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見もの・読みもの日記

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ドラマ版と見比べ/映画・長安のライチ

2025-08-24 23:29:55 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇董成鵬監督『長安の荔枝(ライチ)』(グランドシネマサンシャイン池袋)

 先日、ドラマ版を見終わった『長安的荔枝』、実は映画版も作られていて、この夏、中国でヒットしたらしい。そして、なんと中国語字幕・英語字幕版(日本語字幕なし)が期間限定で日本で上映されるというので見てきた。中国語字幕で映画を見るのは初めての経験だが、ふだんからネットで中国ドラマを中国語字幕で見ているので特に問題はなかった。

 主人公・李善徳(董成鵬、監督と主演)は、大唐・長安の上林署に勤める下級役人。気の強い奥さん(楊冪)と幼い娘の幸せな家庭のためにコツコツ働き続ける日々。あるとき「嶺南からライチを輸送するライチ使」の勅命が下り、上林署の上司と同僚たちは、これを体よく李善徳に押しつける。ひとり嶺南・高州に下った李善徳は、ライチ園や胡人の商人・蘇諒の協力を得て、テスト輸送の早馬を都へ走らせるが成功しない。成功させるには、宮廷の絶大な権力によるバックアップが必須と考えた李善徳は、いったん長安に戻り、官僚機構の間を嘆願して回り、最後は右相・楊国忠の支持を取り付ける。

 再び嶺南に赴いた李善徳は、大規模なライチ輸送部隊を組織して長安に向かう。貴妃の誕生日宴までの日限は11日。しかし、都が近づくと、替えの馬と人員が用意されているはずだった駅家はもぬけのカラ。ライチ輸送プロジェクトのため重税を課された農民たちは流民化してしまったらしい。やむなく馬を替えずに走り続けることで多くの輸送員が脱落。それでも胡人の蘇諒が(長江に?)船を出してくれたことで、なんとか遅れを挽回する。

 長安まであとわずか、陸路を馬で行く一行。そこに忍者のような暗殺隊が襲い掛かる(これは魚常侍の差し金だったかな?)。嶺南から李善徳に従ってきた林邑奴は李善徳を守って殉職。ただ1騎となった李善徳は宮廷の祝宴に駆け込み、ライチを献ずる。

 輸送の成功に満足した右相は、来年も李善徳をライチ使に留めおこうとするが、李善徳は、ライチと国民の生活の軽重を考えない右相の政治を批判し、都を去る。1年後、嶺南でライチ園の再建に励む李善徳とその妻子。そこにもたらされたのは、安禄山の謀反の知らせだった。李善徳は戦火で失われた長安の繁栄を思って涙する。

 2時間枠の映画としては、面白く、分かりやすくまとまった内容だった。登場人物の善悪も基本的にブレない。ドラマ版の李善徳は、かなりめんどくさい性格で、同僚から疎まれているのも納得なのだが、映画版だと、素直で好感度が高い。映画版のほうが、全体に登場人物が若くて、行動に裏表がない。ドラマ版はクセのあるおじさんばっかりで、そこが私の好みだったので、映画版はちょっと寂しい気もした。何刺史と趙掌書は、絶対ドラマ版推し。しかし、大スクリーンで見る中国各地の風景と、そこで展開するアクションは見ごたえがあって満足した。

 最も大きな違いは、映画版が「ライチ輸送に成功した上で、政治に不満を表明する」なのに対して「ライチ輸送に失敗した(ことにして)、政治に不満を表明する」作りになっていることだ。これは全くの想像だが、映画版のほうが原作に近いのではないかと思う。想像が当たっているかどうか、ぜひ原作を読みたい。日本語翻訳版を出してほしい。

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権力の都を離れて/中華ドラマ『長安的荔枝』

2025-08-10 22:51:27 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『長安的荔枝』全35集(騰訊視頻他、2025年)

 ヒットメーカーの馬伯庸原作。しかも2019年にドラマ化された『長安十二時辰』と同じ曹盾監督にして雷佳音主演と聞いていたので楽しみにしていた。『長安十二時辰』とはずいぶんテイストの異なる仕上がりだったが、満足している。

 唐の天宝13年(754)春、玄宗皇帝は政治に倦み、楊貴妃を寵愛していた(翌年には安禄山の乱が起きる)。6月1日の楊貴妃の誕生日の祝宴に合わせ、嶺南産の荔枝(ライチ)を取り寄せるようにという勅命が下る。嶺南と長安の間は五千里、どう急いでも10日以上かかる。ライチは腐りやすく、3日と持たない。宮廷の園林を管轄し、野菜や果物を育てる上林署の役人たちは大弱り。日頃から煙たく思っていた頑固者の李善徳にこの難題を押し付けてしまう。李善徳は妻を亡くし、幼い娘の袖児と二人暮らしだったが、やむなく娘を預けて単身で嶺南に下る。

 李善徳の亡き妻の弟・鄭平安は、名族・滎陽鄭氏の出自だったが、右相(モデルは楊国忠)の差し金で一族から除籍されてしまい、妓楼の陪酒侍郎を生業にしていた。折しも、嶺南刺史の何有光が右相と結託してあやしい動きをしていることが発覚する。右相と対立する左相とその片腕の靖安司司丞・盧奐は、鄭平安を嶺南へ向かわせる(盧奐を調べて、歴史上の実在人物だと知った)。

 図らずも嶺南で出会ってしまう李善徳と鄭平安。李善徳は愚直に与えられた任務の完遂を目指し、ライチを栽培する現地民(峒族)の人々や胡人の商人たちの協力を得て、ライチ輸送の目星をつける。ここで李善徳はいったん長安に戻り、確実に輸送を成功させるための資金や法的支援を求めて奔走するが、官僚制度の壁は厚い。最後は右相に直談判して支持を取り付ける。ここで一枚嚙んできたのが宦官の魚常侍。魚常侍は李善徳とともに嶺南に下る。

