見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

表具の楽しみも一緒に/紙の装飾(根津美術館)

2017-06-30 23:19:54 | 行ったもの(美術館・見仏)
根津美術館 企画展『はじめての古美術鑑賞 紙の装飾』(2017年5月25日〜7月2日)

 昨年から始まった「はじめての古美術鑑賞」シリーズ。本展は、「読めない」という理由から敬遠されがちな書の作品にアプローチする一つの方法として、書を書くための紙、すなわち料紙(りょうし)の装飾に注目する、と開催趣旨にいう。そうかあ、私も正直、書(古筆)は読めないのだけど、書のかたちそのものが美しいと思うので、見るのは好きだ。料紙は脇役でいいんじゃないかと少し納得できない気持ちを抱きながら行ってみた。

 「雲母(きら)」「染め」「金銀」など、いくつかの装飾技法ごとに作品を集めているのだが、驚いたのは冒頭に展示されていた小島切。ある角度から見ると、雲母砂子(きらすなご)が名前のとおり、キラキラと星空のように見える。はじめて気がついた! この展覧会では「雲母」の12作品には、全て小さな個別照明をセットしていて、今まで見たことのある作品が、全く知らなかった別の表情を見せてくれる。すごい。光悦の『壬二集和歌色紙』は、雲母で描かれた大きな桐の葉が、3Dのように浮き上がって見えた。

 展覧会の注目ポイントは「料紙」なのだが、軸物が並んだ結果、私は表具も楽しませてもらった。尾形切の縦縞の裂れ、涼しげでよかったなあ。伊予切は1枚目が水色、2枚目に薄いピンク色の料紙を継いだ断簡で、周りの表具が青地に赤い菊の花なのとよく合っていた。いつかこの「はじめての古美術鑑賞」シリーズで「表具を楽しむ」もやってほしい。

 「染め」では愛知切の「丁字吹き」というのが、色と同時に香りも楽しむとあって奥ゆかしかった。今城切は藤原教長の手跡で、やっぱり本当に好きな書だと、料紙も表具も目に入らなくなってしまう。本願寺本三十六人家集や平家納経は近代の模本(田中親美)の展示だったけれど、これはこれで制作当時の美しさが偲べていいと思う。

 展示室3(1階ホール奥)の仏教美術が久しぶりに入れ替わっていて驚いた。展示室5は「焼き締め陶」で、信楽、伊賀、備前など私の好きな系統の陶器がずらり揃っていて嬉しかった。「蹲(うずくまる)」みたいに、説明に振り仮名がふってあったのもよかった。信楽の「煎餅壺」というのがあって、え?煎餅を入れる容器?と思ったけど違うらしい(諸説あり)。展示室6「涼一味の茶」は、磁器や銅器の肌に涼を感じた。
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推理と考察で楽しむ/水墨の風(出光美術館)

2017-06-29 23:31:10 | 行ったもの(美術館・見仏)
出光美術館 『水墨の風-長谷川等伯と雪舟』(2017年6月10日~7月17日)

 始まってすぐ前期のうちに見に行ったので、展示品が少し入れ替わっているのだが、感想を書いておく。いい展覧会だった。「水墨」という、中国を発祥とする斬新な絵画表現は、日本に伝播し、室町時代を経て独自の表現美を獲得することとなった。本展は「風(かぜ、ふう)」をキーワードに、この東洋独自の絵画表現である水墨画の魅力に迫る。

 はじめに雪舟が学んだ中国の水墨画の名品から『破墨山水図』への道をたどる。玉澗の『山市晴嵐図』は面白くて大好き。偶然の染みのような墨の濃淡の間に、小さな人の姿や屋根を描き入れることで山水図が見えてしまう。雪村の『布袋・山水図』(所蔵者表記なし)は、大きな袋の上で愛嬌のある布袋さんが団扇をふるう中幅。左右は玉澗作品と同様、抽象画ギリギリみたいな山水図である。そして雪舟の大胆不敵な『破墨山水図』。

 謹厳な線の中国絵画もいろいろ。『牛車渡渉図』(南宋)はあまり記憶になかったもの。牛車をとりまく人々の描写が緻密で面白い。現品が暗いので図版のほうが見やすい。戴進の『夏景山水図』や王諤の『雪嶺風高図』もいいなあ。ともに明代(浙派)。大胆な黒い墨のかたまり、力強い岩肌の表現などは、なるほど雪舟に受け継がれている。

