見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2015年3月@奈良散歩:特別陳列・お水取り(奈良国立博物館)など

2015-03-24 23:25:37 | 行ったもの(美術館・見仏)
 修二会の十四日目(3/14)を見て、翌日(3/15)は半日だけ奈良にいることができた。新大宮泊りだったので、とりあえず奈良に出る。近鉄のホームで見つけた海龍王寺の特別開帳のポスター(by みうらじゅん)。



 まだ人通りの少ない日曜の朝、ぶらぶら博物館に向かおうと思って、行きたいところがあったことを思い出す。昨年、奈良博の『国宝 醍醐寺のすべて』を見に来たとき、醍醐寺の開祖である理源大師を祀るお堂が「もちいどのセンター街」にあると知った。Googleマップの検索結果を見ながら、商店街を南下する。いったん通り過ぎてしまって、慌てて周囲を見回すと、朝市の準備の進む広場の奥、ビルの庇の下に餅飯殿弁財天社の鳥居が見えた。右側の屋根が「聖宝理源大師堂」。



 ちなみに前日、二月堂に向かう途中で「東南院旧境内」の文字に惹かれて撮った写真。南大門を入ってすぐの右側。同院も理源大師聖宝の創建である。



 石段を上がって、興福寺の境内に入り、大好きな南円堂にお参りして、国宝館をひとまわりしていく。館員のおじさんが無言で「お静かに」の札を掲げていた。ご苦労様。東金堂の壁の習字が更新されたみたいなので、写真を撮っておいた。



 奈良国立博物館で、特別陳列『お水取り』(2015年2月7日~3月15日)を見る。確か四回目なので、さほど目新しい品はないが、少し変化をつけてくれているのがうれしい。今回は、足利義満が二月堂内陣を見学した記録が面白かった(修二会の最中ではない。『二月堂修中練行衆日記』だったかな?)。香水を三杯飲んだとか、権力者は羨ましい。

 会場には修二会の声明が流れ続けている。沓音や五体投地の板の音、数珠を擦る音も混じり、臨場感がある。最近は堂内に参籠していても、夜が更けるまで観光客の私語が絶えないので、展覧会会場のほうが、本来の雰囲気を味わえるかもしれない。南無観を聞けた。『堂司私日記/公誠』という横長の和綴じノート(現代)が展示されていたが、もとは森本公誠氏の私物かしら?



 ↑これは博物館の入口に展示されていた大松明。正面から見ると、ヒマワリみたいだ。
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2015年3月@京都:京(みやこ)を描く(京都文化博物館)

2015-03-23 23:19:20 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都文化博物館 特別展 『京(みやこ)を描く-洛中洛外図の時代-』(2015年3月1日~4月12日)

 16世紀初頭に登場した洛中洛外図屏風をはじめ、江戸時代を経て明治に至る「京都の肖像」60点余を紹介。面白かった。展示の中心は国立歴史民俗博物館(れきはく)のコレクションだと聞いていたので、見たことのあるものが多いかと思ったら、京都国立博物館や京都府立総合資料館、陽明文庫や八坂神社など、関西ならではの作品も多く、充実していた。

 最初期(室町時代後期)の、のどかでひなびた田園風景(応仁の乱で荒廃したんだよね)から、人家が密集し、高楼甍を連ねる京(みやこ)への変貌を、時系列に沿って追体験できたのが興味深かった。同じ「洛中洛外図」でも、室町時代の京都と江戸中期以降の京都では、ずいぶん風景が違うんだな。ずっと描かれ続けているランドマークもあれば、後世に出現する建築物もある。当たり前だが、豊国神社は室町期には存在しないし。豊臣秀吉の京都大改造以前と以後では、たとえば「五条大橋」の示す地点が違うことも要注意だ。

 2013年に東博でも『京都-洛中洛外図と障壁画の美』という特別展があったが、あのときは人が多くて、作品をあまりゆっくり見られなかった。今回はストレスなく、好きなだけガラスケースに張り付いていられたので、大満足である。

