見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

言いたいことを言っておく大晦日

2008-12-31 15:36:52 | 日常生活
 2008年もあとわずか。総体的には低め安定で落ち着いた運気だった。その中で、ひとつ心に引っかかっている不愉快な体験がある。1年の罪と穢れを祓い清める「年越しの祓」同様、ここに書き記して潔く忘れることにしたい。

 10月の3連休、秘仏ご開帳を目的に和歌山に行くことにした。ついでに京都にも寄りたかったので、行きは、東京~京都(新幹線)→途中下車→京都~和歌山(在来線)、帰りは、和歌山~新大阪(在来線)~東京(新幹線)という、大まかな計画を立てた。調べてみたら、東京~和歌山は往復割引になることが分かったので、それじゃあ、先に乗車券を買っておこう、と思って、自宅からいちばん近いJR川越駅に出かけた。

 最初に声をかけてくれたのは、みどりの窓口の外に立っていた制服姿の中年女性である。「どういう経路で行かれるんですか?」と聞かれたので、「行きは京都まで新幹線で、帰りは…」と説明した。そうしたら「それは経路が違うので往復割引にはなりませんね」という。びっくりした。実は私もあまり自信がなかったので、時刻表の路線図を見せてもらって「いずれにしても新大阪を通るので、東海道本線を使っても新幹線を使っても、乗車料金は同じでは?」と尋ねたら、考え直して、窓口の職員に確かめてくれた。

 ところがその若い男性職員も(奥にいる先輩職員に何か確かめていたが)そもそも新幹線と在来線では営業キロが異なるのだから、乗車料金が異なると言う。窓口の外にいた女性職員が、不確かな記憶を探るように「東北新幹線の場合、特例ってなかったでしたっけ?」と口添えしてくれたのだが「いや、ないですね」と引かない。とにかく出発日は朝が早いので、行きの片道乗車券だけ購入しておくことにした。

 家に帰ってから、ネットでJRの運賃規則を探して読んでみると、やっぱり駅員が間違っている気がする。それで、ネットのQ&Aサービスというのを初めて使ってみた。そうしたら、すぐに私の見解を支持する回答が複数付いた。少し力を得たので、もう一回聞いてみようと思って、平日の仕事帰りにムリをしてJR川越駅に寄った。みどりの窓口はもう閉まっていたので、改札口にいた駅員さんに事情を話してみた。そうしたら「新幹線を降りる駅が違うのだから往復割引にはなりませんよ」と実にキッパリと一蹴されてしまった。なんかもう、素人の私が駅員に説明する気力もなくて、そのまま引き下がって帰った。

 でも、このまま放っておけば、今後も同じ疑問を持つユーザーが出るわけだし。そう思って、旅行から帰ったあと、JR東日本のホームページの「ご要望・ご要望受付」フォームに投稿してみた。1ヶ月以上経って、返ってきたのが以下の回答である。

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いつもJR東日本ならびにJR東日本ホームページをご利用いただきましてありがとうございます。
このたびのご意見につきまして、以下のとおり回答させていただきます。
いつも川越駅をご利用いただきましてありがとうございます。
このたびは川越駅社員の応対より、ご不快な思いをおかけし誠に申し訳ございませんでした。深くお詫び申し上げます。また、お返事が遅れましたことを重ねてお詫び申し上げます。
お問い合わせいただきました、往復割引乗車券ですが、往復割引乗車券の適用条件は「片道の営業キロが601キロ以上あること」です。東京駅から和歌山駅間は601キロ以上ございますので、往復割引乗車券の適用になります。
弊社では、お客さまと応対させていただく際にはお客さまのご要望をしっかりとお伺いし、正確なご案内をするように指導を行っておりましたが、このたびご指摘をいただき弊社の指導が未だ至っておりませんことを痛感いたしております。社員に対しましては、業務知識の向上に努め、お客さまにご不快な思いをお掛けすることのないように、社員教育の強化に努めて参りますので、何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
このたびは、貴重なご意見ありがとうございました。
今後も、みなさまに愛され、親しまれるJR東日本をめざしてまいりますので、引き続きご愛顧賜りますようよろしくお願い申し上げます。
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 何度も読み返したが、どうも腑に落ちない。慇懃に謝罪しているように見えて、どこかズレているのである。往復割引の基本的な適用条件なんて、あらためて教えてもらわなくても分かっている。私は「新幹線を降りる駅が違うと往復割引にならない」のかどうか、駅員の発言が運賃規則に照らして正しいのかどうかを聞いたはずである。で、シツコイと思いながら、もう一回同じことを聞いてみた。その回答は以下のとおり。

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いつもJR東日本ならびにJR東日本ホームページをご利用いただきましてありがとうございます。
このたびのご意見につきまして、以下のとおり回答させていただきます。
このたびは、お忙しいなか、再度の投稿をいただきましてありがとうございます。
また、お返事が遅れましたことをお詫び申し上げます。
お問い合わせいただきました往復割引の適用条件として、今回の東京~和歌山の乗車券については、新幹線と在来線は経路上の駅であれば、同一区間とみなす対応をさせていただきますので、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。
このたびは、貴重なご意見ありがとうございました。
今後も、みなさまに愛され、親しまれるJR東日本をめざしてまいりますので、引き続きご愛顧賜りますようよろしくお願い申し上げます。
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 何をか言わんや。こういうのが、顧客クレームに対する大きな組織の模範的な回答なんだろう。内田樹さんの『昭和のエートス』に「負け方を習得する」という一文があったが、「適切に負ける」(その第一条件は、敗因が自分自身にあることをきっぱり認めることである)仕方を知っている組織は、官にも民にも、少ないように思う。私は「駅員の言ったことは間違いでした。すみません」という単純な回答が欲しかっただけなんだけどね。

 さて、閑話休題。

 自宅で過ごす年末休み。天気がよいので、ぶらぶら歩いて、坂戸市塚越にある聖天宮に行ってみた。なぜか埼玉県の田園風景の真ん中に、派手な中国寺院が建っているのである。あやしい宗教法人が建てたニセ寺院?と思っていたら、とんでもなかった。伝統様式を踏まえ、素材にお金をかけた、しっかりした建築であるし、中国寺院(道観)での礼拝作法やお神籤の引き方もちゃんと教えてくれる。案内の方に「台湾の方が建てたんですか?」とお聞きしたら「そうです」とおっしゃっていた。

 というわけで、高麗神社への初詣で開けた1年は、道教寺院への参拝で締めよう。来年も東アジアと縁の深い1年でありますように。





 過年好~! みなさま、よいお年を!
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歳末二題/セザンヌ主義(横浜)・青磁と染付(戸栗)

2008-12-30 23:50:34 | 行ったもの(美術館・見仏)
 年の瀬に入り、ようやく自分の身辺が落ち着いたら、多くの美術館も年末休みに入ってしまった。その直前に、慌しく見てきた展覧会が2つ。

■横浜美術館『セザンヌ主義-父と呼ばれる画家への礼賛』(2008年11月15日~2009年1月25日)
http://www.yaf.or.jp/yma/index.php

 12/22(月)に休暇を貰うことになったので、月曜に開館しているこの美術館に行ってみた。そうでなかったら、敢えては見に行かなかったかも知れない。でも、今よりもっと西洋絵画に関心が高かった10代~20代の頃、セザンヌは好きな画家だった。面白みのないところがいいのである。全く面白みはないのに(色彩と形態を積み上げるようにして作っただけの画面なのに)滲み出すような情感が感じられるところもいいのである。

 私が心惹かれた作品は、キャンパスの一部を白く残したままの風景画。榊原悟さんがいう「即画(即席画)」みたいで、一瞬の即興性を封じ込めたような魅力を感じた。なお、本展は、セザンヌに影響を受けた多くの画家の作品を一緒に展示していて興味深い。日本画家とは、特に相性がいいような気がする。会場の最後に、南仏プロヴァンスに残るセザンヌのアトリエの大きな写真パネルが飾られていた。これが、なんというか、セザンヌ作品の、即物的な雰囲気とは異なり、文学的なディティールに満ちているのが面白かった。

■戸栗美術館 『青磁と染付展-青・蒼・碧-』(2008年10月5日~12月24日)
http://www.toguri-museum.or.jp/

 「青」をキーワードに青磁と染付の優品を展示する。『japan 蒔絵』展によれば、マリア・テレジアの好みは「ダイヤより蒔絵」だったそうだが、私は断然「ダイヤより青磁」である。日本・中国・朝鮮の青磁には、それぞれ特徴があるが、私は中国(元代)の「玉壺春」がいちばん好きだ。限りなく翡翠に近い深緑色をしていて、翡翠の暖かみが手のひらに伝わりそうな感じがする。高麗青磁は「やや灰味がかった」と解説にいうけれど、ほとんど灰色である。これが朝鮮の好みなのだろう。

