先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

FDA機 放水で歓迎 帯広にチャーター便

2022-05-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞04/30 20:57

消防車による放水で歓迎されるFDA機(加藤哲朗撮影)
 フジドリームエアラインズ(FDA、静岡市)が運航する静岡空港発のチャーター便が30日、帯広空港に到着し、歓迎セレモニーが行われた。FDAは帯広と本州3空港を結ぶチャーター便を4月29日から5月4日まで計8便運航する。
 30日は着陸したFDA機に向かって消防車が放水でアーチを作り歓迎。空港ビルでは、とかち観光誘致空港利用推進協議会の関係者が乗客29人を迎えた。帯広カムイトウウポポ保存会はアイヌ民族の古式舞踊を披露し、乗客は手拍子をして楽しんだ。名古屋から2泊3日のツアーで訪れた鈴木忠生さん(66)は「知床五湖や摩周湖などを見るツアー。初めての道東を満喫したい」と語った。
 FDAは2011年から8月など需要が多い時期に帯広空港へのチャーター便を飛ばしている。今回は静岡、名古屋、広島から到着便計7便と、帯広から広島に向かう出発便1便を運航する予定。(石井純太)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/676113

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<帯広十勝>十勝の先人を知る 小久保友香

2022-05-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞04/30 05:00
 十勝版金曜夕刊「ぶらっ十勝」の取材で、十勝管内の観光地や施設を巡っている。碑や建造物について調べるたびに新たな発見があり、歴史のおもしろさを感じている。
 何より、十勝にまつわる魅力ある人たちを知ることができて楽しい。晩成社幹部の鈴木銃太郎と、和人で初めて音更町に定住した大川宇八郎は、アイヌ民族に慕われながら開拓に従事した。差別意識なく、それぞれが知恵を絞って道を切り開いた人に心引かれる。
 帯広出身の歌人、中城ふみ子は奔放な恋愛をしてきたのかと思えば、素直に人を愛し、31字に思いをこめたチャーミングな若い女性だった。
 深く調べなければ、「何々をした人」という一文だけで、その人への認識は終わっていただろう。史料を開けば、日々の取材と同じようにすてきな人たちに出会える。これからも人としての魅力を伝えていきたい。次は誰について調べようか。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/675979

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「白老の衣服文化」 ルウンぺをめぐる物語

2022-05-01 | アイヌ民族関連
NHK2022年4月29日(金)午後2時58分 更新
白老町のウポポイにある国立アイヌ民族博物館で、特別展「白老の衣服文化展」が開かれている(2022年3月15日~5月15日)。地域という視点でアイヌ文化を見る試み。展示を企画したウポポイの地元、白老町出身の学芸員・八幡巴絵さんに取材しました。
初回放送:0755DDチャンネル 2022年4月30日(土)あさ7時55分~ 総合テレビ
「はじめて」の企画展
国立アイヌ博物館で「はじめて」の企画展が開催されている。タイトルは、「白老の衣服文化」。アイヌ文化のシンボル的な存在、木綿の着物ルウンぺについての特別展だ。

博物館2階の特別展のスペースには、31着のルウンぺが展示されている。いずれも白老の人たちが作ったり、所有していたもの。白老という一地域に視点をしぼることで、デザイン、素材、担い手にじっくり視線をおくり、アイヌ文化の地域ごとの独自性・多様性を探るのが、この特別展の最大の特徴であり、この博物館で「はじめて」の試みだ。
白老アイヌ出身者による白老アイヌの文化展
特別展「白老の衣服文化」を企画・提案したのは、アイヌ民族博物館の学芸員で、白老アイヌ出身の八幡巴絵 学芸主査だ。
展示をルウンぺに絞りこんだ理由について八幡さんは―
「自分のまわりに、衣服制作に対して、プライドを持っている方が多かったのが大きいです」
こう話す八幡さん自身は、大学時代までは、アイヌ文化にそれほどこだわりはなく、担い手になることを考えたこともなかったという。
大きな転機になったのは、大学生の時に訪ねたハワイでの、先住民族との交流研修だった。自分たちの文化に誇りを持っている彼らの姿と自分を比較して、大きなショックを受けたという。
「現地の先住民の若い子たちがはつらつとして伝統の歌を歌っているのをみて、当時の自分の地元とは全然違うなって。アイヌの歴史はどんなものなのか、それに対して自分がどう思っているのか、聞かれても全然答えられない…」
~人に期待するんじゃなくて自分自身が頑張らなきゃだめだなって~
就活も途中でやめ、北海道の歴史と文化の授業を選択し直し、学びなおした。
ウポポイの前身、白老ポロトコタンの旧アイヌ民族博物館で、学芸員として働くようになり、アイヌの生業などをテーマに研究をしてきた。
いま、アイヌ的なものを普段の生活にどう落とし込むか、考えている。新車の納車をカムイノミで安全祈願した。「おかげで無事故ですね」と笑う。
白老的なものとは
八幡さんは今回の展示で、江戸末期から現代までの白老のルウンぺを辿ることで、地域の中で、どう文化が引き継がれてきたのかを表現している。
取材チームが注目したのは、まずは白老的なものの変化。
白老的なデザインとして引き継がれてきたのが、テープ状の布を使った紋様。江戸時代末期のルウンぺにはそれがよく表れている。
一方で、明治の終わり頃のルウンペには、布を切り抜いて縫い付けた模様が施されている。これもまた、白老的な技術なのか。
このルウンぺを作ったのは、八幡さんの高祖母にあたる、上野ムイテクン(1872-1964)。ここ数年の聞き取り調査で、ムイテクンは、日高の出身であることがわかった。
つまり、ムイテクンは、日高からあらたな技法、「布を切って縫い付ける方法」を白老に持ち込み、やがてそれも、白老的な技術として引き継がれることになったと考えられる。
八幡さんは、聞き取り調査で、この結論がもたらされる前から「予感」があった。それは、かつて、ムイテクンの音声資料を聞いていたときだ。白老アイヌにないことばがあることが不思議だった。
国立アイヌ民族博物館学芸員 八幡巴絵さん
「思ったより人の移動があったんだなって。色んな地域から、人と技術が白老に集まって、独自の文化ができていったんだなと思いました」
ユニフォームになったルウンぺ
特別展では、ルウンペ作りの担い手が、かつての家族単位から、地域単位に変化していく様子も展示している。それにはウポポイの前身である白老ポロトコタンが大きな役割を果たした。
かつて巨大なコタンコロクル像が人々を迎えたポロトコタン。訪問した人々は、踊りの舞台の上だけでなく、ポロトコタンの中を行き来する、ルウンペを身につけたアイヌ文化の伝え手たちとすれ違った。ルウンペはユニフォームとしての役割を担った。
展示で紹介されているユニフォームとしてのルウンペ(1980年代)は、個人が作ったルウンペを手本にして大量に作られたものだ。
もうひとつの初めて
八幡さんたちは今回の展示の一角の壁一面を掲示板にしている。
このスペースは、展示を見た人たちが感想や質問を書き込んだ用紙を張り出していて、気づきを共有できるしかけだ。
「会期の半分くらい過ぎたあたりで、壁一面になって、驚いています。実際に衣服を制作した人から、その思いを書いたメッセージもあります。そういった生の声がとても大切だなって思います」
寄せられた質問に対して、八幡さんは用紙いっぱいに返事を書いていた。
その返信は、質問と隣り合わせに貼り付けられ、こうしたコミュニケーションも、展示の一部として受け取って欲しいという。
対談イベントでさらに深く
大型連休中の5月4日(水・祝)午後1時30分~、長年、アイヌの衣服を研究してきた岡田路明さん(元・苫小牧駒澤大学国際文化学部教授)と、八幡さんのトークイベントが開かれる。
岡田さんは、八幡さんの恩師にあたる研究者で、1965年以降行ってきた調査・研究と、白老ポロトコタンでの衣服づくりなどについてをテーマに紹介予定。
※事前予約が必要。詳しくは国立アイヌ民族博物館のHPで。
地域の人たちの助けを借りて
国立アイヌ民族博物館学芸員 八幡巴絵さん
「今回の展示では、衣服そのものだけでなく、その制作者や着用者のこともひとつひとつ話を聞きに行ったりする中で集めていきました」
白老でアイヌ文化はどのように形成され、新たにどう創造していくのか。地元出身の学芸員が、「当事者」として受け止めた、地域の「文化伝承のさま」を形にした。
国立アイヌ民族博物館学芸員 八幡巴絵さん
「先輩方の蓄積や地域の制作者たちの協力があってできました。伝統的なものづくりを突き詰める人にとっても、新たなものつくりをする人にとっても、参考になるようにたくさんの資料を準備したのが、今回の熱量なんです」

