撮りさるく

有名かとこっちゃ無名のとこっちゃ 写真ば撮ってさるくざい

翔んで埼玉のポスターを見てチャンピオンカレーを食った

2019-04-12 18:06:11 | 石川
2019年2月21日(木)1泊2日の石川県出張2日目、昼になったので


この様なポスターが貼ってあった店で石川県民ではないが


カレーを食った。ウマかったがキャベツの千切りが乗っていてびっくりした。
付け合せは福神漬けとらっきょのどちらかが無料で乗せ放題、どちらかが有料で要注文だった。


店の名は カレーのチャンピオン。8番らーめんと並ぶ石川県民のソウルフードらしい(現地支店スタッフの弁)

さて国内ネタは一旦お開きとし、次回よりたまっている中国出張記ネタをご笑覧願う。
時計の針が行ったり来たりとなるが、何卒ご容赦賜りたい。

では次号

レディー カガ ポスターを加賀温泉に見た

2019-04-10 18:27:37 | 石川
2019年2月7日(木)石川県内で出張業務。加賀温泉にて


不思議な観光ポスターを見た。


意味が分からなかったので同行してくれた現地支店のスタッフに聞いたところ


米国の有名な女性歌手に レディーガガ という人がいて、その人にあやかったものらしい。
こうなれば レディー佐賀 とか レディー滋賀 もOKなのだろうか、


いや、レディー加賀が商標登録していて佐賀も滋賀もダメなのだろうと暇つぶしに思案しながら加賀温泉発の特急に乗って次の目的地に移動した。

以下次号

石川四高記念館を金沢に見た

2019-04-09 19:19:11 | 石川
2019年2月5日(火)金沢泊。投宿後、暇だったので


宿から歩いて 石川四高記念館 へ行った。四高の読みは「よんこう」ではなく「しこう」だと宿の人が教えてくれた


午後9時までやっていて入館無料だが資料展示室は既にクローズ、単に中に入れるというだけだったが


廊下を見学した。


この四高記念館、今は金沢大学となっている旧制第四高校の建物で、現在は文部科学省所有、石川県が借用している。


ちなみに数字の旧制高校を現在の大学に当てはめると、一高:東大、二高:東北大、三高:京大、四高:金沢大、
五高:熊本大、六高:岡山大、七高:鹿児島大、八高:名古屋大、となるそうな。


記念館があるのは旧四高の敷地で現在は いしかわ四高記念公園 となっている。繁華街にほど近い、閑静な場所だった。

金沢駅前のぼんぼりと能登キリコの模型を見た

2019-04-08 17:32:11 | 石川
2019年2月5日(火)5日間出張の2日目、愛知県から石川県へ移動、午後7時前に金沢駅に着いた。


金沢駅前のぼんぼりを見た。
以前、昼間に見たことがあるが、やはり夜の方が雰囲気があって良いと思われた。


この後、バスに乗って今宵の宿へ向かった。


片町という場所にある宿のロビーには「能登キリコ」の模型があった。金沢の雅を感じた瞬間であった。

以下次号

民宿やまじゅうにてカニを堪能して帰った

2018-03-09 15:54:11 | 石川
2月3日(土) 能登に行く途中、宇ノ気という所の


「やまじゅう」という民宿で


カニを食ったのでご笑覧願おう。


造り


毛ガニ。これだけ6人で一皿


生のカニ


焼きガニ


カニの天ぷら


茶わん蒸し


にぎりとデザート


味噌汁

この後鍋が出てきたが、6人中箸をつけていたのは2人だけだった。
これで確か14,000円のコースだったと思う。大満足だが50過ぎのおやじには過分な量で勿体なかった。
この日は酒飲んで議論して就寝

