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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

みんなのお宝/日本の美術館名品展(東京都美術館)

2009-06-29 23:50:15 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京都美術館 美連協25周年記念『日本の美術館名品展』(2009年4月25日~7月5日)

 公立美術館のネットワーク組織である美術館連絡協議会の創立25周年を記念して、各館選りすぐりの名品220点(西洋絵画50点、日本近・現代洋画70点、日本画50点、版画・彫刻50点)が集結した展覧会。地に足の着いた、いい企画だと思う。海外から超大作を借りてくるのもいいが、自分たちの持っている「お宝」に光をあて、誇りと責任感を思い起こすのも、たまには必要なことである。

 印象に残った作品を挙げていくと、まず、モネの『ポール=ドモアの洞窟』(茨城県近美)。海辺に張り出した大きな岩の洞窟を描いたもの。海の青色がものすごくきれい。モネにこんな青色があったんだ、とびっくりした。その隣りの『ジヴェルニーの積みわら、夕日』(埼玉県立近美)は、教科書どおりのモネなのに。セザンヌの『水の反映』(愛媛県美術館)も好きだ。よく見ると、森の中の湖を描いたものだと分かるが、禁欲的で、ほとんど抽象絵画に感じられる。フランソワ・ポンポンの彫刻『シロクマ』も好きだ。

 100館の公立美術館が参加しているだけのことはあって、作品は多彩。この「並べ方」を考えるのは、楽しいけれど大変な作業だったろうなあ、と思う。1点1点がどんなに素晴らしくても、隣り合う作品どうしが魅力を打ち消しあっては何にもならない。ヘンな比喩だが、勅撰和歌集を編纂した歌人たちの苦心を思わせる。個人的には、カンディンスキー→エゴン・シーレ→ピカソとか、ピカビア→ダリ→ミロのあたりの「呼吸」に、膝を打つような思いで見とれた。

 作品には所蔵館からの「コメント」が付いていて、「これは当館の代表作」「最も人気のある作品」「いちばん出品回数の多い作品」など、どうしたって自慢が多くなるのは御愛嬌である。でも、萬鉄五郎の『ボアの女』(岩手県立美術館)に「当館のモナリザ」とあったのには、申し訳ないが笑ってしまった。いや、私は萬鉄五郎が大好きなので、萬のコレクションを持つ同館へは、ぜひ行ってみたいと思う。

 今村紫紅の『黄石公・張良』(横須賀美術館)は初見かなあ。先だって永青文庫で、やはり中国ダネの『三蔵・悟空・八戒』三幅対を見て、のほほんとした雰囲気がいいと思ったが、これも同様にいい。気弱そうな驢馬がかわいい。

 見終わって、もちろん満足できる展覧会だったが、あれ?あの画家の作品はひとつもなかったな…というのが、私にはいくつかあった。そんな感想を話し合ってみるのも面白いと思う。

※参考:美術館連絡協議会(公式サイト)
http://event.yomiuri.co.jp/jaam/index.cfm
 
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屏風と漢籍/天地人(サントリー美術館)

2009-06-28 23:55:13 | 行ったもの(美術館・見仏)
サントリー美術館 NHK大河ドラマ特別展『天地人-直江兼続とその時代-』(2009年5月30日~7月12日)

 今年の大河ドラマ『天地人』は、ちっとも面白くない。もはやネタとして視聴するのも飽きてしまった。なので、サントリー美術館がこんなヘボドラマに便乗すると知ったときは吃驚した。まあ、そうは言っても、国宝『上杉本洛中洛外図屏風』(6/27~7/12)が東京で見られるのはありがたい話で、いそいそと出かけてきた。

 会場に入ると、いきなり「愛」の前立の兜が目に飛び込んでくるが、これは複製のご愛嬌。第1部は「直江兼続の生涯」と題して、兼続をとりまく人々を、ゆかりの武具・刀剣・書状・考古資料などで紹介。上杉謙信、豊臣秀吉など、ビッグネームにかかわりがないわけではないけれど、地味な展示だな~と苦笑いしてしまった。いずれも県立の博物館や歴史資料館の常設展に並んでいるような資料で、大河ドラマにでもならなければ、こんなふうに足を止めて、じっくり見る観客は少ないのではないかと思う。