 洛中洛外図の中の空間は、独特の歪み方をしている。ランドマークの選択にも現代人と違う感覚が働いているように思う。まわりは、ほとんど京都人の観客だったと思うが「こんなところに清水寺があるの、おかしいやん」「上賀茂神社があるのに、どうして下賀茂神社がないの?」など、聞こえてくる感想が面白かった。

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2015年3月@京都:天野山金剛寺の名宝(京博)

2015-03-22 22:19:01 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 特別展観『天野山金剛寺の名宝』(2015年3月4日~3月29日)

 この展覧会はどうしても見たかったので、先週、金曜日に筑波での所用を済ませてから、新幹線で京都に向かった。駅前に落宿して、土曜日は朝から博物館へ。秋の平成知新館オープン記念展、『鳥獣戯画と高山寺』展の混雑がおさまって、ようやく静かに展示を鑑賞できる雰囲気になった。

 大阪府河内長野市にある金剛寺は、2005年4月に行ったことがある。時間切れで十分拝観できなかったので「また来るしかないか」とつぶやいておきながら、その機会がないまま、10年になる。幸いなことに、平成21年(2009)から始まった「平成大修理」のおかげで、本尊脇侍の降三世明王坐像は奈良博においでになっており、本尊・大日如来坐像と脇侍の不動明王坐像は、昨秋から京博の平成知新館で拝することができるようになった。そこにこの喜ばしい特別展観である。

 平成知新館に入り、彫刻(仏像)展示室を突っ切って(大日如来のお姿をチラチラ見ながら)奥の特別展示室に急ぐ。ところが、中に入って、びっくり。展示物が違う。ここでは『特集陳列 雛まつりと人形』を開催中だった。え?もしかして、私、展覧会スケジュールを間違えてた?と、慌てる。心を落ち着けて、館内掲示を確認したら『天野山金剛寺の名宝』のメイン会場は、特別展示室の向かいの書跡展示室だった。ああ、よかった。

 展示室に入るとすぐ、右手の壁際ケースに飾られた『日月山水図屏風』が目に入り、夢遊病のように吸い寄せられてしまった。大好きな作品。前回は、2011年に世田谷美術館で見たのだったな。右隻。ステップを踏むような松の根元。白の点描で表された桜がすみ。その中に五弁の花が描かれていて、桜であることを主張している。山の大きさに比べて、縮尺が明らかにおかしいが、そんなことは気にしない。蕨手のような波。震える流水の線。鈍い輝きの金銀の散らしは、当初の姿を想像で補いながら眺める。左隻の雪山。松緑の上にふわりと乗った雪が愛らしい。浮き立つような音楽が聞こえてくる感じがする。まだ朝早かったので、『日月山水図屏風』の前には誰もいなくて、しばらく私が独り占めする状態だった。なんという贅沢!

 それから、ゆっくり室内の展示品を見た。仏画は名品揃い。『五秘密曼荼羅図』『虚空蔵菩薩像』『尊勝曼荼羅図』、いずれも鎌倉時代(13世紀)。王朝文化~院政期の華麗さに武士の時代の厳しさが加わる。『大宝積経』は珍しく漉き返しの灰色の料紙を用いたもの。字もあまり丁寧でない。『遊仙屈』の最古写本もあった。題名を聞いたことのない説話集が各種。重美『清水寺仮名縁起』は、ほとんど反故紙のいたずら描きみたいだけど、よく取っておいたなあ。裏紙に素早い筆で墨描きの絵が残る。山間をゆく坊さんらしい姿は分かった。相手は船頭かな?

