見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

ゆっくり学ぶ気配り/お茶のすすめ(川口澄子)

2012-03-31 15:44:13 | 読んだもの(書籍)
○川口澄子:画と文『お茶のすすめ:お気楽「茶道」ガイド』 WAVE出版 2012.4

 仏像や古美術(書画)好きが嵩じて、だんだん骨董・陶磁器に関心が広がり、必然的に「茶の湯」にたどりついてしまった。備前がいいとか楽茶碗が好きとか、茶道具の好みを語ったりもしているが、実践が伴わないので、本当のところ、お作法は何も分からない。やっぱり、敷居が高いのである。

 知識や格式の問題ではなくて、私は、あるルールに従って自分の身体を動かすことがものすごく苦手なのだ。簡単には「不器用」という。お茶のお稽古に踏み出す勇気は、おそらく当分持てないだろう。だけど、茶道の世界をちょっと覗いてみたい。ほのぼの系のマンガと画文で構成された本書は、そんな私にぴったりのガイドブックだった。

 著者の川口澄子さんは、1973年兵庫県生まれの「画工」さん。中学、高校と女子校で過ごし(女子校育ちだw)美術館や史跡・骨董市めぐりを好み、愛読雑誌は「サライ」「太陽」で、友人から「おぬしはその道を貫け」と言われていたことが、本書の中ほどに出てくる。絵を学んでいた学生時代、建築学科の友人の紹介で茶室を見学に行ったことが縁となり、お茶を習い始める。

 この先生が偉い。作法も何も知らない(しかも普通の若者以上に発想も行動も自由な、芸術専攻の)学生を相手に、ルールを押しつけず、ゆっくりお茶の奥義と楽しみを教えていく。「忍耐と書いて先生と読む」とは、よくぞ言ったもの。

 最初に著者が学んだのは、お茶室にはだしはNGであること。お茶室は、お稽古をする人にとって神聖な修行の場であるから、白い足袋、あるいは白い靴下で、礼を形にあらわす。お寺など、貴重な古建築の拝観でも、足の脂が床につくので、はだしは嫌われる。夏でも鞄に靴下をしのばせていくのがマナー(訪問先への心づかい)だという。私も実践しよう…。

 茶会のお手伝いのあとの先生のお言葉、「メインの手伝いより、誰でもできる雑用をきっちりこなし、信用を得るのが先。声をかけられるまで、ジャマにならないところで待機するのも手伝いですよ」には、社会人として深くうなずいた。そして、23歳でこれを聞いて、39歳の現在まで覚えている著者も偉いと思う。

 本書の話題は、着物の着かた、立ちかた・座りかた、抹茶の種類、茶室のしつらえなどにも及ぶ。茶菓子やお道具の紹介には、カラーイラストやカラ―写真が用いられていて楽しい。なるほど、マドラーやティースプーンを茶杓に見立てたり、つまようじ入れを茶入にしてもいいのね。さりげなく挿入されているエピソードで、著者がお稽古で茶杓を折ってしまったとき、先生が平然と「つくろいに出しますから」と言っていたのにも感じ入った。こういう先生だったら、不器用な私でも入門してみたい。

 川口澄子さんは、九州国立博物館の『黄檗』展のイラストを書かれた方。少し絵の雰囲気を変えている(本書のほうが”ゆるい”)ので、はじめ思い当たらなかったが、読んでいるうちに気がついた。
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怒るより祈れ/原発と祈り(内田樹、名越康文)

2012-03-30 23:35:08 | 読んだもの(書籍)
○内田樹、名越康文、橋口いくよ『原発と祈り:価値観再生道場』 メディア・ファクトリー 2011.12

 3.11以来、自分の読む本が少し変わったように思っている。原発の問題を除き、それ以外の日本社会について書いた本に対して、関心が薄くなってしまった。どれも物足りないというか、ウソ臭く感じるようになってしまったのだ。一方で、これまでよく読んでいた著者の、原発や震災に対するスタンスに違和を感じて、途方に暮れているケースもある。これは、著者に裏切られたというより、まだ自分自身の、原発や震災に対する態度が決まらないためでもある。

 というわけで、震災前はよく読んでいた内田樹さんについても、しばらく慎重に距離をおいていた。震災以後、初めて読むのが本書になる。対談相手の名越康文さんのことは知らなかったが、「TV・ラジオ等で活躍中の精神科医」だそうだ。表紙(をくるむオビ)には、オジサン二人が顔を出しているが、もうひとり、聞き手として、作家の橋口いくよさんが登場する。このひとも私は知らなかったが、「原発供養」を言い出して、ネット上で話題になった方だそうだ。

 橋口さんは、40年も不眠不休で働かされ、人々に電気を供給し続けたのに、憎まれ怖がられて死んでゆく原発を鎮めるために、爆発直後から毎日祈っているという。内田さん、名越さんは「分かる」と言って、これに共感する。確かに、百鬼夜行から映画「ゴジラ」まで、鎮魂・弔いの伝統を持つ日本人として、自然な反応だというのは分かる。だが、祈っていると手足が熱くなり…というような感覚は、正直なところ、私にはよく理解できない。くだらないと斬って捨てる批判はしないが、ちょっと協調もできないな、という感じである。

