見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

歴史の証拠と修正と/異国襲来(鎌倉歴史文化交流館)他

2024-01-31 22:19:57 | 行ったもの(美術館・見仏)

鎌倉歴史文化交流館 企画展・文永の役750年『異国襲来-東アジアと鎌倉の中世-』(2023年12月16日~2024年3月9日)

 久しぶりに鎌倉に行ってきた。お目当ては、この展覧会。1206年に建国されたモンゴル帝国は、文永11年(1274)と弘安4年(1281)に日本へ侵攻する。本展では、絵巻研究の進展や元寇沈没船の発見により明らかになりつつある、モンゴル襲来の実像に迫るとともに、当該期を経て花開いた鎌倉の文化的側面を紹介する。鎌倉市教育委員会と鎌倉の諸寺が所蔵する資料と、長崎県松浦市教育委員会の元寇沈没船資料の組合せで構成されているが、なぜか後者は1月19日から展示だったので、揃ったところを見計らって参観してきた。たいへん満足である。

 元寇沈没船が見つかったのは、長崎県の伊万里湾に浮かぶ鷹島の南岸地域で、2000~2002年度の発掘調査によって、剣・矛・鉄製冑などの武器・武具類、陶器、漆製品、木製品、青銅製品など様々な遺物が出土した。さらに2011年度の琉球大学による調査では、元軍船の構造がわかる遺物が発見されているという。今回は、鉄製冑、漆塗弓、高麗匙、硯など13件の出土遺物および複製品が来ている。パスパ文字の管軍総把印にはテンションが上がったのだが、これは複製だった。

 あとは、やっぱり『蒙古襲来絵詞』にも描かれた「てつはう(鉄砲)」の弾。実はこれ、陶製で、中に火薬や陶片・鉄片を詰めて蓋をしたと考えられている。砲筒が鉄製だから鉄砲なのか。長年海底にあった砲弾には、いくつも貝類が付着していた。

背面から見たところ。つるつるして、なるほど陶器製だと納得する。

 これは回回砲と呼ばれる投石機に使われた石弾。投石機は元軍が南宋を攻撃したときも絶大な威力を発揮した。うん、中国ドラマの城攻めシーンではおなじみである。

※参考:鷹島神崎遺跡(たかしまこうざきいせき)(長崎県. 長崎県の文化財)

 また、円覚寺の建立が、蒙古襲来による殉死者を敵味方の区別なく平等に弔うため、北条時宗に発願されたことを再認識した。開山の無学祖元は、温州の能仁寺で元軍に包囲されたこともあるという。温厚な肖像のイメージしかなかったが、厳しい時代を渡り歩いた人なのだな。

鎌倉国宝館 特別展『国宝 鶴岡八幡宮古神宝』(2024年1月4日~2月12日)

 時間があったので、鎌倉国宝館にも寄った。鶴岡八幡宮の古神宝をはじめ、ゆかりの宝物を一堂に展示する特別展。定期的に開催されているテーマなので、たぶん見たことのあるものが多いだろうな、と思っていた。確かに、着物を着せた弁才天坐像や螺鈿の古神宝には見覚えがあったが、書画にはめずらしいものも出ていた。浄光明寺所蔵の『僧形八幡神像・弘法大師像』2幅(南北朝時代)は、空海が渡唐の折、船中に八幡神が現れ、互いの姿を写したとの伝説から「互の御影」と呼ばれている。どちらも穏やかな表情。鎌倉国宝館所蔵『若宮八幡神像』(室町時代)は、髭をたくわえた青年相だが、八の字眉の困り顔。華麗な装束(桐竹鳳凰文の麹塵袍)に埋もれ、胡坐を崩したような足元もたよりない。

 鶴岡八幡宮所蔵『神前騎馬図』(室町時代)も初めて見たように思う。拝殿のような建物の中に三神(八幡三神?)が並んで鎮座し、その前を騎馬が駆け抜けていく。画面の下の方には祈祷する僧侶や戦う武士の姿が描かれる。なんだかよく分からないが、説話に基づくものらしかった。

 鎌倉歴史文化交流館の『異国襲来』との関連で、『鶴岡社務記録』(巻子本、個人の日記的な資料)の弘安4年(1281)の箇所が開いており、閏7月3日から異国降伏の祈禱をおこなったこと(異国御祈)、8月1日、大風によって異国の軍船が「悉く漂没」したと伝わったことが記されていた。こうした祈祷にかかわった真言宗の僧侶・親玄に関する資料も出ていた。晩年は永福寺の別当をつとめた人物なのだな。

 江戸・寛永年間に曼殊院の良恕法親王が揮毫した『八幡宮寺扁額銘』も興味深かった。「八幡宮寺」の扁額銘なのである。現在、楼門には「八幡宮」の三文字の扁額が掛けられているが、その前の扁額の写真を見ると「寺」を削り取った跡が明らかだ。明治の神仏分離の際の改変である。日頃、我々の目の前にあるのは、こうやって巧妙に修正の施された歴史なんだなあ、としみじみ思った。

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漆器と伊万里大皿/うるしとともに(泉屋博古館東京)

2024-01-29 22:21:54 | 行ったもの(美術館・見仏)

