先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

アイヌ住居 16世紀のチセ復元 低い屋根、梁ない構造 寒冷期仕様か 伊達の遺跡調査 /北海道

2019-05-16 | アイヌ民族関連
会員限定有料記事 毎日新聞2019年5月15日 地方版
 伊達市噴火湾文化研究所は、カムイタプコプ下遺跡(同市有珠地区)の発掘調査を基に、16世紀のアイヌの住居(チセ)を模型で復元した。これまで各地の博物館などで復元されている近代以降のチセと異なり、先端を削った柱を地面に直接打ち込む「打ち込み柱」が特徴。アイヌ文化も一様ではなく、時代や地域によって変遷していたことを示している。【昆野淳】
 カムイタプコプ下遺跡は、1640年の駒ケ岳噴火に伴う津波堆積(たいせき)物の地層より下にあり、放射…
この記事は有料記事です。
残り444文字(全文661文字)
https://mainichi.jp/articles/20190515/ddl/k01/040/089000c

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<平取 語り継ぐアイヌ語>下 若者ら共感「懸け橋に」

2019-05-16 | アイヌ民族関連
北海道新聞 05/16 05:00
 日露戦争の帰還兵とアイヌ民族の少女が、埋蔵金争奪戦に巻き込まれる話題の漫画「ゴールデンカムイ」。日高管内平取町の二風谷アイヌ文化博物館で昨年2月、原画などの特別展が開かれたことで、今も首都圏などから観光客が訪れる。
 「ふらっと工房に来て、展示物を見る若者が増えた。アイヌ語やアイヌ文化への関心が高まっている」。二風谷の国道沿いで「北の工房つとむ」を営み、作品に描かれたマキリ(小刀)などを作る工芸作家貝沢徹さん(60)はそう感じる。
 アイヌ語の監修を務めたアイヌ語研究の第一人者、千葉大文学部の中川裕教授(63)は、綿密な取材、時代考証を高く評価する。「アイヌの人々がいかに言葉を大切にしているのか、世界観や精神文化を知るきっかけにしてほしい」
■お笑いで一役
 アイヌ語は一般社会ではほとんど話される機会がなく、発信には町内出身の若者が一役買う。同郷の縁で2015年に結成したお笑いコンビ「ペナンペパナンペ」。アイヌ語を織り交ぜながら、民話や食文化、儀礼などを基にしたコントを道内各地で披露している。
 川上竜也さん(43)は「お笑いを通してアイヌ文化を分かりやすく伝えたかった」。相方の川上将史さん(36)も「アイヌ文化は格好良い。自然に宿るカムイ(神)との共生など多くの人に魅力を知ってもらい、共感してほしい」と話す。
■文化を動画で
 神奈川県藤沢市の慶応大で学ぶ2年生、関根摩耶さん(19)は父健司さん(47)からアイヌ語を教わり、昨年度はラジオのアイヌ語講師を担当した。町内を走る路線バスで車内に流れるアイヌ語は彼女の声だ。
 4月からインターネットの「ユーチューブ」を使い、アイヌ語や文化を紹介する動画の公開を始めた。友人にも協力してもらい、あいさつや日常会話などをテーマに1本3分ほど。週2本程度を順次流す。動画は10本を公開し、視聴は計1万回以上に及んだ。
 「誇れるアイヌ文化を多くの人と共有し、身近に感じてほしい。アイヌ民族が誇りを持ち、互いをつなぐ懸け橋になれば」。いずれはアイヌ文化の伝承者のインタビューも発信したい考えだ。
 町民らが口承文芸や古式舞踊を発表する町伝統行事「シシリムカアイヌ文化祭」は2月の開催で、30回目の節目を迎えた。アイヌ文化を継承する貴重な場で、出演者は延べ5千人以上。発起人の1人で、萱野茂二風谷アイヌ資料館長の萱野志朗さん(61)は父茂氏に続き、親子2代でアイヌ語の復興に力を入れる。「いつかアイヌ語を公用語に」。アイヌ語を守り、次世代に伝える取り組みは続く。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/305483