 次は等伯の章と思ったら、最初の展示作品は能阿弥の『四季花鳥図屏風』だった。え?どういうこと?と思って解説を読む。等伯の養祖父の無文は、むかし七条道場(金光寺)に「能(能阿弥)ガ鳴鶴」の襖絵があり、足利義政が大いに称賛したと等伯に語った記録がある。能阿弥は中国絵画に造詣が深く、『四季花鳥図屏風』も牧谿画からの画像の転用で成り立っている。したがって「鳴鶴」図も、おそらく牧谿様の作品と思われる。そして登場する『竹鶴図屏風』は、もと襖絵であり、七条道場の「鳴鶴」図襖をイメージして制作されたのではないかという。純粋に作品を鑑賞するのもいいけど、こういう推理も面白くて大好き。

 さらに室町から近世へ。一之という作者の観音図(室町時代)は、巧くないのに印象に残る。狩野尚信の『酔舞・猿曳図屏風』は、とんがり帽子の猿曳きの姿に見覚えがあった。筑波大学が所蔵する狩野探幽筆『野外奏楽・猿曳図』屏風と、子ザルのポーズまでそっくりなのである。まあ探幽と尚信は兄弟だし、何か種本があるのだろうか。浦上玉堂、池大雅、岸駒・呉春など、それぞれにいいなあと思った。

 驚いて足が止まったのは、岩佐又兵衛筆『瀟湘八景図巻』が出ていたこと。冒頭から、瀟湘夜雨、煙寺晩鐘、洞庭秋月、江天暮雪、山市晴嵐の5つの場面が開いていて、ゆっくり独り占めして眺めることができた。賛を記した陳元贇(げんぴん、1587-1671)は、明末の混乱を避けて来日し、名古屋で没したことが分かっている。そして陳の記した漢詩は、白話小説『二刻拍案驚奇』(1632年刊、中国文学史で習った記憶あり)中の記述を典拠とするのだそうだ。すごい! そんなことまで分かっているのか。これ、美術史の知識だけでは読み解けないよなあ。異分野の英知を集めるって大事だ。最後に、展示図録のつくりがおしゃれで、軽めにできていて嬉しかった。
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女将軍勢ぞろい/京劇・楊門女将2017(天津京劇院)

2017-06-28 23:49:29 | 行ったもの2(講演・公演)
東京芸術劇場 日中国交正常化45周年記念・天津京劇院日本公演『京劇 楊門女将2017』(2017年6月24日)

 毎年、この時期に開催される本場の京劇の招待公演を楽しみにしている。今年は天津京劇院だという。天津には、むかし行ったが、清代に建てられた立派な劇場(戯楼)が残っていて、戯劇(演劇)博物館になっていたと記憶している。北京以上に京劇の本拠地というイメージだ。

 『楊門女将』については、プログラムに加藤徹さんの解説があるが、『楊家将』の物語の後半にあたる。舞台は北宋、楊という武門の一家が国を守るため、異民族と戦うが、楊家の男たちが次々と戦死したあと、女たちが志を継いで戦うという物語だ。明代には古典小説として成立し、多数の京劇の演目を生んでいるが、『楊門女将』は1950年代に初演され、今日まで愛されてきた名作である。私は中国で少なくとも一度、(観光客向けの劇場で)この演目を見た記憶がある。

 第一幕。楊家の大奥様(現当主の母)・佘太君(しゃたいくん)のもとに、辺境から当主・楊宗保の戦死が知らされる。宋の宮廷にも訃報が届く。抗戦派と和睦派の論争になり、皇帝は出陣したいが元帥となるものがいないと嘆く。そこで百歳の佘太君が名乗りをあげ、楊家の娘・嫁たち、そして跡継ぎ息子の楊文広も出陣も決意を表明する。第一幕は動きが少なく、説明的でわりと地味。

 第二幕は辺境の戦場。楊家の女将軍たちが率いる宋軍は西夏の軍勢と激しい戦闘を繰り広げる。あれ?敵は金じゃなかったのか?と私が思ったのは『射雕英雄伝』に毒されている。古典小説『楊家将』では、前半は史実に即した遼との戦いだが、後半は荒唐無稽な展開になって、西夏征伐が描かれるのだそうだ。第二幕も筋は他愛なく、派手な衣装と立ち回りを楽しむ。面白かったのは、老練な白馬に桟道を探させる一段。もちろん舞台上に馬はおらず、馬鞭(房つきの棒)のゆらゆらした動きだけで馬の姿を表現するのだ。

