見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

意外と動き回るもの/銅像時代(木下直之)

2014-06-30 21:25:17 | 読んだもの(書籍)
○木下直之『銅像時代:もうひとつの日本彫刻史』 岩波書店 2014.3

 いつも新鮮な視点で美術(とのその周辺)の歴史を掘り起こしてくれる木下先生の最新の論考。「あとがき」で振り返っていらっしゃるように、著者の「銅像行脚は、今から十五年前に東京大学総合博物館で『博士の肖像-人はなぜ肖像を求めるのか』という展覧会を企画した時に始まった」というのだから、長年のテーマである(教授たちの銅像や肖像画をシラミ潰しに探して歩き、医学部の教授に「そこで何をしているんだ」と怒鳴られたという回想がおかしいw)。

 本書は、2005~2009年の間に、著者が書籍や雑誌に発表した原稿をまとめたもの。大幅に加筆されているとはいえ、全体構想のもとに執筆されたものではないので、1つの章を読み終えて次の章に進むとき、ちょっと流れの悪さを感じる。特に「屋根の上のつくりもの」と「さすらう金鯱」は、銅像の話ではないので、本書に収めることにやや無理を感じた。正統な「日本彫刻史」から外れた「つくりもの」という点では、大きく括れるけど…。

 金鯱に関しては、明治政府が「古器旧物保存」の31種類のカテゴリーのどこにも居場所がない、というのが興味深かった。実際には、文部省博覧会やウィーン万国博覧会に引っ張り出されて人気を獲得するのだが、万国博覧会の出品カテゴリーは「巨大物品」だったというのが笑える。まあ展示する側にとっては、普通の展示ケースには入らないことが分かって、実務的かもしれない。

 それから、社寺の「什物」「什宝」の意味について、「社寺の道具であるがゆえに、それは私有財産ではない。社寺の神官や僧侶のものでもなければ氏子や檀家のものでもなく、それゆえに、勝手な処分が許されず、結果として廃棄や散逸や売買から守られてきた」というのが感銘深かったので書き抜いておく。「什物とは、当代ばかりでなく、後世のひとびとの共有物でもあると暗黙のうちに了解されていたのである」とともに。

 本題の銅像については、台座や記念碑(もしくは紀念標)も併せて考察の対象とされている。前近代の神像や仏像、武家や富裕商人の肖像(多くは木像)、さらに活人形との対比も試みられている。木像は室内に保管されるものだから、その管理・祭祀を行う「家」が必要になる。一方、銅像は、公園など、公衆の目に触れるところに設置すれば、それで顕彰の目的は達せられるから安上がり、という趣旨の建白が明治政府に対し行われていて、なるほどと思ってしまった。

 しかし、公共の場であればこそ、何でも設置が認められるものではない。「逆賊」西郷隆盛の銅像は、当初、陸軍大将の軍服姿の騎馬像が構想されたが、結局「兎狩りに出かける姿(私服)」となった。旧彦根藩士らは、井伊直弼の銅像の建立を、上野公園、芝公園、靖国神社、日比谷公園等に願い出るが受け入れられず、結局、横浜の「私有地」に建立し、銅像を地所とともに横浜に寄贈し、現在の掃部山公園となった。執念だなあ。

 横浜に「清正公(せいしょうこう)ストリート」という通りがあることは初めて知った。清正公信仰って、ほかの戦国武将に対する尊崇とか敬慕とは、ちょっと質が違うようだ。商業の発達・流通経済の進展にともなって伝播したというのは、中国の武人・関羽の財神化に似ている感じがする。横浜の清正公堂、および本牧臨海公園の八聖殿、訪ねてみたい。

 そして、銅像は意外と「動き回る」物件である。一例は、昭和5年(1930)、永田町の国会議事堂表門付近に建設された山形有朋の騎馬像。作者は、のちに平和祈念像を制作する北村西望であるが、戦後、軍人の肖像は嫌われ、転々としたあげく、1992年に故郷の萩市中央公園に移築された。広大な更地を背景に、妙に背筋のまっすぐな、姿勢のよい馬上の老人の姿が印象的である。ふと、山形有朋の銅像が再び東京に召喚されることなんてないよね、と思うが、未来は分からない。
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2014年6月@東京:東博の常設展、鉄斎(出光美術館)

2014-06-27 21:35:51 | 行ったもの(美術館・見仏)
 「故宮展」開幕直前の東京国立博物館。なぜこんな時期に…と思われるかもしれないが、東京出張がこのタイミングになってしまったのだから仕方ない。それならそれで、平常展(総合文化展)をゆっくり見てこようと思い、まず東洋館(アジアギャラリー)の最上階から。5階には、朝鮮半島の美術工芸に加えて、「中国の漆工」と「清時代の工芸」。白菜ならぬ、瑪瑙でつくった石榴あり。