泉屋博古館東京 企画展『うるしとともに-くらしのなかの漆芸美』(2024年1月20日~2月25日)

 住友コレクションの漆芸品の数々を、用いられてきたシーンごとにひもとき、漆芸品を見るたのしみ、使うよろこびについて考える。私は漆工芸を見るのが好きなので、いそいそと出かけた。メインはやっぱり茶道具かなあ、あるいは蒔絵の手箱や硯箱。という私の予想は、最初の展示室「シーン1. 宴のなかの漆芸美」で大きく裏切られる。並んでいたのは、明治~大正時代の住友家で用いられていた膳椀具。『扇面謡曲画会席膳椀具』の丸盆は、漆黒の地に閉じた扇と開いた扇が描かれ、開いた扇は「留守模様」で、それとなく謡曲の演目を暗示する。刀と烏帽子と千鳥で「敦盛」とか、紅葉と鱗文で「紅葉狩」という具合。ただ、本当に控えめな絵柄で、少し離れて見ると、扇が描かれていることもよく分からない。気づかれなければそれでいい、というデザインで、大阪・船場文化の奥ゆかしさと懐の深さを感じた。象彦(八代 西村彦兵衛)の作。

 『花鳥文蝋色蒔絵会席膳椀具』は、黒地に目立つ金蒔絵で華やかな花鳥文をあしらう。一人膳に大小のお椀、お盆、お櫃(?)、湯斗(ゆつぎ?)、湯子掬い(ゆのこすくい?)など、さまざまな食器がぎっしり並んだところは圧巻。30客セットが伝わっているが、展示できたのその一部だという。こうした食器を用いた大宴会が、折に触れて開かれていたのかと思うと、住友家、やっぱりすごい。

 「シーン2. 茶会のなかの漆芸美」や「シーン3. 書斎のなかの漆芸美」は、だいたい予想どおりの品が並んでいた。しかし、大勢で楽しむ「宴」のなかの美術品を思い浮かべることができないのは、私の発想が貧乏人だからかなあ、と思ってしまった。「茶会」に関する品々を集めたのは住友春翠であるらしい。『青貝芦葉達磨香合』が可愛かった。全く達磨に見えなくて、髪の長い女性の妖精に見えてしまう。『武蔵野蒔絵面箪笥』は、能面を収める小箱が3段×2列セットになったもの。箱から覗く能面にドキリとする。

 また、故・瀬川竹生氏のコレクション受贈を記念した『伊万里・染付大皿の美』の展示も併設されている(約20件)。だいたい江戸後期(19世紀)の作品だが、皿自体がびっくりするほど大きくて、そこに伝統や格式にとらわれない、自由な絵柄が描かれているのが特徴。ひと目見て、嬉しくなってしまった。しかし裏面に「太明成化年製」と堂々と書いているのには笑った(大明を太明と書くのは伊万里焼の習慣らしい)。絵柄が浮世絵ふうの湯上り美人(!)だったり、鯛を掲げる恵比寿さんだったりしてもお構いなし。解説には「中国磁器への憧憬の念をあらわす」みたいに書かれていたが、本当のところ、どうなんだろう?

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扇面図流屏風の源氏絵など/大倉集古館の春(大倉集古館)

2024-01-28 21:13:57 | 行ったもの(美術館・見仏)

大倉集古館 企画展『大倉集古館の春~新春を寿ぎ、春を待つ~』(2024年1月23日~3月24日)

 令和6年の春を祝し、干支や吉祥、花鳥風月をテーマとした絵画を中心に展観する。かなり見応えのある作品が揃っていた。宗達派の『扇面流図屏風』はいつ以来だろう? 左右が別々のケースに展示されていた。波間を不安定に漂う扇面には、金・紺・碧・白など少ない色数で、メリハリのある草花などが描かれ、よく見ると細い筆で古今和歌集の歌が添えられている。さらに扇の間に小さな源氏絵の色紙が貼られているのだが、もとは波と扇面だけが描かれており、後の時代に源氏絵が貼り付けられたと見られているそうだ。源氏絵の主題は《右隻》(1)葵(2)須磨(3)薄雲(4)常夏(5)空蝉(6)玉蔓(7)柏木《左隻》(8)花宴(9)夕顔(10)若紫。すぐに分かったのは、碁盤の上の姫君を描く「葵」と、逃げた雀を見送る女性たちの「若紫」(嵯峨本の挿絵などによくある構図)くらいだった。

 隣に金地に着彩で花卉図を描いた扇が並んでおり、琳派かな?と思ったら、中国・清朝のものだった。両者は意外と近いのかもしれない。中国ものは布製品が面白かった。『紫繻子地雲龍模様刺裂』は、50センチ幅くらいの帯のように長い赤紫色の布で、同系色の龍が一列に並んでいる。用途不明だが、満州八旗の正紅旗の旗などかもしれない、と解説にあった。色鮮やかな『男靠(鎧)』(黄緑とピンク)と『蟒袍』(青紫色に虹のような裾模様)は、京劇の衣裳と推測されている。芝居好きの大倉喜八郎は中国で京劇に魅せられ、1919年、海外初の京劇公演を日本で実現させた。歌舞伎役者と京劇役者(梅蘭芳も)に囲まれた大倉喜八郎の写真も展示されていた。

 2階は絵画を中心に。横山大観の大作『夜桜』が展示されていたが、あまり良さが分からない作品である。1930年、ローマで開催された日本美術展覧会に出品されたもので、海外の観客にも分かりやすい作品を、という意図で描かれたそうだ。私はむしろ大観の『文鳥』『寒牡丹』という小品が、めずらしくよいと思った。それから、作者不詳の『柳に鷺図屏風』(江戸時代、18世紀)が気に入ってしまった。パターンを貼り付けたような白鷺の姿が面白く、知的で近代的なセンスを感じる。もう1点、綬帯鳥らしい鳥を描いた『花鳥図』2幅対(江戸時代、17世紀)もよかった。作者不詳でも気に入ったものはコレクションに加えていたのだな。

 変わったところでは、組香のセット『御家流十組香三十種』から20種の香の包みが展示されていた。包み紙には組香の名前に合わせた絵が描かれており、「源平香」ならば白旗と赤旗、「星合香」は七夕だが、男女の姿ではなく、丸を線でつないだ三つ星が2つ(白と金、角度が違う)描かれていた。そうそう、中国では織女も牽牛も三つ星で表現するんだったと思う。たぶん山形の金色の三つ星がこと座のベガ(織女)で水平に近い白色の三つ星がわし座のアルタイル(牽牛)ではないかな(いま調べた)。

 また、保坂なみ(1878-1960)による精緻な刺繍作品も印象に残った。保坂は共立女子学園で刺繍の教師をしていた人物で、明治時代、刺繍は、女性自立のための新しい技術・職業として期待されていたという。忘れられかけた歴史に触れたようで面白かった。共立女子大学博物館には、機会を見つけて行ってみたい。

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もうすぐ休館・山の上ホテル

2024-01-27 23:49:58 | なごみ写真帖

お茶の水の山の上ホテルが老朽化対応を検討するため、2024年2月13日から長期休館になるというので、見てきた。私は通学・通勤で、長いことお茶の水を使っていたけれど、山の上ホテルを使ったことは、数えるほどしかない。こんなことなら地方にいて東京に出張するとき、1回くらい泊まっておけばよかった。

バー「ノンノン」に友人と来たのは、もう20年くらい前かもしれない。

頑丈そうでおしゃれな鉄製の装飾。

あまり広くないロビーの窓際には、スウェーデンの陶芸デザイナー、リサ・ラーソンのライオンが置かれていた。いつか休館が明けたときも、この子たちに会えるといいな。

併設の「山の上教会」も開放されていたので見学することができた。ガラス越しに青空が見える素敵な教会! こういう教会の結婚式に立ち会ってみたかった。

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歴史を掘り、人に会う/京博深掘りさんぽ(グレゴリ横山)

2024-01-26 21:27:56 | 読んだもの(書籍)

〇グレゴリ横山『京博深掘り散歩』(小学館文庫) 小学館 2023.11

 お正月に京博に行ったら、ミュージアムショップに本書が積まれていた。京博のウェブサイトに2021年4月から2023年3月まで「グレゴリ青山の深掘り!京博さんぽ」のタイトルで連載されていた漫画エッセイに加筆・改稿したものだという。京博のサイトにはさんざんお世話になっているのに、この連載の存在を全く知らなかったので驚いた。刊行は2023年11月12日とあるが、私が昨年最後に京博に行ったのは、ちょうどその頃で、タッチの差で陳列を見逃したのではないかと思う。ちなみに東京の書店では、全く見かけた記憶がない。地域差?

 ウェブサイト公開時の順番はよく分からないが、本書の内容は「敷地と建物」「京博で働く人々」「文化財を守る人々」の三部構成に整理されている。京博の敷地がもとは方広寺の敷地で、豊臣秀吉が建立した大仏があったことは知っていたが、文禄4年(1595)に大仏殿がほぼ完成した後、大地震で大仏が瓦解してしまい、信濃善光寺のご本尊(秘仏の?)を運ばせてきて大仏の台座に祀らせた、という話は知らなかった。秀吉の死後、地震に強い金銅仏を建立しようとしたが鋳造中に出火して大仏殿炎上、その後、再建されたが、寛文2年(1662)地震で破損、木造仏に造り替えるが寛政年間に落雷で全焼、天保年間に半身像と仮堂が再建されるが、昭和48年(1973)火災で焼失したという。いやほんと「めっちゃ呪われてますやん」と言いたくなるこの歴史を知っただけでも本書を読んだ甲斐があった。閉鎖されて久しい明治古都館では、床下の発掘調査が行われており、江戸時代に方広寺が全焼した後、瓦の捨て場になっていたと考えられているそうだ。おもしろい!早く成果を見せてほしい。

 「京博で働く人々」には、我々が接することの多い受付・看視スタッフだけでなく、電気・機械設備担当や情報システム担当、衛士(警備担当)や写真師、多言語翻訳担当のみなさんなども登場。けっこう容赦ない(?)似顔絵がたのしい。副館長の栗原裕司さんは栗に似せたキャラに描かれていて、たびたび登場する(ネットで顔写真を探したら、いまは科博にいらっしゃるのかな)。私の大好きな、京博PR大使のトラりんも取り上げられている。2015年にトラりんが登場してから来館者がぐっと若返り、20~30代の来館者が増えたのだそうだ。そんな目に見える効果があったとは!

