見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

祝!再開/国宝手鑑「見努世友」と古筆の美(出光美術館)

2022-04-26 20:35:12 | 行ったもの(美術館・見仏)

出光美術館 『国宝手鑑「見努世友」と古筆の美』(2022年4月23日~6月5日)

 新型コロナの影響で、ずっと閉まっていた出光美術館がついに再開した。いやー長かった。私が最後に参観したのは、2020年2月の『狩野派:画壇を制した眼と手』(会期短縮で終了)である。その後、2020年度に計画されていた展覧会は全て中止。2021年4月には『松平不昧 生誕270年 茶の湯の美』が完全予約制でスタートしたが、急激な感染拡大のため、2週間弱で閉幕してしまった。

 今度は悔しい思いをしないように、再開初日に予約を入れた。予約可能な時間帯が11時からだったので、10時の枠は満員なのかと思ったら、そうではなく、開館時間が「午前11時~午後4時」になっていた。当日、行ってみると、チケット売り場の前に、検温、QRコードの確認コーナーができていて、複数の女性スタッフが控えていた。こうした人件費やシステム構築への投資の影響で開館時間を短縮したのかな、と想像したけれど、開けてくれれば御の字である。

 本展は、修復後初公開の古筆手鑑『見努世友(みぬよのとも)』をはじめ、書の優品を厳選して、魅力あふれる古筆の世界を紹介する。個人的に、出光美術館といえば、やっぱり古筆だね!と思っているので、再始動の展覧会にふさわしいテーマだと思った。入口を入って右手の一角には、古経の名品(魚養経、絵因果経など)が展示されているのだが、左手に古筆の極めつけの名品が掛け並べてあって、先にそちらに足が向いてしまった。

 まず『継色紙』が2件。「むめのかの」は、各行の軸がゆらゆらしながら、行頭がゆっくり左下がりになっていく感じが好き。もう1件(あめにより)は右半分が青一色の無地の料紙で、左半分だけに文字が書かれているのが視覚的にオシャレ。『高野切第一種』は、先日、五島美術館で見た記憶と照らし合わせる。五島の所蔵品のほうがリズムが感じられて好きかなー。

 『石山切』は伊勢集が2件と貫之集1件が出ていた。伊勢集の筆跡は一字ごとの姿が明快であるのに対し、貫之集は「旋回する筆致、大胆な線条」が魅力であるとのこと。私はあまり連綿体は好きでないのだが、この貫之集は好き。『中務集』もよい。「線の肥痩の少ない、均一的で凛とした張りのある線条」「あたかも山肌を伝う水流のような表情」という詩的な解説にうなずきながら、微笑んでしまった。

 古筆手鑑『見努世友』は、2018年9月から2021年3月にかけて本格修理を実施し、本紙(古筆類)を全て台紙から取り外し、旧裏打紙を撤去し、補修・補彩を施して、新たな台紙に貼り直された。担当したのは(株)修美さん。しかも、もとは両面貼一帖だったものが片面貼二帖に改装されている。巡路では、先に展示されてたものが「戸隠切」から始まる帖で、あれ?これはもとの裏面かな?と思ったら、奥の展示ケースに「大聖武」から始まる、もとの表面の帖が開いていた。

 古筆手鑑の本体には、本紙ごとに(伝承)筆者名を示す紙片(極印なし)が付いているが、展示では、現在の研究で判明している「〇〇切(名称) 作品名」が添えられており(例:「筋切 古今和歌集」「堺切 和漢朗詠集」など)、いくつか名称不明(類例なし?)の作品もあった。逆に伝承筆者名をチェックするのも面白かった。ネットで調べたら、「虫喰切」の「吉備公」は真備ではなく吉備由利なのかな?

 後半は鎌倉・南北朝以降の書。進子内親王(伏見天皇皇女)の和歌を7~8首ずつ記した「あがた切」が2件出ていた。私はこの書跡のよさはよく分からなかったが、翻刻を読んで、このひとの和歌がすっかり気に入ってしまった。メモを取ってきた1首は「ながめいたすそとものもりにゐるはとの こゑものすごきあめのゆふぐれ」。全体に漂うメランコリーにぞくっとする。こういうのが京極派の歌風なのかな。

 最後は趣きを変えて、さまざまな茶道具が30件ほど。玉澗の『山市晴嵐図』が出ており、あわせて『御茶器帳(雲州蔵帳)』が出ていた。『雲州蔵帳』は松平不昧公が収集した茶道具の目録帳で、この「貴重品目録」に『山市晴嵐図』が載っているのである。よく見たら、『堆朱四睡文香合』と『呉州染付草花文茶碗(橘)』も目録に載っていた。もしかしたら、昨年見逃した『松平不昧 生誕270年 茶の湯の美』の一部再現かな?と思って、嬉しかった。

 なお、ロビーに隣接する茶室「朝夕庵」は以前からあったと思うのだが、今回、床の間に仙厓の『鍾馗画賛』を掛け、茶道具を並べて、茶室のしつらえを楽しめるようになっていた(前からやっていただろうか?記憶にない)。展示品の目録はウェブサイトで入手できる。陶片室はまだ閉室中。早く安心して利用できるようになるといいな。

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生存者の長い戦後/東京大空襲の戦後史(栗原俊雄)

2022-04-25 13:09:18 | 読んだもの(書籍)

〇栗原俊雄『東京大空襲の戦後史』(岩波新書) 岩波書店 2022.2

 「東京大空襲」と呼ばれるのは、1945年3月10日未明に東京東部の住宅街に対して行われた無差別爆撃である。死者は10万人に及び、100万人以上が罹災したといわれている。早乙女勝元氏が被災者の証言を集めて執筆した『東京大空襲』(岩波新書、1971年)が有名だが、本書は早乙女氏の著書と違って「空襲当日/直後」の記録ではなく、生き残った被災者たちが、その後の長い人生をどのように苦しみながら生きたか、なぜそこに公的な救済が行われなかったのか、が主題となっている。

 第二次世界大戦末期には、米軍による無差別爆撃が日本全国で繰り返され、多数の民間人の命を奪っただけでなく、生き残った者にも甚大な被害を与えた。たとえば、戦災孤児については、全国で少なくとも12万人という数字が残っている。

 多くの孤児は浮浪児となって、物乞いをするか盗むか拾うかしなければ、食べものを手に入れることができなかった。親戚に引き取られても、虐待されたり、たらい回しにされたり、財産を横取りされることもあったという。成長期の栄養不足を原因とする疾患に長く苦しんだ人もいた。彼らは、差別や偏見を避けるため、孤児であることを隠し「心を殺して」長い戦後を生きてきた。

 私(1960年代生まれ)の両親は下町育ちで、3月10日の東京大空襲を経験している。母は、このとき父親(私の祖父)と生き別れになったと聞いているが、ほかの家族が無事で、一家離散にならなかったのは、幸運の部類に入るのだろう。しかし今更のように思ったのは、私の同級生の保護者には、戦災孤児として苦労した人もいたのかもしれない。彼らが口をつぐんでいただけで。

 民間人の戦争被害者が国に保障を求める動きは1960年代に始まる。1976年には名古屋大空襲の被害者が名古屋地裁に提訴した。国が元軍人・軍属には補償を行いながら、民間人に同様の立法措置を取らないのは法の下の平等に反する、という問題提起であったが、元軍人・軍属には国の使用者責任があり、それがない民間人を補償から外すことは不合理ではない、という理由で退けられた。この裁判は最高裁まで争われたが、1987年、最高裁は原告の訴えを棄却している。判決文は「戦争犠牲ないし戦争被害は、国の存亡にかかわる非常事態のもとでは、国民のひとしく受忍しなければならなかったところであって、これに対する補償は憲法の全く予想しないところ」(受忍論)だと述べる。いやちょっと、これが理由として成り立つことにびっくりするが、民間人戦争犠牲者に補償を行うかどうかは、裁判所ではなく「国会の裁量的権限に委ねられているべき」(立法裁量論)という主張は理解できなくもない。

 2007年には東京大空襲の被害者が東京地裁に訴えを起こしたが、上記と同様の理由で棄却され、最高裁では法廷も開かれないまま原告敗訴が確定した。一方で、被害者たちは立法運動(議員への働きかけ)も開始する。2010年には全国空襲被害者連絡協議会が結成され、翌年には超党派の国会議員連盟(空襲議連)が発足した。

 こうした活動は「解決済みの過去」を蒸し返すもので、無意味だとか、不快に感じる人もいるだろう。しかし本書を読むと「解決済み」と思われている問題でも、繰り返し司法判断を求めたり、国会質問で首相や政府関係者の認識を質すことで、少しずつ「変化」がもたらされる場合があるのだ、ということを感じた。

 2010年には民主党・鳩山政権下で「戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法(シベリア特措法)」が成立した。この評価は分かれるだろうが、少なくとも「戦後処理問題は解決済み」という従来の政府の方針を打ち破ったことに意味がある、と著者は評価する。

 いま、空襲議連の中心となり、補償問題に取り組み続けている議員としては、柿沢未途が紹介されている。地元選挙区(江東区深川)の問題だから当然とはいえ、ちょっと感心した。それから、2015年に安倍晋三が、歴代首相として初めて空襲被害者の慰霊法要に参列し、その後の衆院予算委員会で柿沢の質問に答えて、補償問題は立法府や行政で考える余地があるという認識を示したことも初めて知った。自民党は好きではないが、これは素直に評価しておく。

 戦後処理というと、慰安婦、徴用工など、対外問題がクローズアップされがちだが、国内にも「解決済み」の見直しを求める人たちがいることは意識しておきたい。日に日に貧しくなる日本で、十分な補償は難しいと思うが、せめて犠牲者の調査と名前の記録・公開は実現してほしいと思う。そこに私の祖父の名前もあるはずである。

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支配への挑戦/女教師たちの世界一周(堀内真由美)

2022-04-20 21:56:48 | 読んだもの(書籍)

〇堀内真由美『女教師たちの世界一周:小公女セーラからブラック・フェミニズムまで』(筑摩選書) 筑摩書房 2022.2

 大変おもしろく刺激的な1冊だった。本書は、19世紀半ばから現代まで、およそ150年にわたるイギリス女教師の歴史を論じている。19世紀半ば、イギリスでは新しい富裕層=ミドルクラスが誕生していた。しかし、不動産所有を基盤とするアッパークラスに比べると、彼らは景気変動の影響を受けやすく、万一、家族が苦境に陥った場合、ミドルクラス女子が選択できる職業は、女教師あるいはガヴァネス(家庭教師)だけだった。

 具体例となるのは、小説『ジェイン・エア』と『小公女』である。『小公女』に登場するミンチン女学院は、家庭婦人を育成するための保守的な女学校だったようだ。イギリスでは、18世紀末にメアリ・ウルストンクラフトが、男性と同等の学校教育を女性にも与えよと主張していたが、現実はなかなか変化しなかった。

 それでも19世紀半ばには、ガヴァネスの資格化を兼ねた本格的な女学校が始動し、高等教育への女子の参入を求める運動が活発化する。けれども男子並みの教育を受けた女性は、さらに就業の困難に直面しなければならなかった。一部の女性はインドやカナダなど「帝国」の植民地に活路を見出そうとしたが、現地の需要とのギャップに苦しむことになる。

 1920-30年代(大戦間期)、男性の復員によって女性労働者の大量解雇が発生し、女性の抗議運動が世間から批判されると同時に、女教師へのバッシングも激化した。この時期は、女子中等教育制度の完成期であるが、「女子向き」女子教育を望む空気は根強かった。女教師たちは粘り強く闘ったが、彼女たちの「階級意識」は、ワーキングクラス女性との軋轢を生む。

 政治的には、1918年に限定的な女性参政権が認められ、1928年には条件を撤廃した普通選挙権が付与された。この背景には、男性為政者たちの「もう大丈夫」という判断があったという。「女性の達成を持ち上げ承認するふりをして、女性の分断を煽る言説」が広まっていたのである。この頃、「新しいフェミニズム」は「男女に固有の役割は、互いに排除しあうのではなく、相互に敵対的でもない」と唱え(今でもよく聞く主張)、母としての女性の地位向上に重点を置いた。その結果、圧倒的に独身が多かった女教師は「異端」と見做されるようになる。ドロシー・セイヤーズの小説『学寮祭の夜』(1935年)は、オクスフォード大学女子学寮を舞台にしたミステリーで、独身高学歴女性と部下の既婚女性の心理的葛藤が犯人捜しの鍵になっている。今日的な設定でおもしろい。

 強まる閉塞感の中で、エリート女教師たちは「高度な女子教育」の実践のため、アフリカや西インドに向かった。本書後半は、イギリス女子教育の「受け手」となったブラック女子やクリオール女子に視点をあてる(なお「ブラック」には、多様な肌の色のグラデーションを含む)。

 ジーン・リース(1890-1979)は、英領ドミニカ島に生まれ、イギリス本国の名門校に入学するが、やがてエリート女子の進路を外れていく。彼女が残した小説『広い藻の海』は『ジェイン・エア』のスピンオフ作品で、ロチェスターの前妻であるクリオール女性「狂妻バーサ」の名誉回復を目論んでいる。リースは、少女期以来『ジェイン・エア』を読むたび「クリオールに対する誤解」に苛立ったという。興味深い名作の「読み直し」である。

 最後に登場するベヴァリー・ブライアン(1949-)は、ジャマイカ生まれのブラック女性で、イギリスで学び、女教師となった。1960年代半ばのイギリスは、西インドからの移民が急増した時代で、彼女が採用された公立基礎学校も生徒の多くがブラックの子供たちだった。ブライアンは「カリキュラムの脱植民地化」(アフリカの文学や歴史を積極的に取り入れる)を実践し、ジャマイカ語(現地語化した英語)と標準英語の二刀流の教育方法を探求した。1970年代には、ブラック女性の全国組織が形成され、ブライアンもこれに参加している。彼女たちは活発な女性運動を展開したが、(白人中心の)「フェミニズム」からは距離を置くことを表明している。

 現在はジャマイカの大学で教鞭を取るブライアンの成長と成功の陰には、少女時代の彼女を導き、自信を育ててくれた女教師たちがいた。一方で、多くのブラック女子、クリオール女子が、日常的に差別と偏見に晒されてきたという証言はつらい。無邪気で小さな偏見が、実は積もり積もって彼女たちの自尊心を奪ってきたのである。こうした苦しみが、日本も含め世界中から、早く一掃されますように。そして、女教師の先達たちの歩みは(階級意識、白人中心主義など)全てを肯定できるわけではないが、後進にバトンをつないで、なかなかうまくやってきたのではないかと思う。

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古筆そのほか/吉祥の美(五島美術館)

2022-04-18 19:46:45 | 行ったもの(美術館・見仏)

五島美術館 館蔵・春の優品展『吉祥の美』(2022年4月2日~5月8日)

 五島美術館の創立者・五島慶太(1882-1959)の生誕140年を祝い、慶太翁蒐集の古筆・歌仙絵を中心に「吉祥」にかかわる優品を選び、約50点を紹介する(展示替え有)。同館の古筆・歌仙絵は何度も見ているけれど、心が洗われるようで、やっぱりよかった。

 冒頭には『高野切古今和歌集』の第一種と第二種が並んでいて、おお贅沢!と感激。第一種は、行間が広くおおらかで、墨の濃淡のリズムが美しい。五島美術館が持っているのは巻一春上の冒頭(年のうちに春は来にけり)で、歌の素朴な詠みぶりとよく合っているように思う。第一種の筆者は、ほかに巻九羇旅、巻二十大歌所歌を担当。巻二十は完本で伝わっていると読んですごい!と思ったら、 2017年に京博の『国宝』展で見ていた(所蔵は高知県立高知城歴史博物館)。

 第二種は、連綿が目立つと思っていたが「筆をやや傾き加減にした側筆の技法が特徴」だという。なるほど、側筆だと線に太い・細いの変化が出るのか。直筆(ちょくひつ)は全体に細くてスッキリした線になる。第一種は、墨の濃淡の変化はあるけど、線は直筆なのだな。この違いを初めて理解。『栂尾切(桂本万葉集)』『関戸本和漢朗詠集切』は、高野切第二種と同じ筆者(源兼行説が有力)と推定されているというので、展示室を行きつ戻りつして見比べてみた。

 『下絵古今集切』(伝・藤原定頼筆)は大ぶりでゆったりした文字が好み。類例が少なく、これまで本品を含む8葉しか発見されていないという。大手鑑『筆陣毫戦』(福岡藩・黒田家伝来)は展示室のいちばん奥のケースに出ていた。

 ん?継色紙や寸松庵色紙が壁に掛かっていない、と思ったら、これらは中央の上から覗き込むかたちのケースに出ていた。これはこれで、至近距離で見られるので老眼には嬉しい。『継色紙(めづらしき)』は真ん中に寄せた文字と余白のバランスが好きな作品。あと『蓬莱切』も私の好み。解説には「平安古筆のなかでは比較的大きく明快な筆致」とある。歌仙絵は『上畳本・紀貫之像』『壬生忠峯像』『源俊頼像』が出ており、それぞれ歌人の顔立ちや姿勢の描き方が個性的だった。

 歌仙絵以外の絵画では、伝・馬麟筆『梅花小禽図』(南宋時代、4/17まで)を久しぶりに見た。2019年夏の優品展では展示替えで見逃しており、2020年秋の名品展では、この作品の包み裂(更紗)だけ見ている。しかし、いまコレクション解説を読んだら「梅の枝に止まる2羽の小鳥を描く」とあるのだが、私は薄い色で描かれた1羽が全然目に入っていなかったように思う。残念。日本絵画は、中世の墨画、琳派、そして近代絵画まで。安田靫彦筆『菊慈童』と川端龍子筆『富貴盤』(摘み取られた牡丹の花)がよかった。

 それから、彩色版画絵手本『芥子園画伝』(清時代、17-18世紀)が美しかった。2冊出ていて、柘榴の図と菊の図が開けてあったが、色数や彩色の面積を極力抑えて上品な仕上がりにしている。手彩色かと疑ったが、繊細な多色刷りらしかった。これに比べると、錦絵は俗だなあ、と苦笑した。さらに、茶碗、陶磁器、香合、古鏡など。「宇野雪村コレクション」の文房具では、あまりにも精巧に形づくられた墨(明時代)に驚き呆れた。消耗品なのに! 『乾隆描龍蝋箋』は、乾隆帝がつくらせた華やかな便箋(料紙)で、オレンジ色に金色で、ちょっと可愛い龍が描かれていた。

 展示室2は『源氏物語絵巻』復元模写(4/29-国宝原本)と源氏物語の関連書。『源氏物語小鏡』(慶長頃刊)は、古活字(連綿活字)を用いたもの。古活字版の登場によって、初めて日本の古典が出版対象となった。内容は源氏物語のあらすじを紹介したもので、連歌師などに需要があったのだろうという解説に納得した。

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奈良博から来ました/SHIBUYAで仏教美術(松濤美術館)

2022-04-14 19:56:07 | 行ったもの(美術館・見仏)

渋谷区立松濤美術館 『SHIBUYAで仏教美術-奈良国立博物館コレクションより』(2022年4月9日~5月29日)

 奈良国立博物館の数多くある所蔵品の中から、主として仏教に関する美術工芸品83件(展示替あり)を展示する。同館が仏教美術の名品を多数収蔵すること、プレスリリースに言うように、多くの展覧会に所蔵品を貸与し、我が国の文化を紹介する活動に寄与してきたことは、もちろん承知している。しかし「意外にもその所蔵品を名品展として東京で公開したことはありませんでした」とあるけれど、国立博物館が他の場所で名品展を行うこと自体が、あまりないのではないかと思う。奈良博が2005年に神奈川県立金沢文庫で開催した名品展『祈りの美-奈良国立博物館の名宝-』は非常に珍しかったので、今でも記憶に残っている。

 本展は、地下1階と2階の会場を使用。地下の「第1部」は壁面にずらりと仏教絵画を並べる。いちおう釈迦の姿→密教→浄土信仰→神仏習合→絵巻という構成になっているのだが、出口の側から入ってしまったもので、いきなり『辟邪絵』3件と出会って慌ててしまった。よくよくまわりを確認して、巡路の先頭から見てゆく。この日は、日本民藝館の『仏教絵画』展とハシゴだったので、やっぱり奈良博の所蔵品は状態もいいし、表装も豪華だな、と変なところに感心してしまった。

 『釈迦如来像』は金色の雲、金色の円光を背景に黒っぽい衣の釈迦が説法印を結んで立つ。視線の行先がはっきりしていて、表情が人間臭い感じがする。『釈迦五尊十羅刹女像』は、題名のとおり登場人物の多い、にぎやかな作品。豊頬・赤い唇の羅刹女たち(最前列右が巻き髪?)の匂い立つ艶やかさに加えて、普賢菩薩・文殊菩薩も目元の涼しい美形。大きな口を開けて笑っているような獅子がかわいい。『千手観音二十八部衆』の千手観音は、ややエキゾチックな美形。まわりには、個性豊かな二十八部衆(目力強め)。いずれも奈良博の『収蔵品データベース』に画像が掲載されているので、気に入った作品は、あとで自宅で細部をチェックできる。いい時代になったものだ。

 奈良博らしさを感じたのは、糸で表現された『刺繍種子阿弥陀三尊像』と『刺繍釈迦阿弥陀二尊像』。『春日宮曼荼羅』も来ていた。絵巻のカテゴリーには『辟邪絵』の「天刑星」「栴檀乾闥婆」「毘沙門天」。どれも(悪鬼のものとはいえ)鮮血のだらだら流れる残酷絵なのに、表具の美麗なことと好対照だと思う。『泣不動縁起』は上巻末の、庭前で祈祷を行う安倍晴明の場面(前に妖怪が並んでいる)が展示されていた。

 彫刻作品は、如意輪観音坐像(平安時代)がいらしていた。筒型の宝冠をかぶり、簡素で力強いお姿である。第2部には、奈良時代の銅造薬師如来坐像(深大寺の白鳳仏っぽい?)や、慶派の力強い毘沙門天立像(鎌倉時代)もあって、数は多くないが、仏像の多様な姿を感じることができる。

 第2部(2階)の奥の部屋には、墨蹟や文書が展示されており、『明月記断簡』の軸(1201/建仁元年4月22日条)が出ていた。『明月記』って、いちおう上下に罫線くらいある料紙に書かれたイメージ(京博の所蔵本など)だったが、これは何もないのが新鮮だった。調べたら、界線(罫線)のない料紙に書かれたものは推敲の痕跡が甚だしく、清書前の状態と判断できるそうだ(※藤原定家の日記筆録形態/尾上陽介)。

 今回、仏画と仏像は日本の作例のみだが、工芸には、中国・唐代の四大明王五鈷鈴や朝鮮・高麗時代の五大明王五鈷鈴が出ており、密教美術の魅力をコンパクトに伝えている。室町時代の『笈』は初めて見た。直前に日本民藝館で見た笈が細くて縦長だったのに対して、こちらは幅広で、床に置けば安定感のあるタイプだった。

 とても楽しかったので、後期も行こうと思っている。京博や九博も名品展の巡回をやってくれないかなあ。東京人がそれを言うのは贅沢だろうか。

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阿弥陀の浄土/仏教絵画(日本民藝館)

2022-04-13 13:31:34 | 読んだもの(書籍)

日本民藝館 特別展『仏教絵画:浄土信仰の絵画と柳宗悦』(2022年3月31日~6月12日)

 玄関を入ると、2階正面の壁には、涼しげな水色地に蓮池文を染め抜いた幕。左右に「南無阿弥陀仏」「阿弥陀法界」の墨拓の軸。すでに阿弥陀の浄土に迎え入れられた雰囲気である。大階段の踊り場には、何か細長いものが立っていると思ったら『笈』だった。黒漆塗の表面に金工の仏や羅漢の姿を貼り付けている。

 大展示室は、右手の展示ケースの中にさまざまな仏画が並んでいた。本展が「これまでまとめて紹介されることがなかった、柳(宗悦)が蒐集した中世の仏教絵画をご覧いただく、貴重な機会」であることは、ホームページにも掲載されている。南北朝~室町時代のものが多いが、赤い衣(金彩の円文あり)を着て正面を向いた『阿弥陀如来像』は、中国・南宋~元時代(13世紀、伝・張思恭筆)とあった。右手を下げ、左手は肘をまげて胸の前に置く(手のかたちがよく分からない)印相は、高麗仏画を思い出させた。全体の雰囲気はずっと素朴で、田舎のおじさんみたいな顔をしている。また、中国・元時代の『達磨大師像』も、言われなければ達磨大師とは思えない、穏やかなお顔だった。

 平台の展示ケースに出ていた多数の摺仏も可愛かった。彩色の当麻曼荼羅は、精緻で明るい色彩がインドかネパールあたりの工芸を思わせた。大展示室の奥の壁の中央には、黒地に金彩で五輪塔を描いた大きな扁額が掛かっていた。奉納者であろう14人の名前が記されており、僧侶っぽい名前の中に、七郎右衛門、玉連(蓮?)童子とあるのが気になった。

 もうひとつ目についたのは、飛騨高山産という仏壇。中に人が入れるくらいの大きさで、内側は金地に蓮池が描かれており、十字名号(帰命尽十方無碍光如来)の掛軸や朱塗の燭台が取り合わせてあった。

 また、大展示室の中だったか外だったか、江戸時代の『聖衆来迎図』で、酒屋か油屋か、大きな桶が積んであり、短い暖簾が下がる店の上り口(違うかもしれないが、文楽の舞台から想像)でちょんまげ姿の町人が座って手を合わせているところに、塀の向こうから阿弥陀仏と諸菩薩が雲に乗ってやってくる様子が描かれていた。何か物語の一場面だろうか。ちょっと珍しい図様で気になった。

 2階の階段まわりには『二十五条刺納袈裟』。刺納(しのう)は刺し子の意。江戸時代の作だというが、現代手芸のように美しかった。また室町~江戸時代の『束帯天神像』は、足袋だけ履いた足のすねを投げ出しているように見えたのだけど、私の見間違いだろうか。2階はもう1室、特集の続きがあって、麗しい聖徳太子の図、阿弥陀の名号の軸、和讃の本などが展示されていた。雑な言い方になるけれど、やっぱり浄土信仰は日本文化の基層だなあと感じた。

 併設展「日本の漆工」は、私の大好きなジャンルで眼福。漆絵は楽しい。「朝鮮半島の陶磁器」では、変なカエルの描かれた『草虫図』を見ることができたのと、円柱に麦わら帽子を載せたような、白磁の位牌(15~16世紀)が気になった。「文房具」は朝鮮テイストを中心に、中国や日本の品も展示。朝鮮陶磁の水滴コレクションがかわいい。

 1階はエントランスが「丹波の古陶」、ほか「九州陶磁」「近代工芸の作家たち」「日本の染織」だった。九州陶磁の取り合わせに『御固図屏風』が出ていた。黒船来航により、高まる危機の風景を描いているのに、のどかで静謐で、好きな作品である。

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アイスショー"Stars on Ice 2022"東京公演千秋楽

2022-04-12 12:11:24 | 行ったもの2(講演・公演)

SOI(スターズ・オン・アイス)Japan Tour 2022 東京公演(2022年4月10日 13:00~、代々木第一体育館)