■東洋館8室 特集『中国の絵画 日本にやってきた中国画家たち-来舶清人とその交流-』(2014年6月17日~7月27日)

 江戸時代、清朝の文人趣味や、浙江・福建の画風を日本にもたらした来舶清人の画業を紹介。中国本土にはほとんど伝来していない、日本独自の中国絵画受容である。浙江の人・宋紫嵒の『石榴小禽図、白梅小禽図』は若冲の濃彩画にすごく似ている。沈南蘋筆『鹿鶴図屏風』は初めて見るだろうか? 展示ケースの手前に設置してくれているので、鹿の毛並みや鶴の羽毛の細密描写がよく分かった。鹿の表情が妙に人間臭くて、しかも一匹一匹違う。

 あわせて『乾隆平定両金川得勝図』が出ていたのにはびっくりした。箱裏の銘文には「天保二年辛卯」(1831)牧野長門守成文が長崎奉行のときに得たもの云々とある(ように読める)。「牧野長門守」って調べたら勝小吉の『夢酔独言』にも出てくるみたい。展示解説に、大和文華館の『台湾征討図巻』も同じ頃に日本に入ったのではないか、と述べられていて、興味深かった。それにしても乾隆帝って、中国人が大好きなのは分かるが、台湾の人から見ても憧れの皇帝なのか、どうなのかなあ。

 隣室の『明時代の書』もよいのだが、久しぶりに『中国文人の書斎』の展示ケースを覗いて、爽やかでいいなあ、と思った。展示替えはないのかと思っていたが、現在の展示は「2014年6月10日~7月27日」だそうだ。「台北故宮展」にあわせて、ちょっといい文物を出してきたのかも。

■東洋館5室 特集『日本人が愛した官窯青磁』(2014年5月27日~10月13日)

 3階「中国陶磁」の一区画でおこなわれている特集展示。東博、常盤山文庫、アルカンシエール美術財団などの所蔵作品を通して、日本における官窯研究の歴史をたどる。「川端康成旧蔵」という注記のついたものが3点。特別、見栄えのする形や大きさではないが、色の美しさは無類である。

 南宋官窯には、修内司(しゅうないし)官窯と郊壇下(こうだんか)官窯があったとされるが、前者は今なお幻の名窯なのだそうだ。後者は杭州の領事をつとめた米内山庸夫の陶片採集で知られている。そして、郊壇下官窯でも陶片が見つかっている「米色青磁」。大好きだ、この色。

 もちろん青の青磁も好きだ。余談だが、「國立」二文字で一悶着あった台湾故宮展の開幕式で、国立故宮博物院の馮明珠院長が「雨上がりの空のように」云々と述べたと聞いたときは、すぐに「雨過天青雲破処」を思い浮かべて、にんまりした。

■本館11室・14室 親と子のギャラリー『仏像のみかた 鎌倉時代編』(2014年6月10日~8月31日)

 2部屋を使って、主に鎌倉時代に造られた仏像を展示。いつもの11室(彫刻)では、いつもの仏像の背後に、ことさらカッコいい背景幕(スクリーン)をしつらえてみたり、文殊菩薩騎獅像および侍者立像の足元に「波」を置いてみたり、いろいろ遊んでいる。

 このほか、本館18室「近代の美術」に前田青邨の『大同石仏』が出ていて、全館的に中国を意識している感じがした。本館7室「屏風と襖絵-安土桃山~江戸」の長谷川久蔵筆『大原御幸図屏風』は、前日、東京富士美術館で見たものに構図がそっくり。ある程度の大量生産品なのかな。本館4室「茶の美術」で見た無準師範筆「湯」一字の軸。断簡だというけど、現代中国語でいうと「スープ」って書いてあるわけで、ちょっと笑った。

出光美術館 没後90年『鉄斎 TESSAI』(2014年6月14日~8月3日)

 今回は最後も絵画で締めようと思い、鉄斎を見ていく。はじめて年代順に見て、晩年の作品ほどいいということが分かった。人間、長生きしてみるものだね。しかし、作品以上に印象に残ったは、火鉢を前に悠然と読書にいそしむ本人の写真だった(有名な写真らしくて、画像検索するとすぐ出てくる)。無造作に押入れ(?)に押し込められた万巻の書。こういう爺になってみたい。
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2014年6月@東京:江戸の相撲(太田)、軍師官兵衛(江戸博)、徒然草(サントリー)

2014-06-26 00:55:04 | 行ったもの(美術館・見仏)
太田記念美術館 『江戸の相撲と力士たち~石黒和義コレクション』(2014年6月1日~6月26日)

 石黒和義氏のお名前は初めて知ったが、日本IBMや日本ビジネスコンピューターの幹部を歴任された経営者らしい。相撲錦絵のコレクターとしても知られ、このたび550点のコレクションを全て太田記念美術館に寄贈された。本展では、そのうち100点余を公開。同じ人物浮世絵でも「役者絵」は扮装や化粧にまどわされやすいのだが、力士がモデルだと、なるほど浮世絵は人間の個性(外見&内面)をこういうふうに描き分けるのか、と分かりやすかった。まだ錦絵と呼ぶには色数の少ない、寛政年間(18世紀末)の摺りものに惹かれた。

 江戸の相撲のシステムをよく知らないので、解説を読むのもいろいろ面白かった。「看板力士」って、見栄えがいいので土俵には上げるが、実際は取り組みをしないこともあったのか! あと、当たり前だが月代を剃って髷を結う力士もいたのだな。

江戸東京博物館 2014年NHK大河ドラマ特別展『軍師官兵衛』( 2014年5月27日~7月13日)

 ドラマは真面目に見ていないが、扱っている時代は好きなので、いちおう見てきた。しかし主人公が地味なので、やや散漫な印象。『朱塗合子形兜・黒糸威胴丸具足、小具足付』は本物が来ていたが、厳重な別格扱いで展示されていた。『白檀塗合子形兜』は残念ながらレプリカ。『金瓢箪頭立蟹爪脇立六十二間星兜』はいいですねえ。『黒漆塗桃形大水牛脇立兜』は、どう考えても動き回るのに邪魔だろう。…というぐあいに「戦場のよそおい」に注目するのが、いちばん楽しいのではないかと思う。

 『肥前名護屋城図』(なぜか篠山市教育委員会所蔵)が見られたのも嬉しかった。江戸時代前期に『肥前名護屋城屏風』を写したものだという。原本は肥前名護屋城博物館(佐賀県唐津市)の所蔵。唐津駅からずっと離れていたので、見に行くのを諦めたことがある。いわゆる「安宅船」が何隻も描き込まれていた。

サントリー美術館 『徒然草-美術で楽しむ古典文学』(2014年6月11日~7月21日)

 鎌倉時代後期に成立した『徒然草』は、成立後100年あまり、鑑賞の歴史をたどることができない作品だという。まあ、そういう文学作品は珍しくないので驚かないけどね。『徒然草』の本格的な享受は慶長年間(1596-1615)に始まり、「徒然絵」とも呼ぶべき絵画作品が登場するようになる。本展は、近年、同館コレクションに加わった海北友雪筆『徒然草絵巻』20巻を初公開するもの。

 前半では、年代の明らかな「徒然草」所見の歴史史料として最初期のものに属する『実隆公記』を展示。以前、「御伽草子」についても同様の趣旨で『実隆公記』が展示されていた。三条西実隆ってすごいんだな。慶長年間に刊行された嵯峨本には、もう「徒然草」が入っているのか。

 階段を下りたところのホールに、海北友雪筆『徒然草絵巻』20巻が延々と展示されている。これがけっこう面白いのだが、絵画作品よりもパネルの「徒然草」現代語訳から目を離せない人のほうが多かった。私は、あまり好きな作品ではないと思って来たが(いちいち訳知り顔でうっとおしい)、その凡庸さが凡人の安心と共感を呼ぶのかなあ、と見直した。読み返してみるかな。
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八王子まで/江戸絵画の真髄(東京富士美術館)

2014-06-25 00:57:40 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京富士美術館 開館30周年記念・東京富士美術館所蔵『江戸絵画の真髄』(2014年4月8日~6月29日)

 同館は、創価学会の池田大作氏が設立した美術館で、東京都八王子市の創価大学キャンパスに隣接している。これまで何度か、気になる展覧会のニュースを見聞きしたものの、東京23区内で生まれ育った私にとって、八王子は「ほぼ山梨」の認識なので、一度も訪ねたことがなかった。しかし、今回ばかりは「秘蔵の若冲、蕭白、応挙、呉春の名品、初公開!!」と聞いて、駆けつけないわけにはいかない…と思い、中央特快に乗って出かけた。八王子駅北口からは、きちんと20分間隔でバスがあり、思ったより便利。

 展示品は、同館所蔵の江戸絵画約70点(展示替あり)。だいたい時代順に、3期に区分して展示する。「江戸前期」には狩野派の『洛中洛外図屏風』。小さな人物がたくさんいて楽しい。祇園祭の山鉾巡行が描かれているが、あまり熱狂の様子はない。二条城や神泉苑のそばで畑を掘り返していたり、雰囲気がのんびりしている。