 私は、謙信が喜平次(景勝)に宛てた仮名書きの書状(新潟県立歴史博物館蔵)が気に入った。ふっくらした温和な書体である。『川中島合戦図屏風』(和歌山県立博物館蔵)では、思わず、武田方の武将の姿を探してしまって、高坂弾正、真田幸隆、相木市兵衛、原隼人などの名前を見つけると嬉しかった。山本勘助も、それと分かる風体で描かれている。

 4階から3階へ下りたところに、お待ちかねの『上杉本洛中洛外図屏風』。2007年、京博の『狩野永徳』展では、文字どおり十重二十重の人垣に阻まれて、一歩も近づくことのできなかった作品だが、今回は、じっくり眺めることができた。神社仏閣のほかに「飛鳥井殿」とか「近衛殿」とか、貴顕のお屋敷が丹念に描き込まれているのが、1つの特徴ではないかと思う。神社仏閣も、必ずしも今日の名刹ばかりが大きく描かれているとは限らないのが面白い。将軍家に向かう上杉謙信を描いたとされる”貴人の行列”は左隻3~4扇の下のほう(相国寺のそば)にあり。かなり細密なので、見どころは事前に予習していくことをおすすめする。

 3階の第2部は「直江兼続の時代と文化」と題して、能衣装、茶道具など。地味ながら、兼続旧蔵の宋版漢籍がずらりと並んだ姿に圧倒された。それにしても、なぜかこれらの現所蔵者は、国立歴史民俗博物館である。どんな転変をたどったのか、気になる。
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悟空リターンズ!/西遊妖猿伝・西域篇(1)(諸星大二郎)

2009-06-27 12:29:00 | 読んだもの(書籍)
○諸星大二郎『西遊妖猿伝・西域篇』1 講談社 2009.6

 ああ、とうとう…とうとう、私の悟空が戻ってきた! 『西遊妖猿伝』は、言わずと知れた諸星大二郎の代表作。「西遊記」を元にしたパロディ・翻案・新解釈は数々あるが、これぞ極めつけの傑作だと思う。

 『西遊妖猿伝』は、Wikiによれば、雑誌「月刊スーパーアクション」1983年6月号に掲載されたのが初出である。その後、双葉社から単行本が9巻まで刊行されたが、途絶した(1984-1995年)。私は諸星大二郎の中国モノは好きだったのだが、この作品は、かなり暴力的だったのと(何しろ、地上に革命を起こすために選ばれた主人公は、時々、意識を失って殺戮魔になるのだ)、唐の建国をめぐる複雑な歴史背景がちんぷんかんぷんで、あまり気に入らなかった。それでも、少なくとも8巻までは表紙に見覚えがあるので、買っていたのだと思う。

[双葉社版]
[潮出版社版]
 
 その後、しばらく間をおいて、潮出版社が新装版を刊行し始めた(1998-2000年)。ちょうど私はこの前後に、大室幹雄の『劇場都市』シリーズ(というのは私の勝手な呼び名だが、中国古代~唐末の歴史をスリリングに論じた好著。残念ながら絶版が多い)を読み、シルクロードや河西回廊にも行く機会があったので、今度はかなり本気でハマった。著者が、妖怪「無支奇」を通じて仕掛けた独特の設定(虐げられた民衆の怒りや恨みが、悟空という少年の肉体を借りて暴力的に噴き出す)も、中国史に対する、かなり本質をうがった解釈に思われた。

 しかし、その潮出版社版『西遊妖猿伝』の最終巻は、悟空、八戒とはぐれ、道案内の西域人・石槃陀とも別れて、ひとり沙漠に向けて歩み出す玄奘三蔵の孤独な姿で終わってしまった(はず。今、手元にない)。語り手である講釈師の「まずは、ここまで」みたいな口上に、えっ、そんな!と、呆気に取られたのを覚えている。これからでしょう、西遊記の本舞台は…!!

