多田さん「外国人視点で情報蓄積」、片山さん「環境担う人材育成目指す」、浦野さん「SDGsへの貢献に期待」
北海道新聞05/28 15:44
【パネル討論2 ~地域の文化を生かした観光地域づくり】
■秋辺日出男さん(阿寒アイヌ工芸協同組合専務理事)
■多田稔子さん(一般社団法人和歌山県田辺市熊野ツーリズムビューロー会長)
■片山健也さん(後志管内ニセコ町長)
■浦野義人さん(国際協力機構=JICA=産業開発・公共政策部民間セクターグループ主任調査役)
<モデレーター 田瀬和夫さん>
秋辺さん 1960年に私が生まれた時にはすでに阿寒湖温泉(釧路市)は有名な観光地でした。80年すぎまで観光は同胞から「けしからん」と言われてきました。「見せ物」という良くないイメージがつきまとっていました。最近は「観光が未来を切り開く」と言われてきて、私はその通りだと思います。
私が観光に求めるのは、地域に根ざし、地元の人間が主体性を持って表現すること。
人間は神々に支えられ、自然界に育まれて生きているということを、身にしみるまで教えられてきました。地球がだめになると観光どころじゃない。人間は自然があるから生きていけることを意識し、楽しんでもらう世界観を提供できるのが観光地です。
アイヌ民族のパートナーは日本人で、日本人と仲良くすると事業がうまくいく。今、函館、札幌、二風谷(日高管内平取町)、旭川、阿寒の拠点を結び、アイヌ文化に特化したツアーを全道にわたってつくろうとしています。うまくいくと、お互い仲良くやっていける世界が生まれます。
多田さん 紀伊半島の南部一帯は熊野と呼ばれ、世界遺産「熊野古道」のルートが張り巡らされています。平安時代に都の貴族たちが熊野三山を参詣した道で、江戸時代には老若男女、身分を問わず多くの人が歩きました。その後、熊野詣では衰退しますが、生活道として活用されてきたおかげで、千年前の山道が奇跡的にそのまま残りました。
世界遺産登録直後は狭い山中に100台ものバスが来て、少し歩くだけで次の目的地へ移動していく。これでは世界遺産の意味も熊野の本当の良さも理解してもらえません。千年の歴史は次の千年に引き継がれてこそです。
単なる物見遊山ではなく、文化や歴史を楽しむ旅へ発想を転換。目的意識を持って旅をする欧米やオーストラリアの旅の上級者を呼び込もうと、カナダ人スタッフを招き、固有名詞の英語表記の統一からスタートしました。外からの視点の観光情報を蓄積し、努力の積み重ねで、熊野古道を歩く外国人の姿が日常風景になりました。
根底には設立から守り続けてきた基本スタンスがあります。「ブームよりルーツ」「乱開発より保存・保全」などを踏まえ、世界に開かれた持続可能な観光地を目指すというもの。キャパシティー(受け入れ能力)を見定め、世界遺産の保全と活用のバランスを保つことも重要な課題です。
片山さん ニセコ観光圏(後志管内蘭越町、ニセコ町、倶知安町)をつくるなど、行政間のおかしな壁を取り払うことをやってきました。行政も多少は頑張っています。
2002年の町総合計画のタイトルは「小さな世界都市ニセコ」です。世界から訪れる人々が違和感なく暮らせる町、互いに人間の尊厳を大切にして助け合う町。まさにSDGsに調和すると考えます。将来は中学や高校、できれば大学とも連携し、地域の文化、観光を担う人材を育成する場をつくりたい。
国の環境モデル都市として、町は50年度に二酸化炭素(CO2)の86%削減を目指しています。温暖化対策をしないと、観光も農業も続けられないという危機感を持っています。
観光地はこれから「本物」であることと、投資家の「共感」が大事になります。本物志向でいけば、そこに共感し、信頼が生まれていくのではないかと強く思っています。
浦野さん JICAは開発途上国に経済協力し、1970年代から観光分野についても協力しています。
ベトナムの事例を紹介します。南部にビズップヌイバという国立公園があり、コホー族が住んでいました。ここでしか見られない動植物が生息していたため国立公園に指定され、コホー族は公園の外に移住せざるを得なくなりました。
コホー族は公園外の生活に慣れず、ベトナム政府から協力要請が来て、私たちはエコツーリズム導入による生活向上の事業に取り組みました。コホー族の若い世代がガイドに就き、収入を得られるようになりました。元々公園内に住んでいたので動植物を良く知っており、ガイドというより自然と観光客の通訳者です。
消滅しそうになっていた伝統の機織りやダンスもビジターセンターで見られるようにし、収入を得る仕組みを整えました。若者が文化を継承したいという心が芽生え、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化財にも登録されました。
田瀬さん 片山さんに「共感」という言葉をもらいました。人との違いを理解し、共感できることが価値になり、そこに観光という大きな産業が生まれます。
秋辺さん 全人類はこぞって20世紀に地球を破壊し始めました。その反省から、先住民族の伝統的な考え方に注目する研究者が出てきて、エコツーリズムとリンクしました。そういう価値観から見たアイヌ民族の面白さを、そこばかり取り上げられるのは嫌ですが、共感して一緒にやりましょうということが観光地でできたなら、その商売はうまくいくと思っています。
多田さん 熊野信仰はどんな人でも受け入れてきました。身分も性別も関係ありません。寛容性のある、違いを認めることを良しとする遺伝子が、外国人を受け入れる時、覚醒しました。地域の人は最初、抵抗がありましたが、今は自然に外国人を受け入れています。民間レベルで交流が始まり、地域の人も喜んで受け入れてくれています。観光に関係のない人が観光客を嫌がるところは良い観光地ではありません。
田瀬さん 言い足りないことをどうぞ。
秋辺さん アイヌ文化は日本国民、特に北海道との共有財産だと思っています。ニセコにはアイヌ文化の匂いがありません。もっと活用してほしい。阿寒湖温泉ではホテルの中にも外にもアイヌ民族のデザインや文化が利用されています。北海道中の読みづらい地名は全部アイヌ語が基になっています。地名の意味を知ることが郷土愛に結びつき、訪れたお客さまに対するオリジナルなおもてなしにつながります。
浦野さん 観光分野は全てのSDGsに貢献できる可能性があるとの研究結果が出ています。そんな産業は観光だけではないかと思います。それだけ観光分野に従事している方には責任もあります。なので皆さんでしっかり協働し、SDGsの達成に向けて進んでいけたら良いと思います。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/309530
北海道新聞05/28 15:44
【パネル討論2 ~地域の文化を生かした観光地域づくり】
■秋辺日出男さん(阿寒アイヌ工芸協同組合専務理事)
■多田稔子さん(一般社団法人和歌山県田辺市熊野ツーリズムビューロー会長)
■片山健也さん(後志管内ニセコ町長)
■浦野義人さん(国際協力機構=JICA=産業開発・公共政策部民間セクターグループ主任調査役)
<モデレーター 田瀬和夫さん>
秋辺さん 1960年に私が生まれた時にはすでに阿寒湖温泉(釧路市)は有名な観光地でした。80年すぎまで観光は同胞から「けしからん」と言われてきました。「見せ物」という良くないイメージがつきまとっていました。最近は「観光が未来を切り開く」と言われてきて、私はその通りだと思います。
私が観光に求めるのは、地域に根ざし、地元の人間が主体性を持って表現すること。
人間は神々に支えられ、自然界に育まれて生きているということを、身にしみるまで教えられてきました。地球がだめになると観光どころじゃない。人間は自然があるから生きていけることを意識し、楽しんでもらう世界観を提供できるのが観光地です。
アイヌ民族のパートナーは日本人で、日本人と仲良くすると事業がうまくいく。今、函館、札幌、二風谷(日高管内平取町)、旭川、阿寒の拠点を結び、アイヌ文化に特化したツアーを全道にわたってつくろうとしています。うまくいくと、お互い仲良くやっていける世界が生まれます。
多田さん 紀伊半島の南部一帯は熊野と呼ばれ、世界遺産「熊野古道」のルートが張り巡らされています。平安時代に都の貴族たちが熊野三山を参詣した道で、江戸時代には老若男女、身分を問わず多くの人が歩きました。その後、熊野詣では衰退しますが、生活道として活用されてきたおかげで、千年前の山道が奇跡的にそのまま残りました。
世界遺産登録直後は狭い山中に100台ものバスが来て、少し歩くだけで次の目的地へ移動していく。これでは世界遺産の意味も熊野の本当の良さも理解してもらえません。千年の歴史は次の千年に引き継がれてこそです。