↓五条大橋付近のガールズバンド。同館は、一部作品を除き、嬉しいことに撮影自由なのだ。


↓対面の『鳳凰図屏風』は、うおーカッコいいな。明代花鳥画ふうの(若冲ふうの)色っぽい鳳凰ではなくて、喧嘩上等みたいな構えの、男性的な鳳凰である。


↓伝・狩野山雪の『雪禽図屏風』は、オシドリ、白サギ、ふくれた雉など。身体全体、あるいは小さな顔の表情がどれも可愛い。全て小禽図ではなく、人物山水図などを織り交ぜて変化をつける。


 伊年印の『春秋草花図屏風』は赤、ピンク、緑の控えめな色数。右隻の、細い竹に絡まりながら上に昇っていく蔓草の紅葉、赤いドット柄みたい。『武蔵野図屏風(田家秋景)』は大胆かつ豪勢でいいなー。

 ここで、屏風絵と絵巻によるミニ特集「物語絵の世界」。江戸前期・岩佐又兵衛派の『源氏物語図屏風』に、なんとなく違和感を感じたのは、登場人物の男性の「髭」率が高いせいかもしれない。いや国宝『源氏物語絵巻』に描かれた男性たちも、よく見ると髭を生やしているんだけど、目立たないからね。土佐派の『平家物語図屏風』の右隻は「大原御幸」を描いたものだが、建礼門院の庵にあらわれた後白河法皇は、50人以上の従者を連れている。え、「微行」じゃなかったの? 狭い庭に入り込んだ20人以上の従者たちは、きょろきょろとあたりを見回し、落ち着きがない。私が建礼門院なら、出てけ!うるさい!と怒鳴ってしまいそうだ(笑)。

 さて「江戸中期」には、いよいよ奇想派の人気画家が登場。蕭白いいなあ。『南泉斬猫図』は、白い子猫の四本足を掴んで、目よりも高く差し上げた南泉和尚の気迫。必死で渾身の威嚇の表情を見せる子猫。それをハッタと睨み据え、刃物を握る右手首の返しにこもる力。

↓若冲の一本足みたいな『象図』には「初公開」のキャプションがついていたが、私はどこかでこの作品を見たような気がする。同美術館に入る前に展示されていたのだろうか。


 鈴木其一の『風神雷神図襖』は八面構成で、やたら左右に長い。と思ったら解説に「もともと四面が表裏にくるよう仕立てられていた」のだそうだ。「風神の図」の襖を開けて、裏にまわると「雷神の図」という趣向か。それもなんだか、ウサギ小屋的発想で寂しいかも。「江戸後期」の画家も最近はずいぶん分かるようになって、椿椿山、山本梅逸、浮田一など、それぞれに楽しんだ。谷文晁は地味にいいなあ。

↓作品では、淵上旭江の『海市図』。いつだか板橋区立美術館で見逃した作品じゃなかったかしら。明清の奇想派の山水を思わせるところがある。


 以上、楽しかった~。また江戸絵画の出る機会があったら見に来よう。でも、やっぱり詳しい解説付きの所蔵品図録がほしいなあ。
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明清工芸にひそむ可愛いもの/カラフル(根津美術館)

2014-06-24 00:07:18 | 行ったもの(美術館・見仏)
根津美術館 コレクション展『カラフル-中国・明清工芸の精華-』(2014年5月31日~7月13日)

 根津美術館の明清工芸品コレクションは、何度も見ているけれど、ゆたかな色彩に着目した「カラフル」って、これまで、ありそうでなかった視点である。そう来たか!という発想が楽しい。

 冒頭は渋めの「赤」。堆朱(ついしゅ)作品を揃える。『堆朱菊花文丸盆』の五輪の菊は、よく見ると花芯の文様がそれぞれ違っていたりして、凝っている。珍しい「堆黄」の作品は、万暦年間に集中しているのだそうだ。黄、オレンジ、赤、ときには紺や緑も用いられる「存星」という漆工芸も私の好きな技法。金持ちの年増女みたいに渋くて華やか。自由で力強い龍の形象をあらわした、万暦年間(16世紀末)の作品が多かった。日本なら桃山文化の頃だなあ、と、東アジアの同時代性を感じ取る。

 別の展示ケースに移って、目が釘づけになったのは清代(18~19世紀)の『螺鈿動物文皿』。6枚セットで、黒漆の小皿の中央に、それぞれ異なる動物が描かれている。獅子、鶴、麒麟、鹿、山鳥(?)、あと1枚がよく分からないが、プランクトンみたいで可愛い。陶磁器に移って『緑釉龍文鉢』も、よくよく覗き込んで笑ってしまった。ヒラメじゃあるまいに、面長な龍の横顔に二つの目が並んでいる。それも吾妻ひでおのキャラみたいな○に点の目。

