、三島由紀夫が〈愛国心〉について語った言葉がいくつか紹介されている。出典は、1968年1月8日付けの朝日新聞夕刊の記事「愛国心-官製のいやなことば」。この標題が全てを表している。著者は、三島の意図を解説して「三島は右翼が嫌いだったのだ。自らの〈愛国心〉だけを認め、それを押しつけようとする姿勢が嫌だったのだ」と述べる。「自らの〈愛国心〉だけを認め、それを押しつけようとする姿勢」は、今の「政府」あるいは「政権」の振舞いでもある。

 〈愛国心〉に気をつけろ!〈愛国心〉を汚れた義務にしてはならない、という著者の真剣な呼びかけが、今の日本に暮らす多くの人々の耳に届いてほしい。拍手と歓声を浴びる「体制」側ではなく、むしろ「国賊」「売国奴」という罵倒に甘んじる人々の中にこそ、真の愛国者はいると思っている。
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伴大納言絵巻は下巻/江戸絵画の華やぎ(出光美術館)

2016-06-20 22:51:46 | 行ったもの(美術館・見仏)
出光美術館 開館50周年記念展『美の祝典III-江戸絵画の華やぎ』(2016年6月17日~7月18日)

 開館50周年記念展の第三部。出光美術館の江戸絵画と聞いて、私が最初にイメージしたのは浮世絵だった。冒頭には、歌麿、北斎などの華麗な肉筆浮世絵が並ぶ。北斎の『春秋二美人図』は、現実離れしたスタイルのよさ(小顔・長身)で、左右にふくらませた髪形、女性らしさを強調する裾広がりのシルエットなど「萌えキャラ」要素がたっぷりで、見とれた。

 続いて、桃山~江戸初期の屏風。『祇園祭礼図屏風』(慶長期初め)は祇園祭を描いた最古の作品。画面を左右に横断する烏丸通。斜交いに交差するのが、三条、四条、五条通という解説を読んで、なるほどと思う。美々しい母衣を背負った武者行列がまるでカーニバル。『南蛮屏風』(桃山時代)は、往来を歩いているのが南蛮人ばかりで、日本人がほとんど描かれていないのが面白い。異様に背の高い、てるてる坊主みたいな伴天連坊主の姿もある。二条城の描かれた『洛中洛外図屏風』(江戸初期)は、人物が小さく動きが少ないので、牧歌的というか童画的。

 第2室に進むと、ぱあっと華やかで賑やかな『江戸名所図屏風』だ! やや寸詰まりではあるけれど、個性的で表情のはっきりした人々が、肩をぶつけあうようにびっしり描き込まれている。黒田日出男先生の『江戸名所図屏風を読む』によれば、下がり藤の家紋をつけた船に注目するのだった。船上の男の視線の先の武家屋敷が向井将監邸だな、というところまでは思い出したが、「若衆歌舞伎」や「浅草三十三間堂」などの注目ポイントはすっかり忘れていた。いま、自分の読書メモと図録を見比べている。

 さて、『伴大納言絵巻』下巻に進もう。短い詞書に続いて、京の下町。舎人が役人たちに連行されていく。なすすべもなく見送る妻。隣家の出納夫婦も様子をうかがっている。物語の展開として上手いと思うのは、怪しまれて引っ立てられていくのが、伴大納言家の出納ではなく、舎人のほうであること。人々に妄言をふりまくのはけしからん、というお咎めを受けたのだろうと思うが、なぜか舎人の証言が真実と認められ、逆に伴大納言に逮捕状が下る。武装した検非違使庁の役人たちが集結し、大納言邸に向かう。兜の鍬形や鎧の鋲(?)が金色に輝いている。ねじり棒のような長い杖(鉾)をかついでいるのは放免だろう。人を乗せた馬が二頭、お尻を読者に向けている。この画家は、馬や人物の「後姿を描く」ことが、よほど好きだったに違いない。

 場面転換すると、ひとり悄然と逮捕の知らせをひとり聞く老家司。続いて、大納言邸の中で、嘆き悲しむ女たち。この、集団→孤→集団という緩急のつけかたも上手い。下巻は、紅葉した木々などの自然描写も、効果的な場面転換に使われている。最後は、八葉車(車輪が大きいなあ)に乗せられ、連行されていく伴大納言。その表情は見えない。車のまわりを囲んだ人々は、たぶん上中下巻を通じて随一というくらい、悪い人相に描かれている。これで、めでたしめでたしなのか、どうなのか。いや、制作者の後白河院と同時代の人々は、こののち伴義男が強力な怨霊になったことを知っているのだから、八葉車の中の伴大納言は憤怒の表情なのかもしれない。

 会場後半は琳派を中心に。光琳、宗達、抱一、其一。酒井抱一の『紅白梅図屏風』はいいなあ。銀地の六曲一双。右隻「紅梅」、左隻「白梅」を直行する角度で置いてあった。特に「白梅」の、身をよじりながら画面の奥に逃げていくような曲線は、女性そのもののように色っぽい。

 抱一の『風神雷神図屏風』二曲一双は、立ち位置によって印象が変わるのが面白くて、作品の前を何度も行ったり来たりしてみた。私は雷神寄りから眺めた状態が好き。『八ッ橋図屏風』もそんなふうに歩きながら楽しんだ。もしかすると、尾形乾山の絵変わり皿四枚を色紙のように立てて、四台の展示ケースに並べたのも、屏風のように楽しんでくださいという遊びではないかと思った。また、使用しない展示ケースに風神雷神の和紙の切り絵を貼って、間接照明として使っていたのも面白かった。
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邸宅美術館の名残り/バロン住友の美的生活(泉屋博古館分館)

2016-06-19 23:15:20 | 行ったもの(美術館・見仏)
泉屋博古館分館 住友春翠生誕150年記念特別展『バロン住友の美的生活-美の夢は終わらない。』第2部「数寄者住友春翠-和の美を愉しむ」(前期:2016年6月4日~7月3日)

 住友春翠(15代当主友純、1865-1926)の生誕150年を記念する特別展。第1部『バロン住友春翠-邸宅美術館の夢』は見逃してしまったが、第2部は春翠の蒐集した美術品が展示されるので、いそいそと行ってきた。私は京都の泉屋博古館のコレクションが、とても好きなのである。

 会場には、第1部『邸宅美術館の夢』の名残なのだろうか、春翠の邸宅に関する資料もたくさん展示されていて興味深かった。大阪・茶臼山に構えた本邸は、今の大阪市立美術館正面の急階段の下のあたりにあった。今も慶沢園という日本庭園が残っている。あそこか!と思ったが、実は階段下には下りたことがない。須磨の海岸に面した別邸は、瀟洒なビクトリアン・コロニアル様式で、精密なパノラマ模型が展示されていた。驚いたのは、寝室に黒田清輝の『昔がたり』、その隣りの化粧室(パウダールーム)に『朝妝(ちょうしょう)』が飾られていたこと。どちらも1945年6月5日の神戸大空襲で焼失してしまうのか~。

 さらに驚いたのは、英国王子コンノート公(ビクトリア女王の三男)が大正7年(1918)に須磨別邸を訪れたときの映像が、イギリスの帝国戦争博物館(IWM)で見つかっており、会場で上映されている。画面を横切る住友春翠の姿もある! 当初、展覧会のタイトルが「バロン住友」ってカッコつけすぎだと思ったが、このフィルムの「The Prince with Baron Sumitomo ...」なんとかから思いついたのなら許してもいい。フィルムには、腰蓑をつけて地引網を引く人々も映っていて、日本人ってこんな格好をしていたんだ、と興味深かった。

 美術品では、木島桜谷(このしまおうこく)の『柳桜図屏風』と『燕子花図屏風』が目を引いた。特に前者が好きだ。輝く金地の六曲一双。右隻はふんわりと芽吹いた柳。左隻は遠近二本の桜が描かれ、両者がなんとなく重なっている。自然と「やなぎさくらをこきまぜて」と古歌をつぶやきたくなる。調べたら、漱石が「屏風にするよりも写真屋の背景にした方が適当な絵である」と酷評したことがある画家だそうだ。そうかな? 芸術的な主張は希薄だが、生活の中において気持ちのよい絵だと思う。

 椿椿山の『玉堂富貴・遊蝶・藻魚図』三幅対も春翠のコレクションであったか。私が椿椿山という名前を初めて覚えた作品でもある。宮川香山は、有名な「高浮彫」の作品ではなくて、小さな犬張子の香合や中国磁器写しがコレクションされていた。板谷波山の『葆光彩磁珍果文花瓶』は、よく見ると豊かな葡萄・枇杷・桃の間に鳳凰・羊・魚がそれぞれペアが描かれていて、吉祥文尽くしなのに上品でうるさくない。茶道具は全体に渋好みだった。小井戸茶碗「銘 筑波山」は、春翠がつけた銘だが、なぜこの名前にしたのかよく分からなかった。

 なお、伊藤若冲『海棠目白図』は後期(7/5-)展示。私が見ているとき、おじさんに案内されたおばさん数人が「若冲はないの?後期なの?また来なくちゃ」と声高にしゃべっていた。今や巷には、こういう若冲ファンがいるのかと妙に感心。私も後期も行くつもりである。
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仙台駅で牛たんランチ

2016-06-18 00:12:19 | 食べたもの(銘菓・名産)
1泊2日出張で仙台へ。めずらしく仕事以外はどこへも寄り道せず、仙台駅周辺から離れなかった。



なので、唯一の収穫は、駅ビル内の青葉亭で食べた牛たんランチ。

あとは、お土産に買ったずんだ餅と萩の月。
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一人で死ぬということ/子の無い人生(酒井順子)

2016-06-17 23:57:16 | 読んだもの(書籍)
○酒井順子『子の無い人生』 角川書店 2016.2

 ベストセラーになった『負け犬の遠吠え』は2003年刊行。今、「負け犬」の条件が「30代以上・未婚・子ナシ」だったことに少し驚いている。2016年現在、そんな女性は世の中にあふれている。40代になると、さすがに「負け犬」感が醸し出されてくるが、30代・未婚・子ナシで、自分を負け犬だと思っている女性は少ないのではないか。13年で、それだけ日本社会の晩婚化と少子化が進んだということだろう。

 『負け犬の遠吠え』刊行当時の著者は30代後半。こんなエッセイを書いてるけど、そのうち電撃結婚して、セレブ奥様文化人に変身するんじゃないかしら(美人の噂だし)、と意地悪な読者である私は思っていた。しかし、その後の著者は「負け犬」のまま、順調に年を重ねているらしい。そして、40代になった頃から、女の人生を左右するのは「結婚しているか、いないか」ではなく、子供がいるかいないか」なのだと悟る。

 著者がそのことを実感したのは母親を看取ったときだという。これにはかなり共感した。私はまだ親を看取っていないが、その可能性が現実味を帯びてくるにつれ、いみじくも著者が書いているとおり「親が死んだ時のために、子供は存在する」ということが真実であると理解できるようになってきた。では子ナシ族の場合は? 著者は小さな姪に自分の遺体や遺品を始末する責任を負わせなければいけないのか、と気づいて愕然とする。私の場合、甥も姪もいないので、弟より長生きすれば、負担をかける係累がいないのは幸いかもしれない。あとは公共サービスに任せたい。

 この点では、沖縄の「トートーメー」問題のルポが面白かった。門中(中国でいう宗族)を重視する沖縄では、先祖代々の位牌札をひとまとめにしたトートーメ―を長男が継承する。しかし離婚して出戻った女性は実家のトートーメ―に入れないので一人立て位牌となる。これは長いこと置いておくと、家に悪いことが起きるとして嫌われる。また、沖縄には一族みんなが入る門中墓というものがあるが、これも独身女性は入れないのだそうだ。

 気持ちいいほど思想が明確で、独身女性差別を怒るより前に笑ってしまった。まあ家族を基本単位とする封建社会ってこんなものだろう。でも、抜け道というか、セイフティネットがあったりしないのかな。沖縄は、儒教文化の影響が強いというけれど、中国や韓国の葬制や墓制はどうなっているんだろう。

 京都の常寂光寺には、市川房枝さん揮毫の「女の碑」があり、第二次世界大戦で多くの若い男性が亡くなった結果、独身で生きることを強いられた女性たちの共同墓の役割も果たしてきたという。その次の世代の独身女性のシンボルとして、著者があげているのは土井たか子さん。バリバリ働く女は「仕事と結婚した」と称して(あるいは見られて)いた時代。けれど、著者は、自分の世代は先輩たちとちがって、なんとなく独身でなんとなく子ナシが増えてしまったことを自覚している。昔の家族制度を理想とする保守派には、罵倒・糾弾されそうだが、私はそれより「どんな人でも、一人で安心して死ぬ時代」に、ゆっくり推移していってほしいと思う。

 また著者は、最近(独身・子ナシで)「仕事しかできない女性」は「本当に優秀な女性」と目されなくなってきた、と指摘する。「離婚・子あり」は評価されるが、「既婚・子ナシ」は一人前に見られないという観察も鋭い。「これからは『出世のために子を産む』という女性が増えてくると思います」と、著者は勇気ある発言もしている。特に、その傾向が顕著なのは政治の世界で、野田聖子さんが出産にこだわったのも「保守派の政治家としての責任」が根底にあったという話、それから新聞報道が、女性閣僚には必ず子供について記載する(男性閣僚にはナシ)という指摘は、興味深いがあまり共感できるものではなかった。

 なお、「未婚・子ナシ」より「既婚・子ナシ」のほうがつらい(生きにくい)のではないか、というのはあまり考えたことがなかった。晩婚だと何も言われないけど、若い頃に結婚して子ナシを続けると、事情はさまざまでも「負け感」があるのかもしれない。後半に「源氏物語」の紫の上の話が出て来て、時代を超えて普遍的な「子ナシ」女性の苦悩を描いた紫式部ってすごいなあとあらためて思った。
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