goo blog サービス終了のお知らせ 

先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

室蘭漁協が「山づけ」の選別作業~20日から販売

2014-12-15 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2014年12月14日(日)朝刊】
 室蘭漁業協同組合(室村吉信組合長)による「山づけ」の選別作業が13日、室蘭市舟見町の同漁協作業場で始まった=写真。11月中旬に室蘭沖で水揚げされた中から、特別に選び抜いた雄サケを使用している。20日から同漁協事務所で販売をする。
 「山づけ」はアイヌ伝統の保存食で、もともとは土間にいむしろをひき、サケを山のように積んで塩に漬けて作ったのが由来だという。
 八雲町内の業者が加工しており、粗塩で2度漬けしたあと、2週間寒風に当てている。同組合の後藤裕晶さんによると、例年、販売初日にほとんど完売するといい、今年は約400本を出荷する。
 13日はパートら8人が、真空パックされた「山づけ」を計量し、2・2キロ以下、2・2~2・5キロなど、重さごとに数種類に分け、パッケージに「S」や「M」などのシールを貼り、手際よく段ボールの中に入れていた。後藤さんは「おいしいので、ぜひ食べてください」と話している。
 販売価格は大きさで異なり、1本3600円~4700円。化粧箱入りは300円増し。販売開始日の20日は午前9時~正午。平日は午前9時~午後5時。問い合わせは同漁協、電話0143・24局3331番へ。
(池田勇人)

【写真=選別される山づけ】
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2014/12/14/20141214m_02.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ語の意味が分かれば納得! 地形表す難読地名 ピヤラ

2014-12-15 | アイヌ民族関連
北海道新聞  (2014/12/09)
ニレの皮を漬けておく川/はげ山で石の落ちるところ/地の頭の出ている岬 釧路町沿岸を歩く
 【釧路町】来止臥(きとうし)、浦雲泊(ぽんとまり)、分遺瀬(わかちゃらせ)―。道内の地名はアイヌ語を起源とするものが多いが、とりわけ町沿岸には非常に読みづらい難読地名が目立ち、道民でも読める人は少ない。コンブ漁が盛んで古くからアイヌ民族が住んでいた集落に、漢字名を無理やりつけたためだ。「釧路地方の地名を考える会」幹事の中江徹さん(65)と沿岸を歩き、地名の由来と歴史を考えた。(長谷川裕紀)

 町沿岸はかつてアイヌ民族の集落が点在。アイヌ語地名の大半は地形や植物など自然に由来している。地元のコンブ漁師だった故佐藤清八さんが昆布森漁協発行の「昆布森沿岸の地名考」にその起源=表=を書き残している。
 難読地名を巡るには高台を走る道道「北太平洋シーサイドライン」を走るのが一番。釧路市から町内仙鳳趾に向かうと、昆布森トンネルの手前右手の海辺に小高い山が見える。アイヌ民族が見張りなどをしたチャシ(とりで)だ。中江さんは「松前藩が交易するアイヌ民族の集落ごとに条件に差をつけたことで、争いが生まれた。海を移動する他部族を監視する必要があったのでしょう」と解説する。付近は嬰寄別(あっちょろべつ)と呼ばれ、意味はニレの皮を漬けておく川。伝統衣料のアットゥシを作る材料になるニレの皮を川にひたした場所だったというが、監視場所の意味はない。
 シーサイドラインを走ると、沿岸は断崖が多いことに気付く。かつては砂浜があり、釧路から厚岸を目指す旅人が歩いたという。断崖下には集落があった所もあり、古い村を意味する伏古(ふしこ)には江戸時代に幕府の旅宿所があり、多くの旅人が宿泊したという。1810年(文化7年)の絵図には当時の建物が描かれており、岩などの地形は今も面影を残している。
 他にも古番屋(ふるばんや)には厚岸と釧路の中継拠点だった会所があったほか、賤夫向(せきねっぷ)からは崖と海の間に砂浜が見え、かつて交通路だったことがうかがえる。
 町内沿岸は良質なコンブが採れることで知られる。明治時代の漁場請負人、佐野孫右衛門が各集落にコンブ漁業などをする100戸を移住させたことで和人が定住した。当初はアイヌ語地名をカタカナで使用していたが、大正期に内務省が漢字で表記するよう指示を出したことで、アイヌ語の意味とは無縁の難読地名がつけられた。
 中江さんは「地名を調べると土地の原点が分かる。意味を理解することが地域に誇りを持つことにつながる」と話す。
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/piyar/251893.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