 明代の陶磁器は、やっぱり民窯が好きだ。『呉州赤絵麒麟文皿』の「わおーん」という遠吠えが聞こえてきそうな麒麟が可愛い。ディズニーアニメに出てきそう。『呉州青絵赤壁図鉢』は、何度も見ているけど大好き。これは欲しくてしかたない。青絵の船の図もいいが、赤壁賦を写した文字が下手すぎて下手すぎて愛おしい。『呉州青絵楼閣山水人物文皿』は、これが楼閣山水なのか?と疑問というよりツッコミを呈したくなる。『五彩蓮池水禽文大甕』も楽しい。現代中国人が大好きな、バラやカーネーション模様の洗面器や魔法瓶に通じるところがある。

 時代が明から清に移ると、技術が急激に高度化し、思わず居ずまいを正してしまう作品が増える。豆彩のグリーン、粉彩のピンクがきれいだ。黄色や紅色の単色釉にも引き込まれる。でも究極の美品は「青磁」だなあ。今回は「天藍(水色)」「青磁」「豆青(明るい緑)」作品が並んでいて、その違いがよく分かった。私の好みは、やっぱり「青磁」だな。灰色がかった緑の深い味わいが、ようやく分かるようになってきた気がする。

 展示室2は「明清の絵画-大画面絵画」を特集。蒋嵩筆『舟遊・雪景図』二幅は、癖のある筆遣い(素早く騒々しい)で、否定的な意味合いで「狂態邪学」と呼ばれるそうだが、たぶん日本人は好きだろうな、こういう絵。伝・蘇漢臣筆『売貨郎』は鳥籠でいっぱいの車を引く鳥屋さん。五人の子供の挙措が可愛い。 波立つ海原を背景にした趙麒筆『蝦蟇仙人図』は、あまりグロテスクでなくて、孤高の仙人という感じがする。『掃象図』は不思議な作品で、一連の背景(山並み・川の流れ)でつながった四幅。右端に礼拝する高士、次は錫杖を持つ釈迦、次は二人の人物が棕櫚箒で白象を水洗いしている図、左端は水汲みの図を描く。典拠不明とのこと。縦に引き伸ばされたような象で、一人は象の背に乗っている。

 展示室3も「明清の絵画-画巻と画冊」で、今期は全館が中国モード。朱皆山筆『四季山水図巻』は、「旅の絵本」ふうで可愛い。はじめにピンクと白を使って桃林(?)が描かれ、蓮池と柳、刈入れ時の積み藁(犬が遊んでいる)、晩秋の紅葉、最後に雪景色が展開する。『回紇進宝図巻』(清・18世紀)は大きな画巻だ。日本でいうと『当麻曼荼羅縁起絵巻』の縦幅。ただし、こちらは絹本。描かれている人物も大きい。編んだ髪を前後左右、四本垂らした男性が大きな剣を捧げていたが、あれはウイグル族なのだろうか?

 『聴颿楼集宋元画冊』には、さまざまな作品が貼り込まれており「南宋時代の著名な画家の落款を有するものも含まれる」という微妙な解説がされていた。落款はあっても真偽は?というところか。聴颿楼(ちょうはんろう)は、潘正煒(1791-1850)という書画蒐集家の号らしい。
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2014年6月@東京:東博「台湾故宮展」準備中

2014-06-22 23:56:38 | 行ったもの(美術館・見仏)
先週は木金と東京で仕事。そのまま週末も居座って、いくつか私用を済ませ、物見遊山をしてきた。ちょうど特別展の端境期の美術館・博物館が多くて、大きな収穫はなかったけれど、こういう時期の常設展や館蔵展をじっくり味わって見て歩くのも楽しい。

東博の「台湾故宮展」こと特別展『台北 國立故宮博物院-神品至宝-』は、いよいよ6月24日(火)から始まる。と思ったら、ポスターの一部で同院の正式名称「国立故宮博物院」が正しく表記されていない(※「国立」が省略されている)ことについて、台湾総統府が日本側に抗議したそうで、一時は展示取り消しも…という報道が流れ、びっくりした。

が、最悪の事態は回避されそうで、安堵している。ちなみに東博構内のポスターや掲示には、展覧会の公式名称どおり全て「國立」の文字あり。



会場は平成館だと思っていたら、「白菜」だけは本館特別5室(大階段の奥)に別置するらしい。観客、並ぶかなー。どうなんでしょう??



出口にはミュージアムショップも設営中。



名称問題で展覧会の公式サイトが閉鎖されてしまい、グッズの最新情報が見られないんだけど…日本オリジナルの白菜グッズとかあったら嬉しい。

ほか、行ってきたものは、
・根津美術館 コレクション展『カラフル-中国・明清工芸の精華-』
・東京富士美術館 開館30周年記念『江戸絵画の真髄-秘蔵の若冲、蕭白、応挙、呉春の名品、初公開 !!-』
・浮世絵太田記念美術館 『江戸の相撲と力士たち~石黒和義コレクション』展
・江戸東京博物館 2014年NHK大河ドラマ特別展『軍師官兵衛』
・サントリー美術館 『徒然草-美術で楽しむ古典文学』展
・出光美術館 没後90年『鉄斎 TESSAI』
以上。
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2014札幌まつりと「判官さま」

2014-06-18 00:42:34 | 北海道生活
先週末は北海道神宮の例祭「札幌まつり」だったのだが、雨にたたられて、出かける気力が失せてしまった。で、札幌駅近辺に買いものに出かけただけの週末になってしまった。東急百貨店の地下で買い物をしていたら、「六花亭」のお店で「判官さま」を見つけた。北海道神宮境内にある六花亭神宮茶屋店でしか買えない名物らしいと、東京の友人から聞いたばかりである。

実は他の店でも扱っているのか、札幌まつりの特別販売だったのかは定かでない。



モチモチして美味しかった。食感は阿闍梨餅に似て、甘味はもっと素朴。神宮茶屋店だと焼きたてが食べられるんだろうな。1個100円。日持ちしないので、お土産に不向きなのが残念。

なお「判官さま」は開拓判官・島義勇にちなむ。
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学芸員をつかまえよう!/関西Art Book 2014-2015

2014-06-17 23:22:17 | 読んだもの(書籍)
○『関西Art Book 2014-2015』「一冊まるごと今から見られる関西アートガイド」 京阪神エルマガジン社 2014.4

 関西の楽しい情報を発信する京阪神エルマガジン社の本。写真の多いムックスタイルの出版物は、旅行に出られないときの無聊(つれづれ)の慰めによいので、たいてい私の部屋には何冊か転がっている。同社は2009年にも『完全保存版・京阪神アートブック』を刊行しているが、今回は「2014-2015年」の情報にフォーカスしたところがミソ。今後も年報形式で続けてくれたら嬉しいなあ。

 巻頭は「MINPAKU VS KYOHAKU」とうたった「ニュースな二大ミュージアム」国立民族学博物館と京都国立博物館の特集記事である。今年9月にオープンする京博の「平成知新館」美しいなあ。「この建築自体がアート作品です。」というのはまさに。

 しかし、それ以上に私が目を見張ったのは、11頁から、ひときわ小さな活字で掲載されている平成知新館オープニング記念「京へのいざない」展(2014年9月13日~11月16日)の「主な出品作品」リストである。えっ、まだ京博のサイトにも詳細が公開されていないのに…と思って見に行ったら、見どころや関連イベント情報が、ほんの少し掲載されていた(それ以上に、サイトがすっかりリニューアルしていたことにびっくりした。しかも、あまり好みでないデザインに…)。

 ともかく、この出品リストは、泣いていいのか笑っていいのか迷うくらいすごい。絵画は基本的に第1期と第2期で展示替え。まず第1期には、神護寺三像の『伝頼朝像』と『伝重盛像』。『花園法皇像』と聞いて、アレか?と思ったけど、画像検索したら、妙心寺蔵は比較的穏やかな顔立ちのほう。満願寺(和歌山県)の『鳥羽天皇像』は全く浮かばないので楽しみ。

 『釈迦金棺出現図』も久しぶりに見られる! 聖衆来迎寺(滋賀県)の『六道図』に『山越阿弥陀図』に知恩院の『阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)』かあ。こんなに一遍に見てよいものだろうか。雪舟の『天橋立図』に如拙の『瓢鮎図』も。中国絵画では、昨年、大徳寺・高桐院の曝涼で見た李唐筆『山水図』と『牡丹図』。展示期間が短いのは、曝涼に備えるためだろうか。

 『十二天像』は第2期。絵画ばかりでなくて、書も彫刻も工芸も名品揃いである。ただ、このリストは「国宝」「重文」に限って掲載しているらしく(にもかかわらず、3頁にわたる長大なリストになっているのがすごい)指定外の作品は掲載されていない。かつて、京博の平常展が大好きだった私の記憶によれば、指定を受けていない名品も(江戸絵画や室町時代の絵巻物など)たくさん持っていたはずである。早く、あの作品たちと再会したい。

 本誌掲載の写真で目を引いたのは、豊臣秀吉所用の『鳥獣文様陣羽織』(高台寺)。大阪城天守閣所蔵の『富士御神火文黒黄羅紗陣羽織』もいいと思ったけど、これもいいなあ。大河ドラマで、ぜひ秀吉に着せてほしい。

 みんぱくは、しばらく行っていなかったら、2014年3月に東アジア展示のリニューアルが完了したとのこと。これは行ってみなければ。本題の2014-2015ミュージアムカレンダーは、漏らさずチェック。

