見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

お盆満喫・うらめしや/2023幽霊画展(全生庵)

2023-08-29 22:27:40 | 行ったもの(美術館・見仏)

全生庵 『谷中圓朝まつり 幽霊画展』(2023年8月1日~8月31日)

 谷中の全生庵で、毎年8月に開催される幽霊画展に行ってきた。以前、一度来たことがあることは記憶に残っていたが、いま調べたら2016年の夏だった。そのときも暑かったのだろうが、今年の暑さは格別で、千駄木の駅から5分歩く間に身体の水分が干上がりそうだった。

 本堂の石段の裏から入って、2階に上がる。展示室は、旧式の冷房がガンガンに効いていて涼しかった。個性的な幽霊画が多数並ぶが、伊藤晴雨の『怪談乳房榎』は、鬼気迫る、身の毛もよだつ恐ろしさ。滝壺の中で、髪を振り乱し、赤子を抱いてあらわれた幽霊。これ、男性なのだな。調べたら、妻を寝散られ、子どもを殺されかけた菱川重信という絵師だという。こわいこわい。

 女性にも、こういう凄まじい幽霊があったかもしれないが、印象に残るのは、谷文一の『燭台と幽霊』とか鰭崎英朋の『蚊帳の前の幽霊』とか、存在と非存在の間(あわい)みたいな、はかない姿である。鏑木清方の『幽霊』は、うつむいて顔を全く見せずに茶を献ずる女性。渡辺省亭の『幽女図』も、もくもくと煙をあげる火鉢(反魂香のイメージ)を前に、顔をそむけ、袖で目元を覆った女性が描かれる。こうした「顔を見せない女性」も幽霊画のパターンだが、もし彼女が顔を見せたら…と想像すると、かなりドキドキする。あと、全く異なるタイプでは、歌川芳延の『海坊主』もかなり好き。

 それから伝・円山応挙の『幽霊図』。やつれ気味で髪も乱れているが上品な美人図で、別に幽霊でなくてもいいのではないか、と感じた。作品の前に置いてあった解説に「応挙の幽霊図自体が幽霊のような存在なので、応挙真筆間違いなしを見たことがない」と、ずけずけ書いてあって、誰の文章?と思ったら、安村敏信先生らしかった。また「女性の面貌表現は、応挙美人図の代表格である『江口君図』のそれと共通する」という指摘もあった。実は、この日は丸の内の静嘉堂美術館で『江口君図』を見て、応挙の幽霊図(と言われる女性像)との共通性の指摘を読み、あ、全生庵に行かなくちゃ!と思い出して、こっちに回ってきたのである。なお、応挙ふうの女性の幽霊を恐ろしげに改変した筆者不詳の作品もあった。

 せっかくなので帰りに円朝のお墓にお参りしていこうと思い、墓地に立ち入りかけたが、お墓参りの人がちらほらいたので遠慮しておいた。本堂の裏にあるらしいので、次回はぜひ。

 これは受付でいただいた紙製の団扇。ステキ!!

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お盆満喫・冥府の使者に会いに/あの世の探検(静嘉堂文庫美術館)

2023-08-28 23:10:10 | 行ったもの(美術館・見仏)

静嘉堂文庫美術館 『あの世の探検-地獄の十王勢ぞろい-』(2023年8月11日〜 9月24日)

 静嘉堂文庫美術館所蔵『十王図・二使者図』(中国・元~明時代)は『地蔵菩薩十王図』(高麗時代)と一具で伝来してきた名品。 本展では、1999年の『仏教の美術』展で初公開して以来、揃って展観する機会のなかった『十王図・二使者図』及び『地蔵菩薩十王図』全13幅を一堂に展観する。

 『十王図・二使者図』は、見たことなかったかなあ…と思って探したら、2016年の『よみがえる仏の美』展では『十王図・使者図』の題名で2件だけ展示されていたようだ。13幅並ぶと壮観! しかも撮影可能なので、ばしばし写真を撮ってきた。あわせて図録も購入。コラム「十王図・二使者図(静嘉堂本)について」が詳しくて勉強になる。十王信仰は、中国南北朝の道教的な要素の強い仏教に、中国古来の冥界信仰が摂取され、成立したこと。日本には平安時代末期に入り、鎌倉時代に急速に広まったこと。とりわけ、陸信忠に代表されるような南宋・元時代の明州(寧波)の職業的画工の作品が多数請来され、多数の転写本が作られたこと。しかし静嘉堂本は寧波系とは別系統で、五代・北宋期、華北系の様式を継承していること。余白無く文様が描き込まれた描写は、明代の「水陸画」(水陸会で用いられる)と共通することなど、興味深い情報でいっぱいであある。「寧波系では一部を除き外されることの多い『二使者図』」という指摘も気になった。え、逆に「寧波系」以外では「十王・二使者」の形式は一般的なんだろうか。

