見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

関西・秋の文化財めぐり(3):興福寺の板彫十二神将

2006-10-31 23:27:11 | 行ったもの(美術館・見仏)
○興福寺 『国宝特別公開 2006』

http://www.kohfukuji.com/kohfukuji/index.html

 奈良の興福寺が、毎年、時期限定の「特別公開」を行うようになったのはいつからだったろう? 調べてみようと思ったら、ちゃんと上記サイトに「興福寺年表」が用意されていて、白鳳から平成まで(!)の主なできごとが一覧できるようになっている。年表によれば、境内整備事業が始まったのが1998年、国宝特別公開の始まったのが2000年である。そうだ、この年の「五重塔内陣、旧食堂地下遺構」は見に来たっけなあ。

 確かに、この「特別公開」が恒例化したおかげで、初めて見ることのできた文化財もあるし、北円堂・南円堂も内陣拝観の機会が増えた。ありがたいことだと思う。しかし、こう毎年続くと、「またやってるのか」という感じがしなくもない。境内の売店では「興福寺お楽しみ袋」1,000円まで売られていた...ちょっと商売気出しすぎじゃないのか。大丈夫か、興福寺。

 さて、今年の「国宝特別公開」は、北円堂・仮金堂・三重塔・国宝館がセットで1,300円。うーむ。私の好きな南円堂が入ってないのかあ。北円堂は、無著・世親はいいけど、ほかの諸仏は、やや劣る。でもまあ、三重塔の初層を見たかったので、セット券を購入(三重塔だけというバラ売りをしないところが商売上手)。

 三重塔初層には、小さな八臂弁財天と15童子が安置されていた。年代には特に触れていなかったけど、まあ江戸モノかなあ。仮金堂の四天王は、なかなか良かった。2004年の興福寺国宝展に出たものらしい。

 国宝館では「板彫十二神将」(国宝・平安時代)が一挙公開中だった。これはすごい! 1点2点でも見る価値のある逸品だが、12点まとめて見られる機会は、滅多にないと思う。十二神将といえば、悪鬼を威嚇する表情、武具をかざし、躍動する肉体を誇る、バロック的な造型を特徴とする。それを、「板彫」という平面に閉じ込めるために、無理にねじまげられた肉体表現は、さらに「バロック(歪み、移ろい、劇的)」の度を増している。禅月様の羅漢図に似ているかもしれない。

 十二神将の装束は、唐風の甲冑姿が多いが、よく見ると、裸足や半裸らしきものも混じっている。いちばん面白いのは伐折羅(ばさら)大将像で、すねあての部分がブタ(猪)の頭。頭上の兜も、細い目に明らかなブタ鼻が付いていて、なんとなく微笑ましい。
 
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関西・秋の文化財めぐり(2):仏教美術の名品

2006-10-30 23:19:39 | 行ったもの(美術館・見仏)
○奈良国立博物館 平常展『仏教美術の名品』

http://www.narahaku.go.jp/

 正倉院展(承前)を見終わったあとは、いつものように本館を通り抜けて外に出るつもりだった。

 本館に入って、おやと立ち尽くした。いない――そうだ、もういらっしゃらないのだった。唐招提寺の薬師如来立像のことである。唐招提寺金堂の修理に伴い、2001年1月から奈良博に預けられていた薬師如来は、この夏、6年ぶりに同寺へ戻られたのだ(→奈良新聞の記事 2006/07/14)。天井の高い、光線の明るいホールにマッチした巨像だったので、何だか柱が1本抜けたように寂しい。

 その代わり、中央ホールは、群像で飾られるようになった。新館側から入っていくと、東大寺の二天に迎えられる。治承ニ年の持国天と平治元年の多聞天である。日本史好きなら、この年号を聞くだけで、前後に南都を襲った多事多端が思い浮かぶことだろう。ホールの中央は、あたかも塔の基部のように、心柱を模した抽象的なモックアップを置き、周囲に個性豊かな四像を配する。古代的な悲哀に満ちた法隆寺の多聞天。反対側は、新薬師寺の十一面観音。どっしりと下半身に量感を感じさせる。ほかに小像が2件。その奥は、目隠しのような白い壁を背にして、秋篠寺の彩色乾漆像が2体。以前からこのホールにあったものだ。

 ん?あの白壁の後ろは、本館の正面入口のはずだが?と思って、裏にまわってみたら、東大寺の西大門勅額が飾ってあった。額のまわりに小さな彫像が取り付けられた、楽しい逸品である。なるほど、正面玄関から本館にアプローチしてきた客は、この勅額に迎えられるわけだ。悪くないセンスである。ただ、巨大な勅額の全体像を味わうには、チケットをもぎられる位置より、少し後ろに(エントランスの外へ)下がらないといけないと思う。

 そのほか、現在の展示では、興福寺の緊那羅(きんなら)像が見られるし、薬師寺の八幡三神像、室生寺の十二神将の神(頬杖をつく未神)も見られる。奈良博では見たことのなかった走り大黒も(金沢文庫が初見)。もともと名品に事欠かない奈良博ではあるが、思い切った大盤振る舞いだなあ。これもスポンサーのせいか? 興福寺伝来の四天王(現在は、奈良博、興福寺、MIHOミュージアムに分有されているそうだ)、当麻寺蔵の板光背6件も興味深い。

 最後に、以前から気になっていたところに立ち寄った。奈良博の敷地の東北の隅(東大寺寄り)の道端にある「鴎外の門」という史跡である。もと博物館の官舎の門で、帝室博物館総長をつとめた森鴎外が、奈良滞在中に宿舎にしていたことから、このように呼ぶのだそうだ。開けたら明治につながっていそうな門である。


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関西・秋の文化財めぐり(1):正倉院展

2006-10-29 23:56:54 | 行ったもの(美術館・見仏)
○奈良国立博物館 特別展『第58回 正倉院展』

http://www.narahaku.go.jp/

 正倉院展には、5年連続の皆勤である。金曜の夜、新宿発の夜行バスを利用して、早朝、京都に到着。近鉄の車内で少し眠り足して奈良へ、というのが、恒例のパターンだった。ところが、昨年から、このブログにも書いたとおり、スポンサー導入の波及効果で、正倉院展の観客は、一気に倍増してしまった。

 これは、私の印象批評ではない。奈良新聞の記事(2006/10/24)読売新聞の広告事例によれば、2004年の入場者数は13万2000人。2005年は23万4000人に上ったという。スポンサーの読売新聞が「媒体力を証明」と誇らかに宣言するのも当然である。

 だが、私は、2004年以前の、比較的のんびりした正倉院展を懐かしむ。とりわけ、静かな期待に満ち足りた開館前のひとときを。当時は、この手の催しものが、本当に好きで好きでたまらない人だけが、列を作って開館を待っていた。見知らぬ者どうし、打ち解けた会話を交わすこともあった。「スポンサー導入」という降ってわいた大変革によって、あの至福の時間は、予告もなしに我々から奪い去られてしまった。そして、当分、もとに戻ることはないだろうと思うと、切なくて悲しい。

 しかしながら、悲しんでばかりもいられないので、今年は、30分ほど早い便の夜行バスに乗ることにした。これだと、7:30には近鉄奈良駅に到着できる。スタバで朝食のあと、8:00過ぎから奈良博で入場待ちの列に並んだ。私は1列目の中ほどに並ぶことができたが、開館が近づくと、列は2折、3折の折り返しになっていく。まわりを見ると、けっこう招待券らしきものを持ったお客さんがいる。あれ、どのくらい出しているのかなあ。やめてほしいよなあ...

 定刻より15分早く開館。会場に入ると、第1室の前半以外は、まだ人が溜っていない。私は、第1室奥の長い展示ケースに駆け寄った。地味だけど、今年の見ものの1つ『国家珍宝帳』である。冒頭に「太上天皇の奉為に国家の珍宝等を捨して東大寺に入るるの願文」とあって、「捨」の字に驚かされた。もちろん仏教的な言い回しであるけれど、そうか、これらの品々は「捨」てられたんだなあ、と思うと、古代の帝王家の信仰の深さに、しみじみ感じ入った。

 それにしても驚かされるのは『国家珍宝帳』の状態の良さである。汚損や虫損はほとんど見当たらない。白い料紙は近代のコピーか?と疑わせる。線の細い「天皇御璽」の朱印が隙間なく一面に押されているため、ピンクがかった印象を与える。

 仔細に見ていくと、「鳥毛立女屏風」など、よく知られた宝物に並んで、「大唐勤政楼前観楽図屏風六扇」なんて、初めて聞く屏風が記載されている。へえー。見たいなあ。伝わっているのかしら。他にも「大唐古様宮殿図屏風六扇」とか「古様山水画」「子女画」「古人画」など。この夏、西安の陝西省歴史博物館で見た唐墓壁画の数々を思い出し、想像をめぐらせた。

