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ボニファシオ・デーに先住民や農民、労働者ら数千人が集合し、政府批判を展開

2014-12-01 | 先住民族関連
日刊まにら新聞 2014.12.1

(写真)ミンダナオ地方の先住民は伝統の歌と踊りで土地問題を訴えた=ボニファシオ公園で30日午後3時ごろ写す
 スペインからの独立を目指した19世紀末のフィリピン革命の指導者生誕を祝う「ボニファシオ・デー」の30日、首都圏マニラ市のボニファシオ公園で左派系市民団体のメンバーら数千人が集会などを開き、アキノ政権に対する抗議の声を上げた。ミンダナオ地方の先住民300人は、地元からマニラまで10日かけてバスや徒歩で移動。鉱山経営の企業に先祖の土地が奪われたり、同胞が逮捕・殺害されていると厳しい現状を告発した。
 この日、午後2時から始まった集会は「ボニファシオの精神、真の改革」がテーマ。丸首シャツに赤いスカーフ、なたにつば広の麦わら帽など革命時のフィリピン兵の衣装で即席の舞台に立った市民団体の代表らは、優先開発補助金をめぐる汚職や低賃金、失業、土地問題、被災地の住宅難など、早急な問題解決を政府に要求した。
 低賃金問題では、左派系労働組合の「五月一日運動」の代表が最低賃金を全国一律で1万6千ペソに引き上げる政府への要求項目を紹介。政治家による汚職をテレビやインターネットで強く批判する寸劇で知られる女優メイ・パネールさんが「必要なのは革命。しかし、ダイエットの成功も本人の意志次第。まず自分の身のまわりの人たちの意識を改革することが大切」とのメッセージをユニークな口調で訴えた。
 またミンダナオ島から参加した先住民族らがボニファシオの銅像の前で、自分たちの抱える問題をアピールや祈りの儀式、伝統舞踊で紹介、聴衆は真剣に耳を傾けていた。ヒガオノン族のジョモリト・ゴアイノンさん(37)は、先祖の土地が鉱山経営の企業に奪われたり、問題を告発した先住民のリーダーたちが83人も殺されたと悲劇を訴えた。ゴアイノンさんは「ボニファシオの革命精神をミンダナオ島で継続して進める」と力強くアピールした。
 ヒガオノン族はブキドノン州マライバライ市の7千ヘクタールの先祖伝来の土地に野菜やアバカ(マニラ麻)、トウモロコシを栽培しているが、最近、国軍による無断侵入など嫌がらせが増加。ゴアイノンさんらは政府に、政治的殺人の防止や国軍による学校での駐留禁止、土地収奪の凍結を要求している。
 先住民約300人らは25日から首都圏の公園でキャンプしながら、問題解決に向けた約束を政府から取り付けようと抗議集会を開催。29日の大統領私邸前での集会ではメンバーらが警官隊と衝突し負傷している。
 「革命の英雄」アンドレス・ボニファシオはマニラ市トンドの出身。扇子を作り弟や妹と売り歩くなど苦学を重ねた。ホセ・リサールなどの著作を読み仲間と秘密結社を結成、革命軍最高指導者となったが、アギナルド将軍らとの派閥争いに敗れ、33歳で処刑された。(澤田公伸)
http://www.manila-shimbun.com/category/politics/news215618.html

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三重)アイヌ文化を紹介して交流深める 松阪

2014-12-01 | アイヌ民族関連
2014年12月1日03時00分
 松阪市の松浦武四郎記念館と北海道白老町のアイヌ民族博物館が姉妹博物館提携したのを記念し、松阪市産業振興センターで30日、「アイヌミュージアムフェアin松阪」が開かれた。白老町から20人が来訪し、古式舞踊などのアイヌ文化を紹介して交流を深めた。
 武四郎は今の松阪市生まれで北海道の名づけ親として知られる。幕末に蝦夷地と呼ばれていた北海道を6度にわたり探検した際、アイヌ民族を調査し、幕府に和人とアイヌの共生を訴えた。
 両館は、武四郎やアイヌの資料を貸し借りしてきた縁で今年10月25日に姉妹提携し、白老町で記念式典を開いた。2018年の武四郎生誕200年に向けて、協力して調査や研究にあたったり、アイヌ文化の普及に努めたりするという。
ログインして続きを読む
http://www.asahi.com/articles/ASGCZ425JGCZONFB006.html

