西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

SKYPEに入会

2006-12-29 | 時論、雑感
インターネット無料電話のSKYPEに入会した。番号はichirosan3である。SKYPEに入っておられる方は、小生のメール、又はmixiの小生宛に番号を連絡下さいね。今のところ二人に連絡。SKYPEにはmixiと同じく600万人以上が加入しているようだ。

「毎日モーツアルト」最終回

2006-12-29 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
今年は、「モーツアルトの年」、私のブログでも「モーツアルト」で検索すると、この記事の前まで22コンテンツがある。で、今日、衛星テレビで「毎日モーツアルト」最終回を10分間見て聞いた。バックグランドミュージックに「アイネ・クライネ・ナッハト・ムジーク(Eine Kleine Nachat Musik) K525)」が鳴っていた。モーツアルトの35年10ヶ月の人生を駆け足で紹介している。つないで見ると「なるほど」と思うところもある。(1)1756年ザルツブルグで生まれる。幼少時代から親父さんについて演奏の旅から旅の生活。(モーツアルトは「旅は人間を賢くする」といったようだ)天才ぶりに王侯貴族が絶賛。(2)ロンドンで初めて交響曲をつくり演奏。(3)ミラノでオペラ。(4)パリで母の死に会う。(5)ミュンヘンで失恋。(6)大司教との衝突。(これは、「教会音楽」の時代から、「市民音楽」への時代を象徴か。)(7)ウイーンで25歳、郷里から決別、自立。コンスタンツエと結婚。(8)プラハでのオペラ「フィガロの結婚」絶賛される。(9)1791年、庶民の楽しむためのオペラ「魔笛」作曲。(10)1791年12月5日35歳の人生を駆け抜けた。
「フィガロの結婚」も、領主の思惑を出し抜いて結婚にいたる「庶民のオペラ」の色合いがあるし、「魔笛」もそうなのか、と思った。フランス革命が1789年だから、モーツアルトの死の2年前である。そういう社会的背景、雰囲気がモーツアルトの音楽にも反映しているのであろう。「魔笛」を一度しっかり聞いてみたい。私として、あと35年生きれば(先ず無理)、「モーツアルト没後250年」となる。とにかく、それへ向かってモーツアルトを楽しんで生きたい。