見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

アイスショー"Fantasy on Ice 2017 幕張" 3日目

2017-05-30 23:59:28 | 行ったもの2(講演・公演)
Fantasy on Ice 2017 in 幕張(2017年5月28日 13:00~)

 今年もアイスショーFaOI(ファンタジー・オン・アイス)の季節がやってきた。今年は、幕張、神戸、新潟で開催とのことなので、家から近い幕張と大好きな新潟へ見に行くことにした。幕張はS席だったので、リンクから遠いかな?と思っていたら、ショートサイドで通路隣りの見やすい良席だった。FaOIはゲストアーティストとスケーターのコラボが売りもので、ステージが「正面」になるので、その向かい側のショートサイドは、演出上、何かとお得な感じがする。幕張のゲストは、歌手の中西圭三さんと大黒摩季さん、それにピアニストの清塚信也さん。

 オープニングの群舞、今年は黒のボトムにゴールドのパーカーがユニフォーム。中のTシャツが短めなのか、男性陣はみんな腹チラ。いつものオープニング曲のあと、早くも中西圭三さんが登場して「Choo Choo Train」を群舞でコラボ。羽生くんが先頭でキレッキレのダンスを見せてくれた。2年ぶりのFaOIが楽しそうで何より。

 群舞の直後は、日本人の若手スケーターが登場するケースが多い。かつては村上佳菜子ちゃんや宇野昌磨くんもこの位置で滑ったと思う。今回は紀平梨花ちゃん。赤いドレスが可愛かった。第2部に登場した本田真凜ちゃんは肩出しの黒のドレスで、いきなり大人びた雰囲気。日本人スケーターで印象に残ったプロを先に書いておくと、宇野昌磨くんは新シーズンのSP、ビバルディの「冬」。ジャンプはきっちり決めていたけど、まだ物足りない印象。これから細部を作り込んでいくのだと思う。織田信成くんは大黒摩季さんと「あなただけ見つめてる」でコラボ。引退してから、年々巧くなっていく気がする。

 海外スケーターでは、まずジョニー・ウィアー。第1部でピアノの清家さんとコラボした曲が素敵だった。調べたら、産婦人科を舞台にしたドラマ『コウノドリ』の主題曲「Baby, God Bless You」というらしい。両肩にふわふわした灰色の羽根をつけた衣装が貴婦人のようで、強くて優しい母性を感じたのは、あながち間違いじゃなかったのだな。第2部は「How it End」、繊細な楽曲だったと思うが、衣装の印象が強すぎて、よく覚えていない。体にピッタリした黒のシースルーの衣装で、肩や上腕は肌を見せていた。腰回りだけ、キラキラしたラメの縞々が入っていて、虎の皮のパンツみたいでもあった。思わず会場がどよめく大胆さ。でも、テレビ放映されていた初日か2日目の衣装(上半身が白とピンク)より、私は好き。

 ステファン・ランビエールは、第1部のトリでピアノの清家さんとコラボの「戦場のメリークリスマス」。きれいなジャンプを次々に決める姿にうっとりしていたら、終盤、ステージ前で大きく転倒してしまった。滑り終えてから、恥ずかしそうに両手で顔を覆っていたのが、かわいかった~。でも、魂を別世界に持っていかれるような至福のひととき。衣装がいまいち美しくなかったのは「戦メリ」の世界観の表現なんだろうか。第2部ではプリンスの「Sometimes It Snows In April」。白いシャツにパープルのボトム。幕張限定のプログラムにランビエールのインタビューが載っていて、自分が成熟して、この曲を演じるのに今がふさわしいと思えるようになった、という趣旨のことを語っている。そうなんだよなあ、年齢とともに運動能力は衰えていくけれど、「成熟」で見せるプログラムもある、というのが、このアイスショーの素敵なところ。

 プルシェンコは、第1部では「東日本大震災の全ての被災者に捧げるプログラム」と紹介されて登場。荘重な曲、少ない動きで湧き上がる激しい感情を表現する。圧倒されて、涙がこぼれてしまった。にもかかわらず、第2部では(トリの羽生くんの1つ前)伝説のExプロ「Sex Bomb」を披露。SNSで噂が流れていたので知ってましたけどね。第1部のプロで泣かされて、みんな何故この感動的なプロを話題にしない、と義憤を感じていたのだけど、「Sex Bomb」を見たら、それまでの記憶が全部吹っ飛んでしまった。ほんとに肉襦袢でジャンプしちゃうし、金パンツをチラっとめくってみせるし、客席に乗り込んできて、お客さんとハグしたり、倒れこんだり、好き放題。みんな大喜びだった。

 詳しくは省略するが、ジェフもハビエルもバルデもコストナーも素敵だった。ポゴリラヤは、第1部が衣装早変わりのある「アンナ・カレーニナ」。第2部は大黒摩季さんとコラボで「The Rose」。大黒さん(北海道出身)は、ガチのフィギュアスケートファンで、ミッシェル・クヮンの長いスパイラルを見てからずっと憧れていたそうで、ポゴリラヤが、次々に天才の現れるロシア女子の中で浮き沈みはありながら戦い抜いていることに触れて、エールを送った。その内容を知っていたのか、滑り終わって、涙ぐみながら大黒さんとハグする姿に感動。そして、大黒さん、またFaOIに来てほしい。今年はペアダンスが少なめで寂しかったけど、カペラノ(アンナ・カッペリーニ&ルカ・ラノッテ)は安定の楽しさと美しさだった。