 楊家の女性たちは、背中に光背状の三角旗(軍勢を表す)。ポンポンで囲んだデコレーションケーキのような冠から二本の長い触角(キジの羽根)が伸びている。甲冑に似せたごつい衣装(実際は軽い)で、戦闘シーンは華麗に舞う。旋回運動につれて、短冊を並べたようなスカートがふわりと広がり、ちらっと足もとが見えるのが色っぽい。楊宗保の妻・穆桂英は白+水色、末娘の楊七娘は黒の衣装で、この二人が主役級。でも、物語上、登場人物の個性があまり描かれないのは残念に思った。文芸作品ではなく、純粋に立ち回りのケレンを楽しむ演目なのかもしれない。穆桂英は王艶(ワン・イェン)さんというベテラン女優さんの予定だったが、怪我のため、立ち回りの多い第二幕は許佩文さんが代演。許佩文さんが演じるはずだった楊七娘は程萌さんが務めた。百歳の佘太君を演じたのは19歳の魏玉慧さん。パワフルな歌唱だった。

 昨年に比べて空席が目立つような気がしたが、同じ日に都内で中国の人気漫才師による「相声」公演があったせいではないかと思う。残念。
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実在感の魅力/三国志 きらめく群像(高島俊男)

2017-06-27 23:05:00 | 読んだもの(書籍)
〇高島俊男『三国志 きらめく群像』(ちくま文庫) 筑摩書房 2000.11

 肩の凝らない読みものを求めて、大型書店の文庫・新書の棚をさ迷っていたら、本書が目に留まった。新刊でもないのに、どうして平積みになっていたのか不思議だが、三国志ものには常に一定の需要があるのだろう。まあ私も三国志は嫌いじゃないので読み始めたら、さすが高島さんの本で、めっぽう面白かった。

 はじめに正史『三国志』についての文献学的解説がある。これがすでに面白い。現在通行している『三国志』には全て裴松之の注がついている。陳寿の記述があまりにも簡単なので、なんと250種以上の材料を使って本文の不足を補ったのだ。裴注は、歴史的事実としてはかなりあやしいものも含め、異説を全部平等に並べ、全て出所を記している。これが後世の歴史家にはたいへん役に立った。『三国志演義』は裴注に見える面白い話はたいてい取り込んでいるのだそうだ。『資治通鑑』が、『三国志』『後漢書』の雑多な記事から、けっこう「ヨタ話」を拾っているという指摘も面白かった。こんなふうに広い視野で、文献と文献のつながりがはっきり見えると、歴史にも歴史学にも生彩が宿る。

 著者の語る三国志群像は、当然ながらとても面白い。しかし、あとがきによれば、著者はある出版社の編集者に「三国志ファンには受けませんよね」と言われたそうだ。三国志ファンは、登場人物に固定的なイメージを持っているから、たとえば諸葛孔明は必ず智謀神のごとき軍師でなくてはならない。そうかなあ、著者のスケッチする孔明は、こういう人がいただろうなあ、という確かな手応えが感じられて、私は嫌いじゃない。劉備の信頼は子飼いの家臣ほど厚くない。きびしい正義派で、周囲に怖がられていて、器械の細工が好き。魏の討伐なんぞできるはずがないことは分かっていて、ときどき出撃して暴れて戻ってくる。『三国志演義』(の翻案)系では人徳者すぎて魅力のない劉備も、本書では、チンピラあがりの親分っぽい野太い実在感がある。

 曹操について、毛沢東の詞に、秦始皇、漢武帝、唐宗、宋祖など歴代の帝王をあげて、惜しむらくは「文才が足りない」と評し、帝王の才と文芸の才を兼ね備えるのはただ我のみ、と自慢する作品がある。しかし曹操なら、毛沢東に匹敵(もしくは凌駕)するのではないか。毛沢東は、それを分かっていて、魏武(曹操)の名を挙げなかったのではないか、と著者はいう。本書には、三国志の英雄を、近現代の中国人に譬えた箇所がときどきあって、夏侯惇は毛沢東に仕えた朱徳に似ている、なんていうのも、時代不問の中国好きには面白かった。

 呉の張昭は孫権との関係性が微笑ましい。もともと父の孫堅に仕えていた老臣だから、若い孫権が煙たがっていたのは分かる。「呉の大久保彦左衛門である」という比喩が分かりやすい。周瑜はやっぱり抜群の人気なんだなあ。男と生まれたからには「周郎」となって、人々(特に女性)の心をつかみたいと思うらしい。本書には、あまり私の記憶にない人物も取り上げられていて、西方の暴れ者・韓遂を著者は「『三国志』のなかでも最も魅力に富む人物」と評している。曹操との「交馬語」とか確かにいい。硬骨の正義漢・傅燮(ふしょう)も好きだ。

