見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

絵巻の国/お伽草子(サントリー美術館)

2012-09-30 23:58:08 | 行ったもの(美術館・見仏)
サントリー美術館 『お伽草子-この国は物語にあふれている-』(2012年9月19日~11月4日)

 入ってすぐの展示ケースを見て、ぎゃっ!と叫びそうになった。永青文庫の『長谷雄草紙』が出ている(~10/8)。何だってー!! 展示替リストを見てきたつもりなのに、全然気づいていなかった。チラシを見て気になった作品、日本民藝館の名品(笑)『浦島絵巻』が10/8までなのと、真珠庵本『百鬼夜行絵巻』(2007年、京博で見て以来!)は全期展示(巻替え有)なのは、チェックを入れていたのだが、そもそも「お伽草子」と言われて、この絵巻を思い浮かべる人は少ないはず。いや、見逃さないでよかった。

 2009年に『長谷雄草紙』が永青文庫で公開されたときは、全編見るには8回通わなければならないというオニのような展示替えだった(※スケジュール表まだあり)。今回は、物語のクライマックスである(3)「長谷雄、見知らぬ男に案内されて、朱雀門に着く」~(6)「長谷雄、100日を経ずして女を抱こうとし、女、水と化して流れ去る」を一気に通覧できる。ああ、なんて贅沢なの!と感激。

 お伽草子とは、一般に「室町時代から江戸時代にかけて成立した、短編の絵入り物語」と解されており、本展のサイトやチラシも、冒頭にこの定義を掲げている。が、「お伽草子の源流」として取り上げられた『長谷雄草紙』『福富草紙』をはじめとして、けっこう文学史的な「お伽草子」の定義を逸脱した作品が目立つように思った。だいたい、展示品に絵草紙(冊子)がほとんどなくて、九割以上が絵巻の形態だったので、途中であれっ?と思ってしまった。まあ、楽しかったから、いいけど…。

 お伽草子には超時代的な(原型的な)物語が多いが、それを歴史の中に着地させた展示手法も面白いと思った。たとえば「酒呑童子」の物語を愛好した武士たち。とりわけ凛々しい武者ぶりを見せるサントリー美術館本(狩野元信画)は、北条氏綱の注文で制作されたと知って、なんとなく納得。あと『実隆公記』など、同時代の記録に、ちゃんと御伽草子に関する言及が出てくるんだな。展示では、翻刻の見せ方が分かりやすくて、ありがたかった。

 私は下手ウマ素朴絵系が好きなので、『かみ代物語』の鰐は、かなりツボ。この作品を含め、本展には、西尾市岩瀬文庫の所蔵品がかなり出ていた。同館のコレクション調査の成果が活かされているのだろう。『蛙草紙絵巻』は、さらした布を食べてしまう牛の図に笑った。根津美術館、こんな作品も持っていたのか。初見だと思う。『付喪神絵巻』(個人蔵)の、中途半端に人間化した古道具にも笑った。私だけでなく、ときどき会場で、プッと吹いている声が聞こえていたなあ。

 強烈なアイメイクの『しぐれ絵巻』は衝撃的だった(一度、見た記憶がある)。現実離れした清水寺の描写(ゴージャス感だけは出ている)など、やっぱり女性の求めるものは万古不易なんだろうか。男装の女性が恋を実らせる『新蔵人物語絵巻』も、発想が少女マンガっぽい。

 できれば、後期にもう一度行きたい。
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本人は語る/本人伝説(南伸坊)

2012-09-28 22:23:37 | 読んだもの(書籍)
○南伸坊『本人伝説』 文藝春秋 2012.9

 またくだらない(※いい意味で)本を出して…と思って、立ち読みで済ませようと思ったのだが、あんまり面白かったので、買ってしまった。しかし通勤電車の中で開く勇気がなくて、本当に困った。南伸坊さんは、徹底して本人になりすました顔マネ写真を撮ることを「本人術」と呼んで、楽しんでいる。その極意は「顔をキャンバスに似顔絵を描く」ことであるそうだ。

 なかには無茶しすぎの作品もあるが、撮影の角度、距離の工夫だけで、こんなふうに印象が変わるものか、と感心する。麻生太郎の輪郭にも石破茂の輪郭にもなれるってすごい。でも鳩山由紀夫より幸夫人のほうが似てるけど…。

 話題になった俳優やスポーツ選手もきちんと入っているのだが、私には、政治家や思想家の印象のほうが強かった。吉本隆明、鶴見俊輔、姜尚中あたりは、かなりツボ。毒とくすぐりが、程よく効いている。本書は、モデルごとに、なりすまし写真+なりすましエッセイで構成されており、以前、たぶん著者が初めて「本人術」の本を出したときは、写真に惹かれて買ってしまったものの、エッセイは、さほど面白くなかった記憶がある。今回は、ずいぶん文章で笑わせてもらった。

 ガイジンさんも、そこそこ混じっているのだが、翻訳書や動画の字幕では、あんな喋り方をしているんだろうか。ステーブ・ジョブズとか。

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2012秋@関西:明清の美術(大和文華館)

2012-09-28 21:18:16 | 行ったもの(美術館・見仏)
大和文華館 特別企画展『明清の美術-爛熟の中国文化-』(2012年8月18日~9月30日)

 朝起きると、久しぶりの雨。今日はこの展覧会に目的をしぼることにする。ゆっくり朝食を取り、10:00の開館ちょうどくらいに大和文華館着。会場に入ると、反対側の壁に、大きな『閻相師像』が掛かっているのがすぐに目に入り、嬉しくなる。今回の展覧会は「都市の華やぎ」「筆墨のたのしみ」を二大テーマとし、前者は主に彩色画、後者は淡彩・墨画を集める。

 冒頭は、古代への憧れに満ちた故事人物画、仕女風俗画。伝・仇英筆『桃李園・金谷園図』二幅(知恩院蔵)が特別出陳。同じく仇英筆『仕女図巻』は、あられもない全裸の仕女が池に入って蓮の花(実)を採む場面。岸から手を伸ばす女性も、肩出しの下着スタイルである。「採蓮」って漢詩にもよく登場するが、こんな色っぽい場面を想像すべきなのか?

