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報告 : 「もうやめよう! 日米安保条約」集会とアピール行動

2010-06-20 | 先住民族関連
(レイバーネット 2010/6/20)
1960年の安保闘争から50年を経て、「もうやめよう! 日米安保条約」と訴える集会が6月19日午後、都内で開催された。会場の千代田区・社会文化会館ホールに約350人が集まり、発言者の言葉に熱心に耳を傾けた。
集会では米国と日本、そして沖縄の新しい相互関係を模索した。発言に立った浅井基文さん(広島平和研究所・所長)は、「日米安保体制の問題点とめざすべき日米関係」と題して講演。20頁におよぶ資料を用意し、歴史的な背景と問題点を詳しく解説した。
オバマ米大統領のプラハ演説に言及し、私たちはオバマによる「核廃絶」への「神話」を取り除くべきだと論じた。「こんにち北朝鮮や中国が戦争をしかけてくることなどあり得ない。アメリカが変な行動に出なければ、アジアでは戦争は起こらない」として、流布される「脅威論」のカラクリを暴いた。また、「私たちはこれからの国際社会の進路をさし示す憲法(前文)という素晴らしい手がかりをすでに持っている」と指摘し、「批判されるとヘナヘナになるあいまいな平和観」を戒めた。菅直人新政権にも触れ、「菅の安保・外交観は危険だが、民主党はダメだというのはまだ早い。トップはダメかも知れないが、末端には市民の声を聞く人物も多い」と主張した。
グアムの作家・ビクトリア・レオン・ゲレロさん(写真)が紹介された。グアムの先住民・チャモロの人々が、民族としての存在を宣言するために設立した「チャモロ・ネーション」で活動している。グアムに駐留する米軍は、今後さらに増強されようとしている。空母の一時寄港施設建設によって、人口は約8万人増加し、サンゴ礁や地元の漁業、観光産業にも大きな影響を与える。「島における絶滅危惧種は、私たち自身」--ゲレロさんは、いっそうマイノリティ化が進むチャモロ族の民族自決権獲得のために闘っている。米兵が大量に流入すれば、犯罪や性病が増え、公共サービスの質の低下も懸念されるという。
「犠牲ばかり押しつけられるのは不公正だ。だが私たちは、自身の未来を決める人物を選挙で選ぶことすらできない。戦争と軍隊はすべての人を傷つける」。ゲレロさんの切実な訴えに会場は静まり返る。「私たちの声を日本政府にも届けてほしい。私たちはみなさんと手をつないで一緒に闘っていきたい」と結んだ。
ヘリ基地反対協の安次富浩さんが登壇。「グアムと沖縄は、マイノリティという意味では一緒だ」と語りだした。「学べば学ぶほど抑止力が必要」などと言って鳩山は私たちを裏切った。沖縄では経営者協会ですら県内移設反対を打ち出している。推進を求めるのはカルト集団(幸福実現党=幸福の科学)くらいだ。沖縄にさらなる犠牲を求めて全国知事会に出席した石原都知事にも言いたい。基地は死んでいる海に作れ。羽田沖へ持っていけ」と怒りを込めた。米軍再編各地からのアピールとして、岩国、神奈川、座間、横田から発言があった。
午後5時。屋内集会を終えた参加者は会館前に集まり、国会議事堂にむけて行進した。正門前で思い思いの意思表示を行なった。その後一行は国会記者会館前の歩道に待機。そこで参加者による発言を続け、代表団が首相官邸前まで進み、全国から届いた日米安保反対のメッセージを担当者に手渡した。(Y)
http://www.labornetjp.org/news/2010/0619hokoku

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「在日朝鮮人帰国事業は人道主義を装った追放」(下)

2010-06-20 | 先住民族関連
(朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2010/06/20 08:58:42)
 スズキ教授は米国が帰国事業を阻止しなかった理由について、「日米安全保障条約改正のため、日本に配慮する必要があったのだろう」と話す。また韓国に対しても、「日本での生活や差別に苦しんでいた在日朝鮮人たちを受け入れるべきだったが、その責任を果たそうとはしなかった」と非難した。
-帰国者の中には、北朝鮮を脱出して日本に戻った再帰国者が200人ほどいると聞いた。それでも日本では帰国事業の問題が話題にならないのはなぜか。
 「日本政府も赤十字社も、『帰国』問題が公の場で取り上げられることを望んでいない。確かに言えることは、59年に帰国事業が始まった当時、日本の自民党政権はもちろん、社会党や共産党を含む政治勢力やマスコミの多くが、在日朝鮮人を危険な存在と考えていたため、『帰国』を扇動したということだ」
-「帰国事業」についての研究を行うようになったきっかけは何か。
 「日本社会での移民問題に関心を持ち、2004年に資料を調べるため欧州に滞在していたころ、公開されたばかりの国際赤十字社の文書の中に、『帰国』関連のものがあることを知った。この悲惨な歴史について、何かを書き残さなければならないという使命感に駆られた」
 テッサ・モリス・スズキ教授は51年、英国生まれ。バース大学で博士学位を取得した後、81年からオーストラリアに定住した。夫は日本人。アイヌ族について研究した『辺境から眺める-アイヌが経験する近代』をはじめとして、教科書論争や歴史認識問題などについて論じた数々の著作を出版し、幾つかは韓国語にも翻訳されている。最近は、東アジアの移民問題について研究を深めている。
金基哲(キム・ギチョル)記者
全基炳(チョン・ギビョン)記者
http://www.chosunonline.com/news/20100620000009

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「在日朝鮮人帰国事業は人道主義を装った追放」(下)

2010-06-20 | 先住民族関連
(朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2010/06/20 08:58:42)
 スズキ教授は米国が帰国事業を阻止しなかった理由について、「日米安全保障条約改正のため、日本に配慮する必要があったのだろう」と話す。また韓国に対しても、「日本での生活や差別に苦しんでいた在日朝鮮人たちを受け入れるべきだったが、その責任を果たそうとはしなかった」と非難した。
-帰国者の中には、北朝鮮を脱出して日本に戻った再帰国者が200人ほどいると聞いた。それでも日本では帰国事業の問題が話題にならないのはなぜか。
 「日本政府も赤十字社も、『帰国』問題が公の場で取り上げられることを望んでいない。確かに言えることは、59年に帰国事業が始まった当時、日本の自民党政権はもちろん、社会党や共産党を含む政治勢力やマスコミの多くが、在日朝鮮人を危険な存在と考えていたため、『帰国』を扇動したということだ」
-「帰国事業」についての研究を行うようになったきっかけは何か。
 「日本社会での移民問題に関心を持ち、2004年に資料を調べるため欧州に滞在していたころ、公開されたばかりの国際赤十字社の文書の中に、『帰国』関連のものがあることを知った。この悲惨な歴史について、何かを書き残さなければならないという使命感に駆られた」
 テッサ・モリス・スズキ教授は51年、英国生まれ。バース大学で博士学位を取得した後、81年からオーストラリアに定住した。夫は日本人。アイヌ族について研究した『辺境から眺める-アイヌが経験する近代』をはじめとして、教科書論争や歴史認識問題などについて論じた数々の著作を出版し、幾つかは韓国語にも翻訳されている。最近は、東アジアの移民問題について研究を深めている。
金基哲(キム・ギチョル)記者
全基炳(チョン・ギビョン)記者
http://www.chosunonline.com/news/20100620000009

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「在日朝鮮人帰国事業は人道主義を装った追放」(中)

2010-06-20 | 先住民族関連
(朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2010/06/20 08:58:11)
 スズキ教授は、1958年ごろから在日朝鮮人社会の中で「帰国」を求める運動が起きる以前の55年、日本の外務省が朝鮮人の大規模な帰国を奨励する文書を作成したと主張する。日本は55年、北朝鮮への帰国を希望する在日朝鮮人の数を6万人と推定した。しかし、56年2月に在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の代表らは、帰国希望者の数を1424人と発表した。日本は最初から、朝鮮総連の予想をはるかに上回る大規模な帰国事業を狙っていたのだ。実際に59年12月から84年までの間に、北朝鮮に向かった在日朝鮮人は9万3340人に上る。
-国際赤十字社は帰国事業にどのように関与していたのか。
 「日本赤十字社は人道的な建前で支援を要請した。国際赤十字社は、日本赤十字社からの情報に基づいて行動していたが、60年代後半ごろ、帰国事業は誤ったものだという事実を把握した。しかし、中断はしなかった」
 著書『北朝鮮へのエクソダス-「帰国事業」の影をたどる』では、56年5月に日本を訪れた国際赤十字社の代表が本部に送った文書が紹介されている。その内容は、「日本政府は生活に困窮する共産主義的な朝鮮人数万人を排除し、安全保障と予算問題を一挙に解決したいと考えていた」というものだった。つまり、国際赤十字社は帰国事業の問題点を、当時すでに把握していたことを明らかにしたのだ。
-在日朝鮮人が帰国を望んだ動機は何か。
 「日本で仕事もなく、貧しさに苦しむ不安定な状況の中で、“社会主義の楽園”などと大々的に宣伝していた朝鮮総連と北朝鮮の扇動に影響を受けた。もちろん少数ではあるが、政治的な考え方から北朝鮮への帰国を選択した人たちもいた」
-当時、北朝鮮は戦争から完全に復興していなかったはずだが、なぜ9万人もの在日朝鮮人を受け入れたのか。
 「社会主義建設に当たって労働力と技術が必要だったということに加え、体制競争で韓国を圧倒しているという宣伝や、韓日、韓米関係に動揺を与えたいという意図もあった」
http://www.chosunonline.com/news/20100620000008