 隣りを1室飛ばして、次の金工展示室も『天野山金剛寺の名宝』仕様になっていて、楽器や楽譜、武具(腹巻及膝鎧)、鏡などが展示されている。次に彫刻展示室に戻って、金剛寺からお出ましの大日如来坐像と不動明王坐像をしみじみ眺める。金剛寺が八条院子の祈願所だったという説明を読んだので、豊麗で女性的な中にも意志の強さを感じさせる大日如来坐像が八条院に、不動明王が以仁王に見えてくる。

 彫刻展示室も、金剛寺関連の名宝で特集コーナーができている。武神の面影を残す大黒天立像。大日如来像の台座に付属する獅子6躯(京博では、高さ制限のため台座が外されている)。後ろ足を崩した座り姿勢が、応挙描く仔犬を思わせる。そして、息を呑んだのは『剣』(附:黒漆金銅三鈷柄宝剣拵)(国宝)。一般的な日本刀と異なる「両切刃造」というスタイルで、まっすぐ伸びた刃に、見る者も背筋が伸びる思いがする。「10世紀のごく限られた期間のみつくられた」という説明が気になる。

 それから、特別展示室に戻って『特集陳列 雛まつりと人形』(2015年2月21日~4月7日)を参観。東京で見る雛人形展とは、少し毛色が変わっていて面白い。建物つきの「御殿飾り」が欲しい。

 2階へ。絵巻展示室『物語絵巻の世界』(2015年2月10日~3月15日)で『時雨物語絵巻』を見る。この個性的な絵は!と思ったら、サントリー美術館の『お伽草子』展で、強烈なインパクトを受けた絵巻である(表記は『しぐれ絵巻』)。 全体が見たいなあ、これ。仏画は「涅槃図」特集。どの作品にもサル(日本猿)がいることを確認。中世絵画の「扇絵」は初めて見る作品が多くて面白かった。画題は中国人物図が多いのに、団扇でなくて扇というところが不思議。近世絵画では久々の若冲『群鶏図』(旧海宝寺障壁画)を見た。
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教養のバイタリティ/対談 天皇日本史(山崎正和)

2015-03-19 21:12:12 | 読んだもの(書籍)
○山崎正和『対談 天皇日本史』(文春学藝ライブラリー) 文藝春秋 2015.2

 底本は1974年刊。山崎正和氏がホストをつとめ、9人のゲストと、それぞれ異なる天皇について語った対談が9編。最後に小松左京氏と「天皇及び天皇制の謎」について概括的に語った対談を収める。

 まず9人の天皇の選び方が面白くて、買ってしまった。天智天皇、宇多天皇、後白河法皇、後醍醐天皇、後小松天皇、正親町天皇、後水尾天皇、明治天皇、昭和天皇。そして、本書を買ったときにはあまり気にしなかったのだが、対談者のラインナップがすばらしく私好み。井上光貞氏、竹内理三氏、小西甚一氏、芳賀幸四郎氏、林家辰三郎氏、桑田忠親氏、奈良本辰也氏、司馬遼太郎氏、高坂正堯氏。著者は巻末の「文庫版あとがき」で、「10人のお相手は今はすべて故人となり、なかには現代の読者には耳遠い名前もあろうが、そのころはそれぞれ専門分野を代表する大家であり、言論界に君臨する巨匠ばかりであった」と振り返っている。

 9人の帝は、それぞれ時代の画期を象徴している。天智天皇は、日本にはめずらしい意志的な人間で、次の天武天皇とともに古代天皇制を確立する。が、このような天皇制は二度と現れない。宇多天皇の時代に、天皇は権力から解放されて風流の世界に沈潜していき、日本的美意識の原型がかたちづくられる。院政期は、天皇が支配者意識にめざめた時代。白河院は直接的な支配を望んだが、後白河院は人の力を巧みに使い、バランスをとる政治を行った。ただ「陰険なマキャベリスト」(この見方は吉川英治が始めたとも)というより、自分が振り出した手形の決済に追われる中小企業の社長さんみたい、という小西甚一さんの比喩がとても面白かった。

 後醍醐天皇はやったことがムチャクチャでどんな政治構想があったのか疑問、と辛辣なのは山崎正和氏。ううむ、安倍政権みたいなものかな。日本では、むかしあった型を理想化して、それを再現するというかたちで革新のスローガンを掲げる、というのも、まさに今の政治状況を語っているみたいに聞こえる。後小松天皇は「天皇のたたずまい」を決められたと評される。国家は政治と文化の二重の層でできており、政治を放棄して、文化の層で国家を統一しようとした。ここは、足利義満、義政の語られ方も面白いなあ。

 このあとも「政治」ではなく「文化」、「権力」ではなく「権威」というのは、天皇制を考えるキーワードである。にもかかわらず、江戸時代の初期から「天皇の教養が痩せはじめた」ことと、天皇の政治的指向が目覚めてくるのは無関係でない、と山崎氏。もし浮世絵やら狂歌やら時代の文化がたっぷり朝廷に入っていたら、ヒステリックなイデオロギーの入り込む余地はなかっただろうという。同じ趣旨の発言は、最後の小松左京氏との対談にも出てくる。うん、教養は大事だ。パワー(権力)ではないかもしれないが、パワーの源泉とも言える。公家的教養とは、古典的アカデミズムと猥雑な好奇心の合体である。もし近世以後も天皇周辺の教養が痩せ細らなかったら、「天皇は依然として京都にいて、非常に猥雑な文化の中でハイカラな西洋の教養を身につけて、またそれを無意味なものにしてしまって楽しんでいたかもしれない」。この天皇像、ちょっと後白河院を思わせる。
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水と緑のふるさと/四川紀行(今井駿)

2015-03-16 23:44:04 | 読んだもの(書籍)
○今井駿『四川紀行:中国現代史家が接した中国市民』 而立書房 2014.12

 著者は「中国現代史家」だというけれど、私の感覚では「近代史家」である。中国革命や抗日戦争の時代を研究対象にしている方らしい。本業の著作は全く読んだことがなかったし、お名前も知らなかった。ただ、四川紀行と聞いて、むしょうに懐かしい気がして、読んでみようと思った。

 「あとがき」によれば、本書は、1989年の私費留学、1992~93年の長期滞在の記録をもとにしているそうだ。ずいぶん昔の話のようだが、そんなに時代錯誤感はない。中国の町は、突出して未来的な一面と、軽く一世紀くらいは停滞している風景がいつも同居している感じがする。冒頭は1989年4月の北京の妙応寺の白塔を訪ねた記から始まる。白塔寺か。たぶん私もフリータイムつきの北京ツアーで訪ねたことがあると思う。たまたま親切な住人に案内してもらったのに、次に訪ねてみると、「他死了」と冷たく突き放されて、世の無常と非情を感じてしまう。旅好きなら、誰でも一度くらい体験したことがあるような話だ。中国に限らずとも。

 そのあとは、ほとんど四川省の話になる。地名を拾いながら、ここは行ったなあ、ここはどうだったかしら、と記憶をたどった。観光名所の楽山大仏や大足石窟の記憶は鮮明だ。塩の都・自貢も行った。天然ガスで走るバス。塩業博物館でもある西秦会館。懐かしいな。沙湾の王爺廟(関帝廟)も行ったような気がする。恐竜博物館も、たぶん。

 栄県の白塔は行っただろうか。オーダーメイド旅行だったら外さないと思うのだが、四川旅行は確かツアーだったので、定かでない。著者が中国の建築物で何よりも好きなのは塔だと言い、塔を見ていると安らぐと述べている。同感だ。私は日本式の瓦屋根の木塔も好きだが、日本にはない、塼塔(煉瓦造の塔)も同じくらい好きだ。しかし、著者によれば「塔」という漢字が文献に現れるのは五胡十六国から南北朝の頃で、塔は中国古典文化の伝統にはないものだという。ううむ、そうか。塔は非力で寡欲であるため(実用性も薄く、人を圧倒する力もない)、却って数百年の歳月を生き残るのだ。