話す八幡さんの笑顔に、アイヌ文化の伝え手としての充実感を感じた。
取材・撮影 山口琉歌 札幌放送局
千歳市で、アイヌ民族伝統の丸木舟「チㇷ゚」が28年ぶりに制作されました。
https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles/slug-nd87d4c976710

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失われた民俗祭祀映像 後世へ残す㊦ カムイの国へ「イオマンテ」映画封切

2022-05-01 | アイヌ民族関連
IZA2022/4/30 13:00

北村皆雄監督「チロンヌプカムイ イオマンテ」より。撮影から36年を経て公開された
北海道の先住民族、アイヌを象徴する祭祀(さいし)。イオマンテの秘蔵記録を映画化した「チロンヌプカムイ イオマンテ(キタキツネの霊送り)」が30日、封切られた。大切に育てたキツネをカムイ(神)の国へ送り還(かえ)す儀式の映像は、幻想的な風景と叙情のなか、衝撃的なシーンも目に飛び込んでくる。それは、他者の命をいただかなければ生きてゆけない、人間の業と信仰の対照。普遍的な葛藤が胸に迫る。
漫画「ゴールデンカムイ」人気も後押し
動物は肉や毛皮をみやげにして、神の国から人間の国へやってくる。その信仰に基づき、狩猟で得た野生動物の子を生かし大切に育てる。数年後、コタン(集落)をあげてウポポ(歌)やリムセ(踊り)を奉じ、神の国へと霊を送る。
イオマンテの舞台は昭和61年の北海道、雄大な屈斜路湖(くっしゃろこ)を臨む美幌(びほろ)峠だ。当時75歳の故・日川善次郎エカシ(長老)が、わが子同様に育てたキツネ、ツネ吉の霊を司祭として送る映像。森と湖、神秘的な霧に包まれ、ツネ吉の一人語りのナレーションで物語が進む。大勢のアイヌが見守る峠の広場。全霊を込めた歌舞奉納が続いた後、花矢がツネ吉を射る。切り離された頭部がイナウと呼ばれる供物とともに、高々と祀(まつ)られた。思わず目を覆うが、「これがイオマンテ。カットの選択肢はなかった」と北村皆雄監督(79)。
祭祀後、肉は食べられ毛皮も活用された。映画倫理機構の審査でも問題視されず、年齢制限のない「Gマーク」指定となった。
36年を経て映画化された背景には、アイヌ文化への関心の高まりがある。
明治末期のアイヌ少女が活躍する冒険漫画「ゴールデンカムイ」(集英社)は既刊29巻シリーズ発行1900万部超という大人気。4月28日、8年に渡る連載が完結したが、実写映画化が決まり都内で展覧会も始まった。また一昨年開館した、国立アイヌ民族博物館を核とする「ウポポイ」は北海道名所になっている。
北村監督の映画は東京都中野区のポレポレ東中野で封切られ、大阪、名古屋、横浜での巡回上映が決定した。ゴールデンカムイの監修も務める中川裕・千葉大名誉教授が2年をかけて、膨大なアイヌの祝詞に現代日本語訳をつけている。
「正確な意味が判明し、エカシがとても注意深く、謙虚な言葉で祈っていたことに改めて感動した」と北村監督。「古い映像に現代の知見を照し、新たな発見が生まれる。民俗映像に賞味期限はないんですね」
「家畜ではない。カムイからの預りものとしてかわいがって育てて、最後、食っちまう感覚。和人には理解されないだろう。あの映画を見て、アイヌへの謎が深まるんじゃないか」
アイヌの踊りを子供らに教える20代当時の姿が映画に登場する、秋辺デボさん(年齢非公表)が試写を見て語った。阿寒湖畔のコタンで木彫り民芸店を営む、アイヌ文化を伝えるリーダーの一人だ。「人間は動物の命を奪って生きている。その苦しみ。ごめんよという気持ちが、エカシの祝詞に随所に出てくる。映画には死んだ先輩もたくさん映ってるし、涙なしでは見られなかったよ」
自身も約10年前。飼っていた子熊のイオマンテを試みた。無理だった。「頭が良くて感情の交流が深い。かわいいんだぞ。胸がつぶれる。でも、イオマンテはアイヌの信仰と命の本質。必要ないとも思わない」
その葛藤はデボさんも出演し、海外映画祭で賞を受けた一昨年公開の映画「アイヌモシリ」(福永壮志監督)の下敷きにもなった。
「21世紀なんだから、それなりのアイヌでいいんじゃないか。在り方を模索する時期にきている」とデボさん。漫画や映画の影響もあり、アイヌの若者意識も変わったという。
「オレたち昭和世代は、差別への反発から民族意識に目覚めたけど、今は文化がカッコイイからやりたいって。屈託なくポジティブ。いい時代になったよね」
誇りを育み、偏見を正す。固有の文化を活写した民俗映像がもたらす力は、史料価値を超えて大きい。(重松明子)
https://www.iza.ne.jp/article/20220430-UHOFD635VVMJJKRYAAXAFHWOYM/

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4月30日

2022-05-01 | アイヌ民族関連
新潟日報2022/4/30 9:00
 アイヌが隠した金塊を巡る争奪戦を描いた、野田サトルさんの人気漫画「ゴールデンカムイ」が連載を終えた。本県出身という設定の主要キャラクターも複数いて、県内での人気も高かったはずだ
▼物語の舞台は明治末期。登場するアイヌは誇り高く、自然の中で暮らすことにかけては和人を圧倒する。彼らの文化や習俗も丁寧に描き、専門家からも評価された。日本とロシアのはざまで苦悩する、アイヌら北方の少数民族の姿も浮き彫りにした
▼アイヌと同様に沖縄の人々も独自の習慣や文化を有する。本紙で「ウチナー評論」を連載する作家の佐藤優さんは父が東京出身、母が沖縄の久米島出身で「日本人と沖縄人の複合アイデンティティーを持つ」と記す
▼ただ、基地問題のように日本と沖縄の利益が対立する場合は「躊躇(ちゅうちょ)なく沖縄人を選択する」と断言する。以前のコラムには沖縄人としての複雑な思いを書いていた。大田昌秀元沖縄県知事の県民葬を迷った末に欠席したという
▼中央政府の幹部が遺影の前で「あなたの遺志を受け基地負担軽減に努力する」と話すことが予想された。欠席を決めたのはそんな表面だけの言葉に我慢できず、不規則発言をしてしまうことを恐れたからだとした
▼アイヌや沖縄人のように少数派として日本で暮らす人々がいる。そうした人々の思いを日本人は深いところでは理解できない、と佐藤さんは指摘する。私たちは少数派のことを何も知らない-こう考えることから始める必要があるのだろうか。
https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/57046

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「愛国心やナショナリズムは危険だ」という大誤解 ウクライナ問題で露呈、「大人の道徳」なき日本

