西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

広島で会った人々

2006-12-03 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
「地井昭夫さんを偲ぶ会」(懇親会含む)で色々な人にあった。地井さんの奥さん、息子さん達、地井さんの早稲田の後輩にあたる重村 力さん(神戸大)、同じく神戸大の山崎寿一君(私の従兄弟の子)、農村計画委員会の伊藤庸一さん(日本工業大)、同じく伴丈正志さん(長崎総科大)、福岡大の河野泰治さん、元九大の加藤さん(女性)、広島国際大の石丸紀興さん、西日本工業大の岡田知子さん、山口大の内田文雄さん、広島工大の森保洋之さん、同じく前田真子さん(奈良女出身)、呉高専の篠部 裕さん(豊橋技科大で山崎寿一君に師事)、コンサルの山下和也さん(懇親会司会)、林康文さん(広島県庁)、宮本茂さん(中国地方総合研究センター)、前田眞さん(コンサル、以上4人は地井研出身)、熊野稔さん(徳山高専、建築学会中国支部農村計画委員会委員長)、間野 博さん(広島県立大、京大後輩三村研、金沢出身)、松本静夫さん(福山大、京大後輩増田研)、斎藤さん(東和大、京大院後輩、巽研)等の建築学会関係の人々の他に、8月6日の朝のテレビに毎年出ていて見覚えのある広島市長の秋葉忠利さんが懇親会に来られて地井さんの奥さんに頭を下げていた。「広島市の財政再建の検討委員会の委員長に地井先生になっていただき庁内ヒアリングとまとめなど短時日に大変苦労頂き、それが地井先生の命を縮めたと思うと心苦しく深くお詫びしたい・・」と述べられた。ついでに地井さんと相談して決めた「美しい都市・広島」という宣言文案も読みあげられた。安部さんの「美しい国」とは、えらい違いの内容だった。又、地井さんは、市長に感謝される仕事もしていたのだな、と認識を新たにした。
(写真は、広島の秋葉忠利市長)

ひかりレールスター

2006-12-03 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
「地井昭夫さんを偲ぶ会」で久しぶりに広島に行った。新幹線は、新大阪まで行って20番線から「ひかりレールスター」に乗った。「ジパング倶楽部」会員で割り引いてもらうと新幹線は「ひかり」「こだま」しか乗れないからだ。年間100km以上の旅行20回利用できる。3回は2割引き、後の17回は3割引きだが、私は先ごろ名古屋往復に使ったのが初めてで、今回は片道100km以上あるので往復で2回これも2割引だった。「ひかりレールスター」は4列のゆったり座席である。8両編成で新大阪ー博多間を走っているようだ。車両の先頭も「カモノハシ」風で面白い。

地井昭夫さんを偲ぶ会に参加

2006-12-03 | 諸先生・諸先輩・同輩・諸後輩の思い出
今日(12月2日)、広島の広島工大であった「地井昭夫さんを偲ぶ会」(日本建築学会中国支部農村計画委員会主催)に参加した。地井昭夫さんは、今年の6月28日に食道がんで亡くなった。最後は広島大学を退職して広島国際大学に勤めていた。彼は私より1歳上であるが、大学での学年は同期、彼は早稲田大学、私は京大である。私が京大助手(1970年~1974年)、彼が早稲田の大学院を出て広島工大に勤めた頃から実質的付き合いが始まった。私は豊田高専から京大に戻った頃、京大の各研究室(計画系の西山、巽、上田、三村研究室)では、都市計画、住宅供給計画関係の研究が主流だった。世間(建築学会)でもそうだった。私は「世の流れが一寸変だな」と思い、日本建築学会の『建築雑誌』に「漁村を見直すための視点」といった論考を投稿した。京都府の蜷川知事が力を入れて、そこそこ上手くいっていた丹後の伊根漁村を例に出した。で、伊根漁村の研究について調べたら地井昭夫さんが既に詳細に調べていた。もう一つ、日本建築学会近畿支部に当時、農村計画委員会がなく、私は大阪市大の富樫さん、近畿大学の藤本尚久さんと一緒に再建したのだが、その時に地井さんに広島から来て頂き、農村・漁村計画の重要性、面白さを講演してもらった。それ以来38年近くの長い付き合いで、私が金沢出身なので彼が金沢大学に転勤した時も何度も金沢で会った。少なくとも後10年位は生きて貰い色々議論したいことも多かった。彼の書いたものは残っているので、今後それらと「対話」していこうと思う。(写真は、ありし日の地井昭夫さん)
亡くなった6月に書いたブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/351224e4c42580f1029aef3d43a0874a