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

樺太アイヌの足跡に光 漫画「ゴールデンカムイ」 描かれた独自文化 現地に名残

2019-05-16 | アイヌ民族関連
北海道新聞 05/16 05:00

かつて落帆と呼ばれたレスノエ。約100人の住民が静かに暮らす
 【ユジノサハリンスク細川伸哉】野田サトルさん(北広島市出身)の連載中の人気冒険漫画「ゴールデンカムイ」は、アイヌ民族の少女らが活躍する舞台が明治時代末期の北海道から樺太に移り、樺太アイヌに光が当たる。北海道のアイヌ民族に見られない独自の文化や、日ロ係争のはざまで安住を奪われた歴史は、政府が胆振管内白老町に整備するアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」でも大きなテーマだ。
 ユジノサハリンスクから約50キロ。未舗装の道路を抜けると、オホーツク海に面し、約50軒の木造住宅が並ぶ小さな集落レスノエがあった。戦前の日本統治時代、落帆(おちほ)と呼ばれた村だ。
 落帆は1905年(明治38年)の日露戦争後、日本が南樺太に和人の入植をしやすくするなどの目的で、樺太アイヌを集住させた約10カ所の一つ。言語学者の金田一京助が07年、子どもから樺太アイヌ語を学んだ地で知られる。漫画はその時代が描かれ、日ロの歴史、樺太アイヌの足跡や営み、ウイルタ民族など先住民族の存在を紹介している。
 48年に移住した長老のリディヤ・ジミナーさん(73)によると、当時は「日本人」が村に残留していると思っており、「(中でも)先住民族だったと知ったのは、旧ソ連解体後、日本の研究者らが訪れてから」。現在、戦前の建物は残らないが、村を流れる川は「オチプハ」と名残をとどめ、夏にカラフトマスが群れをなして遡上(そじょう)するという。「私たちも山菜や魚を捕って生活してきた。先住民族とさほど変わらぬ暮らしを続けたのかもしれません」
■ビーズを連ね
 漫画には、北海道アイヌの少女アシリパを追って、主人公の元陸軍兵士、杉元佐一が、落帆を題材にした村を訪れるシーンがある。樺太アイヌの子が紹介する「ホホチリ」と呼ばれる伝統品は、ビーズを連ねた一辺約4センチの三角形の飾り物。男児が前髪にぶら下げたとされ、北海道アイヌにはない独自の文化だ。
 国内でただ1点、北海道博物館に現存するホホチリは、落帆生まれの樺太アイヌ、安部洋子さん(86)=川崎市=が9年前に寄贈した。同郷の親戚から戦後受け継いだもので、「昔は価値が分からなかったが、広く知ってもらえるのは誇らしい」と話す。
■犬ぞりで通学
 安部さんの父方の先祖は1875年の樺太千島交換条約の結果、対雁(江別市)に強制移住させられ、母方はロシア領になったサハリンに住み続けた。同化政策で日本語教育を受けた安部さんに言語は受け継がれなかった。それでもイラクサで母が織った衣服やサケ皮の靴を身に着け、冬は犬ぞりで通学。犬ぞりも北海道アイヌに見られず、漫画に描かれた「トホトホトー(前進)」の合図は、安部さんの記憶と重なる。
 安部さんは4年前、落帆での生活を記録した「オホーツクの灯(あか)り」を出版。白老町に来年開設される国立アイヌ民族博物館設立準備室の田村将人主任研究員(43)は「落帆は日本化が最も進んだ集落とされていたが、独自の文化が生活に色濃く残っていたことが分かる」と話す。博物館では安部さんが語るビデオを上映する予定だ。
★アシリパの「リ」は小文字
★ホホチリの二つめの「ホ」は小文字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/305470

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<英語で言えた>(5月16日)

