見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2024年7月関西旅行:和歌山県立博物館、和歌山市立博物館

2024-07-21 21:04:53 | 行ったもの(美術館・見仏)

 前日は大阪・堺駅前のホテルに宿泊。朝イチに南海電車で和歌山へ。

和歌山県立博物館 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」登録20周年記念特別展『聖地巡礼-熊野と高野-. 第I期:那智山・那智瀧の神仏-熊野那智大社と青岸渡寺-』(2024年6月15日〜7月21日)

 同館は、2004年7月に世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」が登録されてから、20周年の節目を迎えることを記念し、今年は5期にわたって熊野・高野の文化財をテーマとした展示を行う。第1期は、熊野三山のうち今なお神仏習合の景観を留める那智山、熊野那智大社と青岸渡寺を取り上げる。5期全部見たいなあ…と思いながら、とりあえず第1期を見に来た。展示規模は小さめ(全43件、企画展示室のみ)だが、熊野那智大社に伝来する最古の神像=女神坐像(平安時代)など、興味深いものを見ることができた。この女神坐像、髪は唐風に結い上げているが、きっちり膝を揃えて正座(大和座り)している。ただし膝の部分は別材なので、後補だったりしないかしら?と思ったが、よく分からない。同じくらいの大きさの男神坐像もあった。

 時代が下るが、桃山時代の熊野十二所権現古神像は全15躯。1躯だけ、剣を立てて構える童子形の立像(黄泉津事解男神像)で、あとは髭をたくわえ、尺を持つ束帯姿の男神坐像。なのだが、神名を見ていくと、天照大神坐像も男神の姿で作られている。伝承の混乱があるようで面白かった。

 那智瀧の経塚から見つかった銅仏の数々も展示されていたが、その中には、昭和5年(1930)に参道入口の枯池(からいけ)から見つかった、中国・唐時代の銅製の観音菩薩立像もあった。どうやって日本に伝来し、誰が何を願って埋納したのか、想像を誘われた。

 ちょうどこの前日(7月14日)、那智大社では「那智の扇祭り」という祭礼が行われていたらしい。大和舞や田楽が奉納されるのだそうだ。展示には、お田植式で使われる牛頭(牛役がかぶるお面)の古いものが出ていた。

和歌山市立博物館 陸奥宗光伯生誕180周年記念企画展『陸奥宗光と和歌山-宗光を支えた紀州の賢人-』(2024年7月6日~9月8日)

 続いてもう1ヶ所。近代モノだが、陸奥宗光は、以前から気になる人物だったので見ていくことにした。陸奥宗光(1844-1897)は、紀州藩・徳川治宝の側近だった伊達宗広(千広)の子どもとして生まれる。宗広は治宝の死によって失脚、一家は和歌山城下を追われ、一時期は高野山のふもとで暮らしたらしい。やがて江戸へ出て、坂本龍馬らと交友。明治に入ると和歌山で藩政改革に取り組み、藩が廃止されると新政府に出仕する。しかし土佐立志社の政府転覆計画に関わったことで、山形監獄→宮城監獄に収容される。獄中では学問に励み、出獄後は海外にも留学し、外務大臣として不平等条約改正に尽力した。

 思ったよりも苦労人で、明治になってから投獄経験があるというのを知らなかったので、びっくりした。高野山の奥の院に行くと、なぜか陸奥宗光の供養塔が弘法大師御廟の近く(御廟の橋を渡った先)にあるのが不思議だったが、窮乏時代に高野山の世話になっていたというのを知って、ちょっと納得した。陸奥の墓は鎌倉の寿福寺にあるのだな。今度、お参りしてこよう。

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2024年7月関西旅行:東洋陶磁美術館、大阪歴史博物館

2024-07-21 18:32:51 | 行ったもの(美術館・見仏)

大阪市立東洋陶磁美術館 リニューアルオープン記念特別展『シン・東洋陶磁-MOCOコレクション』(2024年4月12日~9月29日)

 4月のリニューアルオープンからずっと気になっていた記念特別展をやっと見に来ることができた。基本的には以前の構造を残しながら、現代的なエントランスホールが増築され、展示ケースや照明も整備された。ウェブページに「自然光に近く陶磁器本来の魅力が最もよく引き出せるとされる『紫』励起LED照明を導入」という説明があるが、確かに青磁は青磁らしい、粉青は粉青らしい色味の美しさを感じることができて感激した。美術館の「リニューアル」って必ずしも成功しない例を見てきたので、これは本当にうれしい。大阪市、ありがとう。施工業者はどこなんだろう?

 なお、この朝鮮陶磁のネコちゃんがキャラクターに採用されたらしく、館内のあちこちにさまざまなポーズで登場していた。

MOCO(モコ)ちゃんという愛称も付いているらしい。ぜひグッズ化してほしいな。

 今回の展示、各室のテーマが漢字四文字で統一されており「天下無敵」「翡色幽玄」「清廉美白」「陶花爛漫」などは、ふんふんと納得していたのだけど、最後の中国磁器が「皇帝万歳」なのに笑ってしまった。いいのか、それで。

大阪歴史博物館 特別展・難波宮発掘開始70周年記念『大化改新の地、難波宮-古代日本のターニングポイントー』(2024年7月5日~8月26日)

 山根徳太郎博士の主導によって難波宮跡の第1次発掘調査が始まった昭和29年(1954)から70年の節目の年にあたることを記念し、難波宮と、そのゆかりの「大化改新」にスポットを当てる特別展。私が小中学生時代に習った「大化改新」は、皇極天皇4年(645)飛鳥板蓋宮において蘇我入鹿が誅殺された事件(乙巳の変)を言ったが、現在は、後に続く一連の政治改革全体を指す。変の直後に即位した孝徳天皇が遷都を決めたことにより、難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや)(前期難波宮)が主な舞台となった。

 難波宮の所在地は第二次世界大戦後まで不明だった。戦前に法円坂で重圏文・蓮華文軒丸が発見されていたが、軍用地だったため、戦後にようやく学術調査の機会が訪れたのだという。はじめに前期難波宮の遺構が見つかり、続いて後期難波宮(神亀3/726年、聖武天皇が藤原宇合を知造難波宮事に任命して難波京の造営に着手させ、平城京の副都とした)の遺構も発見された。聖武天皇、恭仁京や信楽だけでなく、難波にも手を伸ばしていたんだっけ。ちなみに重圏文軒丸瓦は後期難波宮で使われたもの。蓮華文や唐草文に比べると、斬新でモダンなデザインだったのかもしれない。

 大阪歴史博物館は、まさに難波長柄豊碕宮の上に建てられているので、多くの出土資料を所蔵しているのは当然なのだが、瓦・土馬・木簡など多数の原品を見ると、想像が広がって興味深かった。最古の絵馬(?)だという木片には馬の脚らしきものが描かれていた。常設展示でも地図や模型で復習し、古代の難波について理解を深めた。

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2024年7月関西旅行:大山崎山荘、大阪中之島美術館ほか

2024-07-20 22:58:59 | 行ったもの(美術館・見仏)

 関西旅行、初日の夜は京都市内に適当な宿が見つけられなくて、JR山崎駅前のホテルに泊まった。まわりは静かな住宅街だったが、駅前にコンビニもあって不自由はしなかった。

水無瀬神宮(大阪府三島郡島本町)

 2日目は、せっかく山崎に泊まったので、朝の散歩がてら、後鳥羽院に敬意を表して水無瀬神宮に参拝に行く。ちなみに山崎駅は京都府だが、水無瀬神宮は大阪府なので、知らないうちに県境を越えていた。境内では多数の風鈴を吊るした「招福の風」行事が行われていたが、全く風が無くて、チリンとも鳴っていなかった。あと、前回来たときは気づかなかったのだが、本殿の向かって右には日本酒の樽、左側にはウィスキーの樽が捧げられていた。

 これはJR山崎駅前の離宮八幡宮。油の専売特許を持つ油座として栄えた(滋賀の油日神社を思い出す)。名前は嵯峨天皇の離宮「河陽宮」に由来するとのこと。

大山崎山荘美術館 愛知県陶磁美術館コレクション『中国やきもの7000年の旅-大山崎山荘でめぐる陶磁器ヒストリー』(2024年6月1日~9月1日)

 これも予定になかったのだが、せっかくなので大山崎山荘美術館を初訪問。阪急大山崎駅が始発となる無料送迎バスで坂を上がって門前まで連れていってもらう(定員13名のワゴン車なのでJR山崎駅では乗れないお客さんもいた)。トンネルのような入口の前で少し待ち、開館時間になると、スタッフが門を開けにきてくれる。鎌倉文学館のアプローチのような雰囲気。しばらく緑陰の遊歩道を進んでいくと、美術館本館となっている山荘が現れる。関西の実業家・加賀正太郎(1888-1954)が、別荘として自ら設計を監修したものだという。本格的に英国風ですごく素敵。

