西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

映画「ダ・ヴィンチ・コード」を観る

2006-06-11 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日、家内と奈良に行って映画「ダ・ヴィンチ・コード」を観た。私は小説を読んでいるが家内は未だである。まあ、それでも映画は小説を読んでいない人にも分かるように作るはずだから、と思って一緒に行った。2時間半余の「長編」、見終わって、キリスト教世界でなら小説を読んでいなくても、マグダラのマリアとか聖杯伝説、テンプル騎士団、シオン修道会、オプト・デイなどについての一定の知識があるが、家内は、それらの関係がよく分からなかったと言っていた。大体、西洋の推理小説の常套手段で「探偵」(この場合、大学教授)と「若き魅力的女性」を配して「目的」を追いかける構成。最初の殺人事件が起こった「ルーブル美術館」に始まり「ルーブル美術館」に終わる構成。「犯人」に迫る「どんでん返し」。「若き女性主人公」が実はキリストの末裔では、という設定。とにかく小説と少し違ったところもあったが、それはそれ、映画として面白かった。(過去の小説読後ブログ参照、ダ・ヴィンチ・コードで検索のこと)

湯川秀樹、司馬遼太郎の対談ー愚問は大切ー

2006-06-11 | 奈良の思い出(助教授時代)
今日、NHKTVの「かんさい想い出シアター」で1981年元旦放映の「湯川秀樹、司馬遼太郎の対談番組」を見た。湯川さんは73歳の最晩年、司馬さんはまだ若々しい感じだ。湯川邸で収録、司馬さんが煙草を吸っている。司馬さんは若い頃に新聞記者をしていて京都支局勤務の時のこととして、湯川さんと一緒に座談で料亭に行った時の想い出として「湯川先生は、料亭の女将に、子供のような質問をしますが・・、と断って何でも聞いておられたことを思い出します」と言っていたが、それに対する湯川さんの受け答え「京都では、へたなことを聞くと、そんなことも知らないのか、と思われて聞きにくい。自分は、一時、大阪大学に勤めたが、大阪は京都と違うとは言え良く似た雰囲気、しかし理学部に菊池正士という教授がいて、何でも聞いていたのには感心したので・・」司馬さんは、それを受けて「愚問を発するのは大事ですね」と念を押していたのが印象に残った。愚問=Good問である。

ウチナーグチ(うちな~噺家・藤木勇人さん)

2006-06-11 | 言語・字・言語遊戯
課外授業「ようこそ先輩」で、うちな~噺家・藤木勇人さんの「ウチナーグチ」(沖縄方言)の授業をテレビで見た。小学生が、オジイ、オバアに取材するのも心温まる風景だ。別の話で、小学校から英語を、と言うが、むしろ日本語、それも地方語(方言)をきちんと教えるべきかもしれない。
私が一番耳にする「ウチナーグチ」は「チバリヨー(頑張れよ)」であろう。市場でオバアが孫のような小学生に「カナサンドー(可愛いね、愛してるよ)」と言っている場面も良かった。藤木さんは、最後に「ウチナーグチは沖縄の人のチムグクル(肝心)だ」と言っていたのも肝(チム)に染みた。

旧学生レポートの扱い

2006-06-11 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
私は奈良市の平城ニュータウンの「つなね」に「書斎」を持っており、昨年3月に奈良女子大学を定年退職した際、研究室から30数年間に溜まった150箱ほどの段ボール資料を運び込んだ。ほんの一部は精華町の家に運んだ。運ぶのに定年前1年近くかかった。それから1年3ヶ月近く経過した。家内が木工教室で整理のための本棚やパソコン置きテーブル等を作ってくれた。私は毎週という訳にはいかないが日曜日には出来るだけ「つなね」に行って段ボールの積みあげた状態を整理し崩してきた。しかし、未だ半分も崩していない。本やレポート類は本棚のおかげですぐ整理というか収納できる。問題は二つ、一つは「バラ資料」、もう一つは「旧学生レポート」だ。両方、整理・処理に時間がかかる。後者は10箱以上ある。捨てるわけにはいかないし、皆返すとなると「大仕事」だ。まあCDロムあたりにコピーして徐々に返そうかな、と思っている。去年から奈良女子大学卒後30周年の同窓会に出始めた。8月頃にある。そこで徐々に返せたら、と考えているが、どうなるだろうか。

アンコール遺跡における木造について

2006-06-11 | 住まい・建築と庭
普通、アンコールワットの遺跡は石造というイメージである。ところが、アンコール遺跡を調査研究している奈良女子大学大学院生の澤田知香さんによると、小屋組などが木造だった、又、石壁の他に石床に木柱の穴が多数残っている遺跡もあり、その意味の解明、復元も必要とのことだ。昨日、奈良女子大での研究会で「中間発表」を聞いた。復元像がはっきりすれば、アンコール遺跡のイメージが一変するかもしれない。歴史学者のN先生は、アンコール遺跡のあるカンボジアはフランスに1世紀ほど支配されていたからフランス人の先行研究があるはず、まずそれを前段で示してほしい、と注文をつけられた。澤田さんは、又、一人で海外でフィールド調査する意味について、聞いていた我々に質問した。私は「国土研」の調査三原則(ブログ6月5日「木村春彦先生の思い出」参照)を説明した。しかし「今更、調査チームを形成するのも難しいので、日本人として一人でこつこつやる場合でもカンボジアの人たちのためになる調査研究であってほしい」ということもN先生が述べられた。
この研究会の後、懇親会もあり、わいわい進んだが、私は「歴史研究は高級な研究、人間だけの認識形態」ということを「つながりの豊かな地域居住」と言っている中の「歴史とのつながり」を意識して喋っておいた。