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北海道)アイヌ文化伝える「知里幸恵銀のしずく記念館」

2019-05-12 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2019年5月12日03時00分

知里幸恵 銀のしずく記念館。背後には知里森舎の森が広がる=北海道登別市
わがまち遺産
 北海道登別市から太平洋に注ぐ登別川そばの森には、クリやカエデの巨木がそびえ、食用の草や薬草が茂る。リスが跳ね、フクロウが鳴く。豊かな森の恵みとともにアイヌ民族は暮らしてきた。この河畔林に抱かれるように、アイヌ文化を伝える「知里幸恵(ちり・ゆきえ) 銀のしずく記念館」が立つ。
 幸恵はこの土地で生まれ育ち、祖母からカムイユカ●(●は小書き片仮名ラ〈神謡〉)を聞き、覚えた。
 「シロカニペ ランラン ピ●(●は小書き片仮名シ)カン、コンカニペ ランラン ピ●(●は小書き片仮名シ)カン」
 フクロウの神が自ら歌った神謡として、アイヌ民族が口伝えで継承してきた。幸恵はこれを「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」と訳した。こうした神謡を13編、ローマ字に起こし、日本語にして「アイヌ神謡集」をまとめた。校正を終えた4日後の1922年9月に19歳で心臓まひで亡くなった。
 アイヌ語は、特定の文字で表記する方法が定まっていない。絶滅の危機に追い込まれるなか、神謡集はアイヌ文化の継承者の手による初めての本格的なアイヌ語の記録となった。「とこしえの宝玉」とたたえた言語学者の金田一京助は「神様が惜しんでたった一粒しか我々に恵まれなかった」と嘆いた。
 それから数十年後、幸恵のめい、故横山むつみさんが行李(こうり)に入っていた知里家の資料を手にして驚いた。幸恵の日記や手紙などが出てきた。遺品展を開くと大勢の人が訪れた。「これをなんとかしたい」と横山さんは講演を始め、全国を行脚したという。
 2002年に作家の池澤夏樹さんが代表となり、記念館の建設募金委員会が発足。アイヌ文化の素晴らしさを広める拠点づくりに賛同した約2500人から3200万円が集まった。
 記念館は10年9月、開館した。木造一部2階建て約180平方メートル。神謡集の初版本をはじめ、道有形文化財の「知里幸恵ノート」、未出版の直筆原稿、両親への手紙、学校の成績表など、約300点の資料を展示している。
 運営はNPO知里森舎が担い、それを記念館友の会の会員650人が会費で支える。活動は講演会やコンサート、勉強会と活発だ。
 知里森舎の十数人が交代で当番。来館者の案内もする。みんなボランティアだ。その一人、宗広光明さん(85)は館内と同じ約40分をかけて裏に広がる「知里森舎の森」を案内する。「食用や薬用の植物の見本市のよう。自然とともにあるアイヌ民族の生き方が分かるはず」と話す。
 この空間は、森の放つ霊力が人を包み込むらしい。仏のノーベル文学賞作家のル・クレジオが森に入ると、感慨を込めてこう言ったという。
 「スピリット(霊魂)」
 3年前、前館長の横山さんが亡くなった。後任の館長金崎重弥さん(73)は「幸恵は新しい時代を切り開き、アイヌ文化を広げようとした。それを横山さんが受け継いだ。ここにその思いが息づいています」という。(三上修)
https://digital.asahi.com/articles/ASM536VT7M53IIPE01P.html?_requesturl=articles%2FASM536VT7M53IIPE01P.html&rm=195

