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G20観光シンポジウム詳報<パネル討論2>「地域の文化を生かした観光地域づくり」 秋辺さん「アイヌ文化ニセコで活用を」、

2019-05-29 | アイヌ民族関連
多田さん「外国人視点で情報蓄積」、片山さん「環境担う人材育成目指す」、浦野さん「SDGsへの貢献に期待」
北海道新聞05/28 15:44
【パネル討論2 ~地域の文化を生かした観光地域づくり】
■秋辺日出男さん(阿寒アイヌ工芸協同組合専務理事)
■多田稔子さん(一般社団法人和歌山県田辺市熊野ツーリズムビューロー会長)
■片山健也さん(後志管内ニセコ町長)
■浦野義人さん(国際協力機構=JICA=産業開発・公共政策部民間セクターグループ主任調査役)
<モデレーター 田瀬和夫さん>

 秋辺さん 1960年に私が生まれた時にはすでに阿寒湖温泉(釧路市)は有名な観光地でした。80年すぎまで観光は同胞から「けしからん」と言われてきました。「見せ物」という良くないイメージがつきまとっていました。最近は「観光が未来を切り開く」と言われてきて、私はその通りだと思います。
 私が観光に求めるのは、地域に根ざし、地元の人間が主体性を持って表現すること。
 人間は神々に支えられ、自然界に育まれて生きているということを、身にしみるまで教えられてきました。地球がだめになると観光どころじゃない。人間は自然があるから生きていけることを意識し、楽しんでもらう世界観を提供できるのが観光地です。
 アイヌ民族のパートナーは日本人で、日本人と仲良くすると事業がうまくいく。今、函館、札幌、二風谷(日高管内平取町)、旭川、阿寒の拠点を結び、アイヌ文化に特化したツアーを全道にわたってつくろうとしています。うまくいくと、お互い仲良くやっていける世界が生まれます。
 多田さん 紀伊半島の南部一帯は熊野と呼ばれ、世界遺産「熊野古道」のルートが張り巡らされています。平安時代に都の貴族たちが熊野三山を参詣した道で、江戸時代には老若男女、身分を問わず多くの人が歩きました。その後、熊野詣では衰退しますが、生活道として活用されてきたおかげで、千年前の山道が奇跡的にそのまま残りました。
 世界遺産登録直後は狭い山中に100台ものバスが来て、少し歩くだけで次の目的地へ移動していく。これでは世界遺産の意味も熊野の本当の良さも理解してもらえません。千年の歴史は次の千年に引き継がれてこそです。
 単なる物見遊山ではなく、文化や歴史を楽しむ旅へ発想を転換。目的意識を持って旅をする欧米やオーストラリアの旅の上級者を呼び込もうと、カナダ人スタッフを招き、固有名詞の英語表記の統一からスタートしました。外からの視点の観光情報を蓄積し、努力の積み重ねで、熊野古道を歩く外国人の姿が日常風景になりました。
 根底には設立から守り続けてきた基本スタンスがあります。「ブームよりルーツ」「乱開発より保存・保全」などを踏まえ、世界に開かれた持続可能な観光地を目指すというもの。キャパシティー(受け入れ能力)を見定め、世界遺産の保全と活用のバランスを保つことも重要な課題です。
 片山さん ニセコ観光圏(後志管内蘭越町、ニセコ町、倶知安町)をつくるなど、行政間のおかしな壁を取り払うことをやってきました。行政も多少は頑張っています。
 2002年の町総合計画のタイトルは「小さな世界都市ニセコ」です。世界から訪れる人々が違和感なく暮らせる町、互いに人間の尊厳を大切にして助け合う町。まさにSDGsに調和すると考えます。将来は中学や高校、できれば大学とも連携し、地域の文化、観光を担う人材を育成する場をつくりたい。