 物語の続き「西域篇」は、いつか再開されるということになっていたが、この手の約束の果たされたマンガは少ない…と思う。子どもの頃から、大人の世界は、そういうものだと慣らされてきた。あるいは、最初の連載が打ち切られる時点で、作者の才能が枯渇していた場合は、再開しても全く面白くなくて、これなら止めておけばよかったのに、という苦い後味を残す場合もある。

 「西域篇」第1巻を読んだ限りでは、それほどひどい結果にはなっていない。生温かい怪奇趣味と、アクションの爽快感がないまぜになった、諸星ワールドの魅力は磐石で、ファンには嬉しい限りだ。ただ、物語はまだゆっくりとローギアのスタートを切ったに過ぎず、前半の壮大な伏線と、これからどうリンクしていくのかは未知数である。わくわく、ドキドキ。

 「西域篇」再開に際して、雑誌「ユリイカ」2009年3月号が諸星大二郎を特集したのにはびっくりしたが、実は「ユリイカ」1998年9月号の「西遊記」特集も、「天竺への路はまだ遠く…」と題して、中野美代子と諸星大二郎の対談を掲載している。これも今、手元にないが、諸星大二郎が、小説「西遊記」と違って、史実では一切の同行者なく、ひとりで沙漠に向けて歩み出す玄奘三蔵の姿を描きたくてこの作品を始めたんです、と語るのを読んで、「大唐篇」の最後のコマに、なるほどと合点がいったり、中野美代子が、実際に自分が沙漠で体験した不思議を語って、「西域篇で使ったらいいわ」なんてアドバイスしていた記憶もある。御大・中野美代子先生も、本作の再開をお喜びだろうか。

[2009年3月号][1998年9月号]
 

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新潟&佐渡なごみ週末旅

2009-06-24 21:48:28 | なごみ写真帖
先週末は新潟で仕事があったので、そのまま、男性1人・女性2人の友人と連れ立って、佐渡に渡って1泊してきた。いつもの文化財探訪ツアーと違って、こういう「ゆる旅」もいいものである。

佐渡の国分寺。本尊の薬師如来(国重文)には、長岡市の新潟県立近代美術館でお会いしたことがある。平安前期の仏像らしい、威圧感のある巨大な薬師如来だったと記憶するが、こんな愛らしいお堂にお住まいだったとは(童話「ちいさいおうち」みたい)。現在、ご本尊はコンクリート製の宝物殿に移されて、このお堂(瑠璃堂)は空っぽである。



長谷寺。大和の長谷寺を真似て、回廊をつくり、牡丹を植えて、よく出来ている。でも、本家にこんな龍(牡丹龍!?)はいないだろう。秘仏・十一面観音は残念ながら拝めず。



新潟市内で食した中国茶店の魯肉飯(ルーローファン)セット。美味々々。


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語られる批評/思想地図 Vol.3:特集・アーキテクチャ

2009-06-23 22:51:29 | 読んだもの(書籍)
○東浩紀、北田暁大編『思想地図』Vol.3:特集・アーキテクチャ(NHKブックス別巻) 日本放送出版協会 2009.5

 同誌Vol.2の第二特集「胎動するインフラ・コミュニケーション」で突如として現れた(と私は思った)言葉「アーキテクチャ」が、今号の特集になっている。内容は平易と言えないが、共同討議など「語り」の文体で収録されているものが多いので、現代思想のシロウトにも読みやすいと思う。

 「アーキテクチャ」には「建築」「コンピュータ・システム」「社会設計」などの意味があり、われわれの生活や行動を制御する、顔のない権力的な存在を指し示す言葉でもある。濱野智史は、進化・生成するインターネット・アーキテクチャと、自然生態系モデルの類似性を指摘する。磯崎新氏は、建築家にできることは「切断をして、その瞬間を固定するだけ」という立場をとり、素材の重さや身体性にこだわる。一方で、ネットの上では物理的制限(紙が無くなるとかインクがなくなるとか)が限りなく希薄になり、切断(作家性の契機)のないコミュニケーションがだらだらと流れている状況が指摘される。この「切断」と「生成」というアーキテクチャ・モデルの対比は面白いと思った。収録されている共同討議は、発言者が多すぎて、曖昧な印象になっているけれど。

 今号で、いちばんわくわくしながら読んだのは「『東京から考える』再考」と題した鼎談。そもそもこの雑誌が生まれるきっかけとなった『東京から考える』(日本放送協会、2007)の著者、東浩紀と北田暁大に、『滝山コミューン1974』(講談社、2007)の原武史を加えたスペシャル版。これが面白くないわけがない。東、北田両氏が、東京で育った実体験を、やや観念的に整理しているのに対して、歴史学者・原氏の、団地・鉄道に関する実証的なデータとコメントが有効に機能していると感じられた。

