見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

ネット論壇の制圧/なぜ、習近平は激怒したのか(高口康太)

2015-09-29 00:33:45 | 読んだもの(書籍)
○高口康太『なぜ、習近平は激怒したのか-人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社新書) 祥伝社 2015.9

 諷刺漫画家の辣椒(ラージャオ)(本名:王立銘)は、1973年上海生まれ。2010年頃から中国のネット論壇で政府を批判する諷刺漫画を発表してきたが、次第に当局ににらまれるようになり、2014年夏以降、日本滞在を続けている。実質的な「亡命」である。本書は、辣椒へのインタビューと作品を手がかりに、習近平体制前後の中国の変化を読み解いていく。うすうす気づいてはいたけど、習近平って近年最悪の指導者だということが分かって、暗澹とした気持ちになる。

 習近平政権誕生(2013)の直前、すなわち胡錦濤政権(2003-2013)の末期、中国では政治改革が始まるのではないかという期待が高まっていた。その原動力となったのがネット論壇で、既成のメディアにない自由な意見が飛び交い、オピニオンリーダーが誕生し、現実社会に影響を与えるようになった。同時に、中国経済の成長にともない、都市中間層が誕生したことも重要である。彼らは財産権(不動産)をめぐって政府の土地収用と対立したり、環境問題デモが増加したり、現行体制の機能不全があらわになっていた。そのため、体制内でも政治改革を求める声が強まっていた。

 そこに習近平の登場である。人々の間には、習近平は、自由、平等、憲政、民主などをもたらしてくれる改革派の「名君」なのではないか、という根拠のない期待が高まっていた。辣椒はこういう中国人の「奴隷根性」を諷刺する漫画を描いているが、笑えないなあ。実は私も、習近平という政治家を全く知らない状態では、同様の期待を抱いていたのである。

 習近平は国家主席に就任後、党紀引き締めキャンペーンを展開し、反汚職運動に取り組む。特権官僚をやり込めることで一般大衆の支持を獲得する。本書の著者は「今でも庶民人気は高い」と分析している。なんとなく日本の小泉純一郎のやりかたを思い出す。

 また中国政府は、「サイバー万里の長城」によってインターネットから中国のネット民を引き離し、管理することに成功した(検閲回避のハードルが大幅に上がった)だけでなく、ネット論壇の手法を巧みに模倣することで、若者の心をつかんでしまった。顔文字やネットスラングによるカジュアルなコミュニケーション、萌えキャラ、アニメ(あの時、あのウサギ、あの出来事)、アイドル(五十六朵花)、ダンス(小苹果)、さらには水戸黄門ばりの「習近平タクシー事件」など。私は最後に中国に旅行したのが2012年夏なので、習近平政権誕生後の中国事情を把握していなかったが、なんだかすごいことになっているようだ。

 要するに、従来の主流メディア(官製メディア)を全く利用しない若者に共産党の言葉を届けるため、中国共産党は、ネット論壇の手法を模倣、簒奪し、ネット論壇を凌駕してしまった。その覚悟は、2013年8月19日の全国宣伝工作会議における習近平の講話に表明されている。「ネットの闘争は新たな世論闘争形態であり、戦略戦術を研究しなければならない」「古い戦術に固執して戦略的大局を失ってはならない」。ううむ、この手段をえらばない「政治」のやりかたは、いかにも中国らしい。いま、日本の安倍政権も、だいたい同じようなネット戦略を実行中だと思われるが、これほど明確な表明はしていないと思うし、戦略が稚拙すぎて、あまり成功しているようにも思えない。いや、しているのかなあ、一部国民に対しては。

 習近平は、ポップでカジュアルなプロパガンダ戦略の一方で、思想統制や言論弾圧を大幅に強化した。その結果、ネット論壇のオピニオンリーダー、人権派弁護士、活動家などが次々に逮捕される事態になっている。検閲と監視には、中高年ボランティアや青年ネットボランティアが活躍しているという。なんだろう、この閉塞状況への後退感は。

 「ネット論壇」の限界が明らかになったところで、変革への期待を担った「中間層」はどうしているのか。残念ながら、まだ中国経済は国家による強力なコントロールを必要としており、中間層は、国家の統制に適応することで利益を得ている、と著者は分析する。国家資本主義からの脱却を目指して育成された民間企業も、生き残るには政府との太いパイプを必要とし、民間企業大手は国有企業に似た性格を有するようになってしまったという。まあこれは、日本の状況を見れば予想できることだが。

 中国の未来はどうなるだろう。短期的には中国共産党の支配はゆるがないだろう、と辣椒は言う。逆に習近平体制がより強固なものとなり、これまでの不文律を破る超長期政権となる可能性が高い、というのは著者の分析である。さてどうだろうか。あまり望みたくない未来図である。
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山陰路のヒガンバナ

2015-09-28 19:48:25 | なごみ写真帖
シルバーウィーク旅行では、ヒガンバナの群生をあちこちで見た。

写真は出雲大社の境内。



ヒガンバナの写真をこのブログに掲載する頻度は比較的、高いと思う。大好きなのだ。

そういえば、二年間札幌に住んでいて、何か秋の風物が物足りないと思ったら、ヒガンバナの姿がなかった。北海道では越冬が難しいのだという。今年は、ヒガンバナの最盛期を鑑賞することができて、満足。
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出雲そばと松江のビール

2015-09-28 19:47:18 | 食べたもの(銘菓・名産)
シルバーウィークの山陰旅行。うどんよりそば好きの私には、瀬戸内よりこっちのほうが胃袋に合う。「出雲そば」は割子にそばつゆをかけて食す。そばの色は黒っぽく、つゆはしっかりした甘辛味。

観光MAPに載るような名店は、どこも大行列で入れなかったが、気軽に入れるそば屋がたくさんあった。写真は松江市内のカラコロ工房の食堂にて。



そばもさることながら、地ビール「ビアへるん」が美味かった! お店のお兄さんにおすすめされた「ヴァイツェン」。

松江といえば、不昧公好みの和菓子だと思っていたけど、認識を改めた。
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中国5県から大集合/祈りの仏像 石見の地より(石見美術館)

2015-09-27 20:44:49 | 行ったもの(美術館・見仏)
島根県立石見美術館 10周年記念企画展『祈りの仏像-石見の地より-』(2015年9月19日~11月16日)

 松江・出雲旅行のついでに益田まで足を延ばして、この展覧会を見て来た。旅行の顛末はUP済み。同美術館は島根県立いわみ芸術劇場とともに、島根県芸術文化センター(愛称グラントワ)という複合施設を構成している。益田駅からのアクセスを心配したが、10~15分間隔でバスが運行していた。地方の文化施設でこれだけ公共交通の便がいいことは珍しい。立派。

 展覧会の概要は「5つの特徴的なテーマにそって、石見の仏像はもとより、中国5県から仏像・仏画が大集結。この地に生きる人々に受け継がれた祈りの造形に迫ります。国宝2点、重要文化財16点、新発見・初公開作品12点を含む展示総数約60点」とある。実はあまり下調べせずに行ったので、もっぱら石見(島根・山口)の仏像が出ているのだと思っていた。そうしたら、最初の「日本の安泰を守る-国分寺と四天王-」のところで、あまりにも見事な四天王像が出ていてびっくりした。ずんぐりした木彫の四天王で、四角い舞台に背中合わせに並んでいた。ほとんどが両腕を失っているが、腰をひねったり、腹を突き出した姿が雄弁である。大きな眼、釣り上げた眉、開いた鼻。プレートを見たら「北広島町・古保利薬師堂」とあった。うわーあまりにも不便であきらめているが、死ぬまでに一度は行ってみたいと願っている古寺である。四天王は、その一、その二という番号で呼ばれていたが、私が好きなのはその三。歯列をむき出して下唇を強く噛んでいる。その四の、左右非対称な眉のつり上げ方もいい。

 奥には、もう一組、見上げるような大きな(2メートル弱)四天王像もいた。出雲市の万福寺(大寺薬師)伝来。鰐淵寺の近在であるという説明を読んで、なるほどと思った。眼のまわりの筋肉の表現が独特で、きりりと結んだ口元から抑えた憤怒が湧き立っている。この「国分寺と四天王」(古代)のセクションだけで、見に来てよかった!と思った。