 いよいよライチ輸送隊が出発する直前、何刺史は唐に反旗を翻して決起するが、長年、何刺史に従ってきた趙掌書は魚常侍の側に付く。謀反は失敗。何刺史と右相の結託の証拠を握った鄭平安は欣喜雀躍して都へ向かう。当面の邪魔者を片付けた魚常侍は、ライチ園の木々を伐採するなど、専横の限りを尽くす。諫めようとする李善徳だが、都に残した愛娘の安否を持ち出されると何も言えない。

 莫大な費用と人民の労苦と引き換えに長安にもたらされたライチに満足する右相。しかし、これが本当に正しい政治なのか、と正論を述べる李善徳。慌てた魚常侍は配下の者に李善徳の殺害を命じる。危険を察して愛娘とともに即刻長安を離れようとする李善徳。それを探し回る暗殺隊と出会ってしまった鄭平安は、命を捨てて李善徳と袖児の安全を守る。

 そして誕生日の宴。聖人(皇帝)と貴妃に捧げられたライチは、外見には何も問題がなかったが、中身はすでに腐りかけていた。すかさず右相と何刺史の関係を告発する左相(全ては李善徳が仕組んだことだった)。もちろん魚常侍も責任を逃れられなかった。

 公開前の宣伝では、平凡な下級官人の李善徳が、知恵と勇気と仲間の協力によって「ライチの長距離輸送」という難問をクリアして、ハッピーに終わる物語なんだろうと勝手に思っていた。それが全く異なる展開で、確かに李善徳は難問をクリアする(無事に運ばれたライチは亡妻の墓前に供えられ、愛娘・袖児が賞味する)のだが、権力者の横暴と、それに翻弄される下層の人々の怒りが強く印象に残って終わる。

 李善徳は袖児を連れて嶺南に下り、以後、峒族の人々とライチ園の再建に取り組んで、平穏な日々を送ったように描かれていたが、悲しいのは、鄭平安(岳雲鵬)と従僕の少年・狗児。ちょっとおとぎ話みたいで、笑いながら泣いてしまう最期だった。鲫(鮒=フナ)三郎の若様と一緒に竜宮で楽しく暮らしているといいのだけど。この鄭平安はドラマ版のオリキャラらしいと聞いて驚いている。

 『長安十二時辰』ファンには嬉しいサプライズがいろいろ仕掛けられていた。重なる出演者が多いが、それぞれ前作とは異なる顔を見せている。何刺史(馮嘉怡)は、悪辣非道だが愛嬌があって憎めなかった。「今の皇帝は自分と顔がそっくりらしい」と言わせるのはズルい。かつて殺害した海賊の頭目の娘に仇を討たれるのだが、最後のセリフ(好玩阿!)までカッコよかった。何刺史の幕僚・趙掌書(公磊)は気まぐれな権力者の下で必死に生きている苦労人の愛妻家で、これも憎めなかった。蔡鷺さんの藍哥も、タイプは違うが境遇は同じかもしれない。魚常侍役の蘆芳生さんは、こんな嫌な役柄で見たのは初めて。かなり体重や筋肉を落としたんじゃないかと思う。

 登場人物たちには、それぞれ複雑な因縁があるのだが、各回、本題のストーリーの前に、過去の物語を少しずつ見せていく進行は面白かった。しかもアニメを使ったり人形劇仕立てにしたり、工夫されている。終盤に行くほど、登場人物のひとりひとりに愛着が湧くドラマだった。

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育てられた復讐者/中華ドラマ『蔵海伝』

2025-07-09 22:59:56 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『蔵海伝』全40集(優酷、2025年)

 人気俳優・肖戦(シャオ・ジャン)主演の復讐古装劇ということで注目を集めていたドラマだが、私はあまり感心しなかった。舞台は架空の王朝・大雍(雰囲気は明代)。欽天監監正・蒯鐸の幼い息子・稚奴は、ある晩、辺境に派遣されていたはずの父親が、突然帰宅したことを知る。蒯鐸は妻と子供たちを集めて、ともに旅立とうとするが、武装した一団に踏み込まれ、一家は殺害される。ただ地下室に隠れていた稚奴だけが生き残り、仮面の人物・恩公に助けられる。

 稚奴は都を離れた土地でさまざまな教育を受けて育つ。10年後、青年となった稚奴は蔵海という名前を得て、師父のひとり高明とともに、両親の仇である平津侯・荘蘆隠を討つために都に戻ってくる。蔵海は風水や土木・木工の知識で平津侯に気に入られ、その食客となる。平津侯には正妻の子・荘之甫と亡き愛妾の子・荘之行という二人の息子がいた。遊び人だった荘之行は、蔵海の助言で武士の本分に目覚め、父親を喜ばせる。

 10年前、平津侯が蒯鐸一家を襲ったのは、蒯鐸が辺境から持ち帰った「癸璽」を奪うためだったことが分かってくる。癸璽は草原の異民族国家・冬夏に伝わる宝物で、瘖兵(ゾンビみたいな不死の兵士たち)を呼び出すことができると言われていた。絶大な兵力=権力を手に入れるため、蒯鐸を陥れたのは、大将軍の平津侯、太監の曹静賢、そして三人目は冬夏国の女王と見做された。蔵海は、枕楼の女老板にして、実は冬夏から大雍に人質として送られた公主の香暗茶を憎からず思っていたので衝撃を受ける。しかし、これは誤情報だったことが分かる。

 【ネタバレ】平津侯、曹公公を倒した蔵海の前に恩公が現れ、仮面を脱いで素顔を見せる。恩公の正体は内閣次輔の趙秉文で、癸璽の在処と三人目の仇敵を蔵海に暗示する。確かに癸璽は見つかったものの、蔵海は趙秉文こそ三人目の仇敵ではないかと疑う。そしてその疑いが証明されるときがきた。蔵海と香暗茶は冬夏国の聖地、かつて父の蒯鐸が癸璽を発見した地下の聖堂を探し当て、癸璽の真実を知る。権力の妄念に囚われた趙秉文は瘖兵の幻覚によって命を落とす。