2019-05-16 | アイヌ民族関連
 北海道新聞05/16 05:00
 A law to protect and promote Ainu culture and industry was passed in April. It is the first law to recognize the Ainu as a native ethnic group.
 The Ainu have lived in Hokkaido and nearby areas for a long time. In the Meiji period, people from Honshu took their land and forced them to give up their own language and way of life.
 The law aims to make up for past discrimination. However, some Ainu say it is not enough to restore the rights they have lost.
 アイヌの文化や産業を保護し、振興する法律が4月に成立した。アイヌの人たちを先住民族と認めた初の法律だ。
 アイヌの人たちは長い間、北海道や周辺地域で暮らしてきた。明治時代に本州から来た人たちが彼らの土地を奪い、独自の言語や暮らし方を捨てるよう強制した。
 法律は過去の差別を償うことを狙いとしている。しかし一部のアイヌの人たちは、失った権利を取り戻すには十分でないとしている。
【ポイントの単語など】
・promote「促進する、振興する」 ・recognize「認める」 ・ethnic「民族の」 ・force「強制する」 ・make up for「~を償う」 ・discrimination「差別」 ・restore「取り戻す、修復する」 ・right「権利」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/305385

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ文化にふれる旅

2019-05-16 | アイヌ民族関連
日高報知新聞2019.05.15

堀さんの指導でストラップ作り体験
 日本旅行のツアー企画「平田進也の楽笑旅 北海道日高でアイヌ文化にふれる旅」が12~14日の日程で、関西方面から21人が参加して平取、浦河、様似3町を巡った。
 ツアーは、全国的に「ナニワのカリスマ添乗員」として有名な同社の平田進也さんが企画し催行。ひだか観光大使・まちづくり観光デザインセンター代表のかとうけいこさんも同行した。
 12日は平取町の二風谷アイヌ文化博物館などを見学し、浦河町で宿泊。13日は同町のJRA日高育成牧場やアイヌ伝説が残る様似町の「親子岩」などを見て、浦河町でアイヌ文化や料理を体験。14日は登別温泉や支笏湖温泉でのショッピングを楽しみ、旅の途中でアイヌ伝統文化にふれた。
 13日には浦河町の堺町生活館で、アイヌ生活指導員の堀悦子さんが指導し、木の皮でできた紅白の素材を使い、手仕事で織り上げるストラップ作りを体験した。
 昼食では、堀さんらが作ったアイヌの伝統料理のキンキのたたき(チタタプ)、昆布ダレの団子(コンプシト)や鹿汁(ユクオハウ)などのアイヌ料理を味わった。
 大阪から参加した塚本博子さん(84)は「飾りづくりは難しいが、ツアー先ではタコや三平汁、おやきなど美味しいものばかり。JRAの施設では馬を見て景色もよかった」とツアーの感想を話した。
 平田さんは昨年、日高振興局が道外旅行代理店向けに実施した同内容のプレゼンテーションツアーへ参加しており、今回、日本旅行のツアーとして企画した。
 平田さんは「アイヌ文化は過去の歴史では暗い部分も多いが、その伝統文化には素晴らしいものがたくさんある。見学だけでなく、実際体験してもらう内容を盛り込んだ。浦河をはじめ日高には美味しい食事や美しい景色など優れた観光資源があり、もっとアピールすべき。今回のツアーで学んだことを今後活かしてもっと充実していきたい」と話していた。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/11636