 「文化財を守る人々」では、京博の文化財保存修理所に入っている民間工房の方々を紹介する。そうか全てを博物館の組織と人員でまかなっているわけではないのだな。松鶴堂とか岡墨光堂とか名前は知っているが、実際に働いている方々を知るのは初めてで興味深い。100年前、1000年前の作者と身体で対話するような職人芸の世界であると同時に、最先端の技術を活用した科学調査室とも連携を取っている。ここの降旗室長、理系女子でかわいい。振り返ると、全体に女性の多い職場だなと感じた。

 京博には、作品を収めるまでの事務書類や文書をまとめた「列品録」という書類がある(東博にもあるのかな?)。これを作るように指示したのは帝室博物館長だった森鴎外らしいという。おお、さすが! この列品録の調査から生まれた展覧会が、2008年の『憧れのヨーロッパ陶磁』展だという。ああ、覚えている~。京博にドイツの工芸品を寄贈してくれたホッホベルク伯爵の名前にまた出会うとは思わなかった。京博の館蔵品台帳は、デジタルでも記録しているが「デジタルは何かの事故で消える危険もあるので」冊子でも保管しているという話には感銘を受けた。

 あと平成知新館のグランドロビーにキツネの正面顔のような文様が浮き出てきたという話、その北側には豊国神社の境内の槙本稲荷神社という小さなお社があり、まっすぐ南に行くと伏見稲荷があるという。作者のグレゴリ青山さんが妙にワクワクしながら描いているけど、私もワクワクした。

 京博周辺の案内地図がついているのもうれしい。河井寛次郎記念館はむかし一度行ったけれど、藤平伸記念館は知らなかったなあ(春秋のみ公開)。大仏餅の甘春堂も訪ねてみようかしら。

・京博ミュージアムショップに飾られていた色紙。

・正月のトラりん。頭に龍を載せている。

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2024年1月展覧会拾遺(東京の展覧会から)

2024-01-25 22:31:06 | 行ったもの(美術館・見仏)

正月以降、見てきた展覧会をまとめて。

静嘉堂文庫美術館 『ハッピー龍(リュウ)イヤー!〜絵画・工芸の龍を楽しむ〜』(2024年1月2日~2月3日)

 初春にふさわしく、今年の干支・龍をモチーフとする絵画・工芸を集める。刀装具、印籠、茶釜など、さまざまなジャンルの作品が並ぶが、やはり見どころは、龍の本場である中国の工芸品だろう。景徳鎮官窯の青花や五彩の大皿や大瓶、螺鈿や堆朱も、旧蔵者の財と権力を想像させる、堂々とした姿のものが多かった。面白かったのは『紺地龍"寿山福海"模様刺繍帳』で、清朝皇帝の龍袍を、茶室の入口に掛ける帳(とばり)に仕立てたものだという。同様のリフォーム品には『紫地龍文錦卓掛』(色合いが好き、ビロードふうの蝦夷錦)や『紅地龍獅子楼閣模様金入錦帳』(短足で豚鼻の獅子がかわいい)もあった。また「文庫」ゆかりの美術館らしく、南宋刊本『説文解字』の「龍」の箇所が展示されていた。龍は「春分にして天に登り、秋分にして淵に潜む」のか。宇宙の根底みたいな存在なのだなあ。『大漢和辞典』の記述もパネルで紹介されており、「龍×2」「龍×3」「龍×4」(64画)という漢字があることも初めて知った。

山種美術館 特別展『癒やしの日本美術-ほのぼの若冲・なごみの土牛-』(2023年12月2日~2024年2月4日)

 「心が温かく、優しい気持ちになれる日本美術で、癒しのひとときを」というコンセプトの展覧会。江戸時代の「ゆるかわ」を代表するのは若冲と芦雪。それぞれ5件ずつ出ていたが、同館の所蔵品は、若冲『伏見人形図』と伝・芦雪『唐子遊び図』だけで、あとは個人蔵だった。近年、芦雪わんこ図のファンが増えていて、うれしい。風景では小野竹喬『春野秋渓』の明朗な色彩、動物では奥村土牛の『兎』(耳の長いふわふわの白ウサギ3匹)が気に入った。河童になつかれているおじさんの図があって、小川芋銭の作品かな?と思ったら、山口晃画伯による『肖像画 小川芋銭』だったのには笑ってしまった。

印刷博物館 企画展『明治のメディア王 小川一眞と写真製版』(2023年11月18日~2024年2月12日)

 明治期に活躍した写真師、小川一眞(小川一真、1860-1929)を紹介する。ただし写真そのものよりも、小川が導入した2つの写真製版技術、コロタイプ印刷と網目版印刷に着目し、写真入りの印刷物が明治時代のメディアで果たした役割を考えるところが、同館らしい新機軸である。展示会場の壁(パネル)が、拡大した写真(印刷物からの複製)でびっしり隙間なく埋まっていて驚いた。ふつうの展覧会なら、もう少し文字による説明パネルとか、おしゃれな飾り空間があってよさそうだが、とにかく妥協なしに写真だらけ。ただし写真の素材は、人物(貴顕、議員、文士、芸者など)、名所風景、神社仏閣、西洋建築、皇室、地震、戦争、鉄道、文化財…と多種多様で全く飽きない。議員名鑑は、ひとりずつ名前を確認しながら眺めてしまった。

