見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

武侠とロマンスの上海/中華ドラマ『遠大前程』

2018-07-31 22:57:26 | 見たもの(Webサイト・TV)
〇『遠大前程』全56集(2018年、芒果影視文化有限公司他)

 武侠や古装劇が好みなので、このドラマ、果たしてハマるかな?と迷いながら見てみたら、面白かった。舞台は1920年代の上海。租界の賭場やキャバレーには華やかな洋装の男女が行き交い、裏社会では秘密結社のボスたちが死闘を繰り広げ、労働者は団結して新しい社会を目指す。アクション、コメディ、ロマンス、冒険、人情、武侠などの諸要素が、てんこもりに盛り込まれた連続ドラマである。「遠大前程」は「前途洋々」くらいの意味らしい。

 主人公の洪三元(洪三)は、蘇州の芸妓・紅葵花(自称・美人)に育てられた捨て子である。成長して、養母の美人と弟分の斉林を伴い、一旗揚げようと志して上海にやってきた。上海の最大勢力・永鑫公司に入り込み、舌先三寸と強運で数々の危機をくぐり抜け、出世街道を駆け上がっていく。永鑫公司の三大亨(三大ボス)のうち、老大・霍天洪は悠揚として小さなことにこだわらず、普段はかわいいおじさんだが、怒ると怖い。演じるのは倪大紅(私は見ていないが『三国』の司馬懿)。老二・張萬霖は最も凶悪、短気で陰険。斉林を悪の道に誘い込み、洪三の宿敵となる。演じるのは劉奕君(『琅琊榜』の謝玉を演じた方だが、謝玉の悲哀や人のよさを全く感じさせない、振り切れた悪役ぶり)。老三・陸昱晟は穏やかなインテリやくざ。演じるのは趙立新(2017年版『射雕英雄伝』の洪七公)。陸昱晟は洪三の才能を愛し、かばい続けるのだが、最後に洪三が知略を振り絞って永鑫公司に戦いを挑んだとき、それを跳ね返したのも彼である。三大亨は性格づけもビジュアルも個性的で魅力的だったが、何よりも声がそれぞれのキャラに合っているのが、すごくよかった。

 洪三は永鑫公司の計らいで小さな賭場を任され、そこで「一爺」と名乗る男勝りの女性とその仲間たちと知り合う。彼らは、幼いころ張萬霖に家を焼かれ、家族を殺されており、復讐の機会を狙っていた。一爺こと林依依は次第に洪三に惹かれていく。一方、洪三は、民族資本家で大富豪の于杭興のひとり娘・夢竹に夢中になり、斉林と恋の鞘当ての末、夢竹との結婚を勝ち取る。しかし、結婚式当日、洪三は自分が間違っていたことを悟り、林依依と駆け落ちする。ここまでが、だいたい前半で、コメディ七分、シリアス三分くらいで進む。

 洪三夫婦は山村で平和に暮らしていたが、張萬霖が差し向けた刺客によって、依依は殺されてしまう。ひとりになった洪三が、張萬霖への復讐の誓いを胸に上海に戻ってきてからが後半。オープニングとエンディングの曲が哀調を帯びたものに変わる。後半はシリアス度が増すが、コメディ成分が全くなくなるわけでもない。喜劇と悲劇が同時進行するのは中国ドラマの得意とするところ。

 上海の空気は風雲急を告げていた。埠頭で働く労働者たちは組合を結成してストライキを決行。その中心にいたのは、共産党に希望を託す知識人の梁興義と、彼の思想に共鳴する厳華。厳華は、やはり美人に育てられた洪三と斉林の兄貴分である。資本家の于杭興は組合と対立する立場にありながら、ひそかに労働者たちを支援し、女学生の于夢竹は路上に出て反政府デモに参加していた。外国人たちも暗躍する。イギリス領事のホートン(霍頓)は中国の古美術品マニアで、利権を貪り、文物を集めて私蔵していたが、洪三は、誘拐された娘のイーシャ(伊莎)を救ったことから知遇を得る。永鑫公司のライバル・八股党の沈青山、軍閥の領袖・李宝章、共産党の影響力を恐れる国民党の徐世昭(別名・徐可均)など、多士済々。しかし一番悪いのは日本人勢力である(笑)。

 共産党は武装起義(蜂起)を決行するが、永鑫公司の援助を得た軍閥政府はこれを撃破。共産党は壊滅に追い込まれる。洪三は、華哥(厳華)の遺志を受け継ぎ、梁興義を上海の外に逃がそうとする。しかし奇想天外な脱出作戦も三大亨によって阻止され、最後は、決死の正面突破しかない、と腹を括る。ここで洪三を助けに馳せ参じるのが、ドラマの中で友情をはぐくんだ武侠高手たち。

 この物語世界には「上海十三太保」と呼ばれる十三人の武侠高手が存在し、「乞丐、教頭、納三少、車夫、師爺、小阿俏、瞎子、酒鬼、黑白無常、龍虎豹」と数えられている。この中には、永鑫公司の師爺(夏俊林)や、かつて沈青山に仕え、今は永鑫公司に従う黑白無常という二人組など強敵もいる。一方、教頭(沈達)、車夫(余立奎)らは洪三の仲間。秦氏の龍虎豹三兄弟のひとり秦虎は、はじめ洪三の命を狙っていたが、次第に友情を感じ、梁興義を送り出す壮挙に参加する。

 このくらいにしておくが、ドラマはもっと波乱に富んでいて、もっと面白い。また、実力派俳優(特に男優)が総集結しているので、知っている顔を見つけるのも楽しい。厳華役の富大龍とか徐世昭役の許亜軍はすぐに分かった。坊主頭に丸眼鏡の梁興義は、いかにもこの時代の知識人という雰囲気だったが、ずいぶん終盤になって、演じている成泰燊は『風起長林』の墨淄侯じゃないか!と気づいた。斉林役の袁弘は、胡歌版『射雕英雄伝』の楊康で、やっぱりイケメンなのにクズが似合う。洪三を演じた陳思誠と林依依を演じた佟麗婭が実生活でも夫婦であることは途中で知った。主演の陳思誠は、本作の監制と総編(screenwriter and producer)もこなす才人である。

