読売新聞2022/05/18 05:00


※松本拓也撮影
アイヌ文化 美術で知る
ウポポイ(民族共生象徴空間)が一昨年オープンするなど、近年、アイヌに対する関心が高まっています。道立近代美術館でも継続的にアイヌ文化に関連した展覧会を開催しています。長年にわたって、アイヌ絵やアイヌによるアートなどを研究してきた同館の五十嵐聡美・学芸部長(58)に、その魅力や今後の取り組みなどについて聞きました。(聞き手 読売新聞北海道支社長 稲葉光秋)
◆木彫 力強く
稲葉 道立近代美術館で11月に砂澤ビッキ展が予定されています。ビッキはますます評価が高まっていますね。
五十嵐 造形表現が泉のように湧き出て、すさまじい集中力で様々な作品を彫り続けた木彫家でした。作品から伝わってくるエネルギーに、いつも感動しています。
稲葉 どんな作品を紹介する予定ですか。
五十嵐 ビッキは、画家としても才能を発揮しました。何枚ものわら半紙に裸婦のスケッチを描き続けた「裸婦千体」という作品もあります。そのとどまることを知らない創造力を紹介したいですね。
稲葉 今後予定されている藤戸竹喜さんの展覧会にも関わっているそうですね。
五十嵐 藤戸さんはもともと木彫りグマ専門の職人でしたが、あるとき、依頼を受けて観音 菩薩
ぼさつ
像をいきなり彫るんです。それ以後は様々な動物や人物像を彫って、世界を広げていきました。写真を見ながら彫ったように見えますが、頭の中に立体的なイメージができ上がると、そのまま彫れてしまうんです。すでに木の中に形はあって、余計なものを取り除いていけば、それがオオカミやクマになるとおっしゃっていました。
稲葉 すごいですね。
五十嵐 亡くなる前年の2017年に、札幌芸術の森美術館で藤戸竹喜展が開催されました。作品の返却に伺ったとき、83歳だった藤戸さんが「次は90歳のときに展覧会を開きたい」とおっしゃったんです。再来年が90歳の年ですので、何とか約束を果たせたらと思っています。
◆和人目線の絵
稲葉 それはぜひ実現するといいですね。五十嵐さんはアイヌの作家だけでなく、 夷画
えぞえ
(アイヌ絵)についても関心をお持ちですが、夷画とはどのようなものですか。
五十嵐 江戸時代の18世紀に、和人の絵師がアイヌの生活風俗を描いた絵が流行しました。それが夷画です。戦後はアイヌ絵として、博物館などでかつてのアイヌの暮らしを紹介するために使われるようになりました。でも、よく見ると「おかしいな」と思うところがあるんです。
稲葉 変だと思われたのはどんなところですか。
五十嵐 例えばイクパスイ(捧酒箸)という長さ30センチほどの祈りの道具が、絵の中では妙に大きかったり小さかったりするんです。「ちゃんと見て描いていないんだ」と次第にわかってきて、こうした絵が生まれた背景を読み解く研究を続けています。
稲葉 見て描いていないと思う作品は、ほかにもありますね。
五十嵐 松前藩家老だった 蠣崎波響
かきざきはきょう
の「 夷酋
いしゅう
列像」がその代表です。描写が細密で色彩もきれいなので、一見リアルに見えます。でも、人物表現やポーズ、衣装は想像だと思います。松前藩は、こんなに力があるアイヌ民族を支配しているんだということを誇示したかったのでしょう。
稲葉 ほかに注目する絵師を挙げるとすると?