 著者の中国語は、それほど達者ではないらしい。乗り物の切符を買ったり、食事を注文するくらいのことはできるが、面倒な交渉は不得手で、人々との交流にも積極的でない(社交性の問題?)。けれども、ひょんなことから、人懐っこい中国人(特に女性たち)に気に入られ、言葉を交わしたり、写真を撮ってあげたりもする。一方、中国人のマナーの悪さやいい加減さに苛立つ様子も描かれている。中国人以上に中国の歴史(近代史)に詳しいので、何も知らない地元の人々に驚き、呆れ、「字は読めない」という農民にハッとして、自分を反省したりもする。非常に普通の人の中国旅行記らしくて素直に読むことができた。

 豊かな緑と水に恵まれた農村風景が印象的だった四川省。今は変わってしまったかな。また行きたい。
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2015年3月@奈良(東大寺修二会)

2015-03-15 22:30:57 | 行ったもの(美術館・見仏)
 昨年(2014年)はちょうど3月14日に大阪で仕事があったので、夜の10時頃から二月堂にのぼって、修二会を聴聞した。今年は久しぶりにお松明が見たいと思って、14-15日の週末に奈良に行く予定を早くから立てていた。

 そうしたら13日(金)に茨城県に行く予定が入ってしまった。えい、仕方ない。札幌→羽田→つくばで仕事。夕方、東京駅経由、新幹線で京都に出て一泊。翌日、奈良に出た。最終日のお松明は18:30から。裏参道をまわって、仏餉屋(ぶっしょうのや、※鎌倉時代末期の建物で重要文化財)の前にポジションを決めたのは18:00少し前。まだ空は明るく、人混みにも隙間があったが、どんどん詰まってきた。回廊のお松明に照らされて黒々とそびえているのは良弁杉。



 お松明が終わったあと、お堂にも参拝したが、今回は参籠はせず、宿に帰ることにした。



 再び裏参道から帰ろうと思い、下ってくると、湯屋の扉が開いていて、大きな釜から盛大に白い湯気が上がっているのが見えた。人の姿がなかった。



 戸口の外にはご飯。食堂作法のとき、紙に包んだご飯を投げて鳥獣に施す「生飯(さば)投げ」が有名だが、こうして残されたご飯も鹿が食べに来たりするらしい。よいものを見た。



 次回は参籠して声明をゆっくり聴きたいなあ。あまり混まない前半にでも。
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深みに欠けた皇帝像/李世民(塚本青史)

2015-03-10 21:39:50 | 読んだもの(書籍)
○塚本青史『李世民』上・下(日経文芸文庫) 日本経済新聞社 2014.10い

 中国歴史小説を数多く書いている作家だということは知っていたので、いつか読んでみたいと思っていた。最初の作品に李世民を選んでしまったのは…間違いだったかもしれない。正直、面白くなかった。ヤマがなくて、平板なのだ。これが李世民という男のせいなのか、著者の力量のせいなのか、よく分からない。私は、主人公の有名無名に限らず、何らかの人間の業のようなものが描かれた歴史小説のほうが好きだ。

 けれども本書の李世民ときたら、感情の起伏がないに等しい(と私には見える)。最大の山場、兄弟殺しの「玄武門の変」さえも、淡々と事務的に処理されて、次の場面には、葛藤も禍根も残らない。歴史年表の「重大事件」にマーカーで印をつけながら進んでいく受験勉強みたいで、なんとも味気ない。主人公だけでなくて、個性豊かな(はずの)脇役たち=李世民を囲む文官・武官たちも全くキャラ立ちが感じられない。そこが安心だという読者もいるのかなあ。あまり血なまぐさい、ドロドロした歴史は読みたくないというような。

 細かいことをいうと、李世民の文化的な側面、詩作とか書への偏愛が全く描かれていないのが残念。日本の古代史を題材にして、和歌や歌謡(そして漢詩)が出てこない小説も興ざめだが、中国を舞台に詩が全く出てこないのもさみしい。どこの国のどこの時代の話か分からなくなる。ああ、登場人物が日本のさむらいことば(「みども」「それがし」「おこと」の類)を使うのも私はあまり好きではない。さむらいにも平安鎌倉のことば、中世後期のことば、江戸のことばなどがあって、それらが雑に使われていると、時代をイメージしにくいからだ。

