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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

法螺侍と天上の神/祝祭大狂言会2025

2025-04-29 22:40:17 | 行ったもの2(講演・公演)

大阪フェスティバルホール 祝祭大狂言会2025(4月26日、15:00~)

 野村万作、萬斎、裕基の三代が出演する異色の舞台「祝祭大狂言会」を見てきた。私の場合、亡き母が狂言好きだったので、小学校の高学年から高校生くらいまでは、母にもらったチケットで、よく狂言を見に行った。母(あるいは母の友人)が和泉流の後援会に入っていたらしく、水道橋の宝生能楽堂で行われる、和泉流の公演が多かった。

 その後、なんとなく狂言を見る習慣が途絶えて40年くらいになるのに、突然、この公演を見ようと思い立ったのは、3月に仙台で開催されたアイスショー「羽生結弦 notte stellata 2025」で羽生くんと野村萬斎さんの共演を目撃したためである。私は、萬斎さんの狂言の舞台をたぶん一度も見たことがなかったので(万作さんはある)、このまま人生を終えるのはあまりにも大きな損失だと気づいて、アイスショーの直後に検索して、この公演情報を見つけて、チケットを取った。

 というわけで、昨今の狂言鑑賞の勝手が分からないまま、来てしまった会場。キャパは2700人という大ホールで、ステージには能舞台(背景の鏡板あり、屋根はなし)がしつらえられており、奥に向けて八の字型に開いた通路(橋掛かり)が左右に付けられていた。開演時間になると、下手側に萬斎さんが登場。今日の見どころなどを軽いトークで解説してくれた。

 はじめに『小舞 景清』(野村太一郎)。景清自身が、屋島の合戦での錣引きの様子を語る趣向。次に『見物左衛門』(野村万作)。見物好きの風流な侍が、清水寺の地主神社、西山など、京の桜を見物して歩く。野村家だけに伝わる演目で、まもなく94歳になる万作さん(萬斎さんの表現ではフェアリー万作)が一人で演じる「老木(おいき)の花」が見どころ。ここで休憩。

 続いては『法螺侍』。舞台からは左右の橋掛かりが消え、鏡板も吊り幕に置き換えられて、抽象性の増した装置に。本作は、シェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」を原作とし、太っちょで酒好き女好きのファルスタッフ=洞田助右衛門を萬斎さんが演じる。つくりものでお腹を膨らませ、頭は蓬髪、鼻から下には長い黒髭を垂らす。金繰りに困った洞田助右衛門は、太郎冠者と次郎冠者に命じて、お松とお竹という二人の女房に恋文を遣わす。この所業に怒ったお松とお竹、夫の焼兵衛、さらに主人に愛想を尽かした太郎冠者と次郎冠者は、共謀して洞田を洗濯籠に誘い込み、川に投げ入れるなど、さんざんな目に合わせる。けれども洞田は悔い改めず、「人生は全て狂言じゃないかね?」などとうそぶいてみせる。

 文楽にも『不破留寿之太夫(ふぁるすのたいふ)』 という翻案ものがあったことを思い出し、シェイクスピアと日本の古典芸能は相性がいいのかな、と思った。萬斎さんの「笑われる」役作りが絶妙で、洞田助右衛門には腹が立つんだけど、憎み切れない。二人の女房に恋文を書くときの「コピー、アンド、ペースト」で噴き出してしまった。また、洗濯籠に隠れた洞田を、太郎冠者と次郎冠者が駕籠かきふうに担いで運ぶシーンは完全な「エアー」(籠がない)で、身体能力と表現力に目を見張った。再び休憩。

 最後は「MANSAIボレロ」。notteで感銘を受けた演目なので、これを楽しみに来たのだが、直前の脂ぎった法螺侍の印象が予想外に強烈で、大丈夫だろうかと(自分を)案じてしまった。しかし20分休憩のあと、幕が上がると、全く別の世界が待っていた。絶対の暗闇の中で水滴の音が響く。明るくなったステージには四角い能舞台と、その上に注連縄(?)。せせらぎ、虫の音、雨音、雷鳴など、自然の音を交えて、舞が展開する。この演目、萬斎さんの装束には、いくつかのバリエーションがあるのだが、今回は、Youtubeに公開されている「世田谷パブリックシアター」公演と同じで、白の装束に白い長髪の鬘を付け、金色の烏帽子(なのか?)を付けていらした。notteの萬斎さんは、かなり人間界に寄っていたが、この日は完全に人ならぬ、神そのものを演じていらっしゃるように見えた。

