見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

桜も見ごろ/杉浦非水(近美)、The 備前(同・工芸館)

2019-03-31 23:40:48 | 行ったもの2(講演・公演)

 3月最後の週末は、お別れする職場に休日出勤して最後の片づけ。竹橋の近くだったので、ようやく全て終わってから、近代美術館に寄った。

国立近代美術館 企画展『イメージコレクター・杉浦非水展』(219年2月9日~5月26日)

 日本のグラフィックデザインの創成期に重要な役割を果たした図案家の杉浦非水(1876-1965)。遺族から寄贈されたポスター、原画、原画やスケッチなどの「非水コレクション」を19年ぶりに一堂に展示する。19年ぶりということは、2000年にも杉浦非水展を開催しているということか。残念ながら私の記憶にはない。

 本展の入口には、白黒写真(西洋人の姿が多い)をコラージュしたゲートができていて、え?ここが杉浦非水展の入口?と一瞬、戸惑った。実は、非水は海外の雑誌の切り抜きや写真絵葉書を多数コレクションしているのだ。人物だけでなく、珍しい動物なども。いわばこれがイメージの「インプット」の時代。スケッチブックもいくつか展示されていて、さすが精密で巧い。そして豊かな「アウトプット」の数々。

 有名な三越のポスター、そして雑誌『三越』の表紙は、どれも華やかで繊細で高級感がある。でも私はそれ以上に、建造物を大胆にデフォルメして描いたデザインが好き。「新宿三越落成」では建物を上から見下ろす構図、「京城三越(!)」は下から見上げる構図で、その高さ・大きさを強調する。地下鉄のホームに並んだ人々を強い遠近法で縦長の画面に収めたり、ホームに向かう人々を横長の断面図で見せる構図も面白い。

 いろいろ関連情報を漁っていたら、三越が2018年のお中元セールで「杉浦非水画限定ギフト」を売り出していることが分かった。いいなあ。どれも欲しくなる。全然、古びてないものなあ。

■同 所蔵作品展『MoMATコレクション』(2019年1月29日~5月26日)

 安田靫彦『黄瀬川陣』(3月19日~5月26日展示)を見ることができて、得をした気分。この時期に見ると、義経が新しい職場に配属が決まった新入社員、頼朝がそれを迎える先輩に見えてしまった。10室は春爛漫の花を描いた絵画を特集、川合玉堂『行く春』の青みの強い画面、船田玉樹『花の夕』の紅と白、そして加山又造の『春秋波濤』の黒と金と赤、どれもステキだった。いや贅沢、贅沢。

■同・工芸館 企画展『The 備前-土と炎から生まれる造形美-』(2019年2月22日~5月6日)

 実は工芸館は初訪問である。お花見に繰り出した人たちの流れに混じって出かけた。桃山時代の名品から、近現代の備前まで幅広く紹介。やっぱり冒頭に筒形の花入(桃山時代)が4点並んだところは圧巻だった。所蔵者表記がないということは、これらは近美のコレクションなのだろうか? 知らなかった。口は円形だが胴体部分がほぼ三角柱形に潰れた『三角花入』、とてもよい。耳付花入は変形の少ない「銘:深山桜」が、備前にしては軽やかな味わいで好き。

 現代作家では、隠埼隆一(1950-)の名前を知ることができてよかった。やっぱりやきものは土なんだなあ。しかし備前のようなやきものを前にして、感触を確かめることができないのはつらい。見ているうちに手がムズムズしてきた。

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2019年三月尽

2019-03-29 23:39:25 | 日常生活
2年目ごとの異動のサイクルに当たる今年。

かわいい花束をいただきました。



週末を挟んで、月曜から新しい職場。

今年は引っ越しはしないのだが、やっぱり忙しくて、本は読めないしブログも書けない。まあ来週から少しずつ復活したい。
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隣人としての移民/ふたつの日本(望月優大)

2019-03-24 23:52:00 | 読んだもの(書籍)

〇望月優大『ふたつの日本:「移民国家」の建前と現実』(講談社現代新書) 講談社 2019.2

 この数年、東京では外国の方を見かける機会が本当に増えた。それも飛行場や観光名所ではなく、普通の街角で。近所のコンビニやファストフード店の店員さんは外国の方ばかりである。昨年末には出入国管理法の改正案が成立し、政府はさらに外国人労働者の受け入れを拡大する方向に舵を切った。しかし、それにはさまざまな困難が付随することが指摘されている。技能実習生への搾取、入管収容施設における人権侵害の疑いなど、いろいろ気になる問題が多いので、初歩から勉強するつもりで本書を読んだ。