 逆に後半の、内田さんの「(こういう状況で)怒っちゃだめよ」発言には共感する。続けて名越さんが、「心で繋がろう」的な物言いに注意を促し、怒りや嫉妬や排他性で繋がってはいけない、明るいほう、楽しいほうと繋がるには結構工夫がいる、と指摘していることにも。

 ゴジラや怪獣が「荒ぶる神」であり、ウルトラマンは大仏である(巨大ヒーローというのは日本だけ?らしい)というのは、どこかで聞いたことのある解釈だと思ったが、「日本人のショッカー化」という見立ては初めてで、面白かった。今の日本は、政府のやっていることを普通の人々が絶対的な位置で批判し、自分は体制を打ち負かしてニューワールドを作るんだと思っているが、彼らは「仮面ライダー」のショッカーに似ている。

 ショッカーとは「問わない人」「考えたくない人」である。自分たちは恵まれない反体制で、一番正しいし、自分自身で考えていると思っている。もう一度考えてみては?と問いかける人間は体制側だから、コミュニケーションの必要がないと思っている。考えるという知的負担に耐えられないから、突然怒り出す。「ショッカーって社会改革論者ですから要するに」という名越さんのまとめに対し、橋口さんの「(ショッカーに改造されかけて逃げのびた)仮面ライダーって、本当はそんなショッカーを救いたいのかも知れないなあ」という会話に含蓄を感じた。
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ハイカラ・モダン/魯迅(藤井省三)

2012-03-28 23:10:31 | 読んだもの(書籍)
○藤井省三『魯迅:東アジアを生きる文学』(岩波新書) 岩波書店 2011.3

 最近、楊逸さんの『孔子さまへの進言:中国歴史人物月旦』を読んで、魯迅の章が印象に残ったので、買ってみた。本書は、著者の個人的回顧「私と魯迅」から始まる。小学三年生まで野球少年だった著者は、四年生頃から読書少年に転じ、五年生のとき、魯迅の「故郷」という作品に出会う。さらに、中学国語教科書で「故郷」との再会を経て、著者は中国文学者に歩みを進めていく。

 私も魯迅作品との出会いは、中学国語教科書の「故郷」だった。本書によれば、この小説の教科書採択率は非常に高く、「ここ30年来日本人のほぼ全員が中学で『故郷』を読んできたことになる。…ほとんど国民作家に近い存在といえよう」とある。すごいな。しかし、オリンピック景気で空き地を失った元野球少年の著者は、喪失の物語である「故郷」にいたく感動したというが、私は、この小説を全く面白いと思わなかった。

 なぜだろう? 私も、いっぱしの読書少女だったはずなのに。思い当たるのは、「故郷」が、本質的に少年(男性)の物語なのではないか、という点だ。20年ぶりに里帰りした主人公は、楽しみにしていた幼なじみの閏土(ルントウ)との再会で、地主と小作人という身分の壁を突きつけられる…という物語。70年代の中学生だった私には、生得的な「身分」というものの実感がなかったし、むしろ美貌と愛嬌のほうが、女性の人生には重要だと(うすうす)感じていた。

 私が魯迅の小説を面白いと思ったのは、ずっと後年である。大学も終えて、たぶん30歳を過ぎた頃に代表作を読み返して、意外と「毒」の強い作品であることをはじめて認識した。しかし、魯迅という人物については、国民作家=非の打ちどころのない偉人のイメージを払拭できなかった。

 本書を読むと、その思い込みが軽やかに覆されていくので、気持ちよかった。たとえば、魯迅の日本留学といえば「仙台」だと思っていたが、7年半に及ぶ日本滞在期間のうち、仙台医専在籍期間は2年に満たず、大半は東京で過ごしている。鉄道、郵便、電信、映画、新聞、出版など、急速に成長しつつあったメディア都市・東京は、若き魯迅を魅了する。「医専を中退までして東京に戻っていったのは、魯迅がメディア都市での快感昂奮を忘れられなかったためではあるまいか」という指摘が新鮮である。

 それから、帰国後の魯迅が講師をつとめた北京大学の姿。軍閥混戦下の北京大学は、養成した近代的人材を供給すべき行先を持てなかった。それゆえ、大学自体が共和国の実現を望み、革命運動の中核を担った。うーん。明治政府の官僚養成機関として設けられ、政府と一体となって成長してきた(東京)帝国大学とは、ずいぶん出自が違うんだな。

 上海時代の魯迅のキーワードは「恋と映画とゴシップ」。なんと楽しい国民作家ではないか。30年代の魯迅は、国民党政府によってその作品を発禁処分にされた反体制文学者であると同時に、元教え子とおしゃれなマンションで同棲し、子供が生まれると一家で毎週のようにハイヤーで都心のハリウッド映画に通っていた(おお、モダン!)。お気に入りはターザン映画だったという。また『ビアズリー画選』を編集していたり、蕗谷虹児のことを激賞している。本書には、虹児の「タンポリンの唄」の魯迅訳が採録されていて、とても興味深い。