 さて、第2部の大トリは羽生結弦くんの新SP、ショパンのバラード1番。2015-16シーズンの衣装で登場。振付は新しい構成になっていると聞いていたけど、よく分からない。私は、競技会の緊張感が苦手でアイスショーばかり見ているので、競技用のプログラムをあまり見たことがないのだ。今回は、ショーとは思えない雰囲気で、会場が固唾をのむ中、滑り始めた羽生くん。難易度の高いジャンプを次々に決めていく。え?え!?もしかして、と思っていたら、ジャンプを全て成功させ、片手で小さくガッツポーズするのが見えた。4Lo、3A、4T+3Tだという。ひえええ。やっぱり競技プロが呼び込む感動ってすごいんだ、と再認識。リンクから退場したあとも拍手は鳴りやまず、再登場して「Let's Go Crazy」のサビを披露。正面から投げキッスをいただいて、ショートサイドは大興奮だった。ちなみに、いまブログを検索したら、私は2014年7月のFaOI新潟で、新プロ「バラード1番」を見ているのだった。巡り合わせを感じて、ちょっと嬉しい。

 フィナーレは大黒摩季さんの「ら・ら・ら」。スケーターたちはデニムのボトムにチェックのシャツを羽織ったり、腰に巻いたりして登場。うーん、格好いいんだか、ダサいんだか。ジャンプ大会では、何度も挑戦を繰り返してたランビエールがやっぱり可愛かった。プルシェンコも跳んでくれたよ! 幕張最終日なので、記念撮影があって、最後は羽生くんがマイクでひとこと。会場のお客さんと互いに「ありがとうございました」を言い合って退場した。

 第1部の途中、客席で急病人が出て、公演が一時中断したのだが、続けられてよかった。いろんなことがあるものだ。
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「百合版」忠臣蔵/文楽・加賀見山旧錦絵

2017-05-28 02:09:46 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 平成29年5月文楽公演(5月27日、16:00~)

・第2部『加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)・筑摩川の段/又助住家の段/草履打の段/廊下の段/長局の段/奥庭の段』

 第1部が豊竹英太夫改め六代豊竹呂太夫の襲名披露公演だったのだが、早々にチケットが売り切れてしまったこともあり、初見の『加賀見山旧錦絵』を選んだ。悪女・岩藤による朋輩いじめの見どころ、と聞いた記憶があるくらいで、あとは何も知らなかった。

 前半の舞台は、雨で増水し、不穏な空気の漂う筑摩川の川辺。ざんばら髪の鬼気迫る男・又助が現れ、刀を背にかついで川に飛び込む。通りかかった武士の一行が、騎馬のまま川に乗り入れる。又助は、その一人に襲い掛かって斬り殺し、「奸臣を打ち取った」と会心の笑い声をあげる。

 「又助住家の段」はそれから五年後。又助は妻のお大と幼い又吉と暮らしている。又助の主人の求馬は、主家の多賀家の勘気を蒙って浪人となり、今は又助の住まいに身を寄せていた。あることから、妻・お大は、夫の窮地を救うため、自らを廓に売って、百両を工面しようとする。悲嘆する又吉。そこに多賀家の重臣・安田庄司が訪ねてきて、多賀家の大殿(大領)を殺した証拠品として、かつて又助が筑摩川で失くした刀を見せる。又助は、五年前に自分が謀られて、奸臣を討つつもりで大殿を殺害してしまったことを悟り、求馬の手にかかって果てる。幼な子・又吉は又助に殺され、お大も自害。求馬は、大殿暗殺の犯人を討ち果たした手柄により帰参が認められ、めでたしめでたしとなるのだが、又助のかしらが「文七」なので悲劇のヒーローに見えるだけで、よく考えると阿呆でしかない。

 前半は、特に魅力的な登場人物もいないが、物語のプロットはそれなりに面白い。こういうのは、人形遣いが完全に黒衣で演じたほうが面白さが際立つんじゃないかと思う。出遣いは少し抑えたほうがいいんじゃないかなあ。とはいえ、又助役の吉田幸助さん、お大役の豊松清十郎さん、今回とてもいいなあと思って名前を覚えた。

 後半。「草履打の段」は鎌倉・鶴岡八幡宮の社前。多賀家の局・岩藤と中老・尾上が腰元たちを引き連れて参詣に訪れた。岩藤は、町人上がりの尾上に難癖をつけ、いやしめる。ついに泥草履で頭を打たれる辱めを受けるが、じっと耐え尽くす。津駒太夫の岩藤の、腹立ちをストレートに出さない、ねちねちした語り口の嫌らしさ。なんとなく聞き覚え感があると思ったら、津駒太夫で『伊勢音頭恋寝刃』のお万も聴いているんだ。あ~上手いなあ。

 岩藤は、ただのパワハラ女上司ではなく、若君の伯父の弾正と組んで、お家乗っ取りをたくらんでおり、証拠となる密書を尾上に拾われてしまったため、尾上を追い出そうとしていたことがあとで分かる。男まさりで肝の据わった野心家の悪女を遣うのが吉田玉男さん。岩藤と弾正の会話を立ち聞きして、悪事の全貌を知ってしまうのが、尾上の召使いのお初。恥辱に耐えかねた尾上は、お初を使いに出し、その隙に自害してしまう。尾上の思慮深く凛とした風情もよかった。吉田和生さんの遣う女性は好きだなあ。尾上の死を知ったお初は、怒りと悲しみで半狂乱となり、奥庭に忍び込んで、岩藤を討ち果たす。激情に我を忘れる若い娘ときたら勘十郎さんのお得意。配役はナルホドという感じだったけど、勘十郎さんの岩藤、和生さんのお初など別パターンも見てみたいものだ。

 お初と岩藤の斬り合いで、岩藤が額に刀疵を負うところとか、完全に「忠臣蔵」のパロディ(二次創作?)であることを、演者も観客も分かっていて楽しむ芝居なんだな、と思った。女版忠臣蔵と呼ばれることもあるそうだが、お初と尾上の間に通う肉親以上の強い愛情を見ていると、むしろ「百合版」忠臣蔵と呼びたくなる。