 ざっとこんなあらすじ。蔵海、香暗茶、荘之行が10年前の幼少時代に出会っていたり、蒯鐸と若き日の皇帝が身分を超えた友情を育んでいたり(それゆえ、蒯鐸は危険を冒して癸璽を皇帝に届けようとし、蔵海は皇帝に救われる)、よくも悪くも過去の因果が現在につながる話のつくりは私の大好物である。しかし、三悪人の平津侯、曹公公、趙秉文が幼い頃、大雍学宮という学び舎で、肩を寄せ合うように過ごした苦学仲間だったというエピソードは、あまり活かされていなかったように思う。趙秉文が蔵海を助けて、旧友二人に対する復讐者に育てた理由もよく分からなかった(癸璽を探し当てることを期待したというが、まだ海のものとも山のものとも分からない少年にそんな期待をするかなあ)。

 平津侯・荘蘆隠を演じた黄覚さんは、弱気な中年男のイメージが強かったけど、押し出しがいいので歴戦の武将役がハマっていた。単細胞でなく、繊細な葛藤を抱えている役柄なのもよかった。曹静賢の邢岷山さんは昆劇出身の方らしい。太鼓の連打で軍勢を指揮したり、興に乗ると京劇(かな?)の一節を口ずさむところが、いかにも中国古装劇のキャラクターらしくて楽しかった。

 あと、荘之行の周奇くんは『大理寺少卿游』の陳拾で顔を覚えた。荘蘆隠と荘之行、父と息子の一騎打ちシーンが個人的にはクライマックス。二転三転する途中の展開はそこそこ面白かったのだが、最後は急ぎ過ぎで、全編を通してのカタルシスが希薄だったように思う。

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歳を重ねて見えるもの/映画・さらば、わが愛 覇王別姫

2025-06-29 19:08:14 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇陳凱歌監督『さらば、わが愛/覇王別姫』(Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下)

 映画『国宝』ブームの影響か否か知らないが、『さらば、わが愛/覇王別姫』の再上映があると聞いて、慌ててチケットを取って見て来た。私は1994年の日本初上映、2007年の特集上映「中国映画の全貌」でも見ているので三度目になる。同じ映画を三度も劇場で見たことは、この作品しかない。

 冒頭、無人の劇場(体育館みたいな無機質な空間)に、項羽と虞姫の扮装をした二人が稽古のために入ってくる。照明係の老人(たぶん)の声が「四人組がいなくなって、ずいぶんよくなった」と語りかけ、これが文化大革命終結後の場面であることを伝える。それから、物語は過去へ。

 1924年の北京、女郎の私生児である小豆子(字幕では小豆)は、母親によって京劇の劇団に預けられる。実質、棄てられたと言ってよい。おそらく生きる術のない女児は妓楼に売られ、男児は劇団に入ることで、なんとか命をつないだのだと思う。周りのいじめや厳しい修行から小豆子を守ってくれたのは兄貴分の石頭。二人は助け合いながら育っていく。

 私は、この少年時代の物語がとても好きなのだ。劇団を率いる関師傅は、旧時代人らしい鬼師匠だが、芸を磨き、観客の歓心を得ることしか、少年たちに生きる道がないことをよく知っている。また深く京劇を愛し、京劇隆盛の時代に生まれ合わせたことを感謝しろ、と少年たちに言い聞かせる。身体的な鍛錬には妥協を許さない一方で、覇王とは誰か、なぜ覇王が敗れたか、という芝居の背景や解釈をきちんと言葉で教える姿もよい。関師傅は「全ての人には命(運命)がある。それに逆らってはいけない」という哲学を持っている。そういったあれこれを踏まえて、少年たちが声を揃えて「垓下歌」を練習する場面がとても好き。

 成長した二人、小豆子は程蝶衣(女役)、石頭は段小楼(男役)を名乗り、京劇の人気コンビとなる。蝶衣は、単なる共演者を超えた愛情を小楼に抱いていたが、小楼は舞台は舞台、私生活は私生活と割り切って、妓楼の売れっ子・菊仙を追いかけていた。小楼を気に入り、押しかけ女房になってしまう菊仙。嫉妬する蝶衣はあてつけのため、演劇評論家にして没落貴族の袁世卿に近づく。

 折しも1937年、日本軍が北京に侵入。蝶衣は日本軍の宴席に招かれ「牡丹亭」を披露することになるが、将校の青木は蝶衣を丁重に扱って返してくれた。戦後、日本軍が撤退すると、国民党政府は、利敵行為を働いた疑いで蝶衣を逮捕。小楼や袁世卿らは「日本軍に脅迫されてやったこと」と弁護するが、蝶衣は法廷でそれを否定してしまう。劇場に乱入した国民党軍との小競り合いで流産した菊仙は、蝶衣が小楼から離れることを願い、小楼にも芝居を忘れることを強要する。阿片に溺れる蝶衣。1949年、共産党中国の成立によって、時代は再び転換を迎える。

 小楼と菊仙の献身によって、ようやく蝶衣は阿片から立ち直り、小楼とともに再び舞台に立つが、共産主義に心酔する新世代の若者たちの反応は二人を困惑させた。その頃、かつて二人が拾って劇団に招き入れた赤子の小四は、共産主義青年の急先鋒になっていた。1966年、文化大革命が始まり、旧貴族の袁世卿は糾弾の標的になる。次いで、長年、京劇劇団の元締めとして二人とつきあいの深かった那老板が、自己保身のため、小楼と蝶衣を告発する。紅衛兵に縛り上げられ、お互いに過去の汚点を暴き合い、罵ることしかできない小楼と蝶衣、そして菊仙。三人は命だけは助かったが、菊仙は首を吊って自殺してしまう。

 何年後か、おそらく小楼は還暦を超え、蝶衣もそれに近い年齢だろう。二人だけの「覇王別姫」の舞台で、蝶衣は覇王の腰から抜いた剣を自分の首筋に当てる。それは、少年時代に芝居の褒美として賜り、巡り巡って手元に残った本物の剣。