 日本では17世紀前半から青磁の制作が試みられた。しかし、初期伊万里の青磁を見ると、全面に貫入(ひび)があったり、白っぽい色ムラが見られたり、古い飴玉みたいで美しくない。17世紀後半には日本でも安定した青磁の生産が可能になる。中国の青磁が、伝統的な器形に限られているのに比べると、日本の場合は、イミテーションの気安さなのか、バリエーションが豊富で、時には染付け文様を加えてみたり、「カジュアル青磁」の楽しさがある。

 染付けは、いちばん日常生活に馴染む様式だと思う。展示ケースに並ぶ器を見ながら、このお皿には厚揚げとオクラを載せたいとか、こっちの小鉢にはイクラと大根おろしとか、盛り付ける料理をいろいろ想像してしまった。
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人と人をむすぶもの/明治メディア考(加藤秀俊、前田愛)

2008-12-29 20:27:06 | 読んだもの(書籍)
○加藤秀俊、前田愛『明治メディア考』 河出書房新社 2008.12

 新刊コーナーに並んでいたが、1978~79年に行われた対談で、80年に単行本化されたものの新装復刊である。国文学と社会学という異なるフィールドの碩学2人が、明治のメディアについて語ったもの。1978年のユネスコ総会で「マスメディア宣言」が採択された、という話題から対談が始まる。「メディア」という言葉が、私たちの生活に定着し始めたのも、この頃だったかもしれない。

 明治期を特徴づける最も重要なメディアは新聞だが、他にもさまざまな視聴覚メディア――演歌、唱歌、講談、錦絵、番付、双六、絵葉書、銅像、博覧会などが語られている。また、コミュニケーション・センターとして機能していた髪結床や銭湯、ひとつの町から別の町へ情報を伝えた行商人や芸人、漁民のネットワークにも着目する。

 西洋人は椅子とテーブルで文章を書くから、まず資料の書き抜きをカードにつくっておかなければならない。日本人は和室に「資料をだーっとひろげておくことができるから」カードが要らない、という加藤秀俊氏の指摘は卓見だと思う。もうひとつ付け加えると、東アジアの本は「軽くて持ち運びやすく、開いて積んだり折り曲げたりしても壊れにくい」という特性もあるのだと思う。だから日本の書籍には索引が発達せず、付箋が活用された。

 木活字は刷っているうちに字がずれる。ベストセラーとなった末広鉄腸の『雪中梅』の後刷本は、活字にガタがきているのが分かるそうだ。一方、版木は途中で休ませれば万の単位で刷れるという。そのかわり、活字はハンドライティングの個性が消えて読みやすくなるため、かなりの速度で黙読することが可能になる。なお、『西国立志編』や『学問のすすめ』に続く明治のベストセラーには『造化機論』という性の通俗解説書があるそうだ。学校の文学史では絶対に教えない話題。

 また、ヨーロッパでは「文章を書く」ことは非常に強いコミットメント(責務)として自覚されているという。座談会や対談などで、話したことがそのまま文字になってもまあいいや、というのは日本人特有の感覚らしい。そうなのか。私は、有識者が難しいことをざっくばらんに語ってくれる対談本・座談本が大好きなのだが、こういう楽しみは、西欧文化圏にはあまりないのだろうか。
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椿姫、リゴレット/オペラ映画フェスティバル(写真美術館)

2008-12-28 21:41:45 | 見たもの(Webサイト・TV)
○東京都写真美術館 『オペラ映画フェスティバル-イタリアオペラ 名作の森-』(2008年12月13日~12月28日)

http://gakugakai.com/

 このブログには「聴いたもの」のカテゴリーを立てていないが、何を隠そう、私はオペラファンである。最近、劇場に足を運ぶ機会はないが、こうやって書きものをしているときのBGMはオペラ音楽が多い。9連休の年末、結局、遠出の計画が立たなかったので、映画でも見に行こうと思って、この特集上映を見つけた。

 フランコ・ゼッフィレッリ監督の『椿姫(→詳細)』は1982年の制作で、日本では1985年に公開されている。80年代、人気テナーのプラシド・ドミンゴ(1941-)をフィーチャリングしたオペラ映画『椿姫』『カルメン』『オテロ』『道化師(※これだけ未見)』が次々に制作されたが、私は、この『椿姫』が、最も成功した作品だと思っている。