2022-05-01 | アイヌ民族関連
東洋経済4/30(土) 6:11
ロシアによるウクライナ侵攻に伴う混迷は、深まる一方だ。グローバル化が進んでいたはずの世界はかつての冷戦期さながらに色分けされ、互いの「不正義」を糾弾し合う。そのような中、欧米諸国と歩調を合わせるばかりの日本の対処方針は、過去の有事で繰り返された泥縄そのもので、戦後70年を超えても、国家として主体性を持つ「大人」になり切れていないのではないか。こうした現状を打破するには、どのような思考が必要か――。『大人の道徳: 西洋近代思想を問い直す』著者の古川雄嗣氏と、中国思想・日本思想研究者の大場一央氏がオンラインで対談した。両氏の熱い議論の第1回(全2回)をお届けする。
■帝国主義 vs ナショナリズム
 古川:今回のウクライナ戦争に関する報道をみていて、私は主に2つのことを感じています。
 1つは、あえてナイーヴな言い方をしますが、祖国防衛のために戦うウクライナ市民の勇敢さに感じ入ったところがあります。もちろん、その裏にはロシア軍による「虐殺」として報じられている悲惨な状況もありますが、それについてはあとで触れます。
 ともかくも、ロシアの侵攻に対して丸腰の市民でさえ立ち向かおうとする姿には、先に出版した『大人の道徳―西洋近代思想を問い直す』でも強調した、いわゆる共和主義的精神の発露をみるような思いがしています。
 ここでいう共和主義というのは、「公の事柄(レス・プブリカ)」に対する市民の積極的な参加を重視する考え方で、そこには「共和国(リパブリック)」の自由と独立を守るために、市民は時として武器をとって戦わなければならない、ということも含まれます。これは戦後の日本にもっとも欠けている考え方だと思います。
 あともう1つは、今回の戦争は、おおまかにいえば帝国主義とナショナリズムの戦いであるということです。ナショナリズムをどうとらえるかということも、日本人は問い直されていると思います。
 大場:『大人の道徳』で提示された議論に引き付ければ、この問題は異なる歴史意識・世界観の戦いと言えるでしょう。中国思想史で「帝国」を定義する場合、民族や地域共同体などで培われた、固有の感覚や常識を超越するイデオロギーを提示し、それを破壊する存在、と考えられます。そうした意味で、帝国は地域に根ざすナショナリズムと対立関係になりますね。
 それをロシアに当てはめれば、ウクライナだけでなく、ソ連時代のフィンランドやポーランド、アフガニスタンへの侵攻など、「共産主義」「スラブ」「ロシア」などの観念を覆い被せて、固有の価値観を破壊、吸収しようと振る舞う帝国としての性格を持つことは明らかです。
 古川:日本の学者や知識人のなかには、愛国心やナショナリズムは危険だ、悪だと思い込んでいる人が、いまだに多いようですね。そんなイデオロギーはとっくに前世紀で終わったものと思っていたのですが、どうもそうでもないようです。
 最近も、私の学生が論文のなかで「自由で民主的な社会を作るには一定のナショナリズムが必要だ」という、ごく平凡な主張をしただけで、審査委員の教授からやたら感情的な批判を浴びて、話になりませんでした。「ナショナリズム」という言葉を聞くだけで、反射的に拒絶反応を起こす人が、まだ一定数いるんですね。
 そういう人たちは、ロシアに抵抗して戦っているウクライナ人のことも、「危険なナショナリスト」だといって糾弾するのかと問いたいです。
■ワイドショーをにぎわした「奴隷」たち
 古川:それにも関連しますが、日本のワイドショーやメディアでは一部のコメンテーターが「ウクライナ政府は早々に降伏すべきだ」と主張して炎上騒ぎになっていたようですね。
 彼らがいうには、「国家の戦争で市民が犠牲になるべきではない」と。たしかに、最近の悲惨な虐殺の報道をみていると、そういいたくなる気持ちもわからないではありません。けれども、考えるべきなのは、そもそも近代国家において「国家の戦争」と「市民の犠牲」を分けて考えることができるのかということです。
 近代国家の基本的な論理は、国家の主体(主権者)は市民であるということです。だから当然、国家の戦争はただちに市民の戦争でもあります。「戦争は政治家や軍隊だけがやればよい。市民は関係ない」というのは「戦争は王や王の軍隊だけがやればよい。庶民は関係ない」という中世国家の論理です。
 「政治の主体は市民だが、戦争の主体は市民ではない」などといった論理は成り立ちません。市民の主体性を否定するなら、それは民主主義の否定ですよ。
 大場: 国家や社会の運営に主体的に参加せず、自身の身体的快楽を満たすために、経済的利潤を追求してばかりの人々と言えるでしょうか。『大人の道徳』で古川先生が厳しく批判された「奴隷」そのものでしょう。