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白老でノルディックウオーキング、アイヌ文化に理解

2014-12-01 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2014年11月30日(日)朝刊】

【写真=ポールを手にポロト湖畔を歩く参加者たち】
 ポロト自然休養林保護管理協議会主催のノルディックウオーキングとアイヌ文化を学ぶ集いが29日、白老・ポロト湖畔などで開かれ、白老や登別、苫小牧、札幌の38人がノルディックウオーキングを楽しみ、講話や伝統料理を通してアイヌ文化に理解を深めた。
 開会式で主管団体である白老ノルディックウオーキング愛好会の堀川重男会長が「雨模様ですが、歩くと脂肪が燃えて寒いのも分からなくなります。晩秋のポロト湖を観賞しながら、さわやかな空気を吸って健康増進を図ってください」とあいさつ。準備体操をした後、ポールを手にポロト湖畔の「すこやかロード」を歩いた。
 昼食はアイヌ民族博物館で伝統料理を試食、同博物館元館長の中村齋さんの講話に耳を傾けた。この集いは林野庁の交付金を活用し、実施された。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2014/11/30/20141130m_08.html

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高倉健のインタビューから

2014-12-01 | アイヌ民族関連
BLOGOS-2014年11月29日 00:00
亡くなった高倉健のインタビュー映像、これは三年ほど前に収録されたものらしいが、NHKが追悼番組として急遽編集し、放映していた。
その番組の、特に前半が印象深かったので、ちょっと書いておきたい。
そこでは、まず高倉が、九州の炭鉱地帯で育った子ども時代を回想し、気性が荒いというか、喧嘩や揉め事の絶えない土地柄で、学校に行く途中に、路傍に死体が置かれてあるのを何度も目にした、と語っていた。「土地柄」といっても、この暴力性は、当時の日本の石炭産業や国そのもののあり方に由来するものであることは、言うまでもないだろう。
そして、もっと後のところでは、高倉の代名詞的な役柄となった「唐獅子牡丹」などでの任侠の男の像に触れ、自分自身の中には、すぐにカッとなって粗暴になる部分がある、はっきり言うと、「こいつ、殺してやろう」と思ったこともしばしばある。あの暴力的な危険な男の像は、自分自身のそういう本質と重なるものだ、といった意味のことを、高倉は真剣なまなざしで述べていた。だから、そういう高倉の性格を知っている彼の母は、彼の任侠映画を見て、暗い気持ちになったようだ、とも言ってたと思う。
このあたりの、自分の根っこにある粗暴さを、あからさまに吐露する姿が、私には非常に印象的だった。
つまり、少年時代に見た、日常の中での凄惨な暴力の記憶が、高倉の粗暴なところのある性格の形成につながっており、それが演じている役柄に投影してしまっているように自覚されていることを、高倉自身が、言わずに来たことをあえて吐露するようにして語っていたのである。
この番組は、そのへんの関連を、よく捉える構成になっていたと思う。