 咲甫太夫が「又助住家」と「廊下の段」で2回登場したのは、あまり例のないことだと思う。太夫は人材不足なのかなあ。70歳の呂太夫さんが「より一段高いところへ上りたい」というような芸の道だから、簡単に補充できないことは分かっているけど、中堅のみなさんに一層精進してほしい。本公演では、千歳太夫の詞章が聞きづらかった。熱演であることは分かるのだけど。幕間の休憩時間に、ロビーのモニターで第1部の呂太夫さんの襲名披露口上(録画)を見ることができたのは嬉しかった。お祝いの胡蝶蘭がたくさん飾られていた。
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練馬区立美術館の隣りでランチ

2017-05-25 22:12:21 | なごみ写真帖
練馬区立美術館は、中村橋駅から線路沿いに歩いて約3分。交通の便はとてもいいのだが、中村橋駅周辺に、ひとりでさっと食事のできるカフェがないのを、以前から残念に思っていた。

美術館の中に喫茶コーナーはあるのだが、コーヒーとケーキではお腹が持たないときはどうするか。美術館の隣りの建物の2階に喫茶店らしいものが見えたので、入口にまわってみた。意外なことに「サンライフ練馬」という名前の福祉施設(東京中高年齢労働者福祉センター)だったが、2階に「月の風」というカフェレストランが入っている。幅広い利用者層を反映してか、ごはん定食、おしゃれなスィーツ、ランチアルコールもあって、メニューが豊富。



この日は、野菜不足にうれしい、春キャベツのパスタにした。いいお店を見つけたかも!

練馬に来る楽しみが増えた。

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絵画に残された街の姿/19世紀パリ時間旅行(練馬区立美術館)

2017-05-24 23:21:19 | 行ったもの(美術館・見仏)
練馬区立美術館 練馬区独立70周年記念展『19世紀パリ時間旅行-失われた街を求めてー』(2017年4月16日~6月4日)

 フランス文学者の鹿島茂氏による「失われたパリの復元」(『芸術新潮』連載)をもとに、19世紀パリの全体像に迫る展覧会。300件に及ぶ展示品の、たぶん半分以上は「鹿島茂コレクション」(鹿島先生所蔵)である。同館は2011年に、鹿島茂コレクション1『グランヴィル』展を開催し、今後も鹿島茂氏の蒐集作品群を連続的に展覧する予定だと宣言した。その後、いくつかの企画は見逃していたが、今回、久しぶりに見に来ることができた。

 「19世紀パリ」というタイトルだが、冒頭に展開するパリの風景はもっと古い。いや、出品リストを見直したら、展示品(石版画、地図など)の刊行年は19世紀後半だが、描かれているのはローマ帝国支配下のパリ(1-3世紀)だったり、名君とうたわれたフィリップ2世治下のパリ(12-13世紀)だったりする。シテ島の左岸から右岸へ、市街が少しずつ広がっていく。数十年~百年近い間隔を置いて、ほぼ同じ視点で描かれた風景画がけっこう残っていて、建造物が稠密に、巨大になっていく様子がよく分かり、面白い。繰り返すが、展示品はほとんどが19世紀後半の印刷物だが、何らかの典拠となる図版はあったのではないかと思う(18世紀刊行の地図もわずかにあり)。

 続いて、もう少し都市の内部に入って行き、パリの景観とともに人々の風俗を描いた絵画(1枚摺りの版画や挿絵)を取り上げる。「パリに対する好奇心」は、大革命(1789年)による大変動と街並みの崩壊により、ノスタルジーを伴って加速する。さらにナポレオン3世の時代(第二帝政、19世紀後半)には、セーヌ県知事オスマンによるパリ大改造が行われた。変わりゆく現実に抵抗するように「失われたパリ」が絵の中に残されたのである。

 私はフランスの歴史や文化にそんなに詳しくないが、描かれた風俗やファッションを見ていると、ああ「三銃士のパリ」とか「椿姫のパリ」とか「レ・ミゼラブルのパリ」とか、誰でも知っている文学作品が思い出されて楽しかった。18世紀以前のパリを描いた風景画が、横長の画面に十分な余白を取り、壮麗なモニュメントの全体を描いているのに対して、19世紀の都市風景画は、画面を縦長に使い、石造の高い壁の間の、光の届かない路地を描いたものが多いように思った。この頃、都市の姿、あるいは都市に対する感覚が、根本的に変わったのではないかと思う。

 ちょっと嬉しかったのは、七月王政(1830-48)前後の風刺画がかなりまとまって出ていたこと。所蔵者は伊丹市立美術館とあった。しばらく行っていないけど、大好きな美術館なのである。京都服飾文化研究財団が所蔵する19世紀のパリ・モード(女性用ドレス)6点も見ごたえがあって楽しかった。

 世紀末を跨いでも、パリの変貌は止まらない。1899年、1900年には連続してパリ万博が開かれ、エッフェル塔が建設され、地下鉄が開通する。アンリ・ルソー、ドガ、ロートレック、ミュシャなどの作品で華やかなフィナーレ。かと思ったら、20世紀のはじめ、浮世絵に魅せられたフランス出身の版画家アンリ・リヴィエールが制作した『エッフェル塔36景』が非常に面白かった。新潟県立近代美術館・万代美術館所蔵とのことで、もしかしたら見たことがあるかもしれないが、全36点まとめてみることができたのも、思わぬ得をした気分。最後は佐伯祐三の油彩画で、納得の〆めだった。

 併設のミニ展示『鹿島茂コレクションで見る「レ・ミゼラブルの世界」』も楽しめた。展示を見ながら思っていたのは、いずれ『ブラタモリ』海外編を撮ってくれないかなあということ。地形や地質学的考察と人文地誌的考察をまじえて、日本国内と同様、海外の都市も紹介してほしい。探せば、案内人はいると思うんだけど。
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育ちのちがう七兄弟/帝国大学(天野郁夫)