 『文姫帰漢図巻』は明代だが、南宋時代に作られた原品を模写したもの。物語の舞台は漢代だが、匈奴として描かれているのは、宋と対峙した遼(契丹)の風俗だという。ややこしい。丈の長い詰襟ふうの上衣を着込んでいる。よく似たテーマ(王昭君の故事)を描く『明妃出塞図巻』(明代)は、胡兵の服装(腹巻ふうの鎧)が異なる。こっちはモンゴルっぽいかな? 勘だけど。

 『明皇幸蜀図』は、安禄山の乱で蜀に逃れる玄宗一行を描く。台湾・故宮博物院が所蔵する同図(唐代)の左半分と一致する。唐代山水画の実際は、その違例が少ないため不明な点が多いのだそうだ。確かに、いわゆる中国的(漢画的)な山水と違って、大和絵みたいにふわふわした感じだ。

 続いて、花鳥画。色彩のはっきりした明代花鳥画の中にあって、さわやかな色合いがいいなーと思った作品の作者が「山口宗李」という日本人名だったので、びっくりした。実は琉球の人(1672-1743)。福州に留学して絵画を学び、具師度という唐名も持っている。展示作品は聖徳5年(1715)作で、沈南蘋の来日(1731)に先行する。明清の花鳥画は、木彫や磁器など、装飾的な工芸品との関わりが深い。一緒に展示された『五彩飛馬文碗』が、一目で気に入る。濃緑の波濤を背景に、白い五弁花が舞い散り、黄色や水色の馬が躍る図柄だ。

 それから、西洋画法のミニ特集。写実的な『閻相師像』は三度目かな。何度も見ていると、だんだん画中の人物に親近感が湧いてくる。閻相師(字は渭陽)の墓が、甘粛省の高台県正義峡(酒泉と張掖の間)にあると知って、行ってみたくなった。『台湾征討図巻』は、清軍の圧倒的な火器に翻弄される台湾軍を見ていると、四国連合艦隊に攻められる長州みたいに思えてくる。焦秉貞筆『西洋風俗画』は、ヴェニスの街角風景を写したものらしいが、下手すぎて、大きな洋犬(?)が怪物みたいに見え、妖しすぎる。

 後半は「筆墨のたのしみ」。明清の水墨画の魅力を、私は、ここ大和文華館と京都の泉屋博古館のコレクションで知った。もはや馴染みの作品が多いが、見るたびに新鮮な発見があって、うれしい。画家・程邃(ていすい)の解説に「形象を求めるというよりも、墨と紙の素材の美しさを追求する」云々とあったが、だんだん分かる(同意できる)ようになってきた。あえて、いちばん好きな作品を挙げるなら、陸治筆『冬景山水図』かな。また次に見られるのはいつだろう、と名残りを惜しみながら帰った。
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2012秋@関西:小浜「みほとけの里 若狭の秘仏」

2012-09-26 23:55:05 | 行ったもの(美術館・見仏)
○「みほとけの里 若狭の秘仏:平成24年度秋の文化財特別公開」若狭歴史民俗資料館~若狭姫神社~竜前区薬師堂~昼食(ふじや)~明通寺~国分寺

 平成26年度の舞鶴若狭自動車道全線開通に向けて、通常は公開されていない仏像など、若狭地域の文化財を期間限定で公開する試み。この第一報を知ったのは、いつもお世話になっている「観仏三昧」の記事だった。これは行ってみたい、と思っていたら、関西出張+1日休暇を取れば、週末が自由に使えそう、と分かった。

 しかし、小浜がアクセスのよい土地でないことは承知しているので、とりあえず午後の半日バスツアーくらいなら参加可?と思って、京都在住の友人を誘ってみたところ、1日ツアー(9:50発)でも行けますよ、という返事が返ってきた。近江今津から小浜までバス(JR西日本、若江線)があるのだという。半信半疑で小浜駅前待ち合わせ。私は敦賀に前泊し、JR小浜線(なんと1両編成)で約1時間、無事、合流することができた。利用したのは「B1:遠敷(おにゅう)の里 薬師如来めぐりと安産祈願」コース。乗客は計17人。小浜のことなら何でも知っていそうなベテランのバスガイドさんが同乗する。「国宝めぐりのバスを出すのも久しぶりですねえ…」と感慨深げ。

 そうそう。私が初めて小浜を訪ねたのは、20年くらい前。午前も午後も国宝めぐりの定期観光バスを利用した記憶がある。その後、見仏仲間の友人から、小浜の国宝めぐりバスは無くなったらしい、と聞いた。いま調べたら、2008年度で休止になったようだ。「今回は、以前、国宝めぐりで運行していた車両を出してきたんですよ」と嬉しそうなガイドさん。



若狭歴史民俗資料館

 2階展示室で、木造十一面観音菩薩立像(小浜市・長福寺)と木造聖観音立像(美浜町・青蓮寺)を特別公開中。ガイドさんが「館長いますかねえ。いれば詳しい説明をしてもらえるんですけど」とおっしゃっていたら、本当に「館長です」という男性が登場して、びっくりした。物腰は控えめだが、喋り出したら止まらなくて、特別展示の2体をはじめ、複製を含めて10体ほどの展示品の由来、見どころ、制作年代の見分け方など、30分近く、熱の入った講義をしていただいた。私は、かつて一度来たことがあったので(2009年1月)、時間が余ったら、特別展『若狭を撮る-井田家所蔵古写真のまなざし-』の古写真を見てもいいかな、と思っていたが、仏像以外の展示を見る時間など、一切なし。最後は玄関の外にまで出て、バスを見送ってくださった館長、ありがとうございました。

 同館長は、この特別公開イベントの推進者でもあるようだ。小浜のみほとけは、各地区で大切に守られてきたものであるだけに、なかなか公開を承諾してもらうことが難しいという。とりあえず今年はやってみよう、ということになったが、準備期間が短かったので、県外への広報普及効果はいまひとつ。二年目、三年目は、少しスタイルを変えるかもしれない、という話だった。

■若狭姫神社

 上社(若狭彦神社)と下社(若狭姫神社)を合わせて、若狭国一之宮である。ご朱印は、なぜか「若狭彦神社」だった。

■竜前区薬師堂

 小さな集落の奥に、堅牢な収蔵庫らしきものが見えてくる。鎌倉時代の銅像薬師如来立像を安置。周りに人影がないので「管理人さん、いるはずなんですけどねえ」と、心配そうにきょろきょろするガイドさん。やがて、それらしいおじいちゃんが現れたが「ひとり500円貰わないと開けられへん」と頑張る。「市の観光課から払われてない?」「いや。電話したけど誰も出ん。土曜日やし」「大丈夫、市の事業だから、絶対間違いないから」と、慌てずあせらず、巧みに誘導するガイドさん。中国の田舎旅行では、似たような場面に出くわすことが多いが、日本の観光ツアーでもこんな会話があるのかと思うと可笑しかった。おじいちゃんは途中で機嫌がよくなると、「持って行きなさい」と気前よくみんなにお薬師さんのお札を配ってくれた。

■多田寺

 孝謙天皇の勅命により創建と伝える古刹。平安時代初期の木造薬師如来立像を本尊とする。おばあちゃんがひとりで、拝観受付も本堂の案内もご朱印の受付もしていた。鐘つき堂があったが、鐘の直下を掘ってある(ただし白い丸石で埋めている)のが、半島ふうだと思った。多田寺の名前は、多田満仲にちなむというが、詳しいことは不明。

■昼食(ふじや)

 明通寺門前の風情ある料理旅館。今回のバスツアー(1日版)は食にもこだわりがあって、お得だと思う。

明通寺

 坂上田村麻呂の創建と伝える。本堂と三重塔は国宝。小浜で最も有名な寺院のひとつだろう。木造薬師如来坐像の左右には、木造深沙大将立像(左)と木造降三世明王立像(右)を配する不思議な配置。ここは若いお坊さんの案内だった。

■国分寺

 和尚さんの案内で拝観。すきま風の入りそうな木造の釈迦堂には、福井県下では最大級の木造釈迦如来坐像を安置。頭部は17世紀(江戸時代)、体部は14世紀(鎌倉時代)の作だという。大きいが、温かみのある引き締まった造形で、ガイドさんが「私はこの仏さんが好きなんですよ」と嬉しそうにつぶやく。道路を挟んで別棟の薬師堂には、木造薬師如来坐像。文句なく端正で洗練された風貌で、いつまでもうっとりと眺めていたい。

 以上でツアー終了。

 帰りは私もバス若江線で近江今津に出ることにする。バスの出発まで少し余裕があったので、駅前商店街をぶらつき、鯖街道の起点や、さば街道資料館をのぞいて見る。ドラマ「ちりとてちん」出演者のサイン色紙が貼られた焼き鯖の店も見つける。

 近江今津までは約1時間、スムーズな接続で湖西線に乗り継ぎ、京都へ。湖西線の眺めもよかったなあ。たぶん私はこの旅行で、琵琶湖を1周ならずとも0.8周くらいしたのではないかと思う。若狭歴史民俗資料館の館長が「京都は意外と近いんです。ここから京都駅まで1時間くらい」(車で?)とおっしゃったときは、京都の友人と顔を見合わせてしまったけど、最短ルートを使えば、確かに近い。

 京都駅ビルで夕食。私はさらに南下して、最終日は奈良泊に決めた。

※参考:若狭おばまの秘仏めぐりツアーバス(福井県のページ)

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2012秋@関西:竹生島、湖北の観音(長浜+高月)、渡岸寺

2012-09-25 23:13:08 | 行ったもの(美術館・見仏)
 三井記念美術館の『琵琶湖をめぐる近江路の神と仏 名宝展』を見て「そうだ、近江行こう」なんてつぶやいていたら、ほんとに近江に行くチャンスがやってきた。あそこも行きたい、いや、ここも、と迷う場所はたくさんあったのだけど、秋旅行はまず近江(滋賀県)から。

■西国第三十番 厳金山宝厳寺[竹生島](滋賀県東浅井郡)

 前回は、ご本尊ご開帳中の2009年5月だったから3年半ぶり。月日の経つのは早いなあ。長浜港から、前回より1本遅い10:15発→10:45竹生島着、12:05竹生島発→12:35長浜着を利用した。平日(金曜日)だったので、往路は20人くらいしか乗っていなかったが、復路は今津港発の団体さんが乗ってきて、かなり混んだ。唐門と船廊下は、私の大好きな風景である。フェリーの中では、昨年の大河ドラマ『江』にからめて、竹生島と浅井家のゆかりを紹介するビデオが流れていたが、宝厳寺では、源平の人々と竹生島に焦点をあてた展示パネルを読み込む。平家物語の「平経正の竹生島詣」って、ヘンな話だなあ。何がしたかったんだ、竹生島の龍神は…。

長浜城歴史博物館 特別展『湖北の観音-信仰文化の底流をさぐる-』(長浜会場、2012年9月7日~10月14日)