 ちなみに「交馬語」とは、対陣する双方の大将が武器を持たず、単独で馬に乗って出ていって、話をすることだそうだ。ドラマや映画で見ると嘘っぽいが、古い文献にもあるのだな。「流矢」は日本でいう「流れ矢」ではないとか、言葉の解説が丁寧なのは本書のいいところである。また、むかしの戦いで、勝ったほうが負けたほうの人間を根こそぎ連れていくことに対して、かつては人間が唯一の生産手段だったから、老若男女それぞれ使い道があった、という説明に感心した。なるほど、いろいろ生産手段が整ってくると、人間の数が要らなくなって、皆殺しが起こるのだな。

 なお、偶然だが、本書を読んでいる間に中国で『軍師聯盟(連盟)』というドラマが始まった(ネットで見られる)。司馬仲達を主人公とする三国もので、曹操にいたぶられる献帝を見ながら、でもこの皇帝、54歳まで生きるんだなあとか、本書の内容を思い合わせて楽しんでいる。
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研究者って素晴らしい/バッタを倒しにアフリカへ(前野ウルド浩太郎)

2017-06-26 21:32:41 | 読んだもの(書籍)
〇前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』(光文社新書) 光文社 2017.5

 発売早々「とにかく面白い」という評判をSNSで読んだ。同時にインパクトのありすぎる表紙(顔を緑色に塗って、バッタの扮装をしているのは著者である)も記憶に留めたが、実際に読んでみるかどうかは迷っていた。私はバッタに全く興味がない。虫は苦手なほうだ。だいたい、こんな表紙写真を選ぶような、素っ頓狂な著者(え、正真正銘の博士号持ちだって?)で大丈夫なのだろうか。しかし読み始めたら、面白くて面白くて、一気に読み切ってしまった。

 著者・前野浩太郎氏は、子供の頃からバッタが大好きで、いつかバッタの大群に飛び込み「バッタに食べられたい」というのが夢だった。大人になって、バッタの研究で博士号も取得したが、なかなか就職口がない。そこで、31歳にして、単身、西アフリカのモーリタニアの国立サバクトビバッタ研究所に赴く。ここで研究成果をあげて凱旋すれば、日本の研究機関に就職が決まる可能性も高いと考えたのだ。

 当時、日本人が13人しか住んでいなかったというモーリタニア。もちろん私も初めて聞く国名だった。公用語はフランス語。イスラム教国であるため、日本から持ち込んだ酒類は没収。はじめから雲行きがあやしい。しかし、専属ドライバーのティジャニとは気が合い(あまり言葉は通じていない)、現地のヤギ肉料理も「美味い」と満足する。フィールドワーク中の食事では、みんなが手づかみなのに一人だけスプーンを使って食べているのが恥ずかしくて、いずれは手づかみできるようになろうと考える。この適応力が著者の強み。研究所のババ所長には「よく先進国から来たな」と感心され、心意気を認められて、ミドルネーム「ウルド」を名乗ることを許される。

 一見、無鉄砲に見えて、著者は昆虫学者として生きていく方法をきちんと考えている。大学や研究所の正規ポストをめぐる椅子取りゲーム。それに勝ち抜くには論文を書くこと。ところが、モーリタニアは大干ばつの影響でバッタが姿を消してしまい、論文が書けない。窮した著者は、ライバルたちの論文執筆を横目に、広報活動に精を出すことになる。著書の宣伝イベントを兼ねたトークショー(ジュンク堂池袋本店)で「プレジデント」誌の石井伸介氏に声をかけられる。ここで、蝗害に立ち向かう昆虫学者を描いた西村寿行の小説『蒼茫の大地、滅ぶ』を持参して、著者の心をつかむ石井氏の気配りは、編集者の鑑! そして、「プレジデント」に連載を持つことになった著者は、優秀な「赤ペン先生」石井氏の指導によって、文章力が向上していくのがわかり、「一生ものの財産になった」という。

 さらに「ニコニコ学会β」ではプレゼンテーションの腕を磨き、「研究活動からは遅れをとってしまったが、回り回ったおかげで、大勢の方々から研究を進める上でのかけがえのない武器を授けてもらった」と振り返る。このポジティブ思考、見習いたい。その結果、著者は「平成25年度京都大学『白眉』プロジェクト」の選考を突破し、採用を勝ち取る。面接で出会った京大・松本総長の態度も素晴らしい。研究者の世界って、苦労も多いけど、いいなあと思う。

 最大のクライマックスは、著者がモーリタニアで待ちに待ったバッタの大群に遭遇する場面。著者の興奮が乗り移って、嬉しさに震えた。「私の人生の全ては、この決戦のためにあったのだ」って、戦国武将でもなければ、なかなか持てる感慨ではない。「研究できることがこんなにも幸せなことだったのか」って、ああ、多くの研究者にこの言葉を言ってもらいたい。
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鎌倉あじさい散歩

2017-06-25 23:55:07 | なごみ写真帖
このところ業務イベント続きで忙しかったので、ぐったり気味だった週末。

気分転換に鎌倉散歩に行ってきた。アジサイの季節に訪ねるのは久しぶりである。あちこちで花を見たが、いちばん美しいと思ったのは、鶴岡八幡宮の参道(段葛)から鎌倉駅に向かう交差点、井上蒲鉾店の前のアジサイ。

 車道と歩道を隔てる植え込みにアジサイが1株だけあって、信号待ちをしながら見ていたら、白っぽい制服のおばさんが何本か花を切り取って、束にして店の中に持っていった。あまりに自然なふるまいで、びっくりしたが、蒲鉾屋さんが通行人の目を楽しませるために植えて、育てているのかもしれない。

ガクアジサイの八重で、あまり見たことのない、工芸品のように美しい品種。花嫁のブーケにもなりそう。





それから鎌倉駅前の豊島屋がパン屋併設になっていた。2階はイートインスペース。散歩の前に軽く腹ごしらえをしたいときによさそう。



来週は、たまっている記事を書く余裕があるといいのだけどなあ。

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新潟週末旅行:食べたもの

2017-06-21 00:22:16 | 食べたもの(銘菓・名産)
初日のお昼は新潟駅で野菜天へぎそば。蕎麦好き江戸っ子として、蕎麦はこうあるべき!と膝を打ちたくなるくらい美味しい。お店は「長岡小嶋屋」と言って、新潟の本家小嶋屋から独立した関係にあるらしい。



夜は寿司。これも駅ビル内の手軽な寿司屋なのに美味しかった。

昼食を抜いてしまった2日目は、帰りの新幹線でかつサンド。



前日、コンビニで見つけて試したエチゴビールが気に入ったので、また購入。1缶は持ち帰り用。これ常備用にしたいくらい美味しい。ホームページを見たら、東京でも売っているらしいので、覚えておこう。

大満足。
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アイスショー"Fantasy on Ice 2017 新潟" 2日目+千秋楽

2017-06-20 22:56:46 | 行ったもの2(講演・公演)
Fantasy on Ice 2017 in 新潟(2017年6月17日 14:00~;6月18日 13:00~)

 週末、新潟でアイスショーFaOI(ファンタジー・オン・アイス)を見てきた。FaOIは私の一番好きなアイスショーである。チケットは高い(SS席 21,000円)上に、近年、争奪戦が激しくて定価で入手できた試しがない。しかし大枚を投じても、それを後悔したことはないのだ。

 FaOIの会場は年によって変わるが、私は新潟の朱鷺メッセが一番好きだ。仮設会場のため、観客席の段差が小さく、前が見にくいという欠点はあるが、リンクと客席の高低差も小さいので、選手がとても身近に感じられる。2日目の終演後、羽生くんが「ここの氷はとても滑りやすい」と言っていて、なんだか自分がほめられたように嬉しかった。

 今年の出演スケーターを記録しておく。羽生結弦、宇野昌磨、本田真凜、織田信成、安藤美姫、鈴木明子、以上は先月の幕張公演と同じ。坂本花織、荒川静香が加わった。海外スケーターは、プルシェンコ、ステファン・ランビエール、ジェフリー・バトル、ジョニー・ウィア、ハビエル・フェルナンデス、エラジ・バルデ。新潟には、ラトビア男子のデニス・バシリエフスとロシア女子のメドベージェワが参加。アイスダンスもパパダキス&シゼロンに交代。エアリアルはチェスナ夫妻、それにいつものアクロバット二人組。ゲストアーティストは杏里、藤澤ノリマサ、そしてピアノ演奏とヴォーカルの木下航志。

 しかし何から書けばいいのだろう。土曜も日曜も楽しかったけど、やっぱり千秋楽は弾けるなあ。オープニングの羽生くんは猫耳をつけて登場し(杏里の「キャッツ・アイ」で群舞のため)、腹チラどころか、ガバッとシャツをめくって、会場に悲鳴を巻き起こした。衣装は色違いのキラキラTシャツ。羽生くんはブルー。織田くんも猫耳装着でステージに飛び乗り、杏里とダンスでコラボしてた。

 群舞のあとの一番手は坂本花織ちゃん。カッコいい「007」プロ。次がデニスだったと思う。イギリス映画に出てきそうな正統派美少年で、師匠のランビ先生を思わせる滑り。好きなスケーターだけ書いていくと、プルシェンコは肉襦袢スーツの「Sex Bomb」と「東日本大震災の被災者に捧げる」プログラム。私は両日とも北側だったので、「Sex Bomb」でプルシェンコが観客席に乱入してくるのを近くで見ることができて楽しかった。こういうプロは、朱鷺メッセみたいな小さい会場だとほんとに楽しい。ただ、幕張公演では肉襦袢スーツできれいなジャンプを決めていたのに比べると、疲れのせいか、キレが落ちていたように思う。千秋楽、南側の舞台袖で大きな団扇のようなものを振ってる人がいるのは見えていたのだが、「プルさま」の団扇(ファンの差し入れ)を振る羽生くんだったというのは、あとで知った。

 ランビエールは前半がしっとりした「Sometimes It Snows In April」。後半は「Slave To The Music」というのか。アップテンポの曲に乗って、黒の上下にキラキラの黒のジャケット、片手だけ白銀(?)の手袋を閃かせて、躍る、回る。片手をあげた低い位置でのスピンの美しさよ。ジョニーは大胆衣装の「How it End」と、藤澤ノリマサさんとのコラボで「アメイジング・グレイス」。後者は幕張の、肩にふわふわ羽根つきの優雅な衣装。千秋楽は、2015年のFaOIで披露した「クリープ」を衣装もそのままに再演。両性具有(アンドロギユノス)な雰囲気がジョニーにぴったり。FaOI常連のこの二人については、個人的に「もう一度見たいプロ」が他にもたくさんある!

 ハビエルは、木下航志さんとのコラボ「A Song for you」が珍しく真面目なイケメンプロですごくよかった。あと1つ、2日目は海賊プロ(パイレーツ・オブ・カリビアンか?)で、椅子に座って寝呆けている親分(実は安藤美姫ちゃん)の腰から引き抜いた剣を持って、くるくる舞う所作が武侠ドラマみたいで笑った(具体的にいうと琅琊榜の藺閣主を思い出していた)。千秋楽は、だぼだぼのオーバーオール姿でチャップリンプロ。また、安藤美姫ちゃんの「Eres tu」に途中からス~と入ってきて、後半はコラボで滑ってくれた。

 初めて生で見たメドベージェワは、テレビの中だと「手足が長すぎる」印象があったが、リンクではその長い手足の映えること。荒川静香さんの変わらぬ身体能力の高さには驚嘆した。織田くんよかったなあ。特にランビ振り付けの「To Build A Home」(The Cinematic Orchestra)は美しかった。ミスもなく完璧。

 そして羽生くんのバラード1番は、幕張3日目ほどの完成度ではなかったけど、楽しかった。満場の観客が心をひとつにして固唾を呑んでる感じがすごく気持ちよかった。2日目のアンコールは、幕張と同じ「Let's Go Crazy」。千秋楽もアンコールがあることは分かっていたけど、ステージ上でギター生演奏が始まったときは会場騒然。「パリの散歩道」のサビで、バラード1番の衣装のまま(腕まくりして)羽生くん登場。踊りまくって、北側はヘランジ(笑)を正面でいただきました。

 その興奮も冷めやらぬフィナーレは「希望の歌(第九)」。衣装は銀のTシャツに黒の襟付きジャケット、胸の正面に青いリボンが付いている。女子は上下キラキラの青。羽生くんは、猫耳ならぬ「プー耳」をつけて登場。よく見ると、他にも猫耳をつけたスケーターがたくさんいて楽しそうだった。スケーターが全員退場したあと、羽生くんのマイクパフォーマンスで「人生で、そんなに長い人生じゃないけど、一番楽しい梅雨でした」という発言に拍手。FaOIに戻ってきてくれてありがとう。東京に帰りついたときは雨が降り始めていたけど「人生で一番楽しい梅雨でした」が胸に残っていたので、寂しくなかった。

 なお、新潟のプログラム(冊子)は、バトルのインタビューと羽生結弦のインタビューを掲載。読み応えあり。むかし、アイスショーのプログラムって、写真しか載っていなくてつまんないんだなーと思ったことがあるが、FaOIは、このへんも観客層のニーズをよく分かっている。
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新潟散歩/北方文化博物館・新潟分館+旧斎藤家別邸

2017-06-18 23:58:46 | 行ったもの(美術館・見仏)
新潟に行ってきた。恒例のアイスショー「ファンタジー・オン・アイス(FaOI)」を見るためで、今年は土日公演のチケットを取っていた。今日(日曜)は午前中に少しだけ市内観光をした。

北方文化博物館・新潟分館

今年は初めて駅前でなく市の中心部のホテルを取ったので、ぶらぶら歩いて同館に行ってみる。住宅街に残る古いお屋敷。ここは明治末期に北方文化博物館の七代目伊藤文吉氏が取得した建物で、会津八一終焉の地でもある。

会津八一は新潟古町の生まれ。早稲田大学を卒業後、新潟に戻り高校教員となるが、早稲田中学校の教員として再び上京、東京で暮らしていた。昭和20年、戦災にあった八一は新潟県に疎開、郷里の友人の奔走により、伊藤文吉の持ち家であった新潟別邸に寄寓し、晩年を過ごした。



邸宅は一続きの広い日本家屋と小さな洋館からなる。日本家屋の2階には「潮音堂」の額が掛かっていた。東側と南側は全面がガラス戸で眺望がいい。



実は1階も座敷の東側と南側は広い濡れ縁があり、その外側に土間があり、ガラス戸で囲まれている。これって冬の雪風を防ぐための造りだろうか。新潟の郊外で、同じような造りの近代住宅を見た記憶がある。



なお館内には、会津八一旧蔵の良寛の書が多数展示してあり、「天上大風」が見られたのが嬉しかった。

旧斎藤家別邸

北方文化博物館分館の受付で「斎藤さんのお宅にも行かれますか?」と聞かれた。は?と戸惑ったが、そういう観光名所があったことを思い出して、共通券を購入した。両者は歩いて2、3分の距離にある。会津八一旧居もなかなかのお屋敷だと思ったが、ここは全く規模が違うということが、足を踏み入れてすぐ分かった。南北は短く、東西に長い屋敷(風遠しをよくするため)で、広い回遊式庭園を構える。↓庭園の奥から家屋を見たところ。



池の背景は、程よい目隠しになるくらいの小高い丘になっていて、鬱蒼と松が茂っている。これは砂丘と、防風林として植えられた松林そのものなのだそうだ。「ブラタモリ」新潟編を思い出す。砂丘の途中から水が湧き、滝が流れている。



ここは、豪商斎藤家の四代目・斎藤喜十郎が、大正7年に別荘として造ったもの。庭園は東京の庭師、二代目松本幾次郎と弟・亀吉による。戦後は進駐軍による接収を経て加賀田家の所有となった。新潟に本社を持つ建設会社・加賀田組のことだと思う。この屋敷を非常に大切に使ってくれた、とボランティアの方の話。

しかし、その後、さらに別の会社(横文字の社名を言っていた)に所有が移り、解体してマンションに建て替える計画が持ち上がった。これに対して、保存を願う市民有志の運動が起こり、署名・募金・請願などが実を結んで、新潟市による公有化が実現した。いい話だなあ。戦後の所有者であった加賀田組が「旧斎藤家」の名前を了解したというのも奥ゆかしい。公開が始まったのは、平成24年(2012)からとおっしゃっていたと思う。まだ新しい観光名所なのだ。



それにしても解体されなくて本当によかった。板戸に見事な牡丹孔雀図が描かれていて「紫煙」という署名があった。調べたら、岩手県生まれの画家・佐藤紫煙というらしい。いろいろ発見の半日遊だった。
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13億人の指導者/習近平の中国(林望)

2017-06-17 22:34:55 | 読んだもの(書籍)
〇林望『習近平の中国:百年の夢と現実』(岩波新書) 岩波書店 2017.5

 むかしから中国には一定の関心があるので、その指導者に対しては素朴な好き嫌いがある。朱鎔基、胡錦濤さんなどはわりと好き。習近平は、早くから優秀なリーダーと聞いて期待を寄せていたのだが、習政権が誕生すると、言論や市民運動に対する締め付けが一気に強まり、やれやれ、この政治家は嫌いというのが、私の第一印象だった。だが、少し冷静に習近平の中国を俯瞰的に見てみると、好きにはなれないが、そんなに悪い指導者ではないかもしれない、と思うようになってきた(同時代の世界の政治リーダーにどうしようもないのが多いせいもある。特に日本)。

 習近平は、2012年11月、党総書記に就任し、2013年3月、国家主席に選出された。2016年10月、中国共産党は「習近平同志を核心とする党中央」という言い回しを含むコミュニケを発表した。これは習近平の権力が最高レベルに達したことの現れである(知らなかった)。かつて共産党の「核心」と呼ばれた総書記は、毛沢東、鄧小平、江沢民の3人しかいないという。本書は、2011年3月から5年余り、朝日新聞社特派員として現地に滞在した著者が、中国で起きたことと、中国が目指す方向について、分析・記述したものである。

 第1章は外交が主題。習近平の中国は、本気で国際秩序の構築に参画しようとしている。著者はその意思を「世界のあり方をデザインしていくことへの意欲」とも呼んでいる。確かにこの点は、これまでの中国とは一線を画す変化が起きているように思う。当然、最も重要なのは対米関係であるが、相手が前例にないアメリカ大統領トランプというのは、習にとって吉と出るか凶と出るのか。

 習は、鄧小平の「韜光養晦」(能力をひけらかさず力を養う)路線を転換して、積極的な「奮発有為」を掲げている。その強硬路線(特に海への野心)は周辺国とさまざまな摩擦を呼んでいる。尖閣諸島問題もそのひとつだ。しかし中国は、そもそも対日関係にそれほどの関心を持っていないのではないかと思う。

 中国共産党が、抗日戦争での勝利を「統治の正統性の基礎」としてきたことはよく知られている。興味深いのは、第二次大戦の終結から70年目の2015年、中国は、抗日戦争を米英ソとともに戦った「反ファシズム戦争」の枠組で捉えなおすとともに、長らくタブー視してきた国民党の功績に光をあて、「オール中国」の戦いと勝利に位置づけなおした。中国の志向する国のかたち、そして世界の中のポジションが変わりつつあることを示す証左ではないかと思う。

 第2章は内政。改革開放の進展によって、一部の人々は素晴らしく豊かになり、多くの人々が「小康」と呼ばれる状態を享受するようになった。しかし、環境汚染、地位や財産を失う不安、不公平感、モラル崩壊など、さまざまな社会のひずみが生まれている。そしてまだ全国で七千万人が「貧困」状態にあるという。山積する課題の中、十三億人をおおよそ食わせ続け、生活レベルをじりじり上げているのは、まあ指導者としてよくやっているほうかもしれない、と考えたりする。

 著者の友人の中国人は、旅行先のエジプトで「強いファラオを戴いていることをもっと喜ぶべきだ」と言われたという。2011年、中東諸国で起きた民主化運動は独裁者たちを追いやったが、その後に政治的混乱や宗教的対立を招き、民衆は穏やかな暮らしを失ってしまった。それに比べたら、中国は幸せだというのだ。これには一理ある。しかし、一方で趙紫陽の政治秘書だった鮑彤(たん)が語る「(政権は)権力を失ったら共産党は瓦解して、中国はバラバラになると恐れている」「(しかし)国民党が下野しても台湾はそこにあ(った)」というのも示唆に富む言葉である。

 第3章は党について。習近平は「毛沢東でもあり、鄧小平でもあろうとしている」という政治学者・李凡の言葉が印象的だった。毛沢東の時代とは、つまり文革という災禍に襲われた時代であるが、そうした「回り道」も含めて今日の中国があると習は表明している。これは「回り道」をなかったことにする、という意味ではあるまい。このへんも、中国という国家が、一皮向けて次の段階に進んだことを示しているように思う。

 習近平政権が言い始めた「中国の夢」というスローガンは、空疎な感じがして仕方ないのだが、もうひとつの「百年の夢」という言い回しには、むしろ中国人の実感が伴っているように思う。アヘン戦争に始まり、新中国が成立するまでの苦難の百年に対して、共産党の指導の下、再び世界の大国となるまでの百年。私は中華人民共和国の建国百周年(2049年)を見られるだろうか。そのとき、習近平がどのように評価されているかも興味がある。

 複雑な中国の政治事情を豊富な情報から冷静に分析した良書。同じ題名の宮本雄二『習近平の中国』(新潮新書、2015)もよかったけど、本書も大変面白かった。
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