 最後にもう1編、河野至恩の「東・宮台、北米講演旅行レポート」は、2009年3月下旬から4月上旬にかけて、アメリカ各地で行われたシンポジウム・講演・ワークショップをレポートしたもの。中心となったのは、アジア学会の2009年年次総会である。英語圏における日本研究が1990年代前半の認識で止まっていること(その問題意識から、この講演旅行が企画された)、シンポに参加した北米の学生たちが、かなりマイナーな日本のネット文化にも十分に精通していること、一方で日本のポップカルチャーはヴィジュアルイメージのみが受容され、日本のアニメやマンガについて日本人が日本語で語ってきた歴史が全く省みられていないことなど、重要で刺激的な指摘がたくさんあった。こういうグローバルな学術研究の最新情報を一般読者向けにレポートするというのも、批評誌としていい企画だと思う。
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戦士(もののふ)のファンタジー/映画・三国志

2009-06-19 23:48:27 | 見たもの(Webサイト・TV)
○ダニエル・リー監督 『三国志

 昨年、『レッドクリフ PartI』が公開される前から、この映画の情報は耳に入っていて、見に行こう行こうと思いながら、終了直前になってしまった。主人公は、蜀の劉備の軍にあって、関羽・張飛らとともに五虎大将軍の1人に唱えられた趙雲子龍。

 物語では、常山の無名の若者だった趙雲(アンディ・ラウ=劉徳華)が、義勇兵として劉備の軍に参ずる。このとき、腕はからきし立たないが気のいい羅平和(サモ・ハン・キンポー=洪金宝、映画オリジナルキャラ)と知り合い、兄貴と慕うようになる。趙雲は、長坂の戦いで劉備の嫡子阿斗を救い出すなど武功を上げ、北伐のため転戦を重ねる。齢(よわい)六十を過ぎて、五虎大将軍の最後の生き残りとなった趙雲を、軍師孔明は、敢えて魏軍との決戦に送り出した。待ち受けていたのは、曹操の孫娘・曹嬰(マギー.Q、オリジナルキャラ)。決戦場所は、因縁の鳳鳴山。

 私は『三国志演義』の趙雲子龍が好きなので、彼を主人公にした映画が作られると聞いただけで嬉しかった。だが、半分くらい見て、ははあ、これはどうも勝手が違う、ということに気づいた。本作は、基本的には、作者の頭の中に生まれた、ひとりの理想的な戦士(もののふ)の生涯を描くファンタジードラマである。これに、正史『三国志』蜀書趙雲伝や『三国志演義』に描かれた趙雲のエピソードを自由気ままに使いまわしたもの、というのが、たぶん正しい。

 フィクションの骨格は悪くないし、これまでの趙雲のイメージを大きく損ねてもいない。映像も美しい。アクションもなかなか見せる。関羽・張飛役も『レッドクリフ』よりこっちのほうがいいと思う。だが、この作品にズバリ『三国志』のタイトルを付けてしまう配給会社の感覚はいかがなものか(原題は『三国之見龍卸甲』)。物語の背景が『三国志』の時代である必然性は全く感じられない。別に宋でも明でもよかったように思う。いま、歴史(時代劇)がブームであるように見えて、その本質は”キャラ萌え”に過ぎないという傾向は、日本だけではないのかもしれないなあ。

 あと、物語の重要なポイントである甲冑が、どう見てもウソくさくて(日本の武士みたいだという評もあるが…)なじめない。あの鉄兜はないよなあ。鳳鳴山に鎮座する仏像が、興福寺の無著・世親像(どっちだ?)に似ていたのは、悪くなかったけど。

※公式サイト
http://www.so-net.ne.jp/movie/sonypictures/homevideo/threekingdom/
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談合でつくる平和/差別と日本人(野中広務、辛淑玉)

