■2021.09.09 早朝の雨も10時頃には止み、青空が広がり出した。そこで自転車のギア(フロントディレイラー)を調整し清掃と注油を行った。基本的には理系の体育会系なので機械いじりは好きだ。
週1回のメンテナンスは掃除の日(月曜日)に行うが調整などは随時必要となる。
昼食後、準備をし知多半島南部一周に出かける。
美浜から知多半島の東側に横断し三河湾を望みながら走る時計回り。この廻り方は常に海側を走れるメリットがある。多くは半時計回りなのは不思議だ。
海岸近くまで田んぼ広がり海へと繋がる、対岸には吉良の町並みが見える。
大井の聖崎公園へ。
愛知県知多郡南知多町の大井漁港入口の磯に建つのが弘法大師像。ここが、弘法大師上陸地という伝承の地。空海(弘法大師)は弘仁5年(814年)、諸国行脚の途中に(空海41歳の時)三河から船で大井浜に上陸したと伝えられている。
だから知多四国八十八箇所巡りが始まったのかも?
師崎:羽豆岬(はずみさき)。
日間賀島(左上)・篠島(右上)
伊良湖(左下)・漁(左下):モリで魚を突いているみたい
山海・内海・小野浦・野間・奥田・坂井と海水浴場が続く。
県内最大の内海へ
・つぶて浦の鳥居(左上):昔、伊勢の神々が力比べに対岸である知多半島に向かって岩石の遠投を競い、その時に届いた岩がつぶて浦になったという民話が残っている。
つぶて浦には鳥居が建てられ、伊勢神宮の遥拝所として親しまれている。
・唐人お吉の像(右下):幕末のアメリカ駐日総領事ハリスの侍妾。本名斎藤きち。尾張国(愛知県)生まれ。舟大工市兵衛ときわの子。一家で伊豆下田へ移住。父の死後,船頭相手の洗濯女・酌婦となる。安政4(1857)年下田奉行の命で総領事館(玉泉寺)に滞在中のハリスの看護婦名目の侍妾となるが,吉の腫物を理由に3夜で解雇される。以後「唐人お吉」と差別され,もとの仕事もたちゆかなくなる。横浜で大工鶴松と一時同棲後,下田に戻り髪結や小料理屋経営などをするが,酒癖のために失敗。不遇の晩年を送り,稲生沢川で投身自殺。この時期外国人の侍妾となった女性はほかにもいたが,吉は十一谷義三郎の小説『唐人お吉』(1928)以後有名となる。(朝日日本歴史人物事典)
・海水浴シーズンもほぼ終わり静かな浜辺。(右上、左下)
小野浦では堤防を走る。
で
野間灯台が見えてきた。
野間灯台:美浜町のシンボル的な存在の野間灯台は正式名称を「野間埼灯台」と言い、大正10年(1921年)に設置された高さ18mの愛知県最古の灯台。2008年に改修工事が行われレンズがLEDに交換されたことで、光度が15000cdから590cdに、光達距離が約25kmから約15kmになりましたが、省電力化され災害にも強くなった。
■2021.09.10 トドクロちゃんとお弁当持ってピクニック。
南知多町の桜公園。以前トンビにお弁当をさらわれた場所です。
今回の訪問時に注意書きが有りました(トンビに注意)
公園設置のパラソルを広げ背面には日笠で防護しお弁当タイム。
ネットでトンビの習性を読み切った対応でバッチリです。
トンビ君かかってこいや。
大きな写真は以下で
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