見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

いつも新しい風景/昭和の東京(路上観察学会)

2009-02-28 12:11:57 | 読んだもの(書籍)
○路上観察学会『昭和の東京:路上観察者の記録』 ビジネス社 2009.2

 赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊、林丈二、松田哲夫の「路上観察学会五人衆」が、1986年3月~87年3月、東京二十三区で行った六次の調査で発見された物件を収録している。確かに、ちょうど昭和末年に当たる。

 「あとがき」に赤瀬川さんが書いているとおり、当時はデジカメなんて影も形もなく、ピントを手で合わせるカメラが主流だった。オートフォーカス機能が普及して「みんなの写真は格段によくなった」という。なるほど、ときどき、いかにも素人が家庭用カメラで撮影と分かる、のっぺりした写真が混じり、昭和の風情を感じさせる。

 けれども被写体に関していえば、私の知っている「昭和」(1960~70年代)の記憶を呼び覚ますものはそれほど多くない。アール・デコやロマネスクふうの洋館、しっくいや銅板の装飾などは、もっと遠い過去につながっているし、こんな風景が日本にあったのか?!と驚くような珍物件もあるし、植物ワイパーや雨樋のくねりかたに美を見出す感覚は現代美術的だし…。要するに「どこでもない、いつでもない」楽しい風景が、本書には集められている。

 それでも著者たちによれば、こうした風景の多くはバブルを境に東京から消えてしまったそうだから、「昭和の東京」というタイトルも、あながち嘘ではないのかもしれない。「取り壊された」「廃業した」「今はもうない」と説明されているのはさびしく、たまに「今でも人が住んでいる」などとあると嬉しい。「江戸東京たてもの園に移築された」は微妙。むしろニワトリ小屋になったテレビや、植木鉢となった用水桶みたいな「余生の送り方」が好ましいように思う。
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此れ丈夫の業/読書の学(吉川幸次郎)

2009-02-26 22:38:32 | 読んだもの(書籍)
○吉川幸次郎『読書の学』(ちくま学芸文庫) 筑摩書房 2007.4

 記憶によればこうだ。高一の教科書に、中島敦の『山月記』が載っていた。面白かったので、新潮文庫の『李陵・山月記』を読んだ。その中に、孔子一門を描いた「弟子」という短編があって面白かった。それで、たまたま目についた文庫本の『論語』(朝日古典選)を読み始めた。これが、吉川幸次郎の校註だったのである。

 それは、本当に、人生に一度しかないくらい衝撃的な読書だった。古典の校註というものが、こんなに面白いとは思わなかった。同氏の著作にのめり込んだ末に、理系に進学するはずだった私は、とうとう文学部に志望を変更してしまう。だから、私は吉川幸次郎の本に人生を変えられたとも言える。そのことを、私はひそかな誇りとともに記憶に留めている。

 本書は、晩年の著者が、学問の方法について語った雑誌連載エッセイ。現代の学問は事実の究明を目的とし、言語は事実を獲得するための手段に過ぎないと思われている。著者は今世紀の学問の主流に敬意を表しつつも、言語を閑却して「それで、よろしいか」と問いかける。事実を伝達する言語は、またひとつの人間の事実である。そこに表れた「著者の態度」を、過去の日本と中国の学問は注視してきた。言語とは、すなわち音声の様相である。

 中国文学を専門家とする著者は、驚くべきか、在原業平の名歌「月やあらぬ春や昔の春ならぬ 我が身ひとつはもとの身にして」を例として、上記の学問を実践してみせる。六シラブルの初句の異常な姿、とりわけ「やあら(ya-a-ra)」という「階段を上がっていく足どりのようなa音の連続」が、不安と焦燥感を増幅し、「もとの(mo-to-no)」「身にし(mi-ni-shi)」と反復される末句の連続音、「逆にとぼとぼと下ってゆくごとき音声の姿は、人間にも自然にも裏切られた孤独な男の悲哀」を強調するというのだ。「事実」の学に慣れた現代人なら、馬鹿馬鹿しいとお思いだろうか。私は、これこそが「読書の学」の真髄であると、腑に落ちる思いだった。

 続いて著者は、『論語』の「逝く者は斯くの如きか。昼夜を舎かず」を取り上げる。何と、契沖の『万葉代匠記』を紹介するかたちで。契沖は、人麻呂の「もののふの八十氏河の網代木に いさよふ波の行く方知らずも」の解説に、類似する感情の例として『論語』当該条を引く。この条は、孔子の詠嘆を「悲観」と見るか、「楽観」と見るかで議論が分かれる。契沖の当時、日本でも中国でも主流だった朱子の説は、これを「楽観」と考えた。けれども、契沖は「逝者如斯夫 shi zhe ru si fu」という五字のリズムを根拠に、「この章は、弱気な詠嘆の言葉でなければならない」と洞察する。「卓見である」(著者)。

 このあと、契沖は六朝の詩賦によって自説を補強しており、さらに著者は漢代に遡って考察をめぐらせる。その博引傍証ぶりも興味深いが、やはり驚異的なのは契沖の、「言語はリズムによってこそ把握されることを、身をもって示す」態度である。この17世紀の万葉学者の態度に、20世紀の中国文学の泰斗は、ほとんど感動させられており、そのことに私はまた、深い感動を覚える。書物の言語は、音声そのものに比べれば不完全ではあるけれど、こうして時空を超えた知己に共感を届けることもあるのだ。

 最後に、著者が後輩に与えた五言詩の一部を引こう。何謂善読書(何をか善く書を読むと謂う)/当察其微冥(当に其の微冥を察すべし)/努与作者意(努めて作者の意と)/相将如形影(相いとものうこと形と影の如くなれ)//此乃丈夫業(此れは乃ち丈夫の業)/奚其為為政(奚んぞ其れ政を為すを為さんや)。いいなあ~。拳拳服膺すべし。
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伝道と翻訳/横浜開港と宣教師(横浜開港資料館)

2009-02-25 17:37:17 | 行ったもの(美術館・見仏)
○横浜開港資料館 企画展示・開港150周年記念『横浜開港と宣教師-翻訳聖書の誕生-』(2009年1月28日~4月19日)

http://www.kaikou.city.yokohama.jp/

 横浜開港資料館の展示は、いつも期待以上に収穫が大きい。一見地味な資料の価値(面白さ)を、よく心得た人たちが作っているんだなあ、と感じる。今回の展示は、幕末以来、横浜に来日した宣教師たちの軌跡を、聖書の翻訳と出版事業を中心にたどったもの。加えて、東洋における伝道と聖書翻訳の歴史を、少し間口を広げて追いかけてもいる。

 世界最初の日本語訳聖書は、天保8年(1837)プロシア生まれのカール・ギュツラフが、日本人漂流民の助けを借り、マカオで翻訳し、シンガポールで刊行したものだ。意外と遅い登場だという感じがする。徳川幕府の禁教以前にはなかったのだろうか?と思って、Wikipediaを見たら、16~17世紀、イエズス会士による日本語訳が存在したらしい。しかし、これらは現存していない。したがって、会場で見ることができるのは「現存する」世界最初の日本語訳聖書である(東京神学大学蔵)。康煕綴じの線装本(和本)で、無罫の枠内に、広く行間をあけた細字のカタカナが並ぶ。展示はヘボンの旧蔵本で、表紙に自筆のメモが貼りつけてある。

 のち、ヘボンは宣教師仲間に呼びかけて聖書翻訳を開始し、明治5年(1872)その一部が刊行された。この事業は、各派の宣教師による共同翻訳に発展し、「明治元訳」と呼ばれる新約聖書が完成した(1874~80年刊)。「翻訳委員社中」の人々の顔写真を並べたポスター(展示品は複製)には、フルベッキの顔も見える。日本バプテスト横浜教会の初代牧師ネイサン・ブラウンもそのひとり。

 彼らが横浜に建立した教会や天主堂は、古写真にしか姿を留めないと思っていたが、当時の雑誌『ル・モンド・イリュストレ=Le Monde Illustre』や図書『カトリック宣教アルバム・東アジア編=Album des missions Catholiques. Asie orientale か?』(パリ、1888年)、あるいはイギリス国立公文書館のマイクロフィルムなどを丹念に探っていくと、いろいろな記録が見つかるようだ。ヘボンが宿舎とした成仏寺、アメリカ領事館だった本覚寺などの古写真も興味深い。今度、往時をしのんで神奈川宿周辺を歩いてみたい。西洋人の少年少女が連れ添った、聖書販売用リヤカーの写真も珍しかった。