俳優自身の性格がどうであるかということと、演じる役柄とは、一応関係のないことなのだろう。
やはりインタビューのなかで興味深かったのは、高倉が演技者として脱皮するきっかけになったのは、武田泰淳原作・内田吐夢監督の『森と湖のまつり』に主演して、アイヌの青年の役を演じた時、監督から、「お前には、アイヌの青年の怒りは表現できない」と貶されたことに反発して奮起したことだ、という話だった。
一般的に、粗暴な怒りに支配されている者は、他者の怒りを演技として表現することは出来ないのだろう。
だが、高倉の場合、彼自身の中に抑圧された粗暴な情動があり、監督は、それを起爆剤にして、彼に演技者としての殻を破らせることが出来ると考えたのかもしれない。
しかし、そうして出来上がっていった、暴力的なスターのイメージに、高倉自身は、どこか重苦しいものを感じていたのではないだろうか。
それは、その暴力性が、単なる演技の産物ではなく、彼個人の内部に深く埋め込まれた暴力の回路のようなものに結びついていると、自覚されていたからだ。
無論、大衆は、この暴力の物語を支持した。その理由は、この暴力性が、つまり暴力の自己抑圧(ストイックさ)と、粗暴な暴発、そして(任侠映画のラストで必ず描かれる)公権力への帰順といった事柄が、誰にとっても極めて馴染み深い事柄だったからだろう。
そして、この美化された暴力の物語は、高倉が年を取っていくにつれて、寡黙でストイックな男の肖像として、より巧妙に形成されていった。80歳を迎えた、国民的俳優高倉健とは、日本の大衆が同一化し、肯定し続けた、この抑圧と暴発と従属との循環による、暴力の回路の象徴であったとも言えよう。
私が、自分の暴力性を告白する高倉の言葉に、強い印象を受けたのは、国民的俳優高倉健を作り上げた、この国の公式的な物語の欺瞞を、その言葉が期せずして暴いているように思えたからだ。
その言葉は、私には、この社会が高尚なもの、美しいもののように賛美してきた彼のイメージが、実際には、近親を暗い気持ちにさせるような、凄惨で粗暴な内面の反映に過ぎなかったのだという事実を明かすことによって、高齢になった彼が、一人の生身の人間であることを回復しようとしているようにさえ、思えた。
人々は、高倉の演じる人間の暴力を「美学」として賛美するが、それは実際には、醜い、愚かな、粗暴さ、短気さ、殺意の産物以外の何物でもない。
虐殺や差別や、弱い者、家族や女性や動物や、そういったものに専ら向けられる、自暴自棄な暴力、その生々しさを隠蔽しつつ、それを賛美してきたのが、「高倉健」というスターを産み出し神格化した、この社会だ。
「高倉健」という偶像を担い続けることは、そういう社会の仕組みの犠牲になり続けることであり、それを彼は、少しでも脱ぎ捨てようとしたのではないか。
それはともかく、少なくとも私たちは、この暴力の物語から、私たち自身を解放していくべきだ。
そのためには、高倉がインタビューの中で行ったように、自分の内面の、卑小な暴力の実在と向き合って、それを否定し脱却していく努力を始めなくてはならない。
そうすることによって私たちは、生を暴力の公的な物語から解放して、非暴力的な関係の中へと置き直していくべきだと思うのである。
http://blogos.com/article/100091/