 毎回、冒頭に「本故事純属虚構(この物語はフィクションです)」という注意書が表示されていたが、三大亨のモデルが「上海青幇」の黄金栄、張嘯林、杜月笙であることは、中国史好きならすぐ分かるのだろう(私は初めて知った)。中国語サイトをまわってみると、共産党の梁興義は誰で、国民党の徐世昭は誰か、軍閥の李宝章は誰か等々、興味深いモデル探しが行われている。ドラマとして唯一の欠点は、日本人の扱いだろうか。別に悪役でもいいのだが、中国人俳優に日本語のセリフを喋らせているので片言すぎて失笑ものなのだ。しかし、あれは中国人であるにもかかわらず日本人勢力に加担した「漢奸」であると考えれば、カタコトでもいいのかもしれない。
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開館・初訪問/神護寺経と密教の美術(半蔵門ミュージアム)

2018-07-29 23:51:31 | 行ったもの(美術館・見仏)
半蔵門ミュージアム 特別展示『神護寺経と密教の美術』(2018年4月19日~7月29日)

 今年4月に開館した半蔵門ミュージアムは、宗教法人・真如苑が所蔵する仏教美術品を一般に公開するために設立した文化施設である。そのうち行こうと思っていたら、開館初の特集展示が会期末になってしまったので、慌てて行ってきた。場所は東京メトロ半蔵門駅の4番出口の真上のビルで、迷いようがない。建物に入ると、ホテルのフロントのような受付で制服のお姉さんに「いらっしゃいませ」と迎えられる。来館者であることを示すネームプレートを渡され、「地下1階の展示室からどうぞ」と案内された。このミュージアムは入館無料なのである。

 地下1階の展示は、まず細長い部屋に、ガンダーラの仏像と釈迦の生涯をあらわした浮彫彫刻が並ぶ。素人目にも、すごく状態のいい貴重なものであることが分かる。それから日本の木造仏が1躯、梵王身立像(観音三十三応現身のうち)という珍しいもの。釣り目で、厳しく凛々しい表情をしている。会津・法用寺に祀られる仏像と共通性があり、明徳5年頃(南北朝時代、14世紀末)の作と推定されている。

 次は、四角いホールのような部屋で、中央にあの運慶作の大日如来坐像がいらっしゃった。視界に収まらないくらい背の高い、四面ガラスのケースに収まっているのだが、これは展示ケースではなくて、現代の厨子だという気がした。展示品を見るように、大日如来の四方をくるくる回りながら、同時に宗教的な気持ちも強く感じた。左側の壁には色彩鮮やかな両界曼荼羅(江戸時代、醍醐寺金剛王院旧蔵)。右側の隅には、やや細身で真黒な不動明王坐像(平安-鎌倉時代、12-13世紀)。確か「醍醐寺普門院旧本尊」とあったと思うのだが、「醍醐寺普門院」が確認できないので疑問符つきで残しておく。透かしの光背(全体は黒で頭光の部分だけ金色)が美しかった。光背と台座は、慶派21代・康正の作(慶長年間)。

 そのあとが特集展示で、密教系の仏画、神護寺経と経秩など。最後も仏画で絹本の真言八祖像(室町時代)と大きな弘法大師像。空海の師である恵果和尚を見ると、映画『空海』を思い出して、にやにやしてしまう。文書資料の『東寺解由状』には、東寺二長者だった聖宝(醍醐寺の開祖)の署名があって興味深かった。肩書は「少僧都法眼和尚位」なのだな。「宝(寶)」の字が「聖」に比べてアンバランスに大きい。

 地下1階を見終わると、エレベーター前のカウンターのお姉さんに「あと5分位で上映が始まりますので3階へどうぞ」と言われて、3階に上がると「ホールでお待ちください」と通された。ホールは、明るく開放的な空間で、インド寺院の風景を映したビデオが流れていた。わずかな待ち時間も退屈させないようになっており、至れりつくせりである。やがて、上映時間になると別室のシアターに案内された。ここは赤いふかふかの椅子席で、上映が始まると暗くなり、画面に集中できるようになっている。

 上映作品は「大日如来坐像と運慶 祈りと美、そしてかたち」と題した18分のビデオで、18分は長いんじゃないかと思ったが、全然そんなことはなかった。なんと運慶の名品をあれもこれも一気に見ることができるので、仏像好きには至福のビデオである。真如苑の大日如来坐像は、さまざま角度で捉えられており、憂いを感じさせる目元のアップとか、ふっくらした足の裏とか、え、そんなところを!とドキドキしてしまった。最後に監修者として山本勉氏のお名前が出て、あーなるほどと納得した。これは本気で仏像好きを喜ばすビデオである。

 また、2階にはマルチルームという展示室があって、「当館の大日如来坐像と運慶作品-その納入品と像内荘厳-」というパネル展示をやっていた。真如苑の大日如来像は、X線撮影により、像内に心月輪や五輪塔形の舎利容器が納入されていることが判明しているが、ほかの運慶作品の像内納入品の状況をまとめて紹介するもの。非常に面白かった。

 2008年に真如苑がこの大日如来像をクリスティーズのオークションで獲得したときは、14億円という破格の高価格に注目が集まり、豊富な資金力を揶揄するような悪評もずいぶん聞いた。私も、国民の宝であるべきものが、うさんくさい宗教団体の所有物になった気がして、正直、あまりいい気持ちがしなかった。しかし、その後は東京国立博物館できちんと調査・公開された上、このたび作品にふさわしい最上級の環境で、全ての人に無料公開されることになった。まことに喜ばしい限りで、当時の自分の不明を謝罪したい。
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常識のウソを剥ぐ/武士の日本史(高橋昌明)

2018-07-27 21:35:09 | 読んだもの(書籍)
〇高橋昌明『武士の日本史』(岩波新書) 岩波書店 2018.2

 私たちがテレビや映画の時代劇(ほとんどが江戸時代劇)から学んだ「常識」的な武士の姿はどこまで「史実」なのか? 歴史学が見出した最新の武士像を、自説を交えて紹介する。古代から近代まで、ものすごく広い守備範囲なのに、粗雑にならず、どの時代の記述も新しい発見があって面白かった。