 いろいろ迷ったけど行っておくか、くらいの気持ちで会場に入ったら、ズラリ居並んだ仏像に心拍数が上がる。しかも等身大を超える大型の仏像多し。本展は、湖北地方に伝わる観音像33体を展観する。うち24体が平安時代の木造仏という、古えの香りゆかしい展覧会である。

 2階、会場冒頭の十一面観音立像(善隆寺/和蔵堂)はシャープで秀麗な顔立ち。寺の所在地を調べたら、西浅井郡=湖西線方面か~。いまだ行ってみようと思ったことのないエリアである。赤後寺の木造菩薩立像は、2010年の高月・観音の里ふるさとまつりで拝観している。充満寺の十一面観音立像も見覚えがあるのに、お寺の名前に記憶がなく、あとで西野薬師観音堂のことか!と解決した。堂々した厚みのある体躯に、細いウェストのプロポーションが私好み。来現寺の聖観音像の、強い呪力を感じさせる横顔もよかった。以上は、国の重文指定も受けている優品。

 ほかは、素人目にも稚拙な修復の痕が見られたり、後補の持物や宝冠が不釣り合いな像もないではなかったが、そうしたことも含めて、地域の人々に尊崇され、大切に守られてきた歴史を感じさせる仏像が多かった。ここも展示ケースの奥行きが浅めなので、大きな仏像は、ぐいぐい寄って見られるのが嬉しい。背景に黒or紺の布を張っただけのシンプルな装飾が、展示品の雰囲気によく合っていた。

 写真豊富な展示図録(制作=サンライズ出版)はお買い得だと思うが、表紙に赤後寺の千手観音と石道寺の十一面観音の写真を大きく掲載しちゃっているのは、いかがなものか。この二体は「参考」として図録に写真が掲載されているものの、原品は展覧会に出陳されていないのである。あとで誤解を招かないかなあ。

 3階は文書資料など。5階、展望台から一望する琵琶湖の風景も面白かった。長浜から彦根や安土までの距離感がよく分かった。

■渡岸寺観音堂(向源寺)

 引き続き、長浜で遊んでいくつもりだったが、高月会場でも『湖北の観音』展を開催中だと分かったので、時刻表を調べ、1時間に1本の列車をつかまえて、高月に北上する。午後4時閉門の渡岸寺観音堂(向源寺)を先に拝観。ううむ、やっぱり文句なくいい。拝観客が絶えないので「平日でもお客さんが多いんですね」と聞いたら「そんなことない。少ないよ。100人か90人くらい」とおっしゃっていた。忘れられがちだが、観音像の隣りの大きな木造大日如来坐像も好きだ。

高月観音の里歴史民俗資料館 特別展『湖北の観音-観音の里のホトケたち-』(高月会場、2012年9月12日~10月21日)

 たぶん、現在の建物に建て替わる前に、一度来たことがあるのではないかと思うのだが、ほぼ初訪問に等しい。パンフレットを見ると、通常は「高月の歴史と民俗」を常設している2階スペースが、全て今回の特別展に置き換わっている。約20件。ただし、高月所在の仏像でも優品は長浜会場で展示。また、ふだんはこの資料館に寄託されている横山神社の馬頭観音立像も長浜行き。したがって、高月会場の展示のほうが、うーん、と、表現が難しいが、鄙びている。目の覚めるような美形はいないが、純朴な微笑が愛らしい仏様もいらっしゃる。

 以前、「観音の里ふるさとまつり」で拝観してびっくりした、正妙寺の千手千足観音立像もお出ましで、すごく近くでまじまじと見つめてしまった。

 この『湖北の観音』展は、長浜と高月、二つの会場の連携によって行われており、面白い試みだなと思ったが、図録を見たら、両館の館長はおひとりの方が兼務しているようだ。そう言えば、高月町は、市町村合併で長浜市の一部になってしまったんだな。2010年、高月の「観音の里ふるさとまつり」で「ここ長浜市の…」と言われて、全くピンとこなかった記憶がある。

 この日の観光はここまで。まだ日も高かったので、宿泊先の敦賀まで、余裕で移動できると思っていたら、まず高月で、次の列車まで40分待ち。やっと来た列車は途中の近江塩津止まりで、さらに乗り継ぎに30分待ち。しかし、人家の少ない北近江の風景には心癒された。特に余呉はよかったなー。また行ってみたい。
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2012秋@関西:栗みな月

2012-09-24 21:23:15 | 食べたもの(銘菓・名産)
みな月(水無月)は、外郎(ういろう)に小豆をのせた三角形の和菓子。

関東ではあまり見かけないので、京都に来ると、目につく。夏のお菓子だと思っていたら、秋バージョンの栗みな月を、京都駅で売っていたので、帰京の新幹線車中のおやつに購入。



木曜に名古屋で仕事があったので、そのまま、週末は関西圏に居残ることにした。
収穫は以下のとおり。

9/21(金)
・西国第三十番 厳金山宝厳寺(竹生島)
・長浜城歴史博物館 特別展『湖北の観音』(長浜会場)
・高月観音の里歴史民俗資料館 特別展『湖北の観音』(高月会場)
・渡岸寺観音堂(向源寺)

※参考:「湖北の観音」展:人気 1万人へ!秒読み--長浜/滋賀(毎日新聞2012/9/24)

9/22(土)
・小浜市「みほとけの里 若狭の秘仏」平成24年度秋の文化財特別公開

9/23(日)
・大和文化館 特別企画展『明清の美術-爛熟の中国文化-』

どれも大満足!
たまっている読書記録も含めて、記憶の薄れないうちにレポート書かねば。

と思いながら、昨日も早めに帰宅したのに、大河ドラマ見終わってすぐ寝てしまった。
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猛々しい世話物/文楽・夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)他

2012-09-18 23:38:40 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 9月文楽公演『粂仙人吉野花王(くめのせんにんよしのざくら)』『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』(2012年9月17日)

 『粂仙人吉野花王』は「吉野山の段」のみ上演。仙人あるいは高僧が、女色に迷って神通力を失うという、歌舞伎『雷神不動北山桜』(鳴神)や謡曲『一角仙人』のバリエーションである。と言っても、私は歌舞伎や謡曲をよく知らないのだが、この作品は、コミカルで、エロチックで、かつ毒が利いていて、面白かった。色香をふりまく未亡人・花ますを竹本千歳大夫。粂仙人の弟子の安曇坊を竹本相子大夫。この二人の掛け合いが絶妙。上方芸っぽいな~。

 『夏祭浪花鑑』は、夏狂言の定番の有名作品なのに、私は初めて見る。「住吉鳥居前の段」では、老侠客らしい風貌の釣船の三婦(つりぶねのさぶ)がくつろいでいると、乱暴な駕篭かきと客がもめているので、仲裁に入って、客の玉島磯之丞を助ける。磯之丞が去ると、団七が連れられてくる。団七は、磯之丞の危難を救うため殺人の罪を犯して入牢していたが、磯之丞の父・玉島兵太夫の尽力によって釈放され、ますます玉島家に恩義を感じていた。

 …という具合で、入れ替わり立ち替わり、多数の人物が現れ(団七女房お梶、磯之丞の恋人・傾城の琴浦、琴浦に横恋慕する大鳥佐賀右衛門、侠客の一寸徳兵衛)、さらに多くの、その場にいない人物の消息が語られる。

 続く「内本町道具屋の段」では、さきほど磯之丞として紹介された若侍が、道具屋の手代に身をやつし、清七と名乗って登場する上に、琴浦という恋人がいたはずの磯之丞は、道具屋の娘・お中と恋仲になっている。え? これは単なる火遊びであったらしい。「据膳と河豚を食わぬは男の恥」なんて、あとで勝手なことを言ってるし。団七は棒手振りの魚屋・九郎兵衛として登場し、道具家に香炉を買いに来た田舎侍が、舅の義平次と見て、驚く。義平次は、どうも腹に一物ありそうな人物で、清七こと磯之丞を窮地に陥れる。

 実際は、もっと登場人物が多くて、さらに複雑。浄瑠璃を見慣れていると、人物やプロットを類型化できて、なんとか理解できるんだけど、慣れていないと、お手上げだろう。休憩時間に隣の席のおばさんたちが「難しいわねー」「先に粗筋を読んでおかないと駄目よ」と言い合っていた。

 「釣船三婦内の段」。お中のことなど無かったように、琴浦といちゃいちゃする磯之丞。三婦とその女房おつぎは、磯之丞を安全に逃がす方法を思案している。そこに訪ねてきたのは、徳兵衛女房・お辰。おつぎは、磯之丞をお辰に託そうと考えるが、もしや磯之丞がお辰の色気に迷っては、と心配する三婦。それを聞いたお辰は、やにわに火鉢の鉄弓を自分の頬に押し当て「これなら心配ない」と三婦の反対を押しこめる。夕暮れ、以前の駕籠かきが琴浦をさらいに来ると、三婦の漢気に火がつき、数珠の糸をねじ切って、駕籠かきたちを叩きのめす。このときの、女房のおつぎも素敵。浪花、というか泉州堺では、男も女も伊達と心意気で生きている。

 お辰を遣っていたのは蓑助さん。ずいぶんお痩せになったなあ。遠目に別人かと思ったが、人形の所作を見て、蓑助さんと分かった。三婦は桐竹紋寿さん。白髪頭が三婦と瓜二つで、ほほえましかった。「釣船三婦内の段」の切は、竹本住大夫さんの予定だったが、病気休演につき、文字久大夫が代演。チケットを電話予約する時、「住大夫は休演ですが、よろしいですか?」と念を押された。みんな、そのくらい住大夫さんを目当てにしてるんだな。でも文字久大夫、よかったと思う。

 最後の「長町裏の段」は、団七を竹本源大夫、義平次を豊竹英大夫だったが、源大夫の声量にはちょっと不満がある。今回、床から離れた席だったので。でも脚本は、ほんとにすごいなあ。「舅は親じゃ」と言いつのる、義平次の嫌ったらしさ。図体に似合わず、おどおどと殊勝気な団七が、「間違い」から舅に手傷を負わせると、観念したかのように、荒ぶる殺人鬼に変貌する。闇の中に浮き上がる総刺青の裸身。背景を通りすぎて行く赤い山車提灯の禍々しさ。祭り囃子の喧騒。雪崩れ込むだんじり。これでもかと畳み掛ける演出に、文字どおり息を呑んだ。地獄を覗いたような陶酔感。団七役の吉田玉女さんは、ご本人のいでたちに華があって、こういう役は似合いだと思う。ああ、もっと早く見たかったわ、この狂言。

 「釣船三婦内の段」の口とアトを演じた豊竹芳穂大夫、豊竹靖大夫の語りが耳に残って、思わず名前をチェックしてしまった。私よりずっと若い世代が育っているんだな。これからも彼らの活躍を見続けたい。
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舞楽公演・四天王寺の聖霊会(国立劇場)

2012-09-17 20:21:22 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 舞楽公演『四天王寺の聖霊会 舞楽四箇法要』(2012年9月15日、14:00~)

 むかしから一度行きたいと思っていた、大阪・四天王寺の聖霊会が国立劇場に来ると分かって、速攻でチケットを取った。聖霊会は、聖徳太子を偲んで、毎年4月22日(本来の命日は旧暦の2月22日)に行われる。休日に当たると決まっているわけではないし、社会人の4月は忙しいので、なかなか行きにくいのである。

