見もの・読みもの日記

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あおによし神鹿の社/春日大社 千年の至宝(東京国立博物館)

2017-01-30 23:36:16 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 特別展『春日大社 千年の至宝』(2017年1月17日~3月12日)

 約20年に一度の「式年造替」が平成28年(2016)に60回目を迎えた節目を記念して、奈良・春日大社の名宝の数々を、かつてない規模で展観する。

 展覧会の構成は、まず大型モニタで緑豊かな境内の映像を見せ、横を見ると愛らしい小鹿の映像。そして最初の展示室にいざなわれると「神鹿の杜」と題して、鹿、鹿、鹿…。金地の『鹿図屏風』六曲二双には、宗達ふうの鹿の群れ。細見美術館所蔵のラブリーな『春日神鹿御正体』も来ている。「鹿島立神影図」や「春日鹿曼荼羅」は各種あり。南北朝~室町時代の作が多いが、陽明文庫が所蔵する最古の『春日鹿曼荼羅』(鎌倉時代)も出ていた。白鹿ではなくて、普通の鹿の毛並みで描かれている。藤田美術館の『春日厨子』は、凛とした神鹿の人形を収め、白い狩衣の四人の神官が従う。鹿の頭上の天井には龍?

 絵巻『春日権現験記絵』(原本)が早くも登場。現在の展示は巻20で、春日の神が怒りを発し、春日山の木々が枯れ果てたが、神火が星のように飛んで社に入ったという場面である。ご神火は(たぶん)描かれていなくて、長大な画面の右端と左端に、何やら指さして噂しあう人々が描かれている。画面の中ほど、鳥居の下には、平和そうな鹿の群れが描かれているのも面白い。後期は巻12に入れ替わる。なお、絵巻の閲覧に使われたという「披見台」も出ていたが、「屏風のように立てて使用された」という説は初めて聞くもので、面白かった。閲覧を許された者以外が覗き見できないように、手元を隠したのだろうか。それとも風除け?

 そして、突然、狭い視界に春日大社御本殿(第二殿)がぬっと現れる。ほぼ実物大の復元だそうだ。左右の御間塀の壁画も見どころ。扉の前には、螺鈿の美しい八足案(机)と、その机の下に丸盆が二枚重ねて置かれていた。軒先には瑠璃灯篭の復元品が輝いている。原品(鎌倉時代)は展示ケースの中。

 続いて「平安の正倉院」と題して、さまざまな神宝類を紹介。12世紀(院政期)の品が多い。品のよい花鳥文を散らした平胡簶(やなぐい)は藤原頼長が使用したもの。『金地螺鈿毛抜形太刀(きんじらでんけぬきがたたち)』には、雀とブチねこ(なぜか大きさが同じくらい)で装飾されている、宋画に「捕雀猫図」という主題があるのだそうだ。

 次に「春日信仰をめぐる美的世界」には「春日宮曼荼羅」が多数。かつて根津美術館で見た『春日の風景』展の記憶が、少しずつよみがえってきた。最大画面を誇る、奈良・南市町自治会所蔵の「春日宮曼荼羅」は、多くの鹿が描かれていて楽しそう。若宮の神楽殿には、童形の若宮神が姿をのぞかせている(小さくて分かりにくいが、あとの方で拡大写真がある)。このセクションは第二会場に続き、仏画や彫刻の文殊菩薩像、地蔵菩薩像などもある。春日大社の第一殿から第四殿の神々は、釈迦、薬師、地蔵、十一面観音の化身とされ、若宮は文殊の化身とされたのだ。円成寺の十一面観音菩薩立像も来られていた。

 奈良博の『春日龍殊箱』も見ることができた。前期は外箱、後期は内箱だそうで、早めに行ってよかった。それから地味だが、伝・経覚筆『三社託宣』の書軸にも注目。いま売れている話題の新書『応仁の乱』に登場する興福寺僧の書跡である。こなれた達筆。

 「奉納された武具」には、鎌倉~南北朝時代の刀剣、大鎧と胴丸など。「神々に捧げる芸能」には、古い舞楽面や伎楽面が多数出ていて楽しい。「貴徳鯉口」など、あまり他所で見ないものもあった。「崑崙八仙」という曲、一度見てみたい。会場には春日若宮おん祭の超ダイジェストビデオも流れていたが、この祭礼もいつか体験してみたいものだ。最後は「春日大社の式年造替」で、文書資料に加えて、獅子・狛犬の四ペアが並んでいた。平成28年(2016)まで、御本殿の第一殿から第四殿の軒下に据えられていたものだ。第一殿のペアが最も古く(鎌倉時代)、それぞれ顔つきや姿態が異なるのが面白かった。

 なお、展示品の解説ボードに高い比率で「鹿」マークが添えられているので、途中で係員さんに聞いてみたら「あれは作品のどこか(絵や文字など)に鹿がいるという印です」「マークは4種類ありますが、絵の違いは意味がありません」とのこと。なんだ~。でも、マークのある作品(工芸品)で、どこに鹿がいるんだろう?とぐるり回ってみると、裏側にいたりするのは面白かった。

 たまたま直前に読んだ『スキタイと匈奴 遊牧の文明』によれば、スキタイの民は鹿を神聖視していて、その理由は、鹿の角が生え変わることにある(=再生を意味する)と書かれていた。鹿島から春日に鹿の信仰を伝えた人々も、同じことを感じていたのだろうか。
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