 実はディティールは忘れていたことが多くて、物語に引き込まれた。初見のときは中国の近代史に不案内だったので、何が起きているのか分からなくて困惑したことを覚えている。逆に2回目は、少し歴史が分かるようになっていたので、政治的な激動に注目し過ぎてしまったように思う。今回は、小楼、蝶衣、菊仙の三人の関係性が強く印象に残った。ぶつかり合い、嫉妬し、反目しながら、支え合ってきた三人。しかし政治的な極限状況は、彼らの絆さえぶった切ってしまう。競って罵り合う小楼、蝶衣の、舞台上の煌めきとは別人の醜悪さ。信頼していた夫に「お前は淫売だ」と罵られた菊仙の、勝ち気な顔に影を差す絶望。鞏俐、好きじゃないけど巧いわ。時代に関係なく、人間の本質ってこういうものかもしれない、という諦め。そして関師傅の「命(運命)に逆らってはいけない」という哲学を思い出す。いろいろな読み解き方のできる映画である。

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恋の手本となりにけり/映画・国宝

2025-06-22 18:44:13 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇李双日監督『国宝』(TOHOシネマズ日本橋)

 原作は全く知らなかったが、出演者もいいし、題材にも興味があるので、公開されたら必ず見に行こうと決めていた。そして比較的早めに見に行ったのだが、作品の重量に圧倒されて、なかなか感想をまとめられなかった。

 物語の始まりは1964年(これはネットで調べた)、上方の歌舞伎役者の花井半二郎は、興行先の長崎で、地域の顔役・立花組の宴会に顔を出し、座興の舞台に立った女形の少年に魅了される。少年・喜久雄は立花組の組長の息子だった。しかし、その日、武装した敵対勢力の襲撃を受けて喜久雄の父親は命を落とす。天涯孤独となった喜久雄は父親の仇を討とうとするが失敗。半二郎は喜久雄を引き取り、部屋子として育てることに決める。

 半二郎には喜久雄と同い年の息子・俊介がいた。二人は競い合いながら成長し、やがて喜久雄(東一郎)と俊介(半弥)の若手女形コンビとして脚光を浴びる。あるとき、半二郎が事故で怪我をしてしまう。予定されていた舞台「曽根崎心中」のお初の代役に、半二郎が指名したのは喜久雄だった。俊介は喜久雄を祝福するが、その舞台を見て、喜久雄のとてつもない才能を知った俊介は出奔してしまう。

 しばらく時が流れ、糖尿病の悪化した半二郎は、もうひと花咲かせようと白虎を襲名し、自分の名跡を喜久雄に譲る。しかし襲名式の舞台で倒れ、帰らぬ人となってしまう。唯一の後ろ盾を失った喜久雄に周囲は冷たかった。父の死を知って帰ってきた俊介は再び舞台に戻り、注目を浴びる。焦る喜久雄は、先輩役者・吾妻千五郎の娘の彰子を誘惑し、婿に収まることを狙うが、大激怒されて歌舞伎の世界から放逐される。彰子と二人で仕事を求めて、地方のホテルの宴会場などドサまわりの日々が続く。

 そんな喜久雄に手を差し伸べたのは俊介だった。「二人道成寺」は再び喝采を浴びる。しかし舞台で倒れる俊介。(父親譲りの)糖尿病で片足が壊死を起こしていたのだ。左足の膝から下を切断して義足とし、さらに、残る右足もいつ切断せざるを得なくなるかもしれない状況で俊介は「お初がやりたい」という。俊介の覚悟のお初を、徳兵衛として支える喜久雄。このあと、俊介の出番がないのは、彼は若くして世を去ったのだろうと思う。

 喜久雄には若い頃に付き合って、子供を設けた祇園の芸妓がいた。2014年、老境を迎え「人間国宝」に認定された喜久雄は、メディアのインタビューを受ける。写真撮影を担当した女性カメラマンは、すっかり縁の切れていた、喜久雄の実の娘だった。娘は、悪魔に魂を売って芸の極みを目指した父の生き方を非難しながら、その類まれな美しさを認める。そして娘の言葉を体現するような「鷺娘」の舞台で幕。

 主人公・喜久雄を演じた吉沢亮、もちろんイケメンだけれど、整いすぎた顔立ちで女形は合わないんじゃないかと思ったが、大役・お初を演じ切り、下りた幕の内側で呆然とする横顔の、まだ役のお初が抜けきれないところに、初々しい喜久雄がブレンドされた美しさが絶妙だった。最後の鷺娘も素晴らしかった。それ以上に印象的だったのは、落ちぶれたドサまわりの最中、田舎町のビルの屋上で、酔っぱらって、崩れた化粧で、ふらふらと踊る姿の凄絶な美しさ。

 横浜流星の俊介は、実は喜久雄以上に難しい役だったんじゃないかと思う。一世一代のお初。残った右足にもすでに壊死が始まっていて、爪の崩れた醜い足先を喜久雄の徳兵衛が喉に当てるのである。「曽根崎心中」のあのシーンをこう使うか!という脚本(原作)の巧妙さに唸った。花道で何度も転びながらの道行、最後の「恋の手本となりにけり」が、歌舞伎という芸に恋した男たちの姿を称えるようにも聞こえた。しかし、そういう小細工以上に、喜久雄のお初のセリフ!!発声が素晴らしい。私は「曽根崎」を文楽でしか見たことがないのだが、歌舞伎でも見てみたくなった。あと二人の少年時代を演じた黒川想矢くん(少年喜久雄)、越山敬達くん(少年俊介)もよかった。

 上のあらすじでは省略してしまったが、人間国宝の女形の歌舞伎役者・小野川万菊を演じた田中泯さんは、ほとんど人外(人でないもの)みたいなキャラクターだが、この物語に説得力を与えていたと思う。役者の「業」を抱えた男たちに翻弄されながら寄り添う女たちも、それぞれ印象的だった。