 舞台上は初めから幕が上がっていて、中央に一段高い石舞台、奥に中央の開いた幔幕。幕前が楽人の席。左右に分かれて着座するのだが、相当な大編成だった。石舞台の四隅には、赤い球状の飾りもの(曼珠沙華)が吊るされている。本来は柱を立てるのだが、観客が見やすいように配慮したのだろう。赤い球体からは、太陽の光線をあらわすような筋(長い棒)が四方八方に飛び出していて、その棒に、切紙細工(?)の小さな白いツバメが多数吊るされている。友人と席につくとすぐ、開演を告げるベルが鳴った。

 マイクによる進行説明はなく、舞台両脇の電光掲示板に、最低限の説明が流れる。これがけっこう役に立った。「客席の皆様には、お堂の聖徳太子の視点でご覧いただきます」と説明。なるほど。

・道行(みちゆき)…客席後方から二列になって、法要を行う人々が登場。ガイドブックには「獅子、舞童、楽人、衆僧、八部衆などの供奉衆」とあるが、公演では、管楽器を奏す楽人が先頭だったような。獅子がデカくてびっくりした。顔=お面は小さいのだが、後ろ足役は身を屈めないのである。また、胡蝶・迦陵頻姿の舞童や、鳥兜をかぶった舞人の足元が、白足袋に草履なのが面白かった。

・舞台前庭儀(ぶたいぜんていぎ)
・両舎利入堂(りょうしゃりにゅうどう)…「舎利」は法要を取り行う高僧の職名。

・惣礼伽陀(そうらいかだ)…舞台上に左右5人×2の僧侶が上がり、偈誦を唱える。この法要は、声明と舞楽のコラボレーション。

・衆僧入堂(しゅうそうにゅうどう)
・諸役別座(しょやくべつざ)
・集会乱声(しゅうえらんじょう)…左右両楽舎が楽を奏する。

・舞楽 振鉾 三節(えんぶ さんせつ)…はじめに左方が「新楽乱声」を奏し、左方の舞人が舞う。次に右方が「高麗乱声」を奏し、右方の舞人が舞う。最後に左右の楽舎が、新楽・高麗両乱声を奏し、左右の舞人が揃って舞う、と説明にある。確かに最初と二番目の楽調が違うのは分かった。私は、左方(唐楽)が、右方(高麗楽)より好みだ。

・舞楽 蘇利古(そりこ)…一般には四人舞だが、天王寺舞楽では五人で舞う。舞人の動作が、ぴょんぴょん跳ねるみたいに元気いっぱいなので、吹いてしまった。「蘇利古」って、あの雑面から、もっとおどろおどろしい舞をイメージしていたのに。鎌倉・鶴岡八幡宮で見た記憶もあるのだが、こんなんだったっけ? それとも天王寺バージョン?

・御上帳(みじょうちょう)・御手水(みちょうず)…「蘇利古」の発楽の間に、聖徳太子像の帳が掲げられる。「蘇利古」は「聖徳太子目覚めの舞」だそうで、それなら、子どものラジオ体操みたいに元気があってもいいのかもしれない。

・両舎利登高座(りょうしゃりとうこうざ)…「蘇利古」の舞の間に、両舎利(高僧)が座につく。この法要は、舞台上と舞台下で同時進行する部分が多く、目が追いつかない。

・ 諷誦文(ふじゅもん)・願文(がんもん)…おもむろに紙を広げた両舎利が、それぞれを「黙読」する。えええ~。不思議に思ったが、聖徳太子の霊に捧げるのだから、参列者に聞かせる必要はないのか。

・行事鉦(ぎょうじしょう)…行事の進行を促す鉦。

・楽 十天楽(じってんらく)・伝供(てんぐ)…奏楽の間、二列に並んだ舞童や八部衆たちが、供物を手渡しリレーで運ぶ。実際は、御供所から太子宝廟前まで運ぶのだそうだ。幼い舞童の奉仕にハラハラして、かわいい。

・楽 承和楽(しょうわらく)

・祭文(さいもん)…これも「微音」で唱えるというが、客席には何も聞こえない。ほぼ黙読。

・行事鉦(ぎょうじしょう)
・楽 賀王恩(がおうおん)

・唄匿(ばいのく)…唄師の独唱「始段唄」で始まる。これは一子相伝の伝授を受けた者のみ唱えることが許される由。さすがに美声で、聞き惚れた。

・散華(さんげ)・対揚(たいよう)・梵音(ぼんおん)・錫杖(しゃくじょう)…カノン形式があったり、二階席の最前列と応答したり、凝った演出が楽しめた。錫杖の音も、魂を振るうようで、よかったなあ。

・獅子(しし)…舞台上に二頭の獅子登場。口の形がちゃんと阿吽である。ゆったりと四方を拝礼する。もっと激しい動きを想像していたので、肩すかしだった。

・舞楽 迦陵頻(かりょうびん)…四人舞。いちばん年嵩の子が小学校高学年か中学生、チビは小学校低学年かな。小さなシンバルみたいな楽器(銅拍子)を腹の前で叩き合わせながら、やっぱりぴょんぴょん跳ねるように舞う。可愛い。女の子か?と思ったが、プログラムを見たら、全員男子の名前だった。

※なお「胡蝶(こちょう)」「菩薩(ぼさつ)」は省略。

・楽 長慶子(ちょうげいし)
・両舎利降高座(りょうしゃりこうこうざ)

※ここで休憩20分。開始から約1時間半を一気に上演しており、あとは舞楽「太平楽」「蘇莫者」を残すだけだったので、え?ここで休憩?と不思議な感じがしたが、まだ1時間近くかかることを確認して、納得。

・舞楽 太平楽(たいへいらく)…私は、たぶん今上天皇の御即位十年記念の宮内庁楽部公演(1999年)ではないかと思うのだが、過去に1回だけ「太平楽」を見たことがあって、目が覚めるほど面白かったことを記憶している。その後は、ぱったり見る機会がなかったので、今回、とても楽しみにしていた。