 フィギュアスケートの観戦記事は、昨年のNHK杯以来であるが、その後の全日本選手権、北京五輪、世界選手権は、もちろんテレビやネットで観戦していた。この間の出来事について言いたいことはいろいろあるが、全て胸の奥に封じて、久しぶりのアイスショーを楽しんできたことを報告する。

 出演者は、宇野昌磨、鍵山優真、友野一希、島田高志郎、田中刑事、ネイサン・チェン、ヴィンセント・ジョウ、チャ・ジュンファン、樋口新葉、河辺愛菜、三原舞依、宮原知子、紀平梨花、アリサ・リウ、ペアのクニエリム/フレイジャー、アイスダンスのチョック/ベイツ、ホワイエク/ベイカー、小松原美里/小松原尊、村元哉中/髙橋大輔(かなだい)。

 東京公演最終日は、三浦璃来/木原龍一(りくりゅう)組がエントリーしていないのが残念だったが、それでもペア+アイスダンスが5組! かなだい人気の余波かもしれないが嬉しい。カップル競技にはシングルとは違った魅力があるので、もっと日本のアイスショーで海外の超一流選手の演技が見られるようになってほしい。今回、私はホワベイの燕尾服プロ「Black and Gold」が特に眼福だった。

 そのほか、このショーを見に来てよかった、としみじみ思ったのは、ヴィンセント・ジョウ「Lonely」、チャ・ジュンファン「Boy with a star」(韓国語の曲)、宮原知子ちゃん「スターバト・マーテル」。しっとり系の曲と滑らかスケーティングが私の好みなのだ。ヴィンスは、イーグルでゆっくり円を描くだけの動作が、なぜこんなに心を打つのか。白シャツ衣装のチャ・ジュンファンは、輝くような王子様オーラ。知子ちゃんは、裾丈長めの白いワンピースで、中世カトリック教会の荘重な聖歌で滑る様子が神々しかった。

 宇野昌磨くんが久々の「グレスピ(Great Spirit)」だったのも嬉しかった。ネイサンの「ロケットマン」は、ショーナンバーらしく、バク宙も入れてくれるサービスぶり。ええ~私は「The ICE」で変な仮装で出てきたネイサンの印象が抜けないのに、どうした、この隙のないカッコよさは。

 前半の最後に、この公演の前に引退・プロ転向を発表していた宮原知子ちゃんのトークショーの時間が設けられており、共演者が日替わりでインタビューアーをつとめたらしいが、この日は高橋大輔さんが登場。冒頭で「トークは上手くないんですけど」と言っていたけど、昨年のNHK杯で、りくりゅうや宇野昌磨くんへのインタビューがとても面白かったのを会場で見ていたので、いやいや何を謙遜しているか、と思った。あまり話上手でない知子ちゃんの緊張をほぐして、うまく話を引き出していた。この二人、同じ干支で12歳差と聞いて驚いたのと、高橋さんが盛んにカップル競技に誘うのが微笑ましかった。知子ちゃんの演技後には、宇野昌磨くんと鍵山優真くんから花束贈呈もあり。

 なお、公演最終日の前日にアリサ・リウが引退を発表。公演後に田中刑事くんも引退を発表した。オリンピック・イヤーって、こういう節目の年になるのだな、と感慨深い。

 今回、出費を抑えて一番安いB席(南側2階)にしたので、スケーターの姿が小さく、群舞だと見分けもつきにくかった。しかしリンク全体が視界に収まるので、動きの魅力がテレビよりずっと分かりやすい。また、照明の効果で、スピンや決めポーズのスケーターの影が大きく逆さにリンクに映るのが、ディズニー映画か何かのようで、うっとりした。

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浄瑠璃寺の吉祥天に遇う/天平の誘惑(芸大美術館)

2022-04-11 12:20:20 | 行ったもの(美術館・見仏)

〇東京藝術大学大学美術館 『藝大コレクション展2022 春の名品探訪 天平の誘惑』(2022年4月2日~5月8日)

 同館の所蔵品約3万件の中から選りすぐった名品を展示するコレクション展。今回は、天平の美術に思いを馳せた特集展示が見どころ。ということなのだが、具体的にどんな作品が出ているのか、特にチェックせずに行ったら、いきなり浄瑠璃寺の吉祥天立像と向き合うことになってびっくりした。つい数日前、浄瑠璃寺の本堂で、狭い厨子の中に収まった吉祥天を、目を凝らして見てきたばかりだったので。もちろんこちらは模刻(昭和6/1931年、関野聖雲作)だが、落ち着いた色合いで古仏の雰囲気がある。

現地では見ることのできない後ろ姿。たっぷりした裾の広がり方と先端の丸まり方がかわいい。

横顔も美麗。

 吉祥天立像、唐美人を思わせる容貌と装束のせいで、古いものに思われるが、鎌倉時代の作と考えられている。建暦2年(1212)に本堂に安置された記録があるとのこと。

 そのまわりに、何やら美麗な絵の描かれた板が寝かされていると思ったら、浄瑠璃寺吉祥天厨子の壁面・扉絵だった。吉祥天立像の背後にあたる大きな板面には、八臂弁財天と四眷属。豊満な唐美人の弁財天は、髪を二つの輪に結い上げ、八本の白い腕に武器や法具を執る。四眷属は、正了知大将、宝賢大将という武神と、訶利帝母(鬼子母神)、堅牢地神という女神である。あまり聞かない神格だなあと思ったが、調べたら興福寺東金堂に正了知大将立像があるそうで、私は2014年に拝観していた(記憶にない)。

 左右は観音開きの計4枚の扉で邪鬼を踏まえた四天王を描く(展示は前後期2枚ずつ)。だいぶ褪色が進んでいるが、かえって精緻な描線がよく見えて嬉しい。四天王だけでなく、邪鬼も丸々して精気に満ちている。前扉2枚は、どちらも袖の長い赤い衣をまとった梵天と帝釈天。ひとまわり小さい侍者(女性か童子)を連れて樹木の下に立つ。解説に「当世の中国・宋時代のスタイルを積極的に取り入れている」とあったけれど、私は、もっと古い時代の中国絵画(アスターナ古墳出土の樹下美人図とか)を思い出した。

 なお、展示は浄瑠璃寺に伝わった厨子絵(鎌倉時代)そのものである。Wikiによると、現在の浄瑠璃寺で見ることのできる厨子の骨格は伝来品で、扉と後壁は模造品が取り付けられているようだ。

 会場には、大正3年(1914)に模造された浄瑠璃寺吉祥天厨子(後壁、扉なし)も展示されている。見どころは天井の彩色模様。これを拡大したものが会場のバナーにも使われていたが、品があって愛らしくて、とてもよい。正倉院宝物にも通じる感じがした。

 このほかでは、奈良時代と認められる仏像断片、仏像荘厳具断片、東大寺法華堂天蓋残欠などが珍しかった。形態・材料分析によって、どこから脱落したかを推定する過程の解説も興味深く読んだ。

 また、奈良の古美術や「天平」のイメージを源泉として生まれた近代の諸作品も展示されていた。君島彩子氏の『観音像とは何か』によれば、明治以降「天平」は日本美術の規範として発見されたという。狩野芳崖『非母観音』や菱田春草『水鏡』は、そうした思潮に基づくのだろう。私は、規範意識とあまり関係なく、古代のロマンを描いてみただけ、みたいな和田英作の『野遊び』が好き。長原孝太郎『入道雲』は、入道雲を裸のおじさんに見立てたもの(?)。こういうのは、むしろ西欧の絵画の影響を強く受けているように思う。

 彫像では、竹内久一『韋駄天』を初めて見て気に入った。法輪(たぶん)の上で走りながらバランスをとる姿は、ちょっと剣の護法童子を思わせる。最後に薮内佐斗司先生の『歴坊 面』(せんとくんの原型)もいた。

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ローマ帝国の贅沢と日常/ポンペイ(東京国立博物館)

2022-04-09 20:56:02 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館 特別展『ポンペイ』(2022年1月14日~4月3日)

 東京では終わってしまった展覧会だが、これから京都展・九州展もあるので、記録を書いておくのも無駄ではないかもしれない。紀元後79年、ヴェスヴィオ山の噴火により、火山噴出物に埋没したローマ帝国の都市ポンペイ。本展は、ナポリ国立考古学博物館の全面的協力のもと、壁画、彫像、工芸品の傑作から食器、調理具まで150件余りを展示し、2000年前の都市社会と豊かな市民生活をよみがえらせる。

 ポンペイ滅亡の物語は子供の頃から知っていた。少年マンガ誌や学習雑誌の読みもの記事で得た知識ではないかと思う。曖昧な記憶だが、1960~70年代のマンガやアニメには、ポンペイの運命を換骨奪胎したストーリーが描かれることもあったように思う。大人になってからは、澁澤龍彦がプリニウスを主人公にした『火山に死す』も読んでいる。しかし、これらは全て物語やイマジネーションに属するもので、ポンペイ遺跡の現状を映像で見たり、発掘された遺物に接したことは一度もなかったので、本展は衝撃的に面白かった。

 ポンペイの発掘は18世紀(具体的には1748年)に開始され、今日も続いているという。完璧な姿を残す彫像(大理石やブロンズ)に加え、色鮮やかなフレスコ画やモザイク画が多数残っているのが驚きだった。ポンペイは詳しい市街図が判明しており、「ファウヌスの家」(陽気なファウヌス像が出土)「竪琴奏者の家」(竪琴を弾くアポロ像が出土)などは、広大な邸宅の間取りも分かっている。これら邸宅の壁や床を飾るフレスコ画やモザイク画が素晴らしい。特に細かい石片(?)を組み合わせて微妙な色調を表現したモザイク画は、遠目には普通の精巧な絵画に見える。

 「ファウヌスの家」の談話室の床には巨大な「アレクサンドロス大王のモザイク」が敷き詰められている。マケドニア軍とペルシア軍がぶつかり合う戦闘場面で、これは残念ながら複製と映像しか展示されていなったが、世界史の教科書でおなじみのアレクサンドロス大王の肖像は、このモザイク画の一部である。1916年に発見場所の床面から剝がされて、ナポリ国立博物館の収蔵となったそうだ。火山灰に埋もれたポンペイが、タイムカプセルのようにこのモザイク画を保存してこなかったら、私たちの教科書の挿絵も違ったものになっていたかもしれない。

 あと、屋敷に飼犬がいることを示す「猛犬注意」のモザイク画は、ポンペイの(ローマ帝国の?)定番だったようだ。装飾ではなく注意喚起の実用のためか、色もデザインもシンプルだが、家によってイヌの姿に個性があり、「民藝」的な面白さを感じた。

 美麗なガラス杯、金のランプ、貴金属アクセサリーなど豪奢な品々も展示されていたが、むしろ面白かったのは、人々の暮らしに密着した品々である。一番人気は、なんといってもこの「炭化したパン」だろう。けっこう厚みのあるタイプである。ほかにも炭化したキビや炭化した干しブドウが展示されていた。

「仔ブタ形の錘(おもり)」。食器の間に並んでいたが、何に使うのかよく分からなかった。

「目玉焼き器、あるいは丸パン焼き器」。どう見ても、たこ焼き器にしか見えない。

 市内の劇場付近の住宅の庭園に飾られていたという土製の人形(背景は写真)。女性役、おそらく遊女を演じる俳優の姿だという。ローマ演劇は(ギリシア演劇も)仮面をつけて演じると聞いていたが、具体的にどんな姿か見たことがなかったので、興味深かった。自然な人の顔に近い仮面なのかな。

 ヴェスヴィオ山の噴火で埋もれた都市はポンペイだけではない。本展では、エルコラーノ及びソンマ・ヴェスヴィアーナの発掘についても紹介する。後者は、2003年から東京大学による本格的な発掘調査が開始されているそうだ。ローマ帝国の遺跡なんて、もうすっかり発掘調査が完了しているのかと思っていたが、まだ新しい発見がもたらされるかもしれないのだな。期待していよう。

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文化工作の実態/大東亜共栄圏のクールジャパン(大塚英志)

2022-04-07 21:03:42 | 読んだもの(書籍)

〇大塚英志『大東亜共栄圏のクールジャパン:「協働」する文化工作』(集英社新書) 集英社 2022.3.22

 戦時下、いわゆる大東亜共栄圏に向けてなされた宣伝工作である「文化工作」の具体的な姿を追う。短い序章では、戦時下の「文化工作」の特徴として(1)多メディア展開 (2)内地向けと外地向けの差、および地域ごとのローカライズ (3)官民の垣根を越えた共同作業、特にアマチュアの能動的参加、の3点を示す。最後の点に関連して、文化を含む翼賛体制構築のための実践の基本原理が「協働」である、と指摘されている。余談だが、私は長年、文教関係の公的セクターで仕事をしているが、現在もこの言葉はよく使われており、4月に入職した職場の一室に「協働スペース」の看板が掲げられているのを見つけて、苦笑している。

 本書が扱う分野(メディア)には、まんが、映画、アニメがある。新興の表現、マージナルな表現ほど(承認欲求のゆえに)動員されやすかったという指摘は、現代に通じる問題として記憶しておきたい。まんがについては、まず、前著『「暮し」のファシズム』でも紹介されていた『翼賛一家』を取り上げる。新日本漫画家協会の作家たちが制作し、アマチュアの参画を目論んだ、翼賛体制の宣伝と啓蒙のための作品である。本書では、この作品が、華北・台湾・朝鮮でどのようにローカライズされたか、誰が制作に関わったかを見ていく。

 次に、外地に赴き、まんが教育をおこなった2人の漫画家を検討する。「のらくろ」の田河水泡と「タンクタンクロー」の阪本牙城である。特に満州の開拓団や義勇隊をまわって少年たちにまんがの描き方を指導しながら、その過酷な実態を見てしまい、体験の一部を作品やエッセイに残した阪本牙城の話が興味深かった。戦後は漫画の筆を折り、阪本雅城として水墨画に専心したというのも知らなかった。

 映画に関する文化工作は、最も生臭く、キナ臭い物語だった。戦時下の上海では、日本軍と東宝が現地映画人を巻き込み、「光明影片公司」という偽装映画会社を立ち上げ、中国大衆向けの「文化工作」映画を製作していた。ところが、この映画会社にかかわっていた台湾出身の劉燦波が(おそらく漢奸=裏切者として)暗殺されてしまう。翌年(1941年)東宝と中華電影は、劉の死を題材にした映画『上海の月』(成瀬巳喜男監督)を製作し、公開する。『上海の月』のフィルムは失われてしまったそうだが、当時の新聞広告のコピーがすごい。「抗日女スパイの暗躍に抗して敢然起つ 文化戦士の血みどろの挑戦」とか…俗情におもねるとはこういうことか。

 また、中華電影に籍のあった多田裕計は、劉の死を思わせる描写のある『長江デルタ』を発表する。そして同作は同年の芥川賞を受賞する。当初、佐藤春夫、宇野浩二ら審査員の評価はあまり高くなかったが、これをひっくり返したのは横光利一である(ちなみに多田は横光の狂信的なファンだった)。選考過程の記録がきちんと残っているところは、公明正大というべきかもしれないが、それにしてもまあ…。

 最後はアニメ『桃太郎 海の神兵』について。「桃太郎」を日本軍の表象とし、鬼を敵国に見立てるという発想は、なんと日露戦争時代からあるそうだ(アール・ヌーヴォー様式の桃太郎!)。一方で桃太郎を侵略者、鬼を侵略される側として描くことも、尾崎紅葉『鬼桃太郎』(1891年)など早くからあり、大正末期から昭和初期には「桃太郎に軍国主義・侵略主義を説くこと」が「インテリの観念」となる。ところが、日中戦争期に入ると、これが反転し、桃太郎は「南方侵略肯定」のアイコンとなる。宝塚歌劇では「日出づる国」からやってきた植民地解放者として描かれるのだ。

 関連して、柳田国男『桃太郎の誕生』の冒頭が、1931年版と1942年版で全く違うことも初めて知った。ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」を見て、海から来る神々のイメージを想起した旧版が、南方の島々に日本と共通の記憶を探す、大東亜共栄圏的関心に書き換えられているのである。

 そして、名作の誉れ高いアニメ『桃太郎 海の神兵』であるが、実は印象的なシーンの多くは、先行する記録映画、ディズニー、戦争画、プロパガンダ雑誌などの視覚表現の「引用」であることが検証されている。いや、別に引用だから価値がないというわけではないが、戦時下には、こうした戦時表象の「引用の織物」が多数つくられていたのである。

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