西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

今年の漢字=命

2006-12-12 | 言語・字・言語遊戯
今年の漢字に「命」が決ったようだ。毎年、京都の清水寺で、その字が大書されている。今年もそうだった。命に決ったのは、今年は自殺などが多くて、命を大切にすることが求められたからだ。私は、前から「命を燃やす」とは、「いい後」を作ることだ、と言っている。命=いい後 である。一寸くどいかな。

祖父・瓜生余所吉の業績

2006-12-12 | 金沢の思い出
前のブログで、私の父方祖父の瓜生余所吉のことに一寸触れた。で、グーグル検索をしたら、私の祖父(じい)さんには次のような業績があることが分かった。著書タイトル :『 籌算完璧 』( 読みはチュウサン カンペキ ) 西尾治郎作著,瓜生余所吉校閲 金沢・宇都宮書店発行,発行年月:明35年5月 といったところだ。目次を見ると和算の本のようである。祖父は算数に強かったのかな、と思う。祖父が理科系だとしたら息子(親父、伯父・叔父)は殆ど文科系なのも面白い。この本は国立国会図書館にあるようだ。明治35年というと、1902年頃で今から百年以上前だ。校閲だから直接全部書いたわけでもなく直したのだろう。機会があれば、近代教育史の一駒として調べてみたい。まあ、瓜生家の親、伯父・叔父等に教育者がいないようなので、私が仮に「教育者の端くれ」としたら御祖父(おじい)さんからの「隔世遺伝」かもしれない、と思ったりする。従兄弟の子の山崎寿一君(神戸大学)もそれに近いだろうとも思った。

消滅した石川県の郡

2006-12-12 | 金沢の思い出
私の父方の祖父は瓜生余所吉(うりう・よそきち)と言う。加賀・金沢藩の支藩である大聖寺藩の藩士の出である。で、私の子どもの頃は、大聖寺町は江沼郡(えぬまぐん)に属していた。祖父・瓜生余所吉は私が生まれた1941年以前に亡くなった上、私が幼稚園に入る頃に母方の西村家の養子となったので、全く知らない。ただ西村の祖母や瓜生の父から余所吉祖父さんは教育者であった、という話を聞いた。瓜生余所吉で検索すると、『石川縣江沼郡誌』に足跡が載っていることが分った。いつか石川県立中央図書館で調べてみたい。そうだな、昔は江沼郡というのがあったな、と思い出したが今はない。同様に、能登の珠洲郡(すずぐん)、鳳至郡(ふげしぐん)も消滅・合併して鳳珠郡(ほうすぐん)となっている。未だかろうじて残っているのは羽咋郡(はくいぐん)、鹿島郡、河北郡、石川郡、能美郡(のみぐん)であろうか。
郡に限らず、市町村名も次々変わるので、一寸困ったな、と思っている。

安藤忠雄さんの最近の発言

2006-12-12 | 住まい・建築と庭
先だってNHK衛星テレビで「デザイン」のことをやっていて高階さん(美術史家、芸術評論家)が司会でファッションの三宅一生さん達と共に安藤忠雄さんも出演していて、最後に一言、と言われて安藤さんは概要次のように言った「若い頃は、やりたいデザインをやってきて、住宅設計の場合、最後にお金が足りなくなって風呂には浴槽設置の余裕はなくシャワーですませた。中年になって、クライアント(施主)の言い分も聞いてきたが、ここにきて(65歳にもなって・・)建築家の強欲(ごうよく)として好きなようにやりたい・・」と。一寸、唖然とした。
で、最近来た雑誌で竹山清明さん(建築家・京都府立大学)が「建築家がオールマイティとする安藤忠雄の建築観」という「主張」を書いていて、そうだな、と思った。(『建築とまちづくり』No.348号、4頁)住民の言い分を何から何まで聞く必要はないだろうが、建築は建築家と住民のコラボレーションが基礎にあることを忘れてはなるまい。