 また、聖武天皇愛用の袈裟『七条刺納樹皮色袈裟(しちじょうしのうじゅひしょくのけさ)』も出陳されている。青、黄、緑、茶などの平絹を不規則なかたちに切り重ねて刺し縫いしたものだ。手が込んでいるし、シックな色合いは、美しいと言えなくもない。しかし、今どきの高位の僧侶が身にまとうきらびやかな袈裟に比べたら、袈裟の本義「糞掃衣」にずっと近い。

 第2室以下では、馬具類が、ちょっとした特集展示になっていた。牛革、鹿革のほか、熊、アザラシの毛皮も使われている。そのあとも、鼓の皮、靴、ベルトなど、正倉院宝物に、皮製品は意外と多いんだなあ、ということを知った。

 それから、僧侶が托鉢に使うような鉢が3点。緑釉の掛かった磁鉢、黒漆の木鉢、銀鉢である。黒漆の鉢を見ていると、『信貴山縁起絵巻』さながら、正倉院がふわりと宙に浮いて動き出してしまうのではないか、と想像してしまうのは、私だけかしら。
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サクセス?ストーリー/近代日本の誕生(イアン・ブルマ)

2006-10-28 18:52:59 | 読んだもの(書籍)
○イアン・ブルマ『近代日本の誕生』(クロノス選書) ランダムハウス講談社 2006.10

 たまたま寄った神田の三省堂で、新創刊らしい叢書を見つけた。知らない名前の著者だったが、装丁がきれいだったので買ってしまった。そして、4ページほどの「日本語版への序文」を読んで、これはいい見つけものだ、と直感した。

 著者は語る。日本人は、自分の国の文化や歴史を特異なものと考えたがる傾向がある。しかし、事実は逆で、日本近代史の面白さは、世界中の至るところで起きた(または、今も起きている)出来事と共通点が多いことにある。強力な外国文明が迫ってきて、文化的伝統が破壊され、国家存亡の危機が高まる中で、自己変革に挑戦する国家が、どんな挫折を味わい、大惨事を経験し、勝利をつかむのか。その全てが「日本近代史にはドラマチックな形で非常によく現れている」。日本という国は「完全無欠な国ではない」が、挫折や困難を乗り越え、比較的自由な経済大国となり、豊かな文化や活発な知的活動を楽しめる国になった。だから、日本近代史は、全体として「一種のサクセスストーリー」である、と著者は言う。

 本書は、原題『Inventing Japan: 1853-1964』のとおり、ペリー来航の1853年から、東京オリンピックの1964年までを一気に通観したものだが、著者の叙述態度には、つねに「オプティミスティックな批判精神」が感じられる。著者は、日本の犯した過ちを、逃れられない原罪のように、ペシミスティックに断罪することはしない。しかし、本書が、保守派知識人の喜ぶ「日本のサクセス」礼讃に満ちているかといえば、とんでもない。いつ、どうして、日本は進むべき道を間違ったのか(どうして、間違い続けているのか)、著者の批判は、明晰で怜悧で、容赦がない。

 だが、その批判の鋭さにもかかわらず、日本近代史を「純粋に物語として読んでも非常に面白い」と言ってはばからない明朗快活さが、本書の後味を楽しいものにしている。これは、原文がいいのか翻訳の技なのか分からないが、文章全体に気持ちのいい力がみなぎっている。たぶん日本人の歴史学者なら、往々にして、従来の学説に右顧左眄して曖昧な物言いになるところ、ハッとするような指摘を惜しげもなく投げ出して、前へ前へキビキビと進んでいく文体が、さわやかである。日本人に、歴史を学ぶ醍醐味と、正しい意味での勇気と活力を与えてくれる良書であると思う。

 以上、本日は京都駅前のネットカフェにて。

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お薬師さま、日本海を渡る/新潟県立近代美術館

2006-10-26 08:28:13 | 行ったもの(美術館・見仏)
○新潟県立近代美術館 企画展『新潟の仏像展』

http://www.lalanet.gr.jp/kinbi/

 この秋は、東京国立博物館の特別展『仏像』展に触発されたわけでもないだろうが、仏像の企画展が多い。山梨県立博物館の『祈りのかたち 甲斐の信仰』、神奈川県立金沢文庫の『霊験仏』、福岡市博物館の『空海と九州のみほとけ』、大分県立歴史博物館の『み仏の美とかたち』など。