 武士の発生については、地方農村での発生説が強い影響力を持っている。しかし、奈良時代ないし平安前期の頃から、武士(武官系武士)は存在していた。著者は (1)平安前期~11世紀後半 (2)白河院政開始から治承・寿永の内乱開始まで (3)鎌倉幕府成立以後に区切って、初期の武士を考える。(1)(2)期の武士は、王(天皇)の安全と都の平和の護り手という点は共通するが、(2)期は、王権の引きたてを得て成長した中央の有力武士が、地方社会に出現した武士を、従者として組織するようになる。(3)期は、武士がほぼ在地領主層によって構成されるようになり、王権の守護者という建前を継承しつつ、王権からの自立度が大きくなった。このへんは大河ドラマ『平清盛』を思い出すと、よく理解できた。著者は平家の政権を、鎌倉幕府の先蹤、むしろ幕府(武士政権)の嚆矢と見る立場で、この検証も面白く、平家びいきの私には嬉しかった。

 鎌倉幕府は京都の王朝を否定せず、幕府が朝廷によって存在を保障されるという建前は維持された。しかし、室町幕府の三代将軍・足利義満は、内大臣になって以降、武家風の花押を公家風に改める。これは公家・武家双方を統一せんとする意志を示したものだともいう。その後、応仁の乱(あるいはそれに先立つ内乱)によって、室町幕府は中央政権としての機能を失い、地方では守護領国制が進行し、守護または守護代の中から戦国大名に成長するものが生まれた。

 一般的な中世武士の社会経済的実体は、農村を中心として自分の所領たる地域を支配する在地領主である。中世後期になると、有力百姓の中から侍身分に上昇する動きが活発になった(新侍・地侍という)。このへんも私の好きな戦国大河『風林火山』や『真田丸』『おんな城主直虎』などに思い当たるフシがあり、楽しかった。

 閑話休題的に挟まれる「武器と戦闘」の章は、単独の読みものとしても面白い。『平家物語』で和田義盛が語る「楯突くいくさ」「馳組むいくさ」とは具体的にどんな戦いか。どんな馬に乗っていたか。日本の在来馬は気性が荒い上に去勢していないから暴れ馬だった(淡河定範という武将がメス馬を集めて敵軍の前に放ったという話には笑った)。気の荒い馬を制御するには口取(馬子)がいる。口取が付くとなれば、特別な場合を除いて、軍馬は疾走はできない。しかも在来馬は蹄鉄も付けていなかったので、当時の戦いは、今日想像するよりずっと緩慢に行われただろうという。あと、馬の飼料を確保するの草刈という職業があって、戦場でも敵陣近くまで草を刈りに出たりしていた。半日放牧して草を食わせ、半日行動したというのを読んで、のんびりしてるなあと思った。また(馬上で刀を遣うため)日本人は本来、刀を片手で遣ったとか、騎馬武者ははじめから鞘を払って太刀をかついだとか、ルイス・フロイスが「日本人は戦わなければならない時には、馬から降りる」と証言していることなど、とにかく面白い。

 武士の精神史は、戦国期以前と江戸時代で大きな違いがある。中世においては「武士は渡りもの」で、名利に生きる戦闘の職人だった。しかし戦国の争乱が終息し、武士が為政者的性格を併せ持つようになると、治者としての道徳心を重んじる伝統が(儒教と結びついて)持ち込まれる。日本人が武士を倫理的・道徳的な存在と見るようになったのは17世紀後半以降だが、もとから倫理的・道徳的な存在であるかのように思い込み、あるいは思い込まされてきたのである。身も蓋もないな、と思いつつも納得。『葉隠』にも言及あり。また、東アジア世界において、武士道(武士の思想)の異様さは際立っているという指摘も興味深かった。

 明治維新後、武士から士族に編入された人々はさまざまな特権を失うが、武士的な生活様式や名誉意識は存続した。そして対外膨張のための戦争を繰り返す中で「今の軍人は即ち古の武士」という思想が広まり、武士道の捨身や死の覚悟の強調も、国家や天皇のための滅私奉公の理屈として利用されていった。そう、近代日本の「武士道」は、私たちの祖国の歴史の中で武士と呼ばれた人々とは、ほとんど何の関係もないのである。そのことは分かっていたつもりだが、本書を読んであらためて確信した。
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安定の名作劇場/文楽・卅三間堂棟由来ほか

2018-07-26 23:46:58 | 行ったもの2(講演・公演)
国立文楽劇場 平成30年夏休み文楽特別公演(7月21日、14:30~、18:15~)

・第2部 名作劇場『卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)・平太郎住家より木遣り音頭の段』『大塔宮曦鎧(おおとうのみやあさひのよろい)・六波羅館の段/身替り音頭の段』

 たまたま前日の金曜日が大阪で仕事だったので、翌日のチケットを取ったら、珍しく初日公演だった。最前列の席だったこともあり、ときどき舞台の上に不慣れな感じが見えて、それも一興だった。第2部は「名作劇場」とうたっており、『三十三間堂棟由来』はよく聞く演目だし、きっと見たことがあるだろうと思ったが、全くストーリーに覚えがない。どうも初見だったらしい。プログラムのあらすじによれば、その昔、紀伊国の山中に梛(なぎ)と柳の大木が夫婦となっていたが、蓮華王坊という山伏(?)に連理の枝を伐り落とされてしまう。蓮華王坊は柳の枝に貫かれて命を落とし、白河法皇に生まれかわる(この想像力!)。梛の木は横曽根平太郎という人間に生まれかわり、老母、嫁のお柳(実は柳の精)、みどり丸という幼い息子と暮らしている。

 ここからが上演の段。お柳は、都に三十三間堂を建立するため、柳の木が伐り倒されることを聞き、眠っている夫に別れを告げて消え去る。慌てる家族たち。そこへ訪ねてきた盗賊・和田四郎(実は源義親の郎党)は、老母を池に吊り下ろして惨殺し、みどり丸に刃を向ける。鳥目の平太郎は手向いができなかったが、あわやというとき、カラス(熊野権現の使い)の羽音がして、平太郎の目が開き、四郎を討ち果たす。一夜明けて、街道筋を曳かれていく柳の木が突然、動かなくなる。平太郎とともに駆けつけたみどり丸は、自ら綱を曳いて、母を都へ送り出す。