単なる物見遊山ではなく、文化や歴史を楽しむ旅へ発想を転換。目的意識を持って旅をする欧米やオーストラリアの旅の上級者を呼び込もうと、カナダ人スタッフを招き、固有名詞の英語表記の統一からスタートしました。外からの視点の観光情報を蓄積し、努力の積み重ねで、熊野古道を歩く外国人の姿が日常風景になりました。
根底には設立から守り続けてきた基本スタンスがあります。「ブームよりルーツ」「乱開発より保存・保全」などを踏まえ、世界に開かれた持続可能な観光地を目指すというもの。キャパシティー(受け入れ能力)を見定め、世界遺産の保全と活用のバランスを保つことも重要な課題です。
片山さん ニセコ観光圏(後志管内蘭越町、ニセコ町、倶知安町)をつくるなど、行政間のおかしな壁を取り払うことをやってきました。行政も多少は頑張っています。
2002年の町総合計画のタイトルは「小さな世界都市ニセコ」です。世界から訪れる人々が違和感なく暮らせる町、互いに人間の尊厳を大切にして助け合う町。まさにSDGsに調和すると考えます。将来は中学や高校、できれば大学とも連携し、地域の文化、観光を担う人材を育成する場をつくりたい。
国の環境モデル都市として、町は50年度に二酸化炭素(CO2)の86%削減を目指しています。温暖化対策をしないと、観光も農業も続けられないという危機感を持っています。
観光地はこれから「本物」であることと、投資家の「共感」が大事になります。本物志向でいけば、そこに共感し、信頼が生まれていくのではないかと強く思っています。
浦野さん JICAは開発途上国に経済協力し、1970年代から観光分野についても協力しています。
ベトナムの事例を紹介します。南部にビズップヌイバという国立公園があり、コホー族が住んでいました。ここでしか見られない動植物が生息していたため国立公園に指定され、コホー族は公園の外に移住せざるを得なくなりました。
コホー族は公園外の生活に慣れず、ベトナム政府から協力要請が来て、私たちはエコツーリズム導入による生活向上の事業に取り組みました。コホー族の若い世代がガイドに就き、収入を得られるようになりました。元々公園内に住んでいたので動植物を良く知っており、ガイドというより自然と観光客の通訳者です。
消滅しそうになっていた伝統の機織りやダンスもビジターセンターで見られるようにし、収入を得る仕組みを整えました。若者が文化を継承したいという心が芽生え、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化財にも登録されました。
田瀬さん 片山さんに「共感」という言葉をもらいました。人との違いを理解し、共感できることが価値になり、そこに観光という大きな産業が生まれます。
秋辺さん 全人類はこぞって20世紀に地球を破壊し始めました。その反省から、先住民族の伝統的な考え方に注目する研究者が出てきて、エコツーリズムとリンクしました。そういう価値観から見たアイヌ民族の面白さを、そこばかり取り上げられるのは嫌ですが、共感して一緒にやりましょうということが観光地でできたなら、その商売はうまくいくと思っています。
多田さん 熊野信仰はどんな人でも受け入れてきました。身分も性別も関係ありません。寛容性のある、違いを認めることを良しとする遺伝子が、外国人を受け入れる時、覚醒しました。地域の人は最初、抵抗がありましたが、今は自然に外国人を受け入れています。民間レベルで交流が始まり、地域の人も喜んで受け入れてくれています。観光に関係のない人が観光客を嫌がるところは良い観光地ではありません。
田瀬さん 言い足りないことをどうぞ。
秋辺さん アイヌ文化は日本国民、特に北海道との共有財産だと思っています。ニセコにはアイヌ文化の匂いがありません。もっと活用してほしい。阿寒湖温泉ではホテルの中にも外にもアイヌ民族のデザインや文化が利用されています。北海道中の読みづらい地名は全部アイヌ語が基になっています。地名の意味を知ることが郷土愛に結びつき、訪れたお客さまに対するオリジナルなおもてなしにつながります。
浦野さん 観光分野は全てのSDGsに貢献できる可能性があるとの研究結果が出ています。そんな産業は観光だけではないかと思います。それだけ観光分野に従事している方には責任もあります。なので皆さんでしっかり協働し、SDGsの達成に向けて進んでいけたら良いと思います。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/309530