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「在日朝鮮人帰国事業は人道主義を装った追放」(上)

2010-06-20 | 先住民族関連

(朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2010/06/20 08:57:40)
「国際赤十字社や米国政府は日本政府の意図を知りつつも口を閉ざす」
苦痛から逃れる帰国者たち、北送の悲劇は今なお続く

 「『在日朝鮮人帰国事業(在日朝鮮人の北送事業)』を行った日本政府と日本赤十字社は、問題解決のために取り組む責任がある。また当時、『帰国事業』に関与した国際赤十字社は、帰国者たちが人道的な待遇を受けていないという事実を知っていたにもかかわらず、何の対策も取らなかった。この点に関しては道徳的な責任がある」
 日本史学者でオーストラリア国立大学のテッサ・モリス・スズキ教授(59)は2007年、在日朝鮮人帰国事業の背景について告発した『北朝鮮へのエクソダス-「帰国事業」の影をたどる』を英語版と日本語版で出版した。韓国語にも翻訳されたこの本でスズキ教授は、社会主義国・北朝鮮への移住を希望する朝鮮人たちを、北朝鮮に帰国させるという人道的理由で行われた帰国事業は、実際は日本国内で貧困層が多く、過激な傾向を持っていた在日朝鮮人を日本の地から追放しようとする政治的、経済的な事情により扇動されたものと暴露した。日本や旧ソ連、スイスなどで公開された文書などを分析し、北送船が出航した新潟、東京、ジュネーブ、平壌、ソウルなどで数々の取材を重ねた末に北送事業の実体を暴いたスズキ教授の著書は、日本だけでなく世界的にも多くの反響を呼んでいる。
 早稲田大学で研究を行い、ソウル大学や高麗大学などで講演するためにソウルを訪れたスズキ教授は先月27日、本紙のインタビューに応じた。
-50年前の在日朝鮮人帰国事業に、今になって注目する理由は。
 「当時北朝鮮に“帰国”した人たちは、今も苦痛を受けている。また、日本に残った家族は帰国者に現金や物資を送っているが、消息が途絶えるケースも多く、非常に心配している。何よりも脱北者が相次いでおり、その中には『帰国者』とその家族もかなり含まれている。今後も脱北者は増えるだろう。そのような点から、『帰国』の悲劇が今も続いているからだ」
http://www.chosunonline.com/news/20100620000007

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【白老】アイヌ装飾がストラップに

2010-06-20 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報社 2010年 6/19)
 アイヌ民族の装飾品「タマサイ」がストラップになった。白老町のアイヌ民族博物館で販売している。
 タマサイは、アイヌ語で「玉飾り」。さまざまな色や大きさのガラス玉にひもを通しつなげた正装用のネックレス。女性の身を守る宝として、タマサイを母から娘へと受け継ぐ風習もある。
 白老町は2009年度に国の「地方の元気再生事業」の採択を受け、アイヌ文化を広くPRできるオリジナル商品作りに着手。博物館にも展示され、美しい色合いが来館者に人気のタマサイを、実用的なストラップにしよう、と検討してきた。
 商品開発は地元のアイヌ民族の女性たちが中心となって取り組み、1年間かけて製作技術を学んできた。
 ストラップはターコイズブルーやエメラルドグリーン、黒、透明などの天然石やビーズを一つ一つ丁寧につないでいる。玉の大きさや配列を変えていて、お気に入りのデザインを選ぶ楽しさもある。今回は試験販売として100個を用意した。1個1000円。館内のミュージアムショップ「イカラカラ」で販売中。
http://www.tomamin.co.jp/2010s/s10061902.html

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■ 白老町緑丘小で緑塾、先生は地域の“名人”

2010-06-20 | アイヌ民族関連
【室蘭民報 2010年6月19日(土)朝刊】
 地域で活躍するさまざまな分野の“名人”を講師に招いた白老町緑丘小学校(南一也校長)の「緑塾」が18日から始まった。4~6年生152人がアイヌ文様刺しゅうや生け花、空手など11の選択講座に触れた。
 日本舞踊は7人が受講。福澤玲奈さん(6年)は「浴衣で踊ってみたかった」と初挑戦。西川流駒鞠会の西川駒鞠会主と名取の西川鞠広満さんが「さくらさくら」を指導。「扇子をすくうように、ひらひらひら」と花びらが舞い落ちる表現を繰り返し伝授していた。
 空手と芸術活動の「創造」は北海道栄高校の教員と生徒が講師を買って出た。今年10月まで10回の講座が組まれており、同月発表会が予定されている。5年目を迎えた「緑塾」は、従来のクラブ活動を再構成し、児童と地域の人たちとの「心の交流の場」につながる取り組みとして注目を集めている。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2010/06/19/20100619m_08.html

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