 平太郎を玉男。お柳を吉田和生。和生さんはどんな役を遣わせても安定感があるが、こういう古風なヒロインがいちばん合うと思う。語りは睦太夫、咲太夫、呂勢太夫。咲太夫さんは、最近、別人のように痩せられて、少し心配だが、声は艶があり、よく聴こえた。

 『大塔宮曦鎧』は題名さえも記憶にない作品だったが、竹田出雲・松田文耕堂の合作で近松門左衛門が添削したもの。明治以来、上演が絶えていたものを平成22年に「文楽古典演目の復活準備作業」の一環として野澤錦糸によって復曲され、平成25年に復活上演された。プログラムに復曲を手掛けた野澤錦糸さんのインタビューが載っていて、昔の師匠の完本(まるほん)に三味線の譜面が朱で記されているのをたよりに復曲するのだそうだ。「近松門左衛門さんが添削した作品ですから、字余り字足らずの詞章が多いんですよ」「太夫の語りを印象付けるたけに、あえて七五調にしていないように思いますね」などの指摘を読んだあと、上演中「字余り字足らず」に気をつけていると、確かに納得できた。いつも思うのだが、大阪公演のプログラムは、東京公演より格段に中身が濃い。

 上演の段は六波羅館から始まる。後醍醐天皇は隠岐に流され、若宮と生母・三位の局は、永井右馬頭の屋敷に預けられている。六波羅守護職の常盤範貞は、三位の局に横恋慕し、送られた灯籠や浴衣の図柄を見て色よい返事をもらったと喜んでいるが、謹直な古武士の斎藤太郎左衛門は、別の解釈を示して、範貞の思い込みをくつがえす。このへんは、和歌文学の教養を楽しむ仕掛けで面白い。怒った範貞は、切子灯籠にことよせて、若宮の首を差し出すように命じる。永井右馬頭と妻の花園は、我が子を身替りに差し出そうと悩むが、浴衣姿の子供たちの踊りの輪に割って入った太郎左衛門は、全く別の町人の子の首を斬り落とす。それは町人の子ではなく、太郎左衛門の亡き息子が残した、彼の孫だった。咲寿太夫、靖太夫(+錦糸さん)、小住太夫、千歳太夫のリレーで文句なし。名作劇場の名前に恥じないと思った。あと舞台に登場する切子灯籠で、昨年見た八瀬の赦免地踊りを思い出し、懐かしかった。

・第3部 サマーレイトショー『新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)・野崎村の段』『日本振袖始(にほんふりそではじめ)・大蛇退治の段』

 『新版歌祭文』は何度見てもいい。お染も久松も、社会倫理的には全くダメなやつだけど可愛くて憎めないところに、人間の不思議さを感じる。おみつは豊松清十郎。お染の母親お勝役で蓑助さんがちょっとだけ顔見せ。

 『日本振袖始』は日本神話を題材に、近松門左衛門が書いたもの。今回上演された大蛇退治の段は、まあ景事に近い。岩見神楽の大蛇を取り入れた趣向で、クリスマスモールか中華ふうの獅子舞みたいにキラキラした大蛇が4匹だか5匹だか現れる。ただあまり長い蛇でない(人形遣いが二人で遣う)ので、タツノオトシゴみたいで、あまり迫力がない。織太夫さんが聴けたし、勘十郎さんが見られたのでよいことにしておく。岩長姫(角出しのガブ)が酒に酔って、少しずつ本性を露わしていくところはスリリング。勘十郎さんにはこういうケレンが似合う。ちなみに生贄に捧げられる稲田姫が、脇明(わきあけ)の袖に太刀をしのばせておくことが「振袖の始め」と言われるのだそうだ。知らなかった。誰がつくった説なんだろうか。
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2018年7月@関西:糸のみほとけ(奈良国立博物館)

2018-07-24 23:48:02 | 行ったもの(美術館・見仏)
奈良国立博物館 修理完成記念特別展『糸のみほとけ-国宝 綴織當麻曼荼羅と繡仏-』(2018年7月14日~8月26日)

 国宝『綴織當麻曼荼羅(つづれおりたいままんだら)』の修理完成を記念し、綴織と刺繡による仏の像を一堂に集める特別展。面白い企画だと思ったけど、織物と刺繡には絵画ほど興味がないので、どんな気持ちで接すればいいのか、正直、少し迷いながら見に行った。いつもの新館入口を入ると「会場はこちらです」と思わぬ方向を案内されて戸惑う。いつも帰り道にあたる、ゆるやかなスロープがアプローチになっていて、西新館が本展の第1会場になっているのだ。

 いちばん見たかった中宮寺の『天寿国繡帳』が、いきなり目の前に現れる。最後に見たのは?と思ったら、去年、京博の『国宝展』に出ていた。しかし大混雑だったので、あまりきちんと見た気がしない。いま調べたら、じっくり見たのは2006年に東博で行われた特別公開『国宝・天寿国繍帳と聖徳太子像』であるようだ。このとき、現在の『天寿国繡帳』が飛鳥時代の原本と鎌倉時代に作られた模本を寄せ集めて作ったものだということを知った。今回も見ているうちに思い出し、やっぱり原本はかなり褪色しているなあと思って行き過ぎかけ、いや待てよ、と思い返して解説を探し、発色の鮮明な部分が原本であり、褪色が甚だしいのは鎌倉時代の模本である、という記述を見つけて、そうだったと納得した。

 本展は、高精細の拡大写真が数多く添えられていて、『天寿国繡帳』でいえば、亀の甲羅の丸い枠や宙に浮かぶ瑞雲、ふわりと広がる天人の襞スカートなどが、その多様な図形にしたがって、丁寧なステッチで隙間なく埋められていることがよく分かる。返し縫、平縫、駒縫(別の糸を表面に留める)など、多彩な繍法が使われており「いかにも職人的な仕事である」と図録の解説にいう。そんな視点で見たことがなかったので、とても新鮮だった。また、『天寿国繡帳』の一部と見られる刺繍の残欠が、中宮寺や法隆寺のほか、徳川美術館や藤田美術館など各地から集められていたことにも感心した。数センチ四方の小片もあり、よくぞ大事に保存していたなあと思った。