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人、縄文人DNAは10% 礼文の人骨をゲノム解析

2019-05-16 | アイヌ民族関連
北海道新聞 05/14 05:00
 現代の日本人が、祖先の縄文人のDNAの約10%を受け継いでいるとする研究結果を、国立科学博物館(東京)などの研究グループが13日発表した。宗谷管内礼文町の船泊(ふなどまり)遺跡から出土した縄文時代後期の女性人骨から、ゲノム(全遺伝情報)を高精度に解析した。グループは「古代人のゲノム研究を進める上で非常に重要なデータになる」としている。
 船泊遺跡で1998年に出土した女性人骨「船泊23号」の歯からDNAを抽出。寒冷地で見つかったためDNAの保存状態が良く、現代人と同レベルの解析が実現した。
 解析結果から、縄文人は1万8千~3万8千年前、大陸の漢族と共通する祖先から分岐したと推定。現代の日本人が受け継いだ縄文人のDNAの割合は、北海道に住むアイヌ民族で70%、沖縄に住む人で30%弱と高かった。
 アイヌ民族が多くの遺伝情報を受け継いだ理由について、神沢秀明・国立科学博物館研究員は「縄文時代の後も狩猟採集が中心の北海道独自の文化が続いたことで、農耕民族との遺伝的交流が少なく混血が起こりにくかったのでは」と分析している。
 縄文人がロシア極東部や朝鮮半島、台湾の先住民などと遺伝的に近いことも判明。比較的少数の集団で狩猟採集生活を続けていたことも新たに分かった。
 身体的特徴として、この女性は肌の色が濃く、瞳は茶色で酒に強く、耳あかは湿る体質だったことも分かった。高脂肪食に適応する遺伝的特徴も確認され、アシカなどの海獣を食べる生活様式と関連する可能性が指摘された。(尾張めぐみ)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/304742

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<平取 語り継ぐアイヌ語>上 民族の誇り復活が原点

2019-05-16 | アイヌ民族関連
北海道新聞 05/14 05:00
 「チロンヌプ チシ(キツネが鳴く)」「リ リテンニ(高いツツジの木)」。日高管内平取町の生活館で、毎週木曜午後6時から始まる二風谷アイヌ語教室子どもの部。講師がアイヌ語でかるたを読むと、輪になった小中高生約20人が復唱する声が美しく響いた。
■歌や踊り通じ
 教室では1回90分、歌や踊りを通してアイヌ語を学ぶ。通い始めて3年になる二風谷小4年の加藤翔太君(9)は「遊びながらアイヌ語を覚えられる」とうれしそうに笑った。
 月2回の成人の部は聞き取りや会話を練習する。誰でも参加でき、町内を中心に遠くは札幌や帯広から受講に来る人もいる。開催は子どもと成人の部を合わせ1400回以上、参加者は延べ3万人を超えた。
 教室の前身は、アイヌ民族初の国会議員、故萱野茂さんが1983年に設立した私塾「二風谷アイヌ語塾」。アイヌ民族が多く暮らす二風谷で「自らの民族の言葉に誇りを」との思いを込め、教室は道ウタリ協会(現道アイヌ協会)が運営する形で87年に始まった。
 道が助成する同様の教室は帯広や白老など全道15地域に広まった。だが、2009年に一部の支部で不適切会計が発覚した余波で、教室数は徐々に減った。
■住民が支えに
 二風谷アイヌ語教室が存続できたのは、発足当初から補助金を出し続けた町の支えだけではない。運営委員長の元自営業、川奈野一信さん(84)は「熱心に通う地域住民の理解、協力が大きかった」と振り返る。
 アイヌ語は母音が五つと日本語との共通点が多い半面、子音で終わる語も含むため聞き取りは難しい。
 アイヌ民族の血を引く元林業の木幡サチ子さん(88)は1930年(昭和5年)生まれ。日本語で育てられ、50代後半から熱心に通った教室で、ようやく「民族の誇り」を習得した。「アイヌ語でのやりとりは優しい気持ちになれる」。今では成人の部の講師として、後進の育成に励む。
 若い世代も関心を持つ。幼少期から教室に通う平取高3年、織田瑞希さん(17)は17年9月から3カ月間、ニュージーランドに短期留学した。驚いたのはマオリ語を堂々と話す先住民族マオリの姿だ。「先祖代々のアイヌ語を大切にしようと思った。将来は講師となり、子どもとアイヌ語劇を作りたい」と夢を描く。
 文字を持たず、口づてに語り継がれたアイヌ語。国連教育科学文化機関(ユネスコ)が「消滅の危機にある」と指摘したのは09年のことだ。そんなアイヌ語の継承に、本州から約20年前に二風谷へ移り住んだ男性が、大きく貢献している。(静内支局の川崎博之が担当し、3回連載します)
※「チロンヌプ チシ」の「プ」と「シ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/304716