明けて2月4日(日)は

朝食を食った後


金沢市内美術館見学の予定だったが吹雪いてきたので解散となった。
しかし、良い1泊2日の旅だった。

さて本日より21日まで、長期休暇にて記事更新は休止する。
又のお越しをお待ち申し上げます。

五十間長屋、橋爪門、石川門を見た

2018-03-08 20:39:07 | 石川
2月3日(土)玉泉院丸庭園から上がってきて


五十間長屋が見えた。




これは橋爪門


濠に薄氷が張っていた。




そしてこれが


石川門、復元されたものだ。


和服姿の女性らが写真を撮っていた。

金沢城公園、見応えがあった。以下次号

金沢城玉泉院丸庭園を歩いた

2018-03-07 19:36:37 | 石川
2月3日(土) 兼六園の次に


金沢城玉泉院丸庭園を歩いた。NHKのブラタモリも来たらしい。


池に薄っすら氷が張っていた。




雪中行進する同期入社オヤジ軍団、滑りまくった。


オヤジ軍団の前にはギャルがひとり歩いていて、歩みも軽く写真を撮っていた。


途中に滝があった。


「段落ちの滝」というそうな。


来た道を振り返る。


アベックひと組、おじさん3人連れが後に続いていた。おじさん達はスキーのボーゲン状態で階段を下っていた。


ようやく雪のない階段に至った。

以下次号

日本最古の噴水を見て兼六園を後にした

2018-03-06 19:59:13 | 石川
2月3日(土) 兼六園にてその名もズバリ




噴水を見た。


兼六園HPコピペの説明
「霞ヶ池を水源とし、池の水面との高低差による自然の水圧であがっています。水の高さは約3.5mあり、霞ヶ池の水位の変化によって変わります。藩政末期、金沢城内の二ノ丸に水を引くため試作されたものと伝えられています。日本で最古の噴水であると言われています。」
何と江戸時代に造られた日本最古の噴水である。


雪吊りを見ながら感動の渦に巻き込まれたまま


兼六園を後にした。兼六園、最高。

以下次号

瓢池(ひさごいけ)を見た

2018-03-05 21:46:01 | 石川
2月3日(土) 兼六園にて




瓢池を見た。
兼六園HPの説明では
「瓢池周辺はかつて蓮池庭(れんちてい)と呼ばれ、兼六園の作庭はこの辺りからはじまったと言われています。そのユニークな名前は、池のなかほどがくびれて、瓢箪(ひょうたん)のような形をしていることから名付けられたものです。池の中には不老長寿の島、神仙島をかたどった大小二つの島があります。」
とあった。


写真に写るは翠滝(みどりたき)


兼六園HPには
「霞ヶ池から流れ出て、瓢池に注ぎ込む大滝。夕顔亭の対岸に懸かっています。高さ6.6m、幅1.6mで水量が豊富」
とあった。
滝を借景にした石塔は海石塔



海石塔の説明をHPから引用すると
「瓢池の中島に建つ、高さ4.1mの塔。虫が喰ったように穴の空いた淡茶色の笠石が、六重に重ねられています。3代藩主・利常(としつね)がつくらせ、金沢城の庭園にあった13層の石塔の一部を移したという説と、朝鮮出兵の際、加藤清正(かとうきよまさ)が持ち帰ったものを、のちに豊臣秀吉(とよとみひでよし)が、前田利家(まえだとしいえ)に贈ったという説があります。」
との事。
そして海石塔の左に見える藁葺きの建物は


夕顔亭。これも兼六園HPから引用すると
「安永3年(1774)に建てられました。蓮池庭にあった四亭の一つで、当時のままの姿を今に伝えています。本席は小間ながら、本格的な茶の湯が催せるようになっています。また、その美しい名は、茶室内の壁にしつらえられた夕顔の透彫りから名付けられました。」
のだそう。


夕顔亭の横には「伯牙断琴の手水鉢(はくがだんきんのちょうずばち)」があった。
HPを引用すれば
「一生、琴を奏でないことを誓った名手 ・伯牙の姿が浮き彫りにされている手水鉢。夕顔亭の縁先にあるこの手水鉢は、高さ45cm、直径85cmと大きいもので、5代藩主に招かれた京都の名金工・後藤程乗 (ごとうていじょう)の作」
との事であった。

加賀百万石のきらびやかな歴史に酔いしれつつ、以下次号

時雨亭内部を見た

2018-03-04 17:15:11 | 石川
2月3日(土) 時雨亭の茶会が終わると、10分ほどの室内自由散策タイムとなった。
















趣のある時雨亭だった。

兼六園のHPには
「5代藩主・綱紀が兼六園を作庭した頃からあった建物で、廃藩の後、惜しくも撤去されてしまった時雨亭。それを、平成12年、新しい庭園の完成とともに復元した」
とあった。
実は、新しい建物なのだ。

以下次号