 映画館で見終わった後、あまり数多く映画を見ていない私が連想したのは『さらば、わが愛-覇王別姫』だった。だが、同作に言及している感想や批評はないかなと思っていたら、李相日監督が上海国際映画祭の舞台挨拶で、学生時代に『さらば、わが愛』を観て衝撃を受けたことが本作の背景にあると語ったそうで、ちょっと嬉しかった。しかし『さらば、わが愛』に描かれたような政治的な激動は本作にはない。それは本作の舞台である戦後50年余りの日本社会の幸せかもしれない。

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マンガ原作の武侠SF/中華ドラマ『異人之下』

2025-06-11 23:35:41 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『異人之下』全27集(優酷、2023年)

 見たい新作ドラマが途切れていたので、2023年公開で気になっていた本作を見てみた。原作は『一人之下』というウェブ漫画で、2018年には日中合作のアニメにもなっているらしい。へえ、全く知らなかった。

 ストーリーは、漫画原作らしく速いテンポでどんどん進む。平凡な大学生の張楚嵐は、ただ一人の家族だった祖父を幼い頃に失っていた。祖父の張懐義は、常人にない能力を持つ「異人(アウトサイダー)」の一人で、張楚嵐はその能力を受け継ぐとともに、成長するまで封印することを言い渡されていた。大人になった張楚嵐は、異人の一味に次々に襲われ、祖父から受け継いだ「炁体源流」の秘術を解禁する。

 この世界には、多くの異人が存在しており、いくつかの勢力グループがあった。張楚嵐を助けてくれたのは、表向きは「哪都通」という宅配会社を装っている集団で、総帥の徐翔の下に、徐三、徐四がいる。生前の張懐義に頼まれ、張楚嵐の成長を見守ってきた不思議な少女・馮宝宝もこの集団に身を寄せていた。よりエグゼクティブな雰囲気を漂わせるのが「天下集団」の総帥・風正豪。娘の風莎燕はかなり狂暴な美少女。しかし本格的な敵対勢力は「全性」を名乗るグループであることが徐々に分かってくる。

 異人たちの世界では「八大奇技」と呼ばれる8つの秘術の存在が知られていた。張楚嵐の「炁体源流」はその1つで、風正豪は「拘霊遣将」を使う。龍滸山の老天師・張之維は、八大奇技の1つ「通天籙」の伝授を賞品とした天師大会を開催することにし、腕自慢の異人たちが龍滸山に集合する。張楚嵐、馮宝宝、風莎燕のほか、武当山の王也、老天師の直弟子の張霊玉、諸葛孔明の後裔である諸葛青なども。トーナメントに出場するのは若者たちだが、それを見守る老師たちも一堂に会する。

 そして次第に明らかになること。異人たちの世界には、かつて八大奇技をめぐって凄絶な抗争があった(甲申之乱)。張楚嵐の祖父・張懐義は、もとは龍滸山の張之維らの同輩だったが、乱の首魁と見做され、龍滸山を追われ、何者かに暗殺されたのだった。馮宝宝は、「哪都通」の徐翔が幼かった頃、記憶を失った状態で放浪していた。徐翔の家族に助けられ、今日に至るが、半世紀あまり(?)経っても全く年を取る様子がなかった。

 天師大会トーナメントの結果は張楚嵐が優勝。しかし張楚嵐は「通天籙」の伝授を望まず、ただ祖父の死と馮宝宝の身元について真実を知りたいと願う。そこに「全性」集団が乱入するが、老天師・張之維が超絶的な能力を発揮して返り討ちにする。

 龍滸山攻略に失敗した「全性」集団では、若き策略家・呂良が掌門の座に就く。呂良には、幼い頃、呂歓という妹を失ったトラウマがあった。張楚嵐は呂良の記憶をたどり、そこに秘められた罠に気づく。呂良の祖父・呂大爺は八大奇技に執心し、端木瑛という老女が修得していた「双全手」という秘術を獲得するため、端木瑛の血液を抜き取って呂家の赤子に注入した。しかし、その端木瑛は、すでに呂歓と全ての記憶を交換していた。呂家から姿を消した呂歓の正体は端木瑛だったのである。馮宝宝(無根生の娘)の記憶を奪ったのも端木瑛だった。無根生は、八大奇技を生み出した異能者たちのさらに師匠にあたる大異能者だった。

 正体を現した端木瑛は、馮宝宝の心と身体を破壊しようとするが、張楚嵐は必死にこれに抵抗。天師大会トーナメントで出会った仲間たちの支援もあって、馮宝宝の救出に成功する。馮宝宝は再び全ての記憶を失っていたが、張楚嵐は、一歩ずつ彼女の心に近づこうと考える。

 原作を知らないと分かりにくいところもあったが、細かいことを気にせずに見ていく分には面白かった。若者世代も年寄り世代も、癖の強いキャラ&俳優さんが多くて楽しかった。張楚嵐役の彭昱暢くん、馮宝宝役の王影璐さんは初見だと思うが、なかなかの芸達者。王也役の侯明昊くんは久しぶり。老天師役の王学圻さんは『追風者』の共産党員・徐諾か!長い白眉毛など徹底した老けメイクで全然分からなかった。風正豪役の修慶さんは、現代ドラマが珍しい上に最後まで善人だったのが意外で(端木瑛と戦う張楚嵐に加勢する)笑ってしまった。

 設定としては現代?SF?のジャンルになるのだろうが、正派と邪派の抗争、秘技の争奪、過去の因縁、老輩から若者への教えなど、完全に武侠ドラマの骨格だと思った。2024年公開の映画作品(主演・胡先煦)もあるそうで、こっちの配役もなかなかいい。見てみたい。

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家族と幸せのかたち/中華ドラマ『小巷人家』

2025-05-12 23:03:20 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『小巷人家』全40集(正午陽光、湖南衛視、2024年)