 国の環境モデル都市として、町は50年度に二酸化炭素(CO2)の86%削減を目指しています。温暖化対策をしないと、観光も農業も続けられないという危機感を持っています。
 観光地はこれから「本物」であることと、投資家の「共感」が大事になります。本物志向でいけば、そこに共感し、信頼が生まれていくのではないかと強く思っています。
 浦野さん JICAは開発途上国に経済協力し、1970年代から観光分野についても協力しています。
 ベトナムの事例を紹介します。南部にビズップヌイバという国立公園があり、コホー族が住んでいました。ここでしか見られない動植物が生息していたため国立公園に指定され、コホー族は公園の外に移住せざるを得なくなりました。
 コホー族は公園外の生活に慣れず、ベトナム政府から協力要請が来て、私たちはエコツーリズム導入による生活向上の事業に取り組みました。コホー族の若い世代がガイドに就き、収入を得られるようになりました。元々公園内に住んでいたので動植物を良く知っており、ガイドというより自然と観光客の通訳者です。
 消滅しそうになっていた伝統の機織りやダンスもビジターセンターで見られるようにし、収入を得る仕組みを整えました。若者が文化を継承したいという心が芽生え、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化財にも登録されました。
 田瀬さん 片山さんに「共感」という言葉をもらいました。人との違いを理解し、共感できることが価値になり、そこに観光という大きな産業が生まれます。
 秋辺さん 全人類はこぞって20世紀に地球を破壊し始めました。その反省から、先住民族の伝統的な考え方に注目する研究者が出てきて、エコツーリズムとリンクしました。そういう価値観から見たアイヌ民族の面白さを、そこばかり取り上げられるのは嫌ですが、共感して一緒にやりましょうということが観光地でできたなら、その商売はうまくいくと思っています。
 多田さん 熊野信仰はどんな人でも受け入れてきました。身分も性別も関係ありません。寛容性のある、違いを認めることを良しとする遺伝子が、外国人を受け入れる時、覚醒しました。地域の人は最初、抵抗がありましたが、今は自然に外国人を受け入れています。民間レベルで交流が始まり、地域の人も喜んで受け入れてくれています。観光に関係のない人が観光客を嫌がるところは良い観光地ではありません。
 田瀬さん 言い足りないことをどうぞ。
 秋辺さん アイヌ文化は日本国民、特に北海道との共有財産だと思っています。ニセコにはアイヌ文化の匂いがありません。もっと活用してほしい。阿寒湖温泉ではホテルの中にも外にもアイヌ民族のデザインや文化が利用されています。北海道中の読みづらい地名は全部アイヌ語が基になっています。地名の意味を知ることが郷土愛に結びつき、訪れたお客さまに対するオリジナルなおもてなしにつながります。
 浦野さん 観光分野は全てのSDGsに貢献できる可能性があるとの研究結果が出ています。そんな産業は観光だけではないかと思います。それだけ観光分野に従事している方には責任もあります。なので皆さんでしっかり協働し、SDGsの達成に向けて進んでいけたら良いと思います。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/309530