 「美術館もGMT(じもと)主義!」では、美術館が所蔵する作家の魅力について、学芸員が語る。京都市美術館が数あるコレクションから梶原緋佐子を取り上げている点、兵庫県立美術館が金山平三を取り上げつつ、その奥さん(金山らく)にちょっとだけ触れているのが嬉しかった。続いて「歴史博物館こそ、GMTの総本山です!」では、右ページに大阪歴史博物館、左ページに大津市歴史博物館を取り上げ、学芸員さんが勢ぞろい。いつもお世話になっております。本誌担当スタッフによる「Discussion」のページでも「あらためて学芸員に注目したいな」「学芸員追っかけ、ええやん」「自分好みの作品があるように、自分好みの学芸員を何人つかまえとくか」と、学芸員トークが盛り上がっていた。私自身は何年も前からそういう行動をとっているのだが、学芸員のみなさんは、本誌を読んで、どう思われるでしょうか。

※表紙画像は京阪神エルマガジン社のサイトから。

※ブログ生活10年を経過し「読んだもの」900件目の記事となりました。
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戦争、中国、本づくり/司馬さんの見た中国(高島俊男)

2014-06-16 00:55:42 | 読んだもの(書籍)
○高島俊男『司馬さんの見た中国』(お言葉ですが…別巻6) 連合出版 2014.6

 高島さんの「お言葉ですが」は週刊文春の名物連載エッセイだったが、単行本11巻を以て終了し、『正論』『東方』『中国研究』ほか、さまざまな雑誌に寄稿したエッセイを集めて、別巻シリーズがすでに6巻まで出版されているらしい。タイトルの「司馬さんの見た中国」は、たまたま冒頭を飾る一編が『文藝春秋』(2013年3月)に掲載された特集記事「司馬遼太郎の見たアジア」について書かれていることにちなんだもので、全巻を通して、司馬遼太郎の中国観について語った書物ではない。

 こういうタイトルの付け方はどうなんだろう。なんとなく、司馬遼太郎ファンのそそっかしい読者が購入することを期待している下心(編集者の)が透けて見えるようで、私はあまり好きじゃない。文庫本の「解説」のありかた、「○○編」という責任表示の意味など、いまどきの本づくりに苦言を呈している著者に聞いてみたい気がする。

 全体としては書評に類するエッセイが多い。気に入ったものを挙げていくと、まず、金田一春彦『父京助を語る 補訂』(1986年)。春彦氏が、自分も国語学者になりますと申し出たとき、京助先生は「専門にしてはいけないものが三つある」と言って、「語源の研究」「詩の韻律の研究」「国語の系統論」を挙げた。それぞれの理由は、日本語の特色と深く結びついていて、納得できる。京助先生の孫の金田一秀穂氏も国語学(日本語教育学)を専攻されているが、この戒めは伝えられているのだろうか。

 門司親徳『空と海の涯で:第一航空艦隊副官の回想』(2012年)は、兵隊たちのの食うもの着るものその他を調達する主計兵だった著者の自伝。昭和16年に海軍に入り、終戦までの間、海軍という「役所」は、一主計兵の居所をちゃんと把握していて、一定期間ごとに異動命令が下される。グアム、ラバウル、土浦、木更津、フィリピン、台湾。転勤の繰り返しとともに、ちょっとずつ出世してゆく。「軍隊は官庁なんだなあ」という高島さんの感想が、馬鹿馬鹿しいけど胸に突き刺さる。

 戦争、原爆、核実験、そしてフクシマの原発事故に関する本の書評は、どれも重要なことを教えている。米軍の秘密部隊の情報をつかんでいても、それを活かせなかった日本軍。放射能が人体に与える影響のデータを得るために、平気でうそをつく科学者。政府の補助金によって進む環境破壊と共同体の破壊。考えさせられることが多い。

 後半には、著者の専門分野である中国語および中国文学に関する書評がまとめられている。「旧中国」を描く汪曽祺、友梅という作家。いい訳本があるなら読んでみたい。あと、途中脱線して、台湾の葉洪生氏(このひとは「武侠小説評論家」と称されている)の『蜀山剣侠評伝』を読んで、民国時代の文学が「今日の文学史に出てくる魯迅・茅盾・老舎・巴金の流ばかりなのではなく」「わが国でいえば中里介山、林不忘、あるいは長谷川伸、吉川英治」にあたるような作家たちがいたことに注意を喚起している。この文章が書かれたのは1984年だが、今や映画やドラマ、ゲームを通じて、民国時代の武侠小説作家に親しむ日本人の数は、魯迅や茅盾の読者よりは多いんじゃないかな。

 中国といえば、平川祐弘氏の『西欧の衝撃と日本』(1974年、講談社)のまえがきには、どこか奥歯にもののはさまった物言いがある。この理由が明かされたのは、1985年、同書が講談社学術文庫に入ったときのまえがきで、編集者から「中国については批判めいたことはお控え願えませんか」と申し入れられたのだという。「昭和49年当時の日本の出版界には常軌を逸した親中国熱(といえば上品だが一種のおためごかし)があって、それは言論・出版の自由をも圧迫するものだったのである」という。