 まず、拡大する「移民」(在留外国人)の実態については、特に肌感覚と齟齬はなかった。日本は1990年ごろまでは外国人の割合がとても少ない国だったが、1990年代以降、特にここ数年(2013年以降)急激に在留外国人が増加している。現在は1.25億人の総人口に対して260万人強(約2%)の外国人がいる状態だが、やがてこの比率が5%(アメリカやフランス並み)に近づくことも想定される。

 しかし日本政府は「移民=永住する外国人」を増やさず、「永住しない外国人=出稼ぎ労働者」だけを増やしたいという。だが、人生は予測不可能だし、人間は複雑で曖昧な生き物だ。「いつかは帰る」予定であった人々が日本に定住することはいくらでも起こり得る。そのとき「移民」の存在を否定する日本では、外国人にとって必要なケアが行き届かず、外国人を既存の社会に「統合」するための取組みが弱い。これらの指摘は、いちいち頷ける。

 日本の在留外国人の実態を統計から読み解く章では、1990年頃に来日したブラジル人が2000年頃から永住者資格を取って定着しているとか、在日フィリピン人は女性が圧倒的に多いが、近年新規参入が少なく高齢化しているとか、ふだん見えないものが見えて面白かった。東京はホワイトカラーの外国人労働者が多く、製造業や建設業で働く外国人の姿はなかなか見えないのだ。
 
 さて日本は「いわゆる単純労働者は受け入れない」という建前を取ってきた。これは「フロントドア」から受け入れるのは「専門・技術」「高度人材」に限るという話で、その代わり、日系人とその家族、研修・技能実習生、留学生を「サイドドア」から受け入れることで、低賃金・非熟練の領域で外国人労働者を雇用したいという産業側のニーズに応えてきた。これにはいろいろ理由があるというけれど、やっぱりひとことで言って欺瞞だと思う。

 建前と現実の乖離による矛盾を一手にかぶっているのが技能実習制度だろう。厚労省の調査で7割以上の事業場に労働基準関係法令違反があったという実態はひどすぎる。もっとも日本人労働者のかなり多くも、労働基準関係法違反の状態で働いているからこうなるのかもしれないけど。「真正面から外国人労働者を受け入れてこなかった日本のサイドドア政策自体から帰結した矛盾」は、早期に是正されなければならない。

 最後にサイドドアならぬ「バックドア」と呼ばれる非正規滞在者の外国人について。これも興味深かった。ピークの1993年には30万人弱にのぼった「オーバーステイ」の外国人が、近年では6万人台にまで減少していることは全く知らなかった。ある時期まで彼らは必要な労働力として黙認されていたが、2000年代以降、摘発が強化された。これはバックドアからサイドドアへの置き換えを背景にしている。

 非正規滞在者の減少には、強制送還、出国命令、在留特別許可の3つのパターンがあり、近年問題になっているのは、在留特別許可の低迷と、強制退去を命じられた外国人の収容の長期化である。いちばん怖いと思ったのは、入管は「送還可能のときまで」つまり裁量次第でどんなに長期間でも収容を続けることができるという指摘。確かに刑務所にもそんな裁量権はない。こんなことが通るのは、「領域国家」は自国民の権利は保障しても、同じように外国人の権利は保障しないからだ。それは当然とされてきた。でも本当にそのままでいいのだろうか。

 私は、この土地に暮らすことを選んだ人たち、あるいは祖国に帰れなくなった人たちとは、なるべくうまくやっていける社会であってほしいと思う。日常生活のコミュニティに多様な文化が入り混じる状態は、少し面倒だが刺激が多くて楽しい。でも、90年代以前の、極端に外国人の少なかった日本を懐かしむ人たちは、そうは感じないのだろうなあ。

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2019今年も門前仲町の桜

2019-03-23 22:29:52 | なごみ写真帖
今のアパートに越して来て2年目を迎えた。4月から職場が変わることが決まったが、同じ東京なので転居は不要。あと2年はここに住み続けることになった。今日、不動産屋さんで更新の手続きをしてきた。

窓の外の桜を眺めるのは3回目。一昨日の春分の日くらいから咲き始めた。





水面に近い低い枝は徐々に花が増えてきたが、大きな木なので全体としてはまだまだ。

やっぱり、出会いと別れの季節に桜があるのはいいものである。
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稀少な仏画多数/ほとけをめぐる花の美術(根津美術館)