2009-06-17 22:01:48 | 読んだもの(書籍)
○野中広務、辛淑玉『差別と日本人』(角川Oneテーマ21) 角川書店 2009.6

 政治にも政治家にも興味のなかった私が、魚住昭氏の『野中広務:差別と権力』(講談社、2004)を読んでみようと思ったのは、たまたま朝日新聞で短い書評を目にしたためである。そのことは以前の記事に書いた。面白いとかつまらないでは言い表せない、砂を含まされたような後味の1冊だった。

 あれから5年。本書は、在日朝鮮人として、自らもさまざまな差別を体験してきた辛淑玉(シン・スゴ)氏が、野中広務氏にインタビューし、さらに注釈をつけたものである。

 本書の評価は、この辛淑玉氏による注釈をどう感じるかによるだろう。たとえば、関東大震災当時、朝鮮人だけでなく、被差別民への迫害が行われたこと(→Wiki:福田村事件)など、必要な情報が提供されているのは有り難い。だが、野中氏の発言に対して「父の時代の男性は、一般的にいって、自分の人生で起こった事実については語れても、その時に感じた心情の深い部分や心の内面のひだを表現することは下手だ」という理由で、「そのことばを聞いたとき、野中さんは息も時間も止まったはずだ」とか「うめき、時には叫び、時には声がもれないようにすすり泣きもしただろう」「消えてなくなりたいと思ったかも知れない」等々、妄想全開の「解説」を繰り広げているところでは、うんざりして本書を投げ出しかけた。でも、こういう補足があるほうが「分かりやすい」と感じる読者もいるんだろうな…嗚呼。

 後半では、辛淑玉氏のほうが、自分の母親のこと、事実婚だったパートナーのことなどを話し始め、「時に嗚咽を堪えながら」という状態だったようだ(野中氏「あとがき」による)。野中氏は「彼女の気持ちが痛いほど分かり」「心と心、魂が触れあうような気がした」と慇懃に(?)相手をいたわり、「僕、こんなに話したの初めてです」とおっしゃっているけれど、自分を語りたいという欲望に流された辛氏の姿が目立つのみで、政治家・野中広務の腹の底には全く迫り切れていない。私には物足りない本だ。

 それでも、辛氏の注釈で印象的だったのは、「『野中広務』という政治家は、談合で平和をつくりだそうとする政治家だった」という人物評である。オバマは演説で平和をつくる政治家である。小泉純一郎も、大きく分ければ同じカテゴリーで、演説で平等をつくろうとした。ただし、小泉純一郎は、機会の平等には固執するが、結果の平等には関心がない。野中は、人間の欲望や利権への執着を知り抜いているからこそ、結果の平等にこだわり、「談合と裏取り引きで、平和も、人権も、守ろうとしたのではないだろうか」という。その結果、野中の姿勢は、一見屈折が多くて、非難されやすい面もある。しかし、「これはこれであっぱれな生き方」だと私も思う。
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この国に暮らす人々/やまと絵の譜(出光美術館)

2009-06-16 22:05:05 | 行ったもの(美術館・見仏)
出光美術館 日本の美・発見II『やまと絵の譜』(2009年6月6日~7月20日)

 外国人から見たら、日本人が描いた絵は全てJapanese paintingではないかと思うのだが、そこが日本文化の不思議なところ。近代以降「洋画」に対して「日本画」があるように、近代以前は「唐絵」「漢画」に対して「やまと絵」という概念がある。Wikiによれば、古くは「日本の故事人物事物風景を主題とした絵画」の意味で、様式技法とは関係がなかったらしい。しかし、本展は「自ら『やまと絵』の継承者だと主張した江戸時代の浮世絵師たち」に焦点を合わせ、彼らが追求した「やまと絵」の新たなイメージを探っている。

 本展の企画者が、近世の「やまと絵」の出発点に指名したのは、岩佐又兵衛(1578-1650)。光源氏を描いた『野々宮図』と『在原業平図』の2点を展示。前者は、ほとんどモノクロームだが、よく目を凝らすと、源氏の着ている直衣も、従者の小童の衣も、小童の捧げる太刀の束にも、繊細な文様が散りばめられている。黒木の鳥居のゴツゴツと節くれだった感じ、秋風になびく紙垂(しで)、うっすらと背景に浮かぶ小柴垣など、芸が細かい。後者『在原業平図』は、こんな装束があり得たんだろうか?と思うくらい、色合わせがモダンな印象。薄青で表された上半身の立体感も顕著だし。また「立ちあがった業平像」は、描かれた当時、非常に革新的だった、ともいう(→別の展覧会だが、両図の画像はこちら)。