 古川:彼らの主張は、戦後日本の思想界や社会科学を支配してきたイデオロギーを端的に露呈させていると思います。それは、「国家は市民社会を外部から統治する権力機構であり、したがって国家と市民社会は対立する」という考え方です。
 さらにその背景には、「戦前の日本では一部の狂信的な政治家や軍部が始めた誤った戦争に国民が巻き込まれた。国民は国家の犠牲者であり、アメリカがそれを解放したのだ」という、戦後アメリカが喧伝した歴史観があります。
 市民が国家に支配される無力な犠牲者でしかないのであれば、いつまでたっても市民は国家の政治的主体として自立することはできません。戦後日本に民主主義が根づかない、いちばんの原因は、この「アメリカの物語」だと思います。
 大場:あのような言説に対し、江戸時代に荻生徂徠や会沢正志斎ら錚々たる儒学者が説いた「武士土着論」を対比させるとはっきりと問題が見えてきます。
いま、産経新聞(大阪本社版夕刊)で『日本の道統』という連載を担当していまして、その中でも触れたのですが、大まかに言えば、この議論は、地域共同体を主力に、足腰の強いナショナリズムを構想しようとした際、理論的なバックボーンとして機能していたものです。天皇に対する忠誠心をかきたてて、一気に「日本」という中央集権国家を志向する観念的なナショナリズムとは対照的な発想です。同じ「愛国心」といっても、両者の想定するものの間には深い断絶がありますね。
 今回の件であれば、ウクライナの人々からは、土地に対する愛着を基盤としたナショナリズムの影を見ることも不可能ではありません。しかし、あの類のコメンテーターからは、たとえ彼らが「愛国心」を打ち出したとしても、抽象的な「日本」といったイメージに対する愛着は認められても、一人一人の生活や、思い出を投影した具体的国土への思いはなかなか見えてきませんね。だから平気で降伏しろなんて言えるのでしょう。
 しかし、ロシアは歴史的に土地を奪ったら絶対に返さない国です。故郷を失うということは、自分自身のアイデンティティを失うことを意味します。ゼレンスキー大統領も英誌『エコノミスト』のインタビューで「ここがわれわれの家であり、土地である」と抵抗への強い決意を述べていますね。こうしたことがわかっていないのではないでしょうか。
■ナショナリズムの再評価
 古川:帝国主義とナショナリズムという観点についていうと、そもそもこの両者が混同されているという思想状況があると思います。たしかに連続する面もあって複雑ですが、原理的には、帝国主義はナショナリズムを破壊するものであり、両者は本来、対立するものです。
 わかりやすい例でいうと、日本の左翼は総じて、戦前の日本の帝国主義とナショナリズムを、もろともに批判しますね。ところが彼らは、朝鮮の三一独立運動など、植民地側の民族主義運動は肯定的に評価するわけです。それは要するに、「台湾や朝鮮のナショナリズムはけっこうだが、日本のナショナリズムはダメだ」といっているにすぎない。明らかにダブルスタンダードなんですよ。
 彼らは帝国主義に抵抗するナショナリズムを肯定しているわけですから、はっきりと「自分はナショナリストだ」といわなければならないはずですし、日本のナショナリズムだって正当に評価しなければならないはずです。
 大場:例えば半島統治時代、ハングルなど文字の体系化に朝鮮総督府が果たした役割は大きいですね。また、先の大戦も〝表看板〟はすべての民族が西欧化されるのを防いで、固有の文化に立脚して独立することを目的にしました。世界を見ても、古くはフランスのナポレオンが、すべての民族がそれぞれの国で市民革命を起こして独立し自由になる、としてナショナリズムを〝輸出〟し、ベトナム戦争も英米型の資本主義で分断され、均質化された民族の伝統・文化を社会主義によって取り戻すためのものだった、と言えます。帝国主義とナショナリズムに相互補完的な要素がある点が、理解を複雑にしているでしょう。
 古川:多様な文化・伝統を大事にするといっても、それだけなら果てしない分裂しかもたらしません。これがいわゆる多文化主義が陥った状況です。だから今日の多文化主義者たちは、むしろ国民の共通文化の創出や共通言語の教育を重視するナショナリズムの方向にシフトしてきています。それをも同化主義だというなら否定はしませんが、それなくして国家は成り立ちません。
 ある程度の同化主義的な側面ももちつつ、同時に多様な文化的アイデンティティを保障する、という両面で考えていくしかないと思います。そうすると、「多様な民族的・文化的な集団が、同じ一つの国を作っている」という意識を、ある程度、人為的に創り出していく必要があります。そのときに、「歴史」をどう語るか、つまり大場先生がおっしゃった「歴史意識」という問題が、決定的に重要になると思います。
■「アイヌは存在しない」という「逆張り保守」
 古川:ところで、大場先生は札幌のご出身で、私も大学の教員として旭川に7年ぐらい住んでいます。北海道に縁がある2人としては、歴史意識を論じるうえで、アイヌの問題は避けられないですね。最近、一部の「保守」と称する人たちが「アイヌは存在しない」などと主張しているそうで、困ったものだと思っているのですが、大場先生はどのようにみておられますか。
 大場:北海道の地名一つとってもアイヌ抜きに考えることは無理ですからね。確かに松前藩などにいた「内地人」と狩猟民族であるアイヌは生活文化や価値観が大きく違ったでしょう。しかし、幕末の探検家、松浦武四郎の著書『アイヌ人物誌』では、日露雑居の樺太にいるある民族が「私たちは皇国の民だから、日本に帰属したい」などと訴えたエピソードを記すなど、同じ日本人であるという理解をしながら生きようとした姿も描かれている。もちろん、場所請負制のもと奴隷のように扱われたケースもある。良い話、悪い話両面あって、「北海道」は形作られてきた。それが日本と北海道を語るうえで欠かせない歴史意識でしょうね。
 古川:プーチンはすでに2018年に「アイヌ民族をロシアの先住民族に認定する」という意向を表明していますから、今回のウクライナ侵攻と同じ論理で、「アイヌ民族保護」を名目に北海道に侵攻する可能性も否定できないでしょう。にもかかわらず、日本がアイヌを排除していたら、ますますその名目に正当性を与えることになってしまいます。そういう観点からも、まずいと思いますね。
 大場:アイヌに限らず、異なる価値観の民族を内に含みながら、日本という国を、確固とした価値観で成立させなければなりません。異なる価値観を無視すると「日本民族は他民族を抹殺する」と左翼に利用されるだけです。そのカウンターで例えば「アイヌは左翼で反日だ」などと世界観を逆張りするだけの集団が「保守」を謳っている状況も危うい。ただ、いわゆる「つくる会」運動以降の主流は、逆張り保守になっているような気がしてなりません。
■「歴史学」が「歴史意識」を破壊する
 古川:しかし、いまの若い世代と話していると、歴史をどう語るかという問題以前に、そもそも歴史意識そのものというか、自己の存在を歴史においてとらえるという観念そのものが、もう根本的になくなってしまっているような感じがします。
 たとえば、私の大学の学生はほとんどが北海道の出身ですが、彼らは自分のルーツも全然知りませんし、当たり前のように「日本は単一民族国家です」というんです。
 大場:う~ん。『わたしたちの札幌』とかで郷土史をやったはずなのに……。
 古川:君たちは学校でアイヌのことを教わらなかったのかと聞くと、はじめて「ああ、そういえばそうでしたね」と。もう自分には何の関係もない話になってしまっているんですね。
 大場:それは「歴史学」のあり方も影響しているかもしれませんね。膨大な史料をもとに、通説の「事実」をひっくり返していく学問上の仕事は、確かに刺激的です。ただ、思想を専門に研究している私としては、「事実はこうだった」と言われたところで、「だから何なの」となってしまう。むしろ、私が私自身を、そして世界を考える時に、過去はどういう意味を持ち、将来にどのような価値を示してくれるか、ということを期待しています。
 例えば、『三国志演義』はしばしば「作り話で、事実でない」などと評されますが、あの作品の主題は、事実の提示ではなく、世界観をどう持つかということでしょう。司馬遷の『史記』でも色濃く出ていますが、何を善とし、悪とするのか。そして世界はどう動かすべきかという物語の提示が目的ですね。「物語」というとフィクション、おとぎ話のように聞こえますが、歴史という素材を加工し、ストーリーを作りながら、思想を表明しています。全知全能の神でない限り、すべての「真実」を並列して語ることは不可能でしょう。歴史意識をつむぐ物語は、そうした限界を前提に、世界をどう見るのか、どう生きるのかを示そうとするものだと思いますね。
 古川:まったくおっしゃるとおりです。ナショナリズム研究者のアンソニー・スミスも典型的な例として挙げていますが、たとえばスイスの英雄、ウィリアム・テルの物語を知らないスイス人はいません。しかし、では彼は本当に息子の頭上のリンゴを射抜いたのかといえば、もちろんそんなのはフィクションに決まっていますし、そもそも歴史学的には彼の実在さえ証明されていません。
 しかし、そんなことはどうでもよいわけです。ウィリアム・テルの物語が重要なのは、それが、不当な支配には断固として抵抗するとか、祖国の自由と独立のためには命懸けで戦うとかといった、スイス人の共和主義的な国民的価値を表現しているからです。
 歴史の諸事実を客観的に明らかにすることは、学問としての歴史学の大事な仕事ですが、それとは別に、歴史をいかに語るかという思想的な問題も同時にあります。歴史学と歴史認識、あるいは歴史教育は、異なる次元の問題なのに、歴史学者の多くが、もっぱら歴史学が語る歴史だけが歴史だと思っているのは大きな問題ですね。
■「プロレス」としてのナショナリズム