 新作ドラマをいくつか挫折した後、半年前の公開である本作を探し当てて完走した。やっぱり正午陽光作品の安定感は抜群である。

 舞台は蘇州、1970年代末。紡績工場の女工の黄玲は、成績優秀と認められて住宅を給付され、夫である高校教師の荘超英、幼い息子の図南、娘の篠婷とともに新居に引っ越す。新居と言っても、庭と台所は隣家と共有、トイレはさらに周辺の住民と共有する、伝統的な「小巷」の住まいである。隣家の住人となったのは、工場の同僚の宋莹。夫の林武峰は、この界隈にはめずらしい大卒で、圧縮機工場の技師をしていた。息子の棟哲は父親に似ず、勉強嫌いのやんちゃ坊主。この2つの家族を軸に、90年代末まで、20年間にわたる中国庶民の暮らしぶりを描いていく。

 80年代はじめ、庶民の生活はまだ貧しく、黄玲と宋莹は庭に蛇瓜(ヘビウリ)を植えて食費を節約する。努力の甲斐あって、冷蔵庫や白黒テレビを購入することができ、徐々に生活に余裕が生まれる。大きな変化の1つは、荘家の長男・図南が上海の大学に合格したことだ。図南の専攻は建築学で、ゼミ旅行では雲瑶古城の調査を体験し、伝統的な街並み保存と生活環境の現代化の調和について考え、女子学生の李佳に淡い恋心を抱く。

 成績優秀な妹の篠婷も大学進学を志し、幼なじみの林棟哲も、篠婷と同じ大学を目指して必死で勉学に取り組む。一方、林武峰の勤める国営工場は経営が悪化。広東に新しい仕事を見つけることができた林武峰は、妻と息子にも広東移住を提案する。家族の絆を選び、蘇州を離れる宋莹。家族以上の親友・宋莹を失って悲嘆にくれる黄玲。

 篠婷と林棟哲は上海の大学で愛を育むが、当時の就職は基本的に国(党?)が決めるものだった。物理的に離れ離れになった結果、別れてしまうことを恐れた二人は、親に黙って結婚手続きをしてしまう。これがバレて、昔気質の父親・荘超英は大激怒。しかし、もはや子供は親の言うことを聞かないものだとあきらめる。最後は、姻戚関係になった林家と荘家の人々が集う(仲直りした図南と李佳も)年越しの団欒でドラマは終わる。

 昔気質の荘超英は両親に絶対服従で、荘家の老夫妻は、長男とその家族が自分たちに孝行を尽くすのは当然と考えている。芯の強い黄玲は、夫と対立しても言うべきことを言い、子供たちの自由を守り抜く。黄玲の支えは仕事(自分の収入)を持っていたことで、だからこそ、娘の篠婷が就職をないがしろにして結婚に走った選択には、厳しい苦言を呈する。また、80年代の終わり、国営の紡績工場が停業になり、仕事を失ったときは大きなショックを受けるが、共稼ぎの夫婦から近所の子供たちを預かることに、徐々に新たな生き甲斐を見出す。さんざん言い争ってきた夫とは、お互いに老境を迎えて、いつの間にか労わり合う関係になっているのが逆に自然だった。

 荘超英の甥の向鵬飛は、わけあって荘家に預けられる。学校の勉強は苦手だったが、目端が利き、働き者で、伯母の黄玲のことも大事にした。在学中の図南を誘って一儲けするエピソードもあり、金を稼ぐ(豊かになる)ことに対して、中国庶民のあらゆる階層が積極的な意義を認めていた雰囲気が分かるような気がした。

 荘家・林家の近所には、呉建国と張阿妹という夫婦がいるのだが、学のない木工の呉建国は、最後まで貧乏暮らしを抜け出すことができない。張阿妹は、空き家となった林家の住居を手に入れようと策を弄するが、黄玲は親友・宋莹の財産を守り抜く。呉家の娘の姗姗は、上級の学校に進むことを母親に許されず、経済的に豊かな相手と結婚するものの、最後まで望んだ幸せを手に入れたようには感じられなかった。さまざまな人生を前にして、幸せの意味を考えてしまうドラマである。

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バチカンのミステリー/映画・教皇選挙

2025-05-06 23:57:58 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇エドワード・ベルガー監督『教皇選挙』(TOHOシネマズ日本橋)

 ゴールデンウィークなので、話題の映画を見てきた。非アジア系の映画を見るのはむちゃくちゃ久しぶりだったが、評判に違わず、面白かった。

 ある日、カトリック教会の最高指導者であるローマ教皇が心臓発作で急死してしまう。首席枢機卿のトマス・ローレンスは、悲嘆にくれる暇もなく、次の教皇を決める教皇選挙(コンクラーベ)を執行することになった。

 選挙の参加資格を持つ枢機卿たちが、世界中からバチカンに集結する。選挙の秘密を守るため、彼らは外界から完全に隔離される。そこに1名の名簿に記載のない枢機卿が現れる。アフガニスタン・カブール教区所属のベニテスはメキシコ出身、多くの紛争地域で活動してきた人物で、前教皇が密かに枢機卿に任命していた。ローレンスは任命状を確認し、ベニテスの参加を承認する(この一件で、前教皇がリベラルな志向の持ち主だったと分かる)。

 有力候補と目されていたのは、まず頑迷な保守派のテデスコ枢機卿。これに対立するのは、アフリカ系のアデイエミ枢機卿で、野心家であることを隠さない。さらに穏健派と見做されるが、疑惑の多いトランブレ枢機卿。ローレンスは彼らのいずれも好まず、前教皇の考えに近い、友人のアルド・ベリーニ枢機卿を支持する。しかしベリーニは支持を得られず、かえってローレンスに票が集まり、二人の友情を微妙なものにする。

 最初に得票を伸ばしたのはアデイエミ。しかしアフリカ系のシスターのひとりが、かつてアデイエミに捨てられた恋人であることが発覚する。急速に支持を失うアデイエミ。だが、そのシスターをバチカンに呼び寄せたのはトランブレであることが分かる。さらにトランブレは亡くなる直前の前教皇と面会しており、そこで辞任を要求されたという噂があった。ローレンスは、封印された前教皇の居室に侵入し、トランブレの行状に関する調査報告書を発見する。その報告書を枢機卿たちに暴露したことで、トランブレの選出の目も消えた。

 残る有力候補は保守派のテデスコ。ローレンスは、自らそのテデスコと戦う意思を決める。そのとき、礼拝堂の外で爆破事件(自爆テロ)が起こり、封鎖されていた礼拝堂の窓が爆風で吹き飛ばされる。

 リベラリズムと多元主義の行きつく果てに怒りと嫌悪を明らかにするテデスコ。それに真向から反論したのは、実際に紛争地域で活動してきたベニテスだった。ベニテスの言葉は多くの枢機卿の心を捉え、次の投票で彼が次の教皇に選出される。教皇名はインノケンティウス。

 【ネタバレ】選挙結果に満足したローレンスのもとに、助手のレイ(オマリー神父)から驚くべき急報がもたらされる。ベニテス枢機卿がスイスで受けようとしていた手術の詳細。ベニテスは生来、子宮を持つインターセックス(半陰陽)であり、前教皇の助言に従い、子宮の摘出手術を受けようとしたが、考えを改め、神のつくられた身体のままであることを選択した、とローレンスに語る。少しずつ変わっていくカトリック教会の未来を暗示して映画は終わる。

 最後に重要な一幕があるらしいとは聞いていたが、なるべく感想や批評に触れないようにしていたので、制作者の意図どおり、驚くことができてよかった。冷静に考えると荒唐無稽な付け足しにも思えるが、教皇選出までの描写が重厚なので、現実味をもって受け止めることができた。

 フィクションとはいえ、教皇選挙のディティールを映像で見ることができたのは貴重だった。システィーナ礼拝堂の壮麗な建築、枢機卿たちの礼服も古装劇を見るようで、目に楽しかった。選挙では、公的に行われるのは投票のみで、その他の活動(支援者の取り込みや議論)は、食事や休憩の時間に行われているらしいのも面白かった。

 いろいろ自分でも調べてみて、カトリックでは、女性は枢機卿どころか、その前提としての聖職者にもなれないこと、にもかかわらず、最近亡くなられたフランシスコ教皇が、教会における女性の権限の拡大に努めていたことを知った。本作では、選挙のために集まった枢機卿たちの食事や、身の回りの世話をするシスター(修道女)たちが描かれており、その監督官であるシスター・アグネスが重要な役どころとなっている。

 誰が教皇になるかは、未定事項であるのだが、じりじり「正解」に近づいていく「謎解き」のスリルがあり、英米のミステリーの系譜に位置づけられるようにも思った。ある意味、周到に全ての布石を打った前教皇こそが「犯人」と言えるかもしれない。最後にローレンスが礼拝堂に紛れ込んだ亀を見つけて、庭園の水路に放してやるのだが、あれは何の比喩なのかな。私にはよく分かっていない。

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凶悪犯との長い戦い/中華ドラマ『漂白』

2025-02-28 23:37:13 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『漂白』全14集(愛奇藝、2025年)

 かなりグロテスクで陰惨な犯罪事件を扱ったドラマなので、万人にお薦めはできないが、私はハマって見てしまった。2002年、雪城市(架空の市、北国っぽい)で猟奇的な殺人事件が発覚する。集合住宅の排水口から発見された人間の遺体の一部。駆けつけた警察官の彭兆林は、不審な男とすれ違うが見逃してしまう。その男、鄧立鋼こそ、バラバラ殺人事件の主犯格だった。

 鄧立鋼、石畢、吉大順、宋紅玉の4人組(男3人、女1人)は、ナイトクラブなどで働く若い女性に声をかけ、監禁して家族から身代金を毟り取った後、女性を殺害して行方をくらますことを繰り返していた。雪城での犠牲者は、それぞれ田舎から出稼ぎに来ていた劉欣源、黄鶯という2人の少女だった。

 同じ頃、雪城市に暮らす真面目な女子高校生の甄珍は、同級生からのいじめに遇い、母親とも衝突して家出してしまう。むかし近所に住んでいた友人を訪ねて南方の灤城市に来てみたが、友人は自分のアパートを別人に貸して、上海の大学に進学していた。行くところのない甄珍は、家主の友人に頼み込んでアパートの部屋をシェアさせてもらい、アルバイトを見つけて生活費を稼ぎ始める。甄珍との同居をしぶしぶ受け入れた本来の借主は邱楓という女性で、甄珍と同世代だが性格は真逆。酒場のホステスをしながら一攫千金を夢見ていた。

 そこへ鄧立鋼ら4人組が灤城市に流れ着く。宋紅玉は邱楓に目を付け、男たちの金回りのよさを見せつけておびき寄せる。ところが、ひとり暮らしだと思った邱楓の部屋を訪ねた宋紅玉は、甄珍に姿を見られてしまう。完璧に証拠を消すため、鄧立鋼らは邱楓だけでなく甄珍も誘拐し、高層アパートの一室に監禁する。

 4人組に強要され、家族に電話をかけて送金を求める甄珍。その電話は、ちょうど甄珍の家を訪ねていた雪城市の警察官たちの知るところになる。直ちに灤城市まで捜査の手が伸びるが、それを知った鄧立鋼は激怒し、甄珍と邱楓の肉体を切り刻んでこの世から消し去る準備を始める。4人組が前祝いの酒宴に興じている間、浴室に閉じこめられた甄珍は水漏れを起こして階下の住人に異変を伝え、小さな天窓から外へ出て、高層アパートの壁伝いに隣室に逃げ込む。警察の助けもあって、なんとか2人は命を取り留めたが、4人組はまたどこかへ姿を消してしまった。甄珍は両親のもとに戻り、邱楓は心を入れ替えて新しい人生を歩み始める。