 なお、源氏の装束は冠直衣と言って、これが特別な人にだけ許された晴れ姿だったことは、こちらの記事で。業平は武官らしく、冠は巻纓(けんえい)・老懸(おいかけ)に直衣か。狩衣(脇が開いている)にも見えるが、これって、有職故実的に有りなのだろうか?と考えている。

 又兵衛より一世代下った浮世絵師の菱川師宣(1618-1694)や、18世紀初頭の懐月堂安度は「日本絵 菱川師宣図」「日本戯画 懐月堂安度」というサインを用いている。日本人の「日本」観の成立って、意外とこんなところに現れているのかもしれない。それにしても、描かれた女性の着物柄の美しいこと。

 最古といわれる『江戸名所図屏風』は楽しかった。右隻には上野・浅草の祭礼、左隻には八丁堀・霊岸島の賑わいが描かれる。心なしか、右隻は、母衣を背にした戦国武者・南蛮人の扮装行列、能楽など古風な風俗で、左隻のほうが、歌舞伎・浄瑠璃・軽業など、近代的(?)な感じがする。クグツ、三河万歳、踊念仏? 経師屋、鍛冶屋、湯屋など、細部に注目すればするほど面白い。遠景には江戸城の天守閣が聳える。こういう作品こそ、精細なデジタル画像を公開し、好きなように遊ばせてくれれば、いろんな発見があると思うのになあ。→当面は書籍で。

 第2室では絵巻物が登場。『長谷寺縁起絵巻』(南北朝時代)は、先だって松濤美術館の『素朴美の系譜』にも出品されていたもの。倒れた木に散華する天女、すると木の幹から生ずる蓮華の表現が、素朴で暖かみがあって、かわいらしい。(元の色彩は分からないが)サーモンピンク色の舟とか。『白描中殿御会図』(室町時代)は、似絵の名人・藤原信実筆の原本を写したものといわれ、建保6年(1218)8月の宮廷を描く。ざっと50人ほどの登場人物の特徴を的確に描き分け、名前を注している。ただひとり注のない、琵琶を抱えた人物は順徳天皇か。臣下の最上位にいるのは九条道家。温厚な貫禄の家隆。隅の柱に隠れた気難しげな定家、いかにもダメ御曹司ふう(安倍晋三みたい)の為家…。ちょっとでもこの時代の登場人物を知っていると、実に楽しい。

 冷泉為恭の『雪月花図』双幅には、突飛な連想で申し訳ないが、静嘉堂文庫が所蔵する中国絵画、袁江筆『梁園飛雪図』を思い出してしまった。

※『江戸名所図屏風』に関して、本展のカタログ図版は小さい。細部を楽しむならこちら。
 
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ちょっとガッカリ/昭和女子大学図書館貴重書展

2009-06-14 22:58:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
昭和女子大学光葉博物館 『昭和女子大学図書館貴重書展』(2009年5月15日~6月13日)

 宣伝用リーフレットを見たときは、これはチカラが入っているなあ、と感じた。A2版、4つ折り×両面の8ページにわたって、カラー図版満載である。絵巻、奈良絵本、有名作家の書簡、近代文学の初版本、等々。本音をいうと、奈良絵本程度では全く心が動かないのだが、洋物の素晴らしく美しい写本の写真がたくさん入っていたので、ああ、これは見たい!と思って出かけたのだ。

 そうしたら、洋書のうち、視覚的に美しいものは、全て複製本だった。ええ~。宣伝用リーフレットのつくりかたがズルいのである。4つ折りリーフを開いたところには、いかにも本物らしく、ため息の出るような手彩色写本の写真が何枚も載っていて「The Cantabury Tales(Ellesmere Manuscript)」とか「The Book of Durrow」という短い英文キャプションしかついていない。さらにもう1折り開いて、内側を覗き込むと「The Cantabury Talesのエルズミア写本(複製本)…などを展示するほか」云々と、小さく注記されている。