 静嘉堂本の二使者のうち、緑衣の「監斎使者」は斎を行う人々を検行する。笏を持つ文官の姿。六角形の筒をたすきがけにした侍者を従える。偽経『預修十王生七経』には黒馬に乗った使者が登場するそうで、神奈川県立歴史博物館の所蔵作品は黒馬を連れていた。静嘉堂本の図様は『天地冥陽水陸儀文』の監斎使者と四直使者の記述と関連するという(四直使者?また新しい言葉だ)。

 紅衣の直府使者(直符使者)は、冥界の符文を執る。武官の姿。赤いバンダナみたいな被り物をしており、これが十王を囲む判官や侍者の一団の中で「使者」を判別する目印にもなっている。

赤いバンダナを巻いたこのひとも「使者」。

左端のこのふたりも「使者」。

しかし、中にはあれ?と思う人物もいて、図録の解説に「獄卒(使者の服装だが責苦を行っている)」などとあった。どう見ても獣の顔をした獄卒が、赤いバンダナで頬かむりしている図もあっておもしろい。

 本展は、このほかにも仏教美術好きには垂涎の作品が多数出ていた。南北朝時代の『如意輪観音像』『千手観音二十八部衆像』、高麗時代の『水月観音像』、みんな美麗で妖艶。図録解説によると、本展に出品されている仏画の多くが、過去10年以内に解体修理を受けているのだな。文化財を未来に伝えるため、ありがたいことだ。あと、南宋時代の『妙蓮華経変相図』、細かい描写が可愛くて、すっかりファンになってしまった。こういうの、拡大できる高精細画像で、隅々まで眺めてみたいなあ。「仏画」の中に、応挙の『江口君図』が堂々と混じっていたのもよかった。

 室町時代の『十二霊獣図巻』も楽しい。これは䶂犬(しゃくけん)。華流ファンタジーなら主人公の相棒として活躍しそう。

 これは兕(じきゅう)。皮が硬く、丈夫な鎧になるそうで、正体はインドサイともいう。「山に登って、夜、水の音を聞くのを好む」という説明が好き。

 『十二霊獣図巻』は後期から展示箇所が変わるので、また見に行こうかと思っている。

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門前仲町グルメ散歩:甘いもの、辛いもの

2023-08-27 20:20:03 | 食べたもの(銘菓・名産)

気がつけば、8月も最終週。甘味屋さんでかき氷が食べられるのも、あとわずか。

これは久しぶりに入った「いり江」の氷いちご。ふわふわの氷に練乳がかかっていて、優しい甘さ。人気店で、いつも人が並んでいるので敬遠していたが、時間を選べば入れるみたい。

これはいつもの「伊勢屋」でちょっと贅沢して、氷宇治金時(白玉、ソフトクリーム添え)。いろいろ味に変化があって楽しい。

おまけ。門前仲町は呑みも楽しい。

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三たび、洋風画/狩野派以外学習帳(板橋区立美術館)

2023-08-26 23:55:39 | 行ったもの(美術館・見仏)

板橋区立美術館 『館蔵品展 狩野派以外学習帳 江戸にきらめいた民間の絵師たち』(2023年8月26日~10月1日)

 今日から始まった展覧会をさっそく見てきた。というのも都営地下鉄の「夏のワンデーパス」(500円)を利用できるのが今週末までだったので。東京東部の我が家から出かけると往復で300円くらい得になるのだ。

 本展のポスター、「狩野派以外」の「以外」が強調のマルで囲まれている。同館では、江戸絵画の正統を成した江戸狩野派に注目した館蔵品展「狩野派学習帳」を2020年に開催したが、本展はその第二弾として、民間の絵師の作品を中心に紹介するものだという。

 そう聞いて展示室に入ったら、冒頭が狩野探幽の『富士山図』であれっと思った。狩野尚信の『富士見西行・大原御幸図屏風』もあり(なるほど西行と後白河を対にするのか)、狩野雅信の『御殿山筑波山遠望図』もあり(宿舎から見ていた筑波山と同じ姿だ)。本展は、二つの画題「富士山」と「牡丹」に着目し、江戸狩野派と民間絵師を比較する趣向なのだ。狩野派に続いては、司馬江漢が4件並ぶ。実は本展、出品47件のうち、18件が、洋風画で有名な歸空庵(帰空庵)コレクションの作品である。昨年は人物画を見せてもらったが、今年は風景(富士山)と花鳥画(牡丹)か!

 司馬江漢の『深川洲崎富士遠望図』。「江東区の仲町あたり」という説明が付いていたが、木場から東陽町あたりというのが正しいだろう。水平線の彼方に富士山が見えたのだな。司馬江漢は、この絵のほか、『鉄砲洲富士遠望図』にも浜辺のわんこを描いていて「犬好きだったらしい」という。

 亜欧堂田善とか小野田直武とか、洋風画のビッグネームが並ぶ中で、私が気になったのは作者不詳の江戸風景図セット。泥絵具を用いて量産された土産物だというが、郷愁を誘われる。昭和30~40年代くらいまでは、生活のどこかにこういう民衆画が存在していたように思う。銭湯のペンキ絵の富士山も同じ。

 これは福島県須賀川の十念寺の住持をつとめた白雲の作。亜欧堂田善と同郷の画僧である。

 これはオランダ人ヤン・フェデリック・フェイルケ(出島のオランダ商館の外科医として来航、江戸参府に随行)による墨画。画面左の賛は中国人による。フェイルケ、出島で病死したというが、どこかにお墓はあるのかな。あるなら参拝してみたい。

 第2展示室は「牡丹」を取り上げ、狩野派の「お手本どおり」の平面的な牡丹と、南蘋ふうの新しい写実画法を比較する。確かに宋紫石や小野田直武の描く牡丹は、質感や立体感に富むが、やり過ぎると気持ち悪くなるのが微妙なところだ。

 これは徳雄院という謎の絵師の『牡丹金魚図』。「お殿様の遊芸かな」というキャプションが添えられていたけど、私はこのくらいの雰囲気が好ましい。

 

 また、最近修復を終えた3作品、啓孫『達磨図』、英一蝶『一休和尚酔臥図』、住吉廣尚・廣隆『春秋遊楽図屏風/四季花鳥図屏風』も公開されていた。特に屏風は立てることができなかったものを立てて展示できる状態にしたそうで、本当によかった。資金の一部はクラウドファンディングで補ったという(昨年やっていたらしいが、知らなかった)。

 展示室内で、高齢のご夫婦が「こんなにたくさんあって、無料ってすごいわねえ」(※館蔵品展なので無料)「うちの〇区には美術館がないものねえ」と感心しきりの会話をしているのを耳にした。いやまったく。板橋区、ほかの住民サービスは知らないけれど、この美術館に来るたびに住民になりたいと思う。

とんでもない!また来ます!

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ブロマンス「怪奇」ミステリー/中華ドラマ『君子盟』

2023-08-25 23:47:25 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『君子盟』全29集(騰訊影業、2023)

 若手イケメン俳優によるブロマンス・ミステリーと聞いて、あまり私の好みではないかな?と思ったのだが、ホラー風味もありつつ、骨格は善因善果・悪因悪果のスカッとした物語で、けっこう楽しめた。舞台は架空の王朝・大雍だが、雰囲気は唐を思わせる。皇帝はすでに成人しているが、政治の実権は太后が握っており、実子である皇帝との仲はあまり睦まじくないと噂されていた。さて礼部侍郎の蘭珏は、やや線の細い上品な貴公子。20年前、蘭珏の父親は敵に内通した罪で捕えられ、処刑された。蘭珏は苦労を重ねて現在の地位を得たが、いまでも父親の潔白を信じていた。

 もうひとりの主人公・貧乏書生の張屏は孤児で、いまは弟分の陳筹と拉麺の屋台を引いて生計を立てている。架空の名探偵が活躍する犯罪読みものが大好きで、科挙に合格したら、大理寺(裁判所・検察庁)に就職することが夢。おっとりした好青年だが、犯罪推理には頑固なこだわりを貫く熱血漢。また「鏡花水月」という器に水を満たし、一種の催眠術で他者の心を覗く術を心得ていた。

