西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

新井 満さんの講演会に参加-1講演準備

2006-06-17 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
新井 満さん(1946年新潟市生まれ、上智大卒、芥川賞作家、音楽家、写真家、「電通」を5月に定年退職、例の髭と帽子等)の『「千の風になって」の生まれる話』講演を平安女学院アグネスホールで聞いた。新井 満さんの平安女学院大学客員教授就任記念だ。山岡景一郎理事長・学長と「日本ペンクラブ」での付き合いの延長で就任してもらうものだ。私は、15時からの講演に先立って13時半前に行った。新井さんは13時半頃にマネージャーの奥さんと現れた。応接室で、山岡理事長に紹介されて名刺交換した。私は、既に本『千の風になって』を読んでいたので、いくつか話した。奥さんが「なまこ」が嫌いなことを本で知ったこと、a thousand windsと「風」が複数なのに aがついているのはどうして?といったことを話題に出したら、新井さんは余り乗ってこず、いらいらしている風、「ああそうだ、リハーサルのため早く来られたのだ」と理解して、私はその場を離れた。新井さん夫婦はアグネスホールで入念にリハーサル、講演、詩の朗読、歌唱と一人三役、マイクの音量、ライトの状態等のチェックをしておられた。講演効果をあげるためのプロの姿勢を強く感じた。

マンチェスター紀行1983年6月

2006-06-17 | ロンドンの思い出(LSE時代など)
イギリスにいた1982年~1983年の今頃、マンチェスター大学のGosschalk先生を訪ねてマンチェスターに行った。当時の日記に「紀行メモ」があるので書いておく。
「マンチェスターはローマ人がブリテン島にいた頃は、要塞チェスターとヨークを結ぶ一つの駐屯地に過ぎなかった。近代にいたり産業革命がおこり、綿工業が発達すると、一躍その中心地となり、ヴィクトリア時代のイギリスにあってマンチェスターの名は世界中にひびきわたり、その綿取引所は一時期世界一の地位を占めていたのである。丁度そのころ、その綿工場の一つの経営を父親からまかされた若きフィリードリッヒ・エンゲルスがマンチェスターにやってきたのだった。そして、その発展する資本主義の光と影をまのあたりにして、彼は有名な『イギリスにおける労働者階級の状態』を執筆したのである。彼が住んでいた住居のあたりは現在はマンチェスター大学の若々しい学生の姿で満たされており、住居跡プラーク(記念板)はマンチェスター大学学生寮の外壁に貼られている。そこから最も近い古いポストの横を通った時、ゴシャーク先生は「このポストは、エンゲルスがロンドンにいた友人カール・マルクスにしばしば出した手紙を投函したポストに違いない」と言った。」ゴシャーク先生は、私の書いた『いい家みつけた』(晶文社刊、1986年)の175頁に写真で載っている。