 古代の「糸のみほとけ」を代表する大作が『綴織當麻曼荼羅』。これは経糸と緯糸で織り上げた綴織(つづれおり)だが、御仏の眉のような、なだらかな曲線を表すにには、緯糸を斜めに流し入れる。拡大写真と合わせた解説でよく分かった。本展には、寺に銅仏と繍仏を納めた、というような記述のある古文書がいくつか出ていた。昔は繍仏って、銅造や木造の仏像と同じくらい一般的だったのかもしれない。

 奈良博の国宝『刺繡釈迦如来説法図』は、もしかしたら初めて見るだろうか。釈迦の赤い衣もオレンジ色の肉身も、稠密なステッチで埋められている。諸仏の瓔珞や結い上げた髪の流れ、光背の暈しも、全て刺繍で表現されている。美麗で豪華。一方、大英博物館所蔵の『刺繡霊鷲山釈迦如来説法図』(唐時代)は敦煌で発見されたもの。美しさというより写実を追求しており、しかもおおらかである。

 このほかも、繡仏には初めて見る美しい作品が多くて面白かった。しかし、私が忘れられないのは、無関普門所用と伝える『刺繡九条袈裟』(大徳寺天授庵)である。クリーム色の無地の生地を紺色の帯で枠取りしたもの。そして、紺色の帯に花鳥や諸仏・諸天(阿修羅とか)が刺繍されているのだが、悶絶するほど可愛い!!! これ、グッズ化したら、絶対、女子受けすると思う。『刺繡九条袈裟貼屛風』(知恩院)は人物や動物がゆるキャラっぽくて笑ってしまった。どちらの袈裟も中国製(南宋~元)である。

 さらに第2会場(東新館)に至るまで、数々の「糸のみほとけ」がずらりと並んでいたが、刺繍や綴織の技術を至近距離で観察できるよう、展示ケースの中に特設の展示台を入れて、ガラスすれすれに作品を掛けたり、足もとに照明を置いて、薄暗がりに浮かび上がる絹糸の艶めかしい輝きを演出したり、さすが奈良博である。作品の美しさをよく知っている。夏休みに入った会場は、中国人観光客の姿が多かった。日本人にももっと来てほしい。
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2018年7月@関西:香雪美術館+中之島香雪美術館ハシゴ

2018-07-23 23:21:56 | 行ったもの(美術館・見仏)
香雪美術館 生誕170年・没後100年記念『鈴木松年 今蕭白と呼ばれた男』(2018年7月10日~9月30日)

 土曜日、大阪では午後から文楽の第2部と第3部のチケットを取っていた。その前に行っておきたい展覧会が2つ。まず朝から阪急御影の香雪美術館を訪ねる。鈴木松年(すずきしょうねん、1848-1918)は、あまり知られた存在ではないと思うが、私は大徳寺の塔頭・龍源院で、キツネの妖怪・白蔵主(はくぞうす)を描いた屏風を見て以来、気になっている画家だ。今年の正月、京博で『群仙図屏風』(※後期展示)を見て、いよいよ気になり始めていた。本展は、明治期に京都画壇の中心として活躍したが、現在では「忘れられた存在」になっている鈴木松年の画業と作風を紹介する展覧会で、作品と資料など約80点を展示する。

 とはいえ、展示替えがあるし、小さな美術館なので、大作が多くないであろうことは分かっていた。前期展示の目立つ作品といえば、個人蔵の『鞍馬僧正谷屏風』6曲1双。右隻にりりしい若武者(牛若丸か?)とそれを取り囲む烏天狗たちが描かれている。左隻は深山の景。荒々しい墨画淡彩の『紅梅図』(京都市立芸術大学)にも見とれた。京都・平等寺(因幡堂)の仁王像も迫力満点だが、本堂の内、本尊の背面に当たる壁面に描かれているもので、その部屋が長らく物置として使用されていたため、忘れられていたらしい。最近、発見されて、2016年秋の非公開文化財特別公開で初公開された。明治の作品でもこんなことがあるのだな。

 松年は京都府画学校(現・京都市立芸術大学)の副教員(教授職)をつとめていたので、絵手本とした描いた小品が多数残っている。これらは手堅いが、あまり面白くない。また『春秋風物山水之図屏風』のような穏やかな作品も手掛けている。また、『松図』は、大阪朝日新聞社の社屋新築を記念する扇のデザインに使われた。大津絵の模写や『戦勝萬歳図』のような一種の風俗画も面白かった。鈴木松年という画家を知る入門編としてはとても役に立ったが、もう少し作品の数が見たかった。いつか次の機会があるといいなあ。

中之島香雪美術館 開館記念展『珠玉の村山コレクション~愛し、守り、伝えた~ III 茶の道にみちびかれ』(2018年7月7日~9月2日)

 今年3月に開館した中之島香雪美術館の開館記念展パート3は茶の湯がテーマで、村山龍平(1850-1933)が収集し茶会で用いた茶道具約80点を紹介する。簡素で、男性的な好みだなあと感じた。伊賀とか備前とか信楽とか、青磁とか砂張の大皿とか。色彩や装飾性が極端に少ない。乾山や仁清など色絵のやきものもあるにはあるが目立たない。長次郎の楽茶碗『銘:古狐』は乾いた泥団子みたいな風合いで、これが重要美術品かと呆れてしまう。竹で編んだ『桂籠花入』は漁夫が使っていた魚籠ではないかという。池大雅の『六遠図・試錐図巻』は、漢画の山水の描き方6種(六遠)が例示されており、分かりやすくて面白かった。
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2018年7月@関西:高松塚古墳壁画修理作業室の公開

2018-07-22 23:59:10 | 行ったもの(美術館・見仏)
平成30年度高松塚古墳壁画修理作業室の公開(第22回)(平成30年7月21日~7月27日)

 20日(金)に大阪で仕事があると分かったのはすいぶん前のこと。それじゃあ週末は自腹で関西滞在にして遊んでこようと思った。まず土曜日は国立文楽劇場の夏休み公演のチケットを取った。土曜日の泊まりは奈良にして、日曜日は奈良博の『糸のみほとけ』を見にいく計画にした。そうしたら、SNSで思わぬ情報に接した。ちょうどこの週末、高松塚古墳壁画修理作業室の公開があるというのだ。見たい。高松塚古墳の壁画は一度も本物に接したことがないので見てみたい。

 試しに申し込んでみたら、今日22日(日)10:10の回に当たった。申し込みは「9:00~10:30」「10:30~12:00」など1時間半刻みになっていたので、この枠で10人や20人しか当たらないんだろうなあと思っていたら、実は10分刻みで10人ずつ枠を設けているようで、ずいぶん余裕があったのだ。明日以降も、まだ追加募集・当日受付の枠がかなり残っている。

 朝はJR奈良駅に大きな荷物を預けて、近鉄線で飛鳥へ。公開場所の高松塚古墳壁画仮設修理施設は飛鳥駅から徒歩10分程度。しかし、列車の本数が少ないので、かなり早めに着いてしまった。そこで道路を挟んで壁画修理施設とは反対側にある、高松塚古墳をまず見に行く。一帯は歴史公園としてきれいに整備されている。壁画を見る前に、高松塚古墳の位置と大きさを実感。日本ではあまり古墳めぐりをしていないので、中国旅行や韓国旅行の記憶がよみがえる。そばに壁画館(有料)という施設もあるのだが、今回はパス。



 そろそろ時間なので、壁画修理施設のほうへ。5分前に白いテントで受付を済ませ、集合場所の立て札のところで待っていてもよかったのだが、冷房の効いたセミナールームに入れてもらう。1つ前の10:00の班の人たちが高松塚古墳の紹介ビデオを見ていた。10:00の班の人たちが出ていったあと、私たちは10:15から同じビデオを視聴した。高松塚壁画の発見からこれまでの調査・保存の経緯がよく分かって、意外なほど面白かった。

 壁画が発見されたのは1972(昭和47)年3月。私は小学生だったが、新聞がカラー図版で報じたことをよく覚えている。壁画は現状のまま現地保存することになり、1974年から石室の隣に保存施設の建設が始まり、1976年から1985年まで壁画の保存修理工事が行われた。しかし、2000年代になって雨水の浸入やカビの発生などにより壁画の退色・変色が顕著になっていることが明らかになり、ついに石室を解体し、壁画を移動して修復することが決定される。2007年に修理施設が完成し、現在、壁画はこの修理施設内で修復が行われている。また高松塚古墳自体は2009年に本来の形状に復元された。ビデオには1970~90年代の高松塚古墳が登場するが、正面にコンクリートで固めたような上下二段の出入口があって、見てきたばかりの現在の姿とはずいぶん違っていた(ネットで探すと2008年以前の写真もわずかだがヒットする)。

 私は中国の博物館等で「剥ぎ取り壁画」を何度か見ていることもあって、保存のための解体・移動に抵抗感はない。むしろ当然の方策だと思う。素人が考えても、現地で保存・修理し続けるのは困難に違いないと思う。しかし文化庁は「現地保存の原則」に強いこだわりがあるのだな、ということをビデオの端々から感じた。何しろ今回見学する施設も、正式名称は古墳壁画”仮設”修理施設なのだ。厳重に温湿度を管理し、免震も考慮した施設だというのに。



 ビデオの視聴が終わると、10:30から外に出て、係員の案内で外を歩いて別棟の修理施設に向かう。蓮池の蓮がきれいに咲いていた。少し高い基台の上に作られているのが修理施設。前の班が出てくるのをしばし待つ。



 扉が開くと細長い見学通路。薄暗くて涼しい。幅があるので10人(私たちの班は9人)+案内の職員2人だとかなり余裕がある。人の背丈より大きい3つの窓が並んでいて、体育館のような広い作業室の様子を覗くことができる。石材はだいたい3列に並んでいて、いちばん窓近くに玄武像、女性群像×2、男性群像、青龍像。中列に白虎像、石室の床材(床にあたる中央部分が高い)。いちばん奥に星宿図の描かれた天井板が並んでいた。はじめに職員の方が簡単な説明をしたあとは、勝手に窓から窓を移動して見学しながら、気になったことを質問すると教えてくれる。

 女子群像のスカート(裳)きれいだったなあ。壁画全体で七色くらい色が使われているとおっしゃっていただろうか。私はこの女子群像は等身大くらいあるとずっと思っていて、小さいものだと知ったのは大人になってからのことだ。いま確認したら、2011年の万葉文化館『大飛鳥展』で「原寸大」のパネル写真を見ている。大きな口を開け、赤く長い舌をのばした青龍は実に躍動的だ。キトラ古墳の青龍によく似ている。中国の陵墓に描かれる典型的な青龍の図様だけど。白虎像と星象図は、用意されたオペラグラスを使ってもよく見えなかった。白虎像はビデオに顔だけUPで映っていたが、ちゃんと全身が見つかっているそうだ。星宿図の星は金、線は赤で描かれており、ただしキトラ古墳に比べて、かなり模式化された図様になっているという。今度、壁画館に行って確かめてみたい。

 入室から10分すると「ピピピ…」と目覚まし時計のような音が鳴って、見学終了となった。短いかと思ったが、ちょうどよい時間だった。機会があったら、わりと気軽にまた来てみたい。
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手軽な甘いもの/日本まんじゅう紀行(弟子吉治郎)

2018-07-18 23:04:39 | 読んだもの(書籍)
〇弟子吉治郎『日本まんじゅう紀行』 青弓社 2017.7

 今月は仕事が忙しいのと、暑くて体力がもたないので、なかなか読書ができない。読み終えても感想を書く時間がない。こういうときは、ゆるく付き合えるグルメ本から。類書がいろいろある中で本書を選んだのは、たまたま開いたページに載っていたのが、私の全く知らない饅頭だったからである。

 珍しい名字の著者は、滋賀県米原市のまんじゅう屋の生まれで、毎日毎日まんじゅう屋の空気を吸って育ったのだという。へええ滋賀県か。滋賀県びいきの私は「はじめに」を読んで、俄然、親しみを感じた。著者が「まんじゅう」と呼ぶものの範囲はかなり広く、本書は、あんこを小麦粉の生地でつくった皮でくるんで蒸した、いわゆる「饅頭」から、どら焼き、最中、羊羹、きんつば、団子、ぼた餅、大幅など、かなり広範囲の「甘いもの」を扱っている。ただ、著者にとってそれらは、黒文字で気取っていただく「和菓子」と別カテゴリーにあるという意味で、すべて「まんじゅう」なのである。