2017-05-23 23:00:57 | 読んだもの(書籍)
〇天野郁夫『帝国大学:近代日本のエリート育成装置』(中公新書) 中央公論新社 2017.3

 何の因果か、国立大学の事務職員という仕事を選んで20数年になる。自分の職場が、どのような歴史を背負っているのか興味があって、これまでもいろいろな著作を読んできた。本書は、帝国大学の誕生から、戦後、国立総合大学に生まれ変わるまでの70年間、さまざまな資料とデータに基づき、七大学の全貌を描いたもの(台北と京城の二大学には簡単な言及のみ)。

 大学の誕生から帝国大学への変貌、第二の帝国大学・京都大学くらいまでは、だいたい知っていることの復習だった。しかし、そのほかの、東北・九州・北海道・大阪・名古屋の帝国大学が、どのような順番(左記にあげた順である)、どのような事情で設立されたかは、初めて知って興味深かった。帝国大学といえば、国費でつくられた大学と考えがちだが、大蔵省が予算を出ししぶる中、古河財閥の多額の寄附によって、東北帝国大学と九州帝国大学の設置が可能になったという。また北海道帝国大学も、創設費のほぼ半分は地元や財界の寄附でまかなわれた。地元に帝国大学を置くということが、どれだけ待望されたか、分かるような気がする。果たして、今、これらの大学は、地元との深いつながりを保っているのだろうか。

 帝国大学には高等学校という制度が附属しており、高等学校を卒業すれば自動的に帝国大学に進学できた。自由な学生生活の思い出と結びついて語られることの多い戦前の高等学校だが、実は、専門学校化しようとして挫折したり(井上毅)、大学進学を望まない地方紳士のための教養教育を主としたり、やっぱり大学の予科(予備教育)の役割に戻ったり、試行錯誤の跡があるのは面白い。高等学校のカリキュラムは外国語の比重が非常に高かった。まず英・仏・独の語学を習得しなければ国際水準の大学教育に進めないのが、後進国・日本の現状だったのである。そのため大学入学者の平均年齢は、先進諸国に比べて高かった。この説明はよく腑に落ち、再び同じ状況に戻らないでほしいと思っている。

 熾烈な受験競争を緩和するため、高等学校の入試制度には何度も変更が加えられている。綜合試験にしたり、分割にしたり、二班制(二期制)にしたり。この迷走は今日に続いており、結局、どれも一長一短なのだということが分かる。それにしても、交通通信手段が未発達な明治末年に全国一斉の「綜合試験」を実施するというのが、どれだけ困難だったかは想像を絶する。面白かったのは、大正デモクラシー期(大正前期)の帝国大学で行われたさまざまな改革。学年・学級制を廃止し、試験結果を点数評価から段階評価に変更し、恩賜の銀時計に加え、なんと卒業式と卒業制度まで(!)廃止してしまった。「学術の蘊奥を極める大学において、修業年限を設け、一定の課程を強いるのは不可である」というのだ。この意気込みはいいなあ。私たちが「長い伝統」と思っているものも、けっこう紆余曲折があり、途中で中断したりしているのだ。

 明治期の大学院が「ユニバーシティホール」という珍妙な英語訳を持ち、さまざまな理由で、卒業後も学業を続けたいと考える「学士」たちのたまり場であったとか、戦後も長く継承された「講座制」が、帝大教授のポストをより魅力的にするため、待遇改善策として井上毅が取り入れたものだというのも初めて知った。

 戦時中は、学問の自由が大きく損なわれたという点で、帝国大学にとって「受難の時代」だった。その一方、政府・文部省は、科学振興と帝国大学の整備拡充につとめ、研究者の待遇改善、研究費の増額などが行われた。昭和14~20年の間に七帝大に25の付置研究所が設置され、多くは戦後も存続した。しかし帝国大学総長会議で文相が「研究所は戦場と心得、研究成果を第一線に応用する熱意をもってすること」と訓示したというのはやりきれない。いや、どことなく似たような世相になってきた気もするが。

 終戦後、帝国大学から新制国立大学への転身はやや駆け足で語られているが、重要な役割を果たしたのが、南原繁と天野貞祐であることは分かった。天野は、旧制高等学校および帝国大学制度の温存を願ったが、最終的に南原に敗れた。しかし、七大学は各地域の中心校として別格扱いを受けるとともに、講座制を温存することで、校費配分上のアドバンテージを享受し続けた。その講座制は、大学法人化によって姿を消したが、いまも七大学が日本の代表的な研究大学であることに変わりはない、というのが本書の結びである。さてしかし、旧七帝大が「研究大学」という同じカテゴリーで肩を並べていられる状況が、あとどのくらい続くだろう、と少しペシミスティックに考えた。
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普遍主義と共同体主義の間/文部科学省の研究(辻田真佐憲)

2017-05-21 00:06:29 | 読んだもの(書籍)
〇辻田真佐憲『文部科学省の研究:「理想の日本人像」を求めた百五十年』(文春新書) 文藝春秋 2017.4

 本書は、文部省(文部科学省)と「理想の日本人像」を通じて、明治維新このかた約百五十年の教育史を明らかにする試みだという。趣旨は分かる。文部省(文部科学省)というのは、学校教育を受けて育ってきた多くの日本人にとって、なじみ深い官庁であるが、私は、さらに大学時代に教員免許を取得するため、教育史などを履修した。そのとき、「期待される人間像」(1966年)などの存在を知り、文部科学省の掲げる「理想」が、あちらこちらに揺れながら、進んできたことをはじめて知った。もっと遡って、明治維新以降の「学制」→「教育令」→「改正教育令」という流れも、このとき知った。結局、私は教員にならなかった(なったけどすぐ辞めた)が、この国の近代教育史を大づかみに理解できるようになったのは、ありがたかったと思っている。

