先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

北海道の森の奥

2014-12-30 | アイヌ民族関連
=2014/12/29付 西日本新聞朝刊=
2014年12月29日(最終更新 2014年12月29日 01時42分)
 北海道の森の奥。人知れず、ニングルという小人たちが暮らしている-。こんな話を脚本家の倉本聡さんが小説に書いている。新聞記者になって27年目の年の瀬。あらためて記者という仕事について考え、ニングルを思い出した。
 「記者は井戸掘り職人なんだよ」。約20年前、先輩はこう言った。取材で物事の背景を掘り下げ、地下の水脈のような隠れた真実を明らかにするのが務めだから。しかし、インターネットやスマートフォンなどが普及し、アナログな新聞には冷たい雪が降っている、ともいえる。
 小説では、最後に「チュチュ」という名のニングルが街中に種をまく。失われた森を復活させるために。「チュチュ」は、アイヌ語で「芽」という意味。倉本さんは、便利さに溺れた人間社会に警鐘を鳴らしたのだと思う。
 私は今、こども記者と一緒に取材する部署にいる。少しでも芽が出るように種をまく人でありたい。 (江田一久)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/desk/article/136421

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映画『ミタケオヤシン』インディアン居留地での上映を実現させるクラウドファンド実施中

2014-12-30 | アイヌ民族関連
webDICE-2014-12-28 11:54
アーティスト加藤翼とネイティブアメリカンの交流描く作品、1/3よりアップリンクで上映
クラウドファンディングサイトMotionGalleryとwebDICEとの連動連載、今回は2015年1月3日(土)より渋谷アップリンクで上映される映画『ミタケオヤシン』のインディアン居留地での上映を実現させるプロジェクトを、江藤孝治監督からのメッセージとともに紹介する。
『ミタケオヤシン』は、現代アーティスト・加藤翼と、現在を生きるアメリカ先住民=ネイティブアメリカンとの交流を描いたドキュメンタリー映画。先住民と出会い、言葉を交わす中で彼のアート「引き興し/引き倒し」が生まれる様子を追いかけている。
今回のプロジェクトでは、1,750,000円を目標に、2015年2月25日23:59までクラウドファンディングを行なう。500円から応援が可能で、30,000円で加藤翼サイン入りパンフレットと本作DVD(コレクター限定パッケージ)、江藤監督サイン入りB2ポスターのほか、特製エンドクレジットに氏名を記名。100,000円で今作の自主上映権1回分を進呈、そして300,000円の協力で監督のトーク付き自主上映開催権1回分(監督の交通費・宿泊費は別途負担)などの各種特典が用意されている。詳しくはプロジェクトページまで。
なお、上映される渋谷アップリンクの劇場に併設されているアップリンク・ギャラリーでは『ミタケオヤシン』展として、ネイティブアメリカンのアメリカ居留地マップや同化政策の資料などの展示を行なっている。
先住民を迫害する力構造に立ち向かうためのヒント
タイトル『ミタケオヤシン』とは、ネイティブアメリカン・スー族の言葉で「すべてのものは連関している」という意味。本作の主人公である現代アーティスト、加藤翼が行なっているアート「引き興し/引き倒し」は、巨大な構築物を打ち立て、それにロープをかけて大勢の人を巻き込みながら引っ張り起こす、あるいは引っ張り倒すというプロジェクト。人々が「力を合わせる瞬間」を作り出すことを目的に、延べ27か所で500人を数える人たちがこれまで参加してきた。
プロジェクトを始めた当初は、主に構築物を破壊音とともに倒す「引き倒し」を行っていたものの、東日本大震災を転機に、構築物をゆっくりと起き上がらせる「引き興し」として、代表作である「The Lighthouses - 11.3 PROJECT」を実施。彼がボランティア活動をしていた福島県いわき市で、現地にあった壊れた灯台を巨大な構築物として再現。離散した住民やボランティアなどが一同に力を合わせ「引き興し」を行なった。
こうした活動のなかで、アメリカの持つグローバリズムが、小さなローカリズムを飲み込んで行く構図の象徴として、アメリカ先住民に興味を持ち、アメリカのインディアン居留地に飛び込み、現在を生きる先住民と直接交流を重ねた。先住民が語った「居留地」の現状と悲しき「同化政策」の歴史を知り、それらを乗り越えるためのプロジェクトを行うことを決める。
先住民の迫害の歴史は、アメリカだけでなく、オーストラリアのアボリジニやアラスカのエスキモー、あるいは2015年に公開となる『トゥーマスト ~ギターとカラシニコフの狭間で~』で描かれるサハラ砂漠の遊牧民・トゥアレグ族など、世界各地に存在する。日本に目を向ければ、アイヌの人々に対して国を挙げて同化政策を行った過去があり、米軍基地問題や原子力発電所の問題も同じ構造が当てはまると言えるだろう。
そうした迫害の構造と問題に対して、アートは根本的な解決を提示するものではないが、加藤翼の「引き興し」は、その力に立ち向かうためのヒントを与えてくれるのではないか。『ミヤオタケシン』はそうした、立ち行かない状況に置かれてもがいているすべての人に観てほしいという思いのもと完成した。
江藤孝治監督からのメッセージ
「アメリカ先住民の想いをすくいあげる」
【映画『ミタケオヤシン』について】
今回の取材で私は初めて、アメリカ先住民の人々が置かれた状況を知りました。
特に本作で登場する「インディアン・ボーディングスクール」という寄宿学校の存在には驚きました。先住民の子どもに白人文化の教育を強制することで、アイデンティティを断ち切り民族の存在自体を消滅させようという、アメリカ政府の同化政策を体現した施設です。それが30年前まで存在した事自体も大きな驚きでしたし、その余波が今も続いていることに戦慄が走りました(詳しくはファンディングのページをご覧ください)。
大きな勢力に小さな勢力が飲み込まれアイデンティティを失う恐ろしさは、日本人の私にとっても他人事とは思えません。日本人はアイヌの人々に対して同じような同化政策を敷いたことがありますし、沖縄基地問題や原子力発電所の問題など、経済的大勢が地域に根を張り、脱し難い依存関係を作り出して行く構図は原住民のそれと酷似しています。
何より先住民の人々の底知れない悲しみを知れば知るほど、加藤さんのアートに何が可能なのか、私は固唾を飲んで撮影しつづけました。
映画の最後に、加藤さんのアートを体験した方がこう語ります。「私達が負った傷は時間が癒してくれるしかない。しかしこうした出来事は、傷が癒えるスピードを早めてくれるんだよ」。
この言葉は、私にとって希望の言葉になりました。加藤さんのアートは彼らの想いを少しだけでもすくいあげ外に出したのでした。そして、この映画を作り上映する行為もまた、もしかしたら彼らの癒しに繋がるのかもしれないと思えました。今度は私が良い映画を作らなければと、今日までの私のモチベーションになっています。
映画が完成した今、より多くの方にこの映画を観てもらう事が何よりの恩返しになるのではないかと思っています。それは日本だけでなく、アメリカの地でも。その第一歩として、お世話になった彼らの元で映画を上映してみたいのです。
これがきっかけとなり、全米や世界中に広がって行けばと思います。映画が広がっていく事で、彼らの傷が癒えるスピードがまた少し早まったら、これ以上嬉しい事はありません。個人的な想いではありますが、映画が届いた方はぜひ、ロープに手をかけ応援してください。
映画『ミタケオヤシン』
2015年1月3日(土)~2015月1月16日(金)
渋谷アップリンクにて公開
2013年8月、アメリカ―スタンディングロック・インディアン居留地。荒漠たる原野の一角に、若き日本人の姿があった。現代アーティスト、加藤翼。吹き出す汗をぬぐいながら、電動ノコギリで木の板を破砕し、組み上げて行く。 加藤のアートプロジェクト「引き興し」のための部材づくりが進んでいた。 アメリカという国がまだ存在しない時代から大陸に暮らしていた先住民=ネイティブ・アメリカンと呼ばれる人々。加藤は知人の紹介で、マイルスやラドンナら、現代のネイティブ・アメリカンと出会う。先住民の暮らしに興味を示す加藤をマイルス達は歓迎した。祭りや儀式に連れられ交流を重ねるうちに、加藤はネイティブの人々の穏やかな人柄や、彼らが置かれた複雑な状況を知る事になる。そして、ヨーロッパ移民に受けた痛ましい迫害の過去さえも――。 彼らの口から語られる幾多の記憶にアートの着想を得た加藤は、居留地内に巨大な構築物を打ち建てた。そして数十本の黄色いロープをかけ、叫んだ。「みなさん、力を貸してください」。その場に集まった人々は、ひたむきな加藤の想いに応えるようにロープに手をかける。そして加藤の掛け声に合わせて一斉に引っ張り始めたのだった。
出演:加藤翼
監督:江藤孝治
製作・著作:株式会社グループ現代
協力:無人島プロダクション
2014年/カラー/16:9/full HD/ドキュメンタリー/80分
http://www.uplink.co.jp/movie/2014/34564
公式サイト:http://mitaoya.com/
公式Facebook:https://www.facebook.com/mitaoya.project2014
公式Twitter:https://twitter.com/mitaoya_movie
http://www.webdice.jp/dice/detail/4524/

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極東はるかなる旅人 林蔵の道 子孫たち

2014-12-30 | アイヌ民族関連
北海道新聞(2014/12/27)
 間宮林蔵には子どもがおらず、直系の子孫はいないとされていた。だが、2002年、林蔵より後の蝦夷地(北海道)探検家、松浦武四郎の研究家秋葉実さんが、武四郎の記録や聞き取り調査を元に、林蔵と先住民族アイヌの女性との間に女の子が生まれ、道内に子孫がいることを突き止めた。林蔵は「間宮」の姓を使うことを許していたが、明治時代となり子孫が役場に「マミヤ」と届ける際、何らかの理由で「間見谷」となったらしい。  林蔵が1844年に江戸で死去した後、家系が途絶えないようにと養子が迎えられた。現在、その士分を継いだ東京の間宮家と、生家が残る茨城県つくばみらい市の両間宮家がある。東京では6代目秀治さん(80)、7代目崇さん(42)、8代目彬君(8)が継ぐ。つくばみらい市には8代目正孝さん(54)がおり、林蔵の顕彰活動に力を注ぐ。
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/video/?c=special&v=857979304002

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