 読んでよかった点を探すと、李世民が唐の皇帝であると同時に「天河汗」として、周囲の遊牧民族に号令していたと分かったこと。中国のネット百科によれば、李世民だけでなく、歴代の唐の皇帝はみな「天河汗」を名乗った。これは清と同じ体制ではないか。やっぱり唐って色濃く遊牧民族の王朝なんだな。それから、吐蕃王に嫁いだ文成公主など、遊牧民族との関係がわりと詳しく書かれていたのも興味深かった。
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身近なあの世/かわいい仏像、たのしい地獄絵(須藤弘敏、矢島新)

2015-03-05 22:32:15 | 読んだもの(書籍)
○須藤弘敏、矢島新『かわいい仏像、たのしい地獄絵:素朴の造形』 パイインターナショナル 2015.1

 矢島先生の『日本の素朴絵』に魅せられた私にとっては、待望の姉妹編。しかし本書にはびっくりした(いい意味で)。前半は、青森県から岩手県北部に残された近世の仏像を扱う。須藤弘敏さんを中心とする地元の研究者の丹念な研究調査によって、近年見出されたものだという。「純朴にして自由奔放な造形に、目が(心が、じゃないのねw)洗われる思い」という矢島先生の序文に心から同意。

 小さくて丸っこい、アンパンマンみたいな愛らしい仏もある。真面目に作っているのに、どこかパースがおかしい、謎めいた仏もある。一目見て言葉を失う、ぶっ飛んだ造形もある…。岩手県八幡平市兄川山神社の山神像の衝撃。土筆のような大きな頭部をまじまじ眺めた末に、胴体の胸の前で小さな手が合掌しているすることに気づいて、もう一度殴られたような衝撃を受ける。青森県平川市広船神社の、モヒカン頭みたいな男神像もいいなあ。神のようでもあり仏のようでもある。区別は無意味なのだろう。

 やさしくユーモラスな鬼たちについて、著者はいかにも地元の研究者らしい視点で語っている。北東北地方では、食料不足や疾病で幼い子供が亡くなることが多かった。地獄でわが子を待っている鬼たちは、やさしい姿であってほしいと人々は願ったのである。納得。

 後半は、矢島新先生が、近世の地獄絵を紹介。『善光寺如来絵伝』(長野市善光寺淵之坊)『地蔵十王図』(滋賀県高島市宝幢院)など。『地獄十王図』(千葉県長柄町)は淡い色彩でほのぼの。登場人物がみんな、鬼も亡者も白目の大きい点目。日本民藝館の『十王図屏風』は、たまに展示に出ていると嬉しくなる作品だが、部分を拡大するとユルさが際立つ。「団扇を使って炭火焼き」「怪獣に喰われるというより舐められているよう」など、本気か冗談か分からないコメントにくすぐられて、悶絶する。著者の目のつけどころ(拡大する箇所)とコメントは、どの作品も楽しい。

 葛飾区東覚寺の『地獄十王図』は、ペンキ絵みたいな強烈さがある。大きな黒目の登場人物、きっちり、はっきりした色彩など、お絵かき大好きな子供が張り切って描いたようだ。そして、品川区長徳寺の『六道絵』。これは何度見てもすごいなあ。鬼かっこいい。修羅道の武者たちも。この作品は、著者の企画した『素朴美の系譜』展(松濤美術館)で実物を見ることができたことを幸せに思っている。

 矢島先生も、素朴でおおらかな地獄絵が生み出された背景について、16世紀から17世紀にかけて、日本史上で最も多くの血が流れ、地獄を身近に感じざるをえない乱世であったこととの関連を示唆しているのが、興味深かった。ヨーロッパの中世美術にも、似た傾向があるかもしれない。
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2015年2月@東京:南京の書画(東博)、天理ギャラリーなど