2019-03-22 22:52:13 | 行ったもの(美術館・見仏)
根津美術館 企画展『ほとけをめぐる花の美術』(2019年2月28日~3月31日)

 蓮華、無憂樹、沙羅など、仏教絵画に描かれたさまざまな花に注目する展覧会。沙羅にはサラソウジュ、ナツツバキなど、写真と植物学的な説明も添えられていたが、「花を見た」という印象はあまり残らなかった。ただ、いい仏画を見ることのできた展覧会だった。

 ポスターが見覚えのある曼荼羅の一部だったこともあって、館蔵コレクション展なのだろうと思っていたら、最初に記憶にない作品が展示されていた。細長い4幅からなる『釈迦八相図』(MOA美術館所蔵)。釈迦八相とは、釈尊の生涯における8つの大きな出来事をいうが、本作は4幅に12場面を描いている。建物や人々の服装は異国風だが、人も自然も全体にほんわりして雰囲気が優しい。MOA美術館のサイトに画像があって「山水表現にはやまと絵の手法が示されており」「インドから中国を経てもたらされた仏伝の物語を、まったく日本的な解釈によって描いている」という解説に頷けるものがあった。

 仏涅槃図は3種。1つ目(行有・専有筆)は南北朝時代。赤い衣の釈迦。嘆く弟子たちが目立ち、動物は少なめ。ニホンザルらしきものがいた。2つ目は近年の修理で公開が可能になった鎌倉時代の作。「猫が描かれている」との解説があり、よく探すと、黒と白の丸い物体がいた、白い犬もいたと思う。3つ目は南北朝時代で、白象が嘆きのあまり、ひっくり返って腹を見せている。

 それから、ちょっと変わった仏画・曼荼羅が続いた。『虚空蔵菩薩・明星天子像』(南北朝時代)は、複雑な構造の宝冠と瓔珞、フリルのような天衣、多色の蓮華座と、全て装飾過剰で、バロックを感じさせる。MOA美術館所蔵の『吉祥天曼荼羅』(鎌倉時代)は、大きな吉祥天の立像の左右に小さな梵天と帝釈天が仕える。三尊の足元には蓮池。外側には霊樹と四天王。頭上には五色の雲に乗る白象、左右に天女。天女は油絵みたいにこってりした色調で、白象はグロテスクでさえある。イメージ過剰でくらくらするが、そこが魅力とも言える。

 第2室は小品を中心に。大好きな『十二因縁絵巻』は、折吒王(せったおう)が12の羅刹を退治してまわるところの一部。四牙羅刹、無明羅刹、牛耳・手戟羅刹、速疾金翅鳥 三男子羅刹が順番に登場する。名前は恐ろしいが、描かれた姿には愛嬌がある。若者カップルが「かわいい」「ミニオンみたい」と言い合っていたが、確かにくりっとした目がチャームポイントで三ツ目や四ツ目もいるのだが怖くない。また折吒王が「調伏した」と書いてあるわりには、そっと羅刹の髪の毛を握っていて、握られた羅刹が困った顔をしているなど、故意か偶然か、力の抜けたユーモアを醸し出して、たまらず噴き出すお客さんもいた。ほんと好きだなあ、この作品。

 『華厳五十五所絵(善財童子歴参図)』(平安時代)は一挙に6枚も見せてくれて嬉しかった。劣化は進んでいるが、優しくおおらかな画風が魅力的。文化遺産オンラインによれば、ほかに東大寺に10面、藤田美術館に2面、その他に1面が伝存するとのこと。意志の強そうな顔をした『弁財天像』(鎌倉時代)も好きな作品。

 階上の展示室5は「旧竹田宮家の雛道具」、展示室6は「暮春の茶の湯」で、粉引茶碗の「銘:花の白河」、珠光青磁茶碗の「銘:遅桜」など、季節を考えた取り合わせだった。
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春から幸せ!/へそまがり日本美術(府中市美術館)

2019-03-19 23:25:49 | 行ったもの(美術館・見仏)
府中市美術館 企画展『へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで』(2019年3月16日~5月12日)

 恒例、府中市美術館の「春の江戸絵画まつり」に行ってきた。何しろ昨年の『リアル:最大の奇抜』展のときから、来年のテーマは『へそまがり日本美術』だと予告されて以来、1年間楽しみにしていたので、さっそく見てきた。いや楽しかった! 冒頭の仙厓義梵の『豊干禅師・寒山拾得図屏風』で、いきなりやられた。なにこの狂暴なまでの稚拙さ。巻き髪で、異人のような寒山拾得。鎌田くんみたいなゆるゆるの虎の背中に乗った豊干禅師。まわりに野良猫のような子虎が三匹。笑っていいのか、畏れるべきか、呆然とする。東京ではあまり見たことのない作品だなあと思ったら、福岡の幻住庵所蔵だそうだ。

 それからしばらく禅画(だいたい墨画)が密に並ぶ。この展覧会は、印象を大事にしたほうがいいと思うので、どんどん見ていき、あとで戻ってきて、画家の名前を確かめたり、解説を読んだりした。春叢紹珠の『皿回し布袋図』は、何度見ても不意打ち的に可笑しい。惟精宗磬の『断臂図』の慧可はやさしいゴリラみたい。風外本高の『南泉斬猫図』は、ギャグ漫画みたいにスパッと胴を両断された猫が地面に転がっている。両手いや前足を大の字に広げ「やられた」という風情の猫の表情に吹き出してしまう。これも香積寺というお寺の所蔵。仙厓さんの『丹霞焼仏図』『蜆子和尚図』など、禅画ってイメージの宝庫で、それをこんなに自由に展開していく画僧たち、すごい。

 禅僧の作品に混じって、狩野山雪の『松に小禽・梟図』は異彩を放っていた。松の抽象化された枝ぶりが山雪だなあ。禅画の最後を飾るのは芦雪。芦雪の『寒山拾得図』は、拾得の足元に小さな子犬の群れが描き込まれている。芦雪の子犬の「ゆるすぎ」「リラックスしすぎ」問題は、隣りに円山応挙の子犬を並べてみるとよく分かる。

 続く「俳画と南画」も好き。遠藤曰人『蛙の相撲図』にニッコリし、呉春のトボけた『人物図』で笑いが込み上げ、小川芋銭の『河童百図・幻』で噴いた。佐竹蓬平のゆるい『山水図』はどこが「へそまがり」か、応挙の『山水図』と比べてみる趣向になっている。何でも応挙がスタンダードなんだなあ、と苦笑。

 次に、稚拙とヘタウマをテーマにした様々な作品。江戸絵画だけでなく、アンリ・ルソーの『フリュマンス・ビッシュの肖像』(世田谷美術館)があり、ルソー風の三岸好太郎作品が2点。三岸好太郎の名前は、札幌で暮らしたときに覚えたのに、道立美術館には行ってみなかったことを後悔している。80年代に一世を風靡した「ヘタウマ」マンガもあり。

 さて、いよいよ本展の白眉(だと思う)「お殿様の絵」。家光の『兎図』『鳳凰図』もいいけど、家綱も好き。ニワトリが好きだったらしく、繰り返し描いている。「上様はどこまで本気なのか」という、直球のキャッチコピーに悶絶した。臼杵の藩主・稲葉弘通の『鶴図』には見覚えがあったが、調べたら展覧会でなく金子信久さんの著書『日本おとぼけ絵画史』で見て、印象に残っていたようだ。大好き。ちなみに展示図録には、これを京都・無鄰菴の床の間に掛けた写真が添えられており、意外とマッチしている。でも、やっぱり可笑しい。

 次に造形の奇抜さ。中村芳年の『十二ヶ月花卉図押絵貼屏風』は華やかで愛らしくめでたいが、かたちのデフォルメがけっこう大胆。最後は「苦みとおとぼけ」で、いいテーマだなあと思った。特に「苦み」。長沢芦雪の『鶏図』(シビれるような強面)も、やるせない『老子図』も好き。デロリの祇園井特は『墓場の幽霊図』がよかった。「おとぼけ」には、私の好きな
林閬苑の『鹿図』。曽我二直庵の『猿図』は「おとぼけ」のカテゴリーなのだが、私は「苦み」を感じてしまう。宇宙人みたいな怖さもある。

 というわけで、後期もぜひ行きたい。公式図録は、これら「へそまがり」作品を床の間に掛けてみた写真が複数あって、たいへん興味深い。仙厓さんの『豊干禅師・寒山拾得図屏風』を幻住庵の座敷に立ててみた図や、京都・麟祥院の海北友雪『雲竜図襖』(後期はこれが来るのか!豪華!)の修理の現場など、貴重な写真も載っている。拡大図版で見ることで、なるほど、ここがへそまがり!と納得のいくものも多く、お勧めである。金子先生、春から幸せな気分をありがとうございます。
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この街にしかない味/京都の中華(姜尚美)