 隣接する横浜海岸教会(今回の展示にも登場する宣教師、S. R. ブラウンが創建)の桜が咲く頃の風景も好きだ。あと1か月くらい先かな。

■館報「開港のひろば」:企画展について詳しい
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/index.html

■画像で見る聖書の歴史:日本語訳5点掲載
http://taijiro.tama.net/Kuni2Sato/gazou/gazou.cgi?page=15

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そして近代へ/アジアとヨーロッパの肖像(神奈川県立近代美術館)

2009-02-24 19:56:25 | 行ったもの(美術館・見仏)
○神奈川県立近代美術館・葉山館 『アジアとヨーロッパの肖像/SELF and OTHER: Portraits from Asia and Europe』(2009年2月7日~3月29日)

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/

 同じ展覧会を開催中の県立歴史博物館から、地下鉄→横浜→JR→逗子駅からバスを乗り継ぎ、葉山の近代美術館まで(運がよければ)1時間ちょっと。かつて逗子に住んでいた私には、通い慣れたコースである。

 面白いのは、両会場の構成が全く同一であること。「第1章:それぞれの肖像」→「第2章:接触以前-想像された他者」→「第3章:接触以後-自己の手法で描く」→「第4章:近代の眼-他者の手法を取り入れる」と進んでいく。展示作品は同じものというわけにいかないので、ヨーロッパ王侯貴族の肖像画の典型例として、県立歴史博物館には『ウィリアム3世像』があったが、こちらは『ジェームズ2世像』。対比的に並べられた日本の肖像画は、どちらも徳川家康像(東照宮御影)という具合。朝鮮の肖像画を加え、インドの細密画を数点、イギリスの政治家の胸像を1点ずつなど、両会場のシンメトリーが配慮されている。さらに、摺りもの『万国人物之図』などは、全く(?)同一作品を両会場で見ることができ、展示説明も使いまわされているので、デ・ジャブ感覚で頭が混乱してくる。

 ただし、県立近代美術館(葉山)のほうが出品点数は多い。こちらの会場の特徴は、まず、工芸品が多いこと。金蒔絵によるジョン・ロックの肖像(英国蔵)、南蛮人やオランダ人姿の根付、数々の磁器人形など。それから、遣欧使節の写真、海を渡った軽業芸人のポスター(山本小芳一座)、オペラ「ミカド」のプログラムなど、近代初期の異文化交流の資料も豊富。ジャワの影絵に植民地高官の姿が紛れ込んでいたり、ベトナムの年画にフランス人の習俗が描かれているのも面白い。

 日本人による初期洋画も充実している。高橋由一の『花魁』は、気持ち悪い絵だと思っていたけれど、徹底して人工的な外観(髪型・衣装)と、こぼれおちるような生身の肉体(鋭い目をしている)の不整合さに不思議な魅力があって、じわじわとハマる。興味深かったのは、蘭領東インドと呼ばれたインドネシアの初期洋画(肖像画)で、オランダ絵画の沈鬱で内省的な特質が色濃く受け継がれているように思った。

 県立歴史博物館で発見したヘレン・ハイドの可憐な木版画はこちらの会場にもあり。『かたこと』だったかしら。着物姿の若いお母さんが赤ちゃんに語りかける姿。かわいいなあ~。商業美術については、展示説明に取り上げられている『朝のクラブ歯磨』(美人ポスターの優品)と『ローラースケートをする二人の女性』(中華民国時代のモダンガールを描いた珍品)が、どちらも県立歴史博物館にしかないのが、ちょっと不親切。