 続く「あこがれの浄土へ-阿弥陀信仰・観音信仰-」は平安末~鎌倉仏。しかしピカピカに修復されて、古仏の面影がないものもあって驚いた。「乱世に泰平を祈る-室町幕府と地域の領主たち-」は、武士好みの堂々と押し出しの立派な仏像が目立つ。仏光寺(山口県)の文殊菩薩騎獅像は、剣を立てて構え、蓮華座に座る。山野を駆けめぐる武士の棟梁を想像させる、意志的で力強い面貌。蓮華座を乗せて寝そべる獅子もいい顔だ。東隆寺(山口県)の地蔵菩薩坐像も堂々として王者の風格を感じさせる。

 「日本海をわたって-中国・朝鮮半島からの渡来仏」では、山口県の神福寺に、唐代の十一面観音菩薩立像があるというのに驚いた。いわゆる檀像彫刻。体躯のくびれやひねりはない棒立ちの像だが、精緻な瓔珞が彫り込まれている。そして鳥取県の大山寺には北宋時代の銅造の観音菩薩立像。美人だなー。大陸や高麗の仏画もたくさん出ていた。印象的だったのは、山口県の洞春寺に伝わる元代の維摩居士像。榻(とう、寝台)の上に片膝を立ててリラックスした姿勢で座り、片手に払子を所在なげに持つ。左右非対称な黒い頭巾。足元には毛皮の(?)ブーツ。仏画は前後期で入れ替わるようで、全部見られなかったのが残念である。最後が「木喰仏」。大きいものが多かった。

 これで第1室が終了。別室の関連展示『良忠上人と浄土教美術』も見ることができる。石見国生まれの僧・良忠(1199-1287)は、法然上人に始まる浄土宗の第三祖。60歳の頃から鎌倉・悟真寺に住した。悟真寺はのち蓮華寺とあらためられ、今の光明寺につながっている。ということで、鎌倉の光明寺の寺宝が多数。『浄土五祖絵伝』、いつも鎌倉国宝館では決まった箇所しか見せてくれないものを、久しぶりに巻頭から巻末まで全部見ることができた。常設展示の『雪舟をうけつぐ-雲谷派-』(2015年9月3日~10月26日)もよいものを見せてもらった。
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2015年9月:展覧会など備忘録

2015-09-26 21:25:03 | 行ったもの(美術館・見仏)
最近行った展覧会。できるだけレポートを書こうと思っているが、追いつけそうにないので、ひとことメモ。

■五島美術館 『秋の優品展-宗教と美術-』(2015年9月5日~10月18日)

 絵画は、何度見ても好きな『沙門地獄草紙断簡』、室町時代の『山水屏風』など。『観普賢経冊子』は大きな炭桶(囲炉裏みたい)のまわりで女房たちがくつろぐ図。寒いのかなあ。だらけた雰囲気が好きだ。書跡は後鳥羽院の『熊野懐紙』など。益田鈍翁旧蔵の古写経手鑑『染紙帖』が見事だった。第2室は桃山陶磁が中心。自然光が入る明るさなので、暗い展示室で見たときとは少し印象が変わって面白い。

■太田記念浮世絵美術館 錦絵誕生250年記念『線と色の超絶技巧』(2015年8月1日~9月27日)

 17世紀末、版本の挿絵から独立した浮世絵は「墨摺」だった。すぐに「丹絵」→「紅絵」→「紅摺絵」と進化し、明和2年(1765)「錦絵」と呼ばれる多色摺木版画の技術が確立する。精密に色を重ねる「摺り」の技術もすごいが、髪の毛や蚊帳の網目を表現する「彫り」の技術も呆れるほどすごい。見る位置によって色が変わったり、模様が浮き出たりするテクニックも不思議。彫り師は、手元に影をつくらないよう、電球の光をフラスコにあてて用いるというのは初めて知った。

■渋谷区立松濤美術館 『スサノヲの到来-いのち、いかり、いのり』(2015年8月8日~9月21日)

 第1室は古美術と考古資料が中心。出口王仁三郎、平田篤胤の資料も豊富に出ていた。第2室は「スサノヲ」や神話に触発された近現代美術。古西律の立体作品(なんと呼べばいいのだろう)『月弓(ツクユミ)』が気に入った。佐々木誠の『八拳須(やつかひげ)』はスサノオの頭部を木彫で表現したもの。私は現代美術は苦手なのだが、こういう鑑賞の手がかり(神話モチーフのような)があると受け入れやすい。牧島如鳩の『龍ケ澤大弁才天像』は懐かしかった。

