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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

踊りや工芸 アイヌ文化体感 平取でアート祭、300人楽しむ

2014-12-23 | アイヌ民族関連
北海道新聞 (12/22 16:00)
 【平取】アイヌ文化の魅力に触れる「NHK AINU ART祭in平取」が20日、ふれあいセンターびらとりで開かれ、町内外の約300人が展示やステージショーを楽しんだ。
 NHK室蘭放送局がアイヌ文化の紹介を目的に初めて企画した。会場では、二風谷民芸組合の職人による工芸品が約30点展示され、同組合の職人が木彫りを実演。入場者がタブレット端末で描いたアイヌ文様をスクリーンに映し、体の動きに合わせて文様を動かす体験ブースなど、多彩なコーナーが用意された。
 ステージでは平取アイヌ文化保存会が古式舞踊、二風谷アイヌ語教室の子供たちがアイヌ語による歌を披露したほか、アイヌ民族の古布絵作家を母に持つ俳優・宇梶剛士さんがゲストとしてトークショーに出演した。最後に出演者、来場者が一体になりホリッパ(輪踊り)を舞うなど、盛り上がりを見せていた。(清水泰斗)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/581968.html

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アイヌ衣服・刺繍の研究

2014-12-23 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2014年12月20日
●津田命子 道立アイヌ総合センター学芸員
■利器に頼らず美しい文様表現
 ハンガリーの人類学者バラートシ・バログが20世紀初めに収集したアイヌ民族の衣服などの民具コレクションが、1996年に日本に来た。私は、道立アイヌ民族文化研究センターで行われたコレクションの調査に参加したのを機に、アイヌ衣服の研究を続けてきた。
   ◇ ◇ ◇
 衣服の研究はそれ以前にもあったが、多くは針を持ったこともない男性研究者のもので、衣服の地域的な分類にとどまっていた。また独特の文様については、大陸から借りてきたという「伝播(でんぱ)説」や、文様の一部だけを切り取った命名・分類には問題があると思われた。そして現代のアイヌ文様作りは、特定の研究者が近年“再現”した文様が下絵として用いられていることが多かった。
 私も当初はそうした下絵を利用したが、常に疑問を抱いていた。下絵を転写するチャコペーパーなどの便利な道具もない環境で、祖先の女性たちはどうやって美しい文様をつくりあげたのだろうかと。
 そこで私は、国内外の博物館に収蔵されている古い時代の衣服を詳細に調査・観察するとともに、実際の衣服制作にも取り組んできた。
 その中で多くの発見があった。例えば、古い衣服ではイラクサでカガリ縫いされていたのが、新しくなると木綿糸で波縫いされ、時代によって縫合方法も糸の種類も変化していることがわかった。また文様の中心を示す糸の残りや、裏面からこのように文様を作りますという案内線のようなイラクサ糸の下縫いも見つかり、文様を縫った方向などその構成方法が分かってきたのだ。
 アイヌ衣服は、18世紀以前は毛皮衣やオヒョウなどの樹皮を使った樹皮衣(アットゥ)が中心だったが、そこに本州から絹の小袖や木綿の古着が入ってくるようになった。アイヌの作り手たちは毛皮衣や樹皮衣の要領で木綿衣も作り出した。硬い素材から柔軟な素材へ、そして色とりどりの布類は作り手たちの創作意欲を刺激したに違いない。糸もオヒョウやハルニレ、イラクサなどに加え、木綿糸などが使われるようになっていった。
 18世紀中ごろの木綿衣は、それまでの樹皮衣の文様と同じように、襟や袖口、裾回り、背中などに縫い付けられた細長い布の中央に1本か複数本の刺繍(ししゅう)が布と並行に施されたものが多い。それが19世紀初頭になると、刺繍が布を飛び出して隣接する布の刺繍と曲線を描いてつながるような文様が現れる。このうねうねと続くデザインこそが、北海道アイヌの特徴的な文様といえるだろう。1823年にオランダに運ばれた樹皮衣にもこの曲線が認められる。
 ロシアの博物館にも18世紀中ごろのアイヌ衣服が資料として収蔵されており、私は今、その複製を試みている。まず生地を二つに折って中心線となる糸印をつけ、それを基準に布を縫い付ける場所を決めて下縫いしていく。このような方法で、前述した文明の利器を利用しなくとも、アイヌ衣服の文様は作り出すことができるのである。
   ◇ ◇ ◇
 私はアイヌ刺繍の講習会でも教えているが、チャコペーパーや下絵に頼らない制作方法は、作る人の独自のアイヌ文様構成につながっていることが分かる。工夫して喜びながら生み出された作品は、実に多様で見ていて飽きず、楽しいものである。
 研究の過程では先人の研究者の成果を利用させてもらった。一方、貴重な資料として残されている古いアイヌ衣服は、祖先が残してくれた技術の教科書であるといえる。
       ◇
 1945年、鵡川町生まれ。今年、「アイヌ衣文化の研究」で総合研究大学院大学の博士号を取得。著書に『アイヌ衣装と刺繍入門』など。
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20141222011190001.html

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米国に広がる巨大ダム撤去ムーブメントとは?

2014-12-23 | 先住民族関連
川を魚たちに返したくなるドキュメンタリー映画『ダムネーション』公開中
greenz.jp- - 2014.12.21

(c)2014 DAMNATION ダムが撤去された米国オレゴン州のノースフォークアンプクア川の支流に戻ってきた野生のサマースチールヘッド(マスの仲間)。
発電にも貯水にも役立っている「ダム」。水力発電は自然エネルギーの活用だからエコだし、渇水対策にも欠かせないダムは、まさに“大切な水がめ”というイメージです。
ところが最近、約7万5000ものダムを抱えるダム大国・米国では、川を愛する人たちから「ダム撤去ムーブメント」が広がり、既に500基以上のダムが取り去られたといいます。
せっかくつくったダムをなぜ壊す必要があるのか。ダムが消えた川に何が起こったのか。それを美しい映像で描いたのが、映画『ダムネーション』(米国2014年、Ben Knight & Travis Rummel監督、ユナイテッドピープル配給)です。以前グリーンズでも紹介し、話題となりました。
日本公開の前日(11月21日)、プロデューサーを務めたMatt Stoecker(以下マットさん)が来日し、映画制作の背景を語りました。今回は、その様子をレポートしながら、ダム問題について考えたいと思います。
巨大ダムの時代は終わった
映画『ダムネーション』は、世界最大のダム落成を祝うフランクリン・ルーズベルト大統領(1933-1945年、アメリカ合衆国第32代大統領)のスピーチから始まります。声も高らかにダムを礼賛したそのスピーチから、たった数十年でダム撤去ムーブメントが巻き起こるとは、誰が想像したでしょうか。
マットさん ダムによる水力発電は、私たちが以前考えたようにクリーンでエコな発電法ではないという常識が、米国ではどんどん広まりつつあります。
ダムはメタンガスや二酸化炭素など温室効果ガスを出すものなので、実際、環境に悪いのです。ダムをつくることによって水質が悪くなり環境が破壊されることも、人々の意識に植え付けられている事実です。
ダムがメタンガスや二酸化炭素の放出源だなんて、初めて聞くような話です。しかしネットで検索してみると、日本語でも、ダムと温室効果ガスに関する論文はいくつかヒットします。英語の論文なら、ヒット数はぐんと多くなります。
発電や利水や防災目的など、さまざまな名目で大量に設置されてきたダムですが、米国でも日本でも、“ダム=ムダ(無駄)”と考える人がいます。なぜでしょうか。
マットさん 米国国内にも、まだちゃんと効率的に働いているダムは確かにあります。けれども逆に、何万という数のダムが、全く機能せずに設置されたままの状態なのです。これらは、今すぐに壊しても全く問題ありません。
ダムの老朽化と堆砂による機能低下は、大規模ダム建設ラッシュから約半世紀を経た日本でも、大きな課題になっています。2013年秋には国土交通省が「ダムの長寿命化計画」を策定しました。「壊す」よりは「長持ちさせる」方向です。
モッタイナイ精神の日本らしい発想ですが、映画『ダムネーション』で息を吹き返した川を見てしまうと、やや複雑。日本にも、思い切って撤去したほうがいいダムがあるのではないでしょうか。
ダムは歴史や文化まで沈めてしまう
ダム開発は、その計画段階から波乱含みです。さまざまな開発に共通の課題ですが、立地住民の間に対立が生じたり、昔から当たり前にそこにあった生業(なりわい)が成り立たなくなるなど、地域社会に大きな影響を与えます。
マットさんは、3年半の制作期間で最も印象に残ったこととして、流域の先住民たちのエピソードを挙げました。
マットさん ネイティブアメリカンの人々の文化や生活が、どれだけダムの建設によって失われたか。このことが最も心に響きました。何世代も前から川のほとりに住んでいた人たちは、水からの恵みやサケなどを頼りに生活してきました。
ダムによってそれが奪われ、彼らは伝統的な生活ができなくなってしまった。昔はどのようにして川からの恵みを受けていたのか、おじいさんおばあさんたちから話を聞いて、若者たちは涙を流していました。