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G20観光シンポジウム詳報<基調講演2>シャノン・ストーウェルさん「アドベンチャートラベルを通じた持続可能な観光地域づくり」 『体験型』道内に可能性 環境保全急務

2019-05-29 | アイヌ民族関連
北海道新聞05/28 15:40
【基調講演2】
■シャノン・ストーウェルさん(アドベンチャートラベル・トレード・アソシエーション最高経営責任者)
 アドベンチャーツーリズム(体験型観光、以下AT)がもたらす効果や課題、成功事例と今後についてお話しします。
 私たちの使命は各地の観光コミュニティーを結びつけ、自然環境を守りつつ経済価値を生み出すことです。ATは50年ほど前、カヤックや登山、サイクリングを楽しむ人が自然発生的に始めました。市場が大きく成長し始めたのはこの10年で、年間約20%も成長しています。
 ATは自然、文化、アクティビティの三つが中心で、持続可能な産業の好例です。スカイダイビングのような激しいものもありますが、乗馬のように気軽に楽しめるものもあります。北海道は自然体験や日本の伝統文化に加えてアイヌ文化があり、ATは大きな役割を果たすでしょう。
 どんな人がATを好むのでしょうか。2年前の調査では「新しいことに挑戦したい」「日常に変化をもたらしたい」あるいは「健康を保ちたい」などが動機でした。世界中の旅行者10人のうち4人は何らかのATに参加しています。45歳以上が中心です。
 団体旅行では、旅行客が使うおカネのうち現地に残るのは15%で、大半は外に出ていってしまいます。ATでは65~75%と大半が旅行先に落とされます。またATでは1日で平均477ドル(約5万2千円)が消費されることも分かっています。
 ATは自然だけでなく、住民にも深く関わってきます。地元が経済的な恩恵を受けることで、海や森、砂漠の近くに住む人が、自然環境を将来にわたって守る動機付けになるのです。
 一方、カンボジアのアンコールワットやペルーのマチュピチュはATの重要な目的地ですが、観光客が多すぎるという問題を抱えています。マチュピチュでは観光客に来ないよう呼びかける運動が行われています。
 気候変動やマイクロプラスチックの問題も含め、課題対応への時間はあまり残されていません。重要なのは、各国政府や企業が持続可能な将来に向けた態勢をどのようにつくるかです。
 「目に見えない負荷」という言葉があります。観光地のごみ処理、下水や交通インフラの整備に対し、住民だけでなく、旅行客も必要な経費を払うという考え方です。どのような観光のあり方が正しいか吟味すべきです。
 次に、さまざまな観光の取り組みを紹介します。ヨルダンの旅行会社では、現地の女性をガイドとして訓練し、仕事の機会を与えています。ケニアのあるロッジではプラスチックを一切使いません。オランダではライバル企業が連携し、二酸化炭素の排出に伴う費用を消費者に負担してもらう試みをしています。ごみを全く出さない旅行商品を企画する動きもあります。
 国連世界観光機関のタリブ・ティファイ博士は「地元の人に歓迎されなければ旅行や観光に未来はない」と指摘しました。住民の観点は観光地にとって大変重要です。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/309526

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民族共生空間施設建設現場を視察 G20観光相会合で来道の政府関係者-白老

2019-05-29 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2019/5/28配信

ポロト湖を背にウポポイの概要説明を受けるG20政府関係者
 10月に後志管内倶知安町で開催される20カ国・地域(G20)観光担当相会合に向けて来道したフランス、欧州連合(EU)、ドイツの政府関係者が25日、白老町ポロト湖畔の民族共生空間(ウポポイ)建設現場を視察し、アイヌ民族や文化に関心を寄せた。
 建設現場に訪れたのは、24日に倶知安町で開かれたG20観光担当相会合の実務者会議に出席した各国政府関係者のうちの3人。北海道の観光事情を知るため、洞爺湖や登別温泉の地獄谷を訪ねた後、白老に足を運んだ。
 3人は文化庁の内田祐一調査官からウポポイの概要説明を受け、国立アイヌ民族博物館など各施設の建設工事の様子を視察。来年4月オープンに向けて着々と進む状況を眺める3人に対し、内田調査官は「ここはアイヌ文化復興のナショナルセンターになる。海外から一人でも多くのお客さまに来ていただき、アイヌ民族について理解を深めてほしい」と述べ、協力を呼び掛けた。
 引き続き、公益財団法人アイ文化財団・民族共生象徴空間運営本部の村木美幸本部長代理からアイヌ文化に関する説明を聞き、「この町にアイヌ民族は何人いるのか」「アイヌ語教育はどうしているのか」などと熱心に質問を繰り返していた。
https://www.tomamin.co.jp/news/area2/16375/

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北海道は「強制避妊・全国一位」を自慢していた!