 なんと言っても、演じ手が、歌唱も容姿も最高。アルフレード役のドミンゴはこのとき41歳か。当時は若づくりしすぎだと思ってちょっと引いたが、今見ると違和感がない。演技だと分かっていても、世間知らずで無鉄砲な純情ぶりに惚れ直してしまう。ヴィオレッタのテレサ・ストラータス(1938-)は、導入部では若づくりの無理を感じたが、物語に引き込まれるにつれて気にならなくなった。生き急ぐように激しく走りまわる小柄な姿が、薄幸な運命を感じさせる。パリの社交界の雰囲気を再現した画面の豪華絢爛ぶりは、妥協なし。バレエがまた、いいのよねえ。田園風景の美しさは、舞台では絶対に出来ない演出である。

 『椿姫』は何度も聴いている作品だから、いまさら泣かないだろうと思っていたが、ドラマと歌唱に引き込まれて、泣いてしまった。私ばかりではなくて、終わったあと、涙を拭いている観客があまりに多いことにびっくりした。悪役は誰もいなくて、みんな善人ばかりなのに、逃れられない悲劇の罠が狭まっていく緊迫感は、近松の『天網島』に似ている、と言ったら唐突かしら。

 映画のラストシーンでは、なぜかアルフレードたちの姿が画面から消え、ひとりぼっちのヴィオレッタが床に崩れ落ちて息絶える。この演出は「アルフレードが訪ねてきたのは、ヴィオレッタの夢だった」(あるいは、ヴィオレッタ邸の財産を運び出しにきて、彼女の肖像画に魅せられた若者の夢?)を表しているのだろうかと、公開当時、ずいぶん論議になったように思う。私は、孤独に死んでいく姿はヴィオレッタの自己イメージで、実際の肉体は、アルフレードの腕に抱かれて息絶えるものと思いたい。ときどき、先日の飯島愛ちゃん急死のニュースが頭を過ぎっていたのは私だけだろうか。

 やっぱりオペラはいいなあ、とすっかり堪能したので、翌日の『リゴレット(→詳細)』も見に行ってしまった。1982年の制作で、マントヴァ公爵を演じるパバロッティの若々しいこと! ジルダ役のグルベローヴァの歌唱も素晴らしかった。でも私は、ジュリーニの『リゴレット』(1979年)を愛聴盤にしていたので、ちょっと端正さで劣るような気もした。あと『リゴレット』は、演劇的にあまりにも完成され過ぎているために、写実的な映画フィルムに落とすと、やや違和感が残る(四重唱の場面とか)。きっと『椿姫』のほうが文学的なんだろうな。
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東西をつなぐ美学/japan 蒔絵(サントリー美術館)

2008-12-27 23:32:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
○サントリー美術館『japan 蒔絵-宮殿を飾る、東洋の燦めき-』展(2008年12月23日~2009年1月26日)

http://www.suntory.co.jp/sma/

 西洋では「japan」と呼ばれる漆器。その表面に、漆で絵や文様を描き、乾かないうちに金属粉を蒔いて定着させることを「蒔絵」という。類似の技術に「平文」や「螺鈿」があるが、蒔絵は日本独自の漆芸技法なのだそうだ(Wikipedia)。

 会場では、まず、古代~中世の蒔絵の優品と対面(厨子、経箱など)。続いて、本展の中心となるのは、安土桃山(=16世紀半ば、大航海時代)以降、西洋人を魅了し、ヨーロッパ世界に輸出された「南蛮漆器」「紅毛漆器」の数々である。印象的だったのは『IHS花入籠目文蒔絵螺鈿書見台』(京博所蔵)。おすすめは、展示ケースから2メートルくらい下がって見ること。螺鈿で刻まれたIHS(イエズス会)の紋章と、その周囲の放射線状の装飾が、奇跡のように燦然と輝くさまに驚く。暗めの会場照明が効果的。『花鳥丸紋蒔絵螺鈿書箪笥』も、クローズアップで眺めると、蒔絵の精緻な技巧に魅了されるが、少し離れると、ポツリポツリと施された螺鈿の輝きが、夕暮れ空の星のように慕わしい。

 本展の最大の見どころは、ヨーロッパの美術館が所蔵する「蒔絵」の大規模な里帰り出品である。いずれも絶対王政時代の王侯貴族のコレクションに由来するものだ。賢明な女帝として知られるオーストリアのマリア・テレジアは「ダイヤより蒔絵」がお気に入りだったそうだ。あ~なんか、分かるなあ~。大人の女性にふさわしい好みだと思う。彼女のコレクションは、娘のマリー・アントワネットに伝えられる。技巧を凝らした小箱が多い。ポンパドゥール夫人旧蔵の櫃(ファン・ディーメンの箱)は有名なものらしいが、蒔絵による人物風景図は、かなりヘン。獅子像を配した中華風の門前で、舞楽を舞っているし、室内には背もたれのある貴人の座が見える。日・中・朝の文化がごちゃまぜ。

 ヴェルサイユ宮殿美術館からは、蒔絵のトイレット・ボックス(!)という珍品も出品されている。私が感心したのは、解説板に「オランダ商館の記録では1640年に特注のおまるを出荷している」とあったこと。ほかにも、たとえばVOC(オランダ東インド会社)の紋章入りの漆皮の盾は「1947年から主にインドに向けて一度に何十枚も輸出されていた」とか、サメ皮(実はエイの皮)の櫃は「1634年からオランダ東インド会社の記録にある」とか、交易の記録から分かることって、いろいろあるんだなあ、と思った。ヨーロッパの王侯貴族のメダイオン(肖像)に「sasaya」の銘を残す、漆器商の笹屋というのも、初めて知った、気になる存在。

 また、ヴェルサイユ宮殿美術館のコレクションに「李煦」という小さな墨書の紙片を貼り付けた小箱があったことにも驚いた。解説によれば、李煦(りく)は、康熙帝にスパイとして仕えた(!)ともいう(→中国語・百度百科)。この蒔絵の小箱は、日本から清朝の要人・李煦を経て、康熙帝からルイ14世へ、そしてマリー・アントワネットに伝えられたのではないかという。スケールの大きな歴史ロマンが感じられ、金庸の武侠小説のネタみたいで、ちょっとわくわくした。

 前期(~1/12)は京都国立博物館の所蔵品、後期(1/14~)はサントリー美術館の所蔵品が中心となるもよう。『泰西王侯騎馬図屏風』が見たい方は後期にお出かけを。
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メリー・クリスマス(シュトーレン)

2008-12-25 23:35:14 | なごみ写真帖
今年は、ゆったりと過ごしたクリスマス・イブ。
何年ぶりかでクリスマス菓子のシュトーレンを焼いてみました。なかなかの出来。



ほんとは今日会う人にあげようかと思ってたんだけど。
なんとなく取り紛れて、それは果たせず。

まあ、いいや。
メリー・クリスマス。
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転換の時代/戦後日本スタディーズ3:80・90年代

2008-12-24 23:54:53 | 読んだもの(書籍)
○岩崎稔ほか編著『戦後日本スタディーズ3:80・90年代』 紀伊国屋書店 2008.12

 60年にわたる「戦後日本」を総体的に捉え直そうという、野心的な企画である。それは学問的な野心というよりも、われわれが「いま」「これから」を生きるために「戦後」研究は不可欠な作業である、という強い問題意識に発している。そのことは③80・90年代→②60・70年代→①40・50年代という、時間遡及的な刊行順序にも現れている。

 冒頭の「ガイドマップ」では、成田龍一、小森陽一、北田暁大の3人が、80~90年代の社会・文化状況を多角的に振り返る。続いて、個別テーマに関する12本の論文。「国際政治」(山下範久)「国内政治」(小森陽一)「経済」(土佐弘之)「格差社会」(佐藤俊樹)などの大状況分析から「オウム」(遠藤知巳)「おたく文化」(森川嘉一郎)など、80~90年代の特徴的な主題へと配列されている。最後に、研究者コミュニティ外の語り手として、経営者の辻井喬氏、編集者の三浦雅士氏へのインタビューつき。著者の顔ぶれが私好みということもあるけれど、充実した構成だと思う。

 あらためて感じたのは、80年代が、大きな歴史の転換期だったということ。小森氏は、80年代の起点を1979(昭和54)年に置く。2月イラン革命、5月サッチャー政権誕生、10月朴正煕暗殺、12月ソ連のアフガニスタン侵攻など、冷戦構造の崩壊を予感させる重大事件が次々に起きた。北田さんによれば『機動戦士ガンダム』が最初に放映された年でもあるという(見てたよ!)。

