毎日小学生新聞2019年5月8日
北海道ほっかいどうを中心ちゅうしんに暮くらしてきたアイヌ民族みんぞくを支援しえんする新あたらしい法律ほうりつ「アイヌ民族みんぞく支援しえん法ほう」が、国会こっかいで成立せいりつしました。アイヌの人ひとたちが法律ほうりつのうえで初はじめて「先住民族せんじゅうみんぞく」と、はっきり記しるされました。その歴史れきしや文化ぶんかを知しってみましょう。【木村健二きむらけんじ】
どんな暮くらしをしてきたの?
北海道ほっかいどうを中心ちゅうしんに、サハリン(樺太からふと)や千島列島ちしまれっとうなどで暮くらしてきた先住民族せんじゅうみんぞくです。今いまはロシアが実効支配じっこうしはいしている「北方領土ほっぽうりょうど」にも、アイヌの人ひとたちが住すんでいました。
アイヌの人ひとたちは、日本語にほんごではなくアイヌ語ごを話はなしてきました。アイヌとは、アイヌ語ごで「人間にんげん」の意味いみです。動植物どうしょくぶつや道具どうぐなど、自分じぶんの周まわりのものを「カムイ」(神かみ)として敬うやまい、アイヌとカムイが支ささえ合あって生いきているという考かんがえを持もってきました。野山のやまでクマやシカなどの狩かりをしたり、木この実みや山菜さんさいをとったりして食たべていました。川かわや海うみでは漁りょうを行おこない、サケやマスをとりました。うずまきなどの「アイヌ文様もんよう」がほどこされた衣服いふくを身みに着つけていました。
北海道ほっかいどうでアイヌ文化ぶんかが成立せいりつしたのは13世紀せいきごろで、それまで使つかわれてきた石器せっきと土器どきが使つかわれなくなりました。アジア大陸たいりくや本州ほんしゅうと交易こうえきし、狩かりや漁りょうでとったものと、鉄てつ製品せいひんや服ふくなど必要ひつようなものを交換こうかんして手てに入いれました。
北海道ほっかいどうはどう開拓かいたくされたの?
江戸時代えどじだいになって松前藩まつまえはんが置おかれると、アイヌの人ひとたちと交易こうえきするゆるしを得えた家来けらいたちが、有利ゆうりな条件じょうけんで交易こうえきを進すすめました。アイヌに対たいし、本州ほんしゅうの多数たすう者しゃを「和人わじん」と呼よびます。不公平ふこうへいな取引とりひきでアイヌの不満ふまんが高たかまり、和人わじんとの戦たたかいもたびたび起おきましたが、和人わじんが力ちからずくで支配しはいを強つよめました。
明治維新めいじいしんによって成立せいりつした日本政府にっぽんせいふは1869年ねん、アイヌの人ひとたちが暮くらしてきた島しまを「北海道ほっかいどう」と名付なづけました。たくさんの和人わじんが北海道ほっかいどうに移うつり住すみ、原野げんやを切きり開ひらいて田畑たはたにしたり、道路どうろや鉄道てつどうを造つくったりして、開拓かいたくを進すすめました。政府せいふはアイヌ民族みんぞくを「旧きゅう土人どじん」と呼よんで差別さべつし、1899年ねんに北海道旧土人保護法ほっかいどうきゅうどじんほごほうという法律ほうりつを作つくりました。狩かりや漁りょうが中心ちゅうしんだったアイヌの人ひとたちの暮くらしについて、農業のうぎょうを中心ちゅうしんに変かえようとしました。アイヌの子こどもたちには日本語にほんごが教おしえられ、アイヌの風習ふうしゅうだった入いれ墨ずみや耳みみかざりが禁きんじられるなど、アイヌを和人わじんと同おなじようにする「同化政策どうかせいさく」が進すすめられました。こうしてアイヌの人ひとたちは暮くらしの土台どだいを奪うばわれていきました。
どれくらいいるの?
北海道ほっかいどうが2017年ねんに行おこなった調査ちょうさによると、アイヌの人ひとたちは5571世帯せたい、1万まん3118人にんでした。これは13年ねんの前回ぜんかい調査ちょうさよりも1309世帯せたい、3668人にんの減少げんしょうでした。アイヌと名乗なのり出でるのがいやで調査ちょうさに協力きょうりょくしない人ひともいて、実際じっさいにはもっとたくさんいるとみられています。
生活せいかつに困こまっている人ひとにお金かねが支給しきゅうされる「生活保護せいかつほご」を受うけている人ひとの割合わりあいは、住すんでいる地域ちいきの平均へいきんの1・1倍ばいでした。大学進学だいがくしんがく率りつは33・3%と、住すんでいる地域ちいきの進学率しんがくりつよりも12・5ポイントも低ひくくなっています。アイヌの人ひとたちの暮くらしの苦くるしさをうかがわせています。
この調査ちょうさでは、671人にんを対象たいしょうにアンケートも行おこなっています。差別さべつの経験けいけんについての質問しつもんで「差別さべつを受うけたことがある」は23・2%、「自分じぶんはないが、他人たにんが受うけたのを知しっている」も13・1%に上のぼりました。
新あたらしい施設しせつができるらしいね?