以下は、今日見てきたものも含み、個別レポートを書く予定。

・島根県立石見美術館 10周年記念企画展『祈りの仏像-石見の地より-』(2015年9月19日~11月16日)
・根津美術館 創立75周年記念特別展『根津青山の至宝 初代根津嘉一郎コレクションの軌跡』(2015年9月19日~11月3日)
・千葉市美術館 開館20周年記念『唐画もん-武禅にろう苑、若冲も』(2015年9月8日~10月18日)
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駅に歴史あり/地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み 関東2:京王・西武・東武(今尾恵介)

2015-09-25 21:38:06 | 読んだもの(書籍)
○今尾恵介『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み 関東2:京王・西武・東武』 白水社 2015.2

 鉄道省は、戦前の日本で鉄道や運輸行政を管轄した国家行政機関の一つ。大正9年(1920)に設置され、昭和18年(1943)に運輸通信省に改組された。その前身が明治41年(1908)に設置された鉄道院である。鉄道省と鉄道院がかかわった行政(鉄道会社の設立、鉄道・軌道の敷設認可など)に関する公文書は、今も国立公文書館に収蔵されている。著者はこれらを丹念にひもとき、黎明期から現在に至る日本の鉄道会社(私鉄)の歩みを記述している。

 西武といえば堤康次郎とか、東武といえば根津嘉一郎とか、エグゼクティブな経営者の話はほとんど出てこない。公文書からうかがえるのは、鉄道会社のふつうの職員たち、その許認可を担当したふつうの公務員たちの姿である。彼らの地味な作業の積み重ねによって線路は建設され、日々の電車の進行は無事に行われ、世界に冠たる「鉄道王国」が築き上げられた。そして、鉄道の敷設、停車場の新設は、具体的な「場所」を必要とすることから、本書には多数の地図が挿入されている。大雑把に「戦前」などと言ってしまいがちだが、鉄道を中心に、10年や20年ごとに風景が一変していく様子がよく分かる。

 鉄道会社ごとに、興味深かった点をあげていこう。京王電気鉄道は、大正2年(1913)から5年の間に新宿~府中間に敷設された。新宿起点から3キロメートルほどの幡ヶ谷の手前までは、専用軌道と併用軌道(路面電車)が混在していた。大正初期の初台付近の地図が載っていて、甲州街道北側の井伊邸(旧彦根藩主)が今のNTT東日本ビルになったとか、南側には山内邸(旧土佐藩主)があったとか、初耳だった。私は10年以上、隣りの幡ヶ谷に住んでいたのに。烏山の寺町が意外と新しい、というのは聞いたことがあったが、京王電鉄が「沿線繁昌策」として、東京の寺院を誘致すべく敷地を確保したところに、関東大震災後、被災した寺院が移ってきたというのも驚いた。

 渋谷~吉祥寺を結ぶ現在の京王井の頭線は、帝都電鉄によって、昭和8年(1933)から9年につくられた。当初、鉄道敷設の認可を受けたのは別の会社だったそうだ。帝都電鉄は、昭和7年(1932)東京市が周辺5郡82町村を合併したことにより、路線の大半が渋谷、目黒、世田谷、杉並という新区を走ることになったことを受けて、社名に「帝都」を取り入れた。その後、戦時中は小田急電鉄の「帝都線」となったが、戦後は京王と一緒になって「京王帝都電鉄」が生まれた。そうだったのか~。平成10年(1998)以降は、ただの「京王電鉄」になっていたのか。沿線住民だったのに気づいてなかった。「京王帝都」の語感、好きだったのに。

 いまの西武鉄道の路線で、最も早く開通したのは、明治27年(1894)の国分寺~東村山区間で、まもなく川越まで延伸した。どうしてそんな中途半端なところに?と目を疑ったが、川越は武蔵国西部の物資の集散地であり、明治に入ってもなお有力都市だったのである。しかし、川越と東京市を結ぶという宿望はなかなか果たせない。ライバル武蔵野鉄道の池袋~飯能間(今の西武池袋線)に遅れて、昭和2年(1927)に東村山~高田馬場(仮)駅が開業する。現在の西武高田馬場駅が、JR山手線の高田馬場駅にぴったり寄り添っていないのは、さらに都心に連絡させる目論見があったためというのが面白い。