2015-03-04 22:27:33 | 行ったもの(美術館・見仏)
国立博物館 東洋館・8室 『南京の書画-仏教の聖地、文人の楽園-』(2015年2月24日~4月12日)

 古都・南京の文化に着目した展覧会。私は、はるか昔(学生時代)に初めて南京を訪ねた。そのときの記憶はあまりないのだが、10年くらい前の二度目の訪問はとても楽しかった。担当研究員の一言に「中国の都市を日本に例えれば、政治の中心の北京は東京、商業の中心の上海は大阪、古都・西安は飛鳥、杭州は京都、そして南京は奈良と言ったところでしょうか」とある。なるほど。私は、大阪よりも京都よりも奈良に惹かれるたちなので、非常に納得がいく。

 展示は時代順。作品以外にも、パネルで南京の歴史を読み進めるのが楽しい。六朝の昔から長江流域の中心地として栄え、梁の武帝など仏教を深く信じた帝王が活躍した。インドからもたらされた栴檀釈迦瑞像がおかれていたが、北宋時代に開封に持ち去られてしまう。そして、日本僧・然(ちょうねん)が開封で見たこの像の模刻を嵯峨野の清凉寺にもたらした。おお、そうであったか。

 元を滅ぼし、明を建国した朱元璋は南京を首都と定め、壮麗な宮殿を築く。永楽帝が北京に遷都した後も、南の都として栄えた。明末清初の混乱期には亡命政権の精神的な首都として、多くの遺民たちが集った。清朝になると次第にその意識は薄れ、秦淮河を中心に繁華街が発達し、江南文人文化が花開く。

 展示作品は明清から20世紀まで。「個人蔵」作品が多くて新鮮だった。どなたのご親切か存じませんが、ありがたや。明の李著筆『漁楽図巻』は、べたっと乱暴に黒々した墨を置くところが雪舟っぽいとか、手慣れた人物の描き方は応挙みたいだとか思った。龔賢筆『山水図』は何度か見ているが、幻想的な巨幅。姚允在筆『倣宋元六家山水図巻』は色彩がきれいだった(残念ながら撮影禁止)。王冶梅筆『柳溪泛舟図』も少ない色数が効果的できれい。石濤筆『花卉図巻』は珍しく(?)墨画。蓮や菊の花を大きく描いている。

 近代になると、色彩豊かな作品が増える。でも「線」の存在感は薄れない。そこが近代日本画と異なるところかもしれない。張大千の『金陵赤山図』は蜃気楼のように宙に浮かぶ山の姿を描いたもの。淵上旭江の『海市図』を思い出した。傅抱石(1904-1965)になると、線の呪縛が消える。あ、横山大観の影響を受けたという解説があったかもしれない。

 個人的にイチ押しは蕭雲従の『秋山行旅図巻』。淡い色彩が美しいが、微妙に下手で「素朴画」っぽい。それでも「乾隆帝内府旧蔵品」だという(ちゃんと御覧の印がある)のが面白い。↓左下で馬か驢馬がひっくり返っている?



↓なんともいえない「ゆるふわ」感。古陶の染付の絵みたいだ。


しかし、東博の「名品ギャラリー」で見ると、特にとりえのないフツーの淡彩画に見える。どうしてかなあ…。

↓もう1点、袁樹筆『小倉山房図巻』も、丁寧な庭の植物の描き方が絵本みたいで可愛かった。左右対称の建物が「ちいさいおうち」に似てるなあ。



 この8室(中国の書画)は、ふだん半分が書、半分が絵画の展示なのだが、今回は部屋全体で絵画40点あまりが展示されている。質も量も眼福。また南京に行ってみたい。

 あとは、庭園の梅につられて、久しぶりに法隆寺館に寄った。それから、神田に出て、天理ギャラリーで第154回展『台湾庶民の版画・祈福解厄-幸せを願い、邪悪を祓う-』(2015年2月21日~4月4日)を見た。 美術展というより民俗文化の展示だったが、面白かった。台湾には、七星娘娘という信仰の対象がある。台南には七星娘娘を祀る開隆宮という寺廟があって、7月7日には、16歳の男女が両親とともに訪れ、紙で作った神殿の模型の下をくぐって、成人を祝うのだそうだ。面白い~。台湾は台北しか行ったことがない。台南にも行ってみたい。

 このあとは国立劇場で文楽鑑賞。翌日は、北海道に「暴風雪」の予報が出ていたので、夜便の予約を急遽午前便に変更して帰った。
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世話物、中国もの/文楽・天網島時雨炬燵、国性爺合戦、他

2015-03-03 21:55:44 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 2月文楽公演(2015年2月28日)

 金曜の夜に札幌を発って、土曜に東京で文楽を見て来た。

・第1部『花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)・万才/海女/関寺小町/鷺娘』『天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)・紙屋内の段』

 『花競四季寿』は、1月に大阪の国立文楽劇場で見て来たばかり。でも演者が替わっているのが面白かった。すぐに気づいたのは、三味線の鶴澤清治さん(大阪)がいなくて、鶴澤寛治さん(東京)が床に上っていた。あらためてプログラムを見比べたら、三味線も太夫も人形もほとんど替わっていた。こういう違いが分かるようになると、同時期に同じ演目を続けて見ても楽しめるんだろうな。鷺娘の文雀さんは休演で和生さんが代演。

 『天網島時雨炬燵』は『心中天網島』の改作。原作に比べると、テレビドラマのような気安さ、滑稽さが際立つ。より人間の実像に近いかもしれない。東京では35年ぶりの上演だというので、たぶん初見だと思う。やっぱり(私を含め)東京人はストイックで文学的な原作のほうが好みなのだろう。冒頭のチャリ場、弾けたような「ちょんがれ」を美声にのせる咲甫大夫さん、いいわあ。切は余裕の嶋大夫さん。奥は英大夫さんが熱演。玉女さんの紙屋治兵衛は、なんとなく威厳がありすぎて落ち着かない感じがする。

・第2部『国性爺合戦(こくせんやかっせん)・千里が竹虎狩りの段/楼門の段/甘輝館の段/紅流しより獅子が城の段』

 ずいぶん前(学生時代?)に一度だけ見た記憶がある演目。その頃より、物語の背景が分かるようになって、楽しめた。この日の午前中は東京国立博物館で『南京の書画-仏教の聖地、文人の楽園』という特集陳列を見て、明の遺臣たちのさまざまな生き方を考えていたのも偶然だった。

 冒頭の「千里が竹虎狩りの段」はとにかく楽しい。でも、むかしからあんなモコモコした着ぐるみふうの虎だったっけ? 和藤内と相撲を取ったり、熱演中の三輪大夫さんにちょっかいを出したり、笑わせてくれる。「楼門の段」「甘輝館の段」は、人形の動きが少ないので、舞台だけを見ているとちょっとダレるが、呂勢大夫×清治、千歳大夫×冨助に聞き惚れ、見惚れて飽きなかった。最近、上演中もつねに楽器をメンテしている三味線の様子が気になって、舞台以上に注目してしまう。あと、端役の唐人たちが、ときどき中国語の発音に似せたセリフをしゃべっていて可笑しい。韃靼王はヌルハチのことで、李踏天は李自成のことだろう。甘輝館の城壁に翻る旗の文字が五常軍の「五」だと読めたこともひそかに嬉しかった。

 しかし、考えるとトンデモない物語である。和藤内(鄭成功)と義兄弟の五常軍甘輝が、明の再興に向けて手を結ぶため、和藤内の姉にして甘輝の妻である錦祥女とその母、二人の女性は自ら命を絶つ。どこに義があるんだ?という論法だが、これが大当たりしたというのだから、昔の人の思考回路は分かるようで分からない。
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