国くには、アイヌの歴史れきしや文化ぶんかへの理解りかいを広ひろげる拠点きょてん「民族みんぞく共生きょうせい象徴しょうちょう空間くうかん」の整備せいびを北海道白老町ほっかいどうしらおいちょうで進すすめています。2020年ねん4月がつ24日かにオープンする予定よていです。愛称あいしょうの「ウポポイ」は、アイヌ語ごで「(おおぜいで)歌うたう」という意味いみです。新あたらしい法律ほうりつの中なかでも管理かんりに必要ひつようなことを定さだめています。アイヌ民族みんぞくにルーツを持もつ俳優はいゆうの宇梶剛士うかじたかしさん(56)らがPRアンバサダー(大使たいし)を務つとめています。年ねん間かん100万人まんにんに訪おとずれてもらう目標もくひょうを掲かかげています。
ウポポイは白老町しらおいちょうのポロト湖この周まわりに整備せいびされ、国立こくりつアイヌ民族博物館みんぞくはくぶつかん▽国立こくりつ民族みんぞく共生きょうせい公園こうえん▽慰霊いれい施設しせつ--などからなります。19世紀せいき後半こうはんからアイヌの遺骨いこつが研究けんきゅうを目的もくてきに持もち去さられ、各地かくちの大学だいがくに保管ほかんされている問題もんだいが起おきていて、慰霊いれい施設しせつでは、これらの遺骨いこつを集あつめます。
どんな法律ほうりつなの?
アイヌをめぐっては、1997年ねんにアイヌ文化振興法ぶんかしんこうほうという法律ほうりつができました。「差別さべつ法ほう」といわれた北海道旧土人保護法ほっかいどうきゅうどじんほごほうを廃止はいしし、アイヌ文化ぶんかを広ひろげる取とり組くみが強つよめられました。ただ、アイヌを「先住民族せんじゅうみんぞく」とは認みとめず、内容ないようも「文化ぶんか」の分野ぶんやに限かぎられていました。その後ご、2007年ねんに国連総会こくれんそうかいで「先住民族せんじゅうみんぞくの権利けんりに関かんする国連宣言こくれんせんげん」が採択さいたくされ、翌よく08年ねんには国会こっかいでも「アイヌ民族みんぞくを先住民族せんじゅうみんぞくとすることを求もとめる決議けつぎ」がなされていました。
新あたらしい法律ほうりつの正式せいしきな名前なまえは「アイヌの人々ひとびとの誇ほこりが尊重そんちょうされる社会しゃかいを実現じつげんするための施策しさくの推進すいしんに関かんする法律ほうりつ」。アイヌ民族みんぞくを初はじめて法律ほうりつのうえで「先住民族せんじゅうみんぞく」と位置いちづけました。アイヌの人ひとたちへの差別さべつを禁きんじ、その権利けんりや利益りえきを侵おかしてはならないと定さだめます。
アイヌの文化ぶんかを受うけ継つぎ、発展はってんにつながる自治体じちたいの取とり組くみに対たいしては、国くにがお金かねを出だします。また、アイヌの儀式ぎしきを伝つたえるため、川かわでサケをとったり、国有林こくゆうりんで木材もくざいを切きったりすることに関かんする手続てつづきを簡単かんたんにします。
アイヌの人ひとたちは個人こじんへの生活支援せいかつしえんや教育支援きょういくしえんを求もとめてきましたが、新法しんぽうでは見送みおくられました。奪うばわれた土地とちの回復かいふくや補償ほしょうも盛もり込こまれず、国くにの謝罪しゃざいの言葉ことばもないため、「先住民族せんじゅうみんぞくの権利けんりを保障ほしょうできない法律ほうりつだ」と批判ひはんする声こえも上あがっています。
主おもな参考さんこう文献ぶんけん◇
公益財団法人こうえきざいだんほうじんアイヌ民族みんぞく文化ぶんか財団ざいだん「アイヌ民族みんぞく:歴史れきしと現在げんざい」▽加藤かとう博文ひろふみ・若園わかぞの雄志郎ゆうしろう編へん「いま学まなぶアイヌ民族みんぞくの歴史れきし」(山川出版社やまかわしゅっぱんしゃ)▽中川裕なかがわひろし「アイヌ文化ぶんかで読よみ解とく『ゴールデンカムイ』」(集英社新書しゅうえいしゃしんしょ)
https://mainichi.jp/articles/20190508/kei/00s/00s/004000c