 そして、期待にたがわず、やっぱり面白かった。一緒に見た友人が「戦隊ヒーローものみたいだ」と評していたが、そんな感じ。動き早いし。鉾を構えて舞うかと思えば、途中で抜刀しちゃうし。しかし、くるくる回っているように見えるけど、舞楽の基本フォーメーション(全員が同じ動きをする)を逸脱しているわけではないんだな、ということも分かった。

 「太平楽」演奏の間に聖徳太子の御影の帳が下ろされ、両舎利・衆僧は退出、法要部は終了する。あとは、法要に集まった人々の楽しみである「入調部」に移り、江戸時代には、合計18曲もの舞楽が延々と演じられたという。へえ~。舞楽って、古代のものという先入観があったが、意外と江戸の人々の感性で、焼きなおされているのかもしれない。

・舞楽 蘇莫者(そまくしゃ)…一人舞。舞台下に唐冠の人物が現れ、横笛を奏すると、舞台上に、三角帽子をかぶり、大きな金目をむき、耳の左右に長い白髪を垂らした人物が走り出て、またもぴょんぴょん跳ねて、激しく舞う。横笛の奏者は聖徳太子、舞人は信貴の山神ともいう。

 公演は以上。

 さて、私が四天王寺の聖霊会に興味を持ったのは、梅原猛の『隠された十字架』(1972年刊)を、高校時代に読んで以来である。法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮魂する目的で建てられたという主張で、1970年代のベストセラーだった。不思議な雑面をつけた「蘇利古」は太子の亡霊ではないかとか、「蘇莫者」とは「蘇我の莫(な)き者」の意味ではないか、といった記述に、怖いもの好きの私は魅せられて、ぞくぞくした。しかし、大学に入ったら、一般教養で取った日本古代史の先生が、「あんな説は…」と鼻から否定していたので、熱が冷めたのだった。

 公演を見た翌日、図書館で同書を探して、30数年ぶりに該当箇所を開いてみた。「蘇利古」の五人舞は、四天王と太子の亡霊ではないか、と書かれていた。そして、狂ったように舞う「蘇莫者」こそ、荒れ狂う太子の霊だと論じられている。「横顔がすごい」「一言にしてオバケ」というけど、うーん。意外と愛らしいと思ったんだけどな、私は。とりあえず、文章に漲るおどろおどろしい熱の入れようを、懐かしく感じた。


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修羅とスイーツ/平家物語画帖 諸行無常のミニアチュール(根津美術館)

2012-09-15 11:49:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
根津美術館 コレクション展『平家物語画帖 諸行無常のミニアチュール』(2012年9月8日~10月21日)

 ポスターを見て、これは一体何なのだろう、と目を奪われた。あまり類例を知らない作品だったので。サイトには『平家物語』を120図の扇形の紙に絵画化した上中下3帖、という説明しかない。別のサイトで「江戸時代の17世紀から18世紀にかけて制作されたもの」であることは分かった。いま根津美術館のトップページでは、3種類ほどの画像を見ることができ、その愛らしさに心ときめくが、「ミニアチュール」というのだから原品は小さいんだろうな、混んでいるとよく見られなくて嫌だな…と思った。

 最初の週末、幸い、館内はそれほどの混雑ではなかった。画帖は横長の折本で、1ページ(1葉)の大きさは、図録の記載によれば、縦17cm×横26.7cmだから、A4サイズより少し小さめ(横長)か。詞書のページと挿絵のページが交互に現れる。どちらのページも、金箔を散らし、まばゆい金泥で霞を引いた料紙で、挿絵のページには扇面画が1枚ずつ貼り込まれている。この扇面画がかわいい。縁のあたりは金砂子の雲に侵食されて、キャンバスのかたちが千変万化している。背景は、黄土色の地面、緑の野山あるいは青畳、紺碧の海、だいたいこの三色のいずれかに単純化されている。

 人物の顔も単純化されていて、公家や上臈女房だけでなく、武士も「白面」である。申し訳に髭が描かれているが、あまり目立たない。小さな目鼻は、伏見人形などの泥人形を思わせる。しかし、図録の拡大写真で見ると、けっこう各場面で変化に富んだ、いい表情をしている。人物の所作も、大仰ではないが、きちんと状況説明や感情表現に合わせており、丁寧につくられた「ミニアチュール」だなあ、と感じる。

 この作品の魅力は、悲惨・凄惨な合戦場面の続く「平家物語」(特に後半)を、雛遊びのような、みやびで、どこかのんびりした小扇面図に封じ込めてしまったことだろう。「能登殿判官の舟に乗り移りし事」(展示は後期)の義経なんて、まるでピーターパンである。「兼平最期の事」では、木曽義仲の乳母子・兼平が、太刀先を咥えて馬からとびおりる壮絶な自死を、物語どおりに描いているにもかかわらず、くすりと笑ってしまうような愛らしさがある。

 図録の解説は、本作品を「大名の嫁入り道具として使われたとしても違和感がない」と論じている。今なら「スイーツ」と揶揄されるところか。しかし「平家物語」の梗概を知っているかどうかで、作品から受ける印象は、ずいぶん違うんじゃないかと思う。「平家」を知っていると、愛らしく美しい小扇面の背後に、人間の欲望がむき出しになった修羅の合戦図が幻のように浮かび、阿鼻叫喚の声が聞こえて、たとえば『平治物語絵巻・三条殿夜討巻』のような、ストレートな表現よりも、かえって、人間の業や諸行無常の切なさに胸が騒ぐように思う。

 上中下帖とも、前期は帖頭~前半、後期は後半~帖末を展示。壇ノ浦など、見どころは後期のほうが多いように思う。それにしても「平家」を読んだのは、ずいぶん前のことなので、忘れていたエピソードもずいぶんあった。鹿が谷事件の後、清盛によって幽閉されていた後白河上皇の御所で、多くの鼬(イタチ)が走り騒いだって、不吉な情景なのだが、吹き出すほど可愛い…。ドラマでやってくれないかな。

 展示室2は「禅僧の名筆」、展示室5は「平家物語の能面」。全体に地味だけど、秋の深まりに似つかわしい落ち着きを感じさせる。
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闇から出(いで)て/ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて(安田浩一)

2012-09-13 22:13:42 | 読んだもの(書籍)
○安田浩一『ネットと愛国:在特会の「闇」を追いかけて』

 正直にいうと、初めて知ることばかりで、びっくりしながら読んだ。そして、そういう自分の無知を、なんとなく居心地の悪いものに感じた。在特会(在日特権を許さない市民の会)という名前だけは知っていた。ネットに多数の関連動画があるのを知らないわけではないが、視聴してみたいと思ったことは一度もない。あまり繁華街を歩かないので、彼らの過激な街宣活動に出くわしたこともない。一度だけ、2010年に札幌で、今考えると彼らかもしれない姿を見かけた。本書に書かれているほど過激な街宣ではなかったが、同感できる主張ではなかったので、耳に蓋をして通りすぎたことを覚えている。

 在特会(在日特権を許さない市民の会)とは、在日韓国・朝鮮人に許されている権利が、日本人に不利益を強いる「特権」であると考え、その是正を掲げる団体である。2007年に設立。ネットを通じて急速に会員数を伸ばし、2009年頃から、過激な活動スタイルで注目を集めるようになった。本書には、プロローグとして、著者が実際に見聞した「日本最大のコリアンタウン」鶴橋での街宣の様子、さらに2009年の「京都朝鮮学校妨害」事件と2010年の「徳島県教組乱入」事件のルポが掲載されている。なんだろうなあ、これは。引用も憚られるような汚い罵詈雑言の数々。これが白昼堂々、民主主義国家で起きていい事件なのか?と耳を(目を)疑いたくなる。

 いったい彼らは何者なのか。著者は、同会の中心人物である桜井誠の実像を求めて、その故郷・北九州市を訪ね、親族や高校時代のクラスメイトに取材し、多くの会員にインタビューしている。出版社で働く広報局長、銀行マンの支部長、イラン人の母を持つハーフ日本人、在日コリアンの親戚や友人を持つ会員、普通のOL、いきがる中学二年生、等々。ひとりひとり向き合ってみれば、彼らの言動に、特別狂気じみたところはなく、私たちの普通の隣人であることが分かる。

 著者の取材は、およそ1年半に及んでおり、その間、関係者の心境に、少なからぬ変化や動揺がうかがえる。次第に会の活動から距離を置くようになった者や、はっきり批判を表明する立場に変わった者もいる。特に、はじめは在特会の新しい情報戦略とそのパワーを、高く評価していた右翼・保守系団体の運動家たちが、やがて同会の暴走に失望し、離反を始めた現状も明らかにされている。ここの関係者インタビューが、私はいちばん面白かった。こういう人たち(=筋金入りの伝統右翼)の主張に、これほどじっくり耳を傾けたことがなかったので。著者は、同会が「大人」の支援を失って、成長の機会を取り逃がしたことを惜しんでいるフシがある。だが、従来の保守運動の枠に取り込まれなかった点にこそ、同会の意義があるとも言えるので、なかなか評価は難しいと思う。

 また、在特会から糾弾を受けた在日コリアンの側の発言や、身内の取材に激怒し、態度を硬化させた会長・桜井誠が見せた弱気、表面上は会の結束を守って、著者の取材を拒否・妨害しながら、さりげなく親愛のサインを示す会員たちなどの様子が、つとめて淡々と叙述されている。安易な「正義」や「真実」を持ち出さず、矛盾や混乱をそのまま投げ出して、最後の判断を読者の「読み」にゆだねるスタイルである。

 著者は、ひとつの解釈として、在特会の人々を動かしているのは「承認欲求」ではないかと説明している。何をしても「うまくいかない」人たち。「奪われた」「裏切られた」「否定された」ルサンチマンが、なんとなく「守られている側」の人々に向かう。分かり易い。分かり易すぎて、眉唾したくなるくらいだ。だとすれば「在特会の『闇』」の中にいるのは、怪物ではなくて、単なる枯れ尾花じゃないか、と言ってしまいたくなる。

 しかし、正体が枯れ尾花だったとしても、彼らの攻撃は現実のものだ。本人たちは、楽しく「ハネている」だけかもしれないが、彼ら(および彼らに影響を受けた人々)のまき散らす憎悪が、現実社会とネット社会の両方に、ギスギスした「住みにくさ」をもたらしていることは否定できない。なんとかならないものか。

 せめて、これ以上の荒廃を食い止めるため、ひとりの「大人」として、できることがあるとすれば、自分がかかわる若者の「承認欲求」をきちんと満たしてあげること。それと、インターネットに対する過剰な思い込みを是正する必要がある。マスコミ報道が「偽」「偏向」であるとしても、ネット検索ごときで、それに替わる「真実」が手に入るわけはないじゃないか。と思うのだが、とにかくクイック・レスポンスが評価される今日では、理解されないのかなあ。

 その点では、「エピローグ」に登場する、朝鮮初等学校OBの男性の証言には、真逆の重みがある。彼は「分かりやすい」在特会よりも、その背後にあって、無邪気に彼らを支持している市民のほうが恐ろしいと漏らす。白日のもとで、陽炎のように、ゆらゆら立ちのぼる悪意。在特会の闇よりも、確かに、そちらのほうが怖いかもしれない。
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