 これは詐欺だろう、と憤慨したが、『The Cantabury Tales(カンタベリー物語)』の最も美麗で信頼のおける伝本「エルズミア写本」は、米ロサンゼルスのハンティントン図書館(鉄道王ヘンリー・エドワード・ハンティントンが創設)が所蔵しているそうだ。また、『The Book of Durrow(ダロウの書)』はアイルランド様式の装飾写本で、ダブリンのトリニティカレッジ図書館が所蔵している。そもそも、このくらいのことは、常識として、知っておかなくちゃいけないことかもね。どこかの大学図書館が、源氏物語絵巻を展示すると言ったら、複製か摸本に決まっているわけで、怒りを収めて、洋書稀覯本に関する自分の知識不足を恥じ入った。

 気を取り直して、面白かったのは、日本の近代文学者の手稿・書簡いくつか。坪内逍遥の原稿(大正11年)はものすごい悪筆。伊東屋製の12行×25字という、不思議な原稿用紙を使っている。大正5年の夏、千葉一宮海岸に逗留していた芥川龍之介・久米正雄と、夏目漱石の往復書簡も興味深かった。漱石は、例の漱石山房の原稿用紙、芥川は松屋製の原稿用紙(十ノ廿 松屋製)を使っている。芥川は、時々「、」「。」を打たずに1字空白を残しているのが面白いと思った。

 旗本夫人の日記『井関隆子日記』に覚えがあったのは、野口武彦さんの本で読んだのではないかと思う(→asahi.com:書評)。子どものように、流派にとらわれない、生き生きと巧みな挿絵つきで楽しかった。
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気になるサイト(日経ビジネス)、気になるテレビ(NHK教育)

2009-06-13 21:08:33 | 見たもの(Webサイト・TV)
■日経ビジネス:赤瀬川原平、山下裕二『東京、オトナの修学旅行』
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090319/189502/

 『日本美術応援団』(日経BP社、2000年)に始まる両氏の対談シリーズは、ずっと愛読させていただいている。美術品から修学旅行、社会科見学へという関心の広がりもオモシロくて、次はどうなるのかなあ、いつ出るのかなあ、と思っていたら、いつの間にか、ネットで新シリーズが始まっていた。

 今度のテーマは「東京」。バックナンバーを斜め読みした印象では、やっぱり日本美術応援団の本領発揮か、上野篇が面白い。寛永寺執事長の浦井正明氏の「お寺が燃えるとね、火が赤じゃなくて、青いんですよ。銅版の屋根が燃えるから真っ青なんです」という衝撃的な証言とか、東京文化財研究所の図書室で膨大な資料を管理する「生き字引」の中村さんとか、上野駅の応接室にある平櫛田中の作品とか、ほお~と驚く情報多数。その中でも、山下氏が「2011年、法然上人の生誕800年で、増上寺所有の狩野一信の「五百羅漢図」全100幅を江戸博で展示することになっています。ぼくはその展覧会の監修を頼まれているんですね」というのは、聞き逃せない好消息。あと2年、待ちましょう。

■日経ビジネス:松島駿二郎『書物漂流』
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20060324/100713/

 日経ビジネス・オンラインから、もう1つ。2006年4月に始まり、週1回ペースで配信されている書評コラムである。農業、環境、宇宙科学など、自然科学系の本を取り上げることが多く、私は、この分野の本をあまり読まないので、これまで目につかずにいた。2009年4月24日配信の「ミツバチと魚の激減、そして失われる築地」が非常に興味深い内容だったので、今後、注目してみたいと思う。

※なお、「日経ビジネス・オンライン」は会員登録(無料)しないと記事全文が読めない場合あり。

■知る楽(NHK教育):『鉄道から見える日本』(語り手・原武史)全8回
http://www.nhk.or.jp/shiruraku/mon/index.html

 このところ、テレビというメディアは急速に衰退期に入ったかのようだ。そんな中で、NHK教育の番組だけが、妙に生き生きしている。たまたまテレビをつけたら、原武史さんが喋っていたので、そのまま聞き入ってしまった。少し前に「視点・論点」で松本清張の『神々の乱心』についても語ってましたね(→興味深いその内容は、こちらの個人サイトで)。おまけで、学生が作る東大HP『UT-Life』「東大な人々」に掲載された記事へのリンクも貼っておこう。
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