折口信夫という「謎」---『折口信夫』著・安藤礼二

2014-12-15 | アイヌ民族関連
現代ビジネス 2014年12月12日(金) 安藤礼二
本書『折口信夫』は、大江健三郎さんの一言からはじまった。拙著『光の曼陀羅 日本文学論』が大江健三郎賞を受賞した際、ただ一人の選考委員である大江さんから、あなたはもう一度あらためて折口信夫の「評伝」を書き直した方が良いのではないか、とアドバイスをいただいた。「評伝」というジャンルには、まだまだ大きな可能性がある。特に折口のように、その生涯にもその思想にも「謎」を秘めた巨大な表現者については、とも。
確かにそうだと思った。当時まで、あるいは現在でも、折口信夫の生涯と思想は、どうしても柳田國男との師弟関係から論じられることが多かった。もちろん、柳田もまた近代日本思想史と近代日本文学史の上に名前を残す偉大な表現者である。しかし、折口は、柳田の影響圏から容易にはみ出してしまう、より過激で過剰なものを抱え込んでしまっていたのではないか、と。
さらには、大江さんのみならず、三島由紀夫や中上健次や村上春樹という、これもまた現代日本文学の可能性を突き詰めた作家たちに、折口は密かに、しかも大きな影響を与え続けてきたのではないのか。そう思ってもいた。
三島や中上は、折口についてのアンビバレントな想いを率直に語ってくれている。大江さんはそれまではほとんど、村上は現在でもまったく、折口について語っていない。しかし、三島の『豊饒の海』四部作、大江さんの『万延元年のフットボール』、中上の『枯木灘』、村上の『1Q84』のなかには、いずれも、折口が自他ともに認める代表作『古代研究』で見出したマレビト、彼方の世界から訪れ、この世界に破壊と再生をもたらす荒ぶる神にして荒ぶる「異人」の面影が感じられてならなかった。
折口がいうマレビトは、生と死、祝福と恐怖、神と人という、相反する二つの側面をもっていた。折口によれば、この列島でマレビトの役割を果たすのは、柳田が民俗学の対象として提唱した「常民」には決して含まれることのない対照的な二つの極、王と詩人、折口自身の言葉で言い直せば「天皇」(ミコトモチ)と「乞食」(ホカヒビト)である。
折口は「天皇」について考え抜いた稀有な表現者だった。折口のマレビトが二重性と両義性をもっていたように、折口の「天皇」もまた二重性と両義性をもっていた。折口は「天皇」の本質を前近代的な社会、いわゆる呪術的な社会を統べる「呪術王」(マジカル・キング)であると考えていた。明治維新を迎えて再生した日本は、グローバルで近代的な国民国家を統べる主権者として、ローカルで前近代的な呪術王を据えてしまったのだ。
おそらくその点に、近代日本の可能性と不可能性、栄光と悲惨がともども由来する。民俗学と国文学が交わる地点に打ち立てられた折口信夫の古代学は、近代日本の陰画そのものだった。しかもその上、折口は「釈迢空」というもう一つの特異な名前(筆名にして「法名」)を用いて、短歌、詩、戯曲、小説、評論等々、日本語で可能であった文学表現のすべての分野で、第一級の作品を残していた。だからこそ、近代の日本に生を享け、近代の日本語を用いて表現せざるを得なかった意識的な作家たちにとって、折口は無視することのできない存在になったのであろう。
そうした折口信夫の生涯に秘められた「謎」を解き明かし、思想のもつ真の「核心」に迫ろうと試みたのが本書である。もちろん、そのような大それた試みが、どこまで実現できたのかは分からない。読者の皆さんからの忌憚のない御意見を、お聞かせいただきたいと思っている。
ただ、本書を書き進めていく過程で、これまでまったく知られていなかったいくつかの資料を発掘することができた。柳田國男に出会う以前の折口信夫は、前近代的で生々しい「神憑り」から生まれた神道系の結社と深い関係をもち、しかしながら、「憑依」が明らかにしてくれるその神秘的な体験の諸相を、きわめて近代的な学問の方法、主体と客体の区別を撤廃してしまう「一元論」の哲学や北東アジア諸地域を対象とした比較言語学にして比較神話学の方法を用いて明らかにしようとしていた。
折口信夫もまた近代日本という両義的な場を、生涯においても思想においても、生き抜いたのだ。だからこそ、いまだに、かけがえのない表現者として存在し続けてくれているのであろう。
(あんどう・れいじ 文芸批評家、多摩美術大学准教授)
読書人の雑誌『本』2014年12月号より
安藤礼二(あんどう・れいじ)
1967年、東京都生まれ。文芸評論家、多摩美術大学美術学部准教授。早稲田大学第一文学部卒業。大学時代は考古学を専攻する。出版社の編集者を経て、2002年「神々の闘争――折口信夫論」で群像新人文学賞優秀作を受賞、批評家としての活動をはじめる。2006年、折口の全体像と近代日本思想史を問い直した『神々の闘争 折口信夫論』(講談社)で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。2009年には『光の曼陀羅 日本文学論』(同)で大江健三郎賞と伊藤整文学賞も受賞した。他に、『近代論 危機の時代のアルシーヴ』『場所と産霊 近代日本思想史』『祝祭の書物 表現ゼロをめぐって』などの著作がある。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41330

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする