見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2020年:中秋の名月

2020-10-01 22:31:43 | なごみ写真帖

今日は旧暦八月十五日(中秋節)。我が家のベランダから、十五夜の月がよく見える。

仕事帰りに月見団子でも買っていくか、月餅でもいいな、と思ったけれど、どちらにも出会えず、花屋でススキと菊と竜胆と葉鶏頭の秋の花束を買って帰ってきた。ウサギのマスコットつき。

2020年は、花見らしい花見もせず、夏祭りも花火大会も中止で、季節を感じるヒマもなく、あと3か月になってしまった。秋冬もこのまま過ぎていくのだろうか。まあ無事が一番ではあるが。

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2020年8-9月@東京:展覧会拾遺

2020-09-28 23:33:01 | 行ったもの(美術館・見仏)

三井記念美術館 開館15周年記念特別展『三井家が伝えた名品・優品』第2部:日本の古美術(2020年8月1日~8月31日)

 第1部「東洋の古美術」に続く第2部。冒頭の『伊賀耳付花入(銘:業平)』は伊賀焼にしては細身で華奢な印象。表側は緑色の釉薬がキラキラ輝いて雅やかだが、裏にまわると焼け焦げたような茶色が目立ち、寂びの魅力を感じる。仁清の『流釉輪花建水』は上品で可愛い。久しぶりに見た「継色紙」「寸松庵色紙」「升色紙」の揃い踏みを堪能。特に升色紙の「くるるかとみればあけぬるなつのよをあかすとや」(ここまで左側)「なく山ほととぎす」(右側、空白多め)の配置が好き!

静嘉堂文庫美術館 『美の競演-静嘉堂の名宝-』(後期:2020年8月4日~9月22日)

 展示替えがあったので後期も見て来た。前期の山水画が引っ込んだかわりに「信仰の造形」が増えて、鎌倉時代の『春日本迹曼荼羅』、南北朝時代の『春日宮曼荼羅』(色彩が鮮明でカラフル)、室町時代の『春日鹿曼荼羅』(背景の御蓋山が春日権現験記絵のようなウロコ模様)などを見ることができた。元時代の華やかで巨大な仏画『文殊菩薩像』『普賢菩薩像』は若冲が手本にしたと考えられるもの。しかしこの文殊は文殊らしくない。『羯鼓催花・紅葉賀図密陀絵屏風』は初めて左右一双を見ることができた。2016年に片方しか見ることができず、悔しがったもの。玄宗の宮廷を描いた羯鼓催花図のほうが残りがよく、古代日本の貴公子たちを描いた紅葉賀図のほうは、退色が目立っていた。

太田記念美術館 『月岡芳年 血と妖艶』(後期 :2020年9月4日~10月4日)

 これも後期再訪。好きな作品『月花の内 雪 岩倉の宗玄 尾上梅幸』を見ることができて満足。小学生くらいの男子を連れた若いご夫婦がいて、確かに劇画調でカッコいい武者絵もあるけど、血みどろ絵、大丈夫なのだろうか?と横で心配してしまった。

永青文庫 令和2年度秋季展 財団設立70周年記念『永青文庫名品展-没後50年”美術の殿様“細川護立コレクション-』(2020年9月12日~11月8日)

 永青文庫の設立者である細川護立(1883-1970)の没後50年を記念し、そのコレクションの魅力を楽しむ。4階展示室には、今年、新たに重要文化財に指定された松岡映丘の『室君(むろぎみ)』と平福百穂の『豫譲(よじょう)』を展示。どちらも六曲一双の大画面で、この展示室ができてよかったとしみじみ思った。中国古代を舞台にした『豫譲』制作のため、百穂が朝鮮総督府博物館の小場恒吉に冠や馬具の細部について問い合わせた手紙が一緒に展示されていて面白かった。狩野元信筆『細川澄元像』(永正4/1507年)はとても鮮明。刀ではなく薙刀みたいな長巻を持っているのだな。

 菱田春草『黒き猫』は写実というより、猫の概念が描かれているような気がする。着物か帯の柄のように美しく平面に収められた柏の枯れ葉の風情もよい。

山種美術館 特別展『竹内栖鳳《班猫》とアニマルパラダイス』(2020年9月19日~11月15日)