 東武鉄道では、最近「とうきょうスカイツリー駅」に名称変更した「業平橋駅」が、かつては「浅草駅」を名乗っており、さらに以前は「吾妻橋駅」を名乗っていたというのにびっくりした。古い小説などを読むときは駅名に注意しないといけないな。東武鉄道は明治32年(1899)北千住~久喜間が最初の開業である。私は、以前、東武東上線の沿線に住んでいたが、茨城県つくば市に住むようになってから、北千住の利用が多い。そんなに歴史のある駅だとは初めて知った。東武鉄道は足利を目指して北上したが、利根川架橋が最難関だった。渡良瀬川はついに渡っていない。川を渡るとか山を越えるとか、今では何でもないことのように思う鉄道の延伸が、当時の技術(特に私鉄の資金力)では大変な難事業だったことはよく分かった。

 最後に造本についてひとこと。カラフルな観光地図の写真を載せた太めのオビがついているが、よく見たら「京王が走る!」「西武が走る!」「東武が走る!」と、それぞれキャッチコピーも異なる3枚が重なっている。気がつくと嬉しいけど、非常に分かりにくいプチ贅沢。
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2015年9月@山陰:境港の水木しげるロード

2015-09-25 00:04:11 | 行ったもの(美術館・見仏)
 松江から昼過ぎの高速バスで境港に向かった。いつの間にかウトウトしてしまい、ふと目が覚めたら、目の前に見たことのある異様な光景が。自動車メーカーのCMで話題になった「ベタ踏み坂」(アクセルを思い切り踏み込まないと上がれない急坂)が空を背景にそそり立っていた。境港の直前、中海の水路を渡る「江島大橋」である。高さ44メートル。実際に坂に入ってしまうとそれほどではないのだが、手前から眺めると、垂直に近い急勾配に見える。古代の出雲大社の階段も、こんなふうに見えたかもなあ、と思った。

 境港に到着。30年くらい前に来たときはただの漁村で、観光もせず、ここから隠岐行きのフェリーに乗った。今回のお目当ては、1993年に設置された「水木しげるロード」。20年経ってもたくさんの観光客でにぎわっている。150体以上の妖怪の像が並ぶと聞いて、私は東京・調布の天神通りにあるような、アニメふうに塗装された人形を想像していたのだが、こちらはブロンズ像で小さい。水木マンガのキャラクターというより、日本の妖怪が立体となって、次々に現れる。けっこう古典的で地味な妖怪が多い。

↓四つ目の方相氏。


↓鬼太郎は、等身大の像もあるが、これはてのひらに乗りそうなサイズで可愛い。


↓みんな大好き、ねずみ男。着ぐるみもいた。


↓国際派の一反木綿。


 水木しげる記念館にも寄った。本当にこのひとは稀有なマンガ家だと思う。「本日は15時半で閉館します」と注意されたので、ずいぶん早いなと思いながら外に出たら、たくさんの人が館を取り巻いていた。状況が飲み込めなかったが、翌朝のニュースで、直後に佳子内親王がいらしていたことを知った。

 帰りはJR境港線で米子へ。先頭車両はねずみ男で、乗った車両は鬼太郎バージョンだった。



 私は子供の頃から水木しげるが好きで、大人になった今も変わらない。ただ、中高生の頃は(女子校だった)まわりが萩尾望都とか池田理代子とか陸奥A子とか言っている中で「好きなマンガ家は水木しげる」と言いにくかったのを覚えている。しかし境港では、大人も子供も水木サンの世界を愛している人ばかりで、ほんとに幸せだった。

 米子は思った以上に田舎だったなあ。翌日、朝の飛行機で帰京。
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2015年9月@山陰:出雲と松江

2015-09-24 20:22:02 | 行ったもの(美術館・見仏)
 五連休のシルバーウィーク、20日に小浜で秘仏めぐりバスツアーに参加したあとは、久しぶりに山陰地方(出雲、松江、境港)をまわる計画を立て、早めに宿を確保した。その後、島根県立石見美術館で『祈りの仏像-石見の地より-』という魅力的な企画展が開催されることを知り、これはラッキー!と思ったら、石見美術館は益田市にあるというではないか。益田~松江間は特急でも2時間かかる。いろいろ考えた末、20日の夜は、小浜→敦賀→京都→岡山に宿泊。翌朝、岡山→新山口→益田と乗り継いだ。大変すばらしかった企画展のレポートは別稿とする。

