西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

高校創立60周年記念事業

2006-12-26 | 金沢の思い出
私が出た金沢大学教育学部附属高等学校は、来年、創立60周年を迎える。還暦である。私は11期生で1960年卒業、今の生徒や卒業したての20歳前後の後輩からは、「考古時代、神代の時代」と思われているかもしれない。今春卒業の57期まで7703人の卒業生を出している。今でも1学年3クラス、私達の頃は1クラス50人余で学年で150人余だったが、最近では減って130人ほどのようだ。金沢には戦前の旧制中学からの伝統を持つ泉丘高校(いずみがおかこうこう、旧制一中)などがある。私の親父(戦前)や妹(戦後)もここの出身だ。でも戦後に出来た我が金大附属は、「教育実験校」として少数ながら誇りをもってやってきたと思う。大多数は大学に進学しているが、進学先はヴァラエティに富んでいると思っている。今度の記念事業では、記念式典やパーティのほか、「記念会館」を造る事業も含まれている。卒業生からの寄付で、後輩(生徒)のためのクラブ室+同窓会室である。来年10月27日に集まって盛大に祝いたい。

浮世床

2006-12-25 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日の日曜日、今年最後の散髪に行った。ここのマスターは、四国から出てきて大阪で修行して、この辺りに三店舗持っている「やり手」の部類に入ると思う。私は、なぜか、いつも、このマスターにやってもらっている。私より数歳年下、でももう年金貰っているという。60歳は越えている。で、そのマスターが言うに「お客さん、お客さんの頭にあたるのも今日が最後です、今年で「引退」して別のことをやります。でも、何?と聞かないで下さい、2,3年して「芽」が出たら息子から言って貰います」とのこと、二の句がつげなかった。息子が新年から社長のようだ。洗髪、髭剃りは別の若い衆がやってくれるのだが、彼が言うにも「マスター(社長)にいくら聞いても何をするか、教えてくれない。奥さんにも聞いたが知らないと言われた」とのことだ。まあ2,3年後を楽しみにしよう。月一回のこの散髪屋での一時間の駄弁り、居眠りは私のリラックスした「至福の時」である。

年賀状など

2006-12-25 | 時論、雑感
毎年、年末になると年賀状をどうするか、悩みの種だ。まあ、最近は、家内が近くの行ける範囲の「建物風景」を描いてくれて、それをパソコンに取り込んで印刷することになっている。昨年は、奈良南の談山神社の十三重の塔だった。(談合の「元祖」の神社である) 今年は、奈良市内の某所とした。昨日は、「迎春」や、私の住所・氏名も入れて印刷した。後は、表の宛先の住所・氏名を印刷し、出来れば一言書くのが、ここ数日の仕事である。
家の大掃除は終わっていないし、自分に課した仕事も未だだし、やはり「師走」だな、と思う。
昨年の談山神社の風景等:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/f7a82f52620d68c87e5ee682f4606d16

ナポレオンとモーツアルトはどちらが偉いか

2006-12-24 | 色々な仮説や疑問
今夕のNHKラジオ第二放送20時からのカルチャーアワー「人間を考える」で脚本家のジェームス・三木さんが「ナポレオンとモーツアルトはどちらが偉いか」と問うて、「ナポレオンは確かにフランスを一時ヨーロッパの覇者にした功績があるかもしれないが、現代の我々の日々に殆ど影響がない。それに比べてモーツアルトには、生誕250年ということをおいても日々その曲を聞いて楽しみ癒されている。そういう意味でナポレオンよりづっと「偉い」、それが文化というものだ」と言った趣旨を述べている。そうだな、と一応思う。だけど世界史の運行の上では、ナポレオンがフランス人に与えた「自国の誇り」みたいな遺伝子は現代にも及んでいて、アメリカ帝国に対して異議を唱える国家気概(一種の「中華思想」だが・・)に通じているとも言えよう。でもやはり私にとっては、日々楽しませてくれるモーツアルトの方が「偉いのかなあ」と思う。今年はモーツアルト生誕250年で、今日テレビで特集をやっていて「レクイエム」(K626)を聞いた。過去のナポレオンとモーツアルトに関するブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/9d0f2ed3e61fc8f5fb037646376940a7
(写真は、ジェームス・三木さん)

科学に突きつけられた4つの難問

2006-12-24 | 色々な仮説や疑問
雑誌『日本の科学者』2007年1月号が最近きた。特集は「科学に突きつけられた4つの難問」である。(1)宇宙は何からできているか。池内 了(総合研究大学院大学) (2)生命の起源は解明できるか。池原健二(奈良女子大学) (3)記憶のメカニズムは理解されるか。 中村 俊(国立精神・神経センター神経研究所) (4)人間活動は地球温暖化をもたらすか。 住 明正(東京大学気候システム研究センター) である。池原さんとは、私は元同僚で、ここにあるテーマで喋ったこともある。ここの4つのテーマは、宇宙から生命が生まれ、人間の脳というものまで到達した。しかし、その活動による「人間活動」が地球環境を危うくしているのでは・・というストーリーである。同じ号に深澤英隆さんの「現代社会における宗教知と科学知」という論考もあって興味深い。まあ、この『日本の科学者』や岩波の『科学』などは、「大人の教養雑誌」かもしれない。とにかく、今、「グランド・セオリー」(大理論)が求められているのは確かだろう。(写真は、現・奈良女子大学理学部長・池原健二さん)

「T居住地」での年末大掃除と餅つきの会

2006-12-23 | 地域居住学
今日、「コーポラティブ」のT居住地で年末大掃除と餅つきの会があった。10時頃から出かけた。T居住地には私の「セカンドハウス」の書斎があり、平均して月2回ほど休日に行っている。私は、1年9ヶ月ほど前に定年退職した奈良女子大学から書籍や資料などをこのT居住地の私の家に運び込んだ。段ボールが百数十個、半分近く開けて書棚等に整理した。でも未だ残っている。月2回ほど行くのは、T居住地の全員(23軒)集会のある時、NPOの会合の時の他、段ボールの整理と第二書斎での「作業」のためである。今日は特別で、大掃除と餅つきの会、そして夕方からの忘年会のためである。
大掃除と餅つきの会で気づいたのは、子供達が大きくなっていることで、「世代交代だな」と思った。このT居住地に皆で入居したのは7年近く前で、入居した2000年3月27日頃に生まれた子も小学校に行き、当時小学校6年だった子は大学生だ。常日頃見ていない余所の子は、見るごとに成長著しい。大掃除も餅つきも未だ全面的に子供達に主導権が移ったわけではないが、もう数年すると、そうなる、と思った。

歳末バージョン

2006-12-23 | 時論、雑感
何事も歳末バージョンに入ってきた。昨日も、非常勤講師で今年最後の授業で「T居住地」を見学したが、終わって、皆に「良き年末年始を」と言うことになった。町もそういう雰囲気だ。今日は、その「T居住地」で、大掃除、餅つき大会そして忘年会がある。明日、明後日はクリスマスイブとクリスマス。家の掃除や年賀状書きも中々進まない。散髪にも行く要がある。なにやかやで暮れていく2006年である。