 『黒き猫』を見たらこっちも、と思って、ハシゴで竹内栖鳳の『班猫』を見に行った。こちらは、個性というか具体性を強く感じる猫で、ゴロゴロと喉を鳴らす声、柔らかな体毛に埋もれた華奢な骨格まで想像できる。第2展示室では「ローマ教皇献呈画 守屋多々志《西教伝来絵巻》試作 特別公開」という併設展示をやっていて、大作『慶長使節支倉常長』と併せて、『西教伝来絵巻』(試作)を見ることができた。上巻は、青海原を渡る帆船によって、ヨーロッパから日本へ宣教師たちの旅を象徴する(雲の上で天使たちが祝福している)。下巻は聖母子の左右には、安土桃山時代の日本の男女の姿が明るい色彩で描かれている。絵を描く少年、甲冑を来た武士、直垂姿の侍、百姓、高貴な女性など。楽しい作品だった。

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歳月が磨く夫婦愛/中華ドラマ『如懿伝』

2020-09-27 21:21:41 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『如懿伝』全87集(新麗伝媒、2018)

 2018年に同じ乾隆帝の後宮を題材にした『延禧攻略』と『如懿伝』が公開されたときは、私はどちらかといえば、こっちに興味があった。主人公の如懿を演じるのが周迅と聞いたからである。周迅、もう40代になるというが、私が中国ドラマにハマった最初期の作品、2003年版『射鵰英雄伝』のヒロイン蓉児を演じていて好きだったのだ。

 食わず嫌いだった後宮もの『延禧攻略』が意外と楽しめたので、本作にもチャレンジしてみることにした。偶然ではあるが、両作品をこの順番で見たのは正解だったと思う。如懿と皇子弘暦(のちの乾隆帝)は幼なじみの相思相愛だったが、若い皇子は自分の意志で正室を選ぶことができず、如懿を福晋(側室)として迎え入れる。如懿は身分を気にせず、二人で支え合って生きることを願う。しかし弘暦の即位により、皇帝の寵愛をめぐる后妃たちの陰謀・暗闘に巻き込まれていく。

 以下、どうしても『延禧』との比較になってしまうが、本作の前半、后妃たちの争いは『延禧』のテイストに近い。ただ、瓔珞が直感と感情で動き、やられたらやり返すのを信条としているのに対して、如懿は沈着冷静。正邪のけじめは付けなければならないと感じているが、復讐で留飲を下げようとは思っていない。幼なじみの皇帝を信じているせいか、后妃たちの争いに対してどこか冷めている。

 史実の乾隆帝には三人の皇后がいた。最初の皇后は乾隆13年に死去。乾隆14年に皇后に立てられ、乾隆30年の皇帝南巡に同行した際、突然「失寵」した二番目の皇后(継皇后)が、このドラマの主人公の如懿である。その後、皇后は立てられなかったが、嘉慶帝の母となった炩妃(延禧攻略では令妃、瓔珞)が死後に皇后を追贈された。

 『延禧攻略』は三番目の令妃が主人公なので、当然、継皇后は悪役だった。本作では炩妃(衛嬿婉)が手段を選ばない野心家の毒婦として描かれる。しかし、本作の終盤がつらいのは、炩妃の奸計とは別に、皇帝自身の如懿に対する愛情と信頼が揺らいでいくことだ。

 あるときは異民族の美女・寒香見(容妃、伝説のホージャ妃がモデル)に一目惚れして、彼女の心を得る方法を考えてくれと皇后の如懿に求める。杭州では青楼の遊女たちと乱痴気騒ぎをしているところを如懿に見つかり、厳しく叱責されて逆ギレする(これはちょっと皇帝も可哀想)。また忠義者の御前侍衛・凌雲徹と如懿の私通を疑い、凌雲徹を宦官にして辱める。そして夭折した五皇子永琪が養母の如懿を恨んでいたという嘘の証言に唆され、如懿から皇后の印璽を取り上げる。