日本でも、例えば、岐阜県にある日本最大容量の徳山ダムの建設では、数千年も続いてきた村落が水没し、たくさんの人々が悲しみました。
大西暢夫(おおにし・のぶお)監督の映画『水になった村』(ポレポレタイムス社配給)には、沈んでしまった貴重な暮らしが記録されています。
米国映画『ダムネーション』にも、巨木の切り株や先住民族の遺跡など、沈められた取り返しのつかないものたちが登場します。ダム撤去で水は引いても、それらは戻ってきません。
また、断ち切られた生き物たちのつながりが元通りによみがえるという保証もありません。
生態系サービスを取り戻せ
映画『ダムネーション』の製作責任者は、「パタゴニア」創業者のYvon Chouinard(イヴォン・シュイナードさん)です。アウトドア衣類ブランドのオーナーのイヴォンさんと、生態学者でもあるマットさんが企画を立ち上げたこの映画には、川や魚をはじめ偉大な自然への畏敬の念が貫かれています。
鳥の目になってダムを眺め、魚の目になって川の中を泳ぐ映像美に浸っていると、流れを止められた川の苦しさや、ダム撤去で解放された魚たちの喜びまで伝わってくるようです。
マットさんは水中撮影も担当しています。老朽化したダムが危険で厄介な存在になるのは人間目線でも理解が容易ですが、魚目線になれば、ダムは新旧に関係なく邪魔です。川を遡上して産卵するアユ、マス、サケなどにとっては、繁殖を妨げる致命的な障害物でしかありません。
マットさん 米国でダム撤去の活動が勢いづいた一番大きな要因は、魚の資源が失われていることでした。サケの遡上の通り道がどんどん奪われ、元の場所(川の上流)に戻れなくなったのです。
マットさん 私のこれまでの人生で、ダムが破壊された川に戻ってきた魚たちの姿ほど、達成感を感じた光景はなかなかありません。是非、日本の皆さんを、このような(達成感を得られる)活動にご招待したいです。これほど素晴らしい光景はないと思います。
川は、山と海をつなぐ血管のようなもの。血栓のように詰まっていたダムを取り去れば、滞っていた栄養や生物が無理なく流れ、川が健康な状態に戻ります。そして、おいしいサケやマスが次々と釣れるようになるといいます。
川から流れ出る栄養は、海の漁業にも良い影響をもたらします。堰き止められていた土砂も海岸線まで流れるようになるので、日本の各地で減少している砂浜も、ダムがなければ多少はよみがえるかもしれません。
映画『ダムネーション』には、ダム撤去によって豊かな「生態系サービス」を取り戻せるという明るい展望が描かれています。
サケの減少を人工養殖で補えば済むと判断した大人たちの愚かさと、素直な子供が抱いた疑問の正しさの対比。さらに、早々と限界を迎える人工物のもろさと、無限に再生する生命のしたたかさの対比。そのあたりも本作品の見どころです。
「ダムが無くなり、川からの恵みを取り戻したネイティブアメリカンたちの喜びようを目の当たりにして、私は本当に感動しました」と、マットさんは振り返ります。
天からの恵みに感謝し、自然への謙虚な気持ちを失わないネイティブアメリカンの暮らしぶりは、日本の地方に残る暮らし方とも通じるところがあるように感じました。
生態系サービスや自然資本といった考え方では、自然環境が無償で提供してくれるサービスを経済的価値に換算します。自然界の大循環は科学的に解明できていない部分も多く、完璧な試算は無理ですが、目に見えにくいその価値を可視化できる良い方法です。
この方法を使えば、例えば、泥が広がっているだけの無駄な土地と思い埋め立ててしまった干潟が、実は水質浄化や防災に役立つ、とんでもなく高価なシステムだったと、後から分かったりするわけです。
確かにダムにも利点はあるはずですが、その多くは貴重な酸素発生源である森林を破壊してつくられます。つくった後の維持管理も改修も、当然ながら有償です。何百億円もかけて無理に新しいダムを築き上げる前に、次世代に何を残すのか、よくよく考える必要がありそうです。
代替案は、もうある
今では、ダムの機能を肩代わりする別の技術も登場しています。例えば貯水は、水が無駄に蒸発することがない地下でも可能だといいます。また、中小規模の水力発電なら、川の流れを妨げないサイズの設備で、分散型の発電が可能です。
映画には、撤去ラッシュを懸念するダム関係者も登場しますし、米国には、まだ新規の巨大ダム建設計画が生きています。ダムの時代が完全に終わったわけではありません。
しかし、ダムの生態系破壊が明らかになり、有望な代役が登場し、これまで以上の省エネ省コストが求められる今、デメリットが目立つダムの撤去は、米国では現実的な選択肢になっているというわけです。
それでは、狭い国土の割に川が多く、その分、ダムも多い日本の現状はどうなのでしょうか。
辻井隆行さん 日本には高さ15メートル以上のダムが2800基ほどあると言われています。小さな砂防ダムまで入れると数万基です。恩恵よりも失っているもののほうが多いと分かっているダムもあるし、アセスメントが全くされていないダムもあります。
急流下りで有名な九州の球磨川(くまがわ)水系にも、いくつものダムがつくられました。ダムができてから、大雨が降るとヘドロが流れ、水害が何度も起きました。ウナギが減り、青のりは短く色も薄くなりました。それで2年前に、一番河口に近い荒瀬ダムの撤去が決まりました。2018年には無くなります。
水門を開けた途端、この2年でウナギがたくさん獲れて久々に地元のスーパーの店頭にも並び、青のりは3倍の長さになり、球磨川下りの観光業もすごく生き返った。撤去作業をしている企業ですら地元に感謝され、今は撤去の様子をウェブサイト等で配信しているそうです。
このように、マットさんが「20年前の米国に非常に似ている」と感じた日本にも、ダム撤去ムーブメントのかすかな兆しがあります。辻井さんは、荒瀬ダムの撤去活動で活躍したつる祥子さんの例を挙げ、ひとりから広がるムーブメントのすばらしさを語りました。
バブル崩壊後、「脱ダム宣言」を発表する県知事や、公共事業見直しとしてダム計画を次々と白紙に戻す政権も登場し、ある程度の下地はできています。果たして、ダム脱却の動きは、日本でも広がるのでしょうか。
望む未来があるなら、行動を
米国では、土砂と一緒にさまざまな不都合が堆積していくダムの本質が人々に知られ、その不都合の重みで決壊するかのように、市民運動が一気に広がりました。
マットさん 1人か2人の一般の人が始めたムーブメントが実際のダム撤去につながりました。今まで全く川や環境や電力問題に一切かかわりが無かった一般の人たちが、熱意とやる気をもって始めたのです。
撤去したいダムがあれば、1人でも行動は始められます。時間はかかりますが、次第に人が集まれば、ダムの所有者や権力者たちも、あなたを無視することはできなくなります。
マットさん自身、釣りへの情熱から魚を無事に遡上させるための魚道(ぎょどう)づくりに打ち込み、それをきっかけにダム撤去にも携わったという経歴の持ち主。川への愛を原動力として行動を起こした一人です。
マットさん チリで5つのダムを同時に建設する計画がありましたが、政治家たちの汚職が浮上し、国民がデモや活動を始めました。その際、ダムは気候変動にも関与していて環境に悪い、政治家としてもダムに関わると印象が悪くなるという見方が広がり、最終的に国民の側が勝利しました。
ダムはクリーンなエネルギー源ではない、非常に環境に悪いものだという認識の普及によって成功したのです。日本でも、ダムを建設することで代々伝わる美しい自然や文化、生活の質が失われていくということを、もっと多くの人々が知るべきだと思います。
マットさんの周囲では、ダム反対運動というより川の再生活動に力を入れ、その一環としてダム撤去に取り組む人が多いそうです。私たちも、自分の頭で考え、必要があれば、じっと黙っていないで行動するという姿勢が大切なのでしょう。
それぞれの“正義”がぶつかり合うダム問題に安易な結論は禁物ですが、この映画の主張は明確でした。これを見た上で、ダム見学ツアーやダム建設予定地に出かけたり、意見の異なる人と敢えて話し合ったりするのも、行動の一つだと思います。
観客ひとりひとりをきっと鼓舞してくれる映画『ダムネーション』。ぜひ観てみてくださいね!
http://greenz.jp/2014/12/21/damnation_interview/

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