 昼過ぎに益田を離れ、出雲へ。私は学生時代に松江には行ったことがあるが、出雲は初訪問だ。出雲市駅からバスに乗る。参道の入口付近で下り、まず本殿とは逆方向に向かう。現在は使われていない大社駅の和風駅舎を見るためだ。平成2年(1990)に廃駅となったというから、学生時代に足を延ばしていれば、まだ現役だったのだな。二階の屋根の上には、寺院のような鴟尾(しび)が取り付けられている。低い屋根には、火災除けだろうか、獰猛な顔をした亀(玄武?)が乗っていて、京都の冷泉家住宅を思い出した。



 にぎわう参道をそぞろ歩いて、出雲大社へ。少し前に「ブラタモリ」の出雲の回を見て、観光客が増えていることは承知していたが、鎌倉みたいである。若者の姿が多く、また若者向けのお店が多い。平成25年に「平成の大遷宮」が終わって、落ち着いているのかと思ったら、銅鳥居や拝殿は修理工事中だった。正面は全く風情がなかったが、裏側にまわると本殿のおおらかな勇壮さが感じられる。千木(ちぎ)がカッコいい。瑞垣に沿ってまわっていくと、向かって左側面に小さな参拝所があった。出雲大社の本殿は南面しているが、中の御神座は西向きなのだそうだ。調べても理由がよく分からないのが面白い。また、本殿の裏正面の少し高いところに小さな社殿があって、大勢の参拝客が並んでいた。何かと思ったら、スサノオ社だった。素鵞社(そがのやしろ)と呼ばれている。



 拝殿正面の敷石には↓こんな模様が。2000年に出土した宇豆柱(うづばしら)の規模と場所を示すものだと思う。このあと、隣りの島根県立古代出雲歴史博物館で宇豆柱の実物を見た。古代の出雲大社本殿は「とにかく巨大だった」説が有名だが、実は諸説あり、さまざまな復元模型を見ることができて面白かった。



 この日は松江泊。翌朝、JRで米子方面に2駅先の揖屋(いや)駅に行って、揖屋神社を訪ねた。出雲地方でも最も古い神社のひとつで、記紀神話に登場する黄泉比良坂の比定地の近くにある。『日本書紀』斉明天皇5年の条に「又、狗、死人の手臂を言屋社(いふやのやしろ)に噛み置けり」とある「言屋社」とも考えられている。朝早かったせいもあって、ほとんど人の姿もなく、境内には霊妙な雰囲気が漂っていた。拝殿には、参拝者に向けて、よく光る鏡が立ててあった。



 私は、かれこれ30年近く前に読んだ入沢康夫さんの「わが出雲・わが鎮魂」という長詩が今でも大好きである。旅行の直前、たまたまツイッターに、入澤康夫の詩の朗読会が開催されるという情報が流れ、「入澤康夫『わが出雲』で、犬が死人の腕を社に置いて行ったというその社は、松江市東出雲町の揖夜神社」という情報に接した(同作品には、記紀神話や古今の文学作品の発想や表現がコラージュのように取り入れられている)。古びた石段の脇にたたずんで、ここに置かれた死人の白い腕を想像していた。



 その後、松江に戻って、松江城、小泉八雲旧居・記念館などを見学。松江歴史館では、松江城が江戸時代初めに完成したことを示す祈祷札を見ることができた。これが松江城の国宝指定の決め手になったといわれている。1枚は肉眼で読めたが、1枚は赤外線写真を見ないと、全く文字があるように見えなかった。昼食は出雲そば。暑いので、地ビール「ビアへるん」(ヴァイツェン)で喉を潤す。美味い! 関東でも飲める店を探したい。そして、バスで境港へ向かう。
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2015年9月「若狭おばまの秘仏めぐり」バスツアー

2015-09-23 22:19:31 | 行ったもの(美術館・見仏)
○坂上田村麻呂の祈りと薬師如来:若狭歴史博物館~明通寺~昼食(サンホテルやまね)~深野薬師堂~長田寺~妙楽寺(9月20日)

 もはや(個人的に)秋の恒例となった小浜の秘仏めぐりバスツアー。今年も若狭歴史博物館の館長同乗コースを選択。そして東京の友人三人を誘って四人で参加した(京都在住の友人も誘ったのだが体調不良で直前キャンセル)。前日の夕方、小浜入りすると、駅前を揃いの浴衣姿の人々が行き来している。週末の二日間、八幡神社の祭礼である放生祭(ほうぜまつり)が行われるのだ。



 八幡神社近くには、たくさんの夜店が並び、各町内を出発した山車が行き交う。夜遅くなると、すれ違う山車と太鼓がお囃子を競い合う様子も見られた(相手のリズムにつられたら負け)。川越祭を思い出したが、片方が笛と小太鼓、片方が大太鼓と鉦という、全く違う編成で競い合うのが面白かった。



 さて翌日はバスツアーである。今年は、プラスチックのケースに入ったメンバー証を首から下げる方式になっていた。また、昨年に続き、今年も「木簡パスポート」がいただけた。館長先生のお話では、昨年、誰かが捨てた(落とした?)木簡パスポートがちょうどよく汚れた状態で拾われて、本物と間違えられかけたそうである。そこで今回は、滋賀県高島市の鴨遺跡から出土した「遠敷郡」の記載のある木簡を再現しつつ、墨書を「若狭国遠敷郡」に変えたとか。



 若狭歴史博物館では、企画展『〈日本遺産〉認定記念展「御食国とサバ街道」』(2015年8月8日~9月23日)と常設展『若狭のみほとけ』を館長の説明で見学。「日本遺産」というのは、文化庁が今年(平成27年度)から始めた事業で、その説明を読んでみると「オリンピックまでに100件程度」「観光客の受け皿」など、あきらかに胡散臭い文言が並んでいるが、地域振興の補助金を貰えるというから、まあ良かったことにしよう。鯖街道というのは昭和40年頃から広まった名称で、「もしかしたらウナギ街道だったかもしれない」という話が面白かった。仏像展示室の展示内容は博物館のホームページに掲載されているが、過去データは消されてしまうようなので、転記しておく。

・聖観音菩薩立像(重要文化財)[平安時代・9世紀] 美浜町・青蓮寺
・阿弥陀如来坐像(小浜市指定)[平安時代・10世紀] 小浜市・仏谷区
・兜跋毘沙門天立像(小浜市指定)[平安時代・11世紀] 小浜市・加尾区 
・大日如来坐像(小浜市指定)≪初公開≫[平安時代・11世紀] 小浜市・黒駒区
・地蔵菩薩立像(小浜市指定)[平安時代・12世紀] 小浜市・円照寺
・不動明王及び二童子立像≪初公開≫[平安時代・12世紀] 小浜市・飯盛寺
・毘沙門天立像[平安時代・12世紀] 小浜市・羽賀寺

 続いて、明通寺へ。2012年と2013年にも来ているが、何度訪ねてもよい。目が大きく、堂々とした薬師如来坐像。お厨子の左右には、髪を逆立て、力のみなぎる深沙大将と降三世明王の巨像。館長はさかんに十二神将像を面白がっていた。同寺は坂上田村麻呂の創建と伝えられている。

 昼食は市の中心部に戻って、サンホテルやまねの海鮮丼。お祭りの山車がホテルの玄関にやってきて、子どもの踊りを披露していった。午後は、福井県と京都の境に近い中名田地区へ。昔から田村の里と呼ばれており、坂上田村麻呂の一族が開発に携わったことに由来すると考えられている。田村川の清流に沿って、明るい黄金色の田んぼが続く。

 深野薬師堂と長田寺(ちょうでんじ)では、9月20日から26日まで17年ぶりのご開帳が行われていた。深野薬師堂の薬師仏は、「深野ふれあい会館」という和風のコミュニティ会館の中に安置されていた。桓武年間の創建と伝えるが、現在の本尊は金ピカの小さな坐像で江戸期の作。近在の皆さんが御朱印を書いてくださったり、手作りのぼたもちを売っていらっしゃったり、総出でご開帳を盛り上げているのがうれしい。



 長田寺(田村薬師)に到着。さきほどの深野薬師堂の前にもあった「杉の葉アーチ」! 日清・日露戦争の「凱旋門」や「祝祭」の表象として聞いたことはあったが、これほど見事な本物を見るのは初めて。なお、深野薬師堂と長田寺は3キロくらい離れているのだが、道筋に竹を立て、白い布を延々とつないでいる。あまねく薬師如来の功徳が行き渡る様を可視化しているようで面白かった。秘仏ご本尊は撮影可だったので、畏れ多くも小さめの画像を掲載しておく。