2019-05-29 | アイヌ民族関連
デイリーBOOKウォッチ2019/5/28

書名 現場検証 平成の事件簿
監修・編集・著者名 合田一道 著
出版社名 柏艪舎
出版年月日 2019年3月 5日
定価 本体1500円+税
判型・ページ数 四六判・224ページ
ISBN 9784434257636
 鉄道好きを「鉄ちゃん」という。事件好きは何と呼ぶのか。今のところ特に名はない。「事件」の件から「件ちゃん」、もしくは、「現場」が好きなので、「現ちゃん」ではどうだろうか。本書『現場検証 平成の事件簿』 (柏艪舎)はそんな「件ちゃん」もしくは「現ちゃん」の本だ。
著者は1934年生まれ
 平成の時代に起きた代表的な事件、25件をたどっている。トップに登場するのは「東京・埼玉幼女連続誘拐殺人事件」。昭和の最後から平成にかけて起きた事件なので、平成を象徴しているといえる。宮崎勤の名前は犯罪史にも、人々の記憶にも深く刻まれている。
 続いて、「足利事件」「女子高生校門圧死事件」「信楽高原鐡道で衝突事故」「市川市の一家四人惨殺事件」「世界を震撼させたオウム犯罪」「神戸須磨児童連続殺傷事件」などを次々とフィードバックしていく。写真や地図も豊富に掲載されている。
 著者の合田一道さんは元北海道新聞記者。1934年生まれというので、今年85歳になる。かなり高齢の「件ちゃん」だ。平成が始まった時にすでに55歳なので、登場する事件の大半は発生当時に自分が取材したものではない。
 合田さんは「現場」にとりつかれた元記者だ。過去の著書に『日本史の現場検証』(扶桑社)、『日本史の現場検証 明治・大正編』(同)、『現場検証 昭和戦前の事件簿』(幻冬舎)、『激動昭和史 現場検証 戦後事件ファイル22』(新風舎)『昭和史の闇<1960-80年代>現場検証 戦後事件ファイル22』(同)と、「現場検証」ものが5冊もある。本書はその延長線上に書かれている。
戸籍に「土人」と刻印されていた
 「現場検証」というタイトルからも分かるように、著者はなるべく現場を再訪するようにしている。宮崎勤の家族は逃げるように地元を去り、実家も消えている。宮崎が最初の事件を起こしていたころ、偶然、実家周辺で宮崎に会ったという人の回顧談なども掲載されている。責任を痛感した父親が自殺したということは知られている。和歌山カレー事件の地元の小学校では、今も給食にカレーを出していないという。
 著者が特にこだわりを持って紹介している事件もある。例えば「北海道旧土人保護法」。1899年に施行され、1997年に廃止された。「事件」そのものではないが、悪質な「人権侵害史」をつくってきた法律だと、厳しく糾弾する。
 著者が初めてこの法律を目の当たりにしたのは1975年、旭川市で北海道新聞報道部次長をしていた時だ。「これを見てください」。若い記者が取材で入手した人物の戸籍謄本を手に駆け込んできた。「旧土人」の印が押されていたのだ。他人の戸籍など滅多に見る機会がないから、周囲の記者たちもびっくりしたという。
 たしかに戸籍に「土人」と刻印されては、たまらない。しかし、アイヌ民族の人たちは100年近く、その仕打ちを受けながら耐えてきた。これは日本政府が犯した「犯罪」というわけだ。
「特定秘密保護法と集団的自衛権」が怖い
 もう一つ「優生保護法と不妊手術」も取り上げられている。これも「重要な人権侵害史」と強調している。旧優生保護法の名のもとに、1948年から96年にかけて、障害や精神疾患がある人に強制的に避妊手術をしていたことが2018年になって大きな問題になった。日弁連によると、その数は約1万6500人。
 特に多かったのが北海道で2500人を超えていた。「不幸な子供を産まない道民運動」を道が率先して展開していたからだ。「他府県に比し、群を抜き、第一位」と小冊子で自慢していた。今では各地で訴訟が起きて、厚労省が賠償に向けて対応を検討しているという。
 著者は「あとがき」でもう一つ、書ききれなかった「事件」を取り上げている。それは「特定秘密保護法と集団的自衛権」だ。事件でも事故でもないが、あるいはこれが平成以後の「最大の事件」に変貌する恐れがあると、著者は危惧する。「戦時中、戦地に赴く若者たちに、日の丸の旗を振り、万歳、万歳と叫んだ少年の日を、著者は、打ち震えつつ思い出す」と書いている。
 本欄では、神奈川県相模原市で起きた「障害者施設やまゆり園殺害事件」関連で辺見庸さんの『月』(株式会社KADOKAWA)、オウム事件では島田裕巳さんの『「オウム」は再び現れる』(中公新書ラクレ)、さらに『肉声 宮﨑勤 30年目の取調室』(文藝春秋)など多数の関連書を紹介している。また、強制避妊については『探査ジャーナリズム/調査報道 アジアで台頭する非営利ニュース組織』(彩流社)、アイヌについては『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』 (集英社新書)なども紹介ずみだ。
https://www.j-cast.com/bookwatch/2019/05/28009101.html