 最後に炩妃の悪行が全て明らかとなり、皇帝は皇后の印璽を戻そうとするが如懿は受け取らない。秋の恒例行事である狩猟に旅立つ前、皇帝は如懿のもとを訪ねて、ぎこちなく短い会話を交わす。力のない微笑で見送った如懿は、すでに重い病に犯されており、侍女の容珮だけに見守られて、往時を振り返りながら静かに世を去る。

 皇帝は如懿の葬儀を、皇后ではなく「烏拉那拉氏」として行うことを命ずる。史実でも継皇后には皇后としての諡号も贈られていない。そのため一般に、継皇后は何か大きな罪を犯して皇帝の怒りを買ったものと考えられている。しかし本作では、非人間的な後宮に閉じ込められ、醜い争いで数々の命が奪われるのを見てきた如懿の最期の願い「自由になりたい」を聞き届けた皇帝の決断と解釈する。如懿と皇帝以外、誰もその本当の意味は理解しないだろうけれど。ダメ男丸出しだった本作の皇帝を、最後にちょっと見直した。全編のラストが、白髪の老人となった太上皇が如懿の形見の断髪を愛おしみながら瞑目するシーンなのもよかった。本作は、登場人物の心情をあまり科白で説明せず、見る者の想像に任せる演出が多かったように思う。

 欠点も多いが憎み切れない皇帝を演じたのは霍建華(ウォレス・フォ)。如懿役の周迅は、ハスキーな低い声がキャラクターによく合っていた。二人とも、序盤の少年少女時代を演ずるにはちょっと無理のある年齢だが、本作の見どころである大人の男女の機微を演ずるには適した配役だったと思う。炩妃(衛嬿婉)は李純。全く同情の湧かない悪女役をご苦労様でした。継皇后の没後は、やっぱり皇帝の寵愛は炩妃に移るのか?と思っていたら、違う展開でほっとした。凌雲徹(経超)、李玉(黄宥明)、進忠公公(蒋雪鳴)、永琪(屈楚蕭)もいい俳優さんだったので覚えておくため、ここにメモ。

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好きな缶ビール

2020-09-27 17:07:04 | 食べたもの(銘菓・名産)

私の好きな缶ビール銘柄。

もともと特に好みはなかったのだが、北海道で2年間暮らした間にサッポロクラシックの味を覚え、ほかのビールでは物足りなくなった。その後、つくばでは、研究学園駅のショッピングセンターに北海道物産館があったので、そこで調達していた。

東京に引っ越して、サッポロクラシックを入手できる機会は減ったが、ときどき近所のスーパーに期間限定で入荷する。見つけると、2缶、3缶と買ってしまう。

最近ひいきにしているのはオリオンビール。沖縄のビールだが、サッポロクラシックに味が近い気がする。

それから、ノンアルコールのサッポロプラスは、つくばで出会ったもの。徒歩圏のスーパー3軒のうち、特定の1軒にしかなくて、そこで買っていた。東京に引っ越してきて、入手できるか不安だったが、幸い、近所のスーパーが常備してくれていた。ところが、最近、商品棚から消えてしまったので、調べたら販売終了とのこと。悲しい…。これも苦みの強いところがクラシックの味に似ていて好きだったのに。

慌ててネット通販で注文して、2ダース確保したが、たぶんこれが最後だろう。新たに私好みのノンアルコールビールを探さなければ。

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人形劇ならではの演出/文楽・嫗山姥、他

2020-09-24 22:04:49 | 行ったもの2(講演・公演)

国立劇場 令和2年9月文楽公演

・第3部『絵本太功記(えほんたいこうき)・夕顔棚の段/尼ヶ崎の段』(2020年9月21日、17:00~)

 9月6日の公演を見に行くはずが、スタッフに微熱が発生したため休止になってしまったので、チケットを取り直した。武智光秀(明智光秀)が主君・尾田春長(暴君という設定)を本能寺で討ったあと、息子の不義が許せない母のさつきは尼ヶ崎に隠棲する。そこに次々に訪ねてくる、光秀の妻、光秀の息子の十次郎、十次郎の許嫁、そして旅の僧。物陰で様子をうかがっていた光秀は、旅の僧の正体が真柴久吉と見破って、風呂場の外から竹槍を投げ入れるが、中にいたのは母のさつきだった。そこへ初陣で傷を負い、戻ってきた小十郎。母と息子の亡骸を残して、山崎の天王山へ向かう光秀。絶望的な悲壮感に酔う。

 睦太夫、呂勢太夫、呂太夫という、あまりオーバーアクションでない古風な芸風の太夫さんのリレーだった。光秀は玉志、さつきは桐竹勘寿で、人形も手堅い配役。

・第1部『寿二人三番叟(ことぶきににんさんばそう)』『嫗山姥(こもちやまんば)・廓噺の段』(2020年9月22日、11:00~)

 第1部は9月13日のチケットを取っていたが、野暮用で見られなかったのでリベンジ。千秋楽になってしまったけれど、やっぱり三番叟を聴けてよかった。人形は玉勢と蓑紫郎。この演目は、本来、黙って聴くものではなくて、みんなでノッて盛り上げたい。

 『嫗山姥』は初見。婚約者の源頼光が行方知れずとなり、気持ちのふさぐ沢潟姫。腰元たちは姫を慰めようと煙草売りの源七を、次いで旅の女郎・八重桐を館へ招き入れる。実は源七は坂田時行、八重桐はその思い人だった。清原高藤と平正盛を敵とねらう時行は、自らの不甲斐なさを恥じて腹を切り、八重垣が腹の子を養育して敵を討ち果たすよう言い残して死す。清原高藤って藤原高藤だろうか。平正盛は本名だったり、平安初期の歴史上の人物の使われ方を面白く思う。

 時行の傷口から出た「炎の塊」が口に入ると八重桐は態度が一変、長い両手を振り上げて侍たちを投げ飛ばし、髪を振り乱して鬼女の顔をあらわにする(ガブの頭を用いる)。八重桐は勘十郎さんで楽しそうだった。蓑助さんとか玉男さんが遣うと人形が人間に見えるのだが、勘十郎さんの場合、奇想天外・荒唐無稽なストーリーが大好きで、人形劇ならではの演出を存分に楽しんでいるように思う。

 口は希大夫、奥は千歳太夫。千歳太夫の熱演はいつもどおりで嬉しかった。床や舞台に近い席は使用禁止だったり、応援の掛け声も掛けられなかったり、まだまだ不自由はあるけれど、劇場でナマ鑑賞できるようになって、ありがたいと思っている。

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赤壁図屏風で祝再開/モノクロームの冒険(根津美術館)

2020-09-23 22:32:50 | 行ったもの(美術館・見仏)

根津美術館 企画展『モノクロームの冒険-日本近世の水墨と白描』(2020年9月19日~11月3日)

 新型コロナの影響でずっと休館していた根津美術館がようやく再開したので、1月末に企画展『〈対〉(つい)で見る絵画』を見に行って以来8か月ぶりの参観に行ってきた。長かったなあ。前日にホームページを見たら「ご来館前日までに日時指定入館券をご購入ください」という案内が掲載されていたので、慌てて購入した。行ってみたら、アプローチの先(屋外)に特別な受付が設置されていて、日時指定入館券を購入せずに来てしまった人にも対応しているようではあった(同館でおなじみのおじさんの姿を見て懐かしかった)。

 本展は、墨の可能性を追求してきた水墨と白描の魅力を、日本近世の作例によって紹介するコレクション展。展示室1には屏風、軸物、画巻などの水墨画17件。伝・宗達筆『老子図』は、明確な線で構成された老子の肖像と、たらしこみのせいで溶け出しそうな墨色の牛の対比が面白い。狩野山雪筆『梟鶏図』2幅は大好きな作品なので再会を喜ぶ。目つきの悪いニワトリとかわいいフクロウ。あさってのほうを向いているフクロウの視線がよい。大阪の『奇才』展でも山雪をたくさん見たが、ほんとに振れ幅の大きい絵師だと感じる。

 展示室に入った瞬間に気づいていたのだが、壁面の大部分を占領していたのが、長沢芦雪筆『赤壁図屏風』。六曲一双で、屏風の一枚がタタミ一畳分くらいある。昨年、出光美術館の『名勝八景』で初めて見たのだが、あのときは展示室のかどを利用して、右隻と左隻を90度の角度で展示していなかったかしら。今回は左右に並べているので、規格外の大きさが際立つ。端から端まで歩いてみて、その遠さに笑ってしまう。大画面の左右に展開する幻想的な岩壁。幽霊の行進みたいな松の木。水上に浮かぶ小さな船、数名の文人たち。船のトモでは、縦長の涼炉に茶瓶を掛けている様子なのが、江戸の煎茶趣味を反映しているようで面白い。いま気づいたが、今回の展覧会のポスターは、この『赤壁図屏風』じゃないか。欲しい!

 海北友松の『呂洞賓・鷺・鶴図』3幅対は、オバQみたいな白抜きの鷺図がかわいかった。点目が愛らしい呂洞賓は、抜き身の剣に立って宙を飛んでいる。中国の仙術の定番のひとつだ。『牧谿瀟湘八景図模本』は同館の水墨画コレクションでは欠かせない名品だが、私はむしろ狩野常信筆『瀟湘八景図巻』が気に入った。モノクロームの世界だが、むかし見た江南の風景がよみがえる。雨を含んで重たそうな竹の緑、黒い瓦に白壁の村など。

 展示室2は白描画。『伊勢物語・源氏物語図屏風』のほか、『鳥獣戯画断簡模本』(ウサギとサルの競べ馬。江戸期の摸本だが巧すぎてそう見えない)、冷泉為恭、吉川霊華、安田靫彦の作品など、多彩だった。

 展示室3(仏教美術)は、木造彩色の増長天立像(平安時代、12世紀)をこのコーナーでは初めて見るような気がした。どこか力の抜けたやさしい造形。2019年の企画展『優しいほとけ・怖いほとけ』では見たものかもしれない。展示室5は「陶片から学ぶ-中国陶磁編」を特集。根津美術館、こういうコレクションも持っているんだ、と認識を新たにする。展示室6は「秋寂の茶」。寂しいけれど華やかな名品が揃っていて、再開記念の気持ちを込めたセレクションではないかと思った。

 展示室の中ほどに設置されていた展示ケースやベンチを減らして、空間を広くするなど、感染症予防に配慮した会場づくりだった。何事もなく、再開が続きますように。

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労働組合さまざま/働き方改革の世界史(濱口桂一郎、海老原嗣生)

2020-09-22 20:54:38 | 読んだもの(書籍)

〇濱口桂一郎、海老原嗣生『働き方改革の世界史』(ちくま新書) 筑摩書房 2020.9

 労働や雇用の問題には関心があるのだが、自分に基礎がないことを知っているので、読む本を選ぶときは慎重になる。濱口先生の著書は『働く女子の運命』1冊しか読んでいないが、軽いタイトルにもかかわらず内容は堅実で、とても勉強になったので、本書は迷わず買ってみた。

 本書は、国によって異なる労働運動の仕組みが、どのような経緯で出来上がったかを、時代と国情などを整理して説明したものである。英米独仏そして日本の労働思想に関する古典的な名著12冊をセレクトし、濱口氏がその内容と歴史的な位置づけを、それぞれ15ページ程度で解説する。軽い冗談も交えた講義口調で、名著の要点が頭に入る。各章の口絵に、それぞれ「物体」としての本(日本語翻訳版)の写真が使われているのもちょっと好き。

 紹介されている12冊は以下のとおり。シドニー&ベアトリクス・ウェッブ『産業民主制論』/サミュエル・ゴンパーズ『サミュエル・ゴンパーズ自伝』/セリグ・パールマン『労働運動の理論』/フリッツ・ナフタリ『経済民主主義』/ギード・フィッシャー『労使共同経営』/W.E. フォン・ケテラー『労働者問題とキリスト教』/G.D.H. コール『労働者』/アラン・フランダース『イギリスの団体交渉制』/バリー&アーヴィング・ブルーストーン『対決に未来はない』/サンフォード・ジャコービィ『会社荘園制』/エドモン・メール『自主管理への道』/藤林敬三『労使関係と労使協議制』。読んだことのある本は1冊もなかった。

 ここから分かってくること。イギリスでは同じ職業(トレード)の労働者が団結し、労働力の集合取引(コレクティブ・バーゲニング)を行うために組合が形成された。20世紀のアメリカでは、科学的管理法と大量生産システムによってトレード(職種)が解体し、企業の管理単位であるジョブ(職務)が確立する。アメリカの労働者は会社側が作り出したジョブを労働者の権利として再編成した(決められたジョブ以外はやらされない)。しかし、その結果、労働者は「経営」に携わることができなくなる。

 一方、戦後ドイツは、ワイマール時代に構想された経済民主主義を実行に移す。労働者が経営の意思決定に携わるという意味で、労使共同経営(パートナーシャフト/パートナーシップ)とも呼ばれ、日本的経営に近い面もある。1950年代のイギリスでは、国内の労働運動の混乱・破綻の中で、ドイツや日本の労使パートナーシップ関係に憧れの目が向けられて来た。アメリカも、行き過ぎたジョブ・コントロールへの反省から、労使協調組合の存在を認めるための労働法改正が、1990年代に民主党のクリントン政権の下で実現しかかったが、従来型の労使関係に固執する労働組合団体によって阻止され、その後、日本型経営は、急速に支持を失った。

 本書で初めて知ったが、写真フォルムのコダック社は、アメリカ企業では例外的に「メンバーシップ型」の経営を実践した。終身雇用の見込みと揺りかごから墓場までの給付を提供し、職長が労働者を直接解雇することを禁じ、「個人的なふれあい」を大事にし、監督者は「俺のために」ではなく「俺と一緒に」仕事をするよう部下に指示することが求められた等、日本の老舗企業の話を聞いているようだった。しかし市場競争の激化によって、コダック社は90年代に多数のレイオフを出し、2012年には経営破綻してしまう。

 著者のひとり、海老原氏は、巻末の対談で「コダックなどはもう少し日本型経営の仕組みを研究していれば」生き永らえたのではないか、という疑問を投げかけているが、濱口氏は「それは無理でしょう」と厳しい。なぜなら雇用システムとは一社だけでは成り立たないので、社会の多数派である必要がある。「社会主義は孤立して一国社会主義でも成り立つが、企業は一社だけ孤立して存在するのは難しい。雇用システムは企業内の人事システムであると同時に社会システムでもあるから」というのは、強く印象に残った言葉である。

 現在の日本の雇用システムにはたくさん問題があると思うが、それはみんなで変えていかなければ持続化しないと思う。それから、世界には(一見)さまざまな成功モデルがあるが、いずれも固有の歴史と社会システムの中に根を張っているので、「いいところ」だけを日本に移植するのは困難だということがよく分かった。

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伸び縮みする統計/人口の中国史(上田信)

2020-09-20 23:15:16 | 読んだもの(書籍)

〇上田信『人口の中国史:先史時代から19世紀まで』(岩波新書) 岩波書店 2020.8

 中国史に限らず、歴史の概説書を読んでいると、この時代、この地域の人口は〇〇万人とか、この時期に一気に人口が増えたとかいう記述がある。本書によって、近代以前の人口がどのように推計されているのかが少し分かって面白かった。

 著者は中国史を「合→散→離→集」のサイクルの繰り返しでとらえる。1つの文明が安定している状態(合)から、次第にゆらぎが生じ(散)、新たな複数の可能性が争い(離)、最後に1つの可能性が生き残る(集)というサイクルで、中国史を知っている者には分かりやすい。

 古代の王朝について、逸書『帝王世紀』には禹が中原を平定したときの人口が記載されているが、もちろん信じるわけにはいかないので、学者は発掘された遺跡の状況、邑の規模や墳墓の数から人口を推計する。漢代(西暦2年)には郡ごとの戸数と人数が『漢書』に残されており、いちおう「東アジア最初の戸口統計」と認められている。こうした統計を、現代中国の省ごとにまとめた戸数・口数(一部は推計)の一覧表が、本書は各王朝について掲載されており、前代と比較した増減率も付記されているので大変おもしろい。ただし各時代とも、税負担を逃れて奴婢になったものや辺境の異民族など、登録されていない集団がいることを忘れてはならない。

 南宋の1210年には宋朝と金朝の公式の統計を合算すると人口が1億人を超える。登録されていない人口を推計すれば、おそらく12世紀半ばには1億人を超えていたという。しかしモンゴル帝国下では(王朝が把握した人口では)6000万人程度に減少する。

 明初、洪武帝(朱元璋)は里甲制に基づく厳密な戸口調査を行った。これは「中国最初の人口センサス」と評価されている。しかし16世紀後半、銀納を認めた税制(一条鞭法)が普及すると、戸口を把握する意味が薄れ、調査は実態を反映しなくなる。

 清朝に入り、康熙帝は王朝が人民の数を把握できていないことに危機感を覚えた(さすが名君)。そこで1711年の人口(盛世滋生人丁)を以て丁銀(人頭税)を固定化し、隠された人口の表面化を誘導しようとした。しかしうまくいかなかったため、雍正帝は1726年から各地方で順次、丁銀を土地税の中に繰り込み(地丁銀)、税制から完全に廃止した。これが中国18世紀の「人口爆発」の一因とも言われている。

 しかし人口増加がその後も持続したことには、戸口統計の変化以外の理由を探さなければならない。たとえば四川・雲南・広東などへの移民政策。清朝は、漢族が安心して移住できるよう、地方行政の主体を現地の土司から中央派遣の官僚支配に転換する「改土帰流」政策をとった。これを読むと、現代中国政府が新疆や内モンゴルで起こしている問題は、共産党の独創でなく、背景に長い伝統を持つことが分かる(だから許容される、という問題ではないが)。

 実は人口急増は1680年代、「盛世」と呼ばれる太平の世のベビーブームから始まっている。このおよそ100年前、16世紀後半にトウモロコシ、サツマイモ、ジャガイモなどアメリカ大陸原産の作物が中国にもたらされ、次第に農民に普及した結果とする説もある。著者は族譜を用いて死亡の季節性を調べているが、18世紀半ば以降は平準化が進む。農業の生産性向上、救荒作物の普及により、人々が収穫の端境期を乗り越えられるようになったと考えられる。また、清朝が、漢族社会の悪習「溺女」を禁じた(根絶はできなかった)影響も大きいという。

 人口が増えるのが豊かな社会かといえば、必ずしもそうではない。18世紀に地域の隅々まで貨幣経済が行き渡り、貧富の格差が拡大すると、人口は増加し続けるが平均寿命は下がり始める。郷村では豊かな男性が多くの女性を独占し、貧しい男性は単身で地域を出て、製鉄や林業など山中の作業所で不安定な賃労働に従事した。彼らを取り込んだのが、白蓮教や太平天国などの宗教結社である。

 人口史というのは、増えた減っただけを論じる学問ではなく、数字には必ずその理由があり、また数字から導き出される未来予測があるということが分かる1冊だった。

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次に見るべき作品は/まるわかり!中国時代劇・ドラマ(EIWA Mook)

2020-09-18 23:47:03 | 読んだもの(書籍)

〇EIWA Mook『まるわかり!中国時代劇・ドラマ』 英和出版社 2020.9

 性懲りもなく、また中国ドラマのムック本を買ってしまった。4月に出た「ぴあムック」から時間が経っていないので、あまり新しい情報はない。やはり『陳情令』と『長安二十四時(長安十二時辰)』が、いま最も注目すべき作品であるのは動かないところ。あと、私は既に中文版を見ていて、まもなく日本語字幕版の放映が始まる『九州縹渺録』と、次に見たい作品のリストに入れている『鬢辺不是海棠紅』と『大明皇妃(大明風華)』が大きく取り上げられていたのもポイントが高かった。

 中国ドラマといえば、日本では古装劇が人気だが、本書には現代劇も紹介されている。『法医泰明』『原生之罪』は中国で高い評価を得たサスペンスドラマ。このジャンルも、もっと日本に入ってくるといいなあ。

 人気の俳優さんへのインタビューが何本か掲載されていて、いま視聴中の『如懿伝』に出演中の霍建華(ウォレス・フォ)と張鈞甯(チャン・チュンニン)のインタビューを興味深く読んだ(ちょっとネタバレあり)。ちなみに本書は、中国の俳優さんの名前に漢字を付記してくれているのがありがたい。発音のカタカナだけだと誰だかさっぱり分からないので。

 「これから日本上陸が期待される作品」のコラムは、かなり情報が早い! 文字だけの情報ではあるが、今年、中国で話題になった『傳聞中的陳芊芊』『清平楽』『隠秘的角落』などがちゃんと紹介されているし、まだ放映されていない『青簪行』や九州シリーズの『斛珠夫人』への言及もある。このジャンルが好きなライターが書いているのだなと思って嬉しかった。

 巻末の「知っておくと便利!中国ドラマでよく登場する用語集」というページも楽しかった。そうそう、爹(お父さん)も娘(お母さん)も、私は大学の中国語講座で習った記憶はなく、時代劇ドラマを見るようになって、すぐ覚えた単語だ。宮廷ドラマを見ていると「免礼」「平身」「回皇上的話」もすぐ覚えるよなあ、と昔を思い出した。

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2020年9月関西旅行:奇才(あべのハルカス)

2020-09-17 23:10:32 | 行ったもの(美術館・見仏)

あべのハルカス美術館 『奇才-江戸絵画の冒険者たち-』(2020年9月12日〜11月8日)

 6月に江戸東京博物館で見た展覧会の巡回展をまた見に来た。大阪展の出品リストはNo. 229まであるが、実は間の番号が飛んでいるので、全170件くらい。展示替えがあるので、一回で見られるのはその半分弱である。それでも見たい作品がいくつかあって、来てしまった。

 京都の絵師から始まる冒頭には俵屋宗達の『扇面貼交屏風』(醍醐寺像)。四つん這いのまま、首をくるっと上向きにした不思議な野良犬が描かれているもの。古絵巻の図様を転用しており、おおらかでのんびりした雰囲気だが、扇面という空間の使い方が独特で面白い。狩野山雪の大作が4件も見られたのにはテンションが上がった。個人蔵の『楼閣山水図屏風』六曲一双がすごくよかった!右端には人工の粋を尽くした巨大な楼閣。豆粒のように小さな人々が行き交っている。中央は湖面。遠景に丸い島影。樹木や人工物の姿はなく、強い陰影が強調されている。傍らに低い月。左端は巨大な太湖石のような(ベトナムのハロン湾のような)自然が造り出した絶景。

 芦雪(この展覧会は長澤蘆雪と表記)は『岩上猿・唐子遊図屏風』(個人蔵)、蕭白は『群仙図屏風』だけだったが満足。若冲の『鶏図押絵貼屏風』(個人蔵、金地)は、類似の作品がいくつかあるが、これは生き生きした躍動感があって、出来のよいもの。狩野永岳の『西園雅集図舞良戸』(京都・隣華院)は金地の大画面に濃彩、意表をついた画面構成で気に入った。「山雪に近い魅力がある」という解説に同感。知らない名前だなあと思ったが、2016年に府中市美術館で作品を見ているようだ。

 大阪~江戸では、北斎の紙本着色『南瓜花群虫図』が珍しかった。常州草虫画を思い出す。狩野一信の五百羅漢図もよい作品が来ていた。

 諸国は蠣崎波響の『夷酋列像図』(函館市中央図書館)「イトコイ」を見ることができて満足。林十江は大好きな『蜻蛉図』(個人蔵)。河鍋暁斎は問題作『処刑場跡描絵羽織』が、さりげなく一般作品の列に混じって展示されていた。中央の血みどろの処刑図に目が行ってしまうが、両袖にはガス灯や電柱、洋装の男女のシルエットが描かれている。その落差に背筋が寒くなる。

 会場の最後に神田等謙の『西湖・金山寺図屏風』(山口・顕孝院)の右隻「金山寺」が展示されていた。知らない画家だが、東京展のとき「事情により展示中止になりました」という断り書きが掲示されていたので記憶に残っていた。この「金山寺」がとてもよい。ペン画のような几帳面な描線、計算され尽くした画面構成で、空想上の異世界のように見える。解説によれば、「雲谷派の中には、きっと奇才がいるはずだと確信して探してもらい、ついに等謙を発見した」が、詳しいことは分からない、謎だらけの絵師だそうだ。これからの研究の進展が楽しみである。後期にもう一度、来られたら来たい。

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