 古川:歴史をどう語るかという問題において重要なのは、「フィクションか、フィクションでないか」ではなくて、「どのようなフィクションを語るか」です。歴史は物語られる時点ですでに本質的にフィクションなのですから、それをフィクションだといって批判したって何の意味もありません。
 これはまさにナショナリズムの問題です。大場先生と私は同世代ですが、ちょうど我々が学生の頃、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』が流行って、日本の知識人はこぞって「ネイションなど想像の産物にすぎない」と、そのフィクション性を批判していましたよね。
 大場:鬼の首でも取ったかのようにね。
 古川:そうそう(笑)。あれほどバカバカしい言説もなかったと思います。
 アンダーソンがいいたかったのは、ネイションは想像力――私は「構想力」といったほうが適切だと思いますが――の産物であるがゆえに、むしろ強いリアリティをもつということです。
 最近、ある政治学者と話していておもしろかったのが、ナショナリズムというのは、いわばプロレスみたいなものだ、という話です。
 子どもは、リアルに殴り合っていると思ってプロレスに熱狂しますよね。ところが、少々知恵がついてくると、「あんなのはショーにすぎない」などと小賢しいことをいって、熱狂している子どもをバカにするやつが出てくる。
 けれども、大人になると、プロレスがたしかに一種のショー、つまりある意味ではフィクションであることを理解したうえで、しかしそのフィクションを命懸けで真剣に演じるところにこそ、プロレスの本当の魅力があることがわかってくるわけです。大人はそのへんのことを全部わかってプロレスを楽しんでいるのに、それを「リアルな格闘じゃない」などと批判して、いい気になっているやつこそが、実はいちばん子どもなんですね。
 ナショナリズムもまさにそうで、ナショナルな物語を文字どおりの真実として信じ込むのはたしかに子どもですが、それをフィクションにすぎないなどと批判して知的ぶっているのは、もっと子どもです。フィクションをフィクションと知りつつ、あたかも真実である「かのように」真剣に引き受ける、というのが「大人」の態度ではないでしょうか。
 そういう意味で、私の『大人の道徳』の続編は、『大人のナショナリズム』にしようと思っています(笑)。
■歴史と思想がもつ「力」
 大場:おっしゃるとおりだと思います。「フィクション」というと、嘘だと思って拒否反応を示す人がいるかもしれませんが、そうではない。たとえば祖父母や父母の話を子に伝える時、立派なエピソードや仕事の話をして、子どもが楽しんだり憧れたりします。そこで自分もそうした人になりたいと思って向上するものであって、わざわざどうしようもない性格や失態を話しません。これはある意味「フィクション」ですが、嘘ではない。「あいつもこいつもただの人間だった」では、「自分がこうなのも仕方ねえや」で進歩がない。こんなものは文明ではなく、祖先も親もなく、ただ生まれて死んでいく動物と同じです。やはり人間が文明を作り、進歩するには物語が必要なのです。
 そうした意味で今必要なことは、「自由と民主主義を奉じる世界の人々の連帯の表明」といった構図ではなく、われわれ自身の歴史意識に立脚しつつ、ウクライナの問題も同時に語ることができる物語です。
 フィンランド、ポーランド等々、ロシアという帝国の圧迫を受け続けてきた国々は数多く、日本も千島列島や樺太での一件を踏まえればその一員です。今回はたまたまウクライナでしたが、北方領土、北海道への侵攻も、絵空事ではない。「共同体を破壊してくるロシアという帝国から守るために、国境を接する国々は連帯して抑え込まなければならない」、といった主体的な構図が求められていると感じます。歴史や思想がリアルポリティクスのうえで意味を持つのは、このような視点を示せるからでしょう。
 古川:何しろロシアではプーチン自身が歴史の論文らしきものを書いて物語を作っていますからね。人文・社会科学、なかでも歴史や思想は、良くも悪くも現実の世界を動かす力をもっているということを、日本の政治家はもっと認識するべきです。最近は中国も哲学研究や思想研究に相当力を入れているらしいですね。
 かたや我が国の政治家は、大学を「稼げる大学」にするのだとか息巻いているようなありさまですから、今後ますます、歴史、哲学、思想などは「稼げない」研究として大学から締め出されていくでしょう。おっしゃるとおり、国際社会からも蔑まれることになるでしょうね。
 (後編に続く)
https://news.yahoo.co.jp/articles/7b486c1f784795c137574940f1e9a5443d04460e

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