 実は江戸期の仏像だが「焼けて再建した」ことを伝えるために巧妙に黒く汚しをつけている。しかも衣文の表現が古い様式を伝えているので「写真で見たときはびっくりした」と館長。館長も実物はこの日が初見だという。多田寺の薬師如来(平安初期)に似たところがあり、再建の際に参考にしたのではないか、ともおっしゃっていた。脇侍は小さな日光・月光菩薩。厨子の外側に並んだ十二神将は、いびつな造形が逆に可愛らしかった。地域で守られている仏像の制作年代によって、その地域がいつ頃開発され、村落を形成したかが分かる、というお話が印象に残った。

 最後は妙楽寺。本尊は私の大好きな千手観音。堂内には聖観音菩薩立像もいらして、ツアーの同行者の中には、これが好きというファンも多かった。これでツアー終了。駅前で、小浜っ子のソウルフード「カレー焼き」を立ち食いして、打ち上げ。私は引き続き、山陰の旅へ。友人はそれぞれ別方向に散って行った。
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安保法案と政治の夏2015

2015-09-19 09:43:40 | 日常生活
五連休初日の今日は、朝早い新幹線で旅行に出かける計画を何か月も前から立てていた。けれど、深夜まで安保法案の成り行きを気にして起きていたので、今朝は予定の時間に起きられなかった。もういいので、旅行計画は変更。今日は観光なしで、福井県の小浜に到着できればいいことにする。

この夏、国会前には何度か出かけた。初回は、7月、法案がまもなく衆議院を通過すると報道された週末、職場(茨城県)から2時間以上かけて、国会前に行った。地下鉄の駅を出ると、夜の国会議事堂周辺がこんなに暗いと思っていなかったので、びっくりした。いま(9月)に比べれば、参加者らしい人の姿はまだ少なく、国会前の北庭の一角から拡声器の音声が聞こえていたが、コールをしている中心部まで行ってみるのは気後れして、30分くらいひとりで周辺をうろうろして帰った。

8月30日(日)の大規模デモには参加した。到着が遅れたので、あの空撮写真には入っていない。早くから来ていた人たちが引き上げ始めた夕方に着いて、すでに歩行者天国状態になっていた車道をぶらぶら最前列まで行ってみた。でもまだコールに加わったりはしなかった。

参議院での審議が大詰めになった今週、幸い、16日(水)と17日(木)は都内出張だったので、仕事が終わると、すぐ国会前に行くことができた。16日、早めに国会前について、歩道の入口あたりの、人の少ない空間に立って、ぼんやり様子をうかがっていたら、すっと目の前に現れた若者がいた。少し離れて、ビデオカメラ(ごく小さな)を構えたクルーのような人たちが複数ついていたので、何かと思ったら、SEALDSの奥田君だった。私は、カメラに映らないよう、慌てて少し離れた。奥田君は、無言で長袖のトレーナーを脱いで腰に巻き、Tシャツ姿になって、まっすぐ前を見ながら、南庭のほうに歩いていった。華奢で小柄な若者だった。16日は、はじめて声を出した。

17日の夕方は雨が強かったけれど、イチョウ並木の下に入ると、かなり雨が避けられると学習したので、傘をたたんで帽子ひとつで立っていた。どちらの日も7時半過ぎまでいて帰った。

昨日、18日(金)は職場をほぼ定時に出たけれど、国会前についたのが7時半頃だった。それから8時半過ぎまでいた。議員の方々、地方公聴会に参加した広渡清吾先生と水上貴央さん、作家の島田雅彦さんなどのスピーチを聞き、すっかり慣れたSEALDSのコールにも参加した。

そしてまた2時間かけて自宅に戻り、テレビで大詰めの国会中継を見ていた。福山議員の演説は聞いたが、そのあと与党議員の演説で睡魔に負けて、小池議員が始まる前に、テレビもパソコンもつけたまま、寝落ちしてしまった。ハッと目覚めたときは、テレビに蓮舫議員が映っていて、採決は終了していた。



いろいろ考えることの多い夏だった。戦後日本に最悪の変化も起きたが、いい変化も起きている。希望は失わずに。
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