見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

禁忌とまじない/魔除けの民俗学(常光徹)

2020-10-06 22:31:58 | 読んだもの(書籍)

〇常光徹『魔除けの民俗学:家・道具・災害の俗信』(角川選書) 角川書店 2019.7

 最近あまりこのジャンルを読んでいなかったけれど、民俗学という学問は大好きだ。本書は、家屋敷・生活道具・自然災害にまつわる伝承を俗信の視点から読み解いたもの。俗信とは、予兆・占い・禁忌・呪い(まじない)に関する知識や生活技術である。

 はじめに家屋敷に関する俗信として、屋根、棟(屋根の一番高いところ)、破風、軒(のき)、床下などに関するものが取り上げられている。これらは境界性を帯びた空間であることから、人の死や出産にかかわる俗信が多い。難産のときのまじないに、石臼や甑(こしき)を屋根から落とすというのは聞いたことがあったが、正確には屋根の棟を越えさせる動作が重要なのだ。ところが、平徳子が安徳天皇を出産する際、甑を北から南へ棟を越して落とすべきところ、北側に落として騒動になったことが「山槐記」に記録されているという。ひなびた民俗世界の俗信が、かつては宮中でも用いられていたことが分かって面白い。

 あと、人が死ぬと四十九日(あるいは三年間)は魂が屋根の棟に残っていると言うそうだ。集合住宅の多くなった都会では、魂はどこにいるのかなあ。屋上で寄り合っているのだろうか。

 庭木について、南天や槐(エンジュ)が縁起の良い木であることは知っていたが、枇杷は庭に植えてはいけないのか(むかし近所の家に枇杷の木があったことを思い出しつつ)。銀杏を庭に植えないという禁忌も「ほぼ全国的」で、その理由は「寺社に植える木だから、位負けする」のだそうだ。しかし、子どもの頃、大きな銀杏の木がある家があったこと(秋には黄金色に染まっていたこと)を何十年ぶりかで思い出した。東京の下町の、昭和の風景である。

 井戸について、七夕が井戸替え(井戸浚い)の吉日だというのも興味深く読んだ。文楽の「妹背山婦庭訓」でしか知らない行事である。井戸替えは男の仕事で、女性が関わるのは嫌われていたという。

 生活道具では、箒、箕、鍋、柄杓などが取り上げられている。〇〇してはいけないという禁忌が非常に多くて、むかしの生活はつくづく大変だなあと思った。鍋に蓋をせずに煮炊きしてはいけないとか、鍋釜の蓋をとったまま外出してはいけないとか、現代生活ではとても守っていられない。スミマセン。柄杓と船幽霊について、本来、柄杓は魂の入れもので、投げ入れて幽霊を封じ込めるものだったが、のちに底を抜いて与えることに改変されたというのは柳田国男の見解で、さすが面白い。

 災害と俗信には、さまざまな唱え言が伝わっているが、高知の伝承で「カアカア」と叫ぶというのが一番簡単でよいと思った。最終章は、ちょっと毛色が変わっていて、高知県土佐市の真覚寺の住職・井上静照の日記が紹介されている。嘉永7(安政元)年の安政南海地震を発端として、被害や余震の状況に加え、さまざまな記録を含む。猫やネズミ、蛇など、身近な小動物の記事が面白かった。

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労働組合さまざま/働き方改革の世界史(濱口桂一郎、海老原嗣生)

2020-09-22 20:54:38 | 読んだもの(書籍)

〇濱口桂一郎、海老原嗣生『働き方改革の世界史』(ちくま新書) 筑摩書房 2020.9

 労働や雇用の問題には関心があるのだが、自分に基礎がないことを知っているので、読む本を選ぶときは慎重になる。濱口先生の著書は『働く女子の運命』1冊しか読んでいないが、軽いタイトルにもかかわらず内容は堅実で、とても勉強になったので、本書は迷わず買ってみた。

 本書は、国によって異なる労働運動の仕組みが、どのような経緯で出来上がったかを、時代と国情などを整理して説明したものである。英米独仏そして日本の労働思想に関する古典的な名著12冊をセレクトし、濱口氏がその内容と歴史的な位置づけを、それぞれ15ページ程度で解説する。軽い冗談も交えた講義口調で、名著の要点が頭に入る。各章の口絵に、それぞれ「物体」としての本(日本語翻訳版)の写真が使われているのもちょっと好き。

 紹介されている12冊は以下のとおり。シドニー&ベアトリクス・ウェッブ『産業民主制論』/サミュエル・ゴンパーズ『サミュエル・ゴンパーズ自伝』/セリグ・パールマン『労働運動の理論』/フリッツ・ナフタリ『経済民主主義』/ギード・フィッシャー『労使共同経営』/W.E. フォン・ケテラー『労働者問題とキリスト教』/G.D.H. コール『労働者』/アラン・フランダース『イギリスの団体交渉制』/バリー&アーヴィング・ブルーストーン『対決に未来はない』/サンフォード・ジャコービィ『会社荘園制』/エドモン・メール『自主管理への道』/藤林敬三『労使関係と労使協議制』。読んだことのある本は1冊もなかった。

