DMMニュース-2014.12.09 07:14 Jタウンネット
[どさんこワイド - 札幌テレビ]2014年11月25日放送の道内ニュースでは、アイヌ民族を誇りに生きている2人の方が特集されました。
「アイヌ民族はもういない」そんな発言が議員から飛び出した2014年。しかし、女性が描くのはユニークなアイヌデザイン。そして男性が語るのは本物のアイヌ語です。お2人ともアイヌ民族に誇りをもって生きています。
1人目は、デザイナー、貝澤珠美さんです。ハーフ? クオーター? 純血? とよく聞かれるという自らの血筋について率直に語ってくれました。
貝澤さんの公式サイト
彼女には8分の1アイヌの血が流れているといいます。そんな「わずかなアイヌの血をえこひいきしている」という貝澤さんの作品は、民族の伝統を基礎に置きながらも大胆にアレンジして日常生活で使えるものをうみだしているのです。
そこには「せっかく特徴があって、個性があるのにそれを活かさないのはもったいない」「これだけ素晴らしいアイヌのデザインがあるわけだし、インパクトも強いのだから使わない手はない」といった思いがあるといいます。
13年前(2001年)、アイヌの若者たちによる青年の主張コンクールで「私の目標はアイヌのブランドを作ること。その作品は、観光地に置くものではなく、ファッションビルに、東京に出したい」と主張した彼女の話は先輩アイヌたちを驚かせました。今もその思いは変わっていません。
現在取り組んでいるのは、自分で撮った写真をプリントした生地に刺繍を施す作品です。樹木と太陽の写真に刺繍を施した最新作、デザイナーとしての生活は楽ではありませんが、今は自分の使命だと感じるといいます。
札幌で週に1度開いているアイヌアートデザイン教室。もう17年間続いています。貝澤さんにとっては伝統の技法を確認する場、そして、アイヌ民族について知ってもらうきっかけにもなっているのです。
悩む 生きたアイヌ語の伝承
日高の平取町。アイヌ語を今も自分の言葉として話せる人がいると聞いて番組が訪ねました。
78歳になる鍋澤保さんです。農業を営む鍋澤さんは、アイヌの人たちが多く住む平取町でもアイヌ語を生活の中で身に着けた最後の世代。話を聞かせてほしいというと、アイヌ語で冗談を交えながら自分がアイヌ語を話せるわけを説明してくれました。
アイヌ語には文字がありません。鍋澤さんは、鍋澤さんが19歳まで存命だった祖母たちの会話を聞いているうちに言葉を覚えたのだといいます。
ただ、人前でアイヌ語を披露するようになったのは70歳をすぎてからのこと。それまではためらいがあったといいます。なぜなら差別や圧迫があったからです。だからあえてアイヌ語を話す必要はないと思っていたと。
しかし今は、自分が知っていることを多くの人に伝えたいと言葉の伝承について本当に悩んでいるといいます。自分のアイヌ語は辞書にない生きた言葉、しかし今の人たちは辞書のアイヌ語を学んでいるからです。生きたアイヌ語は幻に消えてしまうのかなと生きたアイヌ語の将来を案ずる鍋澤さん。言葉は民族の証しだからです。
現在でも自分はアイヌだといえない人は多くいるそうで、今なおそこには見えない差別があるといいます。そういった環境の中、アイヌ民族かどうかというのは、アイヌ民族として生きるかどうかということなのだと。つまり生き方に誇りを持てるかどうかだということを問いかけているともいえるのではないでしょうか。(ライター:北海道saki)
阿寒湖アイヌコタン(jetaloneさん撮影、Flickrより)
http://dmm-news.com/article/901817/
[どさんこワイド - 札幌テレビ]2014年11月25日放送の道内ニュースでは、アイヌ民族を誇りに生きている2人の方が特集されました。
「アイヌ民族はもういない」そんな発言が議員から飛び出した2014年。しかし、女性が描くのはユニークなアイヌデザイン。そして男性が語るのは本物のアイヌ語です。お2人ともアイヌ民族に誇りをもって生きています。
1人目は、デザイナー、貝澤珠美さんです。ハーフ? クオーター? 純血? とよく聞かれるという自らの血筋について率直に語ってくれました。
貝澤さんの公式サイト
彼女には8分の1アイヌの血が流れているといいます。そんな「わずかなアイヌの血をえこひいきしている」という貝澤さんの作品は、民族の伝統を基礎に置きながらも大胆にアレンジして日常生活で使えるものをうみだしているのです。
そこには「せっかく特徴があって、個性があるのにそれを活かさないのはもったいない」「これだけ素晴らしいアイヌのデザインがあるわけだし、インパクトも強いのだから使わない手はない」といった思いがあるといいます。
13年前(2001年)、アイヌの若者たちによる青年の主張コンクールで「私の目標はアイヌのブランドを作ること。その作品は、観光地に置くものではなく、ファッションビルに、東京に出したい」と主張した彼女の話は先輩アイヌたちを驚かせました。今もその思いは変わっていません。
現在取り組んでいるのは、自分で撮った写真をプリントした生地に刺繍を施す作品です。樹木と太陽の写真に刺繍を施した最新作、デザイナーとしての生活は楽ではありませんが、今は自分の使命だと感じるといいます。
札幌で週に1度開いているアイヌアートデザイン教室。もう17年間続いています。貝澤さんにとっては伝統の技法を確認する場、そして、アイヌ民族について知ってもらうきっかけにもなっているのです。
悩む 生きたアイヌ語の伝承
日高の平取町。アイヌ語を今も自分の言葉として話せる人がいると聞いて番組が訪ねました。
78歳になる鍋澤保さんです。農業を営む鍋澤さんは、アイヌの人たちが多く住む平取町でもアイヌ語を生活の中で身に着けた最後の世代。話を聞かせてほしいというと、アイヌ語で冗談を交えながら自分がアイヌ語を話せるわけを説明してくれました。
アイヌ語には文字がありません。鍋澤さんは、鍋澤さんが19歳まで存命だった祖母たちの会話を聞いているうちに言葉を覚えたのだといいます。
ただ、人前でアイヌ語を披露するようになったのは70歳をすぎてからのこと。それまではためらいがあったといいます。なぜなら差別や圧迫があったからです。だからあえてアイヌ語を話す必要はないと思っていたと。
しかし今は、自分が知っていることを多くの人に伝えたいと言葉の伝承について本当に悩んでいるといいます。自分のアイヌ語は辞書にない生きた言葉、しかし今の人たちは辞書のアイヌ語を学んでいるからです。生きたアイヌ語は幻に消えてしまうのかなと生きたアイヌ語の将来を案ずる鍋澤さん。言葉は民族の証しだからです。
現在でも自分はアイヌだといえない人は多くいるそうで、今なおそこには見えない差別があるといいます。そういった環境の中、アイヌ民族かどうかというのは、アイヌ民族として生きるかどうかということなのだと。つまり生き方に誇りを持てるかどうかだということを問いかけているともいえるのではないでしょうか。(ライター:北海道saki)
阿寒湖アイヌコタン(jetaloneさん撮影、Flickrより)
http://dmm-news.com/article/901817/