 途中で広いステージにスモークが立ち込め、照明で紫や赤に染められると、いよいよ雲の上にしか思えなくなった。しかし日本では、天上界の神も苦悩するのである。地上の人間の、災害や戦争による苦しみに呼応して、ともに苦しみ、悲しみ、再生を希求する姿に見えた。クライマックス、まるで天の岩戸のように背景が割れて光が差し込み、そこに向かってジャンプする姿で暗転。

 明るくなった舞台で深々と一礼する萬斎さん。下手に退場のあと、拍手は止まず、もう一回だけ出てきて礼をしてくれた。そして退場のとき、ちょっとだけ舞台に手を振って、素の目線をくれたのが嬉しかった。

 本当に素晴らしい体験をさせていただき、大満足。ちなみに、この日は、萬斎さん演出・出演の新作能狂言『日出処の天子』(8月、東京)の先行販売の抽選日で、私は1公演だけだがチケットをゲットできた。楽しみ! しかし、それはそれとして、新作でない普通の狂言も見たくなってきたところである。

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すしやの段を初鑑賞/文楽・義経千本桜

2025-04-28 22:59:11 | 行ったもの2(講演・公演)

国立文楽劇場 令和7年4月文楽公演 第2部(2025年4月27日、15:00~)

 大型連休スタートの土日に有休を1日付け足して、関西方面で遊んできた。順不同になるが、まずは文楽公演から。今月は通し狂言『義経千本桜』が掛かっている。私は二段目「渡海屋・大物浦の段」と、四段目「道行初音旅」が大好きなので、どうしてもこの両者を選びがちで、実は文楽ファン歴40年になるのに三段目を見たことがなかった。一度は見ておくほうがいいかもしれない、と思って、いろいろ予定を調整して、今回は第2部を見ることにした。

・第2部『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)・椎の木の段/小金吾討死の段/すしやの段』

 第2部の主人公は、高野山に落ち延びた平維盛。その妻子である若葉の内侍と六代の君は、家臣の主馬小金吾だけを連れて、維盛を探す旅路を続けていたが、吉野下市の茶店で、土地のならず者である、いがみの権太に絡まれる。なんとか窮地を脱したものの、鎌倉方の追手に見つかり、小金吾は討ち死に。そこに通りかかった鮨屋の弥左衛門は、小金吾の首を持ち帰る。

 弥左衛門は、さきごろ熊野で出会った若い男を連れ帰り、弥助と名乗らせ、娘のお里の婿に取ろうとしていた。この弥助こそ維盛。弥左衛門は、かつて維盛の父・小松大臣重盛に恩を受けていたのである。

 そこに訪ねてきた若葉の内侍と六代。弥助の正体を知り、身分違いの恋に絶望するお里。さらに頼朝家臣・梶原景時が詮議のために到着。お里の兄である権太は、維盛の首を差し出し、若葉の内侍と六代に縄をかけて差し出す。梶原が去った後、怒り心頭の父・弥左衛門は権太の腹を刺す。

 瀕死の権太の述懐によれば、維盛と偽ったのは小金吾の首。内侍母子と見せかけたのは、権太自身の妻と息子だった。弥左衛門が考えた偽首計画を、金目当てのならず者の自分が演じることで、謀略家の梶原を欺いたという。しかし梶原が褒美として残していった頼朝所用の陣羽織には、袈裟衣と数珠が縫い込められていた。かつて池禅尼と重盛に命を救われた頼朝が、維盛に出家を促し、その命を救おうとしたのである。自らの計略が見抜かれていたことを悔しがりながら息絶える権太。維盛は髻を切り、僧として権太を回向して高野山へ向かう。

 そんな無茶な、あり得ん、みたいな展開なのが、文楽らしくて面白かった。私は源平の物語が好きなので、弥左衛門が「慈悲深い小松大臣に恩を受けたから」とか、頼朝が「池禅尼と重盛に命を救われたから」という動機には、そうだろう、あるある、と納得してしまう。ちなみに弥左衛門は船頭だった頃、重盛が唐の育王山に寄進しようとした三千両を盗んだ罪を赦されたという設定になっている。おお、相国寺承天閣美術館で見た「金渡(かねわたし)の墨蹟」の逸話だ!と思い出した。

 「椎の木」の冒頭を語った咲寿太夫さん(本公演から豊竹改め竹本へ)巧くなったなあ。登場人物の語り分けに、幅と余裕が出てきた。そのあとの三輪太夫さんも聞きやすかった。「すしや」は前が安定の呂勢太夫、清治さん。切が若太夫、清介さん。クライマックスの三味線のドラマチックで華やかなこと!人形は、いがみの権太の玉助さんが生き生きと楽しそうだった。お里役の豊松清十郎さんは、いま、女性を遣わせたら一番ではないかと思って注目している。

 維盛の最期って、結局はっきりしていないんだなあ、ということを、あたらめて調べて納得した。本作ではひとまず生き延びた六代は、やがて捕えられて鎌倉に送られ、処刑されてしまう。私は逗子に住んでいたことがあるので、六代御前の墓を何度か訪ねている。それなので「六代」の名前を聞くたびに、なんとも胸がうずいた。

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2025連休始まる

2025-04-26 06:06:30 | なごみ写真帖

先週末から昨日まで、ずっと仕事に忙殺されていた。やれやれ。もう若くないので、こういう日々は卒業したいと、しみじみ思った。

なんとかたどり着いた連休。今年は、ゴールデンウィークと呼ぶほど、うれしいカレンダーではないが、今日から2泊3日、関西方面で遊んでくる。

これは、近所で見つけたモッコウバラ。

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ここにも松平定信/書物ハンターの冒険(慶應義塾ミュージアム・コモンズ)

2025-04-21 22:37:26 | 行ったもの(美術館・見仏)

慶應義塾ミュージアム・コモンズ センチュリー赤尾コレクション×斯道文庫『書物ハンターの冒険:小松茂美旧蔵資料探査録I』(2025年3月17日~ 5月16日)

 年度末でもないのに、この週末は自宅で持ち帰り仕事に忙殺されていた。それでも土曜日は、この展覧会を見るためにちょっとだけ外出した。慶應義塾が運営するこのミュージアム、基本は週末休館で、土曜の特別開館が会期中に2回しかないのである。

 本展は、2021年に慶應義塾に寄贈されたセンチュリー赤尾コレクションの調査成果を初めて紹介するもの。同コレクションの中核を成すのは、古筆学者・小松茂美(1925-2010)の約15,000冊におよぶ旧蔵書である。小松は、1988年、旺文社の創業者・赤尾好夫のコレクションを保存・管理する財団法人センチュリー文化財団の理事に就任、1990年、センチュリーミュージアムの館長となって、同館の運営ならびにコレクション拡充に尽力した。現在、慶應義塾大学附属研究所斯道文庫は、小松の膨大な蔵書の再調査と目録化を進めており、本展では、その一端を紹介する。

 センチュリーミュージアム(2020年閉館)は、地味だが好きなミュージアムだった。古筆や古経の名品を見た記憶が残っているが、今回は「小松茂美旧蔵資料」が中心なので、もっと雑多で、ある意味、玄人好みの展示だった。冒頭には『三迹画像』(室町・江戸初期)。嵯峨天皇、空海、菅原道真を描いたものだというが、この3名をひとくくりにした図像は類例がないそうだ。束帯姿の道真は、橘逸勢ではないかという説もあり、そうであれば、「三筆」(嵯峨天皇、空海、逸勢)を描いた最初期の図像ということになる。画幅はこれのみで、あとは文字資料が続く。

 松平定信の旧蔵・自筆資料は、かなりまとまって入っているようだった。おもしろかったのは縦横とも10cm足らずの豆本。定信の自筆で、王朝時代の和歌や物語が筆写されている。解説によれば、定信作の豆本は160冊以上が現存しており、とりわけ隠居後の定信は、豆本歌書作りを楽しみとし、子供や孫たちに配っていたという。このひと、やっぱり面白い…。

 「書札礼」(手紙のマナー)に関する多種多様な資料が収集されているのは、小松コレクションの特色と言ってよいだろう。文体だけでなく、使用する紙の寸法や料紙の種類にも気を配らなければならない。現役ではないが、かつて要職にあった人物にどのくらい敬語を用いるかというのは、今でも悩むところ。朝鮮国王の国書と日本からの返書に関する資料や、京都島原の遊女の和歌を集めた遊女手鑑もあった。

 実用的な手紙の文例集『手本重宝記』は、微妙に異なる紙面を比較することで、何度も覆刻や修訂を施され、長期に渡って摺り続けられた様子がうかがえる。そうそう、版本って複製芸術なんだけど、ちょいちょい変化が加わるところが面白いんだよなあ。本文は同一なのに全丁にわたって版木が異なる(しかし版元は同じ)とか、内題・外題もない写本とか、目録作成者泣かせの資料も多いが、こういう資料の目録をとるのは楽しいだろうなあ…としみじみ思った。

 書法に関する資料も多いのだが、その1つ『学書宝鏡』に掲載されている、某SNSのマークのような図が紹介されていた。黒い丸の中に浮かび上がる白い鳥のようなもの。実は「筆の止め」を描いたものという種明かしに笑ってしまった。資料調査の場で、誰かが見つけて盛り上がったのかな、と想像した。

 入口の警備員(?)のおばさんに教えてもらったが、展示室内の係員に、アンケートを書きます、と申し出ると、立派なカラー図録冊子が無料で貰えて、図録を片手に展示を見ることができる。大変ありがたいシステムである。

 文献資料の並びの中に、なぜか如意輪観音像の掛仏が混じっていて不思議だったが、解説冊子によると、額裏面に小松茂美氏の極書があるらしい。別の展示室には、大きな仏像が3躯(大日如来坐像、菩薩立像、天部立像)と小さな金銅仏(唐時代)が複数出ていた。いずれもセンチュリーミュージアムにあったものだと思い、なつかしかった。

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懐の深いコレクター/1975甦る新橋松岡美術館(松岡美術館)

2025-04-17 22:56:13 | 行ったもの(美術館・見仏)

松岡美術館 開館50周年記念『1975甦る新橋松岡美術館』(2025年2月25日〜2025年6月1日)

 1975年11月に新橋で開館した同館が、2025年に50周年をむかえることを記念し、3会期にわたり松岡コレクションを紹介する記念展の第一弾。1975年11月25日から1976年4月24日まで新橋で開催された「開館記念展」を再現する。同館が白金台に移転したのは2000年だそうで、私は現在の建物しか知らない。新橋の美術館は、創立者・松岡清次郎の持ちビルである松岡田村町ビル8階にあり、社員が輪番で宿直を命じられていたそうだ。そしてこのビルは今も現役で、入口に石像彫刻が飾られているみたいなので、今度訪ねてみよう。

 さて、1階の各展示室では、第1章「50年間いつも傍らに」を開催。1階は基本的に常設展示なので、素通りして2階に上がってしまったが、あとで覗いてみたら、開館以来の常設作品に「50周年記念ロゴマーク」が設置されていた。コレクションへの愛情が感じられて、うれしかった。

 展示室1は、古代エジプトの彩色木棺や神像を展示しており、第2章「日本にないものを求めて」が冠せられていた。創立者の松岡清次郎は美術館開設にあたり、「日本にないものをご覧いただきたい」という想いから、古代オリエントや古代ギリシア・ローマの遺物を精力的に蒐集し、公開したという。1975年といえば、私の中学生時代だが、確かにこういう美術品展示は、まだ珍しかったかなあと昔を振り返った。

 2階、展示室4の第3章「選ばれた名品たち」から、じっくり参観を開始。冒頭には『開館記念名品図録』表紙と巻頭のカラー図版となった13点(中国磁器11+日本2)が掲載順に展示されていたのだが、私はイランやギリシアのやきものに吸い寄せられて、逆まわりで見始めた。ギリシア(紀元前330-320年)の『赤絵式渦巻クラテル』は、実に堂々とした作りで惚れ惚れした。私はギリシアの赤絵式や黒絵式の陶器が大好きなのだ。制作地に「アプリア(南部イタリア)」とあるのが不思議だったが、南イタリアのギリシア植民都市で広く作られたアプリア式陶器の遺例であるようだ。これだけの優品は、国内に多くないのではないかと思ったが、MIHOミュージアムや東京富士美術館が類例を所蔵している。日本の美術館、なかなかすごい。

 中国磁器の名品『青花双鳳草虫図八角瓶』(元時代)と『青花龍唐草文天球瓶』には、開館記念展で使われた手書き文字の説明ボード(写?)が添えられていた。そうか~1975年頃の美術館って、こんな感じだったのかな。手書きだと文字が大きくて、老眼にはやさしい感じがした。

 そして第4章「日本画展-室町から現代-」は、伝・周文筆『竹林閑居図』『山水図』などがとてもよくて、こんな室町水墨画の名品も所蔵しているんだ、と認識を改めた。伝・俵屋宗達『源氏物語残闕:夕顔』は、以前、久保惣美術館で見た源氏物語絵の一種。渡辺崋山の『蓮池蜻蛉図』は淡彩の美しさが明清の瀟洒な淡彩墨画を思わせた。

 これで十分満足したと言いたいのだけど、あらためて公式ホームページを見たら、後期に出る池田輝方や池田蕉園の作品がまたとても魅力的だった。これは再訪せざるを得ないかもしれない。

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淡路町でカフェごはん

2025-04-16 20:58:14 | 食べたもの(銘菓・名産)

仕事帰りに友人と、淡路町の「カフェ・カプチェットロッソ」で夕ごはん。特別なイベントではないけれど、いつもの日常より、ちょっと美味しいものを食べるお手軽コース。こういう夕ごはんもたまにはいいなと思った。

20年以上使ってきたgoo blogサービスの終了告知を受け取ったので、引っ越し先を検討中。ChatGPTの意見も参考に考えている。

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歴聖大儒像もあり/ライトアップ木島櫻谷II(泉屋博古館東京)

2025-04-14 23:32:45 | 行ったもの(美術館・見仏)

泉屋博古館 企画展『ライトアップ木島櫻谷II-おうこくの線をさがしに・併設四季連作屏風』(2024年3月16日~5月12日)

 昨年に続き「四季連作屏風」を全点公開し、木島櫻谷の絵画表現の特質をライトアップする展覧会シリーズの第2弾。エントランスホールにも展示ケースを並べ、たくさんの写生帖を展示していた。開いたページには人物画が多く、少ない描線で簡潔に対象の特徴を捉えたものが多かった。「クロッキーふうの」という解説に私は妙ななつかしさを感じてしまった。通っていた小学校では、朝の自習時間の課題のひとつにクロッキーがあり、私はこれが好きだったので。

 描かれた人物は、いかにも身のまわりにいそうな幼児や農婦もあるけれど、狩衣や水干、本格的な鎧姿の写生もあって(眼鏡をかけた男性が兜をかぶった図も)「〇〇君仮装」などと注記が付いている。なるほど歴史画を描くには、こうした写生によって、衣の皺の寄り方、崩れ方を学ぶのだな。

 秋野を駆ける騎馬武者を描いた『かりくら』双福は、堂々とした巨幅。馬上の武者は綾藺笠、射籠手、行縢(むかばき)という鎌倉時代の狩装束。左幅の武者は黒馬の手綱を強く引いて立ち止まり、右幅の武者は白馬の姿勢を低くしてひた走る。白く輝くススキの穂。2015~2016年に住友財団助成により修復されたそうで、そういえば、2019年の住友財団修復助成30年記念の展覧会にも出ていた。

 第3展示室は四季連作屏風。順路に従って『柳桜図』→『燕子花図』→『秋草図』→『菊花図』→『雪中梅花』の順に並んでいた。ん?昨年と配置が違う?と思ったら、やっぱり少し変えているみたい(昨年は『雪中梅花』→『柳桜図』だった)。『燕子花図』は、今年も頭の中で光琳の『燕子花図屏風』を思い出しながら眺めた。『秋草図』も琳派によくある画題だし、『雪中梅花』は応挙っぽいかな。『柳桜図』には、大覚寺展で見た襖絵を思い出した(狩野山楽筆かと思ったが『柳桜図』に作者名はついていなかったようだ)。なお、先行する類似作品があるから価値が下がるとは思わない。『菊花図』は、咲き誇る白菊の陰にちょぼちょぼと見え隠れする赤い菊の、金時にんじんみたいな色合いと、ぽってりした質感がとてもいい。『雪中梅花』の粘りつくような雪は、本州(関東以南?)の雪だなあと思った。

 第4展示室は特集展示『住友財団助成による文化財修復成果-文化財よ、永遠に2025』で、2件の作品が展示されている。1つめはケルン東洋美術館が所蔵する『十一面観音菩薩像』(南北朝時代)。2022年11月~2024年9月、半田九清堂により修復された。長谷寺式の十一面観音で、右手に錫杖、左手は肘を曲げて肩のあたりに、蓮花を挿した水瓶を捧げ持つ。頭上の十一面の顔立ちがどれもはっきり見えるのが珍しい。板のような光背には金色の十一面観音の梵字が点々と7つ。向かって右下には難陀龍王、左下は女神かと思ったら赤精童子(雨宝童子の別名)。海外在住の珍しい作品を見ることができて、ありがたかった。

 2つめは狩野山雪筆『歴聖大儒像』。というか「筑波大学附属図書館所蔵」の文字が先に目に入って、驚いてしまった。全6幅のうち、展示=修復の対象になった作品は「周子像」「程子像」「邵子像」の3幅。2019年5月~2022年3月、株式会社修護によって修復された。筑波大学附属図書館は、なぜか図書館なのに貴重な絵画作品を多数所蔵しており(湯島聖堂→師範学校→筑波大学の流れ)、近年、着々と修復・公開に取り組んでいるのは素晴らしいことだと思う。描かれた3人のおじさんは、いずれも福々しい顔をしていた。画中の賛に「金世濂書」とあるのは誰だろう?と思って調べたら、朝鮮通信使副使で、おお『海槎録』の著者で、林羅山が金世濂に『歴聖大儒像』への題賛を求めたのだという。

※(参考)令和4年度(2022)筑波大学附属図書館特別展『孔子を祀る 歴聖大儒像の世界』←行きたかったけど行けなかった展覧会。

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桜も見頃/博物館でお花見を(東京国立博物館)他

2025-04-12 23:31:37 | 行ったもの(美術館・見仏)

 先週(4/5)お花見がてら、東京国立博物館を訪ねた。4月1日から、総合文化展(平常展)が「東博コレクション展」という名称に変わったそうだが、定着するかどうかは分からない。私は結局、どの美術館・博物館でも「常設展」を使ってしまう。本館11室(彫刻)が珍しく展示替えで閉室していた。

■東京国立博物館・本館 『博物館でお花見を』(2025年3月11日~4月6日) 

 庭園公開と同時に、仁阿弥道八の『色絵桜樹図透鉢』など桜モチーフの作品を各所に展示。住吉具慶筆『観桜図屛風』(江戸時代・17世紀)は、狩衣姿の貴族の若者たちが桜の下に集っている場面で、のんびりした雰囲気が可愛かった。しかし『伊勢物語』の惟喬親王と在原業平の図という解説を読むと、急に哀愁を感じてしまう。

■本館14室 特集『キリシタン関係遺品の保存と研究』(2025年3月25日~5月18日)

 16世紀以降、近世の日本でキリスト教を信仰したキリシタンにまつわる遺品には、さまざまな来歴のものがあり、東京国立博物館では、長崎奉行所の宗門蔵で保管されていた関連資料を収蔵している。この中には、イタリア人宣教師シドッチが携行したとみられる絵画『親指のマリア』も含まれる。聖母マリア像には数々のバリエーションがあるが、この青いベールに包まれた沈鬱なマリア像はかなり好き。母性の温かみをあまり感じないところが逆によい。

 禁教政策に利用された踏絵は20件近く展示されていた。絵柄はキリスト単独像だったり、聖母子像だったりするが、印象的だったのは、十字架から降ろされた息子イエスの身体をマリアが抱くピエタ像。信仰うんぬんを別にしても、普通に哀れを誘われる図で、これを踏ませるなんて鬼か畜生の所業じゃないかと思った。

 ■本館2室(国宝室) 『花下遊楽図屏風』(2025年3月18日~4月13日)

 狩野永徳の末弟・長信(1577-1654)筆。今からおよそ400年前の華やかなお花見の様子。右隻は桜の下の酒宴、左隻には歌舞伎踊、風流踊に興じる少年少女たちを描き、静と動の対比になっている。右隻の中央部分が関東大震災で焼失してしまったことは本当に残念だが、写真が残っていたのは不幸中の幸い。この時代の風俗図は独特のいかがわしさとエネルギーが感じられて本当に好き。

■東洋館8室(中国の絵画) 特集『梅花』(2025年3月18日~4月20日)

 元時代から近代にかけての墨梅と梅にまつわる絵画を展示。庭園は桜の盛りだったが、絵に描いてサマになる花は梅だなあとしみじみ思った。

■東洋館8室(中国の書跡) 特集『近代の書』(2025年3月18日~5月11日)

 清末(19世紀末)~中華民国時代の書跡を展示。呉昌碩、斉白石などの画家(芸術家)、楊守敬、羅振玉のような学者の書もあるが、圧倒的に多いのは政治家(官僚)なので、中国史一般好きには、いろいろ楽しい。康有為、梁啓超、左宗棠、曾国荃、鄭孝胥などの名前があった。たとえば日本で「近代の書」と言ったら、政治家の書は入るんだろうか?