東京国立博物館・本館特別1室 特集『博物館に初もうで 謹賀辰年-年の初めの龍づくし』(2024年1月2日~1月28日)他

 今年も恒例の干支づくし展示。正月から康熙帝の楷書四字軸『龍飛鳳舞』を見ることができて、身が引き締まるような気持ちになった。伝・陳容筆『中国五龍図巻』は久しぶりに見た。国宝室は正月恒例『松林図屏風』だが混んでいたのでさらりと流す。続く「仏教の美術(平安~室町)」には、平安時代の『仏涅槃図』や『十六羅漢図』2件が出ていて足が止まった。『仏涅槃図』は素朴さと華麗さが同居したような、魅力的な作品。横たわる釈迦の、黒髪・山形の眉・赤い唇が印象深い。

松岡美術館 『アメイジング・チャイナ 深淵なる中国美術の世界』(2023年10月24日〜2024年2月11日)他

 チラシの写真が『翡翠白菜形花瓶』なので、工芸だけの展覧会かと思っていたら、私の好きな明清時代の画冊・画巻の逸品がずらずら並んでいて、正直驚いた。あとで同館のホームページを見たら「昨年、広くご紹介した館蔵の明清絵画より、今回はとくに板倉聖哲東京大学東洋文化研究所教授による監修のもと画冊と画巻の優品を選りすぐり、前期に明代、後期に清代の作品をご覧いただきます。前回かなわなかった題字や跋文も可能な限り展観し、明清時代の画家と文化人との交流も映し出します」という丁寧な説明があった。見落としていて、すみませんでした。

 私が行った後期に見ることができた画家は、張宏、武丹、曹澗、査士標、朱文震、張崟(ちょういん)、銭杜、任伯年。張宏は、昨年も同館の『館蔵中国明清絵画展』で見て、大和文華館で見た名前だ、と思った人。曹澗は、ちょっと奇想っぽい風景の図があって、いいなと思った。張崟の『仿古山水画冊』は童画みたいなおおらかさがあって好き。前期しか展示されない画家もあって、惜しいことをした。多くの作品に「王南屏旧蔵」という注記がついていたことをメモしておく。金銅仏、漆器、陶磁器、玉器なども眼福だった。特に玉器(翡翠、白玉など)は、中華圏のセレブが持っていそうな精緻で華麗な工芸品のオンパレード。しかし日本には、あまりコレクターがいないのではないかと思う。緑色に墨を流したような色の石を「碧玉」と呼ぶことを初めて知った(調べると、全く違う色の「碧石」もあり)。「崇禎欽賞」銘の入った『碧玉盤』が出ていたが、縁起が悪いとかコレクターに嫌われることはないのかな。

早稲田大学演劇博物館 2023年度秋季企画展『没後130年 河竹黙阿弥-江戸から東京へ-』(2023年10月2日~2024年1月21日)

 会期末ぎりぎりに慌てて見て来た。幕末から明治に活躍した歌舞伎作者の河竹黙阿弥(1816-1893)の回顧展。幕末には、それまであまり歌舞伎と縁のなかった寄席芸の演目を取り上げたり、明治以降は、開化や西洋の風俗を取り入れ、民衆の教化に資する高尚な芝居をという「演劇改良運動」に対応したり、とにかく変化の多い時代を生きた人だということがよく分かった。そして娘の糸女が父の功績と資料を後世に伝えたこと。本所深川の家で関東大震災に遇ったときは、貴重な資料を入れた葛籠(つづら)を背負って逃げたそうで、その葛籠が展示されていたのが生々しかった。あと、黙阿弥作品に登場する地名をマッピングした『黙阿弥江戸芝居地図』が面白かった。我が家の近所(門前仲町~木場)はけっこう多いので、調べながら歩いてみたい。

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雇用労働の多様な発展/仕事と江戸時代(戸森麻衣子)

2024-01-23 22:55:10 | 読んだもの(書籍)

〇戸森麻衣子『仕事と江戸時代:武士・町人・百姓はどう働いたか』(ちくま新書) 筑摩書房 2023.12

 歴史的に見れば、絶えず変化してきた人々の働き方。本書は、現代日本人の働き方の源流を江戸時代に求める。その前提として、中世においては、人々が自ら選んだ仕事に従事し、その労働に対して報酬を受け取るという働き方は一般的ではなかった。ある程度の裁量権を持つ自立的な商人・職人・農民は生まれていたが、給金や現物による報酬を介することなく、力による支配を受けて種々の労働に従事する人々が多かった。江戸時代には、人身売買や隷属関係が縮小し、貨幣制度の発展によって、本格的な雇用労働の時代が始まる。

