○筒井淳也『仕事と家族:日本はなぜ働きづらく、産みにくいのか』(中公新書) 中央公論新社 2015.5
特に話題になった記憶がないのだが、非常に面白かった。歴史的視点と国際比較を踏まえて、日本の「仕事と家庭のありかた」を論じ、今後進むべき道を考えた著作である。
18世紀のイギリスに始まった「工業化」の進展によって、第二次大戦後には「男は家から離れた職場で賃労働をし、女は家庭のことに責任を持つ」という性別分業体制が各国で一般化した。しかし、1970年代以降、景気の減速による税収の落ち込みを背景に、先進国の間でも国のかたちの多様性が目立つようになる。
スウェーデンは戦前からの高福祉・高負担の路線を維持する方針が堅持された。政府はケアワーク等の社会サービスを提供するために女性を大量に雇用し、女性を(自分の家族の)育児・介護から解放した。これによってスウェーデンは「男女ともによく働くが、男女が別々の場所で働く(男性=民間企業、女性=公的機関)国」になった。アメリカは市場メカニズムを活性化することで失業に対処した。長期の育児休業制度が保障されていないため、女性には厳しい環境だが、雇用主は女性を雇いやすい。この結果、アメリカは「男女ともよく働くが、格差が大きい国」になった。
日本は、まだ自営業や農業に労働力を吸収する余地があったことと、企業内部の労働調整(配置転換、賃下げ)によって失業率が抑制され、性別分業体制が維持された。しかし、外部労働市場が、正規雇用の夫を持つ「主婦パート」(=自立して食べていけない人)のためのものになってしまったことは、のちの日本社会に深刻な影響を及ぼす。
国際調査によれば、雇用労働に参加する女性が増えることは出生率に対して基本的にネガティブな効果を持つ。しかし、スウェーデンでは公的両立支援制度の影響、アメリカでは民間企業主導の柔軟な働き方の影響で、女性が賃労働と子育てを両立しやすくなると、この関係は反転する。経済の不調によって男性雇用が不安定化する中で、「共働き」が合理的戦略となると、カップルの形成が進み、出生率も上がる。ただし、この前提には、女性がそれなりに高い賃金で長く仕事を続けられる見込みがなくてはならない。日本のように、子育て後にパートで再就労するのでは問題解決にならないし、出産前後と乳幼児期のみを想定した両立支援策では効果が期待できない。私は自分で体験したわけではないけど、本当にそのとおりだと思った。
女性の社会進出(労働力参加)は重要である。なぜなら、日本は高齢化社会に突入しつつあるわけだから、社会福祉の充実には、税と社会保険料を負担してくれる有償労働者を増やさなければならない。ボランティアや家事などの無償労働では駄目なのだ。これはすごく分かりやすい。女性が輝くナントカ社会みたいなお題目より、ずっと納得がいく。そして女性の就労拡大と同時に、少子化を克服するには、正しい「共働き社会」を目指さなければならない。そのためには、働く女性を支援すると同時に、職務内容、勤務地、労働時間の無限定を受け入れて来た男性の「日本的な働きかた」を変えていく必要がある。ここは大きく同意。
これまで家庭が担って来たケアワーク(介護、育児)が全面的に外部化されることは不可能だろう。しかし「福祉の外部化が家族の崩壊を招く」という主張が全くの杞憂であることを、本書はスウェーデンを例にあげて説明している。「家族重視」の政策が、家族の責任を重くすることで、結果的に人々を家族から離れさせている、という本書の主張を聴くべきだと思った。
あと、家事負担の平等化が進まないことについて「日本では男性も女性も家事に対する希望水準が諸外国に比べて高い」という指摘は、目からウロコだった。欧米では日本ほど手の込んだ食事を出さなくてもいいと考えられているため(冷凍食品を温めて出すだけでもいいらしい)、男性が食事の準備を分担する率が高いのだそうだ。傾向として、プロテスタントが強い社会ほど食事が質素である、なども、家事分担の国際比較を見るときに、あまり考えたことのない視点で面白かった。
それから、女性の労働力参加が、「男女平等」に目覚めた人々の運動の結果、法制度が整えられることでもたらされたという考え方を本書は取らない。むしろ、構造的要因(産業構造の変化)によって引き起こされたというのが専門家の理解だという。このあたりの、拍子抜けするくらい淡々とした記述もとてもよい。しかし、仕事と家庭のありかたについて、学術的にはこれだけきちんとした分析が行われているのに、どうして政策決定の場では、相変わらず主観と感情に基づく議論が横行しているのだろう。
特に話題になった記憶がないのだが、非常に面白かった。歴史的視点と国際比較を踏まえて、日本の「仕事と家庭のありかた」を論じ、今後進むべき道を考えた著作である。
18世紀のイギリスに始まった「工業化」の進展によって、第二次大戦後には「男は家から離れた職場で賃労働をし、女は家庭のことに責任を持つ」という性別分業体制が各国で一般化した。しかし、1970年代以降、景気の減速による税収の落ち込みを背景に、先進国の間でも国のかたちの多様性が目立つようになる。
スウェーデンは戦前からの高福祉・高負担の路線を維持する方針が堅持された。政府はケアワーク等の社会サービスを提供するために女性を大量に雇用し、女性を(自分の家族の)育児・介護から解放した。これによってスウェーデンは「男女ともによく働くが、男女が別々の場所で働く(男性=民間企業、女性=公的機関)国」になった。アメリカは市場メカニズムを活性化することで失業に対処した。長期の育児休業制度が保障されていないため、女性には厳しい環境だが、雇用主は女性を雇いやすい。この結果、アメリカは「男女ともよく働くが、格差が大きい国」になった。
日本は、まだ自営業や農業に労働力を吸収する余地があったことと、企業内部の労働調整(配置転換、賃下げ)によって失業率が抑制され、性別分業体制が維持された。しかし、外部労働市場が、正規雇用の夫を持つ「主婦パート」(=自立して食べていけない人)のためのものになってしまったことは、のちの日本社会に深刻な影響を及ぼす。
国際調査によれば、雇用労働に参加する女性が増えることは出生率に対して基本的にネガティブな効果を持つ。しかし、スウェーデンでは公的両立支援制度の影響、アメリカでは民間企業主導の柔軟な働き方の影響で、女性が賃労働と子育てを両立しやすくなると、この関係は反転する。経済の不調によって男性雇用が不安定化する中で、「共働き」が合理的戦略となると、カップルの形成が進み、出生率も上がる。ただし、この前提には、女性がそれなりに高い賃金で長く仕事を続けられる見込みがなくてはならない。日本のように、子育て後にパートで再就労するのでは問題解決にならないし、出産前後と乳幼児期のみを想定した両立支援策では効果が期待できない。私は自分で体験したわけではないけど、本当にそのとおりだと思った。
女性の社会進出(労働力参加)は重要である。なぜなら、日本は高齢化社会に突入しつつあるわけだから、社会福祉の充実には、税と社会保険料を負担してくれる有償労働者を増やさなければならない。ボランティアや家事などの無償労働では駄目なのだ。これはすごく分かりやすい。女性が輝くナントカ社会みたいなお題目より、ずっと納得がいく。そして女性の就労拡大と同時に、少子化を克服するには、正しい「共働き社会」を目指さなければならない。そのためには、働く女性を支援すると同時に、職務内容、勤務地、労働時間の無限定を受け入れて来た男性の「日本的な働きかた」を変えていく必要がある。ここは大きく同意。
これまで家庭が担って来たケアワーク(介護、育児)が全面的に外部化されることは不可能だろう。しかし「福祉の外部化が家族の崩壊を招く」という主張が全くの杞憂であることを、本書はスウェーデンを例にあげて説明している。「家族重視」の政策が、家族の責任を重くすることで、結果的に人々を家族から離れさせている、という本書の主張を聴くべきだと思った。
あと、家事負担の平等化が進まないことについて「日本では男性も女性も家事に対する希望水準が諸外国に比べて高い」という指摘は、目からウロコだった。欧米では日本ほど手の込んだ食事を出さなくてもいいと考えられているため(冷凍食品を温めて出すだけでもいいらしい)、男性が食事の準備を分担する率が高いのだそうだ。傾向として、プロテスタントが強い社会ほど食事が質素である、なども、家事分担の国際比較を見るときに、あまり考えたことのない視点で面白かった。
それから、女性の労働力参加が、「男女平等」に目覚めた人々の運動の結果、法制度が整えられることでもたらされたという考え方を本書は取らない。むしろ、構造的要因(産業構造の変化)によって引き起こされたというのが専門家の理解だという。このあたりの、拍子抜けするくらい淡々とした記述もとてもよい。しかし、仕事と家庭のありかたについて、学術的にはこれだけきちんとした分析が行われているのに、どうして政策決定の場では、相変わらず主観と感情に基づく議論が横行しているのだろう。