 ここから分かってくること。イギリスでは同じ職業(トレード)の労働者が団結し、労働力の集合取引(コレクティブ・バーゲニング)を行うために組合が形成された。20世紀のアメリカでは、科学的管理法と大量生産システムによってトレード(職種)が解体し、企業の管理単位であるジョブ(職務)が確立する。アメリカの労働者は会社側が作り出したジョブを労働者の権利として再編成した(決められたジョブ以外はやらされない)。しかし、その結果、労働者は「経営」に携わることができなくなる。

 一方、戦後ドイツは、ワイマール時代に構想された経済民主主義を実行に移す。労働者が経営の意思決定に携わるという意味で、労使共同経営(パートナーシャフト/パートナーシップ)とも呼ばれ、日本的経営に近い面もある。1950年代のイギリスでは、国内の労働運動の混乱・破綻の中で、ドイツや日本の労使パートナーシップ関係に憧れの目が向けられて来た。アメリカも、行き過ぎたジョブ・コントロールへの反省から、労使協調組合の存在を認めるための労働法改正が、1990年代に民主党のクリントン政権の下で実現しかかったが、従来型の労使関係に固執する労働組合団体によって阻止され、その後、日本型経営は、急速に支持を失った。

 本書で初めて知ったが、写真フォルムのコダック社は、アメリカ企業では例外的に「メンバーシップ型」の経営を実践した。終身雇用の見込みと揺りかごから墓場までの給付を提供し、職長が労働者を直接解雇することを禁じ、「個人的なふれあい」を大事にし、監督者は「俺のために」ではなく「俺と一緒に」仕事をするよう部下に指示することが求められた等、日本の老舗企業の話を聞いているようだった。しかし市場競争の激化によって、コダック社は90年代に多数のレイオフを出し、2012年には経営破綻してしまう。

 著者のひとり、海老原氏は、巻末の対談で「コダックなどはもう少し日本型経営の仕組みを研究していれば」生き永らえたのではないか、という疑問を投げかけているが、濱口氏は「それは無理でしょう」と厳しい。なぜなら雇用システムとは一社だけでは成り立たないので、社会の多数派である必要がある。「社会主義は孤立して一国社会主義でも成り立つが、企業は一社だけ孤立して存在するのは難しい。雇用システムは企業内の人事システムであると同時に社会システムでもあるから」というのは、強く印象に残った言葉である。

 現在の日本の雇用システムにはたくさん問題があると思うが、それはみんなで変えていかなければ持続化しないと思う。それから、世界には(一見)さまざまな成功モデルがあるが、いずれも固有の歴史と社会システムの中に根を張っているので、「いいところ」だけを日本に移植するのは困難だということがよく分かった。

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伸び縮みする統計/人口の中国史(上田信)

2020-09-20 23:15:16 | 読んだもの(書籍)

〇上田信『人口の中国史:先史時代から19世紀まで』(岩波新書) 岩波書店 2020.8

 中国史に限らず、歴史の概説書を読んでいると、この時代、この地域の人口は〇〇万人とか、この時期に一気に人口が増えたとかいう記述がある。本書によって、近代以前の人口がどのように推計されているのかが少し分かって面白かった。

 著者は中国史を「合→散→離→集」のサイクルの繰り返しでとらえる。1つの文明が安定している状態(合)から、次第にゆらぎが生じ(散)、新たな複数の可能性が争い(離)、最後に1つの可能性が生き残る(集)というサイクルで、中国史を知っている者には分かりやすい。

 古代の王朝について、逸書『帝王世紀』には禹が中原を平定したときの人口が記載されているが、もちろん信じるわけにはいかないので、学者は発掘された遺跡の状況、邑の規模や墳墓の数から人口を推計する。漢代(西暦2年)には郡ごとの戸数と人数が『漢書』に残されており、いちおう「東アジア最初の戸口統計」と認められている。こうした統計を、現代中国の省ごとにまとめた戸数・口数(一部は推計)の一覧表が、本書は各王朝について掲載されており、前代と比較した増減率も付記されているので大変おもしろい。ただし各時代とも、税負担を逃れて奴婢になったものや辺境の異民族など、登録されていない集団がいることを忘れてはならない。

 南宋の1210年には宋朝と金朝の公式の統計を合算すると人口が1億人を超える。登録されていない人口を推計すれば、おそらく12世紀半ばには1億人を超えていたという。しかしモンゴル帝国下では(王朝が把握した人口では)6000万人程度に減少する。

 明初、洪武帝(朱元璋)は里甲制に基づく厳密な戸口調査を行った。これは「中国最初の人口センサス」と評価されている。しかし16世紀後半、銀納を認めた税制(一条鞭法)が普及すると、戸口を把握する意味が薄れ、調査は実態を反映しなくなる。