 張屏は蘭珏の境遇に同情し、20年前の真相を明らかにする捜査に協力を申し出る。次第に明らかになったのは、20年前、蘭珏の父親は、ある少数民族の女性とともに南方に赴いたこと。時を同じくしてその民族が暮らす、嶺南道(唐代では広東・広西あたり)の摩籮村が焼き打ちにされたこと。張屏の「鏡花水月」は摩籮村に伝わる術で、張屏のかすかな記憶に残る母親は、摩籮村の女性らしいこと、などだった。

 このまま核心に迫るかと思われたところに登場したのは、かつて蘭珏と知己の間柄だった清辜章。今よりさらに不遇だった時代の蘭珏の支えとなった、気骨ある青年。10年ぶりの再会を喜ぶ蘭珏だが、張屏はおもしろくない。これ、ブロマンス三角関係ドラマなのか?と苦笑した。【ネタバレ】この清辜章こそが黒幕だった。30年前、いまの太后(李妃)は皇子を出産したが、病に苦しむ皇子の生命を救うため「回生陣法」の呪術を用いなければならなかった。この呪術を執り行った呪禁科の首領・玄機は、皇子を別の赤子とすり替えたのだった。たまたまその場に立ち会ったのは、のちに張屏の母親となった摩籮村の女性。殺されかけた皇子を連れ帰り、張屏(幼名・苦若)とともに育てた。10年後、彼女は上京し、縁のあった蘭珏の父親・蘭林に相談した。驚いた蘭林は、皇子に会うため南方に下ったが、事の露見を恐れた太后によって、蘭林も、摩籮村の人々も抹殺されたのだった。しかし真の皇子は生き残り、太后に復讐するため、清辜章となって帰って来た。

 清辜章は、拉致した太后に、王城の人々を嬲り殺しにする様子を見せつけようと、赤色の毒粉「血霧」を宙に放った。蘭珏、張屏らは、マスクで防護した人々を誘導して高台に避難させ、塩と火薬を混ぜた砲弾を打ち上げて人工雨を降らせ、血霧を鎮めることに成功する。実母を憎み切れなかった清辜章は、ひとり血霧の中に消えていった。

 蘭珏(井柏然)、張屏(宋威龍)、清辜章(汪鐸)は、それぞれタイプの違うイケメンで目の保養になった。主人公たちの友人あるいは補佐役の陳筹(郭丞)、王硯(洪堯)、それから旭東(强巴才丹)も好きなキャラだった。皇帝は、あまり風采の上がらないタイプで、申し訳ないが、もっとカッコいい俳優さんを当てればいいのに、と思ったが、展開に従って納得した。高貴な血筋ではないけれど、よき皇帝になろうとする覚悟が好ましかった。あと小悪党の玄機(楊雲棹)もよかったなあ。地味に怖いのだ。美術や音楽も独特のセンスがあって好きだった。ホラーな場面、特殊効果ではなく、舞台演劇的な演出が印象的だった。

 男子たちの友情と、母子あるいは父子関係が主軸のドラマで、男女の恋愛エピソードは全くなく、そもそも、そういう対象の女性キャラが登場しないことに途中で気づいたが、特に違和感はなかった。しかし最終話で、蘭珏が妻子の存在を匂わせるセリフを言っているのは原作にあるんだろうか。どうも「ブロマンス」規制対策なのではないかと思われる。そんなこと、しなくてもいいのに。

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社会都市から企業都市へ/東京史(源川真希)

2023-08-22 22:03:25 | 読んだもの(書籍)

〇源川真希『東京史:七つのテーマで巨大都市を読み解く』(ちくま新書) 筑摩書房 2023.5

 著者は休日には東京の都心や隅田川の東側の地域を歩くことが多いという。冒頭に隅田川テラスから見た永代橋の写真が掲載されていたのに親近感を覚えて、本書を読むことにした。本書は「東京を通して浮かび上がってくる近現代の歴史」を七つのテーマに分けて論じている。七つのテーマは「破壊と復興(震災・空襲)」「帝都・首都圏」「民衆(スラム・貧困・労働環境)」「自治と政治」「工業化と脱工業化」「繁華街・娯楽・イベント」「高いところと低いところ」。東京は「権力」と「富」が集中する輝かしい巨大都市である一方、次々に問題が沸き起こり、責任ある人々は、対応に苦心してきた。そのダイナミックな展開こそが東京150年の歴史の魅力だと思うが、以下では、私が気になったトリビア的な記述を書き留めておく。

 ひとつは、破壊と復興を繰り返してきた歴史の記憶が、現在の街並みにも残っているという指摘。1945年の敗戦直後に占領軍が撮影した写真には、都心の多くの家屋が焼夷弾で焼き払われたにもかかわらず、奇跡的に焼け残った建物の姿が収められている。そうした建物(鉄筋コンクリート製)には今日まで使用されているものもあるという。馬喰横山駅を出たところにあるビルはその1例。今度見に行こう。それから「復興」とは少し違うが、湾岸地域には埋立てによって生まれた広大な土地がある。私の住む江東区の古石場、枝川、豊洲の一部などは東京市が作った。戦前、南砂町付近には海水浴場があったという記述にはびっくり。

 都市化が進んだ大正・昭和初期、路面電車がしばしば焼き打ちに遭ったというのも興味深かった。電車は人々の生活を合理化する一方、交通事故やストレス、車夫などの失業問題を引き起してもいたのだ。

 大正中期、都市下層民の居住場所は深川、本所、浅草区に多く、関東大震災以降は、さらに外側の郡部、のちの荒川、向島、城東区域などに拡散した。この時期(20世紀のはじめ~大戦前夜)世界の大都市では、さまざまな社会都市政策が試みられた。東京市も1919年末に社会局を設置して、公設市場、公営住宅、簡易食堂、児童託児所、公衆浴場、職業紹介所などを整備していく。こういうの、一国史だけ見ていると日本すごいとかナチスすごいになりがちだけど、国際的な趨勢だったんだよな。そして、いまの日本の大都市が、こういう社会政策を切り捨てる方向(民営化・収益化)に向かっているのが悲しい。東京市営の簡易食堂・深川食堂は、現在、深川モダン館として保存されている(我が家の近所)。

 制度史的には「東京都」の誕生が1943年7月、すでにガダルカナルから日本軍が撤退し、戦局が不利になっている状況下だったというのも、あらためて驚きだった。そして、このとき「東京府知事」という役職がなくなり「東京都長官」(国の官吏)が置かれたということにも。東京市は、国(内務省)に自治権を取り上げられたのである。この前段には、東京市議会が汚職の温床になっていた状況がある。そのため、市民の側も、優良候補を選出するなど、さまざまな啓発活動をおこなった。しかしこうした運動は「方向性がずれると、議会制それ自体を掘り崩しかねない」と著者は指摘する。これは、近年の選挙を見ていても思い当たるフシがある。

 工業化と脱工業化の章は、私の子ども時代(1960年代)の風景を思い出してなつかしかった。そうそう、ちょっと都心を外れれば、東京には大小さまざまな工場があった。総武線の沿線には、煙を吐き出す高い煙突や大きなガスタンクがあった。工場の地方移転が進むのは1980年代以降の話である。

 1980年代、中曽根政権は「都市再開発」を有効な政策と位置づけた。その象徴的な事業が、赤坂・六本木地区で行われた森ビルによる市街地再開発だという。そうなのか。今でこそ周辺の美術館によく行くけれど、同時代的には、全くその意義を理解していなかった。しかしバブル崩壊、構造改革を経て、都市再開発(都市計画行政)における経済対策の比重が増していく。「社会都市の行き詰まりにより、企業都市へに移行」というのが著者のまとめだが、喫緊の神宮外苑再開発問題も、この路線の上にあるものだと感じた。

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余呉町国安の十一面観音とギャラリートーク(東京長浜観音堂)

2023-08-20 23:10:00 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京長浜観音堂 『十一面観音菩薩立像(余呉町国安・国安自治会蔵)』(2023年8月1日~8月31日)

 お盆休みに観音さまに会いに出かけた。令和5年度第2回の展示は余呉町国安の十一面観音だという。私は余呉町(琵琶湖の北側)へは行ったことがないので、見たことがないかもしれないと思いながら見に行った。ちょっと下ぶくれのお顔だが、鼻筋が通って端正な観音さまだった。左手に錫杖をお持ちになっていた。室町時代の作と推定されている。

 8月19日(土)14:00から、高月観音の里歴史民俗資料館学芸員の佐々木悦也さんによるギャラリートークがあると知ったので、今週も出かけた。「先着20名様はご着席いただけます」というご案内だったので、30分前には着くように行ったが、すでに展示室内に何人かのお客さんが待っていた。会場は別室で、少し椅子を増やしていただいたので、なんとか全員座ることができたようだった。

 佐々木さんのお話は長浜の観音文化の概要から始まり、長浜の指定文化財は平成の大合併で倍に増えたこと、観音像がたいへん多いが、北部(旧・伊香郡)は十一面観音が多く、南部は聖観音が多いこと、伊香郡の観音文化の中心は己高山(こだかみやま)で、行基が中央文化を持ち込み、泰澄が白山信仰(≒十一面観音信仰)を伝え、最澄が天台宗の影響をもたらしたことなどに及んだ。

 この観音さまは、もとは草岡神社の神宮寺・安養寺に伝えられていたが、明治の神仏分離で集落内の円通寺に移され、同寺が廃寺になったため、光勝庵(曹洞宗)に移され、六斎と呼ばれる6人の世話方に護持されているという。

 これまで、2016年の芸大『観音の里の祈りとくらし展II』と2020年1~2月の「びわ湖長浜KANNON HOUSE」に出陳されたことがあるという。私は前者は見ているが、後者は見逃してしまった。ギャラリートークでは、この「KANNON HOUSE」への出陳のため、深く積もった雪の中、観音さまを運び出した様子が写真で紹介された。日本有数の豪雪地帯から1月に借用しようという計画が間違いだった、という述懐に笑ってしまった。なお、ふだんは立派な台座に載っていらっしゃるのだが、「KANNON HOUSE」および東京長浜観音堂の展示ケースには収まらないため、わざわざこのための台座を制作したそうだ。東京での出開帳を、地元の皆さんはとても喜んでくださったと聞くと、こちらも嬉しくなる。

 この観音さまは左手に錫杖を持っているが、本来は水瓶をお持ちだったのではないか、とのこと。長谷寺の十一面観音は左手に水瓶、右手に錫杖を持つ。この形式は伊香郡にもいくつか例があり、真言宗豊山派の影響が強かったようだ。渡岸寺の十一面観音も、かつて右手に錫杖を持たされていた(持てないので、手に括りつけられていた)そうで、貴重な古写真を見せてもらった。

 少し湖北らしからぬ造型で、これだけの技量を持った仏師なら、ほかにも作品を残していてよさそうだが見つからないそうだ。昨秋ここで展示された洞戸の地蔵菩薩立像(鞘仏)が似ているのではないか、という解説には、思い出して、たしかに!と膝を打った。

 この地域の人口動態の話で、昭和39年(1964)に円空仏とともに集団移住した太平寺村の話も興味深かった。日本国内でも、私の知らないことは多いなあ。

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歴史の学び方/検証ナチスは「良いこと」もしたのか?(小野寺拓也、田野大輔)

2023-08-19 23:57:46 | 読んだもの(書籍)

〇小野寺拓也、田野大輔『検証ナチスは「良いこと」もしたのか?』(岩波ブックレット No. 1080) 岩波書店 2023.7

 話題の1冊をようやく入手して読んでみた。なぜ人々は「ナチスは良いこともした」と語りたくなるのか。1つには「物事にはつねに良い面と悪い面があるのだから、探せばよい面もあったのではないか」という、比較的真っ当な疑問がある。もう1つ、実は少なくない人々が「ナチスは良いこともした」と主張することによって、現代社会における「政治的正しさ(ポリコレ)」をひっくり返したいという欲望に突き動かされているという。

 これは分かる。実は私も高校生の頃、「ナチスは良いこともした」に近いことを主張してみたくて、『第三帝国の興亡』全5巻にチャレンジしたのだが、ぜんぜん歯が立たなくて、第1巻も読み終えられずに挫折したことがある。以後、よく知らないことには、みだりに口を挟まないようにしようと判断できたのは幸いだった。

 本書は「ナチスは良いこともした」の根拠となる典型的な論点を、ひとつずつ検証していく。たとえば「ヒトラーは民主的に選ばれた(から正統な権力である)」という主張。確かに当時のドイツの人々は議会政治に幻滅を感じており、反体制的なナチ党を第一党に躍進させた。しかし過半の有権者が望んでいなかったナチ党一党独裁を達成したのは、暴力や謀略によって政敵や制度を弱体化させた結果である。「ドイツ人がナチ体制を支持した」のは、その体制に「乗っかる」ことで「政治目標とは縁遠い個人的な利益が得られたという面が大きい」という。これは、いまの日本の政治状況にも、同じ光景が浮かび上がるのではないか。

 「経済回復はナチスのおかげ」とか「アウトバーン建設による雇用創出」神話については、数字に基づく反証が示されている。アウトバーン建設が生み出した雇用は下請け産業を含めても50万人程度で、当時の失業者600万人に比べれば、効果は限定的だった。景気回復をもたらした決定的要因は、むしろ軍需経済(再軍備)だったと考えられている。しかし急速な軍備拡張は、国家の財政支出の爆発的な増大を生み、根本的な解決には、戦争による資源獲得・負債の帳消ししかなくなっていく。同時に、占領地からの収奪・ユダヤ人からの収奪・外国人労働者の強制労働も行われた。これを、それでも「ドイツ国民」にとっては「良いこと」だったと考えるのは、現代人の立場からは、ほとんど無意味な主張だと思う。

 同様に「手厚い家族支援」「労働者保護」も、その第一の目的は戦争を戦い抜くための兵士や労働力を確保することであり、ナチスが想定する「国民」から外れる人々、政治的敵対者やユダヤ人、障害者などは、これらの恩恵を受けなかった。ナチスが労働者に与えた消費社会の夢はほとんど果たされずに終わったし、「もっと子どもを産もう」というインセンティブは、カップルにはほとんど働かなかった。この現実は、きちんと認識しておくべきだろう。

 そのほか「先進的な環境保護政策」「健康政策」についても然りで、本書を読むと、ナチスのやったことは失敗ばかりで、評価できる点など一つもない。著者がナチ体制を「ならず者国家」と呼ぶことも納得できた。けれども、そんな「ならず者国家」を呼び込んでしまうのが民主主義の怖さであり、巧妙なプロパガンダ戦略(感情のジェンダー化)なのだろう。

 いま高等学校では「歴史総合」というカリキュラムが始まり、歴史事象について自分の「意見」を持つよう求められているという。しかし本来「意見」を言うには、「事実」「解釈」「意見」という三層構造を意識すること、歴史の「全体像」や文脈を見ること、過去の研究の積み重ねから謙虚に学んでそれを乗り越えていくことが必要である、という著者の苦言は、歴史を学ぶ若者、若者に教える立場の人々に届いてほしいと思った。

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独断専行の理想と現実/関東軍(及川琢英)

2023-08-17 23:24:45 | 読んだもの(書籍)

〇及川琢英『関東軍:満州支配への独走と崩壊』(中公新書) 中央公論新社 2023.5

 関東軍は日本陸軍の出先機関の一つで、関東州と満鉄を保護するための兵力であったが、多くの謀略に関与した。「まえがき」の「自分たちだけで勝手に判断して行動するような組織や人物を批判する際、よく関東軍に譬えられ、独走は関東軍の代名詞にもなっている」という説明に笑ってしまった。私はさすがにこの比喩を使ったことはないが、古いドラマや小説のセリフでは聞いたことがある。本書は時代順に、関東軍誕生から崩壊までの軌跡をたどる。

 まず前史として、「関東」とは山海関以東の地、すなわち満州を意味すること、日本は日露戦争によって満蒙権益を得たことが語られる。この権益を管理・保護するためにどのような組織を置くか、組織の長は武官か文官か、さまざまな争いがあった。

 1919年、民政を担当する関東庁と兵権を有する関東軍が設置された。そしてこの、文官の総督と軍司令官の並立という制度は、朝鮮、台湾にも導入される。「文官が直接、出先軍を統制する道が開かれることはなかった」ことは留意しておきたい。また陸軍には、独断専行を奨励する気風があった。「陣中要務令」(教科書)には「自ら其目的を達し得べき最良の方法を選び、独断専行以て機会に投ぜざるべからず」という語句があるらしい。いや、趣旨は正しいと思うが、教条と現実の違いは難しいものだ。加えて、出先軍の長官は、陸軍三長官(陸相、参謀総長、教育総監)と「同格」と定められていたので、関東軍は、陸軍中央の指示を無視しても、天皇の意図を忖度し、独断専行を貫くことになる。

 1928年、張作霖爆破事件が起き、1931年9月には柳条湖事件が起きる。関東軍は、奉天、長春、営口、吉林などを占領、陸軍中央が撤兵を指示しても、うやむやのまま引き延ばした。国内主要紙は謀略を疑うことなく、軍に好意的な報道を繰り返し、関東軍は世論を味方につけていた。ここ重要。若槻内閣と陸軍中央の穏健派は強く撤退を求めたが、関東軍もあきらめず、犬養毅内閣・荒木陸相の下、独立国家樹立へと加速する。そして1932年3月1日、満州国建国が宣言された。

 関東軍は、さらに熱河省を占領し、1933年5月に中華民国と塘沽停戦協定を締結する。以後、関東軍は、旧唐北軍や民間自衛集団、中国共産党指導下のパルチザン部隊など、さまざまな反満抗日軍の封じ込めに注力する(映画『崖上のスパイ』の時代だな、と思い出すなど)。

 満州国の政治経済体制も徐々に整えられたが、関東軍が満州国の統制権を完全に手放すことはなかった。石原莞爾が主導する関東軍は、対ソ戦準備のため、華北・内モンゴルへの進出を続けたが、中国との軋轢が徐々に深まる。1937年7月7日、盧溝橋事件を発端として、日中両国は全面戦争に突入する。1939年5月に始まるノモンハン事件で、日本・満州国軍はソ連・モンゴル軍に敗れ、敗北の責任をとって関東軍首脳の更迭が行われた。それでも関東軍は、対ソ攻勢作戦の機会を窺っていたが、ソ連の侵攻を受け、居留民の保護も果たせず、崩壊してしまった。

 通読して、あらためて、むちゃくちゃな話だなあと思った。近代と言っても、まだまだこんな野蛮がまかり通っていたのかと呆れた。一方で、私が時々思い出していたのは『孫子』の「君命に受けざるところあり」という言葉で、『孫子』には、君主は軍事に関して将に全権を委任すべきとか、国政と軍政は原則が異なるという主張が書かれていたと記憶する。そうであれば「独断専行」は軍事のあるべき姿かもしれない。しかし、やっぱり教条の理想には、現実の混乱を収拾する力がないと思う。

 ちょっと興味深く思ったのは、満州国軍の評価の高さである。現地人部隊が抗日勢力に流れることを防止するという打算的な一面もありつつ、石原莞爾は、日中親善のために満州国の協和的な発展を理想とし、満州国軍の整備に注力した。しかし石原の理想のようにはならず、満系やモンゴル系軍官は不満を強め、その経験や知識とともに、日本の支配を脱した東アジア各地の軍に移行していったという。ここにも、理想を裏切った現実があるように思った。

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姿を伝える/科博の標本・資料でたどる日本の哺乳類学の軌跡(科博)

2023-08-15 23:17:17 | 行ったもの(美術館・見仏)

国立科学博物館 企画展『科博の標本・資料でたどる日本の哺乳類学の軌跡』(2023年4月25日~8月16日)

 2023年が、日本で初めて哺乳類を研究する学術団体(日本哺乳動物学会→日本哺乳類学会)ができて100周年の年であり、日本の哺乳類が世界に紹介されるきっかけとなったシーボルト来日の200周年の年であることを記念して、国立科学博物館の哺乳類標本と関連する資料を用いて、我が国の哺乳類研究の歩みを紹介する。4月から始まっていた展覧会だが、お盆休みにようやく見てきた。分かりやすくておもしろかった。

 キーパーソンは似顔絵パネルで登場。日本の哺乳類をヨーロッパに紹介したシーボルト、Mammaliaを哺乳類と訳した宇田川榕庵に続いては、やっぱりこの人、田中芳男。

 動物学者の高島春雄は「世界三大珍獣」の提唱者。ジャイアントパンダ、オカピ、コビトカバをいう。オカピ(キリン科)の剥製は、見上げるくらいデカい。

 蜂須賀正氏(まさうじ)は、探検家、狩猟家? 鳥類学者には入るのかな。クセの強い人物で、久しぶりにWikiの記述をじっくり読んでしまった。

 剥製師の本田晋さん。こういう技術者の存在を知ることができたのも大変よかった。

 哺乳類は形状がさまざまなので、標本の蒐集・保存が重要である。完全な剥製を制作するコストをかけらないときは、骨格と畳んだ毛皮を別々に保存するとか、縫い合わせた毛皮に損充材(綿や板)を詰めた仮剥製をつくるとか、いくつかの選択肢があるそうだ。

 最後に本展の監修者である川田伸一郎さん。背後の衣装ケースは、ばらばらの状態で保管されている骨格標本で、キリン1個体だと、衣装ケース4~5箱に収納するという。

 こちらは、アマミノクロウサギなど小型哺乳類の仮剥製。襟巻みたいで、モフりたくなる。

 久しぶりに常設展示の標本も見ていきたかったのだが、親子連れで大混雑だったのであきらめた。また空いている時期をねらって来ることにしょう。

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