先住民族関連ニュース

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文化保護の美名に酔わぬ決意

2010-06-10 | 先住民族関連
(読売新聞2010年6月9日 )
調査研究本部主任研究員 池村俊郎
 戦争に敗れ、国際社会で孤立していた日本を最初に迎え入れた国際機関が、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ=本部パリ)でした。日本でユネスコが比較的良いイメージを保ってきた理由もそこにあります。来年6月が日本のユネスコ加盟60周年です。
 いまユネスコが力を注いでいるのが文化多様性保護条約の推進。絶滅危機の生物を保護する必要があるように、文化もまた保護の手を差し伸べないと、グローバリゼーションの荒波にもまれ、世界中で数多くの言語、芸術伝統が消滅しかねないという趣旨です。
 最近、条約の目的を日本でも知ってもらいたいと、東京・飯田橋の日仏学院で松浦晃一郎・前ユネスコ事務局長と、カトリーヌ・コロナ仏ユネスコ大使による公開討論が開かれました。仏代表が登壇したのは、フランスが条約推進派の旗頭でもあったからです。
 松浦氏は「たとえば、世界中にある6~7千の言語のうち、4分の3が少数先住民族の言語。それが消滅の危機にある。このままだと、少数先住民族のことば、生活様式、芸術は生き残れない」といい、調印国日本の貢献を訴えました。コロナ大使も「保護活動のために弱小国を支援しなければならない」と、推進派の危機感を明らかにしました。
 文化保護といえば、一見、どこからも反対意見が出ないようにみえる。ところが、それは保護貿易につながると強硬に反論してきた国があります。アメリカです。過去、世界の貿易交渉でも、文化をどう位置づけるのか、ビジネスと文化の関係をどう調整するのか、大きな問題となってきました。アメリカは自国のハリウッド映画進出に歯止めをかけられる意図を感じたばかりではなく、本来、文化とビジネスは両立すると考える国なのです。
 コロナ大使は「文化にビジネスは発生するが、民族固有の価値、アイデンティティーの意義をもつ特殊な存在ととらえるべきだ」と反論しましたが、05年10月の条約採択をめぐるユネスコ総会ではアメリカとイスラエルの2か国だけが反対票を投じています。
 ユネスコといえば1972年成立の世界遺産条約が有名です。世界中で890件が登録されていますが、そろそろ数の上限議論も必要といわれています。登録数が増える一方で、途上国の遺産保護をどうするかなど現実問題に手が回っていないからです。
 文化保護でも同じことがいえます。文化とは現実の生活や経済活動と無関係に存続できるものなのか。「死した文化遺物」を守る意義とは何なのか。また、各国に保護を義務づけるとして、違反をどう罰するのか。国際的な保護の枠組みをどう創設していくのか。
 アメリカの反対論を市場原理優先の少数意見と片づけるのは簡単です。それでも、反対論が突きつけた問題点と向き合わないと、条約の実効性を弱めかねない。「世界の文化保護」という美名に酔ってなどいられない、重い任務が課されているわけです。
http://www.yomiuri.co.jp/column/kenkyu/20100609-OYT8T00526.htm?from=navlc

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【白老】たき火してアイヌ食楽しむ

2010-06-10 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報社 2010年 6/9)
 アイヌ民族の食文化を学ぼうと、白老町子育てふれあいセンターで8日、町内の小学生がオオウバユリを収穫し、たき火をして食べた。
 放課後の遊び場「ちょこっとすくすく」の一つ。アイヌ民族は、でんぷんを含むオオウバユリの球根を、冬の保存食や薬にする方法が伝承されていて、低学年約20人が参加しで学んだ。
 センター敷地内の「すくすくの森」に出掛けて、自生するオオウバユリをスコップで掘り、球根を切り取り、アルミホイルに包んでたき火で温めた。すぐに香ばしさが漂い、早速、口に入れた子供たちは「ジャガイモみたいな味」「お代わりしたい」と、自然からの恵みに興味深げだった。
http://www.tomamin.co.jp/2010s/s10060903.html

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人形で再現、絵画の中のアイヌ長老 函館のギャラリー

2010-06-10 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 06/09 14:23)
 【函館】松前藩の家老で江戸後期の画家、蠣崎波響(かきざきはきょう)がアイヌ民族の長老12人を描いた代表作「夷酋(いしゅう)列像」の中の「イコトイ」を立体化した人形が、5月30日に函館市元町32にオープンしたギャラリー「ウタリアートの店コポロ」に展示されている。函館の人形作家で2000年に79歳で亡くなった馬場トミ子さんが波響の傑作を忠実に人形にした見応えのある作品だ。
 人形の所有者で馬場さんの次女、杉本織恵さん(60)によると、馬場さんは独学で人形作りを覚え、30代で後志管内余市町から函館に移住。生活のため外国人の船員向けに歌舞伎役者の人形や日本人形などを制作し、函館駅前の百貨店に卸していた。50代からは全国規模の公募展に何度も入選。普段は物静かだったが「作り始めると食事も忘れて制作に没頭。展示される直前まで人形を直すこだわりがあった」(杉本さん)という。
 展示されている人形は高さ50センチ。貝殻の粉末とニカワを混ぜた「胡粉(ごふん)仕上げ」といわれる技法で制作。ひげなどの身体的な特徴や、松前藩が着せたといわれる蝦夷錦(えぞにしき)、ロシア製の外套(がいとう)も細かく再現されている。
 制作当時、全国展に応募したが、落選した。馬場さんが審査員に尋ねると「よく出来ているが、元の絵があるものは選考の対象にならない」と言われたという。馬場さんは蠣崎波響が描いた夷酋列像の残り11体をすべて制作するつもりだったが、病に倒れてこの1体だけに終わり、一般公開されることもなかった。
 コポロを運営する北海道アイヌ協会函館支部が人形の存在を知り、オープンに合わせて展示を依頼した。加藤敬人支部長(55)は「目に、波響の絵が持つのと同じ迫力がある」と絶賛する。
 杉本さんは「母は賞にこだわっておらず、人形を作るのが大好きでした。多くの人に見てもらえるのは幸せ」と話す。作品は9月まで展示される予定だ。ギャラリーの開館時間は午前10時~午後5時で不定休。問い合わせはアイヌ協会函館支部(電)0138・22・1226へ。(大原智也)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki2/235886.html

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