 2011年、大学を卒業した甄珍は雪城市の警察官となって彭兆林のチームにいた。あるとき彭兆林は、鄧立鋼の弟が病院に現れた噂を耳にする。そこから徐々に現在の4人組の状況が分かってくる。4人は偽名を使い、前歴を「漂白」して綏鹿市に潜んでいた。鄧立鋼はビリヤ-ドとマッサージの店の経営者となり、宋紅玉との間に息子が生まれ、2人は婚姻証明書も手に入れていた。石畢は子持ちの地味な中年女性と結婚し、小さな茶葉店の経営を手伝っていた。吉大順は雑貨店の女主人をたらしこみ、屠畜場で有能な屠畜人として働いていたが、体は末期の癌に犯されていた。

 彭兆林のチームは綏鹿市に乗り込み、ついに4人組を全員逮捕する。しかしここから、彼らに罪を自供させるための戦いが始まる。男たちは罪状を認めたが、宋紅玉は、自分は殺人にかかわっていないと主張。その結果、男たちには死刑が求刑されたが、宋紅玉は無期懲役となった。

 甄珍は、かつての雪城案の被害者・黄鶯が身に着けていたエスニック風のブレスレットを手がかりに、雲南のタイ族の村を訪ね、黄鶯の双子の妹・玉嬌を探し当てる。玉嬌に引き合わされた宋紅玉は取り乱し、殺害を告白してしまう。裁判はやり直しとなり、悪人たちは全て相応の裁きを受けることになった。

 甄珍を演じた趙今麦ちゃん、ドラマ『開端』を思い出したが、本作でも絶対にあきらめない信念と身体を張った頑張りが素晴らしかった。はじめは嫌な感じの邱楓(方圓圓)は、おバカなんだけど根はいい子で、幸せになってくれてよかった。彭兆林役の郭京飛さん、すっかり渋い俳優さんになったねえ。

 本作のおもしろさは、凶悪犯の4人組にも、それぞれ悪事に手を染めた事情があったり、家族のしがらみがあったりすることを丁寧に描いているところだと思う。特に任重さんの演じた石畢は、人付き合いが下手で、稼ぎが悪いとガミガミいう妻を衝動的に殺してしまい、鄧立鋼に死体の始末をしてもらったところから悪の道に踏み込む。しかし後年の偽装結婚では、平凡な妻と連れ子と穏やかな日々を過ごし、彼らの幸せを願って死刑場に赴く。社会への憎悪をエンジンに生きている宋紅玉(王佳佳)も貧乏ゆえに舐めた辛酸が根っこにあり、悪人だけど同情を感じた。

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北宋ミステリー画巻/中華ドラマ『清明上河図密碼』

2025-02-01 23:32:21 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『清明上河図密碼』全26集(中央電視台、優酷、2024年)

 北宋の都・開封の賑わいを描いた画巻『清明上河図』をモチーフにしたミステリー時代劇。画巻の作者として知られる張択端も劇中に登場する。主人公は大理寺の下級官吏の趙不尤。父親の趙離、弟の墨児、妹の弁児、そして妻の温悦と仲良く暮らしていた。趙不尤が温悦と出会ったのは15年前、都に帰還した官吏・李言の船が何者かに襲われ、李言と全ての船員が殺害された事件の晩だった。群衆に押されて河に落ち、着替えを求めて店に立ち寄った趙不尤は、同じく着替えを必要としていた温悦に出会う。温悦は李言の船を襲った水賊のひとりではないかという疑いを、趙不尤は微かに持っていた。

 いろいろ新たな事件があって、徐々に温悦の前身が明かされていく。温悦は船大工の娘だったが、幼い頃、両親を殺されて孤児となり、水賊の一味に拾われ、武芸を仕込まれて育った。15年前、何者かの指令を受け、李言の船を襲ったのも彼女たちだった。趙不尤は温悦の正体を知っても、一途に妻を護り続ける。開封府の左軍巡使・顧震は、かつての上官・李言を殺害した犯人を捜し求めて、温悦の関与を知るが、真の元凶はその背後にいると考える。大理寺をクビになった趙不尤は、開封府に転がり込み、顧震の下で15年前から現在に至る事件の解決に尽力する。

 さて、趙不尤の弟の墨児と妹の弁児は、本人たちには隠していたが、理由あって若き趙不尤が引き取った貰い子だった。大理寺の先輩だった董謙が何者かに殺害される前に、幼い息子と娘を趙不尤に託したのである。そして、その董謙こそ、温悦の家族を襲った犯人だった。自分の意思とは無関係に張り巡らされた因縁に困惑する温悦、墨児、弁児たち。しかし、結局、今ある家族の姿を大切にしようという決心に至る。そこに現れたのは、死んだと思われていた温悦の弟・蘇錚。彼は、両親の仇を討つため、董謙につながる人々を陥れようとするが、温悦は抵抗する。

 そして、最後に宮廷の大官にして貪官・鄒勉こそが全ての事件の黒幕であったことが判明する。鄒勉の娘と娘婿も傍若無人な悪役として登場するが、父親の鄒勉は、それを上回る冷酷・凶悪ぶりを見せる。このラスボスを裁判劇の舞台に連れ出し、悪事を糾弾する趙不尤の弁舌がクライマックス。圧倒的な民衆の賛同を得て、実際に開封府尹の審理に引き渡されることになる。このとき、鄒勉の意を受けた私兵が突撃するのを瓦子(劇場)の前で、体を張って阻むのは顧震と下僚の万福。

 善悪どちら側も癖のあるキャラが多くて面白かった。ルックスは全くイケていないけど、なかなかの頭脳派で、妻と家族思いの趙不尤。張頌文さん、いいドラマに当たったと思う。顧震は土いじりが趣味らしく、周一囲さんにしてはじじむさい役柄が大変よかった。その部下、お笑い担当のようで頭児(ボス)への忠誠心は厚い万福(林家川)も好き。墨児と親交を結ぶ学究肌の青年・宋斉愈役は郝富申くん!古装劇は初めて見たけど、どんどん出てほしい。

 『清明上河図』の虹橋を再現したセット、さらに画中の人物を全て再現したカットもあって、見応えがあった。ただ『清明上河図』には、女性の姿が非常に少ないと言われているので、画巻の世界をそのまま再現したら、こんなに女性の活躍するドラマにはならないだろう。

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