 著者は元来、つくる側にいた人なので、どこでも原材料やつくりかたの取材に熱心なのが興味深い。ある店は上白糖でなくグラニュー糖を使っているとか、ある店はきび砂糖をブレンドしているとか、白双糖(しろざらとう)を使っているとか…個々の違いはよく分からないのだが、工夫があるものなのだなあと感心する。

 全国各地の「まんじゅう」が50種以上紹介されており、こうしたグルメ本で必ず名前の挙がる名店・銘菓と、聞いたことのないものが半々くらいの印象だった。書店で最初に開いたページに載っていたのは、広島県呉市の天明堂がつくっている「鳳梨萬頭(おんらいまんとう)」である。中華風の雷文を控えめに配したパッケージといい名前といい、これはパイナップルケーキではないか。造船の町、海軍の町で、こんな「まんじゅう」がつくられている(しかも呉でしか買えない)ことを知らなかったので、とても驚いた。いつかきっと食べてみたい。そして由来が知りたい。

 やっぱり著者の地元である滋賀県については詳しい。長浜市一帯でつくられているという「がらたて」及び「親玉まんじゅう」は食べてみたいと思った。三重県亀山市の前田屋製菓の「志ら玉」、桑名市の永餅屋老舗の「安永餅」、大阪府堺市の八尾源来弘堂の「肉桂餅」、大阪・北浜の菊壽堂の「高麗餅」など、関西圏の情報が充実している。

 その一方、神楽坂のマンヂウカフェ(ムギマル2)とか築地市場の福茂(茂助だんご本店)とか東京・新川の翠江堂の苺大福の情報もありがたかった。よしよし、ぜひ行ってみよう。

 あと、ぼた餅が牡丹餅であることは知っていたが、蕪村に「命婦よりぼた餅たばす彼岸哉」という句があること、「棚からぼた餅」の「棚」は「店(たな)」で、大きな店の出入り職人が何かの行事でぼた餅を貰ってきたので、家族で大喜びするさまであろうこと、「ぼた」はぼたっとしていることで、女官の間であまり美しくない女官を「ぼた」と呼んだことなど、思わぬ知識を仕入れることができて興奮した。しかし、(江戸時代の)宮中に、特別美味しいぼた餅がつくれるほど、高価な砂糖がふんだんにあったのかどうかは疑問である。最後に、本書が青弓社の出版というのも興味深かった。
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竜(ドラゴン)の記憶/映画・ジュラシック・ワールド炎の王国

2018-07-17 23:23:16 | 見たもの(Webサイト・TV)
○J.A.バヨナ監督『ジュラシック・ワールド 炎の王国』(109シネマズ木場)

 私はこのシリーズ、そんなに熱心なファンではないのだが、2015年に見た『ジュラシック・ワールド』が面白かったので、本作も劇場で見ようと思って、楽しみに待っていた。

 設定は前作から4年後。イスラ・ヌブラル島では火山活動が活発になり、島の恐竜たちは存亡の危機にさらされていた。恐竜保護団体を設立し、島の恐竜たちの救出を訴えていたクレアは、故ハモンドのビジネスパートナーだったベンジャミン・ロックウッドを訪ね、彼の支援を取り付ける。財団の実質的経営者であるミルズは、島に恐竜の救出部隊を派遣することを約束し、クレアは恐竜保護団体の若者ジアとフランクリン、さらに旧知のオーウェンを誘って、部隊に同行する。しかし、ミルズの目的は、高い売値のつく恐竜を捕獲することだった。ラプトルのブルー、Tレックスも、捕らえられて船に乗せられる。クレア、オーウェンたちも密かに積荷に紛れ、米国カリフォルニア州の深い森の中にあるロックウッド邸へ到着する。

 ロックウッド邸には多くの秘密があった。老いたベンジャミン・ロックウッドは、家政婦アイリスと、恐竜好きの少女メイジーと暮らしていた。メイジーは孫娘として扱われているが、実はベンジャミンが亡き娘のDNAをもとに作り出したクローンだった。財団の実権を握るミルズは、兵器としての恐竜の売買価値に関心を持ち、ヘンリー・ウー博士を招いて、より凶暴なハイブリット種を生み出す実験にも手を染めていた。ロックウッド邸の地下室には、海底に沈んだインドミナス・レックスの骨からDNAを採取し、新たに作り出されたハイブリッド種「インドラプトル」が飼育されていた。あるとき、メイジーはミルズの秘密を知ってベンジャミンに告げるが、ミルズはベンジャミンを殺害し、メイジーを監禁してしまう。

 島から運ばれてきた恐竜をめぐって、闇の商人たちの競売が始まり、ミルズは瞬く間に巨万の富を手に入れる。しかし、当然のように恐竜が檻を破って人を襲い、大混乱となる。メイジーに迫るインドラプトル。クレアとオーウェンは彼女を守ろうとする。嵐の夜、石造の古風な屋敷の屋根の上でくりひろげられる死闘。新キャラクターの「インドラプトル」は、体が柔軟で(大型恐竜にしては)前足が長くて、トカゲに似ている。いや、竜(ドラゴン)だ。これまでのシリーズに出てきたどの恐竜よりもドラゴンに似ている、と思った。

 「ジュラシック・パーク/ワールド」のシリーズは、神話・伝説でなじんだ、悪魔の象徴としてのドラゴンではなく、実在の古生物である恐竜の怖さを感じさせてくれる点が新鮮だったのだが、「ハイブリッド種」という仕掛けを強調することによって、実在の恐竜が、再び神話のドラゴンに引き付けられている感じがする。恐竜が、生物でない「怪物(モンスター)」になってしまった感じ。私は怪物映画も嫌いじゃないが、このシリーズは別物で踏みとどまってほしかった。そして、ラプトルのブルーは、当たり前のように主人公たちを助けにくる。前作では、期待も予想もしていないところに現れるから感動があったのだが、本作では感動が薄い。彼女は、騎士を守る聖獣になったようだ。

