見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2019・眼鏡をつくる

2019-01-31 22:29:12 | 日常生活
 眼鏡は3種類持っていた。一番上が一番古い。2008年の夏につくった、初めての老眼鏡。どこの眼鏡屋でつくったかは記憶にない。当時は埼玉に住んでいたが、たぶん東京の眼鏡屋ではないかと思う。私の持ちものとしては珍しく、COACHのブランド品。とても相性がよくて、今でも毎日、家に帰ると掛けている。



 真ん中は、たぶん2013年、札幌でつくった中近(中距離・近距離)両用眼鏡。当時は、職場では主に近眼鏡、自宅では老眼鏡を掛けていたのだが、だんだん辛くなったので、職場用につくった。これもずっと使ってきた。

 一番下は、遠くを見るための近眼鏡。映画や芝居を見るときに掛ける。職場でも必要になったら掛けようと思い、いつもカバンに入れているのだが、中近両用で事足りてしまうので、普段はめったに掛けない。2016年の正月につくった。その前に作り直したばかりの近眼鏡を電車の中で紛失してしまい、慌てて作ったのである。

 この3点を使い分けていたが、一番よく使う中近両用で、小さい文字が読みにくくなってきた。そろそろ作り替えの時期かなあと思い、眼鏡屋に行った。眼鏡屋なんてどこでもいいと思っていたが、札幌でも使った「富士メガネ」にした。北海道の友人たちが「眼鏡をつくるなら富士メガネ」と口を揃えて言っていたお店で、実際、感じがよかった。「東京の大手町にもありますよ」と言われたことを覚えていたので、探して行ってみた。

 そうしたら、まず、古い中近両用眼鏡の蔓が歪んでいるのを調整してくれた。すると驚くほど見るのが楽になった。これなら作り直さなくてもいいかと思ったが、せっかくなので新しい中近両用を作った。久しぶりに検査をしたら「近視が弱くなっている」と言われた。「中近両用と近眼鏡とで効果に差がない」と言われて納得した。でも左右の視力の差が開いているとも言われた。右目を大事にしなくちゃ。



 今まで使ったことのない軽いフレーム。新しい材料なのだろう。蔓のデザインに特徴があるのは、触って、どのメガネをかけているか確かめる習慣があるためである。安くはなかったけど、よい買い物で満足。大事にしたい。
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父は伊吹大明神/酒呑童子絵巻(根津美術館)

2019-01-29 22:57:06 | 行ったもの(美術館・見仏)
根津美術館 企画展『酒呑童子絵巻 鬼退治のものがたり』(2019年1月10日~2月17日)

 同館が所蔵する3種類の「酒呑童子絵巻」を展示する。はじめに基本情報を確認すると、この物語は、童子の住処を丹波国大江山とする「大江山系」と近江国伊吹山とする「伊吹山系」に二分される。ただしWikiによると、この分類法には異論・慎重論もあるそうだ。 最も古い稿本は逸翁美術館所蔵本(下総香取神社の大宮司家旧蔵、14世紀)で「大江山系」。一方、根津美術館が所蔵する3種類は全て「伊吹山系」である。

 作品番号1の『酒呑童子絵巻』は室町時代(16世紀)の成立。素朴だが力強い絵柄でとても魅力的。色数は少なく、墨のほか、よく使われているのは赤・茶・緑。酒呑童子の住み家の床は、絵巻の伝統に従い「異郷」を表す青と白の市松模様だった。登場人物は顔が大きく(表情が分かりやすい)五等身くらい。山伏姿の武士たちが、お河童のようなざんばら髪なのが、後代の絵巻と違っていた。

 次に作品番号3の『酒呑童子絵巻』(住吉弘尚筆、8巻、19世紀)に従って、物語の筋をゆっくり紹介していく。冒頭が古代神話で、スサノオの八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治から始まることに驚いた。戦いに敗れたオロチは伊吹山に逃れて、伊吹大明神として鎮まる。あるとき、近江の郡司・須川氏は娘のもとに不思議な男が通っていることに気づく。男は自分が伊吹明神であることを告げ、娘の産んだ男子を郡司のもとに残して、娘を連れて去る。

 童子は3歳から酒を好んだため、禁酒させるため、比叡山の伝教大師に預けられる(最澄もたいへんだなあ…)。あるとき、宮中で祝い事があり、各寺院に踊りを奉ることが命じられられた。童子は「鬼踊り」を提案し、ひとりで多種多様な鬼の面を作り上げる。祝い事の当日、比叡山の人々は仮面を被って「宝物を献じる蓬莱の鬼たち」を演じた。この場面、華やかで素敵。見物の人々も目を細めて楽しそうだ。「鬼」は恐ろしいけれど、蓬莱に住み、きれいな衣装を着て(※ふんどし一丁ではない)人々に富と幸福をもたらす、憧れの存在でもあったことが分かる。

 しかし、踊りの後、振舞い酒を飲み過ぎた童子は、酔っ払って狼藉を働き、魔境に落ちてしまう。比叡山を追われて千丈ヶ嶽(大江山?)に住み着き、伝教大師の在世中はおとなしく過ごしていたが、三百年後、一条天皇の御代になると、都の女性をさらうなど悪事を働くようになる。以下、同じ作品が展示室2に続くのだが、私は展示室1内で次の作品に移った(どちらから見てもよいと思う)。

 作品番号2の『酒呑童子絵巻』(3巻、17世紀)は、3種類の中で最も色鮮やかで描写も優れたもの。「伝・狩野山楽筆」といわれているが、パネルの解説には「特定できないが、狩野派の名のある画家」と表現されていた。展示は、源頼光一行が案内された鬼の住み家の「四季の庭」の場面から。藤、卯の花、萩、紅葉、雪景色。嵐の前の静けさのような美しく平和な花鳥風景。次の巻は一転して、魁偉な赤裸をさらす酒呑童子に襲いかかる武士たち。胴体から斬り放された首が、垂直に飛び上がる描写がすごい。武士たちの刀の構え方、腰の落とし方、それから金地の床を汚す血の量も、妙にリアルな感じがする。

 感心しながら展示室2に入ると、作品番号3『酒呑童子絵巻』(住吉弘尚筆)の続きが待っていた。こちらは、大勢の鬼たちが頼光たちを出迎える。鬼たち、日本の鎧(胴丸)をつけた者もいれば、中国っぽい被り物をしたり武器を持っている者もいて、その混ざり具合が倭寇っぽい。酒呑童子はもてなしの酒の肴に人の足を出してみるが、頼光たちが平然とスライスして食ってしまうので興ざめする(武士すごい…)。そして多くの女性をかしずかせて巨体を横たえる醜悪な図。寝入ったところを頼光たちが襲撃する。この作品では、斬り放された首は、意志あるように前方の頼光を狙って飛び上がっており、だいぶ物語的な脚色を感じる。

 どの作品も個性があって面白かった。酒呑童子の生い立ちを知ると、なんだか同情が湧く。酒に弱いのはやっぱり絵巻は、通して見るのが面白いのだが、こういう機会が少ないのは残念である。早く電子化されて、ダミーでいいから自由に見ることができるようになるといいのに。

 展示室3は、この季節にふさわしく『百椿図』だったが、その中に林羅山の漢詩「酒呑童子」があるのを見つけてニッコリしてしまった。展示室4は「初釜」。床の間に光悦の消息が掛かっていて、それだけ?と思ったら、左の柱に瓢花入(銘:狙公)が張り付いていた。あんなふうに飾るのか。
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主役も悪役も女たち/文楽・伽羅先代萩、他

2019-01-28 23:27:52 | 行ったもの2(講演・公演)
国立文楽劇場 平成31年初春文楽公演 第1部(1月13日、11:00~)

 今年も大阪で新春文楽を見てきた。記事を書くのをぐずぐずしていたら、25日で千穐楽を迎えてしまったけど、とりあえず。今年は松の内を過ぎてからの鑑賞だったので、もう正月の雰囲気はないかと思ったら、ちゃんとロビーにお供え餅とにらみ鯛が飾られていた。



 舞台の上に掲げられる干支の文字、今年は大凧に「亥」で奈良・壺阪寺の常盤勝範住職の揮毫。演目にちなんだのだろうか。



・『二人禿(ににんかむろ)』

 京の遊郭・島原の街角で、大きな花かんざし、赤い振袖姿の二人の禿が他愛ないおしゃべり。羽根つきや手毬に興じる。この手毬唄が「京でいちばん糸屋の娘、二番よいのは人形屋の娘」という歌詞で、よくある定型的な数え歌なのだろうが、つい横溝正史の『悪魔の手毬唄』を思い出してしまった。

・『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)・竹の間の段/御殿の段/政岡忠義の段』

 有名な演目だが見るのは初めて。伊達家の家督を継いだのは幼い鶴喜代君。乳母の政岡は、御家乗っ取りを企む悪人たちから必死で若君を守っている。男性の面会は一切禁じていたのだが、八汐(悪い家臣の妻)は女医の小巻を連れてきて鶴喜代君の脈をとらせる。すると、いったんは死脈という見立てが、座を変えると何事もない。突然、八汐が長刀で天井を突くと、賊が落ちてきて「政岡に若君の殺害をたのまれた」と述懐する。全ては邪魔者・政岡を陥れようとする八汐の計略だったが、沖の井(別の家臣の妻)に不審な点を指摘され、失敗する。

 人々が去ると、政岡は自ら飯を炊いて、若君・鶴喜代と我が子の千松に食べさせようとする。そこに現れたのは、御家乗っ取りに加担する梶原景時の妻・栄御前。ちなみに配役は政岡を吉田和生、八汐を桐竹勘寿、沖の井を吉田文昇と手堅い布陣だったが、悪役の親玉みたいな栄御前を吉田蓑助さんでびっくりした。栄御前は、頼朝公より下された菓子を持参し、鶴喜代君に勧める。そこへ駆け寄った千松が菓子を奪って一口に食べてしまうと、毒にあたって息絶える。驚く人々。しかし政岡は平静さを崩さない。これは千松と鶴喜代君を取り換えていたからに違いないと邪推して、陰謀を打ち明けて去る栄御前。真相を知った沖の井は八汐に白状を迫り、政岡は我が子の仇・八汐を討つ。しかし、とりあえず栄御前は逃げおおせるのだな、このあとの展開は知らないけど。

 床は、織太夫・団七/千歳太夫・富助/咲太夫・燕三のリレーの予定だったが、病気の咲太夫さんの分を織太夫さんが代役。全編の半分以上を織太夫さんの熱演で聴いた。陰惨な話なのだが、三味線が華やかでわくわくした。登場人物のほとんどが女性というのも珍しい演目だと思った。

・『壺阪観音霊験記(つぼさかかんのんれいげんき)・土佐町松原の段/沢市内より山の段』

 これも有名な演目だが初めて。今期の公演は、第2部(冥途の飛脚/壇浦兜軍記)のほうが華やかで人気があるだろうなあと思いながら、敢えて見たことのない第1部を選んだ。沢市とお里は、人も羨む仲良し夫婦。お里は、疱瘡で目が見えなくなってしまった沢市をいたわり、針仕事で世帯を賄っている。沢市は、お里が毎晩、明け方に家を出ていくことを不審に思っていたが、実は壺阪観音へ夫の眼病平癒のお参りをしていたと分かる。

 そこで二人揃って壺阪寺へ。沢市は寺籠りして祈願するので、三日経ったら迎えにきてくれとお里に頼む。お里を去らせて、その間に谷底に身を投げて死のうという決意。戻ってきたお里は、谷底に夫の亡骸を見つけて、後を追って自分も身を投げる。すると谷底に気高く美しい観音様(娘の頭だった)が姿を現し、お里の信心と功徳によって二人の寿命を延ばすと告げる。夢から覚めたように二人が起き上がると、沢市の目が開いていた。