 九州はちょっとムリかもしれないが、関東上信越は制覇したいなあ、と思っていた。新潟県立近代美術館は新潟県長岡市にあるが、調べてみたら、十分東京から日帰り圏である。そこで、日曜日、さっそく行ってきた。会場には、佐渡を含む新潟県各地から50体を超す仏像が集められていた。

 最初のセクションでは、「朝鮮三国・飛鳥・奈良時代」に該当する仏像と残欠が9点。こんな古い時代の仏像が、こんなに残っていることに驚く。でも、考えてみれば、古代の先進文化は日本海を渡ってきたのだから、関東なんかより、ずっと文化の中心圏だったわけだ。それでも、願成寺(五泉市)の観音菩薩立像などは、いい意味でひなびた表情で、溌剌とした農村の少女を思わせる。

 次の「平安時代」に進むと、この展覧会随一の見もの、佐渡国分寺の薬師如来がおいでになる。力強くて、重量感があり、鼻筋の通った横顔は、沈鬱なまでの真摯さに満ちている。私の好きな、平安前期彫刻の典型である。顔面の金箔の剥げ具合もいい。しかし、衣のひだの彫り込みはやや単調である。前に突き出した手のひらはちょっとデカすぎるし、腕も太すぎる。首が肩にめり込んでいるのも野卑である。ふと気がついて、膝を折って、少し視点を下げてみた。すると、坐像の背丈が伸びたように感じられ、上に挙げたような欠点は、あまり気にならなくなる。

 このほかも、平安前期の仏像は、京都・奈良にひけをとらない洗練された造型が多いが、平安後期になると、地方仏らしさが際立つ。寛益寺(長岡市)の十二神と二天(持国天、多聞天)はその典型であろう、。十二神には、唐風の立派な鎧を身につけたものもいれば、一兵卒のような簡単な鎧姿のもの、裸の上半身にスカーフをまとっただけのものもいて、類例のない自由なポーズや表情が楽しい。

 鎌倉以降になると、再び新潟の仏像は、都びた洗練を発揮する。特筆すべきは肖像彫刻の素晴らしさである。善導寺(上越市)の善導像は、浄土を夢見るロマンチックな青年の面影をあらわし、称念寺(上越市)の一鎮上人像は、人生の機微を知る老人の叡智を感じさせる。

 常設展では、デューラーの木版画集『黙示録』が展示中で楽しめた。長岡って意外と近いんだな。

 ちなみに、今週末は関西!

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そして、検索する喜び/検索エンジン「想」ほか

2006-10-25 08:47:08 | 見たもの(Webサイト・TV)
■ITmedia News:書籍や文化財、Wikipediaを横断検索できる「想」(2006/07/28)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0607/28/news075.html

 いささか旧聞に属するが、松岡正剛さんの本を紹介したついでに書いておこう。この夏、松岡正剛さんの書評サイト「千夜千冊」を探していたら、意外なサイトに行き当たった。

 国立情報学研究所(NII)は、書籍データベースや文化遺産データベースを横断検索できる検索サービス「想-IMAGINE Book Search」を公開した。2002年から「Webcat Plus」で用いられている連想検索エンジンGETAを用いて、より広範な横断検索サービスを提供しようというものだ。そして、その「想」の検索対象に、「Wikipedia」や「Book Town じんぼう」「文化遺産オンライン」と並んで、「松岡正剛の千夜千冊」が挙げられているのである。

 「千夜千冊」ファンとしては、びっくり仰天だった。そもそも「Webcat Plus」や「文化遺産オンライン」は国家的プロジェクトであるし、「Wikipedia」や「Book Town じんぼう」は、非営利的と営利的の違いはあれど、多くの英知の結集である。そこに、個人サイトの「千夜千冊」が並び立っている図がすごい。いや、国立情報学研究所は、よくぞ「千夜千冊」の価値を認めてくれたものだ。大英断と讃えてもいい。きっと、開発者の高野明彦教授が、システム屋にはめずらしく、信頼できる「本の目利き」なのであろう。

 ただし、この「想」エンジン自体はいまいち。同音異義語(むしろ同表記異義語か)の処理が稚拙なため、これはナイだろう、というようなキーワードにまで「連想」が飛んでしまう。むしろ、関連で訪ねて行ったサイト「新書マップ」が面白い。これも、連想検索エンジンGETAを使用したものだが、検索結果の表示のしかたが面白いのだ。円の周囲に、まるで星が散らばるように検索結果が表示される。マウスを動かしていくと、さまざまな想念が、時に大きく、時にひそやかに瞬く。百聞は一見に如かず、お試しあれ。

 実は「千夜千冊」にも「千夜千冊マップ」という機能が公開されている。これは、ちょっと時間を忘れるほど面白い。私は「福沢諭吉」「中江兆民」「骨董」「チベット」「靖国神社」など、思いつくままの検索語を入れてみた。キーワードからキーワードへ、書物から書物へと連想がはじけ散る様子は、まるで「里見八犬伝」の冒頭を思わせる。あっ「里見八犬伝」で検索してみると...切りがない。
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編集する喜び/日本という方法(松岡正剛)

2006-10-24 08:47:25 | 読んだもの(書籍)
○松岡正剛『日本という方法:おもかげ・うつろいの文化』(NHKブックス) 日本放送出版協会 2006.9

 はっきり言っておくが、最近、巷間にあふれる日本国家論は、どれもこれも気に入らない。立論の基礎となる日本文化の理解が、あまりにも貧弱だからだ。自分の趣味に合うものだけをチョイスして「よき伝統」「国民の誇り」と称し、気に入らないもの、よく分からないものは、無視を決め込む。「わび」「さび」に言及して「伊達」や「バサラ」に触れないとか、「武士道」を持ち上げて「好色」や「女房文学」を無視するとかの類である。どうして、こんな身勝手に、多くの人々がまどわされるのか。日本文化の幅と奥行きを、本気で語ってくれる人はいないのか、と切歯扼腕していたとき、本書を見つけた。

 著者はまず、「祖国に対する自信を取り戻そう」という、流行りの物言いを、以下のように切って捨てる。「そもそも日本の自信って何なのでしょうか? 明治維新で得たもの? 徳川鎖国体制がしからしめたもの? 芭蕉のサビや近松の浄瑠璃? 武士道みたいなもの?」 そして、日本という国は、「自信」や「強さ」につながるような、強いナショナル・アイデンティティーの確立があったことはなく、むしろ、多様性や相克性を組み合わせてやってきたところに日本文化の特質がある、と説く。「たとえば『無常』や『バサラ』や『侘び』や『伊達』を、また人麻呂や一休や鶴屋南北や村上華岳を、夢野久作や三島由紀夫やサザン・オールスターズや椎名林檎を、一様なアイデンティカルな文化や様式で説明することは無理だからです。そんなことをしたくもない。」

 長く引用してしまったけれど、私は、著者の主張に強く共感する。著者はまた、「日本を主語的に語ることには限界がある」と総括し、考察の対象とすべきは、「日本という主題」ではなく、多様な情報を「編集」してきた「日本という方法」なのではなかろうか、と述べる。以下、本書は、仮名の成立、神仏習合、茶の湯と数寄の文化など、歴史上のエポックを順に追いながら、「日本という方法」を具体的に解き明かしていく。

 しばしば指摘されることだが、日本文化には、和歌と漢詩のように、異なる特色を持つものを並存させることを好む傾向がある。著者は、これを、構えた比較文明論で解釈するのではなく、「外国を意識しつつ、それを活用してもうひとつの『和』をつくることがおもしろかった」のであろう、と説明する。おもしろかった! そうなのだ。たぶん、日本文化の偉大な遺産の大半は、「誇り」や「自信」のために作られたのではなくて、「おもしろいから、やってみよう」という、やわらかな心の動きから生まれたものと見るべきだろう。

 最後の2章は、戦争をし続けた昭和日本の問題を取り上げ、「日本の失敗」とは何だったのかを考える。ここは、古代から近世までの日本文化論に比べると、格段に生臭くて、切実で、やっぱり分かりにくい。そこを、無理を承知で要約してしまえば、日本という国は「異質性」と向き合うことを常に必要としているのだと思う。異質なもの、多様なものと向き合うとき、アワセやカサネという編集行為を通じて、「日本という方法」は、最も華麗に発動するのである。そのことを忘れたとき、日本はまた、「失敗」を繰り返さないとも限らない。
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排除の恐怖、同化の欲望/レイシズム(小森陽一)

2006-10-23 00:26:42 | 読んだもの(書籍)
○小森陽一『レイシズム』(思考のフロンティア) 岩波書店 2006.5

 はじめて本書を見たときは、なぜ、いまさらレイシズム(人種差別主義)? なにゆえ小森陽一さん?という驚きと違和感を感じた。しかし、読んでいくうちに、ああ、これは著者でなければ語れないテーマだ、と納得した。

 広義の人種差別とは、必ずしも、頭蓋の形や肌の色などの生物学的特徴に拠らず、「現実の、あるいは架空の差異に、決定的な価値づけをすること」と定義される。

 著者は、子どもの発達過程(言語習得過程)を追いながら、「差別のメカニズム」が発動する契機を解き明していく。生まれたばかりの子どもは、大人たちの慈愛に満ちたやさしい声に包まれて成長する。しかし、自力で動き回れるようになると、あっちに行ってはダメ!これに触ってはダメ!という、叱責や禁止を受けるようになる。つまり、子どもには「善/悪」のうち、「悪(やってはいけないこと)」の方が、より強烈で抑圧的な記憶として残る。

 さらにオムツが取れる時期になると、昨日まで「やってよいこと」であった垂れ流しの排泄が、一転して「やってはいけないこと」に転換する。子どもたちは、この不条理に直面し、自分が、いつ、いかなる理由で排除されるか分からないという恐怖を学ぶ。この時期の子どもたちが、神話や昔話を聴きたがるのは、大人の社会を構成する「意味の体系」を理解し、そこに「同化」したいという(排除の恐怖と裏腹の)欲望があるからである。

 我々は、時に特定の個人を排除の対象とすることによって、共同体の安定を図ろうとする。これは、本書に参考文献として挙げられている赤坂憲雄(懐かしい!!)や佐藤裕が既に論じているところであるが、著者自身が、少年時代をチェコで過ごし、その後も「帰国子女」という異端者として日本の学校で過ごした実体験(詳しくは『小森陽一、ニホン語に出会う』大修館書店, 2000)に基づいているのではないかと想像する。

 このように「差別と排除」は人間の心性に深く根ざすものであり、「人種差別主義」は、新しい衣装をまとって今日の社会にも入り込んでいる。「ニート」や「ワーキング・プア」も、あからさまな弱肉強食の実態を押し隠すために生み出された差別語である。その言葉で、ある集団を「一括り」にして名指すとき、語っている「われわれ」は「ニート」でも「ワーキング・プア」でもない、という共犯関係に結ばれている。あたかも、語る主体「オリエンタリスト」と、語られる客体「オリエンタル(東洋人)」の間に、決定的な非対称性があったように。

 後半は、人種差別主義に抵抗する言語的実践の例として、永井荷風の『悪寒』を分析する。そこには、ほとんど自傷的なアイロニーによって、大日本帝国の「植民地的無意識」が暴き出されている。

 さて、以下は、全くの蛇足だが――私は、来月、アメリカに短期出張に行くことになっている。なので、英会話も練習しなければならないし、出張目的に関連して、グーグル社について調べておきたいし、ニューヨークに寄るのだから、永井荷風の「あめりか物語」はぜひ読んでいこう(末延芳晴『荷風のあめりか』以来の宿題)なんてことも考えている。しかし、この週末は、どれも棚上げして、だらだら本書を読んでいた。

 そうしたら、後半で、荷風の『悪寒』が出てきたのには、びっくりした。さらに「あとがき」において、いまの政治指導者は、表向き国益を主張しながら、実のところ、グローバルな資本から得られる「自らの利益」を追求しているだけで、「自国の大多数の国民の利益を、グローバルな資本に売り渡しつづけている」という、厳しい告発の一文を読んだときは、ハッと胸に応える思いがした。――こういうとき、私が本を選んでいるのではなくて、本が私を選んでいるのではないかと思う。読書の醍醐味の一種である。
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楽家の赤茶碗・黒茶碗/三井記念美術館

2006-10-22 19:21:46 | 行ったもの(美術館・見仏)
○三井記念美術館 開館1周年記念特別展『赤と黒の芸術 楽茶碗』

http://www.mitsui-museum.jp/

 天正年間、千利休の創意を受けて、初代長次郎が造りはじめた「楽茶碗」の作陶を、今日に継承する京都の楽家。長次郎から十五代(現当主)楽吉左衞門までの代表作を一堂に集めて紹介する企画である。

 私が「楽茶碗」の存在を認識したのは、つい昨年のことだが、今年の7月、京都の楽美術館に行って「手にふれる楽茶碗観賞会」を体験してきた。印象的だったのは、茶碗の意外な軽さである。特に黒釉をかけた黒楽茶碗は、鉄(くろがね)の武具を思わせるような底光りがあるのだが、手に取ると、あれっと拍子抜けするほど軽い。この展覧会でも、私は展示ケースを覗き込みながら、それぞれの茶碗を手に取ったときの触感と重量感を、一生懸命想像していた。

 楽茶碗の名品は、全て楽美術館が所蔵しているわけではない。今回の展示は、さまざまな所蔵箇所(目録に記載されていない、つまり個人蔵が多い)に散らばる名品をまとめて見ることができて、なかなかの眼福である。

 各代の特徴というのも、少し分かるようになった。楽茶碗のイデーとも言うべき、初代長次郎の重厚な作風に対して、ニ代常慶の作品は、華やかな京焼に接近している。三代道入(ノンコウ)は、透明感のある釉が軽やかな印象を与える。四代一入は小ぶりで求心的な長次郎の造型に回帰し、素朴な質感を好んだ。という具合で、各代は、明らかに前代と異なる個性を選び取っているところが面白い。ちなみに七代長入に至ると、茶道における家元制度の完成と相まって、楽茶碗にもある種の形式化が始まる。

 ところで、ニ代常慶と三代道入のセクションの間に、光悦作の黒楽茶碗『村雲』が展示されていた。これが、思わず唸るほどいい。天に向かって大きく口を開けた見込み、側面にはふくらみがなく、切り立った断崖のように、ストンと垂直に落ちる。小さな茶碗に雄勁な自然美さえ感じさせる(上記サイトに小さな写真あり)。楽家累代の創意工夫の歴史を考えると、天才ってズルいなあ、と思ってしまう作品である。
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宝物公開・吉祥天と弁財天/薬師寺東京別院

2006-10-21 19:26:19 | 行ったもの(美術館・見仏)
○薬師寺東京別院 秋の宝物特別公開『佛教の二人の女神-吉祥天と弁財天』

http://www.yakushiji.or.jp/index2.html

 五反田の薬師寺東京別院には、平成15年(2003)に一度だけ行ったことがある。落慶法要に合わせて、国宝・吉祥天画像(薬師寺蔵)が公開されるという噂を、友だちから聞き込んだのだ。夕方遅く到着して、閉館まで10分ほどしかないところを「それでも結構です」とお願いして、あわただしく拝観させてもらった。その後はあまり気にしていなかったが、秋の宝物公開は毎年恒例になっているようである。今年は久しぶりに訪ねてみることにした。

 13:30頃、到着すると、「お話が始まってます」と言われて、本堂(近代的な鉄筋建物の2階)に案内された。見覚えのあるホールである。本尊の薬師如来を取り囲むように並んでいるのが、特別公開の吉祥天・弁財天たちに違いない。ホールの中は100人ほどの聴衆で埋まっており、お坊さんの法話が終わるまでは、勝手に歩き回ることはできそうにない。

 仕方がないので、30分ほど法話を拝聴した。おかげで覚えたミニ知識は、「観世音菩薩」は鳩摩羅什の用語で、「観自在菩薩」は玄奘三蔵の用語であるということ。「観世音」は慈悲の側面を強調し、「観自在」は智恵の側面を強調する訳語だという。だから僧侶は、修行においては「観自在」を唱える(確かに、修二会の声明のサワリは「観自在」の連呼である)。

 法話が終わって、ようやく前に出ることを許された。江戸時代の吉祥天像は小さくて愛らしい。八臂弁財天像二体は、頭上に宇賀神(人面の白蛇)を載せ、さらに小さな鳥居まで載せて、堂々とマニエリスティックである。

 3階のお座敷では、室町・桃山時代の絵画と板絵が展示されている。床の間に懸けられた表具つきの絵画を、畳に座って、にじり寄って拝見する。もちろん間にガラスなどないし、自然光である。古美術好きを標榜していても、実際に作品に向かい合うのは美術館がほとんどなので、こういう贅沢な機会が与えられると、ちょっと興奮する。桃山時代の『毘沙門天像』は、描きあがったばかりのように美しい(修復はしてるんだろうけど)。
 
 お菓子とお抹茶の接待あり。前回はこれも受けられなかったのだが、今回はお相伴させていただきました。
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