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浦河港寄港、大勢が見学【浦河】

2019-05-12 | アイヌ民族関連
日高報知新聞2019.05.11

 12階建ての国内の大型クルーズ船「ぱしふぃっくびいなす」(全長183・4㍍、2万6594㌧。乗客定員620人)が10日朝、春の日本一周クルーズで浦河港に寄港し、池田拓町長ら関係者が歓迎した。大型客船を一目見ようと、同日午後3時の出港まで、岸壁は大勢の見学者でにぎわった。
 大型クルーズ船の浦河港寄港は平成16、17年の「飛鳥」以来14年ぶり。午前8時に着岸後、8時15分から船内で歓迎セレモニーがあり、岸壁では町による春ウニやアスパラガスの無料試食、夏イチゴやアイヌ文様の手作り品、海産品の販売などもあった。
 また、町内JRA施設や襟裳岬、静内二十間道路並木まで足を延ばす乗船客のバスツアーのほか、町内の多数の園児を含めた町内外の見学者で岸壁はにぎわい、お祭り気分の半日となった。
 朝の歓迎セレモニーは船内7階のメインラウンジで行われ、多数の乗船客が見守る中、池田町長が松井克哉船長ら幹部に「浦河の寄港を心から歓迎します。短い時間ですが『こんな素晴らしい場所があるんだ』と実感してもらいたい」と述べた。
 松井船長も「日高が思い出の地となり、再びこちらを訪れたい」と地元の温かい歓迎に感謝。浦河町からはコンブで作った「慶(よろこ)んぶ花束」が松井船長らに贈られた。
 公募により当選した町民80人による船内見学もあり、5階から入船しスタッフが船全体を紹介。4つのグループでシアターやレストラン、ポートデッキ、550人収容のメインホール、パーティー会場など12階まで見学した。
 船内見学した60歳代の女性グループは「とてもすばらしい。一度でいいからクルーズに参加したい」と話し、バスツアー帰りの70歳代夫婦の乗船客は「馬がいて、まだサクラが咲き、山も海きれいでまた来たいですね」と話していた。
 春の日本一周クルーズは約350人の乗客が乗船。7日から9泊10日(神戸、横浜乗船の2コース)の日程。神戸港を出港し、横浜経由で10日朝に浦河港に初寄港。反時計回りに山形県酒田、新潟県佐渡島、長崎県佐世保、大分県別府に寄り、瀬戸内海を通り神戸、横浜までぐるり1周する。1日3食付き料金は1人37万7000円~162万円(ベッドルーム、リビング約65平方㍍)。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/11587

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源義経ゆかりのスポットも! 北海道で大自然、温泉、グルメを堪能[FRaU]

2019-05-12 | アイヌ民族関連
女性誌ネット5/11(土) 10:40配信
先住民族として、手付かずの北の大地に生き、衣食住の全てを自然の恵みのなかに育んだアイヌの人々。文字を持たなかった彼らは、手から手へバトンを渡すようにやさしく丁寧に、その独自の文化を今に伝えてきました。ガラス作家の山野アンダーソン陽子さんが北海道へ、彼らのものづくりを旅します。
アイヌを育んだ雄大さのなかで。
冷たい風が吹く湖畔を散歩。どことなくスウェーデンと似ていて落ち着くという。「昨日の吹雪と今日の晴天で、ガラッと表情が変わりますね。冬に訪れて、両方を楽しめたのも良かった」と山野さん。
二風谷を西へ走り、支笏湖で朝を迎えた翌日。吹雪から一転。眩しい朝日がキラキラと水面や透明な氷柱に反射する湖畔を歩き、昨日を反芻してみる。
森の恵みを糸に変え、日常的に紡ぎ続ける雪子さん。二風谷に伝わる自然の神々の力をイタに彫る守さん。柔軟さも取り入れながら、古くからのものづくりを現代に残そうとする美和子さん。それぞれに手がけるものはさまざまだが、同じアイヌの伝統をバックボーンにした創作の根底にあるのは、人間を取り巻く万物に神が宿るとするアイヌ民族の精神性であり、神である自然を拠り所として敬う、深い畏敬の念だ。そして山と海や湖、この雄大な北国の風景と気候も、彼らの生活やものづくりに結びついている。
山野さんがアイヌと同じように、大自然に生きる先住民族と出会ったのは、一時期アリゾナに住んでいた高校時代だったという。
アイヌ文化博物館で民族の暮らしと文化を学ぶ。貴重な資料の宝庫。/平取町立二風谷アイヌ文化博物館 北海道沙流郡平取町二風谷55
「ネイティブアメリカンのインディゴ染めやターコイズ・ジュエリー、サンドアートなど、彼らの生活を基盤にして生まれる美しい創作物に惹かれました。スウェーデンのサーミも、アイヌも、背景は少しずつ違っても、身近な自然の素材で生活に必要なものづくりをしている。そういうところに惹かれますね」
彼らは皆、自分たちの生活を守り生かしてくれるのは、そこにある自然だと知っている。だから、恵みの素材に祈り、感謝して敬う。それは手仕事の素材に限ったことではない。時代が変わって暮らしが近代化した今も、山から水を引いたり、薪ストーブを使ったり、美和子さんの家でもできる限り、自然に寄り添う暮らしを選んでいる。それらはすべて、彼らが受け継いできた、大地と共生するための知恵なのだ。
魚料理が人気の苫小牧『かたくら』。/かたくら 北海道苫小牧市錦町2-1-14
「ものづくりに関して、自分には “こうすべきだ” という結論やまとめはすぐにはできないけれど、自然と共存する彼らの創作と向き合えたこと自体が勉強になりました。スウェーデンと北海道は同じ北国ということもあって、気候もそうですが、ヤナギや白樺など育つ植物も似ているがえし、それ以外にも、狩りをする文化があったりと、共通項が多くて親近感が湧きました。似ているからこそ逆に、細かく違う部分もより際立って感じられて新鮮でした」
朝の光が反射して輝く支笏湖。
朝、誰もいない支笏湖の湖畔に降りてみる。ところどころ凍った湖、ポタポタと音を鳴らす氷柱にカメラを向けて、時おりスウェーデンを懐かしんだり。昨日降った雪が解けてゆく、しんとした幻想的な風景。湖には、北海道にしかいない野鳥、シマエナガも生息している。