 本作は古い観音利生譚に取材しているが、明治時代に書かれた浄瑠璃だけあって、登場人物の気持ちが分かりやすい。沢市が、お里の行動を疑い、ほかに好きな男がいるのではないかと悩むところとか、目の見えない自分は妻の重荷だからと死を決意するところとか、古いようで、近代の感性だと思う。「沢市内より山の段」の奥は鶴澤清治さんの三味線を堪能した。満足。と言っているうちに、今週末は東京の文楽公演の初日である。忙しい。

 なお本公演のプログラム「技芸員にきく」には桐竹勘十郎さんが登場。今年は父(二代桐竹勘十郎)が亡くなった時と同じ66歳になられるそうで、新年の抱負は「真面目に」。それを過ぎたら来年は「自由に」とおっしゃっている。何をなさるおつもりか、今から来年が楽しみ。「勘十郎を襲名してからは、15年が経ちました。ちゃんと勘十郎になれてるんでしょうか(笑)」というのも、よい述懐だなあ。それから毎回、楽しんできた連載企画「文楽入門・ある古書店主と大学生の会話」は今回で連載終了だという。いつも楽しみにしていたので残念! 大阪市立大学の久保裕朗先生、ありがとうございました。計16回分(4年分かな)ぜひ本にまとめるか、ウェブに載せて残してほしいなあ。
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「はね能」の面白さ/田峯と西浦の田楽(国立劇場)

2019-01-26 22:41:33 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 第133回民俗芸能公演『春むかえ 田峯と西浦の田楽』(2019年1月26日)

【1時の部】田峯田楽

 2019年新春の民俗芸能公演は、重要無形民俗文化財に指定されている2つの田楽を紹介する。どちらも観音修正会の結願に江戸時代から行われてきたもの。どちらも三遠信(三河・遠州・信濃)の県境の山間部に伝わったもの。この地域に大きな影響力を持っていたのが、名刹・鳳来寺である。ん?どこかで聞いた名前と思ったら、『おんな城主直虎』で虎松(のちの井伊直政)が預けられた寺だ。行ってみたかったけれど、奥地すぎてあきらめたところ。

 田峯(だみね)田楽は愛知県北設楽郡設楽町に伝わり、谷高山高勝寺に奉納されるもので、「昼田楽」「夜田楽」「朝田楽」の三部構成になっている。公演では、幕が上がると車座に座る10人ほどの田楽衆。烏帽子に白い水干姿の禰宜のおじさんが祝詞を奏上し「開扉」を告げると、一同が客席に向かって平伏する。ギギギという効果音が入って、観音像が安置されている厨子の扉が開いたという設定。

 禰宜のおじさんが、おそらく田峯田楽保存会の会長さんで、以下、この方の解説で進んだ。「昼田楽」の「扇の舞」「万歳楽」「仏の舞」は短い舞を数人が入れ替わりに舞って(本来は田楽衆全員が舞う)場を清める。使われている楽器は主に鉦、太鼓、笛。

 「夜田楽」は稲づくりの工程を舞で表現する。「日選び」「堰さらい」「田打ち」「籾蒔き」と続く。作業が終わった舞手は禰宜さんと短い会話をして下がる。このとき、多少のアドリブが入ったりして、観客の笑いを誘う。次の「おしずめよなどう」(何語だ?)は朱色の装束の羽織さん(と呼ばれるが羽織は着ていない)が登場して、長文の祝詞を奏上する。次に「鳥追い」は、ひとりだけ柄物の直垂(?)姿の鳥追いさんが鼓を打ちながら謡う。「あれはたが(誰が)鳥追」「〇〇の鳥追」という掛け合いのような詞章が面白かった。「普賢菩薩の鳥追」とか「地頭どんの鳥追」とか応じるのである。さらに「柴刈り」「代掻き」「大足」「雇人」と進んで休憩。

 休憩開けは「田植」で、田楽衆全員が立って太鼓を囲み田歌をうたっていると、子守が木の枝などに着物を着せた「ねんね様」(本尊十一面観音の子供)を背負って現われ、ねんね様に食事を差し上げる。舞台転換があって「夜田楽」。舞台に小さな焚火が点る(もちろん造り物だが雰囲気がある)。「庭固め」「火伏せ」「ちらし棒」「ふけらかし」(見せびらかせしの意)「あたま惣田楽・から輪田楽」(左、右、と声をかけながら腰をかがめて歩く)「殿面」「翁面」「駒」「獅子」(三人が入る獅子舞)と続き、「閉扉」で終わった。全体にほのぼのした雰囲気だった。お年を召した方が多く、お疲れ様でした。

【4時の部】西浦田楽

 静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家の所能観音堂で開催される。その内容は中世の祭礼の姿をよく伝えるとされ、折口信夫も調査に訪れているそうだ。また現在でも15軒の「能衆」がこの祭りを世襲で受け継いでいるというのにも驚いた。幕が上がると、舞台上手には大きな焚火(の造り物)。奥に演台。下手には満月が掛かっている。三角形の烏帽子を被った男たちが客席に背を向けて輪をつくっており「庭ならし」を謡うところから始まる。西浦田楽の公演は、特に説明なしで進行した。

 舞台奥の演台に数人が陣取る。台に上がって太鼓を叩く役が2名。腰かけて笛を吹く役が数名。なぜか中央に座って、ときどき台本?を見ているおじさんがいた。そういう役回りなのだろうか。舞は「御子舞」「高足」「高足のもどき」「麦つき」「水口」と続く。舞手の年齢層が若いためか、わりと動きが早い。もっとも「高足のもどき」では白髪のおじさんが頑張っていた。「鳥追い」は4人の舞手が2本の棒のような簓(ささら)を擦りながら舞う。歌声は舞台外から流していたように思う。やはり「これはだが(誰が)鳥追」「天月日の鳥追」「鎌倉どんの鳥追」という掛け合いがあり、田畑を荒らす鳥や獣を憎んで、はるか遠くへ追い払おうとする。しかし、どこか哀愁を感じる旋律だった。次に「惣とめ」。前半は簓を擦りながらの2人舞。後半は面をつけた観音の化身が登場。「禰宜禰宜なんだらよ」という章句を繰り返して、さまざまな神々を召喚する。ここで休憩。

 休憩開けは「田楽舞」から。はじめ4人の田楽衆が、やがてもっと人数が増え、編木(びんざさら)を鳴らして輪になって舞う。田楽にしてはテンポの早い、切れのある舞。次の1人舞「のたさま」も大きく手足を振り回して舞う。ここまでが「地能」で、以下「はね能」と呼ばれるジャンルに入る。事前にプログラム(来場者全員に無料配布!)でこの言葉を見てもピンとこなかったのだが、実演を見て理解した。「しんたい」「梅花」「猩々」と続くのだが、所作がすごくアクティブなのだ。手足をピンと跳ね上げたり、クルっとまわったりする。ちょっと京劇みたいだ。それなのに、舞に挟まれる謡の詞章は全く古典的なのだ。たとえば「しんたい」の冒頭は「げに名を得たる松がよの、老木に昔顕はして」である。これ「高砂」そのままじゃないか。しかし旋律が絶妙に変。少なくとも、素人が考える「いかにも古典芸能」的な旋律とは大いに異質なものを感じて、とても面白かった。最後は「弁慶」(五条大橋の牛若と弁慶の所作事)で終了。よい体験をさせてもらった。
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世界をめぐる多様性(ダイバーシティ)/染付(出光美術館)

2019-01-23 23:12:07 | 行ったもの(美術館・見仏)
出光美術館 『染付-世界に花咲く青のうつわ』(2019年1月12日~3月24日)

 白地に青でさまざまな文様を描くやきもの「染付」。この展覧会では、染付・藍彩など複数の技法におよぶ「青いやきもの」を視野に入れ、世界規模の多様性(ダイバーシティ)を示す。

 「染付」といえば日本、せいぜいその先蹤である中国の「青花」をカバーするくらいかと思っていたら、シリアやイランのやきものが出ているという噂を聞いて、ちょっと驚いた。会場では、冒頭に古代(紀元前)から近代(19世紀)までのオリエント(西アジア)世界の「青」の品々、やきもの、タイル、ガラス製品などが並ぶ。青色ガラスの香油瓶やガラス碗、白色ガラスや銀?のマーブル模様が宇宙の深淵のようで美しい。昨年のMIHOミュージアム夏季特別展『赤と青のひみつ』でも、オリエントの青に魅了されたことを思い出す。青を基調に人物やスフィンクスを描いた、イランの色絵皿(12-13世紀)も見た。ゆるい民画調でかわいかった。

 中国では14世紀の元時代に青のやきもの「青花」が完成するが、その背景には「色目人」と呼ばれた西アジアの人々の活躍があったと言われる。ここでは、西アジアの金属器の形にルーツを持つと思われる青花磁器を集中的に展示。積極外交政策をとった明・永楽帝の時代には、海外の王侯への贈答品に青花磁器が使われた。直径が60センチを超える青花の大皿は、イランなどに類品が見られるそうだ。こうした大皿は、本来は中国の食習慣には存在せず、車座になって大皿を囲む西アジアの宴会を想定したものだという。この話は、根津美術館の『やきもの勉強会 食を彩った大皿と小皿』でも聞いた。確かに中国の歴史ドラマを見ていると、宮廷などの宴会では一人一卓で食事をしている描写が多い。

 中国の各時代の官窯の特徴は、なかなか覚えられないので、何度でも書いておく。永楽帝時代の白磁は「甜白」という美称を献じられた。確かに白が美しいので青が映える。宣徳帝時代は、濃く鮮やかな発色の青花。次の成化帝時代(あわせて宣成と呼ぶ)は淡い色の絵付け、繊細で上品。成化帝の寵妃・萬貴妃とその周辺の好みの反映であるともいう。

 一方、明末に景徳鎮の民窯でつくられたのが「古染付」。これらも大好きだ。コロボックルみたいな『周茂叔文皿』に笑った。『梅鶯文皿』や『葡萄棚水指』も好き。官窯の徹底した品質管理と民窯のゆるさ、ふたつ合わせて中国文化だと思う。面白かったのは清・雍正年間につくられた『青花瓜文鉢』で、永楽帝時代の青花を模倣したもの。明の青花は、しばしば顔料に滲みを生じたが、清朝官窯の技術水準では、完全に滲みを駆逐していた。にもかかわらず、この作品では「明の青花らしさ」を徹底するため、点描で滲みを模しているという。これもまた中国らしい。朝鮮、ベトナムの染付を眺めて日本へ。伊万里や京焼のほかに、板谷波山が焼いた青系のやきものもあった。『彩磁印甸亞文花瓶』はネイティブ・アメリカンの土器文様に触発されて動物を描いたもの。かわいい。

 それから、中国の「豆彩」と日本の「鍋島」を中心に、染付に色を加えたやきものの見方(見え方)を考えるセクションも面白かった。中国の『豆彩牡丹唐草文柑子口瓶』や鍋島の『色絵更紗文皿』は、多様な色彩を精緻な文様に沿って配置しているのだが、あまり細部を見ようとせず、少し離れてぼんやりした気持ちで眺めると、使われていない中間色の色彩が見えてくる。青花の地に紅や臙脂紅で文様(龍など)を載せたものも、空間の奥行きが感じられないでもない。

 最後に「旅する染付」は私の大好きな主題。日本からの注文にしたがって景徳鎮でつくられたうつわ、日本や中国から輸出され、欧州で写されたうつわ。中には、愉しい誤解や不思議な雰囲気を生み出したものもある。私は、特に山水楼閣図の「伝言ゲーム」が好き。世界のどこにもないユートピアの雰囲気が感じられる。欧州だけでなく、イランやシリア(16世紀)にも、東アジアの染付とよく似た白と青のうつわがあることを初めて知った。ぐるぐる円環する模倣と影響の中で生み出される美。「対立と分断が世界に広がるこの時代だからこそ、やきものという世界規模の文化が語るものに注目します」という企画者のことばに共感した。
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『祭姪文稿』を初めて見る/顔真卿(東京国立博物館)

2019-01-22 23:58:46 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 特別展『顔真卿 王羲之を超えた名筆』(2019年1月16日~2月24日)

 唐代の書が果たした役割を検証する展覧会。日本初公開の「天下の劇跡」(これはこの展覧会のために東博が造った言葉だろうか?)『祭姪文稿』(台北・國立故宮博物院)が最大の呼びものになっているため、顔真卿(709–785)の名前を冠しているが、実はもっと広い視野で国内外の書の名品を集めて展示している。

 何しろ展示は書体の歴史から始まる。殷の甲骨文と西周の金石文。篆書から隷書、楷書、さらに草書、行書が登場する。律儀な観客は展示ケースに張り付いていたけれど、これは顔真卿まで長いぞ、と思って、最初は適当に飛ばす。しかし王羲之の『定式蘭亭序』(犬養本)や『十七帖』(上野本、京博)はなるべく近寄って見ていく。隋代の『美人董氏墓誌銘』や『龍山公墓誌銘』は、北朝の力強さと南朝のやわらかさの融合でよい感じ。

 唐代に入ると、智永(生没年不明)、虞世南(558-638)、欧陽詢(557-641)、褚遂良(596-658)。どれも穏やかでいい字だ。楷書って裏表がなくてのびやかで、いい字体だなあと思う。展示作品の多くは、書道博物館、三井記念美術館など国内のコレクションだが、時々、個人蔵や海外からの特別出品が混じっているので、見逃さないよう気を付けていた。拓本コレクター・李宗瀚(1769-1831)が「四宝」と定めた4作品、丁道護筆『啓法寺碑』(唐拓孤本)、虞世南筆『孔子廟堂碑』(唐拓孤本)、褚遂良筆『孟法師碑』(唐拓孤本)、魏栖梧筆『善才寺碑』(宋拓孤本)は特別扱いされていた。最初の1作品を除き、三井記念美術館の所蔵となっている。三井コレクションの凄さをあらためて感じた。

 『黄絹本蘭亭序』(故宮博物院寄託)は、唐太宗の命により王羲之の原跡を褚遂良が臨摸したもの。やっぱり拓本でなく書跡には特別に心躍る。巻末には著名人の跋(内藤湖南を含む)が並んでおり、若い中国人の女性が「王世貞」の名前に反応していた。明・仇英の『九成宮図巻』や元・李成の『読碑窠石図』など、息抜きの絵画資料も豪華だったことを書き止めておく。

 さていよいよ顔真卿(709–785)が登場。私は昔からこのひとの書が好きなのだ。古くは2009年に書道博物館の企画展『顔真卿特集』を見に行っている。びっくりしたのは、2003年に出土した『王琳墓誌 天宝本』の拓本や、1997年に出土した『郭虚己墓誌』の拓本の存在。前者は非常に若い作例で、後者は長く土中にあったため碑面の損傷が少なく、ウソのようにきれい。

 そして『祭姪文稿』は、ホールのような展示エリアの壁際に展示され、その前に到達するには、文字通り七重八重に折れ曲がった巡路に並ばなければならなかった。「60分待ち」の札が掲げられていたが、噂に聞いていたので、覚悟して並ぶ。本でも読んで待とうかと思ったが、『祭姪文稿』の各行を赤い短冊のような布に印刷したものが天井から下がっていて、そのヒラヒラを眺めているだけで時間がつぶせた。作品の直前には、大きなパネルを使って、訓読や現代語訳が掲示されていて、それらをじっくり読もうと思っていたら、順番が来てしまった。作品の前は「止まらないでください」と警備員に促されるので、あっという間。悔しいので、もう1回、列に並ぼうかと思ったが、それより、いつか故宮博物院で展示されたら見に行こうと決めた。ここまでが第1展示室。

 ちょっとぐったりしながら第2展示室に入る。顔真卿はまだ続き、書道美術館の『祭姪文稿』(拓本)と『争坐位稿』(これも好き)、五島美術館の『祭伯文稿』、『自書告身帖』(真跡!)それに『裴将軍詩』(これも好き~)も見ることができ、もう満腹だった。そのあと少し気を抜いて、張旭の草書も面白いなあと思って流し見ていたら、長い展示ケースの前がやけに混んでいる。チラと覗いたら、懐素の『自叙帖』だった。え!これも故宮博物院から来ていたのか。聞いてない!と慌てて、列に並びなおし、ケースに張り付いてじっくり鑑賞。ここは『祭姪文稿』の前のように交通整理する人がいないので、かなり渋滞していた。故宮博物院のさまざまなグッズになっていたりして有名な作品だが、訓読や語釈と対象させて全文を読んだのは初めてで、面白かった。

 さらに「日本における唐時代の書の受容」にも名品多数。個人的には空海の『崔子玉座右銘』(大師会、むかし根津美術館で見たもの)と藤原佐理の『恩命帖』が嬉しかった。このへんは展示替えがあるので、出品リストをよくチェックして見に行くほうがいい。「宋時代における顔真卿の評価」には、蘇軾、黄庭堅、米芾も。『後世への影響』は趙孟頫、董其昌、傅山も登場し、中国三千年?の書の歴史を駆け抜ける。まあしかし、私は顔真卿びいきであるけど、終章のサブタイトル「王羲之神話の崩壊」は大げさだよね、と思った。贔屓の引き倒しはよろしくない。
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京と地方のハイブリッド/武士の起源を解きあかす(桃崎有一郎)

2019-01-20 23:37:17 | 読んだもの(書籍)
〇桃崎有一郎『武士の起源を解きあかす:混血する古代、創初される中世』(ちくま新書) 筑摩書房 2018.11

 評判がいいので読んでみた。武士はいつ、どこで生まれたのか。かつて教科書には「地方の富裕な農民が成長し、土地を自衛するために一族で武装し、武士となった」と書かれていた。私もそのように学んだ世代である。これに対して、武士は都の衛府から生まれてきたという説も提唱されている。本書の序章に紹介されている高橋昌明氏の『武士の日本史』(岩波新書 2018.2)は、昨年、私もたいへん興味深く読んだ。しかし著者は、大江匡房の『続本朝往生伝』が各種技能の傑物を挙げる中で、衛府と武者を別グループにしていることなどから、武者の技能の主な源流が衛府にあると考えるのは無理があると断ずる。

 そこで、はるか古代、養老5年(721)に元正天皇が「文人・武士は国家の重んずる所」(武士の最古の用例)と述べた時代に遡り、我々が知る「武士」が姿を現すまでの長い年月を丹念に追っていく。先を急ぐと、(1)貴姓の王臣子孫×(2)卑姓の伝統的現地豪族×(3)準貴姓の伝統的武人輩出氏族(か蝦夷)が婚姻関係によって融合することで武士が成立したというのが本書の結論だ。

 まあしかし、三要素のうち最も重要なのは、通説どおり(2)ではないかと思う。元来、武士の本分は弓馬の術で、これは農業の片手間に習得することなど不可能な専門技術だった。だから農民から武士が生まれることはあり得ない、というのは納得がいく。しかし聖武朝には富裕な農民や郡司の子弟に弓馬を習う者が現れ(本書では「有閑弓騎」と呼ぶ)、国家も彼らを弓騎兵に登用するようになる。

 やがて古代国家の秩序が動揺し、王臣家による土地収奪が過激化すると、有閑弓騎の一部は王臣家の私兵となり、一部は群盗化した。「群盗の時代」は仁明朝に始まる。仁明天皇は「礼」思想を重視し、現代風に言えば「意識高い系」の天皇だったが、「文章経国」の実践は国庫を圧迫し、地方社会の疲弊と混乱を招いたという。地方社会の無政府状態が極点に達する中、必死の王臣家対策を実施したのが宇多天皇と菅原道真であるが、儒教的理想主義ではもはやどうにもならない。宇多天皇、かわいそうだなあとしみじみ思った。醍醐天皇の時代にも、ピークは過ぎたが、東国では相変わらず群盗が暴れ回った。

 しかし著者は、この郡司富豪層くずれの有閑弓騎集団だけでは武士にならないという。平将門が「新皇」を称したのは、桓武天皇五代目の子孫という出自への自負があったからだ。藤原氏、平氏、源氏という王臣子孫が地方に下り、現地有力者と通婚することにより、王臣×郡司富豪層の双方の利点を生かしたハイブリッドが誕生する。

 それでもまだ足りないと著者は言う。「兵(つわもの)」としての高い自覚と技術はどこからもたらされるか。ひとつは坂上氏や多治比氏のような武芸の氏族を、やはり婚姻によって母系から取り込むこと。あるいは秀郷流藤原氏の場合は、俘囚(蝦夷)から学び取ったのではないかと考えられる。こうして「京を父とし地方を母とするハイブリッド」武士が誕生した。

 以上、評判のとおり面白く読んだ。新書には珍しいくらいの詳細な注が巻末にあって、記述の根拠となった史料を確認できるのはよい配慮だと思う。ただし根拠が『古事談』だったりすると、いやそれ大丈夫か、と思うこともあったけれど。それから「武士」という言葉の内実(その時代の人々が言葉に託したイメージ)が、大きく変遷していることには注意しなければならないだろう。養老5年の「武士」は儒教的秩序に含まれる専門職能者の意味で使われているけれど、『愚管抄』の「武者(むさ)の世になりける也」に込められた「武者」への忌避感とずいぶん違うことに驚いた。

 人物評伝は本筋ではないのだが、平安前期の王臣家の人々(天皇・摂関家)がひとりひとり的確に活写されていて面白かった。陽成天皇の逸話も久しぶりに読んだ。後半で印象的だったのは平貞盛。いろいろとカッコいい。本格的な歴史ドラマで見たい。
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2019年1月@関西:画僧月僊(名古屋市博)

2019-01-19 23:28:30 | 行ったもの(美術館・見仏)
名古屋市博物館 特別展『画僧 月僊』(2018年12月15日~2019年1月27日)

 三連休最終日は久しぶりの名古屋。名古屋市博は一時期、面白い企画が多くてよく通っていたのだが、2013年新春の『古事記1300年 大須観音展』以来、来ていなかった。2013年も成人式のイベントが行われる日に来訪したのだが、今回も、朝から博物館の前に新成人らしい若者をちらほら見かけた。

 さて、画僧・月僊(げっせん、1741-1809)は名古屋生まれ。味噌商の家に生まれ、7歳で仏門に入り、修行のかたわら江戸と京都で絵を学び、独自の画風を確立した。晩年は伊勢山田で寺の住職となり、絵を売って蓄えた財を元手に寺の再興に努め、貧民救済にも尽力したことが知られている。

 私が月僊という名前を覚えたのは、2006年の府中市美術館『亜欧堂田善の世界』のようだ。亜欧堂田善(1748-1822)は、若い頃、月僊に師事したことがあるらしい。しかし2006年の展覧会で、私は月僊のどの作品を見たのだろう。図録は購入したはずだが、古い蔵書は段ボール箱の中なので、どうしようかなあ…と思っていたら、なんと府中市美術館は当時のサイトをウェブ上に残してくれていた。えらい!さすが! 出典リストも残っていて、それによると私は『蘭亭曲水図屏風』と『春秋山水図』を見たらしい。しかし、残念ながらこれらと一致する題名の作品はなかった。本展には、関連作品を含めて100点以上が出品されているが、網羅され尽くしたわけではないのだな。

 会場では、冒頭に月僊の自画像と谷文晁による肖像画を掲げる。だいぶ雰囲気が異なるのが面白い。自画像と伝わる『僧形立像』があやしいのではないか。次に『関通和尚行状記』という質素な版本が数冊。冒頭の関通和尚の肖像を描いたのが月僊だそうだ。関通?なんと2日前に「京の冬の旅の旅」の公開寺院・転法輪寺(御室大仏)で聞いた名前ではないか。関通(1696-1770)は尾張出身、浄土宗捨世派の僧で、官僚化した浄土宗の体制から距離を置き、法然の専修念仏思想に立ち返ることを目指した。月僊は7歳のとき名古屋城下の円輪寺に入門し、関通の薫陶を受けたのだという(図録解説から)。2日前に初めて聞いた名前にまた出会うなんて、ご縁を感じずにいられない。それから絵画の最初の師である桜井雪館の作品、強く影響を受けた円山応挙の作品、そして月僊の初期の作品など。腰をかがめて抜き足差し足の『東方朔図』はどこかで見たことがあった。

 次にジャンルごとに月僊の作品を見ていく。まず仏画。黄檗宗の伝来とともに受容された、明清時代の中国の仏画に影響を受けているという指摘はすごくよく分かる。次の神仙(神様、仙人、英雄たち)もそうだが、月僊の描く人物は、あやしげだけど魅力的だ。黒目の虹彩の色を薄くし、小さな点の瞳を目立たせることで、生き生きした表情が生まれるのではないかと思う。あと、わりと口元がほころんでいる人物画が多い気がする。薄墨の背景に白抜きの羅漢が車座になった『十六羅漢図』(三重県立美術館)はユニークで好き。『仙人図三幅対』(控鶴・緱仙姑・子英)は、鶴と青鳥(鳳凰?)と鯉にリアルな存在感があってよい。『西行銀猫図』はめずらしい画題だと思う。銀猫が本物の猫くらい大きい。

 次に山水と花鳥。月僊は人物画も巧いが山水画もよい。『帰去来図』とか『蘭亭曲水図』(屏風はなかった)とか『赤壁図』とか、中国の故事を意識したものが多いようだ。うまく言えないけど、柄の大きい風景を表現したものが多くて、気分がのびのびする。大勢の樵夫たちが木材を滝壺に投げ落とす『木曽路図』は、他人の見聞に基づくものらしいがユニークで楽しかった。最後にあったのは『百盲図巻』(知恩院所蔵)。百人の盲人(みな僧形の男性、何人かは琵琶を持っている)が笑ったり怒ったり、ふざけたり助け合ったりしながら、杖をたよりに進んでいく様子を描く。最後は細い丸木橋を這うようにして渡り、川に落ちてしまう者もいる。寓意画として描かれたものだが、確実な描写に温かい視線が感じられて、嫌な気持ちにはならなかった。名古屋市博、次回展は国芳だそうだが、これからもときどき、地元出身の画家や文化人を取り上げてほしい。

徳川美術館+名古屋市蓬左文庫 企画展『書は語る-30センチのエスプリ-』(2019年1月4日~2月3日)

  懐紙や短冊(懐紙を縦に八等分したもの)に残された書を通じて、歴史上の人々の人物像を探訪する。鎌倉時代から近現代まで100点以上の書が並ぶ。登場人物も、たぶん70~80人は下らないだろう。私は書跡から書き手の人となりを想像するのが好きだが、このようにまとめて見ると、短冊の書風には一定の型があり、あまり個性が出ないものだということを感じた。特に天皇家や公家はよく似ている。武家は、今川氏真があり、武田晴信(信玄)・勝頼もあった。勝頼の字はバランスが悪くて巧くないなあと思った。

 短冊は和歌・俳句を書くものだと思っていたが、漢詩(七言絶句を二行で)を書くこともあるのだな。絵短冊もたくさんあって、中村芳中の作品はすぐ分かった。大久保利通・木戸孝允など幕末維新の政治家、夏目漱石・正岡子規など近代の小説家の短冊もあった。実は展示品の過半(特に近世・近代もの)は「個人蔵」だったが、誰のコレクションかは不明である。
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2019年1月@関西:物語とうたにあそぶ(中之島香雪美術館)

2019-01-16 23:00:20 | 行ったもの(美術館・見仏)
中之島香雪美術館 開館記念展『珠玉の村山コレクション~愛し、守り、伝えた~ V 物語とうたにあそぶ』(2018年12月15日~2019年2月11日)

 三連休2日目は大阪で新春文楽公演の第1部を鑑賞。午後3時過ぎに公演が終わってから、速攻で中之島(肥後橋)に出た。開館記念展の最終パートとなる本展は「物語」と「うた」を主題とする絵画や書、工芸品を展示する。

 冒頭は源氏物語関係で、江戸期の源氏物語図屏風など。次に、さまざまな物語を絵にした作品の中では、江戸時代の『浦島物語絵巻』が面白かった。近代の絵本などで知られた物語とはずいぶん違って、妻を残して釣りに出かけた浦島は大きな亀を釣り上げ、その亀が美女に姿を変えて浦島を竜宮に誘う(古い伝承のかたちだ)。玉手箱を開けた浦島は老人になるが、鶴に生まれ変わって亀の乙姫と二世の縁を結ぶ(おもしろい)。絵はかなり巧くて丁寧。

 岩佐又兵衛の『堀江物語絵巻』が出ていたのには驚いた。この作品は、現在5巻分と断簡1が知られる『堀江物語絵巻』のほかにMOA美術館所蔵の『堀江巻双紙』12巻があるらしい。血なまぐさいのは後者で、前者は、中之島香雪美術館所蔵の巻も、パネルになっていた他の巻も、そんなに恐ろしい画面はなかった。

 エピローグの『伊勢物語図色紙』17枚(室町時代、15世紀)は類例を見た記憶がなく、全く初めてのように思う。やや縦長の20センチ四方ほどの空間、銀砂を散らした料紙、華やかな色彩の名残、明快な構図。吹抜屋台の家の中に、あるいは絵画化された山道や川のほとに、引目鉤鼻の王朝人が描かれる。「伊勢物語」の、のんびりして、華やかで、少し可笑しく、しみじみと哀しい世界が小さな画面に濃縮されていて、とてもよかった。
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2019年1月@関西:古社寺保存法の時代(京都文博)、亥づくし(京博)ほか

2019-01-15 23:29:50 | 行ったもの(美術館・見仏)
転法輪寺(右京区龍安寺山田町)



 妙心寺の3塔頭を拝観後、北門を出て徒歩で仁和寺方面に向かう。仁和寺境内の東側の塀に沿うようにして、さらに北行すると、駐車場の前に「京の冬の旅の旅」の立て看板が出ており、奥に中国風の山門が見える。本堂に入ると、大きなストーブがガンガン炊かれていて暖かかった。大仏があると聞いて半信半疑だったが、ご本尊の阿弥陀如来坐像は、確かに見上げるように大きい。二丈四尺(約7.5メートル)だというが、高い基壇に座り、光背と天蓋も付いているので、さらに大きく見える。解説のおじいちゃんによれば、京都で一番大きい木造仏なのだそうだ。宝暦8年(1758)に関通上人が建立した浄土宗のお寺。大仏は、桜町天皇の追福のため造られたもので、光背の中央に遺愛の手鏡が嵌め込まれている。宝暦年間の巨大な涅槃図や、めずらしい裸形阿弥陀如来像(裙をつける)も公開されている。解説の最中、お客さんがバシバシ写真を撮っているので怪しんだが、「ぜひたくさんの方に見ていただきたいというご住職のお考えで、全て撮影可能です」とのこと。では畏れながら。



 甘茶と煎餅の接待(100円)もあり、檀家さんなのだろうか、運営を手伝っている方々も楽しそうだった。こういうお寺を訪ねることができるのは、季節限定の特別公開のいいところである。

善想寺(中京区三条大宮町)



 もう1箇所行けそうだったので、バスで四条大宮に出る。あまり歩いたことのない道を歩いて、住宅と商店街の中に埋もれたような善想寺へ。天文年間の建立だというが、伝わっている仏像はもっと古そうなものもある。方丈の本尊は美麗な阿弥陀如来立像。山門の横の地蔵堂には、滋賀県坂本村から移されたと伝わる、片足踏み下げ式の地蔵菩薩坐像を祀る。また墓地に白川の赤石(花崗岩)の石仏阿弥陀如来坐像がある。善想寺のご住職は、この石仏の造立者を後白河法皇と考えているようだ。それは推測の域を出ないが、かなり古い石仏ではある。かつて見た「崇徳地蔵(人喰い地蔵)」を思い出した。あらためて善想寺のサイトなどを覗いてみたら、この地には藤原頼忠の邸宅があり、四条後院とも呼ばれ、円融天皇が里内裏としたこともあるそうだ。他にもいくつか気になる伝承を見つけたけれど、もう少し調べてみたい。

■京都文化博物館 総合展示『古社寺保存法の時代』(2019年1月5日~3月3日)

 このへんでタイムアップだろうと思っていたが、まだ行けそうなので、歩いて文博へ。明治30年(1897)に成立した古社寺保存法に着目し、近代という激動の時代を背景に生まれ出た日本の文化財保護のあゆみを紹介する展示を見に行った。展示室1室のみの小規模な展示だが中身は濃い。ちょうど学芸員さんのギャラリートークらしいものが終わりかけていて、最後の質疑を遠くから拝聴した。明治の神仏分離令について、江戸時代は神社がお寺の下に置かれていたので、神社の側に見返してやりたい気持ちがあった(大意)というのが耳に残った。展示の行政文書類は、多くが京都学・歴彩館(旧・京都府立総合資料館)の所蔵で、さすがである。国宝修理を多く手がけた表具店・伴能十全堂(ホームページがある!)の資料や、彫刻家・新納忠之介の調査手帳の山も面白かった。

 いちばん面白かったのは、明治17年(1884)刊行の『大倭画名巻競』で、162の古絵巻の優劣を番付形式で定めている。東の大関が『信貴山縁起』で西の大関が『伴大納言絵詞』なのは文句のないところ。東の前頭六枚目に『吉備大臣入唐双紙』が入っているのは、まだ海外流出していないんだな。私の好きな『随身庭騎図』が東の前頭二枚目というのは意外と評価が高くてうれしい。など、いくらでも楽しんでいられる(図録の掲載写真が小さくて残念~)。編輯人に「柏木貨一郎」の名前を見つけて、なるほどと思った。数か月前に中之島香雪美術館で覚えたばかりの名前である。

京都国立博物館 新春特集展示『亥づくし-干支を愛でる-』(2018年12月18日~ 2019年1月27日)

 そろそろ暗くなってきたが、土曜日の夜間開館を活用して京博へ。静かで空いていてゆっくり見ることができた。そして、どの展示室の特集も面白かった。3階の「紺紙経」と「銅鏡」、2階の「神々の伝説」(特に『厳島縁起絵巻』の中世神話の魅力!)、「十二天屏風」。中世絵画「禅宗の人物画」は、展示室の角を曲がったとたん、不意打ちで雪舟の『慧可断臂図』があらわれて、死ぬほど驚いた。正月からこの絵か(喜んでいる)。元信の『浄瓶踢倒図』も好き。あと「渡辺始興」と「京の冬景色」。1階は2室を使って松井宏次氏寄贈の中国陶磁を特集。「清朝陶磁を中心とした」と言いつつ、古代の青銅器や加彩俑などもあって面白かった。「亥づくし」は、狩野山雪筆『猪頭像』がすごい変化球で笑った。

 南門横のカフェは、昨年2月から運営が前田珈琲に変わっていたのだな。気づいていなかった。京博のキャラクターにちなんだ「トラりんパフェ」をいただいてみた。見た目はいまいちだけど、ビターなチョコレートが美味しい。

 
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