 また、こちらの会場のみ「第5章:現代における自己と他者」を設け、現代のアジア・ヨーロッパ美術における自己と他者を取り上げる。大衆(商業)アートと純粋(非商業)アート?の区分が溶解していて、理解に戸惑うところもある。たとえば『おめかし』(李慕白・1956年)は、若い女性が百貨店で嬉しそうに試着している図で、欄外の文字は「打扮起来(おめかししましょう)」と呼びかける。これは、共産党政権下で実現した豊かな生活の享受を呼びかけるポスターと、素直に解釈していいんだろうか。その一方、毛沢東ら共産党首脳の周囲に、さまざまな民族衣装の男女が群れ集う『幸福な時代』(成砺志・1992年)は、裏メッセージが感じられてならない。毛沢東に手渡される白い布は、自死を迫っているのかなあ、なんて思うのだが…。図録を買わなかったので、以上、全くの私見。イギリスの現代作家ジュリアン・オピーもちょっと好き。公式サイトでいろいろ作品が見られる。

 なお、本展はASEMUS(アジア・ヨーロッパ・ミュージアム・ネットワーク)の第1回国際巡回展である由。アジアとヨーロッパ18ヶ国の博物館、美術館が作り上げた共同企画で、このあと、さらに5カ国を巡回するそうだ。各国の反応を持ち寄って比較すると面白いだろうな。

■ASEMUS(Asia-Europe Museum Network)(英文)
http://www.asemus.museum/
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交錯するまなざし/アジアとヨーロッパの肖像(神奈川県立歴史博物館)

2009-02-23 23:08:29 | 行ったもの(美術館・見仏)
○神奈川県立歴史博物館 特別展『アジアとヨーロッパの肖像』(2009年2月7日~3月29日)

http://ch.kanagawa-museum.jp/

 昨年秋、大阪のみんぱくで開かれていて、気になっていた展覧会が巡回してきた。関東では、神奈川県立歴史博物館と同県立近代美術館(葉山館)が展示を分け合うという、ちょっと変わった開催形態を取る。

 まずは、横浜の神奈川県立歴史博物館から。「第1章:それぞれの肖像」では、アジア・ヨーロッパそれぞれの伝統に基づいて描かれた肖像を紹介する。中国清代の祖先像「五品文官」が正面性を強く意識する(日本、朝鮮の公的な肖像も同じ)のに対して、ヨーロッパの王侯貴族像は、やや斜に構えて、人体の美しさを強調する。あと、光の処理だなあ、違いは。

 「第2章:接触以前-想像された他者」は、アジアとヨーロッパが本格的に接触する前の他者の姿を示し、「第3章:接触以後-自己の手法で描く」は、16世紀以降、本格的な接触と他者理解の始まりを示す。ただ、この差はわずかなものに過ぎない。第2章に掲げられた正保2年(1645)長崎津開板の摺りもの『万物人物之図』には日本を含め、5×8=40地域の男女の姿が描かれているが、「たかさご」「しゃむ」「かぼじや」「とんきん・河内(ハノイ)」「らう(ラオス?)」など東南アジアの詳しさにびっくりした。さすが長崎。

 第3章の『訂正四十二国人物図説』は、享和元年(1801)大槻玄沢の指導のもと、山村昌永が西洋諸国の解説を書いた。ゲルマニア(ドイツ)は「ヨク格物致知医学諸技ニ通ゼリ」とか、フランスは「能ク文学諸芸ヲ努メ」「其王都ヲ把理斯(パリス)ト云フ、美麗繁華ノ地ナリ」とか、的確である。

 この展覧会は、アジアとヨーロッパの「まなざしの交錯」をメインテーマとしている。それはいいのだが、結果として、アジア内部の「まなざしの交錯」が見えにくくなってしまったように思う。第3章には、アイヌの族長たちを描いた『夷酋列像図』(蠣崎波響本の模写)や『琉球使節絵巻』や『朝鮮通信使江戸市中行列図』など、興味深い資料が展示されているのに、残念なことに、ほとんど解説が付いていない。メインテーマにとらわれて、もてあましてしまったのではないか、と想像する。ロナルド・トビさんの『「鎖国」という外交』によれば、朝鮮通信使の図像には、日本人の仮装行列と思われるものもあるそうだが、これはホンモノっぽかった。ヒゲ面だし、フリルも着ていないし。でも高官の輿のすぐ後に、どう見ても女性4人が馬に乗って従っていたのが不思議だった。

 「第4章:近代の眼-他者の手法を取り入れる」では、日本のほか、中国・インド・ミャンマーなどの初期洋画、商業美術を紹介。高橋由一の油彩『司馬江漢像』は印象的だった。意志の強そうな横顔である。後期には、原田直次郎の『高橋由一像』が出る。また、ヘレン・ハイド(Helen Hyde)というアメリカ人女性の木版画を初めて知って、あまりの愛らしさにベタ惚れしてしまった。

 県立近代美術館(葉山館)につづく。
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格差社会の克服/貧困連鎖(橋本健二)

2009-02-22 23:42:48 | 読んだもの(書籍)
○橋本健二『貧困連鎖:拡大する格差とアンダークラスの出現』 大和書房 2009.2

 「格差社会」の論じ手はたくさんいるが、私が信用を置いているのは、橘木俊詔と橋本健二のふたりである。山田昌弘はやや疑わしく、三浦展は全くダメ。私は、新奇なネーミングとコンセプトで人目を驚かすタイプより、データでガンガン押していき、堅い政策提言に結びつけるような、旧式の学者のほうが好きなのである。

 本書は、まず、これまでの「日本は格差の小さい国」という常識も、90年代以降の「格差は拡大していない」というキャンペーンも見せかけであったことを、データによって論証する。そして、21世紀の日本の階級構造が、(1)資本家階級、(2)新中間階級(企業の管理職・専門職・男性事務職)、(3)旧中間階級(自営業者)、(4)正規雇用の労働者階級、(5)アンダークラス(派遣・請負・フリーター)の5つのグループに再編されていることを示す。アンダークラスとは、伝統的な労働者階級「以下」に位置する階級の意味である。ここには当然(1)→(2)→(4)→(5)という重層化した「搾取」の関係が成り立ち、(5)には膨大な貧困層が生まれつつある。

 では、格差拡大はなぜ起こったか。「経済のグローバリゼーションと技術革新」という答えは、正しいようで正しくない。グローバリゼーションと技術革新の結果、格差が実際に拡大するかどうかは、その国の政府の政策如何による。だからこそ、私たちは、小渕総理の諮問機関だった経済戦略会議や、小泉政権下の総合規制改革会議にかかわった人々の顔ぶれを忘れてはならないのだ。でも、やっぱり最も大きい要因は、アメリカの圧力なのだろうか。「年次改革要望書」なるものの存在を、私は知ったばかりなのだが。

 そして、格差拡大は何を招くか。財政破綻、年金危機ばかりではない。労働意欲の崩壊は、日本の労働者の平均的な技能水準を低下させる。失うもののない(少ない)貧困層の増加は犯罪を生みやすく、彼らより少しだけ安定した暮らしをしている「普通の人々」も敵意の標的となる。セーフティネットがなければ、新しいことにチャレンジする人も減ってしまう。だから、貧困と格差の克服は、「中流およびそれ以下の人々」全体の利益になるはずである。

 こんなに論旨明快で平易な本、めったにないと思う。高校生くらいから十分読める。ただ、本書の提言に従って、実際に「自己責任論」の呪縛から逃れるのは、本当のところ、しんどい。私の貧困、私の失敗の主要因は「社会の制度そのものにある」なんて、大きな声で言えば、無責任者として袋叩きに遭いそうな気がする。実際、ネット上ではこの種の「袋叩き」が行われているし。私たちは、「私の貧困の責任は私にはない」ということを、もっと堂々と明言する勇気を持たなければならない。そこに躊躇を感じるのは、実は旧社会の庶民さながら、社会(お上)=無謬論にとらわれているのだと思う。

■橋本健二のホームページ
酒とクラシック音楽を愛する橋本センセイ、ちょっとファンなのです。
http://www.asahi-net.or.jp/~FQ3K-HSMT/
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ボーダー都市の盛衰/「株式会社」長崎出島(赤瀬浩)

2009-02-21 23:39:11 | 読んだもの(書籍)
○赤瀬浩『「株式会社」長崎出島』(講談社選書メチエ) 講談社 2005.7

 先日の長崎旅行が印象深かったので読んでみたところ、思わぬ情報量に興奮。貿易都市「長崎」の誕生は、16世紀の戦国時代に遡る。平戸領主・松浦氏との関係が悪化したポルトガル人は、平戸に代わる寄港地を求め、横瀬浦→福田と移動し、長崎港を「発見」した。弱小領主・大村純忠は、周辺の勢力からこの町を守るため、長崎をイエズス会に寄進してしまう。そうそう、この話は、2004年に長崎の史跡めぐりをしたとき、同行の友人から聞いて、びっくりしたものだ。

 かくて長崎には、「かなり本格的な西洋風の教会が林立する」キリシタン都市が出現した。けれども、17世紀初め、秀吉~徳川幕府の徹底した禁教政策により、長崎の住民は総入れ替え(追放・処刑)となり、キリシタン時代の長崎の記憶は、地中深く埋もれてしまった。寛永期にはキリシタンの改宗事業が一段落し、日本各地(と高麗・中国)から集まった人々によって、新たな貿易都市・長崎が形成され始めたが、寛文3年(1663)の大火で初期長崎の市街は灰燼に帰してしまう。

 長崎奉行の島田久太郎は、この災害を好機ととらえ、区割りや道路幅を改め、町全体を機能的な貿易都市へと再編した。私たちになじみの近世都市・長崎は、ようやくここからスタートするわけだが、忘れられた前史は、小説顔負けのロマンに満ちている。

 その後についても、町人が創意工夫を発揮して蓄財に励んだのは初期だけのことで、次第に長崎の住民はシステムの一員となり、会社員化、あるいは公務員化(基本給としての箇所銀・竈銀制度)してしまったこと、「正徳新例」以降、貿易は先細りとなり、幕末はどん底状態だったこと、一般住民の「出島」への出入りは比較的自由だったこと、丸山の遊女たちとの交歓を求めて多数の唐人が来日したこと等々、初めて知ることが多くて、刺激的だった。またすぐ長崎に行きたくなってしまった…。

 私は「出島」というキーワードに惹かれて本書を読み始めたのだが、直接「出島」にかかわる記述は部分的で、むしろ「長崎」という都市の歴史を通観する体になっている。この点、ちょっと不可解だったが、終章に至って疑問が解けた。著者は、地方都市・長崎が再生する鍵は、長崎自体が「出島」になることだ、と説く。つまり、日本の中央ではなく東シナ海を志向し、日本と大陸のボーダーとなることで、香港やシンガポールのような、クロスカルチュラルなエネルギーを得ることができるのではないか。長崎に生まれ育った著者ならではの切実な願いだと思う。
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プラグマティズムの学風/幕末維新と佐賀藩(毛利敏彦)

2009-02-20 17:20:33 | 読んだもの(書籍)
○毛利敏彦『幕末維新と佐賀藩:日本西洋化の原点』(中公新書) 中央公論新社 2008.7

 佐賀・長崎旅行に行ってきたので、両県にかかわる本を1冊ずつ。まず佐賀から。本書カバーの折込みに「明治維新の原動力となった『薩長土肥』の雄藩だが、肥前=佐賀藩の影は薄い」とある。確かに、確かに。幕末維新の歴史を読んでいると、肥前=佐賀藩出身者は、いぶし銀のバイプレーヤーとして登場するが、いずれも最後まで主役の座にのぼることはできなかった。その、ちょっと損をしている感じが、私は嫌いではない。本書は、幕末の開明的藩主・鍋島閑叟(直正、1815-1871)と、初代司法卿・江藤新平(1834-1874)の両名に焦点をあて、幕末~明治初期の政治体制史の一面を描き出している。

 記述は、文化5年(1808)のフェートン号事件(イギリス軍艦が長崎港に侵入→オランダ人商館員を拉致連行)から始まる。長崎奉行の松平康英は責任をとって切腹自殺を遂げ、遺書には「長崎御番」佐賀藩への抗議を残した。お~このあたり、長崎歴史文化博物館の展示で、学習したばかりなので、よく分かる。その結果、佐賀藩主第9代・鍋島斉直は百日間の逼塞を命じられ、「佐賀藩の人士は、対外問題の厳しさ難しさを嫌というほど痛感」させられたという。直後の天保元年(1830)、藩主の座に就いた第10代鍋島直正(閑叟)は、前代・斉直の浪費三昧で傾いた藩の財政を立て直すため、大胆な藩政改革に取り組まなければならなかった。いつの時代でも、英明なリーダーは危機の中から現われてくる。

 それにしても、閑叟の特異な点は、西洋文明に対する「抵抗感の無さ」である。オランダ船に乗ってみるわ、息子や娘に種痘を施すわ、書物や思考だけでなく、身体感覚のレベルで西洋文明に適応しているところが面白い。閑叟の教育係だった古賀穀堂の影響なのだろうか。穀堂は儒学者でありながら、自然科学・政治・経済に関する蘭学の有用性を評価し「(肥前藩の経営について)蘭学の人なくて叶わぬことなり」と説いているそうだ。好きだなあ、この実用・実際主義。

 江藤新平の実際主義は、さらに徹底している。私は江藤といえば「司法卿」のイメージしかなかったので、文部省の初代責任者(文部大輔)だったことは、本書で初めて知った。明治初年、文教官庁と最高学府を兼ねて設けられた「大学校→大学」が、国学・漢学・洋学の派閥争いで機能不全に陥ったところを救ったのが江藤だという。江藤は行政官庁として「文部省」の新設を提言し、大学の教育内容を「道学」と「芸学」に分け、「芸学(諸科学)は西洋諸国にて開たり、因て西洋の丸写しにて施行すべきなり」と言い切ってしまう。「西洋の丸写し」って…唖然とするほど大胆だ。難解な漢語を嫌い、平易な文章・文字の使用を奨励した江藤ならではの表現だが、実態はそうであっても、面子だの伝統だのを気にしてしまうと、なかなか口にできない発言だと思う。まして最高責任者の立場で!

 ちなみに江藤の文部省在籍は17日間に過ぎず、その後は同郷の大木喬任が引き継いだ。日本の文部行政(特に高等教育)の基盤づくりに、佐賀人脈の果たした役割は大きいのだなあ。思えば、開成学校の教師→大学南校の教頭(どちらも東京大学の前身)として、多くの学生に慕われたフルベッキも、致遠館(佐賀藩が長崎に建てた英学塾)で教鞭を取った人物だし。

 江藤の失脚→佐賀の乱の引き金となった「明治六年政変」について、著者は一部通説と異なる見解を持っており、詳述されている。私は不勉強なので、その妥当性については判断できない。結論をきわめて単純化すると、大久保利通が「異常なまでに佐賀征伐にのめり込んでいた」理由は、「大久保が江藤に対する強烈な嫉妬心に囚われていたから」だということになる。本当かなあ、どうなんだろう。
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天台の秘仏開扉/国宝・三井寺展(サントリー美術館)

2009-02-17 00:02:14 | 行ったもの(美術館・見仏)
○サントリー美術館 特別展『国宝 三井寺展』(2009年2月7日~3月15日)

http://www.suntory.co.jp/sma/

 バレンタインデー直前の休日に、サントリー美術館のある東京ミッドタウンに行った。すると、吹き抜けのエスカレーターの上に黄不動尊(彫像)の巨大なバナーが吊るされ、オシャレなブランドショップと行き交う買い物客を見下ろしている。なかなか奇異な光景だった。

 本展は、滋賀の三井寺(みいでら)と中興の祖(あ、開祖ではないのか)智証大師円珍ゆかりの寺宝・名宝を紹介するもの。会場の冒頭では、そのバナーにもなっていた黄不動尊(彫像、平安時代)がお出迎え。ジャストサイズの展示ケースが窮屈そうだった。ぎりぎりまで肉迫できるのは、ありがたいけど畏れ多い感じもする。そのまわりを、特徴的なオニギリ頭の智証大師坐像(彫像、画像)が、三つ子か四つ子のように取り囲んだところは、失礼ながら微笑を誘われる。

 円珍さんは、仁寿3年(853)に入唐、天安2年(858)に帰国した(→年譜)。この入唐の足跡を示す文書が三井寺にきちんと保存されているのはすごい。地味な展示品だが、私はいちばん感激した。『越州都督府過所』は、越州(いまの紹興)の役人が円珍に発した「過所」(通行手形)。文書を発給した無名の地方官は、まさか自分の仕事が、千年を経て異国・日本に残るとは思わなかったろうなあ。「驢両頭」とあるのでロバ2頭を連れていたと分かり、「丁満年伍拾」というのは、調べてみたら、日本から同行した訳語(通訳)らしい。意外と高齢だな。「今欲略往両京五臺山寺」とあるので、山西省の五台山巡礼も志していたようだが、これは実現しなかった。また、円珍に『感夢記』という著作があることは初めて知った。在唐中、夢でいろいろな人物に会っている。面白いひとだ。

 仏画は名品揃い。嬉しい再会だったのは、和歌山・竜光院の『伝船中湧現観音像』。眉根を寄せた独特の表情、截金(きりがね)の美しさはまさに完璧。初見で最も印象的だったのは、個人的な好みで、室町時代の『鎮宅霊符神像』。長髪・道服(?)の小太りのおじさんが、オモチャのように小さな玄武(蛇の巻きついた亀)をじっと見つめている。なんなんだ、これは。

 仏像・神像はとにかく数が多い。狭い展示室に、なんだか観客の数より多いんじゃないかと思った。新羅明神坐像は、白塗りの面に赤い唇、垂れ目の金目が異形すぎて怖い。朝鮮の仮面ふうである。隅に置かれた奈良博のわんこ(獅子)、高麗時代の梵鐘(三井寺蔵、側面の天女の浮き彫りが美麗)もお見逃しなく。

 第二展示室でお目にかかれる如意輪観音菩薩坐像は、ロココの貴婦人のように、ゴージャスな宝冠を頭上に高々と戴く。西国三十三所14番札所・三井寺観音堂の秘仏ご本尊だそうだ。ええ~ここでご朱印をいただきたかったなあ。三井寺のホームページによれば、大きな宝冠は後世のもので「本像には荷が勝ちすぎるようにも思われます」と、困惑気味なのが微笑ましい。

 桃山時代の屏風、近世の浮世絵、フェノロサ関係資料などもあり。ただ、あらためて展示替リストを見なおすと「大阪・福岡会場のみ」となっているものが多くて、関東人としては、ちょっと悔しい。いや、かなり悔しい。

■三井寺(天台寺門宗総本山園城寺):公式サイト
http://www.shiga-miidera.or.jp/

■天台寺門宗:公式サイト
http://www.tendai-jimon.jp/
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辺境の公共圏/アジア海賊版文化(土佐昌樹)

2009-02-16 00:04:01 | 読んだもの(書籍)
○土佐昌樹『アジア海賊版文化:「辺境」から見るアメリカ化の現実』(光文社新書) 光文社 2008.12

 コカコーラ、マクドナルド、ハリウッド、マイクロソフトなどが代表するアメリカの文化的影響力はアジアの各地で見られる。今日、アメリカを軽視したあらゆるアジア論は単なる空論に過ぎない。辺境アジアにおけるアメリカ文化の浸透を支えているのは、実は海賊版文化である。その実態を、著者はミャンマーおよびミャンマーと国境を接する中国西南部のフィールドワークに基づいて紹介する。

 軍部の独裁政治が続くミャンマーでは、テレビ番組は全て検閲部の事前チェックを受け、不適切な箇所は容赦なくカットされる。けれども、衛星放送の受信と、海賊版のビデオやDVDは政府から黙認されており、ビデオショップは、一種の文化的サロンとして機能している。ハーバーマスのいう「公共圏」は、高い教養と内面的な自由を持つ市民によって作られるものだった。しかし、「ブルジョア的公共圏」から見て異質に見える光景でも、アジアにおいては(海賊版という、非合法な資源を用いることにより)一種の公共圏が成立しているのではないか、と著者は説く。

 以上の主旨にあまり異論はない。当たり前すぎて、つまらないくらい。貧しい国々で海賊版が果たす役割という点では、以前読んだ、遠藤誉『中国動漫新人類』のほうが納得できた。本書は、海賊版の諸相そのものを具体的に論じたものと思って読み始めたので、やや題名に騙された感じ。理念に走って、喰い足りない内容だった。
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