名門オーケストラを救え 佐渡 裕と「歓喜の歌」

2006-12-22 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今夕、NHKハイビジョンで「名門オーケストラを救え・パリに響く佐渡裕の歓喜の歌」を見た。佐渡 裕さんは京都出身、45歳。京都芸大出身、小澤征爾さんに師事。12月なのでベートーベンの歓喜の歌かな、と思った。歓喜の歌(詩)はシラーの作、原語でAn die Freuide(歓喜に寄せて)と言う。私は大学2年の時、同じクラスの加藤肇彦(かとう・はつひこ)君に教えてもらった。彼は大人びた教養人でドイツ語フランス語なども得意だった。日立製作所を経て湘南工科大学にいるのではないか、と思う。番組ではパリの名門オーケストラが企業の寄付、文部省やパリ市の補助金等がカットされて解散の危機に瀕していたのを「歓喜の歌」(ベートーベン交響曲第九番)の演奏活動を推進する過程で、文部省の補助を復活させた物語である。最後に本当に歓びに満ちた「歓喜の歌」が響いた。
「Freude, schoener Goetterfunken,
Tochter aus Elysium!
Wir betreten feuertrunken,
Himmlische, dein Heiligtum!
Deine Zauber binden wieder,
was die Mode streng geteilt,
alle Menschen werden Brueder,
wo dein sanfter Fluegel weilt.」
(歓喜よ、美しい神の閃光よ、
楽園からの娘よ、
われらは情熱に満ち、
天国に、なんじの聖殿に踏み入ろう。
なんじの神秘な力は、
引き離されたものを再び結びつけ、
なんじのやさしい翼のとどまるところ、
人々はみな兄弟となる。(大木正純訳))
これを聞くと、歳末だな、と思う。
(写真は、佐渡 裕さん)
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/c871a663bf32e8054b97831e01fff901

伊勢神宮の「うだつ」

2006-12-22 | 住まい・建築と庭
近鉄電車に乗っていたら、もうすぐ新年、近鉄だから「初詣に伊勢神宮へ」という広告があちこちに貼ってあり伊勢神宮を妻側から見た写真が載っている。棟持柱が見えている。それを見て「うだつ」という言葉が思い浮かんだ。『広辞苑』第五版では、「うだつ」は「うだち」の転、字は「梲」と書く。四つの意味がある。①梁の上に立て棟木を支える短い柱。②妻壁を屋根より一段高く上げて小屋根を付けた部分。③(「卯建」とも書く)江戸時代の民家で、建物の両側に「卯」字形に張り出した小屋根付きの袖壁。長屋建ての戸ごとの境に設けたものもあり、装飾と防火を兼ねる。④民家の妻側にある棟持柱。で、伊勢神宮は民家ではないが、上の④の意味で「うだつ」が見えていると思ったのである。普通は③で、「うだつが上がらない(甲斐性がない)」は、これをイメージしている。ついでに「素人」だが中西 徹(京大文卒、京阪電鉄常務取締役歴任)著『うだつ』(1990年版、二瓶社刊)によると『広辞苑』第三版までの意味が変遷しているようだ。勉強家で、他にも川島宙次さん、伊藤ていじさん、太田博太郎さん、福山敏男さん等の説も検討している。暇になったらゆっくり読んで見たい。(写真は、伊勢神宮、「うだつ」も見える)

「死生学」の視点 アルフォンス・デーケン

2006-12-21 | 生活描写と読書・観劇等の文化
『日経』夕刊のインタビューで上智大学名誉教授・PHDのアルフォンス・デーケンさんが、いかによく生き、良き死を迎えるか、学際的に考える「死生学」について語っている。デーケンさんが日本でホスピス運動を始めた時(1982年)、一つしかなかったホスピスが現在160余に増えたと言う。だが質的点で課題が残っている、心のケアが十分でない点とのことだ。1932年ドイツ生まれ、74歳。「ドイツ語では動物が『死ぬ』のはフェアエンデン(verenden)、人間が『死ぬ』のはシュテルベン(sterben)と言葉が異なります。前者はただ消えるという意味で、下降するのみです。後者は肉体的に衰弱しますが、精神的にはまだ成長できる可能性があるというニュアンスが込められています」定年後の豊かな第三の人生には六つの課題がある、と言う。(1)『手放す心を持つこと』 過去の業績や肩書きに対するこだわりを捨て、新たな出発をするつもりで積極的に生きること。(2)『許しと和解』 死にいく人も、残される人も互いに許し許されること。(3)『感謝の表明』これまでの人生を謙虚に振り返ると、自分がいかに多くの人に支えられてきたかを感じるはずです。素直に『ありがとう』と言えることが大切。(4)『さよならを告げる』こと。死は旅立ちです。別れのあいさつをきちんとしたい。(5)『遺言状の作成』財産争いは意外に少なくありません。法律的に適正な遺言状を作っておくことは、残される人への心配りです。(6)『自分なりの葬儀方法を考え、周囲に伝えておく』これも周囲の人への配慮、思いやりです、と言っている。行き届いていると思う。これら六つをきちんとやれれば「死生学」の単位、「優」に違いない。
最後に「限りある「生」をより良く生きるには(ジョークではなく)ユーモア、笑いが重要だ」と言っている。ユーモア(HUMOUR)は、YOU MOREでもあるだろう。(写真は、柔和なデーケンさん)