「支笏湖の透明な湖には、自分がいつも素材としている、クリアガラスの美しさや魅力を改めて感じました。水も透明、ガラスも透明、素敵!って。でも、それは純粋な感動であって、この湖の氷や水をイメージして作品を作る、というように創作に還元されることはないんです。なぜなら自分はいつも、日常で必要とされる “行為” に基づいたものづくりを大切にしているから。必要とされる “行為” は、それぞれの生活や文化圏によっても変わるし、そこにある素材や、手の大きさひとつさえ、つくるものに必然的に影響を及ぼすものだと思うんです。それがアイヌの生活や文化圏なら、どんなものづくりになるんだろうって。スウェーデンにいたら出会えなかった境遇の方たちとお話しできたことは、かけがえのない経験になりました」
道央の旅を彩った北国の記憶。
平取町のブランド牛、びらとり和牛で有名な『くろべこ』でランチ。ステーキとハンバーグの丼は、美味しいだけでなくボリュームも満点。/びらとり和牛専門店くろべこ 北海道沙流郡平取町紫雲古津200-2
札幌を起点に、二風谷、苫小牧、支笏湖と、道央を巡った旅では、ほかにもさまざまな北の文化を楽しんだ。二風谷への道すがらに訪れた『くろべこ』は、平取町のブランド牛「びらとり和牛」で地元の人にも愛される名店。自然に鍛えられた肉の味はとってもジューシー。
『デイジーニリー号』のかわいい移動販売車。/マツダ珈琲店(デイジーニリー号) 北海道沙流郡平取町本町13-2
食後は手作りのかわいいトラックで移動販売する『デイジーニリー号』の自家焙煎コーヒーで一息。
アイヌの伝承地ハヨピラの近くにある義経神社。その佇まいを隠すような猛吹雪に見舞われた。/義経神社 北海道沙流郡平取町本町119-1
近くには、源義経が訪れ、農耕などを教えて地域に恩恵をもたらしたと伝えられる義経神社もある。さまざまな伝説が残る神社は、その秘密を守るように、深い雪に閉ざされていた。
日帰り温泉も楽しめる『丸駒温泉旅館』。/丸駒温泉旅館 北海道千歳市支笏湖幌美内7
支笏湖では、2つの温泉も堪能した。宿泊した『休暇村支笏湖』の温泉は純重曹泉。原生林の湯は、とろり、しっとり、肌を潤してくれる。一方、『丸駒温泉旅館』の天然露天風呂は、足元の砂利の下からぷくぷくと湧いてくる。水位は季節や天候によって変化するが、常に支笏湖と同じ高さであるという。すぐそばに見える湖の存在を肌で感じながら、雪で少しぬるく、深くなった湯と戯れた。
お酒を飲んだ後の “シメパフェ” がブームの札幌。噂を聞き、サッポロファクトリー内の『パーラーエノキ』へ。/パーラーエノキ 北海道札幌市中央区北2条東4 サッポロファクトリー3条館 2F
最後は札幌へ。飲んだ後の “シメパフェ” ブームに火をつけた『佐藤』の新店『パーラーエノキ』で昼間から大人のパフェを堪能し、全てにおいてセンスがあふれる『GRIS』で、最高の食事とワインを味わいながら、旅を振り返ってみる。1泊2日の旅は、ものづくりも、食も湯も全てが、壮大な北の大地を感じさせてくれた。北国を語るに、自然とは必然として、そこにあるものなのだ。
旅の終わりに札幌市内の『GRIS』へ。中華と和食の真ん中みたいな料理とお酒に感動。/GRIS 北海道札幌市中央区南2条西8-5-4 FABcafeビル4F
自家製シュウマイにこの笑顔の山野さん。
平取町立二風谷アイヌ文化博物館
北海道沙流郡平取町二風谷55
二風谷工芸館(平取町アイヌ文化情報センター内)
北海道沙流郡平取町二風谷61-6
休暇村支笏湖
北海道千歳市支笏湖温泉
PROFILE
山野アンダーソン陽子 Yoko Andersson Yamano
1978年生まれ。スウェーデン国立美術工芸大学Konstfack修士課程修了。2001年より陶芸作家でガラスデザイナーのインゲヤード・ローマンに師事。ストックホルムを拠点にガラス作家として活躍する。
●情報は、2019年3月現在のものです。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190511-00010000-kjn-life