 清末から民国初期には、まだ一般に句読点が使用されていなかったが、「。」「、」「:」などの符号を取り入れ、口語文体をつくり上げたのも魯迅だという。なるほど、現代中国文(学)は、内容と形式の両面で、魯迅を淵源とするわけか。

 本書後半では、日本における魯迅の受容がはらんでいる問題、「文体や思考は十分に伝えられてきたか」を再検討する。特に竹内好訳の影響は大きく、魯迅作品を戦後日本社会に土着化させた功績の一面で、「伝統を否定しながら現代にも深い疑念を抱いて逃走するという魯迅文学の原点を見失ってしまった」ことが、批判的に取り上げられている。

 最終章は、村上春樹における魯迅の影響。私は文学にあまり詳しくないので、軽々しいことは言えないが、意外と近現代においても、日中間の影響関係ってあるのだな(魯迅は芥川龍之介の影響を受けていると言う)と思った。
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記憶の地層/中村武生と歩く洛中洛外(京都新聞出版センター)

2012-03-26 23:09:55 | 読んだもの(書籍)
○佐藤知幸:文、奥村清人:写真『中村武生と歩く洛中洛外』 京都新聞社 2010.5

 京都に行くと、京都駅の書店のどこか1ヶ所には必ず立ち寄る。東京の書店では目にすることのない、ご当地本コーナーが楽しいためだ。お気に入りは、京都八条口側の近鉄名店街にある「ふたば書房」だが、この本は、帰りの新幹線待ちの間に、改札構内のキヨスクで購入した。

 同類の歴史散歩本がいくつか並んでいたが、本書は、監修者が顔も名前も出しているところが気に入って買った。古代から近代まで、京都市内・近郊の、四十余ヶ所の歴史スポットを紹介する。ライターが監修者と一緒に町を歩き、説明を聞き出すスタイルで著述されている。「竜安寺にやってきました」とか「えらい山の中です」とか、実況ふうの語りに臨場感があって面白い。

 監修者の中村武生さんは、私は寡聞にして存じ上げない方だったが、「フリーの歴史地理史学者」として著書・講演など多数、本書も2009年4月から翌年3月まで『京都新聞』市民版金曜日に連載された記事がもとになっている。ブログも公開中。

 2009年ということで、直江兼続の名前がたびたび登場するのはご愛嬌。私は、次回京都に行ったら訪ねてみたい場所として、崇徳院の宮殿・白河北殿跡の碑が、京都大学熊野寮前にあるとか、清和源氏ゆかりの六孫王神社(平家の西八条殿でもあった)にチェックを入れた。この本、地図が大きくて分かりやすいのは、たいへんありがたい。

 あと、堀川の旧河道の名残を留める大徳寺東側の溝とか、西土手刑場跡付近を流れる神屋川とか、ちょっと見には、史跡と分からない史跡が面白かった。御土居堀もすごいなー。むかし、北野天満宮そばのお土居を見て、へえ~こんなものがあったのか、と思った記憶があるが、本書には大宮土居町に残る御土居堀の写真が掲載されていて、その規模の大きさに驚く。御土居堀(と本書では呼ぶ)は、秀吉の朝鮮攻めの最中、首都防衛のために築かれたとされるが、むしろ「首都の演出」のためではないか、と監修者は述べている。秀吉って、実はきちんと、東アジアの首都のグローバル(?)スタンダードを理解していたのかもしれない、と思った。

※表紙画像は出版社のサイトから借りました。
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海に生きる/倭寇(田中健夫)

2012-03-25 23:26:37 | 読んだもの(書籍)
○田中健夫『倭寇:海の歴史』(講談社学術文庫) 講談社 2012.1

 上里隆史さんの『海の王国・琉球』に出てきた「倭人/倭寇」の話が面白かったので、続けて何か読みたいと思っていたら、まさにそのままのタイトルの本を見つけた。文庫版は新刊だが、原著は1982年刊行だから、最新の歴史学の成果とはズレがあるかもしれない。そこは巻末の解説に「本書刊行後現在までの30年間に、対外関係史研究は大きな変貌をとげた」と注釈されているとおりである。

 しかし、パラパラめくってみたら、私の知らないことがたくさん書いてあって面白そうなので買ってみた。本書は、記述の対象を倭寇活動が最も激しかった「14~15世紀」と「16世紀」の二つの時期におく。

 まず前者。舞台は朝鮮半島。高麗史によれば、倭寇の活動は1350年(元・至正10年/高麗・忠定王2年/日本(南朝)正平5年)から急激に激化する。元(蒙古)との戦争によって、高麗の国内が空前の疲弊状態におかれていたとき、倭寇という海民の活動がおこり、租税としての米穀を運ぶ漕船や、米穀の備蓄庫が攻撃対象となった。誇張はあるにしても、船数400余という大規模な船団や、騎馬隊を持ち、内陸の開城(ケソン)まで侵攻した倭寇もあったことに驚く。

 この時期の倭寇には、高麗の賤民や逃散農民も多く混在していた。まあそうだろうな。逆に、懐柔されて官許のもとで商業活動に従事したり、朝鮮政府の中枢まで入り込む倭人もいたという。へえー。だから「どっちの民族」とか言い合うのって、空しいと思うのだけど。倭寇の一部は中国大陸(元・明)沿岸にも出没したが、朝鮮・明・室町幕府の倭寇対策によって、次第に終息にむかう。

 次、16世紀の倭寇は、明の海禁政策の強行とポルトガル船のアジア進出を引きがねとし、南海方面の密貿易従事者が武装を強め、次第に凶暴化したものと見られている。この時期は、平戸に居宅を構えた王直をはじめ、大海賊の首領たちの名が残っている。嘉靖年間には、南京城に迫る倭寇の大侵攻があった(すげー)。しかし、1567年、明初以来の海禁令が解除され、密貿易が公許されることにより、倭寇の活動は終局に至る。

 本書の楽しみ方はいろいろあると思うのだが、個人的には、日本史・中国史・朝鮮史など、国別史の知識の断片が、思わぬところでフラッシュバックするのが面白かった。それも教科書の歴史だけでなく、そもそも私が本書にたどりついたのが、ドラマ『テンペスト』→沖縄・琉球史の余波だし、胡惟庸の名前が出てきたのにもびっくりした。昨年、中国ドラマ『大明帝国 朱元璋』で覚えた人物だったので。胡惟庸って、林賢なる人物を偽りの罪で日本に流し、日本の君臣と内通しようとしたことになっているのね。ドラマ『朱元璋』では林賢事件は省略されていた筈だが。韓国歴史ドラマ好きなら、倭寇の平定に力をつくした李成桂(イ・ソンゲ、のちの朝鮮王朝太祖)に反応するだろう。

 中国や朝鮮に、文献から絵画まで、多数・多様な倭寇および真倭(日本人)に関する資料が残っていることも意外だった。日本の和歌や小歌を万葉仮名のように漢字で写し、漢訳しているものまである。「倭好」(日本人が好む貿易品)として「古名画」をあげ「小さいものを最も喜ぶ」とか、「古書」に「古医書を見つければ必ず買う。医を重んじるからである」なんてのは、なるほどなあと思わせる。この分野、一層の研究の進展を望みたいし、その成果を活かしたドラマや小説など、上質のエンターテイメント作品が作られることにも期待したい。日中韓、どこの制作でもいいから。
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流れる血/絢爛豪華 岩佐又兵衛絵巻・山中常盤物語(MOA美術館)

2012-03-24 21:18:09 | 行ったもの(美術館・見仏)
MOA美術館 開館30周年記念所蔵名品展『絢爛豪華 岩佐又兵衛絵巻』(I期)山中常盤物語(2012年3月3日~4月4日)

 今月初め、出光美術館で三大古筆手鑑のうち『見努世友』と『藻塩草』を見たあと、MOA美術館所蔵の『翰墨城』が出る展覧会はないかなーと思って、同館のサイトを見に行き、このニュースを見つけた。岩佐又兵衛の『山中常盤物語絵巻』12巻、『浄瑠璃物語絵巻』12巻、『堀江物語絵巻』12巻を三期に分けて展示するという。これはすごい!!

 しかし、本当に全巻展示なんだろうか? 私は、かつて同館の『所蔵名品展』(2007年)で3つの絵巻が全部見られる!と期待して行ったら、それぞれ1場面しか開いていなくて、ガッカリしたトラウマがあるので、今回は、室ごとの展示品リスト(併設展示作品)のページをしつこくチェック。確か、月初めは、展示室3、4が「模様替え中」だったので、もしかして前半の巻しか展示しないの?とあやしんでいたが、ご覧のとおり、全巻展示されることを確認して、東京から熱海まで小旅行に出かけた。

 いやー面白かった。ほぼ全場面展示と思っていいと思う。スペースの関係で、冒頭の詞書が見せられなかったり、1場面くらい省略していたかもしれないけど。初めて見ることのできた全12巻の内容をメモしておこう。

第1巻。冒頭は、白の着物に赤い袴の主人公・牛若の登場。能楽の舞台みたいだ。牛若は奥州平泉の秀衡館へ。都にあって、牛若の行方を案じていた常盤は、そのことを仄聞する。

第2巻。常盤と侍女、奥州へ旅立つ。袴の下に「はばき」(スパッツみたい)をつけ、足袋を穿いた装束は、時代錯誤だろうが、面白い。

第3巻。京都~近江の道行。名所を折り込んだ短い詞書。人物を小さく描く名所絵ふうの場面が続く。常盤は山中宿で病みついてしまう。

第4巻。いきなり、夜盗の襲撃。夜盗の姿を異様に大きく描いている。衣を剥がれ、肌も露わに斬り殺される常盤と侍女。小学生くらいの女の子と見ていたお母さんが、殺害場面の直前で、慌てて展示ケースから離れさせていたけど、この絵巻は、子どもと見に来ないほうがいいと思う。

第5巻。息絶える常盤。宿の夫婦によって埋葬される(塚が版築みたいだ)。その頃、牛若も都を目指していた。

第6巻。山中宿で母の死を知り、仇討を誓う牛若。助力を求められた宿の主人は、はじめ尻込みするが、妻の女房が力づける。この女房は髪を結っている。

第7巻。牛若(このへん本文では「みなもと」と呼んでいる)は変装して町に出て、大名が来たことを触れまわり、夜盗をおびき寄せる。トリックスターだなあ。

第8巻。再び宿を襲う六人組の夜盗。牛若(が変装した小冠者)は夜具にくるまり、枕を抱いて震えている。

第9巻。一転、牛若の怒りとパワー炸裂。六人の屈強な大男の肉体を、斬鉄剣さながらに斬りまくり、斬り刻む。血みどろの巻。しかし、当然ながら牛若の華麗な装束には、血の一滴も付かない。

第10巻。殺戮の後始末。宿の夫婦たちが、夜盗の死骸をむしろに包み、淵に沈める。さすが又兵衛は、戦国のリアリズムを知っている画家だなーと思った。

第11巻。牛若は秀衡館に帰還。ほとんど詞書がなく、華やかな秀衡館の光景(檜皮葺?)、孔雀のいる浄土庭園(毛越寺か)、そして御曹司上洛のために馳せ参じた大軍勢が、長大な画面に描き込まれている。

第12巻。大軍の将として上洛の途中、再び母の墓前に回向する牛若(虎の皮を敷いている)。

 この作品は、2004年の千葉市美術館『伝説の浮世絵開祖 岩佐又兵衛』で部分的に見たあと、2005年に羽田澄子さんの映画『山中常盤』で、全体を見たといえば、見ている。でも、やっぱり映画のカメラを通して見るのと、自分の眼で見るのは違う気がする。第9巻の「血風録」ぶりは、これまでも印象鮮烈だったが、今回は、大団円の第11、12巻の迫力に圧倒された。

 各巻には簡単なあらすじのパネルが付いていたが、むしろ開いた場面の詞書に、全て原文翻刻(現代語訳はなし)が添えてあったのが、とてもよかった。歌舞伎や文楽に慣れている人なら、だいたい意味が取れる程度の古語なので、原文のリズムを味わいながら絵を眺めると、いっそう物語に引き込まれると思う。

 第II期『浄瑠璃物語絵巻』も、第III期『堀江物語絵巻』も行かざるを得ないだろう。忙しいけど。
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夢の美術館、出現/ボストン美術館 日本美術の至宝(東京国立博物館)

2012-03-23 23:51:19 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 特別展『ボストン美術館 日本美術の至宝』(2012年3月20日~6月10日)

 社会人には多事多端なこの時期、思い切って、初日に行ってしまった。博物館到着は10時過ぎ。『北京故宮博物院200選』の時のような、目立つ列が外に出来ていないことにホッとする。入口で、出品目録を手に取り、会場図を確認。第1会場・第2室「海を渡った二大絵巻」のセクションに、すっ飛んで行く。

 細長い室の縦(短いほう)1面と横(長いほう)1面の展示ケースに、二大絵巻が展開されていた。前列と後列の分断とか、時間制限などの特別措置は取られていない様子。ふむ、これは望むところ。全体を最前列で見るため、しばらく並んで待つ。やがて、少しずつ列が進んで、展示ケースの前に押し出される。『吉備大臣入唐絵巻』第1巻である。唐の港に到着した遣唐使船。第1巻は、2010年に奈良博で見ているので、記憶に新しい。

 第2巻。奈良博の『大遣唐使展』は、第1、4巻の出陳だったので、いよいよ初対面だ。おおどかな文字の美しい詞書に続き、ふらふらと迷い出る赤裸の幽鬼・阿倍仲麻呂。吉備大臣に一喝(?)され、かしこまった黒の束帯姿で再登場する。美術全集などで何度も見ていて、大好きなキャラクターなので、(日本に)ようこそ御帰り、と声をかけてやりたくなる。第3巻の二人で空を飛ぶシーン、柱の陰での立ち聞きシーンも大好きだ。第4巻の下着姿の真備は、そこはかとなく色っぽい。いいオジサンなのに。この絵巻は、後白河法皇のサロンで制作されたと考えられている。後白河といえば、今様(流行歌)狂いで著名だが、ビジュアル芸術に関しても、伝統や規範に捉われない「今様」好みを感じさせる。それと、こんな作品を作らせた後白河さんは、かなり本気で唐土(宋)に渡りたかったんじゃないかなあ、と想像した。

 隣りの『平治物語絵巻』に進む。会場内が混んできたので、少し待たされたが、気持ちを切り替えるには、ちょうどいいくらいの間合いだった。二つの作品が近接して並んでいるので、『吉備』に比べて『平治』の縦幅が大きい(料紙を縦長に継いでいる)こと、詞書の文字は小さめであることが分かる。はじめは、ぽつぽつと人の姿、超スピード(車輪の回りかた!)で駆け行く牛車が現れたと思うと、たちまち上を下への大混乱、押し寄せる軍勢、猛火、兵乱の修羅場へと続く。息をもつかせない怒涛の展開。なんだろう、これは。「物語を読む」ための絵巻じゃないよなあ。そもそも「物語」ですらない感じがする…。同絵巻は「(平治の乱の)約100年後に制作された絵巻で、もとは15巻近い大作であったと考えられる」と公式サイトの解説にあり。この画力で15巻ってすごい!!