 以下、本書は諸身分における「働き方」を順番に紹介していく。はじめに武士階級の旗本・御家人の場合。旗本の上層部は知行取で領地を与えられたが、それ以外は年俸を米で受け取る蔵米取で(米を現金化して生活する)、御家人の最下層はすべて現金で受け取る給金取だったとか、蔵米の受取方法、換金方法、多様な副業(傘張り・版木彫り・植木作り・金魚の養殖)や役得(職場の消耗品を持ち帰る!)など、細やかで具体的な説明がある。

 次に足軽・中間・小者などの武家奉公人。江戸での武家奉公人需要の高まりを受けて、人宿(ひとやど)という斡旋業者が成立する。人宿に登録して仕事を求めたのは貧困都市住民や出稼ぎ百姓だった。しかし奉公人の欠落(かけおち≒逃亡)などのトラブルに悩んだ大名屋敷側は、大事な仕事を任せる奉公人には、江戸からさほど遠国でなく大きな藩の存在しない土地(信濃・上総・下総など)で実直な百姓を採用するようになった。逆に短期の軽い仕事には、パート・アルバイトと割り切って人宿を使うようになったというのが面白い。

 武士身分は、家格に応じた役職をつとめることが基本だった。しかし江戸時代中期になると、幕府でも藩でも経済的な政策を立案できる人材が必要となってくる。このほか、医学・農学・土木など専門知を極めた町人や百姓が、一時的に、または一代限りの「非正規」の者として武士集団に組み入れられた。しかし幕政改革も19世紀以降の急激な対外危機の高まりには対応できず、武家官僚制は終焉を迎える。

 武士役人の働き方については、勤務時間、出勤の管理方法、手当と賞与、採用と退職など、詳細な記述があり、今の裁量労働制に近いという説明は理解しやすかった。在宅勤務もあったみたいだし。袴代・筆墨代・夜食代など、意外と諸手当が行き届いていてうらやましい。通勤は徒歩か馬なので、高齢になると働き続けにくい、というのは納得。

 次に町人について。江戸の町人の就業形態で最も多いのは自営業主(職人・振売)、次いでパート・アルバイト(奉公人・召仕など)で、現代のような正規雇用の労働者はごく一部しかいなかった。大店の奉公人は安定した身分だったが、店に住み込むことが原則なので、家族を持つことができず、ほとんどが独身男性だった。逆に、特殊な技術を持たない者が店に通勤する「日雇」は、給金は低いが家族と暮らすことができた。経済的な豊かさと家族との暮らしを両立させるには、自分で店を開くか職人の親方層になることが必要だったという。なかなか厳しい社会である。

 最後に百姓。「百姓」とは「村」に住民登録された居住者全てを指すが、本書は農村を中心に述べる。農村地域の労働形態を把握するには、租税制度に対する理解が不可欠で、特に建前と実態の乖離をよく理解する必要がある。たとえば五公五民というけれど、一面に稲を植えるのでなく、より商品価値の高い作物を植えて収穫した場合、あるいは、あぜ道や空き地など検地帳に掌握されていない場所で作物を育てた場合、その収入は百姓のもうけとなるので、実質的な徴収率は50%より下ることが多いのだという。知らなかった! 商品作物(紅花、藍、綿花、茶など)は収穫時期・時間に制限のあるものが多く、規模が大きくなると家族労働では対応できないので、「手間取り」などの日雇労働が必要になる。零細な水呑百姓は、豪農の下で日雇稼ぎをすることで生活を成り立たせた。また農業以外の副業(農間余業)には、草履草鞋小売渡世・糸繰渡世・水車渡世(粉ひき)・大工渡世など、さまざまな業態があった。私は、歌舞伎や文楽の登場人物を思い浮かべて、ああ、あれは〇〇渡世だな、と納得した。

 このほか、女性(奥女中、乳母、遊女屋)、輸送・土木分野、漁業・鉱山業についても記述がある。とにかく情報が豊富で、江戸時代の暮らしについての解像度が上がることは間違いない。最後に著者は、江戸時代の働き方が、明治以降どのように変わったかにも注意を促している。「家」と「個」が切り離され、働き方に「個」の要素が強まったことは、プラスの面だけでなくマイナスの面もあるという、ありきたりの結論だが、本当のところ、何が変わって何が変わらなかったかは、ゆっくり考えてみたいと思った。

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中年刑事の再生/中華ドラマ『三大隊』

2024-01-21 23:46:13 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『三大隊』全24集(愛奇藝、2023年)

 1998年、寧州市警察の「三大隊」は、凶悪犯の王大勇と二勇の兄弟を追っていた(三大隊は隊長の程兵のほか6人の刑事チームとして描かれている)。住民を巻き込んだ路上の大乱戦の末、ついに二勇を捕まえたが、王大勇は逃してしまう。程兵による尋問の最中、二勇は容態が急変して死亡。程兵は責任を問われ、傷害罪で11年の懲役刑に服することになる。

 2007年秋(刑期を9年6か月に短縮されて)程兵は出獄。しかし妻は娘の桐桐を連れて離婚し、別の男性と再婚していた。三大隊はすでに解散。刑事を続けていたのは最年長の老馬と最年少(女子)の林頴だけで、老馬は停年を迎え、ほかの4人は刑事を辞めて転職していた。程兵ら三大隊の面々が師父と慕う七叔は、脳梗塞で倒れて老妻の介護を受けていた。王大勇の行方は知れず、程兵の同僚で「二大隊」の隊長だった潘大海は支局長に出世した今も事件を忘れていなかった。