 清朝に入り、康熙帝は王朝が人民の数を把握できていないことに危機感を覚えた(さすが名君)。そこで1711年の人口(盛世滋生人丁)を以て丁銀(人頭税)を固定化し、隠された人口の表面化を誘導しようとした。しかしうまくいかなかったため、雍正帝は1726年から各地方で順次、丁銀を土地税の中に繰り込み(地丁銀)、税制から完全に廃止した。これが中国18世紀の「人口爆発」の一因とも言われている。

 しかし人口増加がその後も持続したことには、戸口統計の変化以外の理由を探さなければならない。たとえば四川・雲南・広東などへの移民政策。清朝は、漢族が安心して移住できるよう、地方行政の主体を現地の土司から中央派遣の官僚支配に転換する「改土帰流」政策をとった。これを読むと、現代中国政府が新疆や内モンゴルで起こしている問題は、共産党の独創でなく、背景に長い伝統を持つことが分かる(だから許容される、という問題ではないが)。

 実は人口急増は1680年代、「盛世」と呼ばれる太平の世のベビーブームから始まっている。このおよそ100年前、16世紀後半にトウモロコシ、サツマイモ、ジャガイモなどアメリカ大陸原産の作物が中国にもたらされ、次第に農民に普及した結果とする説もある。著者は族譜を用いて死亡の季節性を調べているが、18世紀半ば以降は平準化が進む。農業の生産性向上、救荒作物の普及により、人々が収穫の端境期を乗り越えられるようになったと考えられる。また、清朝が、漢族社会の悪習「溺女」を禁じた(根絶はできなかった)影響も大きいという。

 人口が増えるのが豊かな社会かといえば、必ずしもそうではない。18世紀に地域の隅々まで貨幣経済が行き渡り、貧富の格差が拡大すると、人口は増加し続けるが平均寿命は下がり始める。郷村では豊かな男性が多くの女性を独占し、貧しい男性は単身で地域を出て、製鉄や林業など山中の作業所で不安定な賃労働に従事した。彼らを取り込んだのが、白蓮教や太平天国などの宗教結社である。

 人口史というのは、増えた減っただけを論じる学問ではなく、数字には必ずその理由があり、また数字から導き出される未来予測があるということが分かる1冊だった。

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次に見るべき作品は/まるわかり!中国時代劇・ドラマ(EIWA Mook)

2020-09-18 23:47:03 | 読んだもの(書籍)

〇EIWA Mook『まるわかり!中国時代劇・ドラマ』 英和出版社 2020.9

 性懲りもなく、また中国ドラマのムック本を買ってしまった。4月に出た「ぴあムック」から時間が経っていないので、あまり新しい情報はない。やはり『陳情令』と『長安二十四時(長安十二時辰)』が、いま最も注目すべき作品であるのは動かないところ。あと、私は既に中文版を見ていて、まもなく日本語字幕版の放映が始まる『九州縹渺録』と、次に見たい作品のリストに入れている『鬢辺不是海棠紅』と『大明皇妃(大明風華)』が大きく取り上げられていたのもポイントが高かった。

 中国ドラマといえば、日本では古装劇が人気だが、本書には現代劇も紹介されている。『法医泰明』『原生之罪』は中国で高い評価を得たサスペンスドラマ。このジャンルも、もっと日本に入ってくるといいなあ。

 人気の俳優さんへのインタビューが何本か掲載されていて、いま視聴中の『如懿伝』に出演中の霍建華(ウォレス・フォ)と張鈞甯(チャン・チュンニン)のインタビューを興味深く読んだ(ちょっとネタバレあり)。ちなみに本書は、中国の俳優さんの名前に漢字を付記してくれているのがありがたい。発音のカタカナだけだと誰だかさっぱり分からないので。

 「これから日本上陸が期待される作品」のコラムは、かなり情報が早い! 文字だけの情報ではあるが、今年、中国で話題になった『傳聞中的陳芊芊』『清平楽』『隠秘的角落』などがちゃんと紹介されているし、まだ放映されていない『青簪行』や九州シリーズの『斛珠夫人』への言及もある。このジャンルが好きなライターが書いているのだなと思って嬉しかった。

 巻末の「知っておくと便利!中国ドラマでよく登場する用語集」というページも楽しかった。そうそう、爹(お父さん)も娘(お母さん)も、私は大学の中国語講座で習った記憶はなく、時代劇ドラマを見るようになって、すぐ覚えた単語だ。宮廷ドラマを見ていると「免礼」「平身」「回皇上的話」もすぐ覚えるよなあ、と昔を思い出した。

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川筋を取り戻す/東京裏返し(吉見俊哉)

2020-09-07 22:47:50 | 読んだもの(書籍)

〇吉見俊哉『東京裏返し:社会学的街歩きガイド』(集英社新書) 集英社 2020.8

 このところ、大学論や学問論、平成日本社会論など、ハードな著作が続いていた著者なので、本書を見つけたときはタイトルを二度見した。しかし、都市論、盛り場論は、著者本来の研究フィールドであり、何も驚くことはない。

