日本裁判官ネットワークブログ
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 11月下旬から12月中旬にかけては,喪中の葉書をいただくことが多い。文面の多くには,両親や祖父母の永眠のために,年末年始の挨拶を遠慮したい旨が書かれている。私の父も数年前に75才で亡くなり,同様の葉書を出したことがあるが,その年には,実家や病院に帰ることが多く,いろいろ考えることが多かったと記憶している。おそらく,喪中の葉書を出された知人の方も同様かと推察する。

 ところで,そうした喪中の葉書の中に,時に子供さんをなくしたという葉書があることがある。これには,本当に心が痛む。両親や祖父母であれば,「生まれた順」と諦めもつくが,子供であれば,事情が全く異なる。両親の悲しみや嘆きはいかばかりかと思われる。私の亡くなった祖母は,「親より先に子が亡くなるほど,この世の親不孝はない。」と孫の私に言ったことがある。全くそのとおりで,子供さんを亡くしたという葉書をいただくと,いつも祖母の言葉を思い出すのである。今年の大河ドラマの主人公直江兼続も,子供達が次々と先に亡くなるので,夫婦で嘆きあう場面がドラマ中にあったが,知将で「愛」の字をあしらった兜で有名な兼続も,家庭的には最も「親不孝」なことに何度も会い,心を痛めていたのだろうかと思われる。子供が先に亡くなる原因にはいろいろあるが,自分も,最低限,親よりは長生きしないといけないと考えたりする。

 裁判の仕事は人の死と関係することが多い。刑事事件もさることながら,民事事件や家事事件も,人の死によって権利義務関係が発生,変更するので,人の死は法律的に重要な事象である。しかし,事件に関係するのは人間であるから,権利義務だけでなく,上記のような悲しみや感情が訴訟でも渦巻くことになる。私の担当している民事事件には,交通事故で,子供さんを亡くしたという事件がときおり見られ,相続人である両親の気持ちを察し,喪中の葉書と同様の思いをもつことがある。両親の思いは同じではあろうが,一人息子や一人娘を亡くしたとなるとなおさらである。もちろん,暴走気味で子供さんの過失が重い場合と,居眠運転による追突被害などで子供さんの過失がゼロの場合で,感じることは同じではないのであるが・・・。ただ,日常の感覚は,持ち続けながら裁判の仕事をしなければならないと常々思う次第である。

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