 二大絵巻でお腹いっぱい、ほとんど放心状態だったが、会場入口に戻り、もう一度、初めから見直す。入口にはボストン美術館の壮麗な建築(写真)を背景に、平櫛田中作の岡倉覚三(天心)像(細い脛をあらわにした釣り人姿)が立っていて、そのアンバランス感に笑ってしまった。以下、見逃せない作品をピックアップ。

 第1会場・第1室。仏画が多い。どれも状態がよいが、「美術品らしさ」が濃すぎて、霊的魅力に欠け、あまり好みではない。東大寺伝来の『法華堂根本曼荼羅図』は、奈良時代・8世紀の作品。内山永久寺の障壁画『四天王像』(4面)は13世紀。12世紀の『地獄草紙断簡』もあるのか。

 第1会場・第3室は、伝・狩野元信の『韃靼人狩猟図』が珍しかった。室町時代末から江戸初期にかけて好んで描かれた主題であるという。

 第2会場・第1室。刀剣と服飾(染織)で一息。第2室は、再び永徳筆『韃靼人朝貢図屏風』が登場。狩野山雪の『十雪図屏風』は、生真面目な構成が面白くて好き。養信の『仙境・簫史・弄玉図』も可愛い。こういう中国趣味の絵画は、昨今の日本では好まれなくなってお蔵入りしているけど、近世初期には山ほど描かれたんじゃないかと思う。そして、光琳の『松島図屏風』。色も形も想像以上に面白かった。いや~自由だな~。右斜め前から見ると、錯覚効果で、深い奥行きが感じられる。すごい。ひたすらすごい。

 第3室。満を持して、曽我蕭白登場。なんと11作品。これは本展覧会の「売り」が蕭白であることを認めざるを得ない。ただ、展覧会のサイトやポスターは、あまり好き嫌いの分かれない『雲龍図』を前面に押しているが、私は、イッちゃってる『風仙図屏風』『商山四皓図屏風』に、ただただ脱帽する。地味にイッちゃってる『虎渓三笑図』も、じわじわと好き。これらの作品を実見することができて、本当によかった。

 同展は東博で6月まで開催。そのあと、名古屋、福岡、大阪を来年春まで巡回する。うわー何回行けるかな。地上に出現した夢の美術館みたいに思っているので、この間に、通えるだけ通っておこうと思っている。
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2012京の冬の旅:院政ゆかりの地巡り(4)

2012-03-20 23:07:36 | 行ったもの(美術館・見仏)
○2日目:天龍寺~祇王寺~滝口寺~念仏寺~相国寺(大光明寺~墓地)

 嵯峨野・嵐山は、以前は京都の定番観光コースだったが、ここ10年くらい全く足を向けなくなった。2009年夏に少しだけ散策してみて、変貌ぶりに驚いたが、今回は奥嵯峨まで行ってみようと思う。天気は、昨日に続き、あいにくの雨。

天龍寺…まず京福嵐山駅前の天龍寺から。むかしは単に「大きい寺」という印象だったが、唐門の塔頭、瓦を塗り込めた土塀など、どことなく中国風(禅宗様式)を感じ、夢窓国師作庭の曹源池庭園も、海の風景を意識したものかな、と思う。方丈から少し離れた多宝殿に後醍醐天皇の尊像を祀る。案内板を読んだら、天龍寺は後醍醐天皇(南朝)の菩提を弔うために光厳上皇(北朝)の院宣によって創建されたのだそうだ。時代は異なるが、やっぱり祟り神を恐れたのかな…。

祇王寺…このへんは20年ぶりくらいじゃないだろうか。懐かしい。妓王、妓女、仏御前らの像を祀る。緑の苔が美しい。白猫が庵室に上がり込んできたので、え?と思ったら、障子の陰に、ちゃんと猫のおうちが用意されていた。祇王寺のマスコットなのだそうだ。

・滝口寺…祇王寺の少し上。滝口入道、横笛像を祀る。私と入れ替わりに出て行ったお客さんがいたが、境内はひっそりして誰もいなかった。むかしは、このお座敷で滝口入道の物語を語ってくれるおばあちゃんがいたのだ。私は、おばあちゃんの語りが好きで、二度も三度も聴きに来た。おばあちゃんは、庭の手入れもご朱印を書くのも、全てひとりでなさっていたと思う。



 ネットで検索したら、1999年の記事(個人ホームページ)に「4年ほど前にお亡くなりになった」と書いている方がいた。実は、拝観受付のおじさんに、おばあちゃん(の語り)のことを聞いてみたのだが「ええ、もう今はやってないんです」としか答えていただけなかった。突然、15年以上も前のことを持ち出されて、とまどわれたのかなあ。こんな記事も見つけた。高校生のとき、おばあちゃんの語りを聞いて、ストーリーテラーになられた女性のブログ。人間のつながりとか、影響の与え方って、面白いなあ、としみじみする。

念仏寺…道すがらのあだしのまゆ村とか竹の店とか覚えがあるのだが、境内の間際まで住宅地化していることに驚く。これで嵯峨野観光は切り上げ。昼食を抜いて(手焼き煎餅をかじりながら)市内に戻り、相国寺を目指す。

・相国寺塔頭 大光明寺…最後に「京の冬の旅」特別公開中の寺院をもう1ヶ所。本尊は、座った白象に乗り、胸前で合掌するめずらしい普賢菩薩像。顔立ちが、いかにも宋風な感じである。若冲の絵画が2点出ていて、彩色の『芭蕉小禽図』も見たくて訪ねたのだが、むしろ富岡鉄斎旧蔵(確か)の墨筆『龍図』に惹かれた。

・相国寺墓地…最後に相国寺を訪ねた目的は、初日レポートでも言及した『平安京を歩こう』サイトに「藤原頼長の桜塚」という記事を見つけたためである。



 山門横の境内地図で確認すると、確かに「藤原頼長墓」の案内が。墓地の入口には「関係者以外立ち入り禁止」の表示があるので、これまで入ったことがなかったが、おそるおそる奥に進んでみる。墓地に入るとすぐ、「藤原定家之墓」「足利義政之墓」「伊藤若冲之墓」という、何だか分からない3点セットの墓碑が一角にまとめられていた。



 頼長の墓は「義政の墓と隣接している」とあったが、これがよく分からない。向かって左は「長藩士戦没霊塔」とあって、禁門の変で敗れた長州藩士の戦死者を祀るものらしい。



 向かって右の区画の右隅にある五輪塔が、上記サイトの写真と同じものではないかと思ったのだが、手前の細長い石碑が磨滅していて、読めない。五輪塔の隣りの、赤茶けた大きな石碑を読みかけたが「絹絲紡績株式会社…」で始まっており、最後に「明治四十年六月」の年記がある。これは違うな、と判断して、あたりをきょろきょろ探したが、それらしいものが見当たらなかった。どこか別の場所に移動したのかなあ、と疑いつつ、心を残して去る。

 後日調べたら、やっぱりその五輪塔が頼長の墓(首塚)だったようだ。隣りの石碑の大意は、上京区(現左京区)東竹屋町の絹糸紡績株式会社の構内に藤原頼長の首塚があり、明治40年、会社を増築することになり、塚を相国寺に移築した、という説明だった(※藤原頼長墓副碑)。うわああ。碑文の見かたが素人だと、こういう失敗をするのである。次回、お参りしておかないと。

※参考:京都市歴史資料館 情報提供システム フィールド・ミュージアム京都
上掲の碑文は「いしぶみを探す(京都のいしぶみデータベース)」の中のコンテンツ。
内容は充実しているが、Googleで個別データを検索するほうが早い。

※参考:平安京探偵団
「平安京を歩こう」はこの中のコンテンツ。ちょっとデータ(写真)が古いかもしれないが、役に立つホームページ。今回行き逃した「源為義の墓(供養塔)」(下京区・権現寺)および「源氏堀川館跡」(若宮八幡宮旧社地)は、ぜひ次の機会に探してみよう。

※おまけ:天龍寺の開運招福守

普通の「宝船」なんでしょうけど、なんとなく天龍寺船を連想させて、中国旅行のお守りにもなりそうだったので。青磁とか天目茶碗とか、いっぱい運んできそうである。
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2012京の冬の旅:院政ゆかりの地巡り(3)楽美術館など

2012-03-20 17:28:55 | 行ったもの(美術館・見仏)
○初日:三十三間堂~安井金毘羅宮~崇徳天皇御廟~六波羅蜜寺~長講堂~因幡薬師(平等寺)~本法寺~楽美術館~白峯神宮

 初日、まだ続き。本法寺(堀川寺ノ内)から再びバスで堀川通を下る。

楽美術館…春期特別展『楽歴代の名品 秘蔵の長次郎を見る 利休所持・利休の婿 万代屋宗安伝来黒楽茶碗「万代屋黒」』(2012年3月10日~6月24日)開催中。階下の展示室では、初代・長次郎から当代(十五代)・吉左衛門氏までを一人一作で紹介する。以前も、この形式の展覧会があったように思うけれど、楽茶碗入門には、とてもありがたい展示だと思う。二階は、手前の展示室に、茶入・水指・香炉など、茶碗以外の作品。奥の部屋に、いよいよ名品中の名品が取り揃えられていた。

 見どころは、長次郎の『万代屋黒』と道入の『唐衣』。うーむ、『万代屋黒』は、作為を廃した徹底ぶりが逆に息苦しく感じられて、あまり好きになれない。『唐衣』は、軽やかな薄作に厚みのある釉薬、外側には山の端状の白い剝げ目、内側には赤い斑点など、技巧に満ちたところが好き。その隣り、光悦の『立峯』は飴色釉。鏡を置いて見せている裏面の外側に焦げ目があって、ぎょっとするようなアクセントになっている。左入の『雨雲写』は光悦の茶碗を写したものだが、黒楽茶碗を縁取る白色(釉?)が、夜桜みたいできれい。

・白峯神宮…最後は、今回のテーマ「院政ゆかりの地巡り」に戻って、徒歩で白峯神宮へ。主祭神は、讃岐院こと崇徳天皇と、淡路廃帝こと淳仁天皇である。もと蹴鞠の宗家・飛鳥井家の屋敷跡地であり、蹴鞠の守護神・精大明神を摂社に祀る、というのは知っていたが、行ってみたら、本殿に山のようにサッカーボールやアメフト、野球のボールが奉納されていて、折しも少年野球チームが参拝中だった。ええ~違うだろう、と思ったが、もはや白峯神宮=「球技全般ひいてはスポーツの守護神」になっているらしい。



 崇徳院に勝負事の勝ちを願うってどうなの、と思うのだが、祟り神の功徳は強力無比だから、いいのかしら。祇園の御廟は歌舞練場と場外馬券売場のそばで、どちらも安閑とできないのがお気の毒である。まあ賑やかなのは、よろしいか。



 境内の伴緒(とものを)社。案内板に「保元の乱に崇徳上皇方に馳せ参じた源為義(源氏の棟梁)と弓で名高い鎮西八郎為朝父子の二公をお祀りします。…なお、為朝公は琉球王家の祖になったと言う伝説があります」とある。保元の乱の帰趨を、はっきり記さないところが何とも(泣ける)。

 夕食は、同じく東京から週末旅行に出てきた友人と合流。(京都市内の宿が取れなかったので)高槻泊。
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2012京の冬の旅:院政ゆかりの地巡り(2)等伯の涅槃図(本法寺)

2012-03-20 08:40:57 | 行ったもの(美術館・見仏)
○初日:三十三間堂~安井金毘羅宮~崇徳天皇御廟~六波羅蜜寺~長講堂~因幡薬師(平等寺)~本法寺~楽美術館~白峯神宮

 初日続き。

本法寺…前日、携帯で京都の観光情報を収集していたら、長谷川等伯筆の『佛涅槃図』(縦8メートル×横5.3メートル)公開というニュースを見つけた。そのサイズを見て、思い当たる作品があったので、もしやあの涅槃図?と思って、行ってみることにした。場所はバス停「堀川寺ノ内」下車すぐ(東側)。堀川通を北上するバスに乗ったが、二条城とか一条戻り橋とか、なじみの観光地をどんどん過ぎて、少し不安になり始めた頃、到着した。裏千家、表千家に程近い。近年、あまり来たことのないエリアだ。同寺は日蓮宗。門を入ると、広壮な境内に、大きな多宝塔が目を引く。本阿弥光悦ゆかりの松や庭園も残されていた(おおらかで自由な感じのする庭。竹組みの垣根は光悦垣かな)。



 近代的な宝物館に入ると、巨大な涅槃図。これだ~。博物館の壁に掛け切れなくて、床に垂らして寝かせていたのを覚えている。待て待て、京博だったかしら、東博だったかしら。東博の没後400年『長谷川等伯』展(2010年春)だったような気がしたが、思い返すと、京博の『日蓮と法華の名宝』(2009年秋)だったかもしれない。等伯も光悦も、日蓮宗と縁が深いことを、はじめて知った展覧会だった。

 画幅の下部に描かれた鳥獣たちは、どこか人間的。人面猫みたいネコ。リア充っぽく首を寄せ合う鴨のカップル。平たく伸びているのはミンク?いやカワウソ? 涅槃の釈迦の周囲に集まった仏弟子と神々は涙をぬぐう仕草を見せている者が多い。古い図様だと、顔を歪めたり号泣している者はいても、少し表現が違うような気がする。

 涅槃図は2階のバルコニーからも拝観することができるようになっている。2階に上がると、釈迦と周囲の人々を少し見下ろすような位置になる。人々の左端に緑色の衣(+袈裟?)をまとった髭面の人物が頬杖をついていて「あれが等伯自身だと言われています」と案内の方が教えてくれた。仏涅槃図の公開は、3/15~4/15。毎年行われているのだそうだ。知らなかった。こういうのを見ると、東京人が東博の『松林図』だけ見て、等伯ステキ!とか言っているのとは、全く違ったかたちで町衆とともに生きている等伯を感じる。2階には、ほかにも室町時代の羅漢図など寺宝展示あり。

 帰りがけに外の案内板を読んだら、ここは朝鮮通信使の宿所として使われたこともあって、秀吉の死の直後、1604(慶長9)年、朝鮮から遣わされた松雲大師惟政(日本軍と戦った僧兵の総指揮官)は、この本法寺に滞在し、伏見城で徳川家康と会見するなどして、国交回復につとめたそうだ。

 ん?もしや?と思い出したのは、以前、韓国旅行で訪ねた俗離山(ソンニサン)の法住寺。自分のブログ記事を検索したら「壬辰倭乱(文禄の役)の際、豊臣軍に対する抵抗の拠点となった」とメモを入れている。いろいろ調べたら、韓国語のサイトに「"法住寺捌相殿舍利荘厳具"によると、惟政四溟大師(※松雲大師惟政)が俗離山法住寺で僧兵大将として武術研磨(鍛練)をしたという記録がある(1968年発見)」という記事が見つかった(原文はハングル。機械翻訳で読めるのだから、ほんとに便利な時代だなー)。

 門外に石造の大きな十三重塔があったが、これも朝鮮と関係するのかはよく分からない。以下、まだ続く。
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