 本書は、著者が提案する1週間(7日間)の東京都心街歩きガイドブックである。実際に著者と集英社新書編集部のみなさんが、2019年2月から10月の間に7回の街歩きを行っており、各章の扉には、東京の街角にたたずむ笑顔の著者の写真も使われている。

 東京は三回「占領」された都市であると著者はいう。最初の占領は徳川家康、二度目は明治維新の薩長政権、三度目は1945年のアメリカ軍だ。薩長の占領と米軍の占領は連続的で、その延長に高度成長期、とりわけ1964年の東京オリンピックに向けた都市改造があり、それは、この都市が歴史的に育んできたアイデンティティの根幹を破壊するものだった。象徴的なのは「川筋の東京」の否定である。

 けれども東京には、古層の時間を宿したスポットが飛び地のように散在している。本書が焦点を当てるのは、上野、秋葉原、本郷、神保町、兜町、湯島、谷中、浅草、王子などの「都心北部」である。このエリアは、明治・大正期まで東京の文化的中心だったが、戦後の高度成長期以降、「より速く、より高く、より強く」を目指す都市改造によって周縁化されてきた。しかし、だからこそ、21世紀に私たちが追求すべき「より愉しく、よりしなやかに、より末永く」という価値創造のヒントが、この地域には息づいているのだ。

 気になったエピソードはいろいろあるが、ひとつは渋沢栄一という人物への注目。渋沢はパリで「資本主義とは紙幣である」との認識に達し、日本の経済を発展させるため、製紙会社、製紙工場を設立する。へえ~考えたこともなかった! 渋沢の従兄の成一郎は彰義隊の初代隊長で、渡欧中でなかったら栄一も彰義隊に参加していたかもしれない。渋沢は最期まで幕臣意識を持っていたと察せられ、谷中墓地の徳川慶喜の墓の傍らに眠っている。また、渋沢は霊岸島周辺に東京港を築いて、日本最大の貿易港とする構想を描いていたが、横浜の財界の猛反対にあって実現しなかったという。2021年の大河ドラマが楽しみになってきた。

 第5日に神保町を起点とし、東京大学の本郷キャンパス内を散策・紹介しているのも面白かった。記憶にとどめておきたいと思ったのは、学内に記念碑がある相良知安(さがら ともやす)という人物。幕末維新期の蘭方医で、東大医学部の前身である医学校の初代校長をつとめたが、政府との対立で罷免され、愛人と東京の貧民窟を転々とする人生を送ったという。いまWikiを見たら、 相良知安先生記念碑は陸軍軍医の石黒忠悳が題額を書いているのか。面白い。

 江戸時代、蔵前には幕府直轄領から集められた年貢米を貯蔵する「浅草御蔵」があった。明治になると、この御蔵を利用して、湯島聖堂に収蔵されてきた書籍を収蔵・公開する浅草文庫がつくられた。つまり「米」の収蔵庫が「知」の収蔵庫になった、という話も面白かった。ついでにいうと、浅草文庫のコレクションが上野の博物館に移されたあと、浅草文庫跡地に建てられたのが、東京工業大学の前身である東京職工学校であるというのも面白い。

 各コースの最後には、大江戸線の外側にトラムで東京を一周する外江戸線をつくろうとか、上野駅正面玄関口のペデストリアンデッキを撤去して昭和の初めの風景を取り戻ろうとか、大胆で魅力的な「提案」がいくつも述べられている。いま、日本橋の首都高を地下化する工事が始まっているが(首都高速道路 日本橋区間地下化事業)、第2日には、もっと構想を徹底し、都心全体から高速道路を見えなくしてはどうか、と述べている。もっとも第7日には、水上タクシーで日本橋川をクルーズし、川面から見る頭上の高速道路の存在がSF的な「斬新な印象」を与えていることに気づく。矛盾しているようだが、「歩きながら考える」思考の変化が見てとれるのも本書の面白さである。日本橋川クルーズ、今年、コロナで乗れなかったので、来年の桜の季節にはリベンジできるといいなあ。

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怒りのエネルギー/民衆暴力(藤野裕子)

2020-08-29 23:06:09 | 読んだもの(書籍)

〇藤野裕子『民衆暴力:一揆・暴動・虐殺の日本近代』(中公新書) 中央公論新社 2020.8

 妙に刺激的な副題だが、扱われているのは、明治初年の「新政反対一揆」「秩父事件」、明治末の「日比谷焼き打ち事件」、そして関東大震災時の「朝鮮人虐殺」という、日本近代史の常識と言うべき四つの事件である。

 新政反対一揆は、廃藩置県・徴兵令・学制・賤民廃止令・地租改正など、明治新政府の一連の政策に対して起きた一揆の総称である。徴兵制度に反対する「血税一揆」がよく知られていおり、1960-70年代の歴史研究は新政反対一揆を、支配権力に対する「民主主義的」な闘争であると高く評価した。一方で、賤民廃止令への反発から、非差別部落への襲撃が西日本で多発したことも知られている。解放令反対一揆のことは、以前、塩見鮮一郎氏の『解放令の明治維新』で読んだが衝撃だった。この明治初年の混乱と暴動については、近世末の「世直し一揆」の系譜や、「異人」への脅威、血統の乱れが起こることへの恐怖など、さまざまな要因が議論されている。

 1884(明治17)年の秩父事件は、秩父地方の農民が減税や借金10年据え置きなどを求めて蜂起したものである。秩父困民党には自由党員が参加していたことから、自由民権運動の一環ととらえることもあるが、著者は、むしろ近世の世直し一揆との類似性を重視する。ただ、世直し一揆と明確に異なる点は、秩父困民党のリーダーたちは、国家と暴力で対決することの困難をよく理解しており、だからこそ、最後まで蜂起には慎重だったという。

 1905(明治38)年の日比谷焼き打ち事件は、近世や明治初年の農民一揆とは全く異なる、都市の暴動である。発端は日比谷公園での国民大会だが、焼き打ちが広がるにつれ、大会に参加していなかった見物人が路上で途中参加し、また離脱するパターン(隣接区で行動を終えるケースが多い)を繰り返した。焼き打ちという行為が、異なる人から人へリレーされながら東京の街路を移動していった、という表現が面白いと思った。暴動参加者は男性労働者(職人・工場労働者・日雇い)が多かった。著者は、当時の男性労働者には「通読道徳」とは別の、「男らしさ」の価値体系とエネルギーが共有されていたことを指摘する。ちょっと『ハマータウンの野郎ども』を思い出した。

 そして、1923(大正12)年の関東大震災時の朝鮮人虐殺である。東京・四ツ木や埼玉・本庄警察署などで起きた虐殺の顛末は、すでに別の書籍でも読んでいたので驚かなかった。ただ、著者の指摘で重要なのは、人々の間に自然にデマが流れ、自警団が殺害したという、いわば「民間人によるデマ、民間人による虐殺」のイメージが漠然とつくられていることへの異議である。「朝鮮人を殺害した罪で被告になったのは自警団などの民間人だけで、軍隊や警察が犯した殺人については起訴されることはなかった」。そもそも殺害者数に関する司法省調査には、警察や軍隊による虐殺が含まれておらず「自警団による被害のみがカウントされている」という。

 埼玉・本庄警察署では、自警団が警察署になだれ込み、収容中の朝鮮人(70人前後と推定)を殺害した。その翌日、今度は本庄署そのものが民衆の襲撃の標的となった。これも恐ろしいが興味深い。権力に対抗する民衆と被差別者を迫害する民衆とは、別の民衆であるかのように考えがちだが、事実は決してそうではないのだ。表面的な「サヨク」も「ウヨク」も根は同じということだろう。ひとたび暴力が解き放たれれば、ひとりの人間からどちらが噴き出すかは分からない。両方向の暴力が噴き出す可能性もある。

 過去の民衆暴力を簡単に否定することにも、権力への抵抗として称揚することにも慎重であるべき、という本書の結論は理解するが、現実にいま、目の前にある(メディアを通じて伝えられる)さまざまな暴力にどう向き合うべきかは、難しい問題だと思う。

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国と民族を背負った英雄/孫基禎(金誠)

2020-08-06 22:55:01 | 読んだもの(書籍)

〇金誠『孫基禎(ソンギジョン)-帝国日本の朝鮮人メダリスト』(中公新書) 中央公論新社 2020.7

 1936年のベルリン五輪マラソンで金メダルをとった孫基禎(1912-2002)の評伝である。孫基禎は、1912年、鴨緑江に面した国境の町・新義州に生まれた。この前年、大日本帝国による大韓帝国併合が行われた。そして1912年という年は、日本が初めてオリンピックに参加した年でもある。と聞いても、以前なら何の感慨も湧かなかったと思うが、昨年の大河ドラマ『いだてん』を、ポツポツ見ていたので、三島弥彦と金栗四三の名前に出会って懐かしさを感じた。

 貧しさに耐えながら学校に通い、次第に陸上競技で注目されるようになる。19歳で養正高等普通学校に入学し、名門陸上部で技術を高めるが、ロサンゼルス五輪の日本代表選考会では成績が振るわなかった。1936年、ベルリン五輪に出場した孫は、オリンピック新記録で優勝する。金栗四三から24年目の金メダルだった。三位にも朝鮮人選手の南昇龍が入った。多くの日本人が「日本の勝利」「日本の英雄」に熱狂したことを、本書は当時の新聞記事や記事の見出しから検証している。そこに民族的差別は全くない。それは、孫がオリンピックに優勝したからである。マージナルな存在でも、偉大な功績があれば「日本人」の仲間と見なされることは、現在のスポーツ選手を見ていてもよく分かる。

 もちろん朝鮮の人々も熱狂したが、そこにはスポーツの勝利の喜びだけでなく、朝鮮民族の自信と優秀性を見ようとする気持ちがあった。そして『東亜日報』が孫基禎の写真を掲載する際、ユニフォームの日章旗を抹消する事件が起きる。東亜日報の社員らは朝鮮の人々の期待に応えたのだが、「内鮮融和」の方針に反するものとして停刊処分を受ける。自らの意図とは無関係に「要注意人物」扱いとなった孫基禎は、監視にさらされる朝鮮での生活を捨て、「再び陸上をやらない」ことを条件に日本の明治大学へ留学する。

 「再び陸上をやらない」と言っても、日本に押し付けられる役割があって、1938年には「国民精神作興体育大会」(伊勢神宮に奉納した六本の聖矛を各地の神社に奉納しながらリレー方式で明治神宮まで走る)に出場している。1940年に朝鮮に戻ると、朝鮮スポーツ界の指導者の一人として、体育振興、体育向上を唱え、さらに学徒志願兵の勧誘にも協力する。

 1945年、植民地支配からの解放。しかし朝鮮知識人は、この解放が自主独立ではなく日本を屈服させたアメリカの力によるもので、しかもソ連とアメリカによる朝鮮の分断管理が決定されたことに挫折と憂鬱を味わっていた。そうか、単純に解放されて嬉しかっただろうというくらいで、この「挫折と憂鬱」はあまり考えたことがなかった。

 国家に翻弄される孫基禎の運命は変わらない。李承晩は、スポーツ選手が「韓国」ナショナリズムの高揚と反共スローガンに利用できることをよく分かっていた。1964年の東京五輪を前にして、孫は日本の産経新聞に「マラソンは日本が勝て!」と語ったことが問題視される。孫は日本を含むアジアの国の優勝を期待しているという意図だったという。1970年には、韓国の国会議員がベルリンのオリンピックスタジアムの壁に刻まれた孫基禎の国籍「JAPAN」を勝手に「KOREA」に差し替える事件が起きた。どこの国にも厄介な国会議員はいるものだ。1988年のソウル五輪で、孫は聖火リレーの最終走者に予定されていたが、事前に情報が洩れてしまったため、交代を余儀なくされる。

 とにかく当人の意志とは無関係に「英雄」を欲しがる人々(権力者も大衆も)の間で翻弄され続けた生涯だったように思う。死後は、国家に殉じた者の墓所・大田の国立墓地に眠るというが、果たして孫の望んだことだったか。それとも、墓所などどこでもいいと思っているだろうか。孫が、李承晩の参列した席で語った言葉「最後にお願いですが、選手たちに英雄心を与えず、選手たちを商品化せず、選手たちを政治道具化しないことを強く願います」には、胸を打たれた。それでも大衆は「スポーツの英雄」を求めてやまないし、権力者と資本家は、その欲望を利用しようと手ぐすねひいている。だからオリンピックは難しいのだ。

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原理と実践テクニック/勉強の哲学(千葉雅也)

2020-08-03 20:41:31 | 読んだもの(書籍)

〇千葉雅也『勉強の哲学:来たるべきバカのために』(文春文庫) 文藝春秋 2020.3

 吉見俊哉氏の『知的創造の条件』での紹介が気になったので読んでみた。本書の前半は「原理篇」で、勉強とは何か?を深く考えてみる。勉強とは自己破壊である。これまでの環境のコードにノッていた自分を捨てて、別の環境=別のコード/言語に引っ越すことである。するとノリが悪くなる。使っている言語に違和感を感じる。その違和感を「言語をそれ自体として操作する意識」へ発展させる。そして、ツッコミ=アイロニー(根拠を疑う)とボケ=ユーモア(見方を多様化する)というテクニックによって環境のコードを転覆させ、新たなノリ、自己目的的なノリ=来たるべきバカの段階へ進むことができる。

 言いたいことはだいたい分かる。巻末の「付記」によれば、ドゥルーズ&ガタリ、ラカン、フーコー、ウィトゲンシュタインなどフランス現代思想をベースにした文章だが、軽い表現、平易な用語で書かれているので、苦労なく読むことができた。その分、あまり新鮮味もなかった。

 むしろ興味深かったのは、第3章以降の「実践編」である。これは、たとえば大学で初めてレポートを書く学生には、とても参考になると思った。勉強は「生活にわざと疑いを向けて、問題を浮かび上がらせる」ことから始まる。この「わざと」が大事。毎日の生活にだいたい満足していて、権力を糾弾したり社会を変えたりしたいとは思わない場合でも「わざと」問題を見出し、その不快な状態を楽しむのが勉強である。

 まずは生活の場面を淡々と思い浮かべ、その背景にある環境のコードをあぶり出し、そこにツッコミを入れていく。その中で「抽象的で堅いキーワード」を見出し、そのキーワードを含む「専門分野」のノリを参照する。しかし深追いをしすぎてはいけない。絶対的な根拠を求める「最後の勉強」をしてはいけないので、「まあこれだろう」というところで勉強を中断(ある結論を仮固定)する。以上は「勉強のプロセス」の説明として完璧だと思う。

 続く第4章には、さらに詳細で具体的な勉強のテクニックが書かれている。専門分野に入門するには何から読んだらよいか。基本はネットよりも紙の本だ。入門書→教科書→基本書と進むのがよい。入門書は1冊でなく複数読むこと。教科書は辞典のように引くもので、読み通す必要はない。入門書や教科書に繰り返し名前が出てくる文献が基本書。ううむ、私はこういうことを学校(大学)で体系的に学んだ覚えがないが、いまはちゃんと教えてくれるのだろうか。

 勉強というのは、自分で文献を読んで考察することが本体で教師の話は補助的なものだと著者はいう。いま、新型コロナの影響で対面授業をしていない大学が批判に晒されているけど、私はこの風潮にあまり賛同しない。対面授業が大学生に「どうしても必要なもの」とは思えないからだ。ただ、もちろん教師には役割があって、教師とは「このくらいでいい」という勉強の有限化をしてくれる存在である、という説明は大変おもしろいと思った。

 入門書を選ぶときは、信頼できる人物や機関の情報を信頼するしかない。勉強にあたって信頼すべきは、勉強を続けている他者であって、決めつけや押しつけの語りは、どんなに人気があっても勉強の足場にすべきではない。これは本当に大事。それから研究書と一般書の違い。研究書は「厳密」なもので、一字一句を「文字通り」読むことが期待されている。一般書から有効な部分を取り出すには読者に専門知識が必要なので、初学者はすべての一般書に警戒してほしい。これも大事。難しい本は、無理に納得しようと思わず、実感に引き付けず、「テクスト内在的」に読めというアドバイスもためになると思った。

 また、文献を読むだけでなく、書き留めること、つくること(絵画、音楽、身体運動)、生活や空間を設計することが「勉強」にどのような影響を与えるかにも触れられている。総じて、私が学生時代から今日まで体験的に会得してきたことと矛盾するところはないのだが、今の現役学生はどんなふうに反応するだろうか。

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多元共存とそれ以降/「中国」の形成(岡本隆司)

2020-07-31 19:11:47 | 読んだもの(書籍)

〇岡本隆司『「中国」の形成:現代への展望』(シリーズ中国の歴史 5)(岩波新書) 岩波書店 2020.7

 大きな反響を呼んできたシリーズの最終巻だが、SNSをチェックしていると、関連分野の研究者から「(他の巻ほど)面白くない」という感想が漏れていて苦笑してしまった。まあ私も読み終えて同意である。本書がカバーする清代は、すでに知られていることが多い(私がすでに岡本先生の著作に馴染んでいる)せいかな?とも思った。

 本書の始まりは17世紀である。16世紀の大航海時代が引き起こした交易の過熱、在来秩序の動揺と混乱、さらに気候変動の影響により、東西ともに「17世紀の危機」が到来した。そしてそれが、ヨーロッパの近代化とアジアの停滞を分ける「大分岐」となったというグローバルヒストリーの視点がはじめに示される。

 17世紀初頭、東アジアの多元勢力の一つでしかなかったジュシュン(女真)人は山海関を越え、北京を本拠として明朝の「正統」を継ぎ、康熙帝の時代に中国本土の一元化を成し遂げた。この経緯は、本シリーズでは珍しく、できごとを追って物語ふうの記述となっている。ただし著者は、人口でも文化でも軍事でも明朝に優越していなかった清朝の勝利を「偶然」「成り行き」「奇跡」と見做していることもあり、あまり心躍る感じではない。清朝は自らの非力さをよくわきまえていたので、在地在来の慣例を尊重し「因俗而治」の体制をとった。そのリアリズムと柔軟性が、三百年にわたり、多元化した東アジアに君臨することを可能にしたというのが、著者の清朝に対する評価である。褒めているのか腐しているのかわかりにくい。

 17世紀後半から18世紀、清朝は、康熙・雍正・乾隆三代の盛世を迎える。ここは、経済面から「康熙デフレ」「乾隆インフレ」を論ずる記述が面白い。康熙デフレの原因は貿易の不振である。明代には「倭寇」(必ずしも日本人ではない)が日本の金銀を中国に持ち込んでいたが、清朝政府は有能なので海禁に成功してしまった。17世紀末に海禁を撤廃すると景気は好転する。日本との貿易は減退したが、西洋との貿易が活況となった。このへん、同じ著者の前著『清朝の興亡と中華のゆくえ』(講談社、2017)と重なることを意識しながら読んだ。

 なぜ「銀の流入が景気を左右する」のかという解説は、前著になかったように思う。本書では岸本美緒氏の「貯水池連鎖モデル」によって説明されている。清代中国の市場構造は「水路でつながれた、段差のある小貯水池群」なので、ある市場に銀(通貨)が流れ込むと、購買力を得た地域が別の市場の製品を購入し、その対価を得た地域が、また別の地域市場の製品を購入するというかたちで、連鎖的に全体が好況になる。