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阿寒湖のマリモ:謎の生態、徐々に解明 特別天然記念物

2014-12-01 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2014年11月30日 12時00分(最終更新 11月30日 14時32分)
◇衰退傾向続く群生地
 北海道・阿寒湖に生息する国の特別天然記念物「マリモ」。さざ波をゆりかごに、湖底をゆっくり転がりながら可憐(かれん)な姿を形作る。火山、森林、川といった周囲の環境が微妙に影響し合って、世界でここにしかない自然の芸術作品を完成させる。マリモの生態は1世紀以上にわたり神秘のベールに包まれていたが、近年の研究で次第に明らかになりつつある。【文・写真、坂本智尚】
 アイヌ名で「トーラサンペ(=湖の妖精)」と呼ばれるマリモ。成長すると長さ3、4センチになる糸状の細い藻が1個体の単位だ。生物学上は細い藻がマリモで、琵琶湖など国内だけでなく欧州、北米など北半球の高緯度地域の湖沼や河川を中心に約220カ所で生息が確認されている。
 阿寒湖のマリモの特徴は、個々が生命体である糸状の藻が、まるで意思があるかのように無数に集まり、一つの球体をつくることだ。さらに球状マリモは湖底で群生し、場所を入れ替わりながら光を浴びて成長。直径が30センチ以上に巨大化するものもある。こうした神秘的な生態は、世界中で阿寒湖にしかみられない。
 札幌農学校(現北海道大)に在学していた植物学者の川上滝弥(たきや)が1897年、阿寒湖の調査で丸い形の新種の藻を採取。翌年、「毬藻(まりも)」と名付け発表した。現在、英語表記は「Marimo」が一般的に使用されており、マリモとの和名は国際的に広く認知されている。
 川上がマリモを見つけた湖西部の群生地は伐採した木材搬出によって生じた泥が湖底に堆積(たいせき)し、戦前に絶滅。その後も、周辺の開発、盗採、生活排水の流入による富栄養化などによって、4カ所あった群生地は現在、北部のチュウルイ湾とキネタンペ湾の2カ所となり、両区域も衰退傾向が続いているという。
   ◇  ◇
 群生地は現在、保護のために一般の立ち入りはできない。しかし、群生地に面したチュウルイ島にある「マリモ展示観察センター」では、生態に近い状態のマリモを観察することが可能だ。同島には定期遊覧船が運航している。センター内の水槽に、大小のマリモが展示されており、大きいものはバレーボールほどもある。ビロード状の表面は触れると、固くザラザラした感触で、手で持ち上げると水を含んで意外に重い。
 釧路市教育委員会マリモ研究室の若菜勇さん(57)は「直径10センチを超えたものは、水中から引き揚げるとつぶれた形になる。光合成の光が届く限界を超えた内部が空洞となっているため」と説明する。
 マリモ専門学芸員として1991年に着任した若菜さんは、水深2メートルほどの遠浅の湖底で揺られることで、マリモが球体化することや、大型化したマリモが風波で岸に打ち上げられ、壊れた断片から再び蘇生するメカニズムを解明。世界各地のマリモのDNAを解析し、渡り鳥が仲介して日本のマリモが世界へと広がった可能性が高いことを突き止めた。若菜さんは「マリモは阿寒湖の多様性に富む環境が奇跡的につくりだした」と話す。
 ◇正しい情報伝えたい 阿寒湖のマリモ保護会・小林道之さん(33)
 NPO法人「阿寒湖のマリモ保護会」の会長に今春就任した小林道之さん(33)は「大変な仕事を任されたと身が引き締まる気持ち。利害を抜きにして、純粋にマリモを守っていこうとのスタンスに徹したい」と語る。
 釧路市阿寒町出身。湖畔にある実家の民芸店の店長をする一方、青年部や観光協会などの役員も務めている。住民が中心となった保護活動の歴史は長く、前身の愛護会が発足したのは1950年。小中学生を対象とした観察会や、湖岸に打ち上げられたマリモを湖に帰すなど地道な奉仕活動を続けている。
 現在、釧路市では地域を挙げて阿寒湖の世界自然遺産登録を目指しており、小林さんは「世界遺産に推薦されるためにも郷土の宝物を私たちがよく知らなければならない。条件が良ければ数年でマリモが大きく成長することが最近の研究で分かっているが、まだ何百年もかかると説明しているツアーガイドさんもおり、私たちも勉強して正しい情報を伝えていきたい」。
◆特別天然記念物「阿寒湖のマリモ」
 シオグサ目アオミソウ科の緑藻植物。学名はエガグロピラ リンナエ(Aegagropila linnaei)。1921年国の天然記念物、52年特別天然記念物に指定された。97年の調査によると阿寒湖北部のチュウルイ湾とキネタンペ湾に6億個を超える群落があると推定されるが、大部分は直径1センチ以下で、15センチ超は20万個、25センチ超は3000個ほど。環境省のレッドリストの絶滅危惧種1B。
http://mainichi.jp/select/news/20141130k0000e040132000c.html

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