 関連して、著者自身も、1989年に『中国の大盗賊』を講談社から出す際に「講談社の本の読者はたいへん広い。日本のあらゆる方面の人たちが皆だいじなお客さまです。その中にはもちろん親中国派の人たちもいます」云々と言われたことを書いている。私は2004年に講談社から刊行された『中国の大盗賊・完全版』を読んで、1989年版では掲載が見送られた、「盗賊皇帝」毛沢東の章が、正直いちばん面白かった。こういう次第を知ってしまうと、最近の「嫌韓・嫌中」ブームというのも(よいとは思わないが)商業主義の針がたまたま逆に振れているだけで、しょせんは一時の流行、という感じがする。
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潮目の兆し/街場の共同体論(内田樹)

2014-06-15 22:20:22 | 読んだもの(書籍)
○内田樹『街場の共同体論』 潮出版社 2014.6

 過去数年の間に月刊誌『潮』に掲載されたインタビューと寄稿エッセイをまとめたもの。ただし、ずいぶん手を入れたので、ほぼ「書き下ろし」であると「まえがき」に述べる。巻末のインタビュー「弟子という生き方」にも、2007年に書いた『下流志向』の頃とは「潮目が変わってきた」という発言がある。ついこの間、読んだ本だと思っていたのに、内田先生の見ている時代の変化、速いなあ。若者とのつきあいが多いためかもしれないが。

 この「潮目が変わってきた」は、よい変化の兆しである。一方、著者は、自分の言いたいことを「おとなになりましょう」「常識的に考えましょう」「古いものをやたら捨てずに、使えるものは使い延ばしましょう」「若い人の成長を支援しましょう」といった「当たり前のこと」に帰着するとまとめているが、その中も重要な「おとな」の存在は、安定した社会システムを維持するために、せめて7%の水準が必要なところ、もはや5%を切って、危険水域にあるという警鐘も鳴らしている。

 「おとな」とは、著者の定義では、システムの綻びを見つけたら、黙ってさくっと手当てしてくれる人をいう。「みんなの仕事」は「自分の仕事」でないから、「誰かなんとかしろよ!」と怒鳴って見ているのは「こども」の仕儀。これは、実際に働いた経験のある人なら、深く頷くはずだと思うのだが…10年、20年、組織で働いても、この理屈が分からないオトナ子供が多いのは、「なんとかしろよ!」と怒鳴っているうちに何とかなってしまってきたということなのかな。

 著者は「おとな」になる機会を逃した人々をあげつらって責めようとはしない。なぜなら現代日本は総力をあげて、そういう国民づくりを目指してきたのだから。この認識は、ある意味、相手の非をあげつらうよりも冷酷である。著者は、その起点を1980年代に置く。以来、日本は官民を挙げて「できるだけ活発に消費活動をすること」を国家目標に掲げ、家族や共同体を解体してきた。「労働」よりも「消費」が尊ばれ、最も少ない労働力で最も大量の貨幣、あるいは高価な商品を手に入れることが賢さの基準になった。その果てに、現代日本人の恐るべき「無教養」と「反知性主義」が生まれたのである。

 でも「反知性主義」の起点が1980年代だとすれば、私は、何とか、その毒に汚染される前の教育を受けることができた世代なのだな。ちょっと安堵する。しかし、日本の平和と繁栄をよいことに、家族や共同体に背を向けて「連帯しなくても生きていける」と言い出したのは、まさにわれわれなのだけど。

 いまの若者のマジョリティは、相変わらず消費者マインドに引きずられているが、「このままじゃまずい」と感じ始めた若者もいて、SNSなどを使って「セミ・パブリック」な共同体や公共圏を立ち上げようという試行錯誤が見られるという。そういう動きを鋭敏に察知して、援助してあげることも年長者のつとめだろうなあ。

 個人的に、非常に心に残ったのは「嫌なやつは社会的に上昇できない」という言葉。「知らないことを知らないと言える人」「他人の仕事まで黙ってやる人」「他人の失敗を責めない人」だけが、相互支援・相互扶助のネットワークに呼び入れられて、そこでさまざまな支援を受けることができる。これも私は、体験的にそのとおりだと思うのだけど、今の自己開発的キャリア教育の現場で、こんなことを言ったら、袋叩きだろうなあ。

 あと、フェミニズムと男女雇用機会均等法が市場経済を加速化させた一面は、確かに否定できない。その功罪は、21世紀の現在から、もう一度問いなおさなければならないだろう。もちろん、全てを「もとに戻そう」みたいな暴論ではなしに。
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