 明治新政府では、当初、1869年に設置された大学校が最高学府と教育行政機関を兼ねており、洋学派の牙城だった。1871年、文部省が設置され、翌年、中央集権的教育制度を掲げた「学制」が頒布された。しかし、壮大すぎた「学制」の理想は見直しを迫られ、1879年、地方の裁量を広く認めた「(自由)教育令」が制定される。折しも巷間で自由民権運動が盛り上がりつつあったことが保守派の危機感を招き、1880年、再び干渉主義的な「改正教育令」が発行される。教育行政は復古的な儒教主義が強まった。

 そこで、啓蒙主義でも儒教主義でもない「第三の道」を具現化したのが「教育勅語」(1890年)である。執筆の立役者は、絶妙のバランス感覚の持主だった井上毅で、元田永孚などと相談しながら「その介入を絶妙にかわしつつ」執筆した、というのが本書の評価である。うーむ、現代人から見ると儒教主義(日本化した)が目立って見えるが、当時の感覚は違うのかもしれない。

 その後も文部省の掲げる「理想の日本人像」は、普遍主義と共同体主義の間で、よく言えば柔軟に、右往左往してきたが、1930年代半ば以降、共同体主義に偏りすぎ、『国体の本義』や『臣民の道』を生み出すに至る。これを著者は「マルクス主義の幻影に怯えすぎたのかもしれない」と批評する。

 以下、戦後。1947年「教育基本法」が公布される。法令にしては平易で美しい文章だと思うが、当時食うや食わずの国民は関心を払わなかったとか、普遍主義を強調しすぎて空虚であるという著者の批判には、頷ける点もある。私は自分の趣味が日本固有の文化や歴史に偏っている分、法令などは普遍主義でいいと思うのだが、社会の標準的な感覚は違うんだろうなあ。普遍と共同体主義と、どちらかに偏れば必ず反動を招くというのは、現実の歴史を見て理解できる。

 高度経済成長期に突入すると、文科省は日教組に連戦連勝の体制となる。このあたりから私自身が見てきた時代なのだが、私は日教組に縁のない学校生活を送ってきたので、どこか違う国の話のようで、逆に興味深かった。しかし日本の社会は、文科省と日教組の対立をよそに経済成長に未来を見出していた。1966年の「期待される人間像」に示されたのは「愛国的な企業戦士」だった。

 80年代、経済成長の鈍化を受けて、がむしゃらな企業戦士像の見直しが迫られ、知識の詰め込みから「ゆとりある日本人」への転換がうたわれた。90年代には、日本は政治社会の両面で未曽有の変化に直面し、これ以降、日本の教育は「グローバリズムとナショナリズムの間を彷徨する」。まあひとことでいえば、この状態が2017年の今日になっても続いている、という認識には同意できる。どうすればいいかといえば、必要なのは理念の「実装」であると著者は答える。

 確かにそのとおりだと思う。大胆な改革とか革新的な政策というのは、字面はカッコいいが、それだけのことだ。「安定的かつ中立的に教育に取り組む組織」「抽象的なイデオロギーを(略)現実的な制度に組み立て直す役回り」こそが重要なのであり、少しくらいフットワークが悪くても、舵取りが時々左右にぶれてもいいのだと思う。変に偏った方向にアクセルを踏んで、かつての二の舞にならないよう、願いたい。
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死体に囲まれる/大英自然史博物館展(国立科学博物館)

2017-05-20 11:20:19 | 行ったもの(美術館・見仏)
〇国立科学博物館 特別展『大英自然史博物館展』(2017年3月18日~6月11日)

 大英自然史博物館から始祖鳥をはじめとする至宝約370点を厳選して展示(ほとんどが日本初公開)ということで、大きな話題になっている。私は、イギリスには一度だけ行ったことがあるが、仕事がらみで自由時間は短かった。それでも大英博物館には行ったが、自然史博物館は全く別のところ、サウスケンジントン駅の北側で、ヴィクトリア&アルバート博物館の隣りにあることを、今回、初めて知った。

 会場の冒頭には、自然史博物館の概要を紹介するショート・ムービーが流れていた(たぶん展覧会公式サイトでも見られるもの)。ロマネスク様式の、どっしりした石造の建築が印象的だった。大英博物館は1753年に開館し、自然史関係標本のための別館・自然史博物館は、1881年に開館した。現在の収蔵品は7000万点以上にのぼるという。ちょっと想像が追いつかない。

 展示は驚きの連続だった。あまり脈絡を考えていないふうなのが、却ってよかった。蝶の標本、恐竜の爪の化石、宝石(アメジスト)、オーデュポンの彩色鳥類図譜、キリンの首の剥製などが、わらわらと並んでいた。植物の種子、鉱石なども。古代エジプトの猫のミイラは、布にくるまれたこけしのようだったが、係員のお姉さんが「ここから見ると耳が分かります」などど声をかけていた。フウチョウの剥製は2点あって、片方は木に止まっていたが、片方は足がなく、ごろんと寝かされていた。足がなく、ずっと飛び続ける鳥だと思われていたことは、むかし荒俣宏さんの本で読んだなあ。

 始祖鳥の化石もわりと早くに登場する。ロンドン標本(1861年発見)とベルリン標本(1874-75年頃発見)の2点が来ていて、ベルリン標本のほうが骨格が分かりやすいが、ロンドン標本は岩石中に頭骨が埋まっていることが、後から発見された。本展では、主要な展示物には、復元CGのアニメーション解説がついていて、とても楽しい。言葉による解説が一切なく、標本の生前の姿が現れるのだ。始祖鳥は、まず胴体の骨格がパラパラと起き上がり、最後に頭部が岩石の中からすぽっと現れるのが、研究の過程をそのまま表している。

 魚竜の説明だったと思うが、化石からよみがえった魚竜が夜の博物館を泳ぎ回り始めると、哺乳類のイルカが、やはり展示の中から抜け出してついてくる。よく似た体格だが、見ていると尾ヒレの動かし方が違うことが分かる(左右に振るのと上下に振るのと)。うまくできたアニメーションだなあと感心した。あと、体毛や羽根の色が推定できるものは、生前の姿で登場するが、分からないものは骨格が動きまわるにとどめているのも(たぶん)良心的で科学的である。

 アニメーションは楽しかったし、鉱物や化石はいいのだが、剥製はつらかった。今の博物館等で見る剥製は、できるだけ生きているときの恰好に整形してあるが、むかしの標本は(特に鳥の場合)足を縛って投げ出されていて「死体」そのものである。いや、そもそも死体なんだけど。考えてみると、化石だって骨格だって死体である。昆虫標本も、ホルマリン漬けも。自然史博物館って、なんと多くの死体で満ちているのだろう、と思って、ちょっと気持ち悪くなりかけたが、なるべく考えないようにした。

 自然史博物館にかかわった人々の紹介も面白かった(と感じる私は、やっぱり根っからの文系)。歴代の館長はとても個性的で、「戦う館長」なしには、これだけの組織を維持・発展させられないことが分かる。コレクションの収集・調査研究に携わった人たちは、金持ちの道楽息子もいれば、教育らしい教育を受けずに独学で道を究めた人物もいる。

 女性研究者は(日本の少女たちを勇気づけるため)今回、意識的に多く取り上げたという話をどこかで読んだ。海藻学者のキャスリン・ドゥルー(1901-1957)の研究は、日本の海苔養殖の発展に多大な影響を与えたため、今でも熊本県宇土市で「ドゥルー祭」が開かれているという。いい話だ。イギリス人女性として初めて博士学位を取った植物学者のマリー・ストープス(1880-1958)は、一時日本の小石川植物園に滞在して研究を行った。ミュンヘンで知り合った藤井健次郎(1866-1952)の存在があったともいわれる、と図録解説にあるが、ちょっと待て。藤井健次郎といえば、日本女性初の博士学位(理学)をとった保井コノ(1880-1971)の恩師ではないか。これも記憶しておきたい話。

 展示の終盤に「ピルトダウン人」事件の関係資料が出ていたことも、博物館の姿勢として興味深かった。1912年にアマチュア考古学者が持ち込んだ化石が、当初、類人猿と人類をつなぐ50万年前の頭骨と鑑定されたが、1953年に贋作と判明する。自然史博物館最大のスキャンダルだが、贋作と分かっても資料を廃棄せず、100年後に最新の分析法で再鑑定をし、論文を発表したそうだ。科学といえども歴史とともにあることが徹底しているのは、英国の伝統だろうか。

 おみやげショップも楽しかったが、博物館の公式グッズは、いつか現地に行ったときに買うことにして、現地では絶対にありそうにないものをチョイス。始祖鳥の焼き印入り瓦せんべい。神戸・亀井堂謹製(ブラタモリ神戸編に出ていたお店だ!)。外箱はずっと使えそう。



 科学博物館の中庭で満開のバラを見るのは、なかなか乙である。イギリスっぽい。


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中華ドラマ『射雕英雄伝』(2017年版)、看完了

2017-05-18 21:49:09 | 見たもの(Webサイト・TV)
〇『射雕英雄伝』全52集(2017年、浙江華策影視)

 今年1月から本国の東方衛視で放送が始まった『射雕英雄伝』(2017年版)、YouTubeに流れてくる動画を追いかけて視聴し、最終回まで完走した。うん、面白かった!

 私は2003年の李亜鵬版が大好きなのだが、さすがに記憶は不確かである。2008年の胡歌版は、昨年、GYAO!ストアで日本語字幕版を見たばかりなのでよく記憶しているが、いろいろ気に入らなかった。2017年版の総合評価は、2008年版をはるかに凌駕し、2003年版より優れた点も目についた。まず、武侠アクションをいかにカッコよく撮るかという技術は、ものすごく進歩していると思う。虚空を走ったり、重いものを持ち上げたりする特殊能力の表現だけでなく、髪をなびかせ、木の葉を巻き上げ、ストップモーションを挿入するなどの小技も。たぶん日本のマンガやアニメーションの影響も受けているのだろう。ロケに力を入れて、美しい自然風景をたくさん見せてくれたのも嬉しかった。

 主役の郭靖(楊旭文)は、現代風の髪型なのがちょっと気に入らなかったが、ほとんど取柄のない阿呆の子から、少しずつ成長していく様子に好感が持てた。終盤は漢人らしい髪型になるのだが、前半の少年っぽい造型のほうが好きだ。黄蓉(李一桐)は拗ねても怒っても、いつも靖哥哥への素直な愛情があふれていて憎めなかった。そして意外と芸達者だったなあ。途中で男装するシーンも可愛かった。

 2017年版は、主役がこの二人であることが明確で、分かりやすいドラマだったと思う。楊康(陳星旭)と穆念慈(孟子義)とか、楊康と完顔洪烈の父子関係、欧陽克(劉智揚)と欧陽鋒の秘められた父子関係など、脇の人物関係も面白いのだが、これらにかかわりすぎると物語が散漫になる(2008年版の感想)。まあ、そもそも楊康と欧陽克のキャラがかぶっていたのは残念で、どちらももう少し印象に残る魅力が欲しかった。穆念慈は美人なのだがメイクが濃くて、薄幸なヤンキーのお姉さんっぽいなあと思って見ていた。