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闇夜かお洒落か中国趣味か/エド・イン・ブラック(板橋区立美術館)

2025-04-09 22:30:23 | 行ったもの(美術館・見仏)

板橋区立美術館 『エド・イン・ブラック:黒からみる江戸絵画』(2025年3月8日~4月13日)

 本展は、黒に焦点を当て、江戸絵画にみる黒の表現とともに、当時の文化や価値観なども紹介する。江戸時代の人々は「黒」に対して何を見出し、何を感じていたのか、様々なテーマから江戸絵画における「黒」を探究し、その魅力に迫る。江戸絵画展らしからぬ展覧会タイトルは、やっぱり「メン・イン・ブラック」のもじりですかね。

 はじめに、月や影、夜の暗闇などを描いた絵画を集める。これは「黒」の使い方としては、比較的分かりやすいものだ。大好きな蘆雪の「月」を描いた墨画が2件、『月夜山水図』(兵庫県立美術館)は、前景に黒々と浮かび上がる崖の上の松、そして大きな満月を背景に、中空にぼんやり松の木のシルエットが浮かんでいる。これは靄か霧に映る影なんだろうか。幻想的で不思議な光景。『月竹図』は細長い巻物状の料紙を縦に使って、まっすぐな笹竹と背景の月光を描く。墨江武禅『月下山水図』も好きな作品。白くアイシング(砂糖衣がけ)したお菓子のような岩や土坡が画面の奥まで並んでいて、雪景色にも見えるのだが、「月光による輝きを表しているのだろうか」という解説に納得した。

 蕪村『闇夜漁舟図』(逸翁美術館)は、夜の水辺に舟を浮かべて漁をする漁師と童子。風景をほぼ墨一色で描き、篝火に照らされた光の部分にだけ淡彩を使っているのが巧い。狩野了承『二十六夜待図』は薄墨を引いた画面の左上に小さなご来光、右下にはさらに小さな夜明けを待つ人々のシルエットが描かれる。森一鳳『星図』は、右に柄杓形の六星、左に台形の四星を描く。丸い金色の星は細い線でつながれいる。シンプルで美しいが制作意図が明らかでない不思議な作品だという。これ、斗宿(南斗六星)と箕宿かなあ。向きが違うようにも思うんだけど…。塩川文麟『夏夜花火図』は、火鉢(?)に線香花火を何本も立てて、一斉に火をつけて楽しんでいる。こんな楽しみ方もありなのか。小さく小さく枝分かれして飛び散る白っぽい金色の火花、硫黄の匂いがよみがえってくるような気がした。

 亜欧堂田善の銅版画『品川月夜図』は、海上に小さな月が昇っていて、波間に道を描くような月の光は、ムンクを思わせる。月岡芳年『牛若丸弁慶図』は酔って一気に描いたらしい席画。黒く塗られた部分はほとんどないのだが「月夜」だと理解できるのが面白い。

 後半では、夜や闇以外に黒が意味するものを考える。その答えのひとつが「中国趣味」。中国から、黒に白抜きの法帖(書の手本となる拓本)や版画が流入し、江戸時代中頃から、法帖ふうの版本や画譜が日本でも制作されるようになった。若冲の『乗興舟』や『玄圃瑤華』の存在はもちろん知っていたけど、そうか、あれは江戸の法帖ブームに由来するのか。鳥居清長には、法帖ふうの黒塗り&白抜き文字の背景に、敢えて日本の風景を彩色で描いた作品もある。

 浮世絵では、天明~寛政年間に「紅嫌い」(版画)「墨彩色」(肉筆画)と呼ばれる作風が流行した。「紅嫌い」は太田記念美術館の展示で覚えた用語である。完全な墨一色ではなく、淡い指し色を効果的に使っているところに魅力を感じる。「聖なるもの」や「この世ならぬもの」を墨一色で描く手法も面白いと思う。また、黒の化粧に着目し、浮世絵に描かれたモードだけでなく、結髪雛形やお歯黒道具の一式が展示されていたのも面白かった。

 最後は薄暗がりの展示室には、金地に繊細な秋草を描いた狩野了承『秋草図屏風』(六曲一双)がしつらえてあった。屏風の前の椅子に座ると、卓上にスイッチが置いてあって、照明の明るさと揺らぎの大小(?)を調整して、印象の変化を楽しむことができる。展示室を出たあとで壁のパネルの谷崎潤一郎『陰影礼讃』の一節を読むと、なるほどと納得した気持ちになった。

 あと、谷文晁『異国船図』は、例の法帖ふうの作りで、外国船の絵に長々と和文の賛を付けているのは松平定信で「この船の来ることを、夜夢を見ている間にも忘れないことが世の宝である」という内容が書かれているという。定信の時代には、そろそろ対外関係が騒がしくなっていたんだっけ?と思って、定信のwikiを読んでみたら、このひと、いろいろ面白いなあ。近年、定信の寛政の改革は田沼政権との連続面があったと見られていることも初めて知った。墓所は清澄白河の霊巌寺。近所なので、そのうち墓参に行ってこよう。

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文人の洋風画/かっこいい油絵(府中市美術館)

2025-04-08 22:52:53 | 行ったもの(美術館・見仏)

府中市美術館 春の江戸絵画まつり『司馬江漢と亜欧堂田善:かっこいい油絵』(2025年3月15日~5月11日)

 会場入口のパネルの冒頭に「近年、江戸時代の絵画の人気が高いと言われますが、ただ一つ取り残された感があるのが『洋風画』かもしれません」とあって、えっそうなの?と驚き、苦笑してしまった。私は「洋風画」が大好物なので。

 府中市美術館では、2001年に『司馬江漢の絵画 西洋との接触、葛藤と確信』展、2006年に『亜欧堂田善の時代』展を開催したが、近年の「春の江戸絵画まつり」ほど多くのお客様で賑わうこともなかったという。2001年は私がこのブログを書き始める前で、司馬江漢展は見ていないかなあ。2006年の『亜欧堂田善の時代』は、私が「春の江戸絵画まつり」のリピーターになった最初のきっかけである。ちゃんとタネは地に落ちて育っているのである。

 展示は、はじめに江戸時代のさまざまな絵画と「洋風画」を並べてみることから始まる。漢画、やまと絵、浮世絵、禅画、琳派、円山四条派など。そこに現れる秋田蘭画、小田野直武や佐竹義躬。彼らに洋風画法を教えたのは平賀源内と言われているのだな、ほほう。このほか、大久保一丘の静謐な少年像『伝大久保一岳像』(府中市美術館)や、田代忠国のキッチュな『三聖人図』(帰空庵コレクション)など、洋風画ファンには垂涎の名品が多数。展示替えがあるので、後期も来なくては、と思っている。

 そして、司馬江漢(1747-1818)登場。青年時代は鈴木晴信に学び、中国流に転身して宋紫石に学び、さらに平賀源内から西洋の画法を学ぶ。なので、なんだかいろんなタイプの作品が残っているのだ。ガラス製の釣花生けに盛られた色とりどりの花を描いた南頻派ふうの『生花図』もあれば、あっさりした淡彩の和装『美人図』もある。洋風画の典型みたいな『異国戦闘図』(個人蔵)もあり。『捕鯨図』(土浦市立博物館)は楽しいなあ。江漢は長崎県の生月島で捕鯨漁を見学し、詳細を挿絵つきで『江漢西游日記』に書き残していて、飾らない文体から、好奇心と素直な興奮が伝わってくる。

 本展の図録で江漢が「文人洋風画家」と呼ばれていたことは、とても腑に落ちた。江漢の絵は「下手」とか「稚拙」と評されることが多いそうだ。しかし江漢は、西洋画の描き方を学んでも、近代の基準でいう「上手」な絵を書こうなんて、たぶん思ってない。文人だから。『駒場路上より富岳を臨む図』は今年の正月に山種美術館の『HAPPYな日本美術』で見たものだけど、まさにHAPPYであれば、童心や好奇心が発動する絵画であれば、上手いも下手も関係ないのではないかと思う。

 後半は亜欧堂田善(1748-1822)。私は2006年の府中市美術館の企画展以来、このひとを追っているので、代表作はだいたい知っているつもりだったが、『観瀑図』(帰空庵コレクション)『山水図』(個人蔵、横に細長い小襖)の、滝や岩壁を抽象化した描き方は初めて見たかもしれない。このひとも、描かれた風景や人物に現実味がないのは、絵が「稚拙」だからなんだろうけど、別世界に連れていかれるような浮遊感が好きだ。

 ところで、江漢は平賀源内から洋風画を学ぶし、田善は白河藩主の松平定信に見出されるので、まさに今年の大河ドラマの同時代人なのである。でも洋風画家じゃマイナーすぎて、ドラマには登場しないかあと、しみじみ年表を眺めてしまった。

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