 80年代、転換はゆっくりと着実に進行した。中曽根政権のもと、85~87年に三公社の民営化が行われる。21世紀の日本で失われた「公共」「福祉」「雇用・労働」問題の起点となる事件だった。そして、転換の「完成」ともいうべき、89年の東西冷戦終結。しかし、「冷戦」は軍事的衝突の危険性を孕んだ「戦争」の時代であったともに、ある種の「秩序」の時代でもあった。冷戦の終結は、「世界の無秩序化」を呼び込むことになる。より長期的な視点では、この80年代末を、百数十年における「近代化」に対する「脱近代化」の完成期、あるいは、資本主義的な世界システムから別のシステムへの移行期の始まりと考える論者もいるそうだ。

 私は、80年代にはもう成人だったから、これらの出来事を覚えている。けれども、文学オタクで社会的関心の薄い大学生だった私には、出来事の関連性や重要性が分かっていたとは言いがたい。その結果、続く90年代は、身近な日本の社会で起こり始めたさまざな事件に驚き慌てながら、坂を転げていくような10年間だったと思う。本書を読んで、いろいろな事項が整理されると、私はほんとに80年代を生きていたのかなあ、としみじみ思った。

 個別テーマでは、遠藤知巳氏を読んで、あらためてオウムについて考えてみたいと思った。また、韓国における「反日」の高まりに「人権を軸にした東アジアにおける対話と連帯」という肯定的な価値を見出そうとする玄武岩氏、上野公園という特異な場所に着目して、パブリック・スペースあるいはアジールの問題を論じた五十嵐泰正氏の論考が非常に興味深かった(東博が、グッチやルイ・ヴィトンなど企業のパーティ会場に使われているなんて、初耳!)。
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ひたすらアクション/映画・レッドクリフ PartI

2008-12-23 23:43:23 | 見たもの(Webサイト・TV)
○ジョン・ウー(呉宇森)監督・脚本『レッドクリフ PartI』

http://redcliff.jp/index.html(※音が出ます)

 公開から5週連続で興行収入1位を記録した大ヒット作品(日本人って「三国志」好きだなあ)。そろそろ混雑も収まった頃だろうと思って、見に行った。全編の8、9割は、文字通りの「アクション」である。演技も物語もあったものじゃない。役者はひたすら肉体を賭して激しく動きまわる。馬を駆り、走り、跳び、槍や長剣を振りまわす。主役も脇役も、その他大勢も。ポリシーは単純明快だが、鍛え抜かれた運動選手の競技を見ているようなもので、意外と飽きない。カメラも、特殊効果も、その「見せ方」をよく知っている。

 中でも板についたアクションを見せてくれたのは、蜀の武将・趙雲を演じる胡軍(フー・ジュン)。私は「三国志」では趙雲のファンであり、同時に胡軍という俳優さんのファンでもあるので、彼の華のあるアクションを大画面で見られるだけでかなり幸せだった。むしろ、関羽・張飛の活躍場面は余計じゃないかと思ったが、やっぱり「三国志」を描いて、この2名を省略するわけにはいかないんだろうなあ。

 諸葛孔明役の金城武もいい。癖のある面構え揃いの俳優陣の中で、ひとり奇跡的な爽やかさを保っている。本格的な活躍はPart2にお預けのようだが、今から楽しみ。面構えでいうと、中村獅童って群を抜いて悪人顔だなあ、と思ってしまった。

 いちおう、主題としては、蜀の劉備と呉の孫権の同盟(周瑜と孔明の友情?)に対して、信じる者を持たない曹操の対比が描かれるらしい。ただし、この点もPart1では前フリ程度。全てはPart2を見てからということになりそうだ。

 それにしても感心するのは、1800年前の出来事を「それらしく」視覚的に再現する想像力と構想力。船のかたち、兵士の衣装など、どのくらい実証的なのか分からないが、今後「赤壁の戦い」と聞いたら、この映画を思い浮かべずにはいられないだろう。

■赤壁:決戦天下(Red Cliff II)(中国語・公式サイト※音が出ます)
http://th.foxmovies.com.tw/redcliff/
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ニュース・若冲の「象鯨図屏風」発見

2008-12-20 18:01:30 | 見たもの(Webサイト・TV)
■YOMIURI ONLINE:伊藤若冲の大作「象鯨図屏風」、北陸の旧家で見つかる(2008/12/20)
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20081220-OYO1T00434.htm?from=main2