2019-03-17 23:30:31 | 読んだもの(書籍)
〇姜尚美『京都の中華』(幻冬舎文庫) 幻冬舎 2016.12

 表紙の糸仙(いとせん)の酢豚の写真に惹かれて、京都の美味しい中華屋さんの情報を仕入れておけば、いつか役に立つかもしれないと思って読んだ。そうしたら、京都の中華の歴史について、いろいろ思わぬ興味深い話を知ることができた。

 前半は京都の中華17店が一押しの名品とともに紹介されている。カラー写真が嬉しい。下鴨・蕪庵(ぶあん)の三絲魚翅、河原町四条・芙蓉園の鳳凰蛋、祇園・盛京亭の焼飯、みんな美味しそう。全然知らなかったけれど、むちゃくちゃ食べてみたくなる。取り上げられている店のランクというか雰囲気はいろいろで、枯山水のお庭を眺めながらいただく「数寄屋中華」の蕪庵などは、たぶん私には生涯、縁がなさそう。一方で、近所の職人さんがサッと来て食べていく「町中華」の芙蓉園や、京都造形美術大学の学生さんに親しまれている駱駝などのお店もある。本書は2012年刊行の単行本を文庫化したもので、残念ながら「閉店」の注記が加わっているものもあった。

 どの店についても繰り返し語られているのは、本場の中華料理とはまるでかけ離れた、京都らしい味付け。「だし好き」「かしわ好き」「卵とじ好き」「青ねぎ好き」「薄味」「さっぱり」「甘口」など。特に祇園では、芸妓さん、舞妓さん、ホステスさんに(デパートの店員さんにも)匂いがつくものは嫌われるので、にんにくやラードを使わない、香辛料も控えめな中華が主流になったというのは納得がいく。

 そんな京都の中華がどのように生まれたか。大正時代、京都初の中華料理店として祇園に創業したのは「支那料理ハマムラ」で、その系譜は現在の「中華料理ハマムラ」につながっているという。本書で唯一、私が知っていたのはこのお店。現在は京都駅の近鉄名店街に入っているけど、リニューアル前の京都駅の頃から好きだった。

 かつての「ハマムラ」が迎えた最初の本格的な中国人の料理長が高華吉さんで、本書の後半には、このひとの詳しい紹介がある。「当時は中華食材が十分になかった上、和食の街である祇園でやっていくのに京都風のアレンジが必要だった」ため、はじめは相当苦労したという。やがて高さんは独立して「飛雲」「第一楼」「鳳舞」などの店を開業し、多くの弟子を育てた。高さんの味を受け継いだ店を本書では「鳳舞系」と呼んでいる。ちなみにもう一つの流派は盛京亭派。なるほど、料理人の世界には、こういう師弟関係に基づく流派があるのだな。和食の街に適応した「京都の中華」のルーツが、ひとりの中国人料理人であるというのはとても興味深い。

 本書の後半には、京都の老舗料亭「菊乃井」の料理人で大の中華好きの村田吉弘氏が「京都の中華」を語るインタビューが収録されている。「料理というもんは、いろんな国でいろんな発展の仕方があってしかるべき」と考える村田さんは「最初に日本に来た中華の人らは、こういう京都特有の中華になっていくのをイヤやと思てたわけはないと思うよ。食いもんていうのはおいしければええんで、そこの人らがそれらを食べて幸せになればええんで」という。なんて素敵な言葉。

 著者の姜尚美さんも「本場や本物を追求するのは、もちろん素晴らしいことだ。でも、あまりにそれを追い求めると、『正解の味』はたったひとつになっていまう」と控えめに危惧を述べている。土地の歴史と風習に合わせた、そこにしかない味があっていいのではないか。私はこういう考え方に賛成だ。最近、外国人に「本当の和食のつくりかた」を教えるテレビ番組があると聞いたが、本書を読んで考え直してもらいたい。

 村田さんのインタビューによれば、京都の中華屋さんはみんな気楽に商売しているそうで、平気で長いこと休んだり、メニューも年中同じなのだそうだ。これもいいなあと思う。それから高華吉さんが有次の中華包丁を使っていた話、村田さんが料理人の視点から「日本の刃物は世界一」と述べているのも興味深かった。むかしは餃子の皮を茶筒で抜いて量産していたとか、十二段家の「牛肉の水炊き」(現在のしゃぶしゃぶ)が中国の涮羊肉から生まれた逸話なども収載。
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101年の画業回顧/奥村土牛(山種美術館)

2019-03-16 23:01:21 | 行ったもの(美術館・見仏)
山種美術館 広尾開館10周年記念特別展・生誕130年記念『奥村土牛』(2019年2月2日~3月31日)

 2019年に生誕130年を迎える日本画家・奥村土牛(1889-1990)に焦点をあて、最初期から晩年まで101年の生涯を60点余りの作品で振り返る。全て山種美術館の所蔵品で、回顧展ができてしまうという点に、画家と同館の創立者・山﨑種二の深いつながりを感じることができる。同館の土牛コレクションは135点に及ぶそうだ。

 会場に入るとすぐ、目に飛び込んでくるのは『醍醐』。何度見てもよい。花のピンクの若々しさ。桜の幹は三つくらいの異なる色を塗り重ねている。厚塗りではないので、一部で背景の白壁が透けているのだが、全く違和感はない。小林古径先生の七回忌の帰りに初めて見て「極美」の印象を持ち、それから10年くらいして、もう一度、醍醐を訪ねて制作した、という作者のコメントが添えられていた。同館の展覧会は、学芸員の解説ではなく、画家本人のことばを添えてあることが多く、邪魔にならない演出で、とても好き。

 初期(昭和20年代まで)の作品は、兎や軍鶏、緋鯉、あけび、南瓜など、身のまわりの小動物や植物が多かった。どれもスッキリすて、凛として好き。『雪の山』にはセザンヌを感じた。大正8-9年頃、後期印象派が流行し、セザンヌのいい画集を買ってもらって(誰に?)模写ばかりしていたという画家のことばが添えられていた。

 昭和30年代とその前後には、土牛の代表作が現われる。展示室の奥の壁に左から『城』『那智』『鳴門』が展示されていた。私は『那智』は初めてでびっくりした。大きすぎて、なかなか展示される機会がないのだろうか。『那智』と『鳴門』は画稿も一緒に展示されていて、那智の滝をスケッチではやや斜めから描いているのに、作品では正面性を強調していることや、鳴門の渦潮はスケッチよりもズームアップして画面に収めていることなど、比較すると面白かった。

 人物画の『踊り子』『舞妓』も好き。『茶室』は大徳寺真珠庵の茶室「庭玉軒」を描いたものだというが、モンドリアンみたい。『門』はやり過ぎではないと思うけど面白い。あと『鵜』『鹿』『稽古』が、偶然か意識的か、すべて3羽・3匹・3人(相撲取り)が並んだ構図で、リズム感が出ていた。

 昭和40年代後半、80代以降の作品は、どんどん自由で美しくなる。『朝市の女』はベトナムかどこかの少女を思わせて好き。『大和路』はたぶん茅葺き屋根に崩れた築地塀なのだろうけど、風景の大半がやわらかな黄色に染まっている。そう、懐かしい大和路はこの色だ。『僧』は、どこかで見た顔だと思ったら、興福寺の釈迦十大弟子立像を生身の人間の姿で描いたもの。画家は、私たちが見たいもの、実は心の目で見ているものを、描き出している。

 しかしびっくりしたのは90歳を超えて挑んだ大作『海』。岩場の向こうに広がる海を、波立つ浜辺から遠い水平線までを、シンプルな色調で描いたものだが、制作中の写真が印象的だった。なぜか長生きして書き続けた画家の作品には惹かれるものがある。

 最後に「拙くても生きた絵を描きたい」というのはいい言葉だ。84歳の土牛は、芸術に完成はなく「要はどこまで大きく未完成で終われるかである」と述べたそうだ。たぶん言葉だけならそんなに感銘を受けないのだが、作品を見ていると、言葉も胸にひびくのである。きちんと土牛のことばを噛み締めたくて、売店で見つけた自伝本を買ってきてしまった。
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新しい政治参加の必要/アンダークラス(橋本健二)

2019-03-14 23:53:37 | 読んだもの(書籍)
〇橋本健二『アンダークラス:新たな下層階級の出現』(ちくま新書) 筑摩書房 2018.12

 橋本先生の本は好きで、ずっと読んできている。私が「アンダークラス」という言葉を知ったのはいつだったかなと探してみたら、2007年に読んだ著者の『階級社会:現代日本の格差を問う』(講談社選書メチエ、2006)が最初であるらしい。著者は、もう10年以上、日本のアンダークラスを調査・研究し続けているのだ。

 本書は冒頭に「アンダークラス」という用語の来歴が語られていて興味深かった。「現代社会に生まれた新しい下層階級」の意味で最初に用いたのは経済学者のミュルダールだが、1977年の雑誌「タイム」は、アンダークラスの文化的異質性を強調し、「救済に値しない人々」「社会支出負担を増加させる原因」というレッテル貼りにこの語をシフトさせる原因をつくった。しかし著者は敢えてこの用語を用いる。

 「アンダークラス」とは、(1)資本家階級、(2)新中間階級、(3)労働者階級、(4)旧中間階級という4つの階級の「下」に発生し、次第に拡大している新しい下層集団である。実は、不況下でも労働者階級(単純事務職、マニュアル職)の正規雇用の人々は所得が上昇し、新中間階級(管理職、専門職)に接近している(そうなのか!)。一方、非正規用の人々は取り残され、脱出困難な底辺へと沈んでしまった。2015年の日本の貧困率は15%を超えており、人数では1970万人ほどになるという。めまいがするような現実だ。

 経済学者のガルブレイスは、現代の米国社会は、かつてのように「一握りの成功者」が支配する社会ではなく「満ち足りた多数派」が支配する社会だと述べているそうだ。これは厳しい指摘だ。リベラルな志向を持っている者なら、「一握りの成功者」に対して公正な分配を求めるため、汗をかくのは比較的たやすい。しかし実際には、富裕層から普通の人々まで「満ち足りた多数派」の生活は、底辺労働に従事するアンダークラスの奉仕によって成り立っている。普通の暮らしをしている人々(我々)は「支配者」の側にいるのである。

 著者は正確を期すため、非正規労働者の中でも家計補助的に働くパート主婦を「アンダークラス」から除外し、さらに年齢・性別ごとに集団の特徴を調査する。すると、まず「若年・中年アンダークラス男性」の絶望的な状況が見えてくる。厳しい生い立ち、孤独、健康不安、抑うつ状況。かすかに見える希望は、貧困の自己責任論に与することなく、格差解消を社会的課題と認識している点だが、それに明確に応える政党が今の日本にはない。

 一方、アンダークラスの女性は、男性よりも友達・知人が多く、コンサートや美術館や図書館に行ったり、雑誌や本で取り上げられたレストランに行くなどの余暇活動は、専業主婦と比べて、そんなに差がない。経済的には苦しくても生活を楽しむことはできているのだ。これはすごく分かる。日本の男性は、全般的に生活の楽しみ方が下手だと思う。もうひとつ納得したのは、男性の場合、出身家庭の問題や教育からの排除など、アンダークラスに流入するメカニズムが明確だったが、女性にはそれがないことだ。女性は、普通の家庭に育ち、順調に就職・結婚しても、離婚や病気などのきっかけで、突然、アンダークラスに転落することがある。これも実感として分かる。

 高齢アンダークラスは、現在のところ、まあまあの年金を受給できたり、預貯金などを所有しているので生活には困らない人々が一定数いる。しかし、これはあとわずかの話だろう。フリーターの先駆けだった世代(私の世代だ)はすでに50歳前後に達しており、彼らが高齢アンダークラスに突入するのはまもなくである。さらに著者は、アンダークラスと連続性・同質性を持つ集団である「失業者・無業者」についても、いくつかの事例を紹介し、注意を喚起している。

 終章は、アンダークラスの政治的可能性について論じる。これはとても興味深い。リベラルを標榜する政党関係者のみなさんにぜひ読んでもらいたい。生活に「満足」や「幸福」を感じている人ほど自民党支持者が多いことを示す見事なグラフ。自民党は人々の幸福を組織化することに成功している。それに対して他の政党は、人々の不満を組織化できていない。

 「所得再分配による格差解消」については、これを拒否する人々を自民党は強固に組織化している。一方、その他の政治的争点、環境保護や反原発などは、あまり特定の政党支持に直結しない。九条改正問題でさえも、確かに賛成派は自民支持が多いが反対派はむしろ無党派が多いという。そして、伝統的な左派・リベラル派は、所得再分配・環境保護・平和主義などを、ひとまとまりに並置してしまうが、アンダークラスの側から見ると、再分配以外の主張は「余計なもの」に感じられる恐れがあるという。ああ、これ!!もう一度言うが、リベラル政党関係者の皆さんはよく読んで考えていただきたい。

 拡大するアンダークラスの人々を組織化するには、格差と縮小と貧困の解消だけを旗印とする新しい政治勢力が必要なのだ。それ以外の点は、どんな主張とでも共闘する政党、というのは危険だろうか。伝統的リベラルに共感する私は、反原発も平和主義も大事だと思っているからなあ。
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身分制なき近代へ/江戸東京の明治維新(横山百合子)

2019-03-12 23:33:58 | 読んだもの(書籍)
〇横山百合子『江戸東京の明治維新』(岩波新書) 岩波書店 2018.8

 昨年2018年は明治元年(1868)から150年に当たり、さまざまな記念行事や関連図書の出版が行われた。その中には、くだらない一過性のものもあったけれど、これは普通に読み継がれる価値のある1冊だと思う。維新の激動に飲み込まれた江戸東京を、旧幕臣、床店を営む零細商人、遊女、賤民など、多様な人々の目線から描く。

 はじめに記述されるのは、切絵図や屏風に描かれた幕末の江戸城の姿。江戸城に接する「大名小路」(東京駅・有楽町駅周辺)には御三卿、大老など、徳川家に近い諸藩の屋敷が立ち並んでいた。1868年春、東京開城が決まり、東征軍による江戸の占領統治が始まる。9月には元号が「明治」に改まり、東京府政が始まり、天皇の東幸が行われた。へええ、庶民に3000樽の酒とするめ・かわらけ・瓶子が配られたのか。1869年春、二度目の天皇東幸に際しては吹上苑が全面開放され、人々は遅い花見を楽しんだ。次々に仕掛けられる華やかな官製イベントは、その裏で多くの人々が先行きに不安を抱えていたことを感じさせる。江藤新平は「唯都下人情を鎮静するを以て一筋の目的となせり」と述べているそうだ。

 維新後、諸藩の大名や藩士が帰国し、旧幕臣の半数が徳川家に従って静岡に移住してしまうと、江戸の人口は急減し、特に武家地は荒廃したが、やがて天皇の在所として江戸城の整備が進むと、旧幕閣の屋敷は公家・皇族の屋敷に代わっていく。大名小路が官庁街となり、浜町から築地に至る大川端は薩長土肥関係者の所有割合が高まる。この変化を本書は、地図資料を用いて、丹念に追っている。土地の風景って、けっこう変わっているものなのだ。

 東京新政府の喫緊の課題は、治安の回復と維持だった。そのためには、脱藩浮浪士などの危険分子をあぶり出さなくてはならない。そこで新政府は戸籍の編成に取り組んだ。これは近代の「戸籍」が何のためにあるのか、治安維持の道具として生まれたことをはっきり示している。しかし、新政府は京都で行われていた身分別の戸籍仕法を持ち込んだため、激しく流動する東京の住民の把握には全く役に立たなかった。そこから新政府は、身分統治の完全廃止へと飛躍していくことになる。この説明は、全く考えたことのなかった視点で非常に面白かった。

 著者によれば、近世の身分とは、何らかの公的な役割を担うと同時に社会的な特権を認められた身分(職分)集団である。幕府や藩は、身分集団に一定の自律性を認め、身分に依拠した統治を行った。遊郭もそのひとつと言ってよい。近世社会においても人身売買は禁じられていたが、「遊郭」という小集団においては、事実上の人身売買を「奉公」の労働契約と言い抜けることが許されていた。「幕府法は必ずしも個々の集団内部の問題を統一的に支配しようとはしない」という驚くべき一文にしっかり線を引いておきたい。

 近世社会は遊郭を当然の存在とみなすがゆえに娼婦への蔑視はなかった。例として紹介されている、遊女はいやだ、素人にしてほしいと結婚を願い出た遊女「かしく」の歎願書は可愛らしくも切ない(東京都公文書館所蔵)。解放令以後、売春は娼妓が「自由意思」で行うものになった。しかし、むろんこれは建て前である。遊郭解体以後の近代には、遊女への共感や憧れは消え、蔑視が前面に現れてくる。この問題は現代のジェンダー認識まで尾を引いていると思う。

 最後に賤民と呼ばれた人々について。関八州では浅草に住む弾左衛門が、斃れ牛馬の皮革処理や行刑などを担う人々、乞食を生業とする人々などを支配していた。1871年の賤民廃止令によって、その支配は終了する。弾左衛門(弾直樹)とその配下の人々は、製靴業や牛肉産業に進出して、維新後の社会を生きていく。三味線皮渡世の小林健次郎の名前は初めて聞いた。屠牛商人たちと時に対決し、特に結託したのは牛鍋「いろは」の木村荘平。この人物も面白い。こうして明治の東京は、混沌の中から姿を現していく。
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