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4万年前から6世紀まで こんなに変わった英国人の顔

2019-05-12 | 先住民族関連
ニッケイスタイル5/11(土) 10:20配信

ホワイトホークウーマン、5600年前 小柄でやせた女性で、25歳に達する前に出産が原因で死亡したとみられている(骨盤のあたりに胎児の骨が見つかった)。ブリテン島の新石器時代初期の埋葬地跡であるホワイトホークエンクロージャーで1933年に発掘された。
 2018年、褐色の肌に青い瞳をもった1万年前のイギリス人「チェダーマン」の顔が復元されると、ブレグジットと移民問題で揺れる英国で、真の「先住民」はどんな人々だったのかという論争に火が付いた。そして、2019年、新たに7人のブリテン島の「先住民」の顔が公開された。イングランド南部の海岸で発見された頭骨を基に、法医学の技術を使って復元したものだ。
 この地域が、考えられていたよりも複雑な歴史をもつことを物語っている。7人の顔は、19年1月26日から英国ブライトン博物館・美術館で展示されたものだ。
 博物館のコレクション管理責任者リチャード・ル・ソー氏の説明によると、7人のうち5人は、サセックス州南東部の町ブライトン周辺で発掘された紛れもない地元民であるという。現代に一番近い人物は1500年前の男性で、死亡時の年齢は40代と考えられている。この男性は、ローマ人によるブリタニアの支配が終わり、大陸からゲルマン人が侵入した6世紀のアングロ・サクソン時代に生きていた。ちなみに「イングランド」という名称は、アングロという言葉に由来したものだ。
 残る2人は4万年前の人物で、ネアンデルタール人女性と、初期の現生人類の男性だ。実は、欧州のほかの地域で発見された頭骨を使って復元したものだ。約4万年前のイングランド南部・ブライトンには、ネアンデルタール人と現生人類がともに生きていたことが分かっている。
■大陸と陸続きだった時期も
 14カ月かけて古代のイギリス人の顔を復元したのは、考古学者で彫刻家のオスカー・ニルソン氏だ。ほかに、1200年前のペルーの貴婦人や9000年前のギリシャに住んでいた10代少女の顔の復元を手がけたこともある。ニルソン氏はまず頭骨をスキャンし、3Dプリンターで正確な立体模型をプリントする。それに、その人物の出身地、性別、死亡時の推定年齢といった情報から、骨の構造や肉の厚みを決め、手で肉付けていく。
 最近の古代ヨーロッパ人のゲノム解析により、肌、頭髪、瞳の色はある程度正確に推測できるようになった。例えば、7人の1人である5600年前の「ホワイトホークウーマン」が属していた新石器時代の人々は、1万年前のチェダーマンなどよりも肌の色が薄く、瞳の色が濃い。一方、後にユーラシア大陸からやって来た4400年前の「ディッチリングロードマン」は、肌と瞳の色がもっと薄かった。彼は、その頃に大陸からブリテン島に押し寄せ始めたビーカー人と呼ばれる農民の集団に属していた。
 英国は現在、欧州連合離脱交渉の最終段階に入ろうとしている。この展示をきっかけに、ブライトンの先住民やユーラシア大陸との文化的つながりについて対話が生まれることを、ル・ソー氏は期待している。
「私たちがどれだけ大陸と強く結びついてきたか、各時代における民族の大移動がどれだけ私たちの歴史に影響を与えてきたかを伝えられればと思っています」。ル・ソー氏はまた、ブリテン島がユーラシア大陸と過去数度にわたって陸続きだったことがあり、わずか8000年前にもつながっていたと付け加えた。
■それぞれ個性的だった
 興味深い点は、科学によって彼らの人生が明らかにされたことだと、ニルソン氏は言う。「これまで数多くの頭骨を扱ってきましたが、7人はどれも個性的でした。完成した顔から、それぞれの人生が見えたのです」
 特にホワイトホークウーマンには、ただならぬ事情があったことがうかがえる。この女性は5000年以上前に、現在のイングランドとウェールズとの境あたりで生まれ、その後ある時点でサセックスへ向かって東へ数百キロ移動し、新石器時代の墓地に幸運のお守りとともに埋葬されたことが分かった。
 骨盤のあたりに胎児の骨があったことから、女性は出産時に死んだと思われる。顔を復元するという芸術的作業に取り組む際、ニルソン氏はこの科学的洞察を生かすようにした。
「少しばかり好奇心を抱いていて、未来のことを考えているような表情にしようと思いました。この女性は、出産が原因で亡くなったと思われますが、その直前の彼女の姿を想像して顔を復元しました」
 2300年前の男性「スロンクヒルマン」の制作も「苦労した」とニルソン氏は語る。骨の構造から、鉄器時代の20代男性で、「おそらくハンサムな部類に入っていた」と想像できるが、この手の顔はマネキンのようになりがちだという。また、目の上の額が大きく張り出していて、残酷そうな顔つきに見えただろうともいう。「笑みを浮かべさせようとすると、どうしても不気味になってしまいます」
 1500年前の「スタッフォードロードマン」の顔も迷った点があるという。彼はアングロ・サクソン時代の男性で、顔にできたひどい腫れものが原因で死んだとされている。死亡時、腫れものは膨れ上がっていたはずだが、ニルソン氏はその部分をあえて目立たせないことにしたという。
「ある程度の尊厳を持たせ、博物館の来館者に、彼とのつながりを感じてもらいたかったのです」
文 KRISTIN ROMEY、訳 ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック社
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190511-00010003-nikkeisty-life

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