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「新法はまだ道なかば」【新ひだか】

2019-05-16 | アイヌ民族関連
日高報知新聞2019.05.14
【新ひだか】日高地区アイヌ協会連合会(会長・菊地修二様似アイヌ協会長、会員634人)の本年度総会が12日、町公民館で開かれ、新年度の事業計画などを承認。昨年の総会で加盟した日高アイヌ協会からの役員2人を承認した。
 連合会は管内8協会で構成。アイヌ民族の尊厳を確立し、社会的地位の向上と民族文化の伝承保存・発展、団体相互の連携強化を図ることを目的に、伝承保存活動への支援や団体相互の親睦と連絡調整などで活動している。  総会には各地区協会の代議員のほか、来賓として藤沢澄雄、金岩武吉両道議、様似、浦河、新冠、平取、様似の各町長が出席。
 4月に法律で初めてアイヌ民族を「先住民族」と位置付けたアイヌ民族に関する新法が国会で成立。菊地会長は「新法の内容は十分ではなく、これから枝葉と花をつけ、アイヌの利益となるようしていく必要がある。新法はゴールではなく道なかば」とあいさつした。
 来賓からも「長い長い苦しい戦いの中で、ここまで来た。大切なことは目標をもって、しっかり次の世代につなげること」(金岩道議)。「新法は入口に達した段階。自民党の議員の中にもアイヌ民族に対する知識不足や誤解している議員がいる。国民に理解してもらうには一歩ずつ物事を進める必要がある」(藤沢道議)などと話した。
 本年度事業計画では、組織の強化や先住民族の権利に関する活動、次世代を担う人材の育成、イオルの整備促進や民族共生象徴空間関連の要望など。
 また、親睦パークゴルフ大会(6月23日、浦河町)、青年・女性交流の集い(来年1~2月、様似町)、広報活動・生活向上推進事業などを実施する。  新たな役員として、日高アイヌ協会から門別初男さん、澤博さんが理事に就任した。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/11623

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(私の視点)アイヌ新法成立 先住権の保障、なお課題 テッサ・モーリス=スズキ

2019-05-16 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2019年5月14日05時00分
 「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」が先月、国会で成立した。アイヌの人々が「先住民族」であることを法律に明記した初めてのものとなる。
 日本政府も賛成し、2007年に国連総会で採択された「先住民族の権利に関する宣言」にともない、世界中で先住民族の権利拡大の動きが進む。今回の法律はアイヌ民族を先住民族と認定した点では評価できるが、基本的な課題を残したままの法律となってしまった。先住権の保障に、まったく触れていないからである。
 先住権には、先住民族が住んだり所有したりしていた土地での民族自決権や自治権、土地権、山林や河川における採取・狩猟(生活)権などが含まれる。世界中の多くの国で、先住民族の認定は先住権とセットになっている。先住民族と先住権は切り離せない関係にあるからだ。
 私が住むオーストラリアでは、すでに国土の4分の1が先住民族に返還された。台湾でも、先住民族基本法に基づいた土地返還のプロセスが進行中だ。カナダもニュージーランドも米国もオーストラリアも、返還された土地ではもちろんのこと、国立公園や国有地などで、そこにある資源を利用した広範な経済活動を先住民族に認めている。
 今年1月の施政方針演説で安倍晋三首相は「アイヌの皆さんが先住民族として誇りを持って生活できるよう取り組みます」と述べた。しかしその政策は「人権」や「民族共生」の項ではなく、北海道白老町に「民族共生象徴空間」を創設するとして「観光立国」の項に入れられていた。先住民族の資源権を認めない政府が、逆に先住民族を観光資源として利用しようとしているのである。
 英国という遠い国の人々が植民地にしたオーストラリアとは異なり、アイヌ民族の場合は日本国家が少しずつ拡張しながらその土地や権利を奪っていった。奪った側に「土地は先住民族のもの」という意識が薄くなっていたことが、先住権が認められなかった一因だろう。
 先住権を認める政策に対し「少数派を優遇するな」と訴える人々は、どの国にもいる。だが、圧倒的に強い国家・国民と少数の民族という、非対称な権力構造のもとで行われた収奪で、奪った者と奪われた者の権利を同一視することはできない。
 北海道の国有地を返還するのには長い道のりが必要かもしれないが、国有地で先住民族の資源権・生活権を保障することは今すぐにでも実行可能だし、現に多くの国々が行っている。先住権獲得への闘いは、新たなステージに入った。
 (歴史学者・豪国立大学名誉教授)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14012905.html?_requesturl=articles%2FDA3S14012905.html&rm=150