 現在の展覧会は、愛知県陶磁美術館(改修工事のため休館中)のコレクション約80点により、中国新石器時代から清朝にいたるまで7000年に及ぶ中国陶磁の歴史を概観するもの。どちらかというと古代多め。大きな三彩駱駝が露出展示になっていて、ドキドキした。

大阪中之島美術館 開創1150年記念『醍醐寺 国宝展』(2024年6月15日~8月25日)

 大阪へ出て、中之島美術館の醍醐寺展へ。今回の旅行で一番楽しみにしていた展覧会だったが、正直イマイチだった。もちろん貴重な寺宝が出ているのだが、現地の霊宝館を知っていると、あれもこれも来ていないのか、というガッカリ感が先立ってしまう。メインビジュアルの如意輪観音坐像は、2018年サントリー美術館の『醍醐寺展』でも主役だったもの。華やかで、謎めいていて、密教の寺・醍醐寺らしい感じがする。彫刻は快慶作の不動明王坐像、閻魔天騎牛像など。絵画は『文殊渡海図』あり。後期に『閻魔天像』が出る。同館、近代日本美術の展覧会はいつも素晴らしいのだが、古美術はもう少し頑張ってほしい。

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2024年7月関西旅行:京博、龍谷ミュージアム、京都文博

2024-07-18 22:15:07 | 行ったもの(美術館・見仏)

京都国立博物館 常設展示

 三連休初日の土曜日は、まず京博へ。特別展の間(はざま)なので、常設展が見られると思うと楽しみでわくわくする。3階の「陶磁」は茶入がミニ特集らしかった。乾山の『色絵氷裂文角皿』を久しぶりに見た。隣りの「考古」には埴輪がたくさん。この秋、東博の特別展にも来てくれるのかな?と思って眺める。兵庫県たつの市出土の須恵器の壺には、小さな人物(相撲をとっている)や動物がたくさん貼り付けられていて、中国の土器みたいだった。

2階「絵巻」の『法然上人絵伝』は「あまり公開される機会のない巻をご紹介します」というだけあって、記憶にないものだった。巻2は出家のため上京した法然(勢至丸)が忠通の一行に出会って問答するところ。巻18は女人往生を説いた法然のもとに女性たちが集うところ。巻38は法然の死去に臨んで、ゆかりの人々が見た夢、法然は童子(聖徳太子?)に導かれて西へ向かう。最後は法然の廟に集う人々。鹿杖をつく法師、裹頭した僧侶などが見える。「仏画」は「日本の羅漢図」で滋賀・大練寺に伝わる、やまと絵風の温和な『十六羅漢像』12幅がメイン。比較として、奇怪な宋元風の『十六羅漢図屏風』も出ていた。

 「中世絵画」は「関東水墨画」で、雪村の『鍾馗図』を見られて嬉しかった。式部輝忠の『巌樹遊猿図屏風』はテナガザルの楽園の趣きあり。細い笹か竹につかまって、ゆらゆら揺れている子が可愛かった。「近世絵画」は「狩野山雪」特集。『蘭亭曲水図屏風』は、ちゃんとガチョウがいたり、お酒を盗み飲みしている童子がいたりで楽しい。金地墨画(わずかに彩色)の『洛外名所図屏風』は圧倒的な山の姿が目立つ。目ざとく「愛宕山や」とつぶやいていたのは、京都人のお客さんかな。「中国絵画」は「来舶清人の絵画」で、張莘筆『四季花卉図押絵貼屏風』が印象に残った。椿椿山を思わせる、繊細で上品な花の絵。

 1階の大展示室(彫刻)は、蘆山寺の如意輪観音半跏像が中央だったと思う。面白かったのは、左右の展示台をやや前に出して(ルンバみたい)、参観者が展示台の後ろにも回り込める配置になっていたこと。新しい試みだと思う。このほか1階では、豊臣秀次公430回忌・特集展示『豊臣秀次と瑞泉寺』(2024年6月18日~8月4日)が開催されていた。秀次公といえば私は『真田丸』の新納慎也さんのイメージである。三条河原で処刑された妻子たちを弔った品々(辞世和歌を表装した瑞泉寺裂)が展示されていたが、こんなに妻妾がいたのか~とあらためて驚いてしまった。

龍谷ミュージアム シリーズ展「仏教の思想と文化-インドから日本へ-」特集展示『阿弥陀さん七変化!』(2024年7月13日~8月18日)

 西方極楽浄土の教主で、浄土教の広がりとともにアジア各地で信仰されてきた阿弥陀如来。多彩に変身する阿弥陀さんの造形を紹介する。「これもアミダ!あれもアミダ?」とか「来迎でGOGO!」とか、龍谷ミュージアムだから許される(?)くすぐりの数々だけでなく、彫刻は滋賀・梵釈寺の木造宝冠阿弥陀如来坐像(平安前期)、絵画は京都・永観堂禅林寺の『阿弥陀三尊像』(南宋時代、張思恭)など名品揃い。文字の中にカラフルな図像をちりばめた『六字名号曼荼羅』(江戸時代)のデザインセンスも楽しかった。

京都文化博物館 特別展『日本の巨大ロボット群像-鉄人28号、ガンダム、ロボットアニメの浪漫-』(2024年7月6日~9月1日)

 日本のアニメーションにおける巨大ロボットのデザインとその映像表現の歴史を辿る。この展覧会、横須賀美術館でやっていたとき、気になりながら行き逃してしまったものである。私は巨大ロボットアニメ全盛期を体験した世代だが、なぜか巨大ロボットには惹かれなかった。おもしろいと思った作品は、初代ガンダムとダイターン3くらいである。なぜ自分が巨大ロボットに惹かれなかったのかを考えながら展示を見たが、結局、よくわからなかった。総合展示は『祇園祭-山鉾巡行の歴史と文化』(2024年6月5日~8月4日)と『天平の都 恭仁宮(くにきゅう) 最新の発掘調査成果から』(2024年6月8日~7月28日)。恭仁宮は、出土文物の展示が少なくて、拍子抜けだった。

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2024祇園祭・新町通曳き初め

2024-07-16 21:22:34 | 行ったもの(美術館・見仏)

 三連休は関西で遊んできた。初日の13日は京都の博物館巡りを予定していたが、調べたら新町通りで山鉾の惹き初めがあるというので行ってみた。少し早めに山鉾町エリアに入って、うろうろする。大きな鉾は既に姿を現しているが、まさに設営中の山も多かった。

 私の好きな蟷螂山。昨年、前祭の宵々山に訪ねたら、Tシャツも扇子も完売だったことを思い出して、今年こそはと期待して行ってみたら「祭礼授与品の頒布は14日10時からです」の貼り紙。うう、今年もご縁がなくて残念。

 四条通りの函谷鉾で「タペストリー」だか「ゴブラン織り」だかの文字を見つけて立ち止まる。そうだ、16世紀の西洋風の図柄の毛織物を懸装品に使っている鉾だったな、と思い出して、久しぶりに鉾に上がっていくことにする。見学料金1,000円は諸物価値上がりの折、かえってお手頃に感じられた。函谷鉾の小冊子と団扇付きで、この団扇、10年以上前(もしかして2008年?)に貰ったものと同じデザインだった。京都産業大学の札を付けた学生さんたちに手際よく案内されて、会所に上がる。

 これは旧約聖書のイサクの結婚の物語絵。中央の大きな画面では、心優しい女性リベカがイサクの老僕に水を与えている。この下段には、イサクがリベカに求婚のしるしとして腕輪を与える場面を描く。

 右隣りには、全く同じ図柄の複製品も飾られていた。16世紀半ばの作と見られた原本は、十数年前に一度、巡行で使われたことがあるとのこと。巡行当日、朝の6時頃にセットすると、褪色した淡い色合いが朝陽に照らされてとても美しかったそうだ。

 昨年の「前掛け」には、皆川泰蔵氏の『モン・サン・ミッシェル』が使われており、今年は『イサクの嫁選び』(複製)ではないかという。説明してくれた話好きのおじさんが「まあ当日、理事長の判断だけど」ともおっしゃっていた。理事長、そんな権限があるのか。

 「見送り」は弘法大師真蹟の『金剛界礼懺文』の予定と聞いた。これも複製品で、ほとんど文字の見えなくなった原本が併せて展示されていた。

 うろうろしているうちに曳き初めの時間(15:00)になってしまったので、慌てて新町通り南端の岩戸山を目指す。北に1ブロックくらい移動した山鉾が、人々に曳かれて戻ってくるところ。小学校低学年か幼稚園児くらいの子供たちがたくさん綱を握っていて楽しそうだった。調べたら、本番の巡行では、今でも搭乗者や曳き手は成人男子しか認められていないのだな。

 続いて北側の船鉾の曳き初めも見学。やっぱり1ブロックほど北に行って戻ってくる。山鉾は動いているところを見ると胸が躍る。

 曇り空を背景に鈍く光る金色の鷁(げき)。

 ちょっとだけど祇園祭の雰囲気が味わえてよかった。

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謎解きは半歩ずつ/中華ドラマ『慶余年2』

2024-07-15 21:58:33 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『慶余年』第2季:全36集(上海騰訊企鵝影視文化伝播有限公司他、2024年)

 2019年の第1季から待つこと5年、ようやく続編が公開された。私は配信開始から少し遅れて視聴を始めたので、第1季と比べて辛めの評価を受けていることは、漏れ聞こえていた。しかしそれは期待値が上がり過ぎた結果で、公平に見れば、十分おもしろかったと思う。

 南慶国の勅使として北斉国に送られた范閑は、その帰路、二皇子の使者・謝必安から二皇子の謀略の次第を聴かされ、同僚・言冰雲の刃を受けて倒れる(ここまでが第1季)。范閑死すの報せは、たちまち南慶国に伝わるが、これは范閑と言冰雲が仕組んだ芝居だった。范閑はひそかに南慶国に潜入し、二皇子に捕えられたと思しい、亡き滕梓荊の妻子を探すが見つからない。

 范閑は再び勅使の列に戻り、生きていたことを明らかにして堂々の帰国。皇帝を偽った罪は不問に付され、監査院一処の主務に任命される。さらに科挙の責任者の大役を果たして宮廷の重臣となり、林婉児との結婚も許される。この厚遇には理由があり、范閑が慶帝と葉軽眉(監査院の創設者)の間の子供だったことが本人に明かされ、周囲も知るところとなる。

 おもしろくないのは、范閑と敵対する二皇子。都を追放された長公主とのつながりも消えていない。一方、太子とその生母の皇后は、二皇子一派に対抗するため范閑との友好関係を保っていたが、范閑も皇子の一人と知って動揺する。慶帝は、范閑以外の臣下や皇族たちへの冷酷な振舞いを徐々に垣間見せる。

 林婉児と結婚した范閑は、南慶国の財力の根本である「内庫」を相続するが、その内庫には全く資産がないことが判明する。そこで南慶国の商人たちに投資を呼びかけ、当面の資金を調達するとともに、内庫の商品を製造している江南の実情を探りに出かける。江南で范閑を待ち受けていたのは、この地方を牛耳る明家の老婦人と息子の当主・明青達。范閑は旅立ち前に慶帝を狙った刺客と大立ち回りを演じて負傷し、まだ内力が回復していない。あわやの危機を救ったのは、北斉国から駆けつけた海棠朶朶。持つべきものは友人である。

 というのがだいたいの粗筋だが、問題は何ひとつ解決せず(むしろ雪だるま式に増えて)第三季に持ち越した印象である。まあ范閑の父親が明らかになり、林婉児と結婚したことが多少の「進展」と見做せないわけではないが。滕梓荊の妻子の安否は不明のまま。監査院院長の陳萍萍が何を考えているかは相変わらず謎(今季は妙に筋トレに励んでいたのと贅沢な私生活を送る自宅が出て来た)。范閑の守護者・五竹は、彼にそっくりの「神廟使者」との一戦があって、尋常の人間ではない(ロポットかアンドロイド?)ことだけは明らかになった。科挙の縁で范閑の門下生になった史闡立の活躍はこれからかな。彼の故郷・史家鎮は、長公主と二皇子が私腹を肥やすための密貿易の現場だったが、太子が捜査の手を伸ばしたときは、村ごと焼き滅ぼされていた。この真相究明も道半ば。

 北斉行で活躍した高達の出番が序盤だけだったのは残念。新たな登場人物では、辺境暮らしが長く、太子と二皇子の権力争いから一歩身を引いた大皇子に好感を持った。大皇子に嫁入り予定の北斉大公主は、美人なのにちょっとトロくて微笑ましい。演じる毛暁彤うまいなあ。監査院一処で范閑の下僚となった鄧子越を演じる余皑磊も好きな俳優さんなので嬉しい。陳萍萍や范閑らの収賄・蓄財を批判して慶帝に嫌われ、あっという前に消された硬骨の老臣・頼名成を畢彦君など、名優を贅沢に使うドラマである。明青達の寧理は第三季の活躍に期待していいのだろうか。

 第一季に比べるとアクション(武闘)シーンは少なめだったが、見せ場(范閑vs刺客、五竹vs神廟使者)はスリリングで手抜きがない。あと、若若がただの貞淑な女子ではなく、外科医の才能に目覚めるのも面白かった。

 本編が、大学生の長慶が葉教授に読ませる創作物語の形式を取っているのは第一季と同じ。ただ冒頭で葉教授が周りの人々に「范閑は死んだんですか?」と繰り返し聞かれていたり、第二季を読み終わったあと「また何年も待たされるの…」とため息をつくなど、メタ物語に念が入っている。第三季、配役をなるべく変えずに作ってほしいなあ。

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2024夏の花

2024-07-10 21:04:39 | なごみ写真帖

暑い暑い。東京の夏は長いが、夏の始まりの7月が一番暑い気がする。

先々週(かな?)東中野の黎明アートルームに行ったときに路地裏で見かけたノウゼンカズラ(凌霄花)。たぶん夏の花の中で、私がいちばん好きな品種。漢字表記も美しい。そういえば、途中まで見て中断してしまった中国ドラマ『以家人之名(家族の名において)』の男性主人公の名前が凌霄だった。「霄(そら)を凌(しの)ぐ」の意味になるのだな。

これは東中野の山手通りの歩道の道端に咲いていた芙蓉。こんな道端に堂々と咲いているのを見たのは初めてで、ちょっとびっくりした。

これは我が家の近くの小さな緑地で、毎年、花をつける大輪の黄色いユリ。詳しい名前はよく分からないのだが、コンカドール(イエローカサブランカ)だろうか?

昨年の様子

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政治的分断の構造/ネットはなぜいつも揉めているのか(津田正太郎)

2024-07-08 23:25:31 | 読んだもの(書籍)

〇津田正太郎『ネットはなぜいつも揉めているのか』(ちくまプリマ―新書) 筑摩書房 2024.5

 著者は、2020年9月、アニメ『銀河英雄伝説』のリメイクについて「男女役割分業の描き方は変更せざるをえない気がする」云々とツイートしたところ、批判的なリプライが次々に押し寄せる事態になってしまった。しかし、2、3日もすると次第に鎮静化した。

 この「炎上」体験談をマクラに、アニメや漫画の表現に対する批判と「表現の自由」をめぐる対立について、著者はメディア論の立場から考察する。広告などのメディアがそれを見た人にどのような影響をもたらすかは分からないし、誰か(たとえば女性、マイノリティ)が不安を引き起こす表現はないほうがよいとしても、万人が納得できるラインは存在しない。だが、これだけソーシャルメディアが普及した時代に「表現の自由」なのだから不快であっても我慢しなさい、でよいのか。自由の尊重が、かえって民主主義を危機に陥れる可能性がある、という問題提起には賛同する。

 実は、もう少し先まで読んだところで本書を放置していたのだが、昨日、2024年東京都知事選挙の結果を知ったあとで、米国の政治的分極化を扱った第3章を読み始めたら、いろいろ考えさせられてしまった。米国では、近年、二大政党の分極化が進んでいる。かつてはそれぞれの党が、多様な政治的立場の人を抱え込んでいたが、価値観やアイデンティティに基づく棲み分けが進み、政党のカラーが鮮明になってきた。要因の一つがメディアの変化で、規制緩和によって、一つの局がバランスのとれた報道を行う必要がなくなったことで、明確な党派性に訴えて特定層にアピールするメディアが増えたのである(アメリカの影響を受けた台湾の状況と同じ)。

 また、政治の分極化とともに「被害者政治」が進行している。これは、マイノリティの告発に対抗して、マジョリティが「我々こそ本当の被害者だ」と主張する動きをいう。米国では、民主党と共和党の双方が強い被害者感情を持ち、対立を深めている。ただし実態としては、双方の政党の支持者が、自分たちと相手側の違いを過大に見積もっている傾向がある。この認識ギャップの調査結果はとても興味深かった。結局、相手側が過激な意見を支持していると双方が「イメージすること」から「偽りの分極化」が生まれている。

 偽りの分極化は、怒りを増幅させ、「感情的分極化」に至る。感情的分極化は、ある政党や候補者を支持することよりも、嫌いな党派への「逆張り」「嫌がらせ」に向かう。著者は「日本社会の問題は、政治的分極化ではなく、むしろ政治的無関心の広がりだ」と書いているけれど、これはけっこう日本の状況にもあてはまるのではないかと思った。

 こうした分断を生み出すものとして、ネット上の「エコーチェンバー」や「フィルターバブル」という概念が語られてきた。しかし近年の研究は、こうした仮説を覆している。むしろマスメディアの時代には、人は自分の好みに合わせて新聞やラジオ番組を選択し、緩やかなエコーチェンバーを形成することができた。しかしメディアが多様化すると、自分とは異なる意見との接触機会が増加する。自らの価値観に反し、感情を逆なでする情報が入ってくる言論空間に身を置いた人は、もとの立場に執着するようになることが、実験的に確かめられているという。困った話だが、自分を含めて人間とはそういうものだと知っておくことは大事だと思う。

 かつてソーシャルメディアが民主主義を牽引すると考えられた時代があった。しかし今日、ソーシャルメディアに見られる「悪ふざけ」「シニシズム」によって、「代議制民主主義にとってきわめて重要な選挙をないがしろにする態度」が広がっている。まさに都知事選の日にこの下りを読みながら、胸が騒いだ。それでも著者は、ツイッターの可能性に希望を託す。ソーシャルメディアとは、世界をより単純にしようとする力と、より複雑な側面を見せようとする力がせめぎ合う場所だという。そう、この、世界の複雑さを垣間見る喜びは、説話文学に通じるところがあって、私もソーシャルメディアから離れられないのである。

 ちなみに私は、けっこう前から著者のツイッターをフォローしている。実は何者かを全く存じ上げずに「時々、おもしろい意見をいう人(大学の先生らしい)」程度の認識でフォローしていたのだが、初めて著書を読ませていただいた。こういう関係もソーシャルメディアの楽しさではある。

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アメリカ式に学ぶ/台湾のデモクラシー(渡辺将人)

2024-07-06 23:50:59 | 読んだもの(書籍)

〇渡辺将人『台湾のデモクラシー:メディア、選挙、アメリカ』(中公新書) 中央公論新社 2024.5

 1996年に総統の直接選挙が始まり、2000年には国民党から民進党への政権交代を実現させた台湾は、英国エコノミスト誌の調査部門が主催する「民主主義指数(Democracy Index)」の2022年度版では、アジア首位の評価を得ているという。最近の台湾を見る限り、この評価に全く異論はない。しかしこの国では、戦後長きにわたって国民党統治による権威主義体制が続いていた。

 台湾の民主化の歩みは序章に簡単にまとめられているが、まず地方政治において非国民党の政治勢力が勃興し、野党・民進党が誕生し、国民党非主流派の李登輝がレールを敷いた民主的な選挙によって政権交代が起きた。民主化勢力が選挙キャンペーンに工夫を凝らすことで、国民党も有権者と向き合うようになる。選挙でリーダーが変わる体験をすることで、国民は政治や自由を深く考えるようになる。もっとも「同じことが他国で必ず起こるわけではない」と著者は書いている。台湾デモクラシーを考える上で外せない要因が「アメリカ」である。

 台湾にとって「アメリカ」の存在は特別で、学者も官僚も政治家(国民党、民進党問わず)も、英米特にアメリカの大学の博士号持ちが必須だという。これは台湾を「親日国」と考えている日本人には見えにくいところかもしれない。台湾の選挙文化には、日本由来と台湾オリジナルとアメリカ式が混在しているが、アメリカの大統領選挙を台湾に移植したのは許信良という人物である。また李濤は、台湾のテレビ界にアメリカ式放送ジャーナリズムを持ち込み、視聴者参加(コールイン)型ライブショーで人気を博した。

 このへんまでは、アメリカに学んだ台湾のデモクラシーうらやましい、という気持ちで読んでいたが、いいことばかりではない、という状況もよく分かった。台湾のテレビは国民党(藍)寄りか民進党(緑)寄りか旗幟を鮮明にしている(これもアメリカ式)。ただしこれは市場経済の競争原理に依るもので、視聴率獲得のため、差別化を図る傾向が強くなった。視聴者は中立を嫌うので、理知的・客観的な結論を説明する番組は(視聴率的に)「負け」なのだという。政党側は「政論番組」を世論誘導の場と割り切っており、優秀な「名嘴」(コメンテーター)にお金を払って政党が伝えたいことを喋らせる。あるいは政治家自身がテレビ局にお金を払って出演することもある。その仕組みが公けにされているのは、台湾なりのフェアネスではないかという著者の指摘には一理あるかもしれない。

 台湾アイデンティティと言語の問題も難しい。近年の台湾が多様性重視の政策を取っていることは感じているが、原住民(部族)にしても客家にしても、その下位分類はさらに多様なのだ。さらに現在は、タイ、ベトナム、ミャンマー等からの新移民も増えている。危機をはらんだ「むきだしの多様性」が台湾の現在であることを記憶しておきたい。

 台湾アイデンティティの問題は、在外タイワニーズについては、さらにややこしい。台湾では一度も暮らしたことのない「中華民国」生まれの移民とか。外省人と台湾人が結婚し、両親のルーツが半々の場合もある。2021年に初のアジア系ボストン市長となったミッシェル・ウーは父方が北京出身の外省人の移民二世とのこと。一方、2020年の大統領予備選で民主党候補だったアンドリュー・ヤンは「アジア系らしさの不足」を嫌われて失速した。また、中国政府が、インターネットメディアの「ソフトパワー」を積極的に駆使して、在外華人を囲い込もうとしている指摘にも考えさせられた。

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2024年6月展覧会拾遺

2024-07-03 23:19:07 | 行ったもの(美術館・見仏)

府中市美術館 『Beautiful Japan 吉田初三郎の世界』(2024年5月18日~7月7日)

 大正から昭和にかけて、空高く飛ぶ鳥や飛行機から見下ろした視点による鳥瞰図のスタイルで数多くの名所案内を描いた吉田初三郎(よしだ はつさぶろう、1884-1955)の世界の魅力に迫る。吉田初三郎の名前は、2005年の江戸博『美しき日本』、2016年の近美『ようこそ日本へ』など、ツーリズムをテーマとした展覧会で何度か見てきた。本展は総合的な回顧展ということで、鹿子木孟郎に学んだ油彩の風景画なども展示されているが、本領はやはり鳥瞰図スタイルの名所案内図である。明るく楽しい雰囲気を演出するため、かなり大胆なデフォルメを施したものが多い。子供の頃の学習雑誌に載っていたSF的な未来都市図に通じるところもあるように思った。京王線の沿線観光図もあり。

東京ステーションギャラリー 『どうぶつ百景 江戸東京博物館コレクションより』(2024年4月27日~6月23日)

 大都市江戸・東京に暮らした人々が、どのように動物とかかわってきたかを物語る美術品や工芸品など約240件を、休館中の江戸東京博物館のコレクションから選りすぐって紹介する。2022年にパリ日本文化会館(フランス)で好評を博した「いきもの:江戸東京 動物たちとの暮らし」展を拡充した凱旋帰国展でもある。江戸博には何度も行っているのだが、初めて見るような作品が多くて楽しかった。歴博所蔵の『江戸図屏風』(複製)が出ていて、馬はたくさん描かれているが、牛は1頭しかいないという注釈が付いていて、黒田日出男先生の『江戸名所図屏風を読む』に書いてあったことを思い出した。東京の名産、今戸人形のウサギやキツネ、縮緬細工のひよこ、ブリキ玩具の金魚も可愛かった。

太田記念美術館 『国芳の団扇絵-猫と歌舞伎とチャキチャキ娘』(2024年6月1日~7月28日)

 国芳の団扇絵だけの展覧会。団扇は、江戸っ子にとって夏の暑さをしのぐための必需品であると同時にお洒落アイテムでもあり、歌舞伎ファンの推し活グッズでもあったという。国芳も積極的に団扇絵を手がけており、特に好んだ画題が「猫と歌舞伎とチャキチャキ娘」だった。国芳といえば、カッコいい武者絵、奇ッ怪な化け物など、魅力は尽きないが、江戸の人々にとっての最大公約数は、このサブタイトルだったかもしれない。団扇絵は消耗品で現存数が少ないこともあってか、初めて見る作品も多かった。

黎明アートルーム 『江戸琳派と磁州窯』(2024年5月21日〜2024年6月30日)

 磁州窯を目当てに見に行った。2階展示室の『白地黒掻落牡丹文瓶』と『緑釉鉄絵牡丹文瓶』は確かに磁州窯の優品だったが、それ以外は、あまり磁州窯らしい作品がなかった。金~元代の三彩や紅緑彩の磁州窯も好きではあるが。むしろ期待していなかった五彩(呉須赤絵、南京赤絵)が楽しかった。こういう民窯は、うつわの数だけ多種多様なデザインがあるのだな。琳派は鈴木其一の大作『四季花鳥図屏風』が印象に残った。

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