切り札

2006-12-21 | 時論、雑感
6カ国協議で、北朝鮮は「核」という切り札を握っているので、ちょっとやそっとでは、米国の「圧力」に屈して「核放棄」はしないだろう。「制裁」で締めても、中々、核放棄までもっていくのは「無理」というのが外野席の素人判断である。前に書いた記事:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/05a32c203c2794dc85b868585ab010e1
切り札と言うと、安部首相も就任早々「中国韓国訪問」という「切り札」を切ってしまい、今は、郵政民営化反対で小泉前総裁から公認されなかった面々の「自民党復党問題」、政府税制調査会長の本間問題(阪大教授・本間正明氏本人が本日辞意を表した)、自民党が銀行からの献金受けると思いきや急に断る等々、逆風に直面で、右往左往、支持率も4割台に下っている。新たな切り札はあるだろうか。

青島幸男さん逝去74歳

2006-12-20 | 時論、雑感
青島幸男さんが亡くなった、74歳と言う。「いじわる婆さん」が懐かしい。お母さんのことを書いた『人間万事塞翁が丙午』で直木賞を得たが、私は実は恥ずかしながら「人間万事塞翁が馬」という言い方を知ったのは、その青島さんの言い方からである。お母さんの生まれが「丙午(ひのえうま)」だったようだ。参議院議員や東京都知事も歴任した。東京都知事になった時は、全く選挙運動せずに当選したのは有名、ところが在任中、都市博中止の公約を実行したほかにめぼしいこともなく1期で辞めざるをえなくなった。でも、とにかく世に話題を提供してきた人生だったと思う。子供達も「親の七光り」ではなく活躍しているようだ。ご冥福を祈りたい。

認知症の介護(続き)

2006-12-20 | 時論、雑感
NHKTVでやっていた「認知症の介護」について既に書いた。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/c6ffe18f3855878755a3e76ee7dd4ac1 それで、それを読まれた知人からメールを頂いた。テレビでは家庭介護と施設介護についてやっていたが、実は家庭でも施設でも手に負えず「病院」に入院させざるをえない場合もあるとのことだ。まあ認知症は「病気」と認定されているので病院に入るのも当然であるのかな。家庭、施設、病院を含め地域空間全体で支えるシステムが必要ということだろう。

2006年の主役はあなた(『タイムズ』)

2006-12-20 | 時論、雑感
知り合いのコラムを見ていたら、表題のように「2006年の主役はあなた(『タイムズ』)」というのがあった。http://homepage2.nifty.com/lite/hard_column/no_nippon940.html
http://homepage2.nifty.com/lite/hard_column/no_nippon941.html
これはweb2.0時代のデジタル・デモクラシーを支える「あなた」が主役と『タイムズ』誌が言っているのだ。今まで、毎年、特定の個人を「今年の主役」と認定していたのに、「主役はあなた」とは異例で、虚を突いている。
たしかに、私も恐る恐るSNS等をやりだしているが、まだ「主役」という認識が弱い。まあ、しかし、忘年会のネタに一度言ってみようかな・・・。