 天下五絶の配役は大満足。東邪・黄薬師(苗僑偉)は、こわもてなのに時々性格のよさが顔を出す黄薬師で可愛かった。香港の俳優さんなのね。北丐・洪七公(趙立新)は、お茶目で父性愛と包容力が感じられてよかった。出番は少ないのに、王重陽(韓棟)がインパクトのある美形だったのも見どころ。あと老頑童・周伯通(寧文彤)は、原作からしてむちゃくちゃなキャラクターだけど、この役に説得力がないとドラマが成り立たない重要な役である。寧文彤さん、さすがベテランで悪くなかった。梅超風(米露)は2003年版の印象が強すぎて難しい役だが、頑張っていたと思う。メイクで妖しい雰囲気を出していたけど、写真を検索したら、ふつうの美人さんだった。

 序盤と終盤のモンゴル編をしっかり描いてくれたのも嬉しかった。配役もよかったが、テムジン(鄭斌輝)はシンガポールの俳優さん、ジュベ(傅天驕)は漢族の俳優さんで、主要な役にモンゴル族を使っていないのだな、今回は。バージョンによってモンゴル族の髪型や服装が微妙に違うのも興味深く、モンゴル式の住居がすごく巨大に描かれていて苦笑した。

 なお、はじめはYouTubeを使っていたのだが、途中から中国の動画配信サイト「愛奇藝」というのがあることを知って、こちらに切り替えた。このサイト、最新作から2000年頃の懐かしいドラマまで無料で見ることができ、当分楽しめそうである。いい時代になったものだ。でも、やっぱり『射雕英雄伝』と言えば、主題歌は2003年版を何度でも聞き返したくなるのも不思議。
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新緑の鎌倉・横浜散歩/慶派のほとけ(鎌倉国宝館)ほか

2017-05-17 23:37:38 | 行ったもの(美術館・見仏)
鎌倉国宝館 『鎌倉の至宝-優美なる慶派のほとけ-』(2017年4月22日~6月4日)

 奈良博の『快慶』、東博の『運慶』を意識したのだろうか、慶派のほとけの特集である。だいたい、いつもの収蔵品だったが、見慣れない阿弥陀三尊像が2組。表面の劣化が進んでいるが、よく見ると優美な顔立ちの三尊像は、大町の教恩寺のもの。快慶の作風だというのはどうだろう、そう言われれば、まあ同意しないでもない。平重衡が鎌倉に送られた際の帰依仏だという伝承が奥ゆかしい。秦野の金剛寺の三尊像は、衣のひだが丁寧で装飾的。顔立ちは、中尊と脇侍像に違いが見られ、両脇侍像には定慶の作風との類似が認められるという。実朝の念持仏であったとの伝承を持つ。

 書画はかなりいいものが気前よく出ていた。『浄土五祖絵巻』は善導巻が南北朝で、もう1本が鎌倉時代の成立なのだな。南宋時代の『宝冠釈迦三尊像』(建長寺)は、劣化して見えにくいが、目を凝らすと美形。青色の光背、宙に浮く天蓋、横に広がる華やかな宝冠。伏し目がちで、微笑むような赤い唇。蘭渓道隆の西来庵に伝わったそうだ。元時代の『白衣観音図』が2幅あって、著色画(建長寺)も墨画(円覚寺)もそれぞれ美しかった。南北朝時代の墨画『猿猴図』2幅(建長寺)は軽やかな動きがあって、楽しい。個人蔵の鎌倉彫彫刻作品群(江戸時代)5件の中には、20cmくらいの初江王坐像もあって、とても欲しかった。

 帰り道がてら、旗上弁財天社に寄って、木下直之先生の『せいきの大問題 新股間若衆』に登場した「女性器に似た大石」の存在を確認したことを記録しておこう。確かに、池に落ちそうな位置から眺めないと石の真面目は確認できない。

神奈川県立金沢文庫 特別展『国宝 金沢文庫展』(2017年4月28日~6月18日)

 あまりにも直球なタイトルだが、要するに名品展である。2016年8月、総計2万点余りに及ぶ称名寺聖教・金沢文庫文書が一括して国宝に指定されたことを記念している。紙背文書が多いとか、解説が詳しくて面白かった。氏名未詳の女性の書状に、法要の際「うらべのかねよし(=兼好法師」と読み上げてほしいと記されているとか、藤原通憲(=信西)が編纂した『法曹類林』残巻(当初は730巻!)とか、有名無名の人々の生きた証が、ぽろぽろとこぼれてくる。美しいもの、哀れなもの、恐ろしいもの、危ういもの、など漢字四字で表した『十列集』も面白い。宋版『南史』は他にほとんど知られない書物で、宋・斉・梁・陳という南朝国家の歴史を記したものだという。

 展示室の外の廊下には、昭和7年(1932)4月の「聖教発見」の新聞記事(コピー)も展示されていた。昭和5年(1930)に金沢文庫が創設され、数千通の古文書の整理をしていくうち、次第にその価値が分かってきたらしい。「俵詰めの古文書から国宝に値する文献」「金沢文庫から続々発見さる」等の記事もあった。

神奈川近代文学館 特別展『生誕150年 正岡子規展-病牀六尺の宇宙』(2017年3月25日~5月21日)

 正岡子規(1867-1902)の文学と生涯を振り返るとともに、親友・夏目漱石をはじめとする多くの文学者たちとの交流も紹介する特別展。漱石と子規が同い年だったことから、1867(慶応3)年生まれの日本人を調べてみたら、ほかに幸田露伴、南方熊楠、宮武外骨などがいる。子規の生誕150年を祝ってくれてありがとう、とまずは言いたい。