五十嵐 18世紀に活躍した小玉貞良は、最初にアイヌ絵を多く描いて普及させた人物です。ただ、事実を確かめて描くのではなく、自分の知っている範囲でそれらしく描きました。女性が子グマを背負っている絵がありますが、これは大きなカエルを背負った「 蝦蟇
がま
仙人」の絵を流用したものだと思います。アイヌの女性が子グマを懐に抱いて養育することは実際に行われていましたが、描く際の手本がないので、既存の絵を引用するしかなかったのでしょう。
稲葉 小玉貞良の絵の評価はどうなんですか。
五十嵐 美術的には二流、三流と言われるかもしれませんが、歴史資料としては一級品です。アイヌ絵が江戸時代になぜ描かれたのかということも、当時の社会のありようを伝えています。 蝦夷地
えぞち
(北海道)に旅行した人たちが記念として絵師に描かせましたし、和人側もそうした絵を求めていたのだと思います。
◆高まる関心
稲葉 ところで、アイヌに関係する美術に関心を持たれたきっかけは?
五十嵐 大学で日本美術史を勉強した後、道立函館美術館に配属され、たまたま蠣崎波響の展覧会の担当になりました。その頃、京都の古美術商の方から、北海道の江差を描いたものらしいという 屏風
びょうぶ
を見せられました。それが小玉貞良の絵だったんです。どういう画家だろうと調べていくうちに、アイヌ絵を描いていたことがわかり、少しずつ関心が広がっていきました。
稲葉 一昨年、白老町にウポポイがオープンし、アイヌ文化が注目されています。
五十嵐 大きく風向きが変わったと感じますね。今は、私たちの生活の中に当たり前にアイヌ文化があります。皆さんの関心も高く、道立近代美術館でアイヌ文化の展覧会を開いたときも、お客様の反応に熱いものを感じました。
稲葉 今後取り組みたいと考えておられることは?
五十嵐 今活躍しているアイヌアートの作家の展覧会も構想しています。古いアイヌの生活資料の中にも現代アートを予感させるようなものがあるし、若手作家の中にもアイヌの伝統を感じさせる部分がある。そうしたものを紹介できたらと思っています。
【いがらし・さとみ】 釧路市生まれ。弘前大学人文学部卒。道立釧路芸術館主任学芸員、道立帯広美術館学芸課長、道立三岸好太郎美術館副館長などを経て今年4月から現職。著書に「アイヌ絵巻探訪」など。2019年に美連協大賞優秀論文賞を受賞。
【北海道立近代美術館】 1977年7月開館。鉄筋コンクリート造り地上3階、地下1階。北海道や日本近代の美術を中心に、昨年3月末現在で5660点のコレクションを所蔵する。2013年に観覧者1000万人を達成した。現在、フェルメール展などを開催中。
対談を終えて
◆民族の歴史 学ぶ大切さ
アイヌ工芸品を手に、稲葉支社長(右)と談笑する五十嵐・学芸部長
幼い頃、たくさんの絵本を眼前に並べ、それぞれの特徴について考えを巡らせていたという。長じて絵画研究家となり、和人絵師の手によるアイヌ絵に「どう読み解くべきか」と魅せられ続けている。
アイヌ絵は、私のような素人からみても、人物の服装や生き物の描かれ方に「これは史実だろうか」と引っかかる点が少なくない。そこには、描き手である和人の無知、受け狙いのご都合主義が透けて見える。天然痘の予防接種をアイヌの人々に実施するさまを描いた「種痘図」からは、どのような背景で、まずこの民族にワクチン接種が実施されたのか、など、どうしても考えさせられる。
アイヌ自身が発信する芸術と、和人の目で描かれたアイヌ絵。どちらを理解するにも、この民族が歩んできた道のりを学んでおくのが望ましいだろう。ただ五十嵐さんは当初、「自分は絵の研究家なので歴史は専門外」と思い込んでいた時期もあったそうだ。上司から「あんたはアイヌを何もわかってない」と指摘されたことを機に、民族の歴史にも視線を注ぐようになった。「そうしたら、1枚の絵の見え方がまったく変わった」という。
「文献の読み込みなど勉強はまだこれから。200年、300年も前の絵が現代人にいろんな反応を引き起こす。そのお手伝いをしていきたい」。目の輝きは、子ども時代と同じはずだ。
https://www.yomiuri.co.jp/local/hokkaido/feature/CO036697/20220518-OYTAT50027/