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アイヌ舞踊披露、民族衣装も試着

2019-05-29 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2019年5月28日09時39分

アイヌの民族衣装を試着するクルーズ船の外国人観光客=苫小牧市
苫小牧港の英クルーズ船上
 苫小牧市の苫小牧港に26日、英国の小型クルーズ客船「カレドニアン スカイ」(定員114人、4200トン)が初寄港し、船上でアイヌ民族の古式舞踊が披露された。
 苫小牧港への外国クルーズ客船の寄港は9年ぶり。19日に小樽港を出発し、利尻、稚内、網走、釧路などの港を巡って、午前10時すぎに苫小牧港に着岸した。日中は札幌市や二風谷(平取町)、ウトナイ湖(苫小牧市)などを楽しみ、船に戻った観光客は午後6時半から、夕闇迫る船上の屋外デッキでアイヌ民族の古式舞踊を楽しんだ。
 苫小牧アイヌ協会(澤田一憲会長)の14人がムックリの演奏や古式舞踊を披露すると、英国人を中心とする観光客から大きな拍手。その後、民族衣装の試着会もあり、協会の女性に民族衣装を着せてもらった英国人女性は「すてき。一生の記念になる」と大喜び。澤田会長は「喜んでもらえてうれしい。アイヌ民族のことを少しでも理解してもらえれば、もっとうれしい」と話した。(深沢博)
https://digital.asahi.com/articles/CMTW1905280100006.html?_requesturl=articles%2FCMTW1905280100006.html&rm=153

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色丹島でアイヌ先祖供養「感動で涙出た」

2019-05-29 | アイヌ民族関連
毎日新聞2019年5月28日 10時23分(最終更新 5月28日 10時23分)
 強制移住など苦難の歴史を持つ北方領土・色丹島のアイヌ民族を供養しようと、27日までのビザなし交流で同島を訪れた札幌アイヌ協会の多原良子副会長が先祖供養の儀式を実施した。北方領土でのアイヌ慰霊は珍しい。
 多原さんは26日、色丹島斜古丹地区の斜古丹墓地で、同島のアイヌをまつったとされる墓石前で火や食べ物、酒を供え、酒をふりかけながら慰霊した。多原さんは「今後はもっとアイヌが訪れ、先祖の墓参をしてほしい。念願がかなった」と感慨深い様子だった。
 色丹島斜古丹地区のアイヌは、北海道開拓使が1884年、千島列島から強制移住させたとされる。狩猟などで暮らしていたアイヌに農業や漁業を強いたため、人口も激減した。今回参加した同島出身で根室市の自営業、石井守さん(75)は父親が島のアイヌに親代わりに育ててもらったといい、儀式にも参加。「感動で涙が出た。弔うことができて良かった」と話した。【澤俊太郎】
https://mainichi.jp/articles/20190528/k00/00m/040/056000c

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