 正岡子規のことは、もちろん教科書等で習ったが、強く興味を持ったのは、NHKドラマ『坂の上の雲』で香川照之の演じる正岡子規を見てからで、『病牀六尺』『墨汁一滴』『仰臥漫録』を読んで、本当に好きになった。ドラマに登場した子規の家族たち、特に彼を守り続けた母・八重と妹・律に関する写真や資料は、しみじみ懐かしい気持ちで眺めた。気のおけない仲間たちとの書簡を通じたやりとり、特に漱石の句巻に子規が朱筆を入れたものは、読みながら、だいぶ笑った。読みやすい翻刻を添えてくれてありがたかった。図録には、一部分の写真(白黒)しか収録されていないので、ぜひ会場で現物を見てほしい。

 会場のところどころ、子規に対する真摯な愛情であふれた解説文で読ませるなあ、と思ったのは、俳人の長谷川櫂さんの文章だったようだ。久しぶりに根岸の子規庵に行ってみたくなった。
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新旧西洋美術の奇想/ミュシャ展(国立新美術館)+バベルの塔展(東京都美術館)

2017-05-16 23:41:34 | 行ったもの(美術館・見仏)
国立新美術館 開館10周年 チェコ文化年事業『ミュシャ展』(2017年3月8日~6月5日)

 縦6メートルに及ぶ超特大キャンバスに、古代から近代に至るスラヴ民族の苦難と栄光の歴史を描いた連作『スラヴ叙事詩』全20点を世界で初めてチェコ国外で公開する展覧会。アルフォンス・ミュシャ(チェコ語発音はムハ、1860-1939)の名前はもちろん知っている。日本でよく作品を見るようになったのは、1980~90年代ではないかと思う。優美で華やかで、実在感があるのに理想的な女性像は、日本の少女マンガの世界と地続きな感じがして、一目見たときから好きになった。同世代の女性の友人に、大のミュシャマニアがいて、二人でグッズなどを見せ合った思い出がある。

 しかし、友人はどうだったか知らないが、私はミュシャの装飾的あるいは商業的デザインしか知らなかった。実は、ミュシャは、故郷チェコや自身のルーツであるスラヴ民族のアイデンティティをテーマにした作品を数多く残している。その集大成が、50歳で故郷に戻り、晩年の約16年間を捧げた連作油彩画『スラヴ叙事詩』なのだという。展覧会が近づくにつれ、そんな解説が耳に入るようになってきたが、年度末から生活が忙しくて、十分な下調べができないまま、会場に行ってしまった。

 第1会場に足を踏み入れたとたん、驚きで声が出そうになる。いやーこれは中途半端な知識を仕入れてこなくてよかった。巨大な画面に、巨大な人物が浮いている。「原故郷のスラブ民族」と題された第1作だ。原野を覆う青い星空。大勢の騎兵(遊牧民?)が疾風怒濤のように通り過ぎてゆき、前方にはスラブ人の男女がうずくまり、怯えた顔を向けている。左右に「戦士」と「平和」を従えた祭司(神?)が両腕を広げ、夜空に浮かんでいる。次の「ルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭」でも「スラブ式典礼の導入」でも、なんだか多くのこの世ならぬ存在が浮いている。スラヴの歴史は全く知らないのだが、描かれている人々の服装から、古代→中世→近世(?)と歴史が進んでいくことは、なんとなく分かる。最後は「ロシア農奴制の廃止」で、1861年の赤の広場の風景だ。背景に巨大な聖ワシリイ大聖堂が霞んでいる。途中に出てきたヤン・フスは、火刑にされた宗教改革者であると、高校の世界史で習ったことを思い出した。

 展覧会の後半では、日本人になじみの深い「商業広告」的なミュシャ作品も展示されている。「ユリ」の女性像を見て、あ、これチョコレートのおまけカードになっていた、という記憶がよみがえった。しかし『スラヴ叙事詩』を見てしまったあとで、これらの作品を見ると、何か整理のつかない気持ちを感じる。そして、母国チェコのために描かれた作品の、装飾的だが、情念に満ちた魅力。この人、こんな画家だったのか、と根底からイメージを覆された。

東京都美術館 『ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展 16世紀ネーデルラントの至宝-ボスを超えて-』(2017年4月18日~7月2日)

 ブリューゲル(1525頃-1569)の『バベルの塔』が来日と聞いたときは驚いたが、「24年ぶり」と聞いて、もっと驚いた。私はすでに成人していて、ブリューゲルにも関心があったはずだが、見に行った記憶がない。澁澤龍彦先生がこの作品について書いたエッセイを読んだ記憶は鮮明にあるのに。とにかく見に行こうと思って、会場に入ったら、ヒエロニムス・ボスの『聖クリストフォロス』と『放浪者(行商人)』に対面して、足がすくんでしまった。ええ~、こんなお宝(!)が来てるなら、はじめにそう言ってほしい。このほか、同時代の油彩・彫刻・銅版画、特にボスの影響を受けた銅版画やブリューゲルの銅版画では、ネーデルランドの奇想に浸ることができる。

 しかし、なんといっても『バベルの塔』だ。ブリューゲルは少なくとも3点の『バベルの塔』を制作したとされるが、現存するのはボイマンス美術館の所蔵品(1568年)とウィーン美術史美術館の所蔵品(1563年)の2点である。今回、展示される前者は60cm×75cmほどの小画面だが驚くべき精緻さで、工事に勤しむ人々の姿が1400人も描かれているという。全然気づいていなかった。会場では、高精細拡大写真やアニメーションを使って、驚きの絵画技法を分かりやすく見せてくれる。足場の組み方、漆喰の運び上げ方など、当時の建築現場の姿が精緻に描かれており、ただ呆れる。画家って、どうしてこんな作品を描きたくなるのだろうか。

 なお、時間がなくなって、東京芸大の「Study of BABEL」展(2017年4月18日~7月2日)は見られなかったので、また行ってみる予定。あと、上野駅構内の飲食店が「バベル盛り」フェアを企画しているのを、後世のため、記録に留めておこう。
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