 程兵は、かつて王大勇事件に関係した六子の洗車場に拾われ、仕事の合間にひとり王大勇の足取り捜査を開始する。刑事を辞めた三大隊の面々も、程兵を手伝おうと集まってくる。王大勇は雲南省の瑞麗から国外の察邦(架空の地名、ミャンマーあたり)へ逃亡。ここで高価な翡翠の原石を強奪し、中国国内に戻ったことが判明する。さらに程兵は雪深い東北地方に赴き、田舎町の入浴場や森林地帯の監視人小屋を訪ね、そこで得た手がかりをもとに四川省の綿陽へ。単独捜査の開始から4年目、顔を変え、名前を変えて潜伏中だった王大勇をついに発見し、逮捕に導く。

 …とまとめてしまうと、執念の犯人逮捕が主題のようだが、私は、少し違うところにドラマの面白さを感じた。若い頃の程兵は、家庭を顧みずに仕事に邁進していた。その上、幼かった娘が一番父親を必要とする時期に刑務所に入ってしまい、桐桐(周子玄)は「殺人犯の子」と蔑まれて育った。彼女は、出獄した程兵を父親と認めず、絶縁を言い渡す。一方、王大勇の手がかりを求めて、程兵は王二勇の遺した娘・苗苗(任敏)に接近する。やはり父親の愛情を知らずに育った苗苗は、詐欺集団の手先をさせられており、程兵を洗脳合宿に誘い込む。程兵に助け出され、真面目な生活を始めようとした苗苗だが、偶然から、程兵の目的を知ってしまう。裏切られたと感じた苗苗は程兵を殺そうとするが、刃を振り下ろすことができない。二人は全ての真実を知った上で、父娘のように生きていこうとする。けれども程兵が実の娘・桐桐に抱いている悔いと愛情を知った苗苗は、QQ(メッセージツール)で桐桐に連絡を取り、実際に会って、程兵の気持ちを告げる。この、心に傷を負ったどうしの少女二人の交流が、私にはドラマ最大の見どころだった。苗苗役の任敏は、大体いつも面倒くさい役柄だが、何を演じさせても可憐で透明感があって、巧い。

 程兵は、途中、七叔の死に遭って自暴自棄になり、王大勇の捜査を諦めて、酒場の用心棒に成り下がる時期もあるのだが、10年を超えて家族ぐるみのつきあいの続く三大隊の仲間たちと、新しい「家族」となる苗苗の存在に助けられて再生する。七叔の遺言「好好生活」は、中国ドラマではよく聞く表現なんだけど、正しく、そして愉快に生きる、日常を大切にして生きる、みたいな意味になるのかな。

 最終話、逮捕された王大勇は尋問室で程兵と対峙し、こんなに長い年月を費やして、もし最終的に自分を捕まえることができなかったら、意味があっただろうか?と冷笑的に尋ねる。程兵は答える。我々は結果を生きるのではなく過程を生きる(不是活箇結果、而是活的過程)、その過程の中でさまざまな問題を解決する、だから結果がどうであっても意味はあった(値得)と。本作は、まさに生きる「過程」を描くドラマだったと思う。だから、旧三大隊メンバーの家庭の事情とか、犯人逮捕という目的から見れば、冗長な描写も多いのだが、最後は全てのキャラに愛着が湧いていた。

 程兵役の秦昊、いろんなドラマ、いろんな役柄で見ているのだけれど、本作はかなり好き。王大勇役の陳明昊は、序盤はいいんだけれど、最後は整形で顔を変えた設定で(特殊メイク?)のっぺりした顔で出てくるのが残念だった。

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古装SF・ホラー・アクション/中華ドラマ『天啓異聞録』

2024-01-18 23:20:12 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『天啓異聞録』全12集(愛奇藝、2023年)

 年末年始に楽しませてもらったドラマ。明の天啓年間、錦衣衛の一員である褚思鏡は、山海関を超えて、雪の積もる遼東地方に赴いた。この地方で奇妙な疫病が流行っており、感染した者は妖魔の餌食になるという噂を確かめるためである。褚思鏡は寧遠城で楊公公に拝謁したあと、韃官(モンゴル系)の伯顔とともに沿岸の寧海堡に向かう。寧海堡の周辺には、烏暮島の島民が出没していた。彼らの動きを怪しんだ褚思鏡と伯顔は、夜の海を泳いで烏暮島に渡る。島で二人が見たものは、皮膚が鱗化する奇病に苦しむ島民、長老とその弟子、黒衣の集団、謎の少女、そしてクモ形の怪物…。

 長老と島民たちは、島の秘密が外に伝わることを恐れ、伯顔を捉えて幽閉する。褚思鏡は、謎の少女・沈淙の助けを得て、舟で海上へ逃れる。その褚思鏡を助け上げた大型帆船の艦長はフランキ(ポルトガル)人のアンジェリカ。彼女の兄は、かつて烏暮島で怪物に出会って命を落としたと伝えられていた。彼女は島でトカゲ形の怪物を捕獲し、帰国の途につこうとするが、黒衣の集団に襲われ、帆船は大破し、再び島へ流れ着く。その頃、幽閉先を抜け出した伯顔は、トカゲ形の怪物の正体が、沈淙の父親・沈譲であることを知る。沈譲は、まだ意志の力で人間の形に戻ることができた。

 一方、褚思鏡は、横公という神を祀る異教集団に捕まり、怪物になるための薬水を飲まされる。朦朧とした意識の中で、2年前、この地で消息を絶った双子の弟・褚思鈺が近くにいて自分を呼んでいることを感じる。

 【ネタバレ】少しずつ明かされる謎。万暦年間に烏暮島の近海に隕石が落ちた。そこから何らかの病原菌が流れ出し、徐々に海産物を汚染していったのである。烏暮島では魚を食べることを禁忌にしていたが、それを破った者から奇病が広まった。2年前、明軍の兵士だった沈譲は、戦いに敗れて故郷の烏暮島に戻ってきたが、妻の蘇沐冉の様子がおかしいことに気づく。蘇沐冉は横公に忠誠を誓い、怪物を操って人々を支配しようとしていた。その野望を阻止したのは、島に滞在していた褚思鈺である。蘇沐冉と褚思鈺は崖上から海に落ちたが、蘇沐冉の遺体しか見つかっていなかった。

 蘇沐冉の野望を受け継いだのは、長老の弟子、賀子礁だった。彼は、蘇沐冉の能力を受け継いだ沈淙に怪物を操らせ、島民と褚思鏡らを襲う。父親の沈譲は命を賭けて島民たちを守り、愛娘の沈淙をも救おうとする。しかし賀子礁の弟・賀六渾は、混乱する沈淙に再び怪物を操らせ「尊主」に会わせようと、彼女を連れて海の底に消える。

 褚思鏡、伯顔、アンジェリカらは、舟で海に乗り出し、珊瑚礁の中の洞窟に踏み入る。ひとり夢幻境に迷い込んだ褚思鏡は、弟の褚思鈺と対面するが、その正体が、弟の姿を借りた別の何者かであることを見破る。褚思鏡は、その何者かに向かって、自分が沈淙に代わってここに残ることを申し出る。褚思鏡は海底の洞窟に残り、他の人々は無事に帰還する。その後、母国へ向かうアンジェリカの船には沈淙の姿があった。

 う~ん、最後はよく分からないまとまり方だったが、全体的におもしろかったからいいか、という感想である(海底で褚思鏡の前に現れたのは、隕石とともに地球に到達した宇宙生命体なのかな?)。舞台はずっとどんよりした雪景色の海辺、暗い画面、奇病の原因となる魚が思わせぶりにビチビチ跳ねていたり、ホラーな雰囲気もよい。怪物との戦いは、重心の低いリアリティのあるアクション(武侠ファンタジー的な超人技は見せない)で手に汗握った。

 俳優さんが私の好きな演技巧者揃いだったのもポイントが高い。褚思鏡/褚思鈺二役の黄軒は少し体重を増やしたかな。私はイケメン枠だと思っているのだが、劇中で「叔叔(おじさん)」と呼ばれていて苦笑してしまった。伯顔の呉樾を見たのは初めてかもしれないが、大好きになった。沈譲の蘆芳生さんは父性を感じさせる役が似合う。半分トカゲになりかかっていてもカッコよかったが(笑)、完全なトカゲ男はデジタル合成なのかな。どうやって撮っているんだろう。アンジェリカは台湾国籍の張榕容さん。映画『黒猫伝』の楊貴妃を演じた方だが、全然雰囲気が違っていて驚いた。

 なお、視聴者投票サイトの評価はあまり芳しくない。中国の視聴者は、こういう荒唐無稽なドラマ作品をあまり好まないように思われるが、昭和の特撮ドラマで育った私には大好物なので、嘘八百を大人の俳優が真面目に演じるドラマ、どんどん作ってほしい。

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2024洗濯機買い替え

2024-01-16 21:22:56 | 日常生活

 年末から挙動が不安定だった洗濯機が、とうとう年明けに壊れてしまった。いつまで待っても脱水が完了せず、蓋のロックが外れなかったので、最後は蓋を壊して中の洗濯物を取り出した。日立のNW-500MXという機種で、ネットで調べたら、2012年1月発売だという。そうだとすると、2013年4月に札幌に転任したのを機に購入したのではないかと思う。

 札幌の宿舎では、風呂場の蛇口から給水するしか設置場所がなくて、風呂場のドアが閉められない状態で2年間暮らした。つくばの宿舎は、洗濯機専用の給水口があったが、設置場所が室内だったので、振動音に悩まされた。今の住まいは、設置場所がベランダで、雨風に晒されっぱなしだったので、寿命を縮めてしまったかもしれない。

壊れた洗濯機がリサイクル回収で搬出されていくのを、なんだか寂しい気持ちで見送った。

 

 買い替え品は、同じ日立の後継機種にした。運転音が静かなのにびっくり。家電の進化を実感した。それでも私は、同じものをできるだけ長く使いたい性格なのである。

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