 市場どうしの交易をつなぐ通貨が銀で、地域市場内で動くのが銅銭である。銀は中国内ではほとんど産出せず、海外から入ってくるものだった。明朝は貨幣を忌避し、現物主義に固執していたので、全国共通の通貨の発行・管理をほぼ行わず、清朝政権もこれを踏襲した。銀と銅銭のレートが定まり、地域市場で不足しがちだった銅銭を政府が大量に鋳造するようになったのは18世紀以降である。こういう経済史・貨幣史の記述は、知らないことが多くて面白いが、多少眉に唾しながら読んだ点もある。そして、日本の貨幣経済について書かれた『撰銭とビタ一文の戦国史』も思い出していた。

 好況の持続はすべての人の富裕化をもたらしたわけではなく、爆発的な人口増加によって貧富の懸隔が広がっていく。社会の巨大化、多様化に全く対応できない政府当局に代わって、医療・介護・救貧など民生を担ったのは、地域や血縁でまとまった各種の「中間団体」だった。

 19世紀に入ると、列強との交戦に加え、内乱が多発し、ついに清朝は倒れる。多事多端の最後の1世紀(多彩な登場人物!)の記述を読みながら、清朝はよく踏ん張ったなあとしみじみ思った。問題は清朝以後だ。世界に並立する「一国」として自立するしか生き残る道はないと考える知識人たち。しかし、チベット仏教世界(チベットとモンゴル)をどうするか。漢人世界さえも在地政権・軍閥の割拠が続く。近代の正解とされる「国民国家」にすぐ移行しない(できない)ところが、この国の歴史の面白さだと思う。最終的に、日本帝国主義という敵対者の出現を通じて国民国家「中国」が誕生する。本書は、さらに超特急で文化大革命から社会主義市場経済への転身を語り、現在の習近平体制に至る。習近平が掲げる「一つの中国」「中華民族」は、清朝の多元共存が失われて以来、中国にとっての見果てぬ夢であると感じた。

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冷たい懐かしさ/アイスの旅(甲斐みのり)

2020-07-27 21:55:47 | 読んだもの(書籍)

〇甲斐みのり『アイスの旅』 グラフィック社 2019.6

 旅行の予定が全く立たない日々なので、大型書店に行くと、旅やグルメの棚をぼんやり眺めている。本書は、品のよいお嬢さんのワンピースみたいな表紙の写真が気になっていたが、中を開けてみたら、全国各地の懐かしい・愛らしいアイスの写真が満載で、しばらく手元に置いておきたくて買ってしまった。

 いま、東京でアイスを買うとすれば、全国展開の菓子メーカーか、スーパーやコンビニのブランド商品がほとんどなので、こんなに多種多様なアイスが売られているなんて、思いもよらなかった。特に昔ながらのアイスキャンディー、製造販売している老舗が各地にあるのだな。弘前の相馬アイスクリーム商店、秋田・小松屋本店、福岡・ふくやなど、いつか行ってみたいし食べていない。少し前に見たテレビ番組で、大阪・北極のアイスキャンデーは「棒が斜めに刺してある」のが特徴(食べやすい)と言っていたが、本書の写真を見ると、棒を斜めに刺すタイプは少なくないみたい。

 このお店、この商品、知ってる!と思ったものは少ないが、一時、北海道に住んでいたので、雪印パーラーのスノーロイヤルはもちろん知っている。セコマ(セイコーマート)のソフトクリームも好きだったな。とうきびアイス(さくら食品)は、むかし東京でも食べたことがあると思っていた。そう、本書には「ご当地アイス」として紹介されているのだが、東京で食べたことがある、と思ったものがいくつかある。たとえば、井村屋(三重)のメロンボール。ぱかっと蓋を外せるメロン型の容器に入ったアイス。昭和47年開発だそうだ。林一二(大阪)の王将は、チョコ・バニラ・イチゴの三色が縦に並んだ板形のアイスキャンディー。王将という名前に覚えはないが、昭和42年の発売当時はフランスという名前だったそうだ。福岡・丸永製菓のアイス饅頭は、いまでも東京で見かけることがある。

 全体に駄菓子系のアイスが多いが、「東京で食べるアイス」として、資生堂パーラーと近江屋洋菓子店が紹介されているのは嬉しかった。近江屋のアイス!社会人になったばかりの頃、ご褒美みたいに食べてたなあ。北海道・小樽のアイスクリームパーラー美園が載っているのも嬉しかった。あまり考えたことがなかったのは、福島県小野町のアイスバーガーをはじめ、パンにアイスを挟んで食べるという発想。いや、悪くないかも。

 かなり多くの商品が、通販で購入できることには驚いた。でも、やっぱり旅先の出会いがいちばんいいと思う。旅に出て食べたいのは、まず高知のミレービスケットアイス。それと三重・御福餅本家のお福アイスマック。

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