 夕方、ふと眠気覚ましにニュースサイトを見に行って、びっくりした。何ですと!!! 若冲の大作屏風が北陸地方の旧家で見つかったのだという。写真のキャプションに「20日午前11時5分、滋賀県甲賀市のMIHO MUSEUM(※鑑定を行ったらしい)」とあるから、まだ発表から12時間も経っていない。日本美術ファンには、早めのクリスマスプレゼントみたいなビッグニュースである。

 長い鼻をゆらりと振り上げた、細い目の白象の横顔には、はっきりした見覚えがある。先日、『朝鮮王朝の絵画と日本』展で見た、升目描きの「白象群獣図」に非常によく似ているのだ(→画像はこちら)。若冲に鯨を描いた例はあったかしら...と思って検索してみたら、これまでも時々お世話になっているTakさんのサイト「弐代目・青い日記帳」がヒット。え?と思ったら、まさにこの屏風のことで(鯨の構図がちょっと異なるような気もするが…?)「昭和3年に大阪美術倶楽部で3100円という値がつけられたきり何処へ行ったのか消息不明だそうです」というコメントが添えられている。「ゾウとクジラが観たい」って、願えば叶うものなんですねえ。

■産経関西:季節の風景を墨だけで表現、智積院に新たな襖絵「四季墨絵」(2008/10/07)
http://www.sankei-kansai.com/2008/10/07/20081007-002832.html

 美術つながりで、やや旧聞に属するニュースをもうひとつ。日本画家で東京芸術大副学長の田渕俊夫さんが、水墨の襖絵60面を京都・智積院の講堂に奉納したというもの。もう長いことお会いしていないが、田渕先生は、私にとって「絵を教えてくれた、近所のお兄ちゃん」なのである。来春、各地を巡回する展覧会、ぜひ見に行きたいと思う。
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「断絶」前後/昭和のエートス(内田樹)

2008-12-19 23:30:08 | 読んだもの(書籍)
○内田樹『昭和のエートス』 バジリコ 2008.12

 先月だったか、神田の三省堂に「今月は内田樹月間です!」というポップが立っていた。そう言いたくなるくらい、矢継ぎ早な著作の刊行。そろそろ二番煎じ・三番煎じの印象が先に立つのではないかと思うのに、読んでみると新しい発見があって、引き込まれてしまう。

 本書は、冒頭の「私的昭和人論」が出色。「昭和人」とは「昭和という時代を作り出し、生きた人」のことである、と考える著者は、それを1910年(明治43年)から1935年(昭和10年)生まれの世代に置く。つまり、35歳から10歳の間のどこかで敗戦を迎えた人々である。彼らは「真ん中でぽっきり折れた」人生を抱え込むようにして戦後社会を生き抜いた。

 丸山真男や加藤周一のように、大日本帝国の存在を批判的・懐疑的に観察していた人々にとっては、敗戦は「断絶」ではなかった。この観察は鋭い。著者の考える「昭和人」とは、「断絶以前」の自分と「断絶以後」の自分の不整合に苦しみ、恥じ入り続けた人々である。けれども、21世紀の今日、日本は太古から現在まで「のっぺりした連続性のうちにある」という国家観に、国民の過半が同意することで、「昭和人」の時代は終わりを告げようとしている。

 私の両親は昭和ヒトケタ生まれなので、上記の定義に従えば「昭和人」の最後の世代に入る。けれども、私が物心つく頃は、高度経済成長の荒波に揉まれて、社会や家庭のありかたが大きく変わり始めていて、私は、著者がその父(明治45年生まれ)から影響を受けたほどには、「昭和のエートス」を学ぶことはなかった。それでも「昭和的なもの」の記憶は、かすかに残っている。また、その「暖かい、緩やかな気分」の表裏をなしていた「昭和人」の葛藤と絶望の深さを、初めて知ったように思った。そして、この「昭和人」の特性は、同じように明治維新という「断絶」を超えて生きた「明治人」に通じるのではないか、という指摘を面白いと思う。

 他にもいろいろ心に残る一篇があったが省略。読んでいて疲れず、美酒というより、美味しい天然水のように、しみじみと体内に染みわたり、明日の活力となるエッセイ集である。文体が好きなんだなあ、私は。内田先生は「おじさん」を標榜しているけれど、えらぶらない文体は「おばさん」的で、包み込むような母性を感じるのである。
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