 最終的にインドラプトルは倒されたものの、ロックウッド邸には島の恐竜たちがたくさん残されていた。混乱の中で火災が発生し、次第に火がまわり始める。クレアは、彼らを逃がそうとするが、オーウェンに諭されて思いとどまる。しかし、メイジーは柵を開け、恐竜たちを森に逃がしてやる(Tレックスも!)。「私も同じクローンだから」と。その頃、米国議会に参考人として呼ばれたマルコム博士は「ようこそ、新しい世界、ジュラシック・ワールドへ」と述べる。ええ~この続きは「ジュラシック・ワールド3」を待てということか。一話完結しない映画は好きじゃないが、仕方ない。

 ちなみに本編終了後、長いエンドロールをぼんやり見ていたら、まるで次回作の予告のような短い映像が流れた。席を立たなくてよかった!
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贈答とコレクション/ニッポンおみやげ博物誌(国立歴史民俗博物館)

2018-07-15 22:43:34 | 行ったもの(美術館・見仏)
国立歴史民俗博物館 企画展示『ニッポンおみやげ博物誌』(2018年7月10日~9月17日)

 近世から近・現代にかけて展開してきた「おみやげ」という贈答文化とその背景となる旅と観光の様相を紹介し、「おみやげ」のコレクションを通して、日本文化の特質を探る企画展。開催概要に展示資料約1,300点とあったけれど、確かにキーホルダーの山・絵馬の山・ご当地インスタントカレー(笑)の山など物量に圧倒される、楽しい展覧会である。

 はじめに「アーリーモダン(初期近代)のおみやげ」と題して、江戸時代のおみやげ事情を紹介する。参勤交代で江戸に向かう武士たちは郷土特産の献上品を携え、帰国時は江戸土産を持ち帰った。「武鑑」に大名ごとに参府時の献上品、帰国時の拝領品、さらに時献上(季節の献上品)が記されているのは知らなかった。鍋島藩の「時献上」が鉢・大皿・中皿等々なのは納得。ほかの藩も知りたい。

 また文化8年刊『進物便覧』によれば、京都土産には、西陣織物、楽焼茶碗、香道具、画筆など納得の品々が並ぶ。それに対して江戸は文化後進地域なのだが、草双紙、錦絵など、独自の文化と土産物を形成していくのが面白い。奈良はやっぱり墨。虎屋饅頭は大坂の土産だったのだな。今日の商品券のような『饅頭切手(虎屋伊織)』も展示されていた。このほか、伊勢、善光寺、金毘羅・四国、長崎・九州など、各地のおみやげを網羅した『進物便覧』はお茶の水女子大学生活文化学講座所蔵。図録に詳しい解説がある。

 さて近現代へ。帝国の聖地創造から「国立公園」や「世界遺産」の選定まで、名所・観光地のブランド化とその影響を、おみやげを通して検証する。歴史を感じるポスターやペナントもあるが、最近、誕生した定番銘菓も展示されている。次に現代のおみやげの諸相を「有形の文化財を資源とするおみやげ」「無形の文化資源(祭り、方言など)のおみやげ」等々に分類して展示する。考古遺跡とおみやげ、スポーツとおみやげ(プロ野球を例に)なども面白かった。

 「セクシャリティとおみやげ」はカーテンで仕切られたブース展示になっていて「18歳禁止」の注意書きがされていた。和装の女性が炬燵に入った姿を現した陶器人形の『和印』(ひっくり返すと炬燵の中に男性がいる)など。これ、彩色がきれいで女性受けしそうな愛らしさ。秘宝館のパンフレットも数種。図録解説によれば、かつては全国の温泉地に20館を越える秘宝館があったそうだ。あと春画をプリントしたトランクス(2015年、東京)が展示されていたが、あれは『春画展』のグッズだと思う。「美術館・博物館とおみやげ」のコーナーもあってよかったのではないか。

 第2会場は旅の多様化を考える。「ダークツーリズム」(被災地・戦争跡地など、死や悲しみの場所を訪れる観光)という言葉があるそうだが、あまり軽々しく使ってはいけない概念だと思う。沖縄のオスプレイをプリントしたTシャツや、陸前高田の「奇跡の一本松」を冠した銘菓のパッケージを眺めながら、なんとも複雑な思いを抱いた。
 
 おみやげには、個別の地域で作られながら一定の様式や形態を踏まえたものが多い。たとえば、ペナント、提灯、クリアファイル、マスキングテープなど。この「定型」の変遷と盛衰は、もう少し詳しく扱ってくれてもよかったように思う。ペナントってあったなあ。観光地の定番だったのは70年代くらいまでだろうか? あれは他人のために買うものでなく、自分のための記念品だったと思う。解説に「比較的若い世代の男性に人気だった」とあった。そう、女子はあまり買わなかった気がする…。また、定型化したご当地食品の例として、会場には、キャラメル、カレー、ラーメンが展示されていた。北海道銘菓のサイコロキャラメル(北海道の市町村名入り)を見て、何これ欲しい!と思ったら、北海道150年事業とのコラボで2018年12月まで期間限定で販売されているものだそうだ。

 定型化したおみやげは、コレクションアイテムになる。ということで、某氏の絵馬コレクション。ひとつひとつ説明はないが、ああ東大寺二月堂の絵馬だ、これは武田神社、甲府周辺多い、こっちは鎌倉など、絵柄を見るだけで分かるものもあって面白かった。最後に歴博の「水木コレクション」からも、入場券や珍味の包み紙を貼り込んだスクラップブックが展示されていた。
 
 それから、この展示で異彩を放っていたのは「とある職場のおみやげ目録」と題したコーナーで、2015年からの約3年間、歴博の研究協力課にもたらされたおみやげの全調査である。「ほぼ全て仕事で訪れた地のおみやげ」で「出張に関わる事務作業を任せた返礼であり、自らの移動にお世話になった人たちへの義理」として送られたものだという。研究系ごとのおみやげの割合とか職位ごとの平均金額など、とても面白かった。私も、歴博に比較的近い、官公庁系の職場の経験が長いのだが、出張の際に職場へのおみやげは必須である(もちろん自腹で買う)。これって、ほかの職場では、どのくらい一般的な慣習なのか、ちょっと知りたい。
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