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出版 ライアー奏で世界旅 弦楽器奏者・まかなさん、CD付き本 音楽介した出会いつづる /愛媛

2019-05-16 | 先住民族関連
会員限定有料記事 毎日新聞2019年5月15日 地方版
 映画「千と千尋の神隠し」の主題歌でも使われた弦楽器・ライアーに魅せられた今治市在住の奏者・まかな瑠音(るおん)さん(69)が、国内外での出会いや音楽への思いをつづった「風の描いた旋律」(晴耕雨読刊)を出版した。オリジナル19曲を収録したCD付きで、古代ギリシャの竪琴(たてごと)をルーツに持つ響きとともに独特の世界を楽しめる。【松倉展人】
 まかなさんは横浜市生まれ。大学卒業後、ピアノや電子オルガンを自宅で教えてきたが、48歳のある日、ふ…
この記事は有料記事です。
残り462文字(全文682文字)
https://mainichi.jp/articles/20190515/ddl/k38/040/437000c

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ナバホ族の「コードトーカー」が死去、97歳 2次大戦に従軍

2019-05-16 | 先住民族関連
CNN 2019.05.15 Wed posted at 13:30 JST

ナバホ族の「コードトーカー」、フレミング・ビゲイ氏=2017年、ホワイトハウス/Oliver Contreras/Pool/Getty Images
(CNN) 第2次世界大戦時、破ることができないとされた暗号を駆使する通信兵(コードトーカー)として従軍したナバホ族出身の元海兵隊フレミング・ビゲイ氏が死去したことが15日までにわかった。97歳だった。ナバホ・ネーションの大統領が明らかにした。
ビゲイ氏は1921年、アリゾナ州レッドバレーで生まれた。コードトーカーとして1943年から1945年に従軍し、タラワやテニアン島など太平洋方面で戦った。今月10日に死去したが死因は公表されていない。
ビゲイ氏はコードトーカーのひとりとして暗号を習得。暗号は、第2次大戦中、無線や電話を通じて戦術や部隊の移動、命令に関する情報を届けるのに使われた。この暗号は日本軍に解読されることはなく、硫黄島やサイパンでの勝利に大きく貢献した。硫黄島では48時間の間に誤りのない800を超えるメッセージを送ったとされる。
ビゲイ氏は2017年11月にホワイトハウスで表彰を受けた当時生存していた3人のコードトーカーのひとりだった。
米軍は第1次世界大戦時にチョクトー族の言葉を暗号の一部として使用していた。米中央情報局(CIA)によれば、その後、日本やドイツがチョクトー族やそのほかの先住民の言語を習得するよう取り組んだという。
しかし、ナバホ族の言葉は、ナバホ族でない人々にとっては難解であるほか、文字に書かれることもなかった。こうしたことから海兵隊は1942年から29人のナバホ族の訓練を開始。模擬戦ではナバホ族の暗号が当時使用していた暗号用の機械よりもはるかに高速なことが証明されたという。
終戦までに400人を超えるナバホ族が暗号を習得した。
コードトーカーについて機密が解除されたのは1968年。彼らの存在が広く知られるにはさらに多くの年月が必要だった。2001年には当時のブッシュ大統領が初期の29人に対して議